2008年08月27日

ウィキペディアの問題点

アメリカの人口の何パーセントかは「進化論」を否定している。アメリカの人口だから、何パーセントといっても相当の数だろう。しかも貧困層ではなく、所謂WASPのうちの「ファンダメンタル」と呼ばれる層が主である。富裕層が多いから当然学歴も高いし、医者になるものもいれば法律家になる者もいる。教師になる者もいるだろう(
ところで「進化論を否定する医者」に治療を受けるのは、どんな気持ちであろう?)。

さて、現在でもこのような状況である上に、ダーウィンの活躍していた頃は、迫害すらあった。ところがウィキペディアには、「進化論」が当然の真理ごとく書かれてはいるが、反対意見の紹介が無いのだ。もっともウィキペディアは、加筆が進むらしいので、いつかは追加される可能性もあるが(今回念のため見てみると少しだけ触れられていた)。

で、そのウィキペディアで「南京虐殺」を引いてみると一体どういうことになっているか?
「南京虐殺」そのものの記事よりも「南京虐殺はなかった」説の紹介のほうが圧倒的に多いのだ。何故こんなことになるのだろう。学術的にも「世界の常識」となっているこの歴史的大事件が、日本のウィキペディアに限って、偏向的内容となっている。考えられることはただひとつ。書き手の思想が入っているということ。
同様にウィキペディアでは「アニメ」だの「キャラ」だの「フィギュア」だのの記事が豊富である。こんなものは全て「ネトウヨ」の好むものである。
結論から言えば「(日本の)ウィキペディアとは、暇を持て余したニートのネトウヨが、2チャンネル等の書き手に供給するために書き込んでいる情報操作メディア」である。

ウィキペディアの害毒のひとつとして、低脳のネトウヨが、次のようなことをいい始める、というのがある。
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「海洋国家というのは、地政学の世界では『常識』ですがナニカ?」
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ウィキペディアを見て最近知ったくせに何が「常識」だ(笑)。
ことほど左様にネトウヨの多くはウィキペディアを、おのれが振り回すための安直な「知識」の仕入先として活用しているようである。
http://blog.nojijizm.jp/archives/50673088.html#comments
例えばごく普通の人が「海洋国家」なる言葉を聞いた場合、どのような概念を浮かべるであろうか?せいぜい「国土の全体、または大部分が海にかこまれている国」(大辞林)というものではなかろうか?しかしこれは間違いなのである。実は「国土の全体、または大部分が海にかこまれている国」とは「海洋国」の定義であって「海洋国家」のそれではない。ウィキペディアによると「海洋国家」とは次のようなものであるらしい。
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海洋国家(かいようこっか 英:maritime state)とは19世紀後半以降において発達した地政学上の概念であり、客観的、保守的、共存認容的な志向を有するとされ、地理的には島国か沿岸国であり、過去に海洋通商及び軍事で覇権を確立したことがある国をいう。
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そして更に古代フェニキア、アテネから始まり大日本帝国、アメリカ合衆国などを例に挙げている。
つまり要するに「海洋国家」とは純然たる学問用語なのだ。
しかしどうであろうか?我々一般人が日常的な概念で「海洋国家」という言葉を聞いた場合、その人が「地政学者」でもない限りは普通「海洋国」を思い浮かべるのではないか?
ところがである。ネトウヨさんはたったこれだけのことにしがみつくのである。聞きかじりを並べておいては「ウィキにもありますが、海洋国家という考えはずっと前に確立していますし、地政学や国際政治では有名極まりませんが?」と来る。自分が「たまたまその用語を昨日ウィキペディアを見て知っていた」に過ぎないくせに、「有名極まりない」が聞いて呆れる。生半可な「知識」を振り回して「お勉強会」を開いては自分を大きく見せたがるのはネトウヨのひとつのパターンだとしても、ウィキペディアは、まさに彼らの「救いの神」なのである。

ウィキペディアの問題点は次に掲げることに集約されるだろう。
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@「執筆者」が「一般大衆」であること
A匿名であること
Bインターネットと言う「安直な」媒体がその舞台であること
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それでは一般の百科事典と何処が違うのか?
まず第一にいえることは準備期間の問題である。一般の百科事典は準備期間を含めると数年の年月で出版にまで至るものと考えられる。その間校正等を含め、ありとあらゆるチェックが各段階で入る。それによって信頼のおける書物となりうるのだ。そして第二には「ブランド」と言うものがあるだろう。例えば「岩波書店に限っていかがわしい学者など使わないであろう」と言うような世間一般の「信用」である。また平凡社の百科事典は買う人がいてもサンケイ新聞の百科事典など(あればの話だが)買う者などいないであろう。つまりこの「準備期間」と「信用」が、ウィキペディアには完全に欠落しているのだ。その結果、「南京大虐殺」を調べようと思って引いてみると、「南京大虐殺はなかった」説ばかり飛び出してくる、というようなことになる。
そのような成り立ちのウィキペディアを世のネトウヨどもが金科玉条のように有難がるのは当然のことなのである。
posted by takashi at 09:59 | Comment(10) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

たかしちゃん語録


日本の戦争犯罪というべきものの中で、朝鮮半島における「創氏改名」は、ナチスドイツすら行なわなかった最悪の暴挙である。さらにアジア各地で行なった日本語使用の強制もそのひとつである。神社参拝の強要というのもある。何故か?これらは即ち最も効率的かつ悪質な「文化」の蹂躙だからである。これらは当時の日本が朝鮮文化やアジア諸国の文化を抹殺しようとしたことを表している。
そもそも我々が外国語を学ぼうとするときの動機とは、一体どのようなものであろうか?まず第一にその国への憧れというものが挙げられる。仕事上の必要性というのもあるだろう。またその国の女性と付き合ってみたいというのもあるかもしれない。いずれにせよこれらはすべて、能動的・主体的な動機である。しかし朝鮮半島では「天皇の名において強制的に」これが行なわれた。
子供の頃、YMCAに英語を習いに行っていたことがある。同じ経験をした人もおられると思うので申し上げるが、YMCAでは子供が英語を習いに来るとまず何を行なうか?一人一人に英語の名前をつけるのである。授業の中で教師は子供たちを英語の名前で、つまりジョンとかトムとか呼ぶことになる。今考えると身の毛もよだつほどばかげた経験であった。当時は何の疑問も抱かなかったが、ずっと後、世の中のことが分かるにつれ「YMCA」なるものの正体を知ることになる。まさにアメリカの植民地支配の手先のひとつがこのYMCAという団体であったのである。しかし救いようがあるのは、別にYMCAに入りたくなければ入らない自由があったということである
さてこのようにして「皇民化」された朝鮮人の多くが、かの靖国神社に無理矢理祀られており、遺族が抗議をしているという現実が21世紀の今日にこの日本にはある。こういったことはヨーロッパの先進諸国も是非注目してもらいたいものである。
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以前あるネトウヨが当ブログ(ザ・のじじズム)に次のようなことを書き込んできたことがあります。
「ナチスドイツのホロコーストと日本の虐殺は違う。前者は計画的に行なわれたものであり、後者は偶発的である。その証拠にナチスには文書が残っているが日本にはない。もしあるというなら文書を出してみろ。」
とまあいつもの調子のアホな内容でした。日本に虐殺を命令した文書がないなどと何の検証もせずにいけしゃあしゃあと言うことからしてアホ丸出しでありますが、じゃあ例えばヒトラーが「我が闘争」という本を書いていなければナチスのやったことも許されるのか?という私の反論でこの投稿者は消えてなくなりました。

我が闘争」といえば実は私読んでるんですけども、この本の中でヒトラーは日本のことをどう書いているか?ネトウヨの皆さん知りたいでしょ?ヒトラーは世界の民族を三つのランクに分けているんですね。
1.文化を創造する民族
2.文化を支持する民族
3.文化を破壊する民族
で日本はどれかというと2.だというんですね。つまり1.に入れてはもらえない。こと日本の評価についてはヒトラーの言っていることはあながち外れていない(笑)というより私など朝鮮文化を破壊しようとした日本は本当は3.に入ると思うんだけど・・・。

で、1.にはどういう民族が入るかというとアーリア人種やアングロサクソン人種が入るとこう言っている。要するにドイツ人やイギリス人が優れた民族だと言っている。3.に関してはお察しの通りユダヤ人や黒人が入るんだという。そもそもアーリアだとかユダヤだとか黒人だとかカテゴリーの違う尺度で分類すること自体ナンセンスなのだけれど、こういうたわごとをクソ真面目に書いたヒトラー何ぞに、あの優秀なドイツ民族がだまされたというのは確かに悲劇でした。21世の現在ドイツは「文化を創造する民族」にみごと返り咲いたわけですがわが祖国日本はいつまで「文化を破壊する民族」であり続けることでしょう。
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ドイツが現在ヨーロッパで尊敬を集める国となり得たのは真摯な謝罪と戦後補償を地道に行なってきたからだが、それに引き換え既にアジアで「鼻つまみ」となってしまった日本がとってきた道は180度逆であったといえる。ドイツはナチスの罪を、今現在も我がことであると認識し、反ナチスの法律を数多く作ってきた。戦争中の教育を反省し、歴史教科書を隣国ポーランドと共同作成をしている。歴代首相・大統領は第二次大戦中に侵略をした国々を訪れ、幾多の感銘深い言葉で心からの謝罪を行なってきた。首都のド真ん中の一等地の広大な敷地を自らの過去の罪を忘れないためのモニュメント建設のために提供した。司法当局は自国の戦争犯罪人を時効なしで未だに裁き続けている。
賢明なる民族、ドイツ人よ!あなたたちは国連安保常任理事国となるべき資格をもうとっくにその手に収めている。かつて侵略をした隣国、フランス・ベルギー・オランダ・ポーランド・・・すべての国々があなたたちの常任理事国入りを祝福するに違いない!
それに引き換え、我が祖国の何と哀れなことよ・・・戦後60年以上も経っているというのに、隣国韓国の大統領からはドイツを引き合いに出されてその無反省を非難され、やっとの思いで国交を回復した中国には企業進出で大きな恩恵を受けてきたのにも拘らず、平気で神経を逆撫でしつづける。東南アジア各国は60数年経っても、まだわれわれ日本人を信頼してはいない。首相は首都のど真ん中にある時代錯誤の犯罪博物館「靖国神社」を参拝し続けるし、およそマトモでない教科書の検定を通す。ああ我々のこの日本はいったいどうなってしまうんだ!?
そんな日本にもパンドラの箱の最後にたった一つだけ残った希望がある。それは日本が全世界に誇れるほとんど唯一のものだ。その希望とは・・・「日本国憲法」
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現在、自民党のバカどもが歯軋りしながら後悔していることがある。1994年に当時の社会党と連立を組んだことだ。数合わせのため「溺れる物は藁をもつかむ」で、こともあろうに55年体制の宿敵だったはずの社会党と手を組んだ。「ハイよーっ」てんでお仲間に入っちゃった社会党もアホだけど一番の計算違いはやっぱり自民党。ドサクサ紛れに村山の爺さん、アジア諸国に「お詫びの談話」を出しちゃった(笑)。いやあ想定外だったろうなあ。こないだのインドネシアの会議でも小泉はおんなじこと言うしか仕様がなかった。そりゃそうだろうよ、一国の総理が過去に詫びた内容から後退した声明なんて出せるわけないわな。
勿論、村山爺の談話なんぞ例えばドイツのワイツゼッガー大統領の「荒れ野の40年」に比べりゃちゃんちゃらおかしくてとてもとても「お詫び」なんぞと言える代物じゃないが、それでも自民党のバカどもが今になって慌てるには充分の代物だったわけだね。靖国神社あたりはだいぶ頭に来たらしくて「嘘と偽りに満ちた村山談話」なぞと今になってキャンペーンを始める始末。オイオイ、だったら連立なんかしなきゃいいだろってえの。で、今自民党のバカどもは村山談話を何とか骨抜きにしようとあくせくしてるわけだが、自ら犯した侵略の罪を認めないということはアメリカの侵略戦争もこれから未来永劫批判できないってわけだよね。こんな国に安保常任理事国になって欲しいなんて国あるわけねーだろが。
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小泉の5年間にわたる靖国参拝が果たした成果のひとつとして、次のことが挙げられるであろう。つまり靖国批判は従来アジア諸国からが主であったのが、小泉のおかげで近年欧米諸国にまで報道を通じて伝わってしまった。日本の恥が「世界規模」で知れ渡ることに貢献したと言うことであろう。これまでなんとなくアメリカ人が見過ごしていた靖国の本質を、ニューヨークタイムズが暴露したことは誠に重要である。「真珠湾攻撃はアメリカが日本に仕向けた戦争だ」などと靖国が主張していることはヨーロッパ諸国にも即座に伝わり、そんな神社に時の首相・閣僚が参拝する、日本という国が如何に情けない国であるか、彼らはドイツと比べて吟味し始めた。
よく「自虐史観」と言うことを口にする人がいるが、靖国などという恥を世界に晒すことこそがよっぽど「自虐的」だと私にはお思えてしかたない。
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ネトウヨがよく使う「自虐史観」なる言葉だが、これはおかしいと思う。どうもこれは過去の日本の国家犯罪を反省すべし、と主張する我々のような人間に対して投げつける「悪口」であるらしい。しかし、私はこの言葉をネトウヨの諸君にこそ贈りたい。例えばである。殺人を犯して服役した男が、自分の犯した罪を反省し、更生し、社会復帰することが「自虐的」だろうか?
逆に罪を反省せず、出所後も自暴自棄になり自堕落な生活を送りながら自分の犯した罪を正当化しつづける、そのような男こそが「自虐的」なのではないか?これを現在の日本国(政府)に当てはめれば一目瞭然だろう。服役(敗戦)出所(国際社会への復帰)を果たしたものの、上の例に挙げた二番目の男のように日本はいまだに国際社会の「鼻つまみ者」である。それこそが「自虐的」な身の処し方ではないのだろうか?
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posted by takashi at 13:04 | Comment(74) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月01日

たかしちゃん語録その2

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               < 告 知 板 >
ネトウヨの皆様

当ブログでは皆様の「馬鹿」を晒す場を常にご提供いたしております。
「馬鹿」なら誰にも負けない、我こそが「馬鹿」の大将だ、と自負される「荒唐無稽文化財」的ネトウヨの皆様、
どうぞ何なりと、考えもなしに思ったことをお書込みください。
良く出来た作品には私たかしやsumida5さんがコメントを付けさせていただく場合もございます。
どうぞふるってご投稿ください。
たかし

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アメリカにも学ぶべき良いところはいっぱいあるのにそれには学ばず悪いところばかり学んでいる。
その例をひとつ・・・。

アメリカの社会福祉は「自己責任型」、すなわち弱い者(貧者)は満足な福祉が受けられない。自公政権の下で、日本はそれに習いつつある。戦後やっと手に入れた数々の権利を、ここ十年ほどで、国民は次々と手放させられている。アメリカには消費税がない。なぜこれは見習わないのだろう。消費税といえば今から20年前、自民党が国民をだましてこれを導入するときに、いったい何と言ってこれを行なったか?「薄く、広く、公平に」である。
「薄く、広いからこそ不公平」だと、最初から気が付いていた国民は、ごく少数であった。さらに、狡猾な自民党は、次のようなことをのたまった。「北欧の福祉国家では消費税率が20数パーセントもある。日本も福祉国家を目指すならば消費税が必要だ」。これにも日本国民はすっかり騙された。北欧の社会福祉の充実は、消費税などではなく「高度の累進課税による所得税」が源泉である。日本の有権者はそのことを知らないのだ。
逆説的な話になるが、累進課税により「可処分所得が平準化」されると、実は消費税のような間接税も平等に作用してくるのだ。小学生程度の算数でもわかることである。その結果、所得税について言えば、自民党の目論見どおり、長年培われてきた「シャウプ税制」が見直され、累進課税が緩和された。そこに消費税が加わった。つまり北欧社会福祉国家に習うどころではない、全く逆のことをやってのけたのだ。
ついこの間まで「北欧は社会福祉で財政が疲弊している」だの「福祉が充実している国は、国民が怠惰である」だの「北欧は老人の自殺が世界一」だの「ビョルン・ボルグは税金払うのが嫌でスイスに逃げた」だのの嘘っぱちのプロパガンダを、言いたい放題垂れ流していたくせに、今度は、北欧の福祉国家に「習って」消費税を上げると言うのだ。ご都合主義もいいところである。

第一、過去にいちども「福祉国家」を経験してもいない日本という国が、何十年も前に「福祉国家」を「実現した」スウェーデンを「怠惰」呼ばわりは、いくらなんでも失礼であろう。全国の貧者たちよ!そろそろ敵の策略に気が付こうではないか!
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スウェーデンの政党は左翼から右翼までみんな社会福祉を政策の第一に掲げているし、ドイツの政党はみーんな反ナチス。ところが日本では「福祉と反ファシズムは左翼政党」、「反福祉と軍国主義は自民党とその補完勢力」。まあ分担がはっきりしていてわかりやすいといえば分かりやすいが、あまりに情けない国だよね。石原流に言えば「民度の問題」てなことになるんだろうけど・・・。
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靖国神社には行ったことがない、勿論行ってみるつもりもない。聞くところによると旧日本軍の特攻兵器が展示してあるらしい。あれはいつごろのことだったろうか・・・小学校低学年だったに違いない・・・「神風特攻隊」のことを初めて聞いた私は、子供心に恐怖心で夜も眠れなくなったのを覚えている。私にはそのころ、「死」について深く考える時期があってそれと重なっていたと思う。特攻隊員の精神的肉体的苦痛が、当時の私の感受性では我がことのように感じられ、しばらくはトラウマになっていたように思う。
特に私を怯えさせたのは自殺特攻兵器「桜花」であった。この「絶望的」ともいえる兵器はまさに「死」のために作られていた。ロケット推進エンジンと申しわけ程度の翼と、あとは爆弾そのものから成るこの兵器は、いちど母機(一式陸攻)から発進したが最後、ひたすら下降して「死」に至るしかない。上昇することは不可能。それはおろかろくに方向舵さえも付いていない。実地訓練など出来ないから、出撃が最初で最後のぶっつけ本番だったはずだ。したがって戦果を挙げることさえゼロパーセントに近かったと思う。こんな非人道的な武器を天皇制軍隊は作り使用させていたのだ。

その「桜花」が誇らしげに飾られている「靖国神社」。こんな「おぞましい」ところに最愛の夫、親兄弟が、権力によって祀られていて「戦没者遺族会」の人たちはよく平気でいられるものだと思う。
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独首相 ホロコーストの責任強調  2005/1/26産経新聞
 
 アウシュビッツ強制収容所の解放六十年を記念する特別行事が二十七日に行われるのに先立ち、シュレーダー独首相は二十五日、ベルリンでの特別式典でホロコースト(大量虐殺)に対するドイツ人の責任を改めて強調した。
 首相は「ホロコーストはヒトラーだけの責任ではない。ナチスのイデオロギーはまぎれもなく、(ドイツの)人々が欲したものだ」と演説。その上で、「罪の意識の希薄な現代のドイツ人も当然、責任を持つべきだ」と語った。(ベルリン 黒沢潤)

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2005年1月26日(水)「しんぶん赤旗」
アウシュビッツ解放60周年で国連総会”今も歴史わい曲の動き”中韓が日本に言及  2005年1月26日(水)「しんぶん赤旗」

  ドイツのフィッシャー外相がナチスの戦争犯罪に改めて反省を表明。韓国と中国の代表は、名指しを避けつつもアジアに対する当時の日本の侵略を厳しく批判しました。
 韓国の金三勲国連大使は「第二次世界大戦中の残虐行為は欧州に限ったことでなく、大規模な人権侵害をこうむり、蛮行を強制された地域がある。歴史に学び、教育と寛容を促すことでそうした悲劇が二度と繰り返されないようにすることは、人類全体が共同で果たすべき責務だ」と発言しました。
 中国の王光亜国連大使は南京大虐殺で三十万人が殺されたと指摘し、「六十年後の今、ナチズムと軍国主義の幽霊はなくなっていない。いまなお一部の極右勢力が歴史をわい曲して罪悪の歴史を否定し、人類の良心に挑戦しようとしている」と警告。「中国には『過去の事を忘れず将来の戒めとする』『歴史をかがみとし恥を悟ってこそ後の勇気につながる』という言葉がある」と述べました。
 これに対し日本の大島賢三国連大使は「こうした発言は残念である」とし、「歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明する」とした一九九五年八月の「村山首相談話」の一節を読み上げ、「これが日本の立場である」と述べるにとどめました。
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ドイツと比較して日本は実際問題、戦後補償を殆ど行なっていないがそれに代わってこれまでODAでアジア諸国に貢献してきたという主張がある。だから補償責任はもう果たしている、とその論者は結論付ける。当然のことながらネトウヨあたりはこの妄言に跳びつく。しかしドイツが行なってきた戦後補償と日本のODAでは根本的な違いがある。前者は文字通り純粋な補償であるが、後者は政治家の利権であり、国内企業への見返りが第一であり、国内の公害産業を途上国に輸出するという別の目的があるからだ。要するに「国際貢献」という美名に隠れたカネモーケだったわけである。そういう代物が日本のODAの主流だったのである。

しかもここへ来て小泉は貧しいアフリカ諸国の横面をODAという名の札束で撫で始めた。その目的はいわずと知れた国連安保常任理事国入りである。日本の不誠実さをドイツと比較されるのが嫌で嫌で仕方のないネトウヨが藁をも掴む気持ちで主張しているODAについての上記の妄言もさらに日本の卑劣な印象を全世界に振りまく結果となってしまうから皮肉だ。いずれにせよ「侵略」を「大東亜共栄圏」と主張するのと全く同じでまさに恥の上塗り、能登の輪島塗(ただのシャレ)である。
おい、ネトウヨども!なんか書き込めよそろそろ!
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posted by takashi at 11:49 | Comment(4) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月08日

無用の長物「ノーベル平和賞」と「ノーベル文学賞」

ノーベル物理学賞に日本人三人が選ばれた。
実に喜ばしいことである。殊に「基礎科学分野では日本人はノーベル賞をなかなか取れない」と言われていただけに、人一倍愛国心の強い私としては「どうだ!日本人も捨てたモンじゃないだろう!」と世界中に向かって言いたい。

さて、ノーベル賞といえば「ノーベル平和賞」と「ノーベル文学賞」だが、この二つは何とかならないものだろうか?こんな「百害あって一利なし」の賞など、消えてなくなってしまえば良い。こう考えているのは私一人ではないはずだ。単なる「作家」や「政治家」に100万ドルをくれてやる等、「無駄」以外の何物でもない(ヒトの金だが)。その分を物理学賞の賞金に上乗せすれば良いのだ。第一川端康成、村上春樹、大江健三郎・・・一体どういう基準でこんな「ごくつぶし」のような作家が選ばれるというのだろう?
それと、なんで佐藤栄作やキッシンジャーが「平和賞」なのだ?ノーベル平和賞は文学賞に比べてまだマシだとは思うが、個人ではなく例えば「国境なき医師団」のようなボランティア組織に限ってみてはどうだろうか、と思う今日この頃である。
posted by takashi at 19:14 | Comment(5) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月19日

快楽亭ブラックのことなど

kairakuteiburakku.jpg快楽亭ブラック

その昔池袋演芸場がまだ寝転がりながら見ることができたころ「放送禁止落語の会」なるものが月に一度催されていたことがある。今でも何処かのホールで行なわれているかも知れないが、その草分けともいえる画期的な会だった。普段の昼席など、まさに寝転がっても見れたものだが、この会のときだけは立錐の余地なしという状態だった。主催は川柳川柳。ジャズ落語でその昔一世を風靡した巨匠だ。福島の田舎で脱穀機を使う親父と、ジャズホールでリズムを刻む息子が下げになった「ジャズ息子」。とにかく笑えた。
その晩の白眉が快楽亭ブラック。当時は立川平成を名乗っていた。これが面白いの何の!「禁酒番屋」をもじった「不敬落語」がまさに「圧巻」であった。皇室の紀子様をアメリカのブッシュ(当時は親父のほう)がブッシュブッシュ!とやる、などというまさに池袋特高警察がもしいたら「停止!」の声がかかったであろう強烈な「まくら」のあと、突如として「ええ、江戸と申しました頃には・・・」、ここで場内大爆笑。型破りなだけではなく、落語の「型」を決して踏み外さず、そして何より落語が巧い!彼のその後の活躍は目覚しいものがある。
この快楽亭ブラックはハーフのタレントとして子役でもテレビに良く出ていたものである。当時はなかなかの美男子で、その面影は今も多少残ってはいる。それにしてもこのような「偉大な落語家」になるとは当時(私が小学生の頃)は予想だにしなかった。
この快楽亭ブラック師匠、大の映画通でもある。ことに日本映画に関しては一家言持った評論家だ。「日本映画専門チャンネル」に連載しているエッセーを見れば、その並々ならぬ映画への愛情が感じられる。
http://www.nihon-eiga.com/essay/
快楽亭ブラックというと、立川流を破門された噺家としてもつとに有名である。ところで立川談志が、「おれは喉頭(こうとう)がん」と爆弾発言したそうだが、談志ももう72歳だそうだ。彼が死んだら新聞社のうち一体何社が、記事の見出しに、あの、私が小学生の頃に流行ったセリフ(回文)を用いるであろうか?「談志が・・・」
posted by takashi at 18:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

企業からの献金をいっさい受け取ってない清廉潔白なオムライス党?

企業からの献金をいっさい受け取ってない清廉潔白なオムライス党

これは「きっこのブログ」にたびたび現れるフレーズだが、本当だろうか?「社民党」になってからはひょっとして「本当に受け取ってない」のかもしれないが、実は「社会党」だった頃は少ないながら「企業献金」を受け取っていたと言う話を、何十年も前だが、確かに聞いたことがある。当時は社会党への献金と言えば「労働組合から」がほとんどだった。労働組合とて「団体」であるから、ある意味社会党は「紐付き」だったと言える。その労働組合が荷物をまとめて「連合」に引越し、民主党に鞍替えをしたのはご存知の通りである。社民党の「疲弊」はそこから来ている。そこで彼らは「政党助成金」という「毒饅頭」に手を出さざるを得なかったのだ。

政治政党への献金(寄付)は「個人」のみであるべきだ。これは日本共産党が戦後ずーっと言ってきたことだし、そのとおり共産党は「実践」している。それよりも何よりも国民の「税金」であるところの「政党助成金」を共産党は受け取っていない。先日もちょっと出てきた新左翼出身の友人は、「共産党だって貰えばいいじゃないか?いつまでも頑固なこと言ってないで」などと言うが、冗談じゃない。受け取ったが最後、共産党の値打ちが地に堕ちる。第一なんで「政党助成金」と称して「共産党支持者の懐の金」まで「強制的」に取られた挙句、反吐が出そうな「自民党」や「○○党」の「飲み食い代」にされなきゃならないと言うのだ!その逆を考えれば、共産党が金を受け取らぬことが如何に筋の通ったことか誰しも分かりそうなものだが。

きっこさんは、社民党の「贔屓の引き倒し」なのかどうか知らないが、盲目的に支持なさっておられるようだ。しかし実際は政党助成金ひとつとってみても社民党にとっては「タブー」なのだ。だから筋の通った主張が出来ない。1999年の派遣法「改悪」にも自民・民主と一緒になって賛成している。一貫して反対を通してきた共産党に比べて、奥歯にものが挟まったような社民党の弱腰はそこから来ている。いつ自民党に「お前たちも賛成したくせに」と言われるかわからないからだ。

10月24日、久々に「のじじズム」メンバーが集まって新宿でオフ会をやった。のじじさん、Bolsaさんという有力メンバーが所用のため欠席というオフ会であったが、めばるん氏、バカウヨヲッチャー氏、隅田氏、それとここのところご無沙汰していたRestonszenさんが来てくださり、楽しく歓談した。埼玉在住の読者Kさんも、何年ぶりかの参加をしてくださった。結局2次会が3次会、4次会となり朝まで語り合うことになったのは言うまでもない。

その中で「きっこのブログ」が話題になった。何で彼女はあんなにレトリカルな長文を、しかも毎日のようにUPできるのだろう?何であんなにさまざまな情報が手に入るのだろう?芸能界のことは彼女の職業柄詳しいにしても、政治家個人の情報は何処からだろう?などと、みんなで話し合った。結局きっこさんは一人ではなく数人のグループではないかと言うことになった。政治通、芸能通、パチンコ通、俳句通、ゲーム通・・・がそれぞれいて、最後に原稿を「きっこ語(トコノマ、ジンジャエール、ジャマイカ、ビックル一気飲みetc.)」に翻訳してまとめる責任者がいるのだ。早い話世間のネトウヨがネットでうわさしているのとほとんど同じ結論に達したと言うわけだ。

さて、私はきっこさんとは趣味も意見もずいぶん違うが、基本的に彼女の姿勢が気に入っているし、共感する部分も多々あるし、何より人を説得してやまないきっこさんの「文章」の大ファンである。共感する部分と言えば、死刑については彼女ほど過激ではないが、私もやむなし、と思っている。ただ「冤罪」の存在が私を迷わせとりあえず「保留」の姿勢を取らせているだけなのだ。

私にとってきっこさんが誰なのかはどうでも良い(実は少しだけ気にはなるが)。彼女の冴えに冴えた日記をこれからも読み続けるだろう。頑張れ!きっこさん!
posted by takashi at 17:10 | Comment(3) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月03日

「村山談話」と「荒れ野の40年」

口曲男が北京のTVで「ふしゅう」すると語った「村山談話」とは一体どのようなものだったのか?以下に前文引用してみる。
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「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)

@先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
A敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
B平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
Cいま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
Dわが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
E敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
F「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。 
 

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奥歯にイカの足が挟まったような文章である。典型的な官僚の作文、言葉尻をとられることを極端に恐れたとしか思えない、内容のない、誠意の見られない文章である。このほとんど無意味な文章の中で、所謂「謝罪」と言える箇所はDのたった数行部分だけである。ほとんど「他人事」のように語られた「不十分この上ない」謝罪は、日本の戦争犯罪の具体的な総括を一切避けている。こんなものは全く謝罪に値しない、と私は申し上げる。そんな情けない「村山談話」であるにもかかわらず、それすら「ふしゅう」しようとしない輩が、次から次へと性懲りもなく現れるのが、この日本という国である。恥ずかしすぎる。

以下に西ドイツのヴァイツゼッカーの「荒れ野の40年」を引用する。10年後の「村山談話」と是非見比べてもらいたい。日本民族とドイツ民族の「倫理観」がどうしてここまで「乖離」してしまったのか・・・私は情けない。
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『荒れ野の40年』(1985)ヴァイツゼッカー

 5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。
 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 銃殺された人質を思い浮かべます。
 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。
 はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
 死者への悲嘆、
 傷つき、障害を負った悲嘆、
 非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
 空襲の夜の悲嘆、
 故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
 捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆――こうした悲嘆の山並みです。
 今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
 人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。
 彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。
 暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。
 歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪――これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。
 この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。
 シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。
 目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。
 良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
 一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
 人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
 ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。
 まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。
 物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。
 かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか――このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)――われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。
 ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。
 ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。
 しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。
 しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。
 故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。
 この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。
 何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。
 五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること――これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。
 これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。
 1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった――こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。
 ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。
 いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。       
 戦後四年たった1949年の本日五月八日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。
 ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。
 戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。
 傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。
 ――第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。
 ――人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。
 ――独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。
 ――中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。
 ――東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。
 ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。
 東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。
 人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。
 当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。
 われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。
 われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。
 人間は何をしかねないのか――これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。
 道徳に究極の完成はありえません――いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。
 ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
 若い人たちにお願いしたい。
 他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 ロシア人やアメリカ人、
 ユダヤ人やトルコ人、
 オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
 黒人や白人
 これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
 民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。
 今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。
posted by takashi at 10:20 | Comment(1) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月17日

自民党が得意な「つまみ食い」

以前、次のように書いたことがある。

スウェーデンの政党は左翼から右翼までみんな社会福祉を政策の第一に掲げているし、ドイツの政党はみーんな反ナチス。ところが日本では「福祉と反ファシズムは左翼政党」、「反福祉と軍国主義は自民党とその補完勢力」。まあ分担がはっきりしていてわかりやすいといえば分かりやすいが、あまりに情けない国だよね。石原流に言えば「民度の問題」てなことになるんだろうけど・・・。
<たかしちゃん語録その2>
http://takashichan.seesaa.net/article/105833288.html

先週の日曜日「サンデープロジェクト」で、フィンランドとデンマークの社旗福祉政策が、財部誠一氏のレポートにより紹介されていた。詳しい内容はヘンリー・オーツの独り言さんがブログで紹介しておられるのでご覧願いたい。

番組の中で財部氏が強調していたことは、両国とも「国民が政治に対し絶対的な信頼感を持っている」という、日本では「全く考えられもしない事実」であった。例えば、教育費は大学まで一切無料、大学生には生活費までが援助されると言う。そうやって学んだ若者が、社会に出て謂わば「恩返し」をするのだと言う。社会に育てられた人材は、自然と社会に奉仕する気持ちになるのだ、と財部氏は説明していた。

またレポートでは、フィンランドの物価が意外に高いこと、消費税率が最高で22パーセントであることを紹介していた。自民党共は、このことひとつだけを取り上げて鬼の首を取ったように騒ぎ立てるのが常であるが、このブログの賢明な読者は、もうお分かりだと思う。大金持ちも貧困者もいないフィンランドでは、「消費税それ自体」が「平等な」税なのである。
<「所得再配分」について>
http://takashichan.seesaa.net/article/109576584.html

将来の不安のない彼らは、可処分所得を貯蓄に回すなどということをしない。不必要だからだ。信じられないことだが「貯蓄率ゼロ」なのだ。そして若夫婦から老人まで、インタビューする人全てが、現在の生活に満足している、国の政策を信頼している、と答えていた。そして何よりも一人ひとりの国民が、政治への関心が高いのだ。日本の政界ような汚職と無駄遣いの実態を彼らが知ったら何と思うだろう?

続いてデンマークの紹介では、労働事情が大きく取り上げられていた。その中で気になったのは「デンマークでは労働者の解雇が比較的容易である」という部分だった。例によって自民党はこの部分のみを「つまみ食い」しては鬼の首を取ったようにはしゃぎまわるであろう。しかし、その本当の意味するところは「全く逆である」ことは、番組を見た者には良くわかったはずだ。

また、財部氏はデンマークの労働力の質の高さについて、高齢者福祉の充実が、現役の労働者に「安心感」を与え、良い仕事を生み出す原動力になっていること、長い目で見れば高齢者福祉までもが生産性の高さに影響をしている、と的確な論評をしていた。

最後に財部氏は「羨ましい限りだ」と締めくくっていたが、確かに我々にとって「天上の世界」を見るような気がする。この日本が、小泉・竹中路線でもう取り返しの付かない国になってしまっているからだ。フィンランドやデンマークのような政策は、一言で言って「大きな政府」が必要だ。それに対しこの10年、日本は全く逆の政策を続けてきたわけだ。もう既にズタズタである。

最後に財部氏は「羨ましい」と言っていたが、私はここまで来るとむしろ「恥ずかしい」という気持ちのほうが強い。財部氏の今後の活躍に期待したい。
posted by takashi at 09:14 | Comment(233) | TrackBack(3) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月09日

機動隊佐々のユダヤ人蔑視発言

先日、日テレの報道番組で機動隊の佐々がユダヤ人差別発言を行ない、司会のアナウンサーに強くたしなめられていた。司会者はかなりマジギレ状態で「特定の民族を蔑視する発言」に怒っていた。司会者がコメンテーターに対してこのような苦情を言うなど前代未聞のことである。
しかし私はこの司会者のしたことは正しいと思う。番組ひいてはその番組を作っている局の名誉を少しだけ救ったことは間違いない。
http://www.youtube.com/watch?v=pa9wEJQtVlw

正しくは日テレではなく「読売テレビ」でした、訂正します。
posted by takashi at 14:27 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月21日

日栄、アパホテルとサンデープロジェクト

日曜の朝、サンデープロジェクトに「アパホテル」がスポンサーになっているのを見て驚いた。もちろんあの「耐震偽装」「田母神論文」のアパグループである。
その昔、商工ファンド「日栄」の恐喝取立が社会問題になったとき、やはりこの「日栄」がサンデープロジェクトのスポンサーだった。その時は、目下のスポンサーであるにも拘らず、大谷昭宏氏の取材でこの「日栄問題」を取り上げ、それなりに厳しく報道していた、と私は記憶している。そしてそれから程なくして「日栄」はスポンサーから下りたのである。
今から三十年以上も前だろうか?「毒入りコーラ事件」というのがあって、連日ニュースが取り上げていた。朝から晩までありとあらゆるニュース枠がこれを報道している中で、いくつかのスポットニュースが、このニュースを流していなかった。お察しのとおりコカ・コーラ提供のニュースだったのだ。私はこれを見て、資本主義メディアの限界を改めて感じたものだ。
言っておくが、もちろんこの場合のコカ・コーラ社は「被害者」であって「被疑者」ではない。「日栄」と一緒にしては酷である。しかし、スポンサーとしてお世話になっている企業に対して、「遠慮」「手心」の類が生じるのはメディアとしてはある程度、当然なのではないだろうか?
さて、今回のアパグループであるが、今後サンデープロジェクトがどのようにこの「問題企業」を取り上げていくのか、あるいは取り上げていかないのか、興味津津である。

posted by takashi at 15:36 | Comment(3) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私もずいぶんと丸くなったものだと最近つくづく思う

「朕はタラフク食っておるぞ。汝臣民飢えて死ね。」

この筵旗を掲げた写真が載っていたのは中学校の日本史の教科書だったろうか?その「コピー」の「センスの良さ」に私は唸ったものだ。私は子供のころから「天皇制反対論者」だった。神経質に頬を引きつらせる昭和天皇の顔をテレビで見るたび不愉快だった。戦争責任に問われて殺されても仕方のない人物が、何故生きながらえて、その家族がのうのうと安楽な暮らしをしているのか?当時、皇太子(今上天皇)の結婚式に馬鹿騒ぎする周りの大人たち姿も、私は冷めた目で眺めていた。
こんなことを言うと笑われるかも知れないが、小学校の頃「神風特攻隊」が怖くて夜も眠れなかった。どんな子供にも「死」について考える時期がある。いつかは訪れる「死」を、真剣に考えた経験は誰にもあるだろう。「死」とはどういうものなのか、「無」とはどういうものなのか・・・。それは「通過儀礼」のようなものかもしれない。「死」についてのトラウマが一定期間続いた。
私が「神風特攻隊」を「悪夢」だと思ったのは、それが「国家に強制された自殺」である点だ。そして戦争中その「強制された自殺」と「天皇制」が、強く結びついていたことを私は嫌悪した。特に「桜花」「回天」といった特攻兵器の「異常さ」が私を震え上がらせた。戦時中アメリカ兵が、日本兵を「人間以下」と考えていた、というのもあながち無理もないとも思った。
<たかしちゃん語録その2>
http://takashichan.seesaa.net/article/105833288.html

それから四十年、私もずいぶんと丸くなったものだと最近つくづく思う。
テレビに映る明仁夫妻は、確かに微笑ましい夫婦であるし、二人とも確かに善良な人柄であると思う。災害被災地を見舞う姿には嘘は感じられないし、あの戦争の最中「帝国陸海軍」を統帥した昭和天皇とはイメージがだいぶ違う。明仁氏を見ている限りにおいて彼が将来、自分の意志から日本の侵略戦争に利用されるようなことはあり得ないだろう。もはや彼らは日本の右翼勢力の思惑を離れて、本当の「象徴」になってしまったのかも知れない。
日本共産党綱領が「天皇制打倒」を当面の目標から外してもうずいぶんになる。

<拝啓 天皇明仁様>
http://takashichan.seesaa.net/article/106214674.html

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2009年04月23日

日本人とユッケビビンバ

以前に「文明と文化」の違いについて書いたことがある。
<流しのネトウヨについて>
http://takashichan.seesaa.net/article/105807152.html

上記スレッドの中で私は、文明とは普遍的なもの、文化は普遍的ではないもの、また文明には優劣が存在し、文化にはそれが無い、と説明した。さらにこれは私の定義ではなく、作家の司馬遼太郎からの受け売りであるとも書いた。さて、このことについての私の経験談をひとつ書いてみようと思う。
以前日本橋でサラリーマンをしていた頃のことである。いつも昼めしを食いに行く食堂があって、そこは毎週木曜日が「カレーの日」であった。その食堂のカレーはちょっと辛めでじゃがいもがゴロゴロした昔風のカレーで、大変に美味かった。ポテトサラダとみそ汁がついて550円という値段も手伝って、カレーの日は階段の下まで行列ができていたものだ。狭い店内は近隣のサラリーマンやOLでごったがえしていた。
その常連客の中に、韓国人のビジネスマンが何人か居た。で、彼らが運ばれてきたカレーライスにまず何をするかというと・・・なんと「ぐっちゃぐちゃ」にかき混ぜるのだった!それこそ「撹拌」という言葉が一番ぴったりくるくらい「これでもか!これでもか!」とごちゃ混ぜに混ぜるのだ!それが済むと彼らはおもむろにカレーライス(私にはもうそれはカレーライスではないように思えたが)を口に運んでいた。それを見た時の私の気持ちをはっきりと言おう!「こいつら、バッカじゃなかろか!」今思えばその瞬間の私は「ネトウヨ」そのものであった様な気がする。「なんだこいつら・・・神聖なるカレーライスを冒涜するのもいい加減にしろ!」私は心の中で叫んでいた・・・。

そのころ千葉で一人暮らしをしていた私は、日曜には近所の韓国焼き肉店で昼食をとるのを習慣にしていた。ただし私が注文する品物は焼き肉ではなく、ユッケビビンバだった。なにしろ私は昔からユッケビビンバが大好物であった。そしてそれは私にとってのささやかな贅沢でもあった。白いどんぶりに少なめに盛られたご飯。その上には大根、ワラビ、もやし、青菜のナムル、そしてその中心に鎮座するのがあのユッケと卵の黄身である。まず私は上に載ったナムルを一品ずつ味わう。さらにユッケと一緒に食べたり、2、3種類を一緒に食べたりする。そうしてビールの大瓶を2本ないし3本空ける。時には別途好物のオイキムチをそれに追加することもある。そうやってご飯に盛られた具の約半分を目安にビールのつまみとして味わう。最後にぬるくなったわかめスープと一緒に残りの具と御飯を掻きこむのだ。まさに至福の時である。
以上が私の「ユッケビビンバの食べ方」である。つまり私は絶対にユッケビビンバを混ぜたりはしないのである。はじめてユッケビビンバを食べる日本人がもし100人いたとしたら、おそらく98人は私と同じ食べ方をするだろうと思う。私は未だにこういう食べ方以外の食べ方をしたことがない。何故か?それは私の日本人の「血」ではないかと思う。日本人の歴史・美学・文化がこういう食べ方をさせるのだ、などと言えばまるで三島由紀夫みたいだから言わないが、要するに混ぜるのが「勿体ない」のである。これはもう「勿体ない」というのが一番ぴったりくるのだ。何故に順列組み合わせで20通りの味が楽しめる食べ物を、たった一つの味にして台無しにするのだ!というのが私の「勿体ない」の理由である。
しかしである。もしもそんな食べ方を、韓国に行ってしたとしたら、地元の韓国人たちにどう思われるだろうか?私は考えるだに恐ろしい・・・。おそらく彼らは心の中でこう叫ぶのではないか。「なんだこいつ・・・神聖なるユッケビビンバを冒涜するのもいい加減にしろ!」そして韓国人の気質からして私のスプーンを取り上げて「こうやって食べるのだよ!」と「親切に」実演してみせてくれそうな気がするのだ。今になって思えば千葉の焼き肉屋のオモニは軽蔑のまなざしで私を見ていたのではなかろうか?礼儀正しいおばさんは黙っていたけれども・・・。

以上の二つの食べ物の話からわれわれが教訓としなくてはいけないのは、司馬遼がいみじくも言ったとおり「文化には優劣はない」ということだ。そしてそのことを理解できないのが「ネトウヨ」の馬鹿どもなのである。「文化には優劣はない」と百万回言ってもネトウヨには金輪際理解できないのだ。だから彼らは常に「文化の違い」を理由に他民族を蔑視するのだ。→追記あり
posted by takashi at 00:46 | Comment(3) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

韓国のバイク便

夕べに続いて韓国のことをもう少し。
しばらく前にケーブルテレビで韓国特集をやっていた。その中の一つに韓国の「バイク便」を取材した興味深い番組があった。かの国ではバイク便が非常に発達しているらしい。「宅配ライダー」達は携帯電話片手に、会社の書類から生鮮食料品、洋品店の衣類から布団まで、ありとあらゆるものを運ぶ。渋滞の車線を器用に走りぬけ、あるいは歩道の上までも疾走する。はっきり言って危険極まりない運転である。現実にかなりのライダーが事故で死んでいるという。しかし、警察はほとんど取り締まらない。法律が緩いのだろう。日本なら絶対に許されないような運転を平気でやっている。

番組の前半は大変楽しく笑いながら見ていたのだが、終盤にさしかかる頃「一体何なんじゃこりゃ!」という場面が現れはじめる。その1、若い女性がバイク便の運転手に化粧品か何かの買い物(たった一瓶である!)を依頼している。「そんなもん頼むな!自分で行け!」と心の中で叫びそうになる(昨日から心の中で叫んでばかりだ)。

さらにその2、この場面に私は激怒することになる。これも若い女性の客が、飼い犬をケージに入れて運転手に渡している。自分の代わりにペット美容院へ連れて行き、シャンプーが済んだら連れて帰って来てくれというのだ!美容院でのシャンプーの間、もちろんライダーは別の仕事をする。そして終わったころに美容院に駆けつけるわけだ。だが・・・しかしちょっと待ってくれと言いたい。一体何のためのペットなのだ?そもそもペットとはどういうものなのだ?何が目的で人はペットを飼うのだ?ペットと過ごし世話をすることで、ペットのみならず自分自身が「癒される」というのがペットを飼う「目的」ではないのか?そのためには美容院だろうが病院だろうがペットのためなら飼い主本人が連れていくのが当たり前だろ!え?

そしてその3、極めつけが最後のこのシーンである。韓国の受験地獄は日本の比ではないという。親は子供を良い学校に入れるために何でもするらしい。受験の当日の朝、そのとんでもない「何でも」が実際に行なわれる。何と!受験会場に息子を「バイク便」で送り届ける親がいるのだ韓国には!あの危ない運転をする「宅配ライダー」の後部席に、大事な息子を「ノーヘルメット」で乗っけて受験会場に送り出すバカ親がいるのだ!韓国には!番組の最後には私のはらわたが煮えくり返っていたのは言うまでもない。

posted by takashi at 11:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月25日

ブログ探訪1〜或る浪人の手記

ブログをやっていると毎日のネタ探しは結構大変である。そこでいいことを思いついた。他人のブログの紹介である。見て面白いと思ったブログや、呆れたブログ、管理人の顔を見てみたいブログ・・・などなど、私が気になったブログを不定期にご紹介してみようというわけだ。

さて、その記念すべき第一号に私が選んだのが「或る浪人の手記」である。
http://restororation.blog37.fc2.com/
ここのブロブ主はちょっと異色である。所謂「ネトウヨブログ」であることは間違いないのだが、そのスタンスが他のネトウヨたちとはかなり違っているのだ。たとえば私もよくトラバさせていただいている「自民党トラックバック・ピープル」でもこのブログを時々見かけることがある。ということはネトウヨでありながら何故か「反自民」なのだ。まずこのブログのカテゴリーを見てもらいたい。

政治 (407)
自エンド (180)
国際 (91)
外交 (28)
防衛 (43)
社会 (100)
経済 (79)
特亜 (432)
皇室 (17)
医療崩壊 (23)
マスゴミ (99)
教育 (16)
食と農 (7)
環境問題 (4)
DQN (32)
年次改革要望書 (5)
日想 (6)
浪人徒然草 (8)
てっく問題 (2)
未分類 (17)

たとえば「特亜」のカテゴリーを覗いてみると次のようになっている。
http://restororation.blog37.fc2.com/blog-category-17.html
このようなエントリーを見る限りにおいて他のネトウヨブログと大差はない。「特亜」をはじめとするお馴染みの「業界用語」もバンバン飛び交っているし、「朝鮮塵」「支那畜塵民」というようなユニークな造語もふんだんに使われている。要するに民族蔑視・皇国史観・反共愛国・創氏改名・教育勅語がコンテンツであって、その意味では世間一般のネトウヨサイトと大同小異だ。
余談になるが私のブログのコンテンツはたったの四つである(笑)。

時事、政治(30)
ネトウヨ、バカウヨの醜態(61)
その他雑感(26)
日記(0)

カテゴリーが増えれば増えるほど振り分けが困難になるし、そもそも私の書くことは事実これら四つに全部当てはまる(笑)。本当は「時事、政治」も「その他雑雑感」に入れてもいいような気がするのだが、さすがにそれでは「いい加減な奴」と思われてしまいそうだ。さて話をもどそう。ことほど左様に「或る浪人の手記」は香ばしいネトウヨブログなのだ。

ところがである。
次のエントリーを見て、私はとたんに「ビックル一気飲み」状態となった!
http://restororation.blog37.fc2.com/blog-entry-1653.html

こ、これはいったい、ど・・・どうしたことなんだ!ここでの「浪人氏」は完全に「こっち側のヒト」である。何故ネトウヨの浪人氏が、こと派遣労働やワーキングプアーの問題に関してのみ、こんなにラジカルな「正論」を吐くのだ!?尤も言葉遣いのほうは「お里が知れる」気味ではある。しかし言葉遣いはともかくとして私が感心するのは、浪人氏の文章、レトリックが「なかなかのもの」である点だ。ふだんValziekやk1_maebaraやshinystarといった者たちの「低レベルレトリック」や「貧困なボキャブラリー」をこれでもかと見せつけられている私としては、この浪人氏がどうしてどうしてなかなか手ごわい相手のような気がするのだ。
以上で「或る浪人の手記」のご紹介は終えるが、私の分析ではこの「浪人氏」は次のようなネトウヨの「亜種」ではないかと考えている。

「雇用問題に関してのみ何故か目覚めたネトウヨの突然変異個体」
posted by takashi at 16:51 | Comment(5) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

ブログ探訪2〜ネトウヨのブログ

このシリーズの二つ目に取り上げるのは「ネトウヨのブログ」である。
http://wind.ap.teacup.com/netuyo/
これまで私は、卑怯にも「自分はネトウヨではない」と主張するネトウヨを数多く紹介してきた。

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・たかしさん、のじじさんの記事に対して反論をしただけであなた方の言うネトウヨと分類されるのは心外ですね。
・あなた方がお好きな「ネトウヨ」というのはレッテル張りでしかないんですけど(笑)
・まぁのじじさん方は我々のような「ネトウヨ」とやらが湧くのを楽しんでらっしゃるのでしょ?
・単に自分の脳内に存在する「基準」を満たせばそいつはネトウヨで、そいつの意見をいじり倒せば満足なんでしょう。
・ネトウヨ呼ばわりなら脳内だけでやれ。俺がいつネトウヨを自称しましたっけ?
・さっきも言いましたがいい加減「ネトウヨ」「嫌韓」から離れませんか?
・「ネトウヨ」とひとくくりにしたがってるのはあなた方です、だから「内ゲバでも起こさせたいんでしょ」と書いたわけで。
・ネトウヨという脳内仮想敵に奮闘するめばるん様・・・・・・エトセトラエトセトラ・・・
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ごく最近ではshinystarというネトウヨが、あくまで「自分はネトウヨではない」「中道右派だ」「民族差別は嫌いです」などと、見え見えの嘘八百ほざいていたのも記憶に新しい。自分がネトウヨであることが完璧に証明されてもなお、このようにゴネまくっているのである。見苦しいことこの上ない。それに引き替えこの「ネトウヨのブログ」管理人の何とすがすがしいことよ!自らをネトウヨと規定して正々堂々と論陣を張っている。敵ながらあっぱれと言わざるを得ない。世のネトウヨどもも見習ってほしいと思う。

「ネトウヨのブログ」ページ左上の挨拶文を掲げてみる。
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「ネットウヨクとして、時事問題、メディア評論などを左翼の批判大合唱をうけそうな内容で書いております。毎日いただくコメントなど、筆者多忙につきなかなかお返事することも難しい状況となっておりますが、必ず読んでおります。今後ともよろしくお願いいたします。」
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なかなか誠意のある文章である。とにかく管理人氏は真面目な人柄なのだろう。

また当ブログと相互リンクもしていただいているが、そのリンクページにおける「たかしズム」の紹介文は次のようなものである。
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『「ネトウヨ」を「ネトウヨ、バカウヨ、ネット右翼、恥さらし、売国奴、日本の恥」とばっさり切り捨てる刺激的なサイト。全く異なる意見を知るために是非。 』
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このように、身に余る紹介文を書いてくださっている。他のネトウヨの中には「たかしズム」がトラックバックを送っただけで、一度は通ったトラバを削除する連中も多い中(文太、がばちょ、bao、祥平・・・聞いてるか!)、この包容力は素晴らしいと思う。

最近のエントリー記事から、民主「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」の一部をご紹介する。
http://wind.ap.teacup.com/netuyo/860.html

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(前略)
日本は当然日本人のものです。
外国人のものでは絶対にありえません。
それを「ネトウヨ」だというのなら、私は今後もずっとネトウヨで結構です。
さらに別件でも鳩山騒動は拡大しています。
やじうまWatch様より引用です。
引用元:やじうまWatch様
====================================================
 麻生太郎総理の言い間違いを、
大新聞やテレビ局がいちいち指摘して
ニュースで大々的に報道する繰り返し。
 いい加減、やめてもらいたいものだ。
国語学者やアナウンサーでもあるまいし、
言い間違いぐらいでその人物の能力の優劣は決まらないはずだ。
 というわけで、大新聞では取り上げなさそうな誤字が、
ネットで話題になっていたので紹介しておこう。
民主党の鳩山由紀夫幹事長の公式Webサイトでの記述だ。
「日本」が「日木」、「自由」が「白由」などと、
奇妙な誤変換だ。「秒速ニューろぐ」に2ちゃんねるのログがあって、
誤変換の原因がいろいろと取りざたされている。
誰でもやるのが言い間違いや誤字だ。
このあたりで足を引っ張るのはやめておくのが日本のためだろう。
====================================================
誤読とか、そういうレベルではありません。
確かに魚拓では確認できます。
しかしネットにさらされたとたんにHPは修正されたようで、一言の説明も謝罪もありませんでした。
日本→日木  
自由→白由  
理解→埋解
自由党→白由党    
自信→白信
これは不思議な間違い方です。
どうみても漢字の理解が中途半端な人が書いたとしかおもえないしろものです。日本人だったら絶対にありえない間違いです。 
民主党はさんざんに麻生首相の「誤読」や「カップラーメンの値段」「ホテルのバー」などをたたいて、首相としてふさわしくないとまで批判をしてきましたが、自分たちが読み間違いしていたら、一切の謝罪もなくこっそり修正。
「庶民派」をアピールしておきながら、自分たちは鮨屋で豪勢に食事をするわけです。
最低最悪の政党です。
このような政党はもはや日本には絶対に不要でしょう。
絶対に民主党に政権をとらせてはなりません。

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ところがこの記事のコメント欄を覗いてみて私は思わず吹き出してしまった。
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投稿者:unimaro2009/4/25  1:13

お疲れ様です!!
>日本→日木  
自由→白由  
理解→埋解
自由党→白由党    
自信→白信
支那人鮮人がよく間違える間違え方ですね。
さて、本日東武バスに乗りました。
運賃徴収箱の液晶表示に怪しげな熟語がいくつか見えました。
機械運用ソフトは支那人に作らせている様ですね。
http://unimaro.iza.ne.jp/blog/
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普通の一般常識を持った人間であれば、この「誤変換」の原因が何であるのか、たちどころにわかりそうなものである。それをこともあろうに「支那人鮮人がよく間違える間違え方ですね」ときた。これを見て私はたまらずその場で書き込みをしてしまった(笑)。
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投稿者:たかし2009/4/25  22:25

管理人様、「たかしズム」のたかしです、お世話になっております。
日本→日木 
自由→白由  
理解→埋解
自由党→白由党    
自信→白信  
確かにあり得ない変換違いです。これは多分鳩山氏が手書きした原稿をOCRで読み込んでいる結果ではないかと思います。「支那人鮮人がよく間違える間違え方ですね」には思わず笑ってしまいました。私のブログにもぜひ顔を出してください、お願いします。
http://takashichan.seesaa.net/
------------------------------------------------------------------
それに対してブログ主から回答があった。
------------------------------------------------------------------
投稿者:roughnecks@管理人2009/4/25  23:58

お世話になっております。
コメントありがとうございます。
仮に読み込みだったとしても、
「誤読」をあれだけ厳しく批判していた民主党ですから、当ブログの記事の趣旨はかわりません。
また、読み込みの根拠もございません。
したがって相変わらず鳩山氏は厳しく批判されなければなりません。
以上です。
------------------------------------------------------------------
自分のブログのコメンテーターをあくまでもかばう姿には好感が持てる。
そこで私は読み込みの「根拠」も合わせて示すことにした。
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投稿者:たかし2009/4/26  17:01

>読み込みの根拠もございません
管理人様、以下のページをどうかご覧ください。
http://ync10172-web.hp.infoseek.co.jp/page11.htm
------------------------------------------------------------------
それに対する再度の管理人からの書き込み。
------------------------------------------------------------------
投稿者:roughnecks@管理人2009/4/26 
17:35お世話になっております。
たかし様。
OCRの「可能性はある」のかもしれませんが、いずれにせよハッキリと、読み込みをしたための間違いなどの表明もないため、すべては憶測にすぎません。
あえて好意的にとる必要もないと思います。
事実は、異様な間違いをした。ネット上だけで騒ぎになっているときに、こっそり修正をした。その後の発表もない。
というのが事実でございます。
民主党から何らかの発表がない限り、当ブログの見解は変わりません。
------------------------------------------------------------------
ずいぶん頑固な男である。「あら、ほんとっすね、OCR読み込みが原因みたいっすね( ^ ^ ゞ、スンマセン。」で済むんじゃあないかと、私などは思うのだが・・・。ま、それにしても律儀な対応はまあよしとしよう。
ここの管理人はネトウヨでさえなければ、一緒に美味い酒が飲めそうなだけに残念だ。

posted by takashi at 21:13 | Comment(2) | TrackBack(2) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月17日

SeesaaBlogさん、ありがとう

「たかしズム」がお世話になっているのはSeesaaBlogさんである。SeesaaBlogの良いところは、何と言ってもデザインがシンプルなことだと思う。今の「たかしズム」のレイアウトも大変気に入っている。「こっち側」「あっち側」のブログを問わず、こう申し上げてはなんだが、デザインがごちゃごちゃしていて非常に見づらいブログが多いような気がする。それと訪問させていただくたびに感ずるのは、読者コメント欄が妙に「ちまちま」としていて、行の字数も少ないことだ。ま、他所のブログはエントリー記事が主体のところが多いので、それでもいいのかもしれない。しかし、「たかしズム」のように、「エントリー記事」対「読者コメント」を50対50の比率で重視しているブログではちょっと物足りなく感じられる。その点SeesaaBlogのコメント欄は、字数もたっぷりしており(実際エントリーと同じ行字数である)、行間もゆったりとしており申し分ない。エントリー記事の下には同じカテゴリーの記事が20個表示されるのも良い。
そんなわけでSeesaaBlogさんにはお礼申し上げたい。SeesaaBlogさん、ありがとう。
posted by takashi at 13:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月23日

ブログ探訪3〜日本よ何処へ

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/

ネトウヨの「元締め」みたいなブログである。
まず、やたらといろんなフォントを使った「センスのかけらもない」レイアウトを指摘したい。「明朝体」と「ゴシック体」を混在させると、非常に「幼稚」な印象を与えるというのがウェブデザインの常識だが、そんなことは一向にお構いなく、ありとあらゆるフォント、カラー、白抜き、太字をでたらめに多用している。「強調」というものは、やたら使いすぎると「強調」にならない、というような見識すら持ち合わせていない。まず以って「頭の悪い」ブログである、というのが、この「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」を見た私の第一印象である。

自己紹介とやらを見ると次のようになっている。

P戸弘幸
昭和27年福島県生まれ。
維新政党・新風 副代表
世界戦略研究所 代表
NPO外国人犯罪追放運動 顧問
河野談話の白紙撤回を求める市民の会 呼びかけ人
世界情勢分析の他、自然環境問題や不法滞在外国人問題、企業犯罪等の問題に取り組む。
著書に『ネットが変える日本の政治』(コアラブックス)他がある。

これを見ただけで、この「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」というブログが如何に「糞だめ」ブログであるかが分かる。維新政党・新風、世界戦略研究所、NPO外国人犯罪追放運動、河野談話の白紙撤回を求める市民の会・・・何なんじゃコレ(笑)?「いい歳かっ食らってようやるわい」以外の何物でもない。そう言えば「のじじズム」の頃、維新政党の「党員」で「農民」とかいうネトウヨがおったなあ〜。その維新政党から「除名」されたとか言って、自分のブログに「恨み事」を書き込んでいたっけ・・・。そのあと「精神」をお病みになったと聞いているが、あの「農民」さんはどうしておられるのだろうなあ・・・懐かしいなあ(遠くを見る目)。
http://blog.livedoor.jp/noumin1978/

この「糞だめ」には、文字通り「糞にたかるハエ」のように、うじゃうじゃと馬鹿なネトウヨどもがコメントを書き込んでおられるようである。いずれ劣らぬ「頭の悪い」連中が、我も我もと「馬鹿」を競っているのは、誠に微笑ましい限りである。早い話が2チャンネルと変わるところはない。こんな「糞だめ」ブログが一日何万アクセスも稼ぎ、教養あふれる「たかしズム」が千に満たないというのは間違っている!(と、何故か本気で怒るたかしちゃんであった)。
カテゴリーは以下のようになっている。「さもありなん」的なものばかりだ(笑)。それにしても頭の悪いブログほどカテゴリーが多いものである。細かく分ければ分けるほどカテゴリーというものは「矛盾」が出てくるからだ。案の定、行き当たりばったりで増やし続けて収集がつかなくなったような、いい加減なカテゴリー分けになっているようである。つくづく頭が悪いと見える。

反中国講座 (25)
政局・動向 (115)
検証・歴史的大事件 (40)
政治・官僚・企業腐敗 (61)
9条・国軍 (57)
教育・日本人精神 (71)
市民団体・極左動向 (56)
負けるな日本! (66)
特定アジア(北朝鮮) (90)
特定アジア(韓国) (70)
日本の新戦略 (40)
ネット・ブログ (58)
特定アジア(中国・歴史認識) (43)
特定アジア(中国・軍拡) (65)
外国人参政権問題・在日 (94)
「富田メモ」事件 (26)
電凸特集! (10)
維新政党・新風 (107)
野党・民主党 (73)
東京・首都圏ニュース (19)
旧ソ連問題・対露関係 (10)
部落解放同盟・人権擁護法 (41)
現代維新講座 (13)
チャイナ・フリーとチャイナ・リスク (60)
移民と外国人労働者 (23)
東村山・朝木明代さん謀殺事件 (74)
カルデロン問題 (13)
移民1千万人受け入れ問題 (1)
共産中国・反日サイト (16)
日米関係 (67)
特定アジア(中国・領土) (38)
イスラム問題 (23)
欧州極右 (38)
公明党 カルト宗教 (106)
極右2ちゃんねる論争 (36)
自然の再生と共存(御皇室) (43)
青年に告ぐ! (41)
我々の闘いの軌跡 (86)
偏向報道・反日マスコミ (97)
不法滞在外国人問題 (77)

所詮バカウヨのたわごとブログではある。
しかし、アクセス数だけは羨ましい・・・(何故かくどいたかしちゃんであった)。
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』の紹介であった。
posted by takashi at 08:42 | Comment(16) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月29日

『荒れ野の40年』再考

『荒れ野の40年』ドイツ語原文
(注・・・ウムラウト表記は消えております)

Viele Volker gedenken heute des Tages, an dem der Zweite Weltkrieg in Europa zu Ende ging. Seinem Schicksal gemas hat jedes Volk dabei seine eigenen Gefuhle. Sieg oder Niederlage, Befreiung von Unrecht und Fremdherrschaft oder Ubergang zu neuer Abhangigkeit, Teilung, neue Bundnisse, gewaltige Machtverschiebungen - der 8. Mai 1945 ist ein Datum von entscheidender historischer Bedeutung in Europa.
 
Wir Deutschen begehen den Tag unter uns, und das ist notwendig. Wir mussen die Masstabe allein finden. Schonung unserer Gefuhle durch uns selbst oder durch andere hilft nicht weiter. Wir brauchen und wir haben die Kraft, der Wahrheit, so gut wir es konnen, ins Auge zu sehen, ohne Beschonigung und ohne Einseitigkeit.

Der 8. Mai ist fur uns vor allem ein Tag der Erinnerung an das, was Menschen erleiden musten. Er ist zugleich ein Tag des Nachdenkens uber den Gang unserer Geschichte. Je ehrlicher wir ihn begehen, desto freier sind wir, uns seinen Folgen verantwortlich zu stellen.
Der 8. Mai ist fur uns Deutsche kein Tag zum Feiern. Die Menschen, die ihn bewust erlebt haben, denken an ganz personliche und damit ganz unterschiedliche Erfahrungen zuruck. Der eine kehrte heim, der andere wurde heimatlos. Dieser wurde befreit, fur jenen begann die Gefangenschaft. Viele waren einfach nur dafur dankbar, das Bombennachte und Angst voruber und sie mit dem Leben davongekommen waren. Andere empfanden Schmerz uber die vollstandige Niederlage des eigenen Vaterlandes. Verbittert standen Deutsche vor zerrissenen Illusionen, dankbar andere Deutsche fur den geschenkten neuen Anfang.
Es war schwer, sich alsbald klar zu orientieren. Ungewisheit erfullte das Land. Die militarische Kapitulation war bedingungslos. Unser Schicksal lag in der Hand der Feinde. Die Vergangenheit war furchtbar gewesen, zumal auch fur viele dieser Feinde. Wurden sie uns nun nicht vielfach entgelten lassen, was wir ihnen angetan hatten?
Die meisten Deutschen hatten geglaubt, fur die gute Sache des eigenen Landes zu kampfen und zu leiden. Und nun sollte sich herausstellen: Das alles war nicht nur vergeblich und sinnlos, sondern es hatte den unmenschlichen Zielen einer verbrecherischen Fuhrung gedient. Erschopfung, Ratlosigkeit und neue Sorgen kennzeichneten die Gefuhle der meisten. Wurde man noch eigene Angehorige finden? Hatte ein Neuaufbau in diesen Ruinen uberhaupt Sinn?
Der Blick ging zuruck in einen dunklen Abgrund der Vergangenheit und nach vorn in eine ungewisse, dunkle Zukunft.
Und dennoch wurde von Tag zu Tag klarer, was es heute fur uns alle gemeinsam zu sagen gilt: Der 8. Mai war ein Tag der Befreiung. Er hat uns alle befreit von dem menschenverachtenden System der nationalsozialistischen Gewaltherrschaft.
Niemand wird um dieser Befreiung willen vergessen, welche schweren Leiden fur viele Menschen mit dem 8. Mai erst begannen und danach folgten. Aber wir durfen nicht im Ende des Krieges die Ursache fur Flucht, Vertreibung und Unfreiheit sehen. Sie liegt vielmehr in seinem Anfang und im Beginn jener Gewaltherrschaft, die zum Krieg fuhrte.
Wir durfen den 8. Mai 1945 nicht vom 30. Januar 1933 trennen.
Wir haben wahrlich keinen Grund uns am heutigen Tag an Siegesfesten zu beteiligen. Aber wir haben allen Grund, den 8. Mai 1945 als das Ende eines Irrweges deutscher Geschichte zu erkennen, das den Keim der Hoffnung auf eine bessere Zukunft barg.

ここから下がhttp://takashichan.seesaa.net/article/109003556.htmlに掲載されている

II.
Der 8. Mai ist ein Tag der Erinnerung. Erinnern, das heist, eines Geschehens so ehrlich und rein zu gedenken, das es zu einem Teil des eigenen Innern wird. Das stellt grose Anforderungen an unsere Wahrhaftigkeit.

Wir gedenken heute in Trauer aller Toten des Krieges und der Gewaltherrschaft.
Wir gedenken insbesondere der sechs Millionen Juden, die in deutschen Konzentrationslagern ermordet wurden.
Wir gedenken aller Volker, die im Krieg gelitten haben, vor allem der unsaglich vielen Burger der Sowjetunion und der Polen, die ihr Leben verloren haben.
Als Deutsche gedenken wir in Trauer der eigenen Landsleute, die als Soldaten, bei den Fliegerangriffen in der Heimat, in Gefangenschaft und bei der Vertreibung ums Leben gekommen sind.
Wir gedenken der ermordeten Sinti und Roma, der getoteten Homosexuellen, der umgebrachten Geisteskranken, der Menschen, die um ihrer religiosen oder politischen Uberzeugung willen sterben musten.
Wir gedenken der erschossenen Geiseln.
Wir denken an die Opfer des Widerstandes in allen von uns besetzten Staaten.
Als Deutsche ehren wir das Andenken der Opfer des deutschen Widerstandes, des burgerlichen, des militarischen und glaubensbegrundeten, des Widerstandes in der Arbeiterschaft und bei Gewerkschaften, des Widerstandes der Kommunisten.
Wir gedenken derer, die nicht aktiv Widerstand leisteten, aber eher den Tod hinnahmen, als ihr Gewissen zu beugen.

Neben dem unubersehbar grosen Heer der Toten erhebt sich ein Gebirge menschlichen Leids,
Leid um die Toten,
Leid durch Verwundung und Verkruppelung,
Leid durch unmenschliche Zwangssterilisierung,
Leid durch Bombennachte,
Leid durch Flucht und Vertreibung, durch Vergewaltigung und Plunderung, durch Zwangsarbeit, durch Unrecht und Folter, durch Hunger und Not,
Leid durch Angst vor Verhaftung und Tod,
Leid durch Verlust all dessen, woran man irrend geglaubt und wofur man gearbeitet hatte.

Heute erinnern wir uns dieses menschlichen Leids und gedenken seiner in Trauer.
Den vielleicht grosten Teil dessen, was den Menschen aufgeladen war, haben die Frauen der Volker getragen.
Ihre Leiden, ihre Entsagung und ihre stille Kraft vergist die Weltgeschichte nur allzu leicht. Sie haben gebangt und gearbeitet, menschliches Leben getragen und beschutzt. Sie haben getrauert um gefallene Vater und Sohne, Manner, Bruder und Freunde.
Sie haben in den dunkelsten Jahren das Licht der Humanitat vor dem Erloschen bewahrt.
Am Ende des Krieges haben sie als erste und ohne Aussicht auf eine gesicherte Zukunft Hand angelegt, um wieder einen Stein auf den anderen zu setzen, die Trummerfrauen in Berlin und uberall.
Als die uberlebenden Manner heimkehrten, musten Frauen oft wieder zuruckstehen. Viele Frauen blieben auf Grund des Krieges allein und verbrachten ihr Leben in Einsamkeit.
Wenn aber die Volker an den Zerstorungen, den Verwustungen, den Grausamkeiten und Unmenschlichkeiten innerlich nicht zerbrachen, wenn sie nach dem Krieg langsam wieder zu sich selbst kamen, dann verdanken wir es zuerst unseren Frauen.


III.
Am Anfang der Gewaltherrschaft hatte der abgrundtiefe Has Hitlers gegen unsere judischen Mitmenschen gestanden. Hitler hatte ihn nie vor der Offentlichkeit verschwiegen, sondern das ganze Volk zum Werkzeug dieses Hasses gemacht. Noch am Tag vor seinem Ende, am 30. April 1945, hatte er sein sogenanntes Testament mit den Worten abgeschlossen:

"Vor allem verpflichte ich die Fuhrung der Nation und die Gefolgschaft zur peinlichen Einhaltung der Rassengesetze und zum unbarmherzigen Widerstand gegen den Weltvergifter aller Volker, dem internationalen Judentum."
Gewis, es gibt kaum einen Staat, der in seiner Geschichte immer frei blieb von schuldhafter Verstrickung in Krieg und Gewalt. Der Volkermord an den Juden jedoch ist beispiellos in der Geschichte.
Die Ausfuhrung des Verbrechens lag in der Hand weniger. Vor den Augen der Offentlichkeit wurde es abgeschirmt. Aber jeder Deutsche konnte miterleben, was judische Mitburger erleiden musten, von kalter Gleichgultigkeit uber versteckte Intoleranz bis zu offenem Has.
Wer konnte arglos bleiben nach den Branden der Synagogen, den Plunderungen, der Stigmatisierung mit dem Judenstern, dem Rechtsentzug, den unaufhorlichen Schandungen der menschlichen Wurde?
Wer seine Ohren und Augen aufmachte, wer sich informieren wollte, dem konnte nicht entgehen, das Deportationszuge rollten. Die Phantasie der Menschen mochte fur Art und Ausmas der Vernichtung nicht ausreichen. Aber in Wirklichkeit trat zu den Verbrechen selbst der Versuch allzu vieler, auch in meiner Generation, die wir jung und an der Planung und Ausfuhrung der Ereignisse unbeteiligt waren, nicht zur Kenntnis zu nehmen, was geschah.
Es gab viele Formen, das Gewissen ablenken zu lassen, nicht zustandig zu sein, wegzuschauen, zu schweigen. Als dann am Ende des Krieges die ganze unsagbare Wahrheit des Holocaust herauskam, beriefen sich allzu viele von uns darauf, nichts gewust oder auch nur geahnt zu haben.
Schuld oder Unschuld eines ganzen Volkes gibt es nicht. Schuld ist, wie Unschuld, nicht kollektiv, sondern personlich.
Es gibt entdeckte und verborgen gebliebene Schuld von Menschen. Es gibt Schuld, die sich Menschen eingestanden oder abgeleugnet haben. Jeder, der die Zeit mit vollem Bewustsein erlebt hat, frage sich heute im stillen selbst nach seiner Verstrickung.
Der ganz uberwiegende Teil unserer heutigen Bevolkerung war zur damaligen Zeit entweder im Kindesalter oder noch gar nicht geboren. Sie konnen nicht eine eigene Schuld bekennen fur Taten, die sie gar nicht begangen haben.
Kein fuhlender Mensch erwartet von ihnen, ein Buserhemd zu tragen, nur weil sie Deutsche sind. Aber die Vorfahren haben ihnen eine schwere Erbschaft hinterlassen.
Wir alle, ob schuldig oder nicht, ob alt oder jung, mussen die Vergangenheit annehmen. Wir alle sind von ihren Folgen betroffen und fur sie in Haftung genommen.
Jungere und Altere mussen und konnen sich gegenseitig helfen, zu verstehen, warum es lebenswichtig ist, die Erinnerung wachzuhalten.
Es geht nicht darum, Vergangenheit zu bewaltigen. Das kann man gar nicht. Sie last sich ja nicht nachtraglich andern oder ungeschehen machen. Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschliest, wird blind fur die Gegenwart. Wer sich der Unmenschlichkeit nicht erinnern will, der wird wieder anfallig fur neue Ansteckungsgefahren.
Das judische Volk erinnert sich und wird sich immer erinnern. Wir suchen als Menschen Versohnung.
Gerade deshalb mussen wir verstehen, das es Versohnung ohne Erinnerung gar nicht geben kann. Die Erfahrung millionenfachen Todes ist ein Teil des Innern jedes Juden in der Welt, nicht nur deshalb, weil Menschen ein solches Grauen nicht vergessen konnen. Sondern die Erinnerung gehort zum judischen Glauben.


Das Vergessenwollen verlangert das Exil,
und das Geheimnis der Erlosung heist Erinnerung.

Diese oft zitierte judische Weisheit will wohl besagen, das der Glaube an Gott ein Glaube an sein Wirken in der Geschichte ist.


Wurden wir unsererseits vergessen wollen, was geschehen ist, anstatt uns zu erinnern, dann ware dies nicht nur unmenschlich. Sondern wir wurden damit dem Glauben der uberlebenden Juden zu nahe treten, und wir wurden den Ansatz zur Versohnung zerstoren.

Fur uns kommt es auf ein Mahnmal des Denkens und Fuhlens in unserem eigenen Inneren an.


IV.
Der 8. Mai ist ein tiefer, historischer Einschnitt, nicht nur in der deutschen, sondern auch in der europaischen Geschichte.

Der europaische Burgerkrieg war an sein Ende gelangt, die alte europaische Welt zu Bruch gegangen. "Europa hatte sich ausgekampft" (M. Sturmer). Die Begegnung amerikanischer und sowjetrussischer Soldaten an der Elbe wurde zu einem Symbol fur das vorlaufige Ende einer europaischen Ara.
Gewis, das alles hatte seine alten geschichtlichen Wurzeln. Grosen, ja bestimmenden Einflus hatten die Europaer in der Welt, aber ihr Zusammenleben auf dem eigenen Kontinent zu ordnen, das vermochten sie immer schlechter. Uber hundert Jahre lang hatte Europa unter dem Zusammenprall nationalistischer Ubersteigerungen gelitten. Am Ende des Ersten Weltkrieges war es zu Friedensvertragen gekommen. Aber ihnen hatte die Kraft gefehlt, Frieden zu stiften. Erneut waren nationalistische Leidenschaften aufgeflammt und hatten sich mit sozialen Notlagen verknupft.
Auf dem Weg ins Unheil wurde Hitler die treibende Kraft. Er erzeugte und er nutzte Massenwahn. Eine schwache Demokratie war unfahig, ihm Einhalt zu gebieten. Und auch die europaischen Westmachte, nach Churchills Urteil "arglos, nicht schuldlos", trugen durch Schwache zur verhangnisvollen Entwicklung bei. Amerika hatte sich nach dem Ersten Weltkrieg wieder zuruckgezogen und war in den 30er Jahren ohne Einflus auf Europa.
Hitler wollte die Herrschaft uber Europa, und zwar durch Krieg. Den Anlas dafur suchte und fand er in Polen.
Am 23. Mai 1939 - wenige Monate vor Kriegsausbruch - erklarte er vor der deutschen Generalitat:

"Weitere Erfolge konnen ohne Blutvergiesen nicht mehr errungen werden...Danzig ist nicht das Objekt, um das es geht.
Es handelt sich fur uns um die Erweiterung des Lebensraumes im Osten und Sicherstellung der Ernahrung...
Es entfallt also die Frage, Polen zu schonen, und bleibt der Entschlus, bei erster passender Gelegenheit Polen anzugreifen...
Hierbei spielen Recht oder Unrecht oder Vertrage keine Rolle."

Am 23. August 1939 wurde der deutsch-sowjetische Nichtangriffspakt geschlossen. Das geheime Zusatzprotokoll regelte die bevorstehende Aufteilung Polens.
Der Vertrag wurde geschlossen, um Hitler den Einmarsch in Polen zu ermoglichen. Das war der damaligen Fuhrung der Sowjetunion voll bewust. Allen politisch denkenden Menschen jener zeit war klar, das der deutsch-sowjetische Pakt Hitlers Einmarsch in Polen und damit den Zweiten Weltkrieg bedeutete.
Dadurch wird die deutsche Schuld am Ausbruch des Zweiten Weltkrieges nicht verringert. Die Sowjetunion nahm den Krieg anderer Volker in Kauf, um sich am Ertrag zu beteiligen. Die Initiative zum Krieg aber ging von Deutschland aus, nicht von der Sowjetunion.
Es war Hitler, der zur Gewalt griff. Der Ausbruch des Zweiten Weltkrieges bleibt mit dem deutschen Namen verbunden.
Wahrend des Krieges hat das nationalsozialistische Regime viele Volker gequalt und geschandet.
Am Ende blieb nur noch ein Volk ubrig, um gequalt, geknechtet und geschandet zu werden: das eigene, das deutsche Volk. Immer wieder hat Hitler ausgesprochen: wenn das deutsche Volk schon nicht fahig sei, in diesem Krieg zu siegen, dann moge es eben untergehen. Die anderen Volker wurden zunachst Opfer eines von Deutschland ausgehenden Krieges, bevor wir selbst zu Opfern unseres eigenen Krieges wurden.
Es folgte die von den Siegermachten verabredete Aufteilung Deutschlands in verschiedene Zonen. Inzwischen war die Sowjetunion in alle Staaten Ost- und Sudosteuropas, die wahrend des Krieges von Deutschland besetzt worden waren, einmarschiert. Mit Ausnahme Griechenlands wurden alle diese Staaten sozialistische Staaten.
Die Spaltung Europas in zwei verschiedene politische Systeme nahm ihren Lauf. Es war erst die Nachkriegsentwicklung, die sie befestigte. Aber ohne den von Hitler begonnenen Krieg ware sie nicht gekommen. Daran denken die betroffenen Volker zuerst, wenn sie sich des von der deutschen Fuhrung ausgelosten Krieges erinnern.
Im Blick auf die Teilung unseres eigenen Landes und auf den Verlust groser Teile des deutschen Staatsgebietes denken auch wir daran. In seiner Predigt zum 8. Mai sagte Kardinal Meisner in Ost-Berlin: "Das trostlose Ergebnis der Sunde ist immer die Trennung."


V.
Die Willkur der Zerstorung wirkte in der willkurlichen Verteilung der Lasten nach. Es gab Unschuldige, die verfolgt wurden, und Schuldige, die entkamen. Die einen hatten das Gluck, zu Hause in vertrauter Umgebung ein neues Leben aufbauen zu konnen. Andere wurden aus der angestammten Heimat vertrieben.

Wir in der spateren Bundesrepublik Deutschland erhielten die kostbare Chance der Freiheit. Vielen Millionen Landsleuten bleibt sie bis heute versagt.
Die Willkur der Zuteilung unterschiedlicher Schicksale ertragen zu lernen, war die erste Aufgabe im Geistigen, die sich neben der Aufgabe des materiellen Wiederaufbaus stellte. An ihr muste sich die menschliche Kraft erproben, die Lasten anderer zu erkennen, an ihnen dauerhaft mitzutragen, sie nicht zu vergessen. In ihr muste die Fahigkeit zum Frieden und die Bereitschaft zur Versohnung nach innen und ausen wachsen, die nicht nur andere von uns forderten, sondern nach denen es uns selbst am allermeisten verlangte.
Wir konnen des 8. Mai nicht gedenken, ohne uns bewustzumachen, welche Uberwindung die Bereitschaft zur Aussohnung den ehemaligen Feinden abverlangte. Konnen wir uns wirklich in die Lage von Angehorigen der Opfer des Warschauer Ghettos oder des Massakers von Lidice versetzen?
Wie schwer muste es aber auch einem Burger in Rotterdam oder London fallen, den Wiederaufbau unseres Landes zu unterstutzen, aus dem die Bomben stammten, die erst kurze Zeit zuvor auf seine Stadt gefallen waren. Dazu muste allmahlich eine Gewisheit wachsen, das Deutsche nicht noch einmal versuchen wurden, eine Niederlage mit Gewalt zu korrigieren.
Bei uns selbst wurde das Schwerste den Heimatvertriebenen abverlangt. Ihnen ist noch lange nach dem 8. Mai bitteres Leid und schweres Unrecht widerfahren. Um ihrem schweren Schicksal mit Verstandnis zu begegnen, fehlt uns Einheimischen oft die Phantasie und auch das offene Herz.
Aber es gab alsbald auch grose Zeichen der Hilfsbereitschaft. Viele Millionen Fluchtlinge und Vertriebene wurden aufgenommen. Im Laufe der Jahre konnten sie neue Wurzeln schlagen. Ihre Kinder und Enkel bleiben auf vielfache Weise der Kultur und der Liebe zur Heimat ihrer Vorfahren verbunden. Das ist gut so, denn das ist ein wertvoller Schatz in ihrem Leben.
Sie haben aber selbst eine neue Heimat gefunden, in der sie mit den gleichaltrigen Einheimischen aufwachsen und zusammenwachsen, ihre Mundart sprechen und ihre Gewohnheiten teilen. Ihr junges Leben ist ein Beweis fur die Fahigkeit zum inneren Frieden. Ihre Groseltern oder Eltern wurden einst vertrieben, sie jedoch sind jetzt zu Hause.
Fruh und beispielhaft haben sich die Heimatvertriebenen zum Gewaltverzicht bekannt. Das war keine vergangliche Erklarung im anfanglichen Stadium der Machtlosigkeit, sondern ein Bekenntnis, das seine Gultigkeit behalt. Gewaltverzicht bedeutet, allseits das Vertrauen wachsen zu lassen, das auch ein wieder zu Kraften gekommenes Deutschland daran gebunden bleibt.
Die eigene Heimat ist mittlerweile anderen zur Heimat geworden. Auf vielen alten Friedhofen im Osten finden sich heute schon mehr polnische als deutsche Graber.
Der erzwungenen Wanderschaft von Millionen Deutschen nach Westen folgten Millionen Polen und ihnen wiederum Millionen Russen. Es sind alles Menschen, die nicht gefragt wurden, Menschen, die Unrecht erlitten haben, Menschen, die wehrlose Objekte der politischen Ereignisse wurden und denen keine Aufrechnung von Unrecht und keine Konfrontation von Anspruchen wiedergutmachen kann, was ihnen angetan worden ist.
Gewaltverzicht heute heist, den Menschen dort, wo sie das Schicksal nach dem 8. Mai hingetrieben hat und wo sie nun seit Jahrzehnten leben, eine dauerhafte, politisch unangefochtene Sicherheit fur ihre Zukunft zu geben. Dies heist, den widerstreitenden Rechtsanspruchen das Verstandigungsgebot uberzuordnen.
Darin liegt der eigentliche, der menschliche Beitrag zu einer europaischen Friedensordnung, der von uns ausgehen kann.
Der Neuanfang in Europa nach 1945 hat dem Gedanken der Freiheit und Selbstbestimmung Siege und Niederlagen gebracht. Fur uns gilt es, die Chance des Schlusstrichs unter eine lange Periode europaischer Geschichte zu nutzen, in der jedem Staat Frieden nur denkbar und sicher schien als Ergebnis eigener Uberlegenheit und in der Frieden eine Zeit der Vorbereitung des nachsten Krieges bedeutete.
Die Volker Europas lieben ihre Heimat. Den Deutschen geht es nicht anders. Wer konnte der Friedensliebe eines Volkes vertrauen, das imstande ware, seine Heimat zu vergessen?.
Nein, Friedensliebe zeigt sich gerade darin, das man seine Heimat nicht vergist und eben deshalb entschlossen ist, alles zu tun, um immer in Frieden miteinander zu leben. Heimatliebe eines Vertriebenen ist kein Revanchismus.


VI.
Starker als fruher hat der letzte Krieg die Friedenssehnsucht im Herzen der Menschen geweckt. Die Versohnungsarbeit von Kirchen fand eine tiefe Resonanz. Fur die Verstandigungsarbeit von jungen Menschen gibt es viele Beispiele. Ich denke an die "Aktion Suhnezeichen" mit ihrer Tatigkeit in Auschwitz und Israel. Eine Gemeinde der niederrheinischen Stadt Kleve erhielt neulich Brote aus polnischen Gemeinden als Zeichen der Aussohnung und Gemeinschaft. Eines dieser Brote hat sie an einen Lehrer nach England geschickt. Denn dieser Lehrer aus England war aus der Anonymitat herausgetreten und hatte geschrieben, er habe damals im Krieg als Bombenflieger Kirche und Wohnhauser in Kleve zerstort und wunsche sich ein Zeichen der Aussohnung.

Es hilft unendlich viel zum Frieden, nicht auf den anderen zu warten, bis er kommt, sondern auf ihn zuzugehen, wie dieser Mann es getan hat.


VII.
In seiner Folge hat der Krieg alte Gegner menschlich und auch politisch einander naher gebracht. Schon 1946 rief der amerikanische Ausenminister Byrnes in seiner denkwurdigen Stuttgarter Rede zur Verstandigung in Europa und dazu auf, dem deutschen Volk auf seinem Weg in eine freie und friedliebende Zukunft zu helfen.

Unzahlige amerikanische Burger haben damals mit ihren privaten Mitteln uns Deutsche, die Besiegten, unterstutzt, um die Wunden des Krieges zu heilen.
Dank der Weitsicht von Franzosen wie Jean Monnet und Robert Schuman und von Deutschen wie Konrad Adenauer endete eine alte Feindschaft zwischen Franzosen und Deutschen fur immer.
Ein neuer Strom von Aufbauwillen und Energie ging durch das eigene Land. Manche alte Graben wurden zugeschuttet, konfessionelle Gegensatze und soziale Spannungen verloren an Scharfe. Partnerschaftlich ging man ans Werk.
Es gab keine "Stunde Null", aber wir hatten die Chance zu einem Neubeginn. Wir haben sie genutzt, so gut wir konnten. An die Stelle der Unfreiheit haben wir die demokratische Freiheit gesetzt.
Vier Jahre nach Kriegsende, 1949, am heutigen 8. Mai, beschlos der Parlamentarische Rat unser Grundgesetz. Uber Parteigrenzen hinweg gaben seine Demokraten die Antwort auf Krieg und Gewaltherrschaft im Artikel 1 unserer Verfassung:


Das deutsche Volk bekennt sich darum zu unverletzlichen und unverauserlichen Menschenrechten als Grundlage jeder menschlichen Gemeinschaft, des Friedens und der Gerechtigkeit in der Welt.

Auch an diese Bedeutung des 8. Mai gilt es heute zu erinnern.
Die Bundesrepublik Deutschland ist ein weltweit geachteter Staat geworden. Sie gehort zu den hochentwickelten Industrielandern der Welt. Mit ihrer wirtschaftlichen Kraft weis sie sich mitverantwortlich dafur, Hunger und Not in der Welt zu bekampfen und zu einem sozialen Ausgleich unter den Volkern beizutragen.
Wir leben seit vierzig Jahren in Frieden und Freiheit, und wir haben durch unsere Politik unter den freien Volkern des Atlantischen Bundnisses und der Europaischen Gemeinschaft dazu selbst einen grosen Beitrag geleistet.
Nie gab es auf deutschem Boden einen besseren Schutz der Freiheitsrechte des Burgers als heute. Ein dichtes soziales Netz, das den Vergleich mit keiner anderen Gesellschaft zu scheuen braucht, sichert die Lebensgrundlage der Menschen.
Hatten sich bei Kriegsende viele Deutsche noch darum bemuht, ihren Pas zu verbergen oder gegen einen anderen einzutauschen, so ist heute unsere Staatsburgerschaft ein angesehenes Recht.
Wir haben wahrlich keinen Grund zu Uberheblichkeit und Selbstgerechtigkeit. Aber wir durfen uns der Entwicklung dieser vierzig Jahre dankbar erinnern, wenn wir das eigene historische Gedachtnis als Leitlinie fur unser Verhalten in der Gegenwart und fur die ungelosten Aufgaben, die auf uns warten, nutzen.

Wenn wir uns daran erinnern, das Geisteskranke im Dritten Reich getotet wurden, werden wir die Zuwendung zu psychisch kranken Burgern als unsere eigene Aufgabe verstehen.
Wenn wir uns erinnern, wie rassisch, religios und politisch Verfolgte, die vom sicheren Tod bedroht waren, oft vor geschlossenen Grenzen anderer Staaten standen, werden wir vor denen, die heute wirklich verfolgt sind und bei uns Schutz suchen, die Tur nicht verschliesen.
Wenn wir uns der Verfolgung des freien Geistes wahrend der Diktatur besinnen, werden wir die Freiheit jedes Gedankens und jeder Kritik schutzen, so sehr sie sich auch gegen uns selbst richten mag.
Wer uber die Verhaltnisse im Nahen Osten urteilt, der moge an das Schicksal denken, das Deutsche den judischen Mitmenschen bereiteten und das die Grundung des Staates Israel unter Bedingungen ausloste, die noch heute die Menschen in dieser Region belasten und gefahrden.
Wenn wir daran denken, was unsere ostlichen Nachbarn im Kriege erleiden musten, werden wir besser verstehen, das der Ausgleich, die Entspannung und die friedliche Nachbarschaft mit diesen Landern zentrale Aufgaben der deutschen Ausenpolitik bleiben. Es gilt, das beide Seiten sich erinnern und beide Seiten einander achten. Sie haben menschlich, sie haben kulturell, sie haben letzten Endes auch geschichtlich allen Grund dazu.
Der Generalsekretar der Kommunistischen Partei der Sowjetunion, Michail Gorbatschow, hat verlautbart, es ginge der sowjetischen Fuhrung beim vierzigsten Jahrestag des Kriegsendes nicht darum, antideutsche Gefuhle zu schuren. Die Sowjetunion trete fur Freundschaft zwischen den Volkern ein.

Gerade wenn wir Fragen auch an sowjetische Beitrage zur Verstandigung zwischen Ost und West und zur Achtung von Menschenrechten in allen Teilen Europas haben, gerade dann sollten wir dieses Zeichen aus Moskau nicht uberhoren. Wir wollen Freundschaft mit den Volkern der Sowjetunion.


VIII.
Vierzig Jahre nach dem Ende des Krieges ist das deutsche Volk nach wie vor geteilt

Beim Gedenkgottesdienst in der Kreuzkirche zu Dresden sagte Bischof Hempel im Februar dieses Jahres:


Es lastet, es blutet, das zwei deutsche Staaten entstanden sind mit ihrer schweren Grenze.
Es lastet und blutet die Fulle der Grenzen uberhaupt. Es lasten die Waffen.

Vor kurzem wurde in Baltimore in den Vereinigten Staaten eine Ausstellung "Juden in Deutschland" eroffnet. Die Botschafter beider deutscher Staaten waren der Einladung gefolgt. Der gastgebende Prasident der Johns-Hopkins-Universitat begruste sie zusammen. Er verwies darauf, das alle Deutschen auf dem Boden derselben historischen Entwicklung stehen. Eine gemeinsame Vergangenheit verknupfe sie mit einem Band. Ein solches Band konne eine Freude oder ein Problem sein - es sei immer eine Quelle der Hoffnung.
Wir Deutsche sind ein Volk und eine Nation. Wir fuhlen uns zusammengehorig, weil wir dieselbe Geschichte durchlebt haben.
Auch den 8. Mai 1945 haben wir als gemeinsames Schicksal unseres Volkes erlebt, das uns eint. Wir fuhlen uns zusammengehorig in unserem Willen zum Frieden. Von deutschem Boden in beiden Staaten sollen Frieden und gute Nachbarschaft mit allen Landern ausgehen. Auch andere sollen ihn nicht zur Gefahr fur den Frieden werden lassen.
Die Menschen in Deutschland wollen gemeinsam einen Frieden, der Gerechtigkeit und Menschenrecht fur alle Volker einschliest, auch fur das unsrige.
Nicht ein Europa der Mauern kann sich uber Grenzen hinweg versohnen, sondern ein Kontinent, der seinen Grenzen das Trennende nimmt. Gerade daran mahnt uns das Ende des Zweiten Weltkrieges.
Wir haben die Zuversicht, das der 8. Mai nicht das letzte Datum unserer Geschichte bleibt, das fur alle Deutschen verbindlich ist.


IX.
Manche junge Menschen haben sich und uns in den letzten Monaten gefragt, warum es vierzig Jahre nach Ende des Krieges zu so lebhaften Auseinandersetzungen uber die Vergangenheit gekommen ist. Warum lebhafter als nach funfundzwanzig oder dreisig Jahren? Worin liegt die innere Notwendigkeit dafur?

Es ist nicht leicht, solche Fragen zu beantworten. Aber wir sollten die Grunde dafur nicht vornehmlich in auseren Einflussen suchen, obwohl es diese zweifellos auch gegeben hat.
Vierzig Jahre spielen in der Zeitspanne von Menschenleben und Volkerschicksalen eine grose Rolle.
Auch hier erlauben Sie mir noch einmal einen Blick auf das Alte Testament, das fur jeden Menschen, unabhangig von seinem Glauben, tiefe Einsichten aufbewahrt. Dort spielen vierzig Jahre eine haufig wiederkehrende, eine wesentliche Rolle.
Vierzig Jahre sollte Israel in der Wuste bleiben, bevor der neue Abschnitt in der Geschichte mit dem Einzug ins verheisene Land begann.
Vierzig Jahre waren notwendig fur einen vollstandigen Wechsel der damals verantwortlichen Vatergeneration.
An anderer Stelle aber (Buch der Richter) wird aufgezeichnet, wie oft die Erinnerung an erfahrene Hilfe und Rettung nur vierzig Jahre dauerte. Wenn die Erinnerung abris, war die Ruhe zu Ende.
So bedeuten vierzig Jahre stets einen grosen Einschnitt. Sie wirken sich aus im Bewustsein der Menschen, sei es als Ende einer dunklen Zeit mit der Zuversicht auf eine neue und gute Zukunft, sei es als Gefahr des Vergessens und als Warnung vor den Folgen. Uber beides lohnt es sich nachzudenken.
Bei uns ist eine neue Generation in die politische Verantwortung hereingewachsen. Die Jungen sind nicht verantwortlich fur das, was damals geschah. Aber sie sind verantwortlich fur das, was in der Geschichte daraus wird.
Wir Alteren schulden der Jugend nicht die Erfullung von Traumen, sondern Aufrichtigkeit. Wir mussen den Jungeren helfen zu verstehen, warum es lebenswichtig ist, die Erinnerung wachzuhalten. Wir wollen ihnen helfen, sich auf die geschichtliche Wahrheit nuchtern und ohne Einseitigkeit einzulassen, ohne Flucht in utopische Heilslehren, aber auch ohne moralische Uberheblichkeit.
Wir lernen aus unserer eigenen Geschichte, wozu der Mensch fahig ist. Deshalb durfen wir uns nicht einbilden, wir seien nun als Menschen anders und besser geworden.
Es gibt keine endgultig errungene moralische Vollkommenheit - fur niemanden und kein Land! Wir haben als Menschen gelernt, wir bleiben als Menschen gefahrdet. Aber wir haben die Kraft, Gefahrdungen immer von neuem zu uberwinden.
Hitler hat stets damit gearbeitet, Vorurteile, Feindschaften und Has zu schuren.
Die Bitte an die jungen Menschen lautet:
Lassen Sie sich nicht hineintreiben in Feindschaft und Has

gegen andere Menschen,
gegen Russen oder Amerikaner,
gegen Juden oder Turken,
gegen Alternative oder Konservative,
gegen Schwarz oder Weis.

Lernen Sie, miteinander zu leben, nicht gegeneinander.
Lassen Sie auch uns als demokratisch gewahlte Politiker dies immer wieder beherzigen und ein Beispiel geben.
Ehren wir die Freiheit.
Arbeiten wir fur den Frieden.
Halten wir uns an das Recht.
Dienen wir unseren inneren Masstaben der Gerechtigkeit.
Schauen wir am heutigen 8. Mai, so gut wir konnen, der Wahrheit ins Auge.


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ヴァイツゼッカー氏の演説の「主語」は「我々=ドイツ人」である。春樹(※注)が言うような「ナチス」などではない。(※注)<ドイツならば刑事犯罪に問われかねない「論文」>コメント欄参照
http://takashichan.seesaa.net/article/109007347.html#comment

この『荒れ野の40年』は九節から成っている。ところがウェブ上で見ることの出来る日本語訳ではどういう訳か第二節からあとのみが収録されている。「たかしズム」の<「村山談話」と「荒れ野の40年」> ではこれをコピペさせていただいた。
http://takashichan.seesaa.net/article/109003556.html
この日本語訳では日本語の慣例により「主語」がことごとく「省略」されている。しかし原文にあたればすぐに明らかなように、ヴァイツゼッカー氏の演説の「主語」は「我々(Wir)」である。

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Wir gedenken heute in Trauer aller Toten des Krieges und der Gewaltherrschaft.
Wir gedenken insbesondere der sechs Millionen Juden, die in deutschen Konzentrationslagern ermordet wurden.
Wir gedenken aller Volker, die im Krieg gelitten haben, vor allem der unsaglich vielen Burger der Sowjetunion und der Polen, die ihr Leben verloren haben.

われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。

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しかもヴァイツゼッカー氏は、演説の一番最初の「我々」の後に「ドイツ人」を付けている(Wir Deutschen)。つまりここから後に出てくる「我々」はすべて「我々ドイツ人」の意味になる。
ヴァイツゼッカー氏は演説の中で「我々ドイツ人」が犯した罪を、ひとつひとつ丁寧に思い浮かべていく。そしてドイツ人の犯罪によって殺されていった幾多の国民、民族を思い浮かべる。そしてドイツ人としての戦争責任をひとつひとつ確認していく。さらに直接手を下していない若い世代に対しても、その罪を思い浮かべることを促す。

ヴァイツゼッカー氏の演説の中で一番有名なのは次の一節ではないだろうか?
「歴史に目を閉ざすものは、現在に盲目になるだろう」
Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschliest, wird blind fur die Gegenwart
これこそ、我々日本人が最もドイツに学ばなければいけない、見習わなければならない「道徳的指針」である。

 
 
posted by takashi at 11:59 | Comment(0) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月02日

日本の恥TVコマーシャル

毎日のテレビCMを見ていて「恥ずかしい」と思うことはないだろうか?変わり映えもしないお笑いタレントや白痴的女性タレントが、意味不明の台本と馬鹿な演出で踊らされる「国辱CM」の如何に多いことか。

実は書くのも恥ずかしいのだが「カムントニャンニャンニャンニャニャンニャニャン」というCMを見たことはないだろうか?ガムか何かのCMであろう。私の年齢だとピンと来るのだが、あのメロディは「狼少年ケン」である。ところが製作者は大勘違いをしている。このCMの別バージョンでは何と「タケル」が出てくるのだ!つまり製作者は「狼少年ケン」と「少年ケニア」を完全に混同しているのだ。そんなことはどうでも良いが、とにかく見ていて実に恥ずかしいCMである。この手の「国辱CM」は、日本人の「民度」のあらわれではないかと思っている。

もうひとつ日本のCMで特徴的なことがある。どういう訳かクラシックの楽曲が「同時多発的に」用いられるのだ。どういうことか説明しよう。今から20年ほど前、第二次バロックブームとも言うべき流行が起きた。その中でひときわ流行ったのが「パッヘルベルのカノン」である。実を言うとこれはカノンというより「輪唱」に過ぎない、程度の低い楽曲なのであるが、これがありとあらゆるコマーシャルで爆発的に用いられた。そしてその影響は現在もなお続いているという現実は、皆さんも良くご存じのとおりである。さらに情けないことに、すべてのCMは、何故か決まって曲の途中(=19小節目)から始まる(大笑)。

「同時多発的に」用いられた曲を思い付くままに挙げると、グリーグの「ペール・ギュント」。これは悪徳貸金業の「日栄」他数十社がCMに用いた。ごく最近では何故かホルストの「木星」。他にアイルランドの何とかいう民謡、クラシックではないが、かなり古いディズニー映画の主題歌でジャズのスタンダードにもなっている「いつか王子様が」など。これらが何故「同時多発的に」CMに登場するのか?残念ながら私には説明が出来ない。

そもそもテレビCMなどと言うものは、自社の商品を「差別化」し、優位に見せるためのものであろう。ところがこの日本と言う国ではそれすらが「横並び」、すなわち本多勝一氏言うところの「メダカ民族」の性癖には抗えないということなのだろう。
posted by takashi at 14:10 | Comment(7) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月04日

戦争を考える季節

今年もまた「戦争」を考える季節がやって来た・・・広島、長崎、そして8月15日。年々少なくなっているとは言え、今年も戦争関係のドラマやドキュメンタリー、映画などがブラウン管(もはや死語か?)を賑わせることだろう。昨年はNHKのドキュメンタリー(元兵士の証言)に秀逸なものが散見されたが、今年はどうなのだろう?戦争体験者は年々減っていく。今のうちに彼らに証言してもらわなくては困る。自身の戦争体験、ことに「加害体験」を語ってもらいたい。

映画やドラマについてはドキュメンタリー以上に「加害」を避けたものが多い。「日本人はこんなに酷い目に遭った」「日本の兵隊の中にもこんな良い人がいた」・・・こんな映画ではダメなのだ。外国映画がそれを描くのは良い。しかし我々日本人がそれをやってしまっては単なる「免罪符」だ。

「杉原千畝」は確かに日本人の「自尊心」「優越感」をくすぐる題材である。だから映画もテレビもこぞって「杉原千畝」を取り上げる。しかし日本人が本当に作るべき映画は、例えば「石井四郎」(陸軍731部隊創始者)の生涯を描いた映画である。その映画には「良い日本人」など登場させてはいけない。彼らが「故郷では良き夫・父親であったこと」を描くのは良い。しかし満州ハルピンの収容所に配属された彼らは、もはや「悪魔の日本人」でしかなかった。そこに良い日本人は「基本的に」いなかったのである。たとえいたとしても「善」を貫けば最後には抹殺された。それが日本の軍隊の現実なのである。そこまで突き詰めて、覚悟を決めて映画にしなくては駄目だ、と私は思う。

我々日本人は「杉原千畝」の映画はホイホイと作る。そしてそれを見ながら「自己陶酔」する。しかし我々日本人は「ジョン・ラーべ」を描いたドイツ製(アメリカ配給)映画を、日本国内で決して公開しようとはしない。ごく少数の意識ある日本人が、この映画の公開運動をおこなってはいる。しかし大多数の日本人は、この映画の存在すら知らないのだ。国家権力とそれに結託した広告代理店が、そのように「仕向けている」のかどうかは、私には分からない。

今までいろんなところで幾度も言ってきたが、日本人がまずやらなければいけないことは、過去の加害体験の反省と謝罪である。それをやって初めて広島・長崎の被害を訴える「資格」が与えられるのだ。そうすればアメリカ大統領も中国の国家主席も、被爆者追悼式に喜んで来てくれると思う。「加害責任」・・・我々日本人がその頸木を外すことが出来るのは、一体何時になるのだろう。

最後に。
素晴らしい中国映画をインターネットで見ることが出来る。陸川監督の「南京!南京!」である。これをご紹介する。中国人の映画監督が「日本人の側」に立って「日本人の葛藤」を描いてくれた秀逸な作品だ。誓って申し上げるがこれはネトウヨどもが言うような「反日映画」などでは全くない。何故日本人が当時の中国で、あのようなこととを平気でするようになっていったか、日本人の心の内面にまで入り込んで描いている。中国人が日本人の良心を信じてくれているからこそ作り得た、崇高な作品だと、私は思う。最後まで見た人は必ず感動すると思う。
http://tv.sohu.com/20090527/n264199426.shtml
注)なお、スムーズに再生出来ない場合は、画面右側のタブ「高清」「普通」を適当に選択してみて下さい。「高清」をクリックすると「普通」がアクティブになり、「普通」をクリックすると「高清」がアクティブになります。このインターフェイスは私には全く理解できません。

posted by takashi at 17:12 | Comment(29) | TrackBack(4) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月20日

たかしの「愛国心」

私が「愛国心論」を語っている文章を過去のエントリー、コメント欄から抜き出して挙げてみます。
ネトウヨの言う「愛国心」と私の「愛国心」が、これほど質的に違うということを理解して頂きたいと思います。
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<拝啓 天皇明仁様>より抜粋
http://takashichan.seesaa.net/article/106214674.html

拝啓 天皇明仁様

毎日のご公務ご苦労様です。
上に掲げた(ネトウヨの)言葉の数々ご覧になって率直に如何お感じになりましたでしょうか?
現在の天皇制がこのような者たちによって支えられているという現実を明仁陛下はどのように受け止められることでしょう?陛下がご自分の意思を社会に表明する機会も与えられず、勿論「ザ・のじじズム」のようなサイトも自由にご覧になることも出来ないのは重々承知いたしております。でも、もしこれをご覧になったら陛下はどのような気持ちを持たれるか、私は誠に興味深いものがあります。

さてこちらのサイトで「天皇制擁護」の立場で書き込みをしている者たちは、現在「ネトウヨ」と呼ばれ、社会で問題になっている者たちです。彼等の使う「日本語」を陛下はどのようにお感じになられますか?「やまと言葉」と中国文化の「漢字」が融合して形成された類稀なる美しい「日本語」。その宝がこれらのネトウヨたちによって蹂躙されていることを私はかねがね憂いておりますが、その気持ちは陛下も全く同じではないかとご推測申し上げます。

なお私は「天皇制」には反対する立場の人間ではありますが、こちらのブログの他の場所でも書きましたとおり「人間」としての陛下御個人や皇室の方々には何らの悪感情はございません。もしあるとすれば陛下のお立場の対極にいる恵まれない「平民」との比較において「天皇制」という「制度」への嫌悪感があるのみです。現在日本においては
陛下や昭和天皇も心に痛みをお感じになっておられる「不幸な過去」に反省をするどころか、あの戦争を正当化し、アジアの諸国を再び蔑視する風潮が高まっておることは陛下も伝え聞いておられることと存じます。この現状につきまして陛下に於かれましては心中どれほどのものかお察し申し上げます。

さて末筆になりましたが私は陛下が一日も早く、「当たり前の日本人」として日本国憲法で日本人に保障された諸権利を晴れて獲得される未来を心から望んでおります。
敬具  たかし

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<衆院選全選挙区候補擁立を転換した日本共産党について>コメント欄より抜粋
http://takashichan.seesaa.net/article/108036305.html#comment

内容と全く関係なく、
非常に稚拙で素朴な質問で申し訳ないのですが・・・
「日本は嫌いですか?」
Posted by しかた at 2008年10月15日 17:21


まず、しかたさんのご質問にお答えするとしましょう。
「私はおそらく、あなたの100倍くらい日本が好きだと思います。」
次は私からの質問です。
「あなたのご質問の意図はなんでしょうか?当然このあと議論を展開するための布石なんですよね?そうですよね?ところであなたは日本がお嫌いですか?」
Posted by たかし at 2008年10月15日 17:48


うーん。特に議論への布石と考えてはいませんが。
ただの確認でした。ともいかないですか。
私は日本が好きです。
では、過去の歴史上にたかしさんの好きな日本はありますか?
質問内容が、過去ログにありましたら、申し訳ございません。
Posted by しかた at 2008年10月15日 20:05


間違ったらごめんなさい。しかたさんは、「ネトウヨのブログ」さんからおいでくださったようですね。「ネトウヨのブログ」は、管理人様が所謂「ネトウヨ」でありながらも、論理的に文章を展開なさっておられる稀有なブログです。それに「自分はネトウヨではない」と主張する妙なネトウヨが多い中で、ご自分のブログに「ネトウヨのブログ」というタイトルを付けていらっしゃるところも私は気に入っております。したがいまして、私と立場を異にするブログとしては唯一、相互リンクをさせていただいているブログです。リンクをさせて頂いているもうひとつの理由は、「ネトウヨのブログ」さんに普段書き込みをなさっている方々に是非私のブログに来ていただき、この「たかしズム」で、少しマトモな議論をしてみたい、という下心があります。

>過去の歴史上にたかしさんの好きな日本はありますか?
とのことですが、「歴史上好きな日本」という括りが、私にはまず理解し難いものです。もしかして普段私が、先の侵略戦争中の日本を「恥ずかしい」などと言ったり、その行なった悪事を批判したり、戦後の処理や国際社会との付き合いを、ドイツと比べて「情けない」などと書いているのを読んで、ここで一本取ろうというお気持ちが、あなたにはありはしませんか?あなたが私からどのような答えを引き出したいのか、薄々透けて見えるので、少し笑ってしまいそうなのですが(笑)、私のお答えは次のようなものです。
私は、誰よりもこの日本が好きだし、日本人が好きだし、日本の文化を誇りに思っているし、「愛国心」も人一倍強い人間です。「だからこそ」私は、戦争中の日本が恥ずかしいし、願わくば現代日本が過去の過ちを清算して、世界からその「文化に相応しい尊敬」を得られる国に、なって欲しいのです。例えば以下のスレッドをお読みいただければ、その辺がご理解頂けるのではないかと思います。
<たかしちゃん語録>
http://takashichan.seesaa.net/article/105501961.html
<たかしちゃん語録2>
http://takashichan.seesaa.net/article/105833288.html
Posted by たかし at 2008年10月15日 22:06
posted by takashi at 01:41 | Comment(94) | TrackBack(2) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

「ドイツの三大兵器」とカミカゼ

これから私、たかしがネトウヨの戦争オタクのようなことを書くが、誤解しないでもらいたい。飽くまで皮肉である。「ドイツの三大兵器」というのを皆さん、ご存じだろうか?誰も知らないと思う。何故なら提唱者はこの私だからだ(笑)。「ドイツの三大兵器」とは次のものを言う。

@V2ロケット
AメッサーシュミットMe262
Bジャーマン・シェパード(軍用犬)

この三つの発明は、後の戦争で「スタンダード化」していった。V2は大陸間弾道ミサイル、Me262は今日の全ての戦闘機の元祖である。ジャーマン・シェパードは、全世界の軍用犬、警察犬、福祉介護犬として第一線にある(もっとも最後の福祉介護だけは、現在ゴールデン・レトルリバーに取って代わられようととしているが)。その他ドイツには、現在の巡航ミサイルに進化するV1というものもある。

ことほど左様にドイツという国が、近・現代文明に置いてトップを走って来たということは、まさに特筆すべきことである。社会科学の面でも、啓蒙思想・共産主義などの生成に少なからず貢献している。

それに比べて日本が発明した兵器にはどんなものがあるか?カミカゼ特攻機?こんなもの「発明」と呼べるのか?ペスト蚤の詰まった「陶器製爆弾」?細菌爆弾を積んだ風船爆弾?人間魚雷?こうやって並べていると私はつくづく情けなくなってくる。真にテクノロジーとして日本人が作り上げたものなど一つもない。すべて「模倣」ないしは貧相な「応用」もしくは「改悪」に過ぎないのだ。

これらの現実を踏まえると、ヒットラーが「わが闘争」の中で日本を「二等国」と規定していることが、あながち外れていないと、私などは思ってしまう。
参考スレッド
<たかしちゃん語録>
http://takashichan.seesaa.net/article/105501961.html

もっとも「カミカゼ」に関して言えば、戦後57年目のちょうど今日、アルカイダがニューヨークで真似て応用・実践し、見事な「戦果」をあげたわけだから、我が国の「発明」もまんざらではなかったのかもしれないが・・・。
posted by takashi at 22:02 | Comment(11) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9.11徒然

本日「9.11」の特集番組はほとんどなかった。民放では日テレが映画をやっていたが興味がないので見なかった。CS放送で、アメリカのヒストリーチャンネルがさすがに特集番組を組んでいたのでそちらを見た。こういったドキュメンタリーを見ると、映画のコンピューターグラフィックが如何に「マンガ」に過ぎないのかが実感される。

貿易センタービルが「カミカゼ」攻撃を受けた際、まさかアメリカ人たちはそれらが「崩壊」するとは考えなかった。レスキュー隊はその場にとどまって果敢に任務を遂行しようとし、ボランティアの人たちも最後まで協力をしていた。さらに野次馬たちも遠巻きにそれを眺めていた。

しかしそれは起こった。二つのビルは次々に崩壊した。老朽ビルである貿易センタービルには大量の「アスベスト」が使われていた。その粉じんを吸わされたレスキュー隊員、ボランティアたちはその後、後遺症に苦しむことになる。

ところが、アメリカでは彼ら被害者に対する政府の「補償」がなかった。ちょうど日本で地下鉄サリン事件の被害者がそうであったように。

マイケル・ムーア監督は映画「華氏911」で、ブッシュ元米大統領の醜態を暴露し、さらに「シッコ」では上記の後遺症に苦しむ元レスキュー隊員やボランティアたちをキューバの病院へ連れて行き「無料」の医療を受けさせる。
<マイケル・ムーア「シッコ」を見て>
http://takashichan.seesaa.net/article/116944049.html
<マイケル・ムーアの功績>
http://takashichan.seesaa.net/article/126680256.html

のちにブッシュはアルカイダと関係のないイラク人を数十万人も殺すことになる。大統領がオバマに変わってもそれはまだ続いている。

こうしたマイケル・ムーア監督に「ヒロシマ、ナガサキ」の映画を作ってもらってアメリカで上映してもらおう、という日本人が一部にいるようである。しかし、私はそれには反対である。マイケル・ムーアにはむしろ「従軍慰安婦」を撮ってもらいたい。「ヒロシマ、ナガサキ」はそのあとで良い。これが私の主張だ。

posted by takashi at 23:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

9.11徒然2

ヒストリーチャンネルで9時から見た「9.11〜アメリカを変えた102分」は臨場感のある凄い迫力のドキュメンタリーであった。そのあと11:00からがカナダのドキュメンタリー映画「火と水 カブールの手品師」、9.11テロで息子を失った日本人の父親を追ったドキュメンタリーである。
http://spbb.jp/net/contents/vod/vod_detail.asp?cn=9811
主人公の白鳥氏は、テロを生み出す「憎しみ」の原因が「無知」にあるとして、アフガニスタンに学校を作る運動を始める。カブールに土地を購入し、市長の許可を得る。ここまでは順調であった。

ところが、その運動に建築家の黒川紀章が関わってくるところから話が狂ってくる。黒川紀章が、案の定と言おうか、こともあろうにと言おうか、東京の新宿御苑のような公園と「多目的ホール」を作るなどと言いだす。手段が目的と化す、おなじみの「箱もの病」に感染した黒川の登場によって計画はめちゃくちゃになる。ここから白鳥氏の計画は黒川に、いいように「しゃぶられ」始めるのだ。2006年のことだから、黒川の「病気」もかなり脳に回っていることは間違いない。その年の7月、白鳥氏と黒川が話し合いをする場面があったが、まことにいひどいものであった。アフガニスタンの現状などまったく知りもしない黒川に、計画の困難さを懸命に説明する白鳥氏。その白鳥氏に対し、机上の空論を展開し、侮辱的な言葉を投げつける黒川紀章。

アフガニスタンに必要なものは、井戸であり、灌漑用水であり、病院であり、学校だ。多目的ホールなど建てて何になるというのだ。この貧しい国がどうやってそんな施設を「維持」して行けるというのだ。早晩「お荷物」「廃墟」と化すことなど目に見えている。ペシャワール会のような「プロフェッショナル」ではない白鳥氏はそんなことには思いも及ばない。

結局、黒川紀章の死とともに白鳥氏の計画は頓挫してしまうのだ。

Okama bin Ladin.jpg                                                                KurokawaKisyou.jpg
Okama bin Ladin                                                                  Kurokawa Kisyou

posted by takashi at 01:17 | Comment(55) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

「馬鹿」という言葉

昨日のエントリーに引き続いて「馬鹿」について書いてみたいと思います。

これは、だいぶ以前にもどこかに書いた記憶があるのですけれども、もともと「馬鹿」という言葉は「差別用語」でした。少なくとも明治初期頃までは。しかし現在「馬鹿」という言葉は「差別用語」としての誹りは免れています。単なる「悪口用語」として認識されるようになり、NHKでも禁止されてはおりません。それは何故でしょうか?現在に於いては、知的障害者を指して「馬鹿」と呼ぶような人間はほとんどいないということ。全くいないわけではないだろうが、ごく少数であること、更に「差別用語」としてこの言葉を使用する人間は、逆にその人格を疑われる、といった社会的「常識」が確立されているからだと考えられます。

しかし江戸時代には、まさに知的障害者の「差別用語」としてこの「馬鹿」という言葉が使われていました。その名残は古典落語の中に色濃く残っています。例えば、三代目金馬の「孝行糖」を聞いて、現代人が「不快感」を覚えるのは、この言葉がそのように用いられているからです。

与太郎噺をやらせたら天下一品の古今亭志ん五師匠は、噺の前振りに必ずやる「くすぐり」があります。

「えー、私が高座へ上がってまず第一にやることがあります。それは、お客様の顔を見て、さて今日の客はどんな話がふさわしいかと、こう考えるんですな。お客様の顔を見て、今日は労働者の客が多いな、と思うとマルクス・レーニン主義の話なんかをしております。で、本日のお客様の顔をこう見渡しましたところ・・・今日はそれではひとつ『馬鹿』の話をしてみたいと思います。」

ここで寄席中爆笑の渦となるわけです。そのあとは「兄ちゃん兄ちゃん、来年のお盆と正月はどっちが先に来るんだい?」のバカ一家の話から「代わりにお雛様の首が抜けます」で終わる「道具屋」に繋げていくわけです(※注。この与太郎も、噺によって程度の差こそあれ、知的障害者であることは間違いありません。ただし上記の金馬師匠の噺に比べると「笑い」の要素が強いのであまり抵抗感なく耳に入って来ます。

以上「馬鹿」という言葉についての考察でした。

kinba.jpg            shingo.jpg
      金馬                志ん五


(※注
「してその鉄砲の値は?」「ズドーン!」で下げることもある。
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2009年11月01日

湯浅誠氏の中間層論と累進課税

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「世に倦む日日」より
湯浅誠の中間層論 - 中間層の反動化と戦後社会科学の中間
http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-167.html

少し前の記事で紹介した『経済成長って何で必要なんだろう』の本の中で、湯浅誠が興味深い中間層論を示している。この議論がずっと気になっていた。対談での発言を拾うと、次のように言っている。「いま正社員も含めた中間層が、物理的に落ちてきています。年収400万から800万の世帯がどんどん減ってきている。そのことと、自己責任論が力を持つことが、ちょうどセットになって起こっている。この、体は落ちているけれど、頭は上をめざすという分離、ねじれを包みこんでいかないといけない。結局、中間層を敵に回したら、社会的な影響力を持ちようがないですから、それを解きほぐす理屈なり言い方なり呼びかけなりというものができないものかと、ずっと思っているんですけどね」(P.178)。「そこは戦略的に運んでいます。累進の話をあまり言うと、中間層を敵に回しますからね。それは結局、先ほど言った中間層の分離に関わってきます。自分自身の生活がきつくなっていけばいくほど、彼は成功者に憧れ、下には厳しくなる。『成功せねばならない。自分に投資して何とか生き残らなきゃならない』というふううに。そうやって頭と体が分かれていくので、累進課税の復帰とかを言うと、一番過剰に反応するのは中間層になってしまう。もちろん私も、累進課税強化がいいと思います。だけど、いまその話をすると、『おまえは共産党か』とレッテルを貼られる。そこには国会の勢力図だけじゃなくて、それを支持する中間層の動きがある。だから、私がいの一番に累進課税を言えないのは、戦略的な問題です」(P.191-192)。  
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以上「孫引き」になってしまって申し訳ないが、湯浅氏が言っている「そこは戦略的に運んでいます。累進の話をあまり言うと、中間層を敵に回しますからね。」というのは、なるほどそういうものかな、と思ってしまう。湯浅誠という人は、敵を作らず、ありとあらゆる人を味方に引き入れていく才能のある人だと、前から思っていた。年越し派遣村の翌日の「朝まで生テレビ」でも、本来なら殴り倒してもいいような自民党の大村元厚生副大臣の言葉を、馬鹿にもせず真剣に聞いていたのを覚えている。なかなか出来ないことだと思う。労働組合は連合から全労連、政党は民主党から共産党まで、常に同じ距離を置いて実に上手に付き合うし、組織化のプロだな、と感心したものである。一言でいえば「人格者」である。

その湯浅氏が「累進課税の復帰とかを言うと、一番過剰に反応するのは中間層になってしまう。もちろん私も、累進課税強化がいいと思います。だけど、いまその話をすると、『おまえは共産党か』とレッテルを貼られる。そこには国会の勢力図だけじゃなくて、それを支持する中間層の動きがある。だから、私がいの一番に累進課税を言えないのは、戦略的な問題です」と言うのを聞くと、誠に説得力がある。
posted by takashi at 15:30 | Comment(8) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月06日

「愛川欣也のパックインジャーナル」について

以前も何処かに書いたと思うが、CS放送の「パックインジャーナル」が好きで見ている。今日(2009.12.5)付の番組で、準レギュラーコメンテーターのジャーナリスト、田畑光永氏が、私が知る限りでは唯一「所得税」のあり方について、私の考えとまったく同じことを述べていた。環境税、たばこ税などという「小手先」の対策ではなく、本来的な課税ベースを広げる為には、累進税率を元に戻し、証券税率を適正に課すべきである、という主張をしていた。つまり日本のかつての所得税最高税率が75パーセントあったこと、証券課税が分離課税で20パーセントあったこと。それを元の税率に戻したうえで、消費税率を上げるのならば納得出来る、という趣旨であった。

それに関する私のエントリーは以下の通りである。

<「所得再配分」について>
http://takashichan.seesaa.net/article/109576584.html
<ほくそ笑む日本の金持ち達>
http://takashichan.seesaa.net/article/124826543.html
<日本に福祉社会が実現しない理由>
http://takashichan.seesaa.net/article/125132997.html
<自民党が得意な「つまみ食い」>
http://takashichan.seesaa.net/article/109783337.html
<スウェーデンの消費税と日本の消費税の違い>
http://takashichan.seesaa.net/article/131111412.html
<スウェーデンの可処分所得と日本の可処分所得の違い>
http://takashichan.seesaa.net/article/131992834.html

私の知る限りでこういうことをブラウン管(死語か?)で、はっきりと述べたコメンテーターは初めてである。私が「嫌いではない」森永卓郎という評論家がいるが、彼ですら番組を「干されたくない」のかどうか知らないが、ここまで言ったことはない。森永氏にはメールまで送って私の意志を伝えたのだが、返事は必ずする、という彼のホームページの「宣言」にも拘わらず、未だに返事は頂いていない。テレビの「受け」だけを狙っている自称「社民主義」評論家の底の浅さを見る思いがする。

<森永卓郎様>
http://takashichan.seesaa.net/article/131729705.html

それにしても田畑光永氏のコメントは、もしかして「たかしズム」を読んで言っているのではないかと思ったくらい私の主張と一致していた。残念だったのは愛川欣也氏である。田畑光永氏の言っている意味が分からないのか何なのかは知らないが、軽く流して「無視」をしたのだ。やはり愛川氏は、田畑光永氏の指摘したことの意味が分からないのだろう。直接税と間接税が相互作用しているという「常識」が彼にはなかった。これには私は深く失望してしまった。

愛川欣也氏を私は好きである。私が子供のころ日本テレビ系列で「11PM」という「大人の番組」があった。愛川氏は水曜日の番組を担当していた。もっと詳しく言うと、月曜日と金曜日が大橋巨泉氏、火曜日と木曜日が関西の劇作家の藤本義一氏であった。大橋氏と愛川氏の曜日は、北欧の社会福祉や当時の最大の事件である「ベトナム戦争」を毎回積極的に取り上げていた。はっきり言って藤本義一氏はそんな中で殆ど「居なくてもよい」存在であったというのが私の実感である。何故なら殆ど「低俗」で「下品」な「エロ」に終始していたからである。多分日本テレビが、関連会社である「読売テレビ」の顔を立てるために用意したのが火曜日と木曜日のイレブン「枠」であったのだろう。

思い出話になってしまって申し訳ない。ただあの頃に比べて愛川氏はブレていないと思う。どこかの政党から当選したにも拘わらず、すぐに辞めてしまってニュージーランドで「余生」をおくっている大橋巨泉氏に比べれば、愛川欣也氏は格段に「良い仕事」をしていると思っている。

愛川欣也さん!がんばれ!
posted by takashi at 02:22 | Comment(1) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

ブログ探訪4〜勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ

勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ
http://blog.livedoor.jp/manguhsai/

さて、久々にお贈りする「ブログ探訪」シリーズである。

フィギュア作家の東田万偶斎氏が運営されているこのブログは、謂わば勝谷誠彦に「特化」した「ネトウヨおちょくりブログ」と言える。勝谷誠彦なる自称「コラムニスト」が単なる「ネトウヨ」に過ぎない、ということは私も以前から指摘をしてきた。しかもお茶の間にまで糞尿を撒き散らす質の悪いネトウヨであるということも。

この「勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ」は、そんな勝谷の「低脳ぶり」「偽善ぶり」「ブレまくりぶり」「卑劣さ」「傲慢さ」「厚顔無恥」・・・の数々を、白日のもとに晒し、完膚なきまでに叩き潰すという、実に「爽快」なブログなのである。何よりもブログ主のレトリックが素晴らしい。誠に頭脳明晰な方なのだろう、何の引っ掛かりもなく理解できる分り易い文章、説得力のある文章は、論理的であり、勝谷の書く文章とは対極に位置すると言ってよい。

ご存知のように勝谷誠彦は、以前垂れ流していた自分のブログを、現在は「有料ブログ」として配信し「小遣い稼ぎ」をしている模様である。東田万偶斎氏はそんな勝谷の「有料ブログ」を購読しつつ、また勝谷が顔を出している「俗悪バラエティ番組」を録画しては、次々と適切なツッコミを入れておられる。

知的スポーツとしても大いに楽しめるブログだ。皆さんにも是非お薦めする。

<追記>
東田万偶斎氏より「有料ブログ」は「購読」していない、とのご指摘がございました。訂正させていただきます。

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posted by takashi at 20:30 | Comment(5) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月28日

坂の上の雲

NHKドラマ「坂の上の雲」が面白いのでついつい見てしまうが、かなり露骨な国粋ドラマである。侵略戦争を「美化」し正当化し、加害者と被害者を逆さまに描いている。西欧列強に侵略されたので仕方なく侵略した、などはネトウヨの主張そのものだ。何をどうこねくり回したところで侵略は「正当化」出来ない。資本主義が帝国主義に変容する「歴史の必然」を科学的に描くことをせず、情緒的に「民族感情」をくすぐり、見るものを何となく「いい気持ちにさせる」内容となっている。司馬遼太郎はこの作品の映像化を拒んだとされている。いたずらに「ナショナリズム」を煽ることになる、というのが理由であったようだ。今この時期にNHKがこのようなドラマを作る意図が何処にあるのか?良く考えてみる必要がありそうだ。
posted by takashi at 17:23 | Comment(145) | TrackBack(2) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アフリカだ、ジャングルだ♪

♪うーうーううーうーうーうううーアフリカだ、ジャングルだ・・・
懐かしい「少年ケニヤ」の主題歌である。
http://www.youtube.com/watch?v=CjloYd675DY
しかしこの歌詞のデタラメさはどうだ(笑)。アフリカと言えばジャングル、という間違った認識を持っている日本人は相当数に上るが、その誤解を作り上げたのは正しく「少年ケニヤ」だろう。この番組が作られた当時は、まだ熱帯雨林の砂漠化が進んでいなかったかも知れないが、現在熱帯雨林(つまりジャングル)が残っているのはマダガスカルなど、ごく一部である。現在も当時も実際のアフリカはその殆どがサバンナであり、そうでないところは砂漠である。もちろん「ケニヤ」もサバンナだ。

さて熱帯雨林の砂漠化は、地球の酸素供給量を減らす最大の原因だ。砂漠化の原因は気候要因もあるが、人為的なものもかなりある。つまり人為的な植生の破壊である。熱帯雨林を伐採して商業用作物に変換するなどだ。数年前に問題になったアメリカによる「バイオ燃料」などがその最たるものであろう。中南米やアフリカの貧しい国がアメリカにバイオ燃料を供給するために、植生を変えさせられているのだ。このように大国による搾取は地球環境にも重大な影響を与えるのだ。

そのアフリカ大陸にここのところ目覚しい進出を遂げているのが中国のIT産業である。現地に工場を作り携帯電話を安く大量に生産しているという。実はそのことによる弊害が出ている。先日行われたCOP15において温室効果ガスの排出量削減に消極的な中国に、アフリカ諸国が次々に追随したのだ。今やアメリカを抜いて世界一の排出国になった中国が、そのリーダーシップを是非正しい方向に使って欲しいものである。
posted by takashi at 21:19 | Comment(1) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月07日

ところ変われば

昔、友人と二人で大阪の食堂で「たぬきそば」を注文したら「きつねそば」が出て来て面(麺)食らったことがある。店員さんに聞いたら「私も東京者なので始めは驚きましたが、これが大阪ではたぬきそばと言うらしいんです。」などと言う。だったら最初に一言教えてくれても良さそうなのに・・・。さっきから二人で「標準語」でしゃべってたでしょ?知らない方のために説明すると、東京では「きつね」と「たぬき」の違いは、上に載っている「具」が「油揚げ」か「揚げ玉(天かす)」かの違いである。そしてそれは「そば」「うどん」両方に適用される。ところが関西では「きつね」「たぬき」の違いは「うどん」か「そば」かの違いであって、「具」はいずれも「油揚げ」である。したがって関西には「きつねそば」と「たぬきうどん」は存在しない。ちなみに揚げ玉の載ったものは「ハイカラそば」「ハイカラうどん」と呼ぶそうである。

昔、群馬県のある街のブラジルレストランでのこと。カクテルメニューからマルティーニ(マティーニ)を頼んでみた。そしたらドライマティーニとは似ても似つかない、まるで甘ったるい「イソジン」みたいなものが出てきて閉口した。どうもブラジルではこれがマティーニなのだそうだ(今ちょっと思い出したが「神谷バー」の「電気ブラン」に近いかも?)。一緒にいたヨーロッパ人の女友達も、これが普通のマティーニなのだと言う。アメリカ風のいわゆるドライマティーニは、よっぽど気取った店にしかないらしい。ブラジル料理といえば、フェジョアーダというのがあって、日本で見るあずきのような豆を、肉などと一緒に、にんにく味でコトコト煮てあって、非常に美味いものである。何故日本料理と言えば、あずきを砂糖で煮るのであろうか?私に言わせれば、これは豆の食い方で最も不味い部類に入るのではないかと思う。というのも私が単に「酒飲み」だからなのかも知らないが「煮豆」だの「あんこ」だのは、日本料理の中でも最低の代物である。日本の豆料理で芸術的とも言える最上のものは「豆腐」であろう。尤も、オリジナルは例によって中国であるが、料理として洗練させたのは紛れもなく日本人だろう。それにしてもブラジルレストランの「ステーキ」の硬いの何の!ティラノサウルスにしか食えそうもない「牛肉」であった。実際、白人と黒人の「骨格」は、顎を閉じたときにティラノサウルスのように前歯が上下で咬み合うように出来ている。それに対し我々アジア人の顎は、馬やラクダのように、奥歯を噛み合わせると「上前歯」が「下前歯」の前に重なるように出来ている。つまり「肉を噛み切る」のではなく「穀物を磨り潰す」様に顎が出来ているのである。

その昔、関西人は納豆を「食い物にあらず」という扱いだったようである。今でも年配者は食べない人が多いと言う。納豆の分布図を見ると、中京から近畿・四国にかけて見事に「納豆嫌い」なのが分かる。ところが関門海峡をを渡って九州に入るとまた「納豆好き」が、がぜん多いのだ。むかし、ある京都の料理人が書いた本を読んでいたら「納豆」のことが出ていた。しかし読んでいてどうも妙なのである。「納豆茶漬け」などと出て来るが、たとえ関東人でも、納豆で「茶漬け」はしないだろう。それでなくとも納豆嫌いの関西人が、そんなもん食うはずはないだろうと思いながら読んでいると、それは「納豆」とは異なる納豆、つまり「大徳寺納豆」であることが分かった。要するに水戸の「乾燥納豆」みたいなものである。ところ変われば、という話であった。


7722.jpg
納豆の消費量分布図
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7722.html

参考スレッド<日本人とユッケビビンバ>
http://takashichan.seesaa.net/article/117934775.html
posted by takashi at 17:28 | Comment(21) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月08日

日本人と麺類

昨日に引き続き「文化論」を少し。

昨今、欧米では日本食ブームが起こっている。殊に「寿司」「刺身」など、これまで日本人が密かに「独占」してきた食べ物が、諸外国によって「荒らされ」るのは果たして喜ぶべきことなのか?欧米では「TUNA」と称して、カツオと一緒に「十把一絡げ」にされていたマグロ(特にホンマグロ)が、世界的に資源不足になりかけているらしい。実際、欧米ではカツオからメバチからビンチョウからホンマグロまでみんな「TUNA」なのである。特にアングロサクソン人種は、基本的に魚の味の違いが分からないようだ(断っておくが民族蔑視ではない、文化の違いを言っている、念のため)。日本語ほど魚を種類分けして「一時名詞」「二次名詞」を付けている民族は地球上にない。その民族にとって重要な(関心のある)モノには細かく名前が付けられる、と言う事実は本多勝一氏が指摘している通りである。欧米人にとってマグロが「下魚」なのかと言うとそういうことではない。ただ単に「関心が無かった」と言うだけに過ぎない。要するに、これまで彼らの専らの「関心」は、大量の飼料を消費し、大量の二酸化炭素を撒き散らす「家畜」の食肉文化にあった、と言うことなのだ。その意味でも日本人の食文化(欧米化する前の)は、環境にやさしいものだったわけである。

さて「寿司」に比べると「ラーメン」は欧米では振るわないようである。これには実は理由がある。これから私が述べることはまさに「目からウロコ」であるから良く聞くように。実は「欧米人はラーメンを噛み切ることが出来ない」のである。まさかとお思いかも知れないが事実なのだ。日本人を含むアジア人がすべて獲得している「麺を噛み切る」という技を欧米人たちは知らないのだ。皆さんはラーメンをどのように噛み切っておられるだろうか?いちいち意識して食べておられる方はいないと思うが、いちど意識して噛み切ってみて欲しい。次のことが確認出来るはずだ。あなたはラーメンを上下の前歯ではなく「上の前歯と下の唇で」噛み切っているはずである。これこそがアジア人に備わっていて欧米人には備わっていない「技」なのである。こう言うと「じゃあイタリア人はどうなんだ?」と言う人がいるかも知れない。しかし良く見て欲しい。彼らは基本的にパスタをフォークで丸めて口に放り込んでいるに過ぎない。更に子供などは不器用にパスタをたぐり寄せて食べる。イタリア人にはパスタを上手く日本人のように「噛み切る」文化はない。昨日のエントリーにも書いたが、欧米人の顎は基本的にティラノサウルスなのだ。奥歯を噛み締めたときに、上下の前歯が咬み合わさるようになっている。アジア人の場合は奥歯を噛み締めると多くの場合、上前歯が下前歯の前で重なる。

さらにラーメンが欧米で受け入れられない決定的な理由がある。「欧米人は麺を啜ることが出来ない」のである。実は「熱い汁麺」が欧米で流行らない最大の理由がこれである。我々日本人(アジア人)が何の造作もなくやってのけられるこの「麺を啜る」という動作を、彼らは子供の頃から厳しく「禁止」されて育っている。熱いスープや飲み物を「音を立てずに」飲む、というこの上なくバカバカしい「教育」をされ続けた結果、彼らは麺を啜れなくなってしまっているのだ。「啜る」という行為は、熱い汁麺を食べる際に一緒に空気を取り込んで、温度を適温まで下げる、という役目を果たしている。日本人を含む我々アジア人は、この素晴らしい「技」を禁止されることもなく、成長とともに磨き上げている「人種」である。だからこそヨーロッパには無い「熱い汁麺」がアジアにだけ存在する。熱い汁麺を冷ますことなく「熱いままで」食せるのがこの「啜る」という素晴らしい「技」なのである。


もちろん以上に述べたことは「後天的」なものであったり、訓練で矯正可能なものであるから、日本で長く暮らしていたり、努力で「麺を噛み切る技」「麺を啜る技」を習得している欧米人もいっぱいいる。誤解なきよう願いたい。

posted by takashi at 10:44 | Comment(8) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本人と西洋人の衛生観念

最近あまり見かけなくなったが、昔はよく個人病院などでスリッパに履き替えて上がるところがあった。西洋人はこれに抵抗感があると言う。こういう文化の違いと言うものは本当に面白いと思う。私など外出先で洋式便器に座る方がよっぽど抵抗があるが、西洋人はお構いなしだ。かく言う私も、自宅のトイレは物心ついてからずっと洋式であるが、それには全く抵抗感はない。それなのに未だに外出先での使用には躊躇する。時には(便意を)我慢することもある。それは何故か?そういうところ(公共の場)の洋式トイレはとにかく「汚い」のである。私の中で、子供の頃に見た「汚い洋式トイレ」が、トラウマになっていたりする。デパートのトイレですら、時々便座に小便が付いていたり、ひどい時は「糞」がこびり付いていたりもする。一体どういう「使い方」をしたら便座に「小便」や「糞」が付くと言うのだ?しかし西洋人は平気で座る。そのくせ他人の履いたスリッパは汚いと言う。アホか!と思う。あと外国映画で、靴履いたままベッドに転がったりするシーンがあるが、これも私には理解し難い。ねえあんた!その靴で今日「犬の糞」や「酔っ払いのゲロ」を踏まなかったと言い切れるのかね?てなもんである。ことほど左様に西洋人と日本人の「衛生観念」はかけ離れている。他にも泡風呂に入って石鹸を流さずにタオルで拭いたり、食器を洗剤で洗った後、水で濯がないなど、日本人の常識から考えると理解に苦しむ事が多い。私など、体に石鹸をつけたまま乾かした日には、全身痒くて悶絶するであろう。

日本人は「潔癖」ではあるがルーズな面もある。例えば都市景観である。日本の都市ほど「無秩序」な都市はない。最大の原因は、第一に架空電線(電信柱)、第二に宣伝広告(看板)の類である。日本人は、自分の家の花壇は綺麗に手入れをするが、街全体を美しく保とうとする観念がない。醜い「電信柱」がたとえ「何億本」自分の街に「林立」していても「見て見ぬふり」が出来る特異な国民である。

参考スレッド
<最後の公共事業>
http://takashichan.seesaa.net/article/130056234.html
<最後の公共事業2>
http://takashichan.seesaa.net/article/131725291.html

posted by takashi at 18:51 | Comment(66) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

夢の話

皆さんは「トイレに行く夢」を見ることはないだろうか?どういう時にその夢を見るかと言うと私の場合、実際に「尿意」「便意」を催しながら眠っている時である。そんな時に見るトイレの夢がまた振るっていて、いくら探してもトイレが見つからない、やっと見つけたトイレが汚ないか、その他の理由で使用出来ない、というのが決まったパターンである。「使用出来ない」と言うことで実際の排泄に至るのを防いでいるのかも知れない(笑)。一昔前ならこんな変な夢をみる自分は「異常」なんじゃないだろうか?と思ってしまいがちだが、有難いことに世の中はインターネット時代。同じ夢を見る人が自分の他にもいると言うことが分かる。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0616/245882.htm?g=01
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/0302/121366.htm?o=0&p=2

夢といえば私の場合、同じ「街」がしょっちゅう出て来る。おそらく過去に住んだり見たりした街が原風景なのだろうが、それにしてはそのどれとも違う「不思議」な街なのである。街全体の「地図」が漠然と整っており、主要な建物、行きつけの店なども毎回ほぼ同じ場所にある。そんな街へ入って行っていろいろな経験をする、と言うのが私の夢のパターンである。さっき述べた「使えないトイレ」もそんな街にある。仮想空間「セカンドライフ」や「シムタウン」のような感じと思っていただければ分かると思う。

よく他人の夢の話は聞いていて面白くないと言う人がいるが、私には賛成できない。夢と言うものは「支離滅裂」な内容が多い。それらを聞いて「ああ、自分の夢と同じだ」「へえ、面白そうな夢だな」と言った楽しみ方があっても良い。実際、専ら夢を「研究」している心理学者が居るくらいだから、面白くないわけがない。

「胡蝶の夢」という話があるが、皆さんはよく夢を見て目覚めた瞬間、今まで見ていた夢の世界が「現実」であって、目覚めた自分が一体何処に居るのかすぐには理解できない、というようなことはないだろうか?私はよくこういう状態になることがある。歳のせいかも知れない。
posted by takashi at 00:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月15日

あなたにとって「日本の恥」とは?

「たかしズム」アンケート第二弾!!
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皆さんにとっての「日本の恥」とは一体なんでしょうか?忌憚のないご意見をお願いします。



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なお、このアンケートは無期限です。たかし
posted by takashi at 19:20 | Comment(19) | TrackBack(6) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

英語のカタカナ表記について

今回は以前から考えていたことを書いてみたいと思う。日本人が他のアジア人例えばインド人に比べて外国語習得能力において劣っているという評判は、世界でも常識になっている。特に「聞く・話す」の面で弱いと言われる。理由の一つに日本語には子音と母音の種類が少ない、ということが挙げられると思う。外国語を日本語表記した場合「レッド」と書いてそれが「RED」なのか「LED」なのか判断は出来ない。ことに日本人は「L」と「R」の使い分けが出来ないと言うのが通り相場になっている。戦時中アメリカ軍は「合言葉」に必ず日本人の発音出来ない「L」を用いたと言われている。

我々は幼い頃から「外来語」に親しんできている。新聞をはじめあらゆるメディアに「外来語」が氾濫している。しかしそれらの「外来語」を使いながら、それらの本来の発音(綴り)が意識されることはない。つまり外来語表記において「L」と「R」が区別されることはない。「S」と「TH」もそうだし「F」と「WH」「H」もそうだ。

ところがである。ひとつだけ例外があるのだ。それは「B」と「V」である。「ヴィヴァルディ」は「ビバルディ」とされることもあるが、このように本来の発音が反映した書き方がなされることもあるのだ。少なくともこのことにより我々には、元の綴りが「Vivaldi」であると言うことが認識され得る結果となる。

そこで私の提案なのだが、「L」と「R」にも同じ方法を用いてはどうか?例えば「ラリルレロ」の各文字の右上に「°」をつけた時は「L」、「゛」を付けたときは「R」だというふうに。

もしこのような使い分けが他の子音についても行なわれ、新聞や雑誌や国語の教科書、インターネットに到るまで徹底されていたとしたら、英語学習年齢(最近では小学生にまで早められたと聞くが)前にかなり日本人の「語学音痴」解消の下地が出来上がるのではないだろうか?冗談抜きで文部科科学省は検討してもらいたいものだ。

今回のエントリーは「カナダde日本語」のミニーさんのこの記事を読んで、前から考えていたことを書いてみた。
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-2041.html

>本来は、英語でVancouverなので、「ヴァンクーヴァー」と日本語で表記されるべき
>バンクーバー・オリンピック。日本語表記も徐々に変えていかないと、英語の発音との
>ギャップが大きく、天下の犬HKでさえ、ハンバーグと間違えたりするのだろう(笑)。
>それにしても、この誤字は、NHKのTwitter担当者の語学力の低さを物語っている。
>いまだに訂正されていないところを見ると、この担当者はまだ気づいていないのかもしれない。

posted by takashi at 21:02 | Comment(8) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

聖地のクリスマス・オラトリオ

NHKBSでやっていた「ベツレヘムとエルサレムのクリスマス・オラトリオ」を夜通しで見た。キリスト生誕の地であるベツレヘムではオラトリオの前半三曲が、キリスト教者の聖地エルサレムでは後半三曲が演奏された。演奏者は私の知らない第四世代の古楽演奏家達であったが、大変にすばらしい演奏だった。

演奏の途中に挿入されるエルサレムの街の映像も良かった。イスラム教徒やユダヤ教徒の日常生活が映し出され、この地にある宗教対立・民族対立の愚かさを告発しているようだった。バッハの崇高な精神は三つの宗教の壁を完全に取り払っていた。DVDレコーダーを持っていたら是非とも録画したかった、再放送が望まれる。
 
 

「クリスマス・オラトリオ BWV248」     バッハ作曲
                              
            (ソプラノ)マルティナ・ヤンコヴァー
             (アルト)ウィープケ・レームクール
                (テノール)ヨハネス・チュム
                 (バス)トーマス・バウアー
                              
                (合唱)ドレスデン室内合唱団
       (管弦楽)チューリヒ歌劇場シンティルラ管弦楽団
                (指揮)リッカルド・シャイー
                              
  〜パレスチナ自治区・ベツレヘム             
              聖フランシス礼拝堂で録画〜   
                              
  〜イスラエル・エルサレム 福音ルーテル教会ほかで録画〜 

posted by takashi at 11:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

ETV特集「戦争とラジオ」

2月28日NHKETV特集「戦争とラジオ」は、一言で言えば、自己批判の足りない番組であった。「他人ごと」どころか、自分たち(日本放送協会)がまるで軍国主義の「被害者」であったかのような描き方をしていた。日本放送協会(NHK)は明らかに「加害者」であったはずなのに、その視点が全く足りなかった。自分たちの行なった放送が「戦意高揚」という戦争協力であったこと、日本と日本国民を地獄に引きずり込む片棒を担いだという事実にもう少し「申し訳なさ」を表明しても良かったのではないか?真摯な「反省」の言葉があってもよかったのではないか?事実を淡々と伝える製作姿勢は、このような番組にはふさわしくないのではないか?インタビューを受ける当時の関係者たちは、一様に軍や政府の干渉を批判はするものの、自分自身が行なった「戦意高揚」「国策放送」については「仕方がなかった」「やむを得なかった」と言っている風に見えた。戦争も末期になるとNHKは率先して、より「戦意高揚」にふさわしい表現になるように、放送原稿の書き換えまで行なっている。この番組を見ていると、ヒロシマ・ナガサキの原爆も、南京・マニラ・シンガポールの虐殺もNHKの責任ではないかという気がして来た。一体どういう意図の番組だったのだろう。

posted by takashi at 23:35 | Comment(95) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

貴重なドキュメンタリーその1

私がお気に入りに入れているYouTube他の動画の中から、すこしずつご紹介して行きたいと思います。第一弾はNNNドキュメンタリー「兵士たちが記録した南京大虐殺」です。ドキュメンタリー番組の老舗とも言うべきこの番組は、過去に良質の作品をたくさん残しております。良く出来たドキュメンタリー作品は時間と共にその「価値」を増していくのだということが良く分かります。自民党が「憲法草案」に「徴兵制」を書き入れたとか入れないとか?戦争中には絶対戻してはいけません。若い人達、特にネトウヨの皆さん、あなた達は戦場では「使い捨ての兵隊」ですからね(笑)。誰もあなたがネトウヨだからと言って特別扱いなんぞしてはくれません。その辺のことを良く一度お考えになってみて下さい(笑)。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
 
兵士たちが記録した南京大虐殺2
 
兵士たちが記録した南京大虐殺3
 
兵士たちが記録した南京大虐殺4
 
兵士たちが記録した南京大虐殺5
 
兵士たちが記録した南京大虐殺6
 
posted by takashi at 16:42 | Comment(11) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

貴重なドキュメンタリーその2

「貴重なドキュメンタリー」第二弾はテレビ朝日の「731部隊〜封印された真実」です。我々の父親や祖父の世代が中国でどのようなことを行なったか、忘れないようにしたいものです。

Unit 731 「731部隊(1/2)〜封印された真実(8/12/2007)」
 
Unit 731 「731部隊(2/2)〜"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
 
posted by takashi at 17:02 | Comment(3) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

「ファイターエース」

「ファイターエース」というオンラインゲームがある。第二次大戦の航空戦をバーチャルに再現するコンピューターゲームである。このゲームソフトを使った画像をYouTubeなどにアップロードする人はかなりの数に昇る。それらを拾い見していると、時々「あれっ」と思う画像にお目にかかることがある。日本の隼がドイツのユンカースを「撃墜」する画像や、イギリスのタイフーンがアメリカのB-17を「撃墜」する画像がそれである。

今の日本人大学生の7割が、第二次大戦で日本がアメリカと戦ったことを「知らない」という統計が以前報道されていたが、これらの画像を見ていると「さもありなん」と思うのである。「ファイターエース」においては理論上、ドイツと日本が敵同士にも成り得るし、アメリカとイギリスについても同様である。そこで現実には無かったこれらの戦いを再現してみたい、という要求もあって可笑しくはない、とも思う。
http://www.metacafe.com/watch/225678/fighter_ace/

だが、それらの動画を見ていると決してそういう「レベル」の問題ではないと言うことが分かる。こいつらは本当に近代史を「知らない」のだ。しかもそういう「常識知らず」が、日本だけではなく、イギリスにもドイツにも居るらしい。こんなことを「嘆かわしい」と感じるのは私だけだろうか?ゲーム制作会社に是非ともお願いしたい。せめて日本機とドイツ機同士、アメリカ機とイギリス機とソ連機同士が互いに「撃墜」出来ないように「ロック」を掛けてはもらえないものだろうか?
posted by takashi at 14:49 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジンギスカンについて

北海道生まれで北海道育ちの私が、子供の頃から一番慣れ親しんだ肉は「羊」である。今でも一番好きだ。数年前に「ジンギスカンブーム」が起きたことがある。「起きたことがある」と書くのは、もうブームが去ったと思っているからであるが・・・。当時、これまで「羊肉」に見向きもしなかった連中が、食べ歩き番組などで「生ラムは羊特有の臭みも無いし、サイコーに美味しい」などとほざいているのを見るにつけ、私は /(ーー;)ダミダコリャ・・・とつぶやいていた。
 
「羊特有」の「臭み」・・・だと?(▼▼Xじゃかーしぃーわい !と言いたくなるのだ。そして
「臭み」ではない「香り」なのよ、分かってくれよ頼むから L(ーー;)」と心の中で嘆く。

お分かりと思うが「臭みが無い」などの表現は「言語道断」なのである。

幼少期の食習慣とは一生ついてまわる物だと、つくづく思う。昭和30年代の北海道では、羊肉が断然一番安かった。次に安いのが多分鶏肉で、鶏肉と殆ど同じくらい安かったのが豚肉。さらに学校給食では極めつけの「安物」としての「鯨肉」が加わる。牛肉は「別格」で、とんでもなく高級品だった。北海道では乳牛の「廃棄牛」がたくさん出るだろうに、それでも高かった。そんなわけで牛肉は殆ど食べた記憶がないので、今でも食べたいとは全然思わない。これは家庭の経済事情がそのようであったからで、早い話が貧乏によって作られた「嗜好」なのだと思う。当時でも東京から転勤してきた裕福な同級生などは、良くは知らないが牛肉を普通に食っていたはずである。

ここで誤解のないように言うと、羊肉についても、あくまでも「ジンギスカン」が好きなのであって例えば「ラム肉のブルゴーニュ風煮込みのライムとクレソン添え」などと言うものがもしあったとしても、あえて食べたいとは思わない(食えないわけではないだろうが)。もっと言うとジンギスカンでも、たれに漬け込んで真茶色に「変色」したビニール袋に入ったしょっぱいジンギスカンは大嫌いだ(これで北海道のどの辺の出身なのかが分かる)。オーソドックスな、ラムのロール肉を薄切りにしたもの、それにあるメーカーの「たれ」を付けて食べる。これが最高なのだ。一緒に焼く野菜はまず第一に玉ねぎ、その他はあってもなくても構わない。

このように「地方出身」で首都圏に住んでいる人で、故郷の味に変わらぬ「郷愁」をいだいている人は多いと思う。道産子の私にとってそれはジンギスカンであり、カスベの煮付けであり、じゃがいもであり、トウモロコシだ。蟹でもなければイクラでもウニでも無い。そんなものは年に数えるほどしか食えないのだから。
posted by takashi at 16:58 | Comment(8) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月18日

「悪文」について

「悪文」の弊害について書こうと思う。

まず私の「悪文」の定義を申し上げる。「悪文」とは「一読して意味の分からない文章」である。この定義から言うとほとんどの法律条文なども「悪文」と言うことになりそうである。

「悪文」とは「罪深い」ものである。それは何故か?読むものに「劣等感」を抱かせるからである。つまり、「悪文」を読んだほとんどの人は「この文章が理解出来ないのは自分のせい、自分の頭が悪いからだ」と思ってしまうからだ。このような「悪文被害者」は、今すぐ意識を変えてもらいたい。頭が悪いのはあなたではない「悪文」を書いた側である、と。このような「自責の念」を抱かせる「悪文」とは実に罪深いものなのだ。

「文章」とは、いちど読んで「理解」出来るものでなくてはならない。一度読んで理解できない文章は、文章そのものに欠陥がある。それがもし「翻訳文」であれば「誤訳」の疑いが極めて高い。(誤訳というものは)ほとんどの場合、日本語としての文法上の誤りがあるものだ。主部と述部のねじれ、修飾法の間違いなどである。「センテンスが長い」というのも、よくある「悪文」のパターンだ。例えば文庫本で1ページに「。」(句読点)が一個しかない、などいうのがそれに当たる(小説家の吉田健一)。語彙の選択の稚拙さ、というのもある。これらが相乗的に影響しあっているのが、世の中にはびこる「悪文」の実態である。もちろん文法上だけではなく、その文章の「論旨」そのものが間違っている場合もあるが、それは「悪文」の「要素」ではない。だから「しょうもない右翼思想」を「良文」で書いたものもありうるのだ。

「悪文」を読んではいけない。と同時に「悪文」を書いてはいけない。ここでひとつ「悪文」を書かないためにはどうしたら良いかズバリお教えしよう。本多勝一著の「日本語の作文技術」「続日本語の作文技術」を読むことである。読んで、書かれていることを「実践」することである。ただそれだけであなたは、明日から「悪文」を書かなくて済むことになるであろう。

さて、では私が出会った「悪文家」を何人か挙げてみる。程度の差はもちろんあるが、羅列すると山本七平、吉田健一、大江健三郎、川端康成、村上龍などなど。「悪文家」は「自称左翼」にも結構いる。いいだもも、小田実、黒田清などである(もちろん行なっている仕事とは「別物」)。

ここで極論させてもらうが、小説家は「悪文家」であっても一向にかまわないと思う。「悪文」が個性・特徴・持ち味、もっと言えば「ステータス」ですらあっても良い。それで別に弊害はない。小説とは言ってみれば「自閉症的」なものである。他人に理解させるために書かれていなくても良いのだ。読むか読まないかは読み手に任されている。「悪文」であってならないのは、ドキュメンタリー、ルポルタージュ、評論、批評、論文、報道文の類だ。これらが「悪文」であることの弊害は、小説の比ではない。

最後に「良文家」のご紹介。本多勝一、梅棹忠夫、浅見定雄。「一読して即座に理解出来る」文章がこれらの人たちの文章である。<当エントリーに追記あり→>
posted by takashi at 11:08 | Comment(13) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

盗作問題について

上海万博のテーマソングが「盗作」であるとして「使用禁止」になった。確かに2コーラス目のハーモニーを除けばほとんど同じ曲のようである。これが「盗作」であることは間違いないであろう。しかし、音楽作品の「盗作」を決めるのは難しい。古今東西「盗作」を疑われた曲は無数に存在するが、そもそも「盗作」と「断定」するための「基準」が存在しない。

絵画について言うと、もともと「模写」という「習慣」があって、それはそれで「作品」と認められる場合すらある。例えば著名な画家が著名な画家の作品を「模写」した場合、その「模写」にも一定の「価値」がある。また作品そのものではなく「構図」「テーマ」などを「拝借」することが、絵画では日常的に行われている。

音楽に話を戻そう。一般に「よく似た曲」は次の三つの場合があると考えられる。

@意識した盗作
A無意識の盗作
B偶然似たもの(たぶん盗作ではない)

問題は@とAである。本人には「盗作」という意識のない「盗作」がありうるのだ。早い話どこかで聞いたメロディが、頭のどこかに残っていて、それが口をついて出ただけなのに、あたかもそれが自分の「霊感の泉」から湧いてでた、と錯覚してしまう場合である。「凡庸」な作曲家の場合、よくありうることである。「無意識の犯行」であるから「確信犯」に比べて罪は軽いと思うが「盗作」は民事案件であるため、そのような「情状酌量」はない。

作曲という行為を良く考えてもらいたい。作曲家は「無」から「有」を生み出す仕事である。偉大な作曲家ほど「無」から作り出した「有」をたくさん持っている。しかし。バッハにしてもモーツァルトにしても「無」からばかり作曲をしていない。過去の自作を「剽窃」したり、以前用いたパッセージを「再利用」したりもしている。また、時代背景も関係しているのだが、当時は今日と違って「盗作」が「犯罪」ではなかった。バッハはヴィヴァルディの曲を改作しているし、ヘンデルはテレマンの曲を改作している。ともあれバッハの場合、楽譜に「ヴィヴァルディ氏の作品に拠る」旨の断り書きがあるので「盗作」とは呼べないだろう。絵画における「模写」に近いかも知れない。

A無意識の盗作の例
「早春賦」と「知床旅情」
「鉄腕アトム」と「シューベルトのピアノソナタ 第21番 変ロ長調」
「雪の降る街を」とショパン「幻想曲へ短調」
「ライムライト」と「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番」

B偶然似たもの(たぶん盗作ではない)の例
「いそしぎ」と「五木の子守唄」
「you'd be so nice to come home to」と「ツィゴイネルワイゼン」

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2010年04月20日

麺類分類学

さてここのところ何かと「分類」が話題になっております(笑)ので、今日は「麺類」の分類について取り上げてみたいと思います。まず「麺」と「麺類」を「大辞林」で引いてみました。

【大辞林】
めん 【▼麺/▼麪】
そば・うどん・そうめん・ラーメンなどの総称。麺類。
めんるい 【▼麺類】
小麦粉・そば粉などをこね、細長く切った食品の総称。うどん・そば・スパゲッティなど。

日本語では形状において「長く切ったもの」を基準にしています。原材料は「小麦粉・そば粉など」となっており、べつに米粉でも良いということになります。それに対し中国で「麺」と言った場合、原材料は「小麦粉」に限られます。「形状」は問いません。ですから中国では餃子もワンタンも「麺」に入ります。しかしビーフンは「麺」ではありません。原料が「米」だからです。ですから渋谷にある「麗卿」という台湾料理店の「菜単」ではビーフンは「ご飯物」の中に入っています。この分類法はイタリアとほぼ同じです。中国語の「麺」とイタリア語の「パスタ」は、ほぼ一対一で対応します。では「日本の麺類」と「中国・イタリアの麺・パスタ」の関係を図にしてみます。
menruibunrui.BMP


<当エントリーに追記あり→>
posted by takashi at 17:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月22日

2010年05月12日

「新語」について

遅い朝食を「ブランチ」と言うそうだ。和製英語ではない、れっきとした英語である。ただしカタカナで書かれても発音が分からない。英語の綴りは「brunch」と書く。以前もエントリーで書いたが、日本語表記では「L」と「R」の発音の区別が無いので、綴りを憶測することが出来ない。日本語でも「L」と「R」で始まる文字を使い分ける必要があると思うが如何であろうか?本多勝一ファンの方々は反対なさるだろうが。

「新語」が造られ易い言語は「活性」がある。「概念」が次々と広がるからだ。「名詞」に関してはどの言語も大差ない。差が出てくるのは「動詞」の新語である。ドイツ語は「新動詞」がどんどん作られる言葉である。理由は、二つの単語をくっつけて「概念」を作るからだ。有名な?「aufheben 」(アウフヘーベン)のように。日本語も「新動詞」が作られ易い。「〇〇する」という形で無限に作られ得る。それ以外にも「ダベる」「カモる」「パクる」「ラリる」などいくらでも作れるし、最近では「ググる」などというのもある。

英語はそうでもないようだ。サンドウィッチから「挟む」という意味の「to sand」が出来るまでにかなりの時間を要したはずだ。何故ならサンドウィッチというハムを挟んだパンの存在がまず世に知られなくてはならなかったであろうし、更にその料理がサンドウィッチ伯爵というトランプ好きの人物に由来するということが、一般化しなくてはこの動詞は作られようがなかったからだ。現在でこそ「to Google」が「Googleで検索する」という動詞になるのにそう時間はかからないが、18世紀には気の遠くなる時間を要したに違いない。

日本語では比較的形容詞が作られにくい。「い」で終わるという規則があるからだ。しかし「ダサい」「マブい」に見られる新語は数多く見られる。その代わり「連体詞」と呼ばれる品詞はほとんど無限に作ることが可能だ。「シャイな」「ブルーな」「ファンキーな」というふうに「な」を付けるといくらでも製造可能である。さらに「漢語」と組み合わせることにより多種多様な造語が可能だ。

日本語には「連用詞」と呼ばれる副詞の一種があるが、これは「とぼとぼと」「スタスタと」「ちゃっかりと」のように「と」で終わる。同音反復名詞のあとに「と」を付けて作られることが多い言葉である。

以上見てきたように日本語とはかなり「活性」のある言語である。漢語や外来語をこれほど上手く取り入れてきた言語はないのではないかと思う。中国語では例えば西洋の言葉は必ず「漢字」に変換して用いる。その当て嵌め方は「発音」である場合と「概念」である場合の二つの場合があるようだ。例えばコカコーラ 「可口可楽」は発音を当て嵌めたものであるが、ホットドッグ「熱狗」は「熱い狗(いぬ)」という「概念」を当て嵌めたものである。ビートルズは「甲虫合唱団」と言うらしいが、何とも興冷めするような呼び名ではないか?

参考スレッド
<英語のカタカナ表記について>
http://takashichan.seesaa.net/article/141828268.html
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差別語について

その昔、高橋竹山の演奏会を聴いたことがある。確か北区王子の公会堂だったと思う。竹山の演奏会の楽しみは、三味線や尺八の演奏の他に「しゃべり」がある。若い修業時代の、それこそ「悲惨」この上ない経験を、あの独特の口調で実にあっけらかんと、面白おかしく語るのである。若く名もない頃の竹山は、至る所で差別を受けた。そんな竹山が、門付けをする度に自分が受けた差別の経験や、その逆に自分に良くしてくれた人々の話をするとき、実に大らかで温かい表情をしていたものだ。彼は多くの弟子を育てて世を去ったが、あの素晴らしい芸は若い人達が受け継いでもらいたいものだと切に思う。

その竹山が自分を指して「めくら」と呼ぶのは自然である。おそらく自分に対して投げつけられてきたその言葉は、もはや彼にとってアイデンティティそのものでもあったのではないだろうか?それほど昔はごく普通に用いられていた言葉であった。本来この「めくら」という言葉は「悪罵」「蔑み」として投げつけられる他に「おめくらさん」のように「同情」を込めた使われ方もされていたに違いないのだ。

しかしいつの頃からか「放送コード」なるものが出来て、少なくともNHKの放送番組中では使っていけない言葉となってしまった。そして「盲人」「目の不自由な人」「視覚障害者」といった雑多な呼ばれ方が苦し紛れのように新たに「考案」され現在に至っている。これは「めくら」という言葉が「悪罵」「蔑み」に用いられる機会が多かった、という事実に依るものであって、実際には「目が見えない人」を意味することでは他の呼び名と変わることがない。使われようが悪ければ「忌み言葉」となるというのも、なるほどありうるかなとも思うが、この伝で行くと、あの侵略戦争に利用された「日の丸」は、禁止すべきだと私などは思うが如何なものだろうか?

一八世紀フランスの作曲家ジャン・フィリップ・ラモーに「優雅なインド」というオペラバレーがあり、その中の一曲に「土人Les Sauvages」という舞曲がある。この「土人」とはアメリカ先住民のことを指すらしい。ラモーは当時アメリカ先住民の音楽など聴いたことは無かったはずだが、実に「インディアン」を彷彿とさせる雰囲気を持った秀逸な作品である。この曲の題名は、CDライナーノートのような印刷メディアでは多く「土人」となっている。ところがこの曲がいったんNHKFMに掛かるとどうなるか?「未開人」「野蛮人」と読み替えられてしまうのだ(笑)。「野蛮人」と呼ばれるのも「未開人」と呼ばれるのも「土人」にとっては同じように「屈辱」だと思うが(笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=3zegtH-acXE

ラモーには他にもクラヴサン小品で「跛」(びっこ)というのがある。この作品は「描写音楽」としても全く秀逸なものであるが、これもNHKFMでは「足の不自由な人」と読み替えられていて笑ったことがある。
http://www.youtube.com/watch?v=6OySK0_0INc

そのNHKで不思議なことが時々起こる事がある。「ピー」と電子信号音が入るのだ。おそらくNHKが「座頭市」シリーズ作品を放映しないのはここに理由があると思われる。「めくら」「どめくら」という言葉が出る度に「ピー」という電子音が入ったのではたまらない。「あっしはただのピーでございます。」「だまれ!このどピー!切って捨てるから覚悟しろ!」などと「座頭市」がただのギャグ映画になってしまうからだ。その点民放はまだいい加減で「この作品中には相応しくない表現がありますが、作者の意図を尊重してそのまま放映致します・・・」とか何とか「前置き」をして、何のことはない「差別語」をそのまま流したりしている(笑)。

ことほど左様に「差別語」を取り巻く現状は複雑であるが、私は要は「相手が傷つくような用い方はしない」ということではないかと考えている。「シナ」と呼ばれて中国人が傷つくのならば使わない、ただそれだけのことだ。ああ言えばこう言うで「うちの近所では昔から支那そばと言っている」とか「東シナ海と言うじゃないか?」・・・などという輩(=ネトウヨ)がよくいるが、そんなのはただの「屁理屈」に過ぎない。

参考スレッド
<「馬鹿」という言葉>
http://takashichan.seesaa.net/article/128631992.html

posted by takashi at 16:03 | Comment(19) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月14日

方言における「品詞」の交錯ついて

若者言葉で「チョー」なるものがある。漢字で書くと「超」。その昔「ウルトラ」と言う外来語に充てられた訳語である。元来これは名詞の前に付けられる「接頭語」であった。「超特急」「超新星」「超過激」などのように。しかし近年若者たちに使われるようになった「超」は「品詞」が完全に転換してしまっている。「チョー早い」「チョー美味い」「チョーダサい」のように「形容詞」を修飾する「副詞」に転換してしまっているのだ。中には「チョー走った」(ものすごく走った)のように動詞を修飾する場合すらあるようだ。

実はこのような「品詞」の「交錯」は、以前からあったことである。歌手の淡谷のり子氏のセリフで一躍有名になったのに「大したたまげた!」というのがある。標準語では「大した」は「大した人だ」のように名詞を修飾する「連体詞」であるが、北海道地方や、淡谷のり子氏の育った東北地方ではこのように「副詞」として用いられることが一般的である。

「楽しげ」「悲しげ」「面白げ」「満足げ」のように形容詞または連体詞の後に「接尾語」で付く「げ(気)」という言葉がある。群馬県地方ではこれが「動詞」にダイレクトに付けられる。「やってるげ」「〜してるげ」というふうに用いられる。

「どえりゃー恥ずかしい」のどえりゃーは「偉い」の名古屋言葉である。標準語では普通「偉く恥ずかしい」のように連用形にして用いられるが、愛知県では「偉い恥ずかしい」のように連体形のまま使われる。もっともこのような用法は、全国的にも普通に用いられるようになってきているかも知れない。

こういう言葉の使われ方の地域差の考察というのは面白いものである。読者の皆さんも「お国言葉」(特に品詞の「交錯」の例)があったら是非ご紹介願いたい。
posted by takashi at 15:37 | Comment(3) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月31日

噺家の「襲名」

林家こぶ平が、どうして「林家正蔵」という大看板を襲名出来たのか、私は未だに不思議に思っている。くだらないレポーターの仕事ばかりやっていて、落語はまるで下手くそ。にもかかわらず親の七光りのせいで、常に周りにちやほやされ続けてきた男である。襲名してからいくら「勉強」を始めたところでまともな芸などモノには出来っこない。なにしろ昔から「アドリブ感覚」がゼロ!「当意即妙」な受け答えが全く出来ない噺家だった。もう二十年以上前のこと、池袋演芸場で私が目撃した場面。こぶ平が高座に上がっているとき、観客の子供が照明のスイッチ落としてしまったことがある。会場内はとたんに真っ暗。こんな時、普通の噺家なら、ちょっとは気の利いたギャグでも飛ばして笑わせるところである。例えばこの私でも「お客さん、懐の財布に気を付けて」とか「席亭が電気代を滞納しておりまして・・・」くらいの、笑わすタメ口をいくらでも思い付くのだが、こぶ平はただただオドオドするばかり。これがあのアドリブの天才・三平の息子かと思うと情けなく思ったものだ。

「実力」も「品格」もない噺家が大看板を襲名し、その結果「看板」を地に落とす例は枚挙にいとまがない。最近では「林家正蔵」や「桂文楽」などがその典型であろう。それとは反対に実力・品格、さらに「血筋」から見ても「大看板」を継ぐにふさわしい天才噺家が、それを継がずに静かに世を去った例もある。その意味で、志ん朝師はまさに「孤高」の存在として語り継がれるに違いない。

shinchou.jpg



さて「大看板」を継ぐに値しない連中が、醜い争いをしているらしい。
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「三遊亭円生」襲名巡りドロ沼争い2010年5月27日(アサヒ・コム)
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201005270049.html


 落語界の大名跡「三遊亭円生」襲名を巡り、6代目円生の直弟子三遊亭円窓(69)が新たに名乗りを上げた。同名跡の襲名には円生の一番弟子の5代目三遊亭円楽(09年死去)が自らの一番弟子三遊亭鳳楽(63)を7代目円生に指名する一方、円生の直弟子三遊亭円丈(65)が反対を表明していた。

 先代円楽の弟弟子円窓は、5月17日の落語協会理事会で「遺族から襲名を要請された」と襲名の意欲を明かした。関係者によると、4月6日に6代目円生の長男耀一郎氏と円生直門の円窓、円丈らが話し合い、そこで耀一郎氏が円窓に襲名許可を与えたという。
 耀一郎氏署名の「7代目三遊亭円生の襲名確認書」なる文書が円丈、鳳楽にも届いたが、その日付は「5月7日」と話し合いから1カ月後で、しかも届いたのは先週末という。さらに円丈は「私は賛成していない。もっとフェアな形で選ばないといけない」と批判した。円生の長女や孫は円窓襲名に反対の意向など遺族の間でも異論がある。
 円窓はもとは春風亭柳枝門下で、途中から円生一門に移った経緯がある。円窓参入に円丈は「私は棄権します」と撤退の意向。鳳楽は「恥ずかしいね。泥沼はいけない。1度、直弟子から孫弟子まで円生一門と遺族が集まって話し合わないと前に進まない」と話した。落語協会も静観の構えで、襲名問題は混沌(こんとん)としてきた。
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あまりコメントする気もないが、圓生の長男は噺家ではないはずだ。なのに何故、決定権があるのだろう?圓丈も鳳楽も、そこそこの噺家である。円丈は新作落語家の中では抜群に面白い。圓窓はかつて「笑点」のスターだった人である。その昔、弟子の一人が圓窓の人間性について辛辣な告発をしている本を読んだことがある。しかし、芸としてはまずまずのものを持った噺家だと思う。しかしこれら三人の何れもが「圓生」を継ぐ実力・品格を持っているとは私には到底思えない。この際「圓生」の看板は「永久欠板」にすべきであろう。
posted by takashi at 12:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

捨てたもんじゃないNHKという放送局

安倍政権の時、不祥事を起こしたNHKに、私はずいぶんと腹を立てたものだが、昨日(2010年6月20日)の夜、立て続けに良いドキュメンタリー番組をやっていた。こういう質の高いドキュメンタリーを見てしまうと、NHKも捨てたもんじゃない、とつい思ってしまう。以下紹介文は一部「Yahooテレビ」より借用した。

1.BS特集「現場報告 アメリカ海兵隊〜変わる沖縄駐留の意味〜」

普天間基地の「アメリカ海兵隊」の内部を始めて取材したもの。基地内にある海兵隊員の快適な住居などが紹介された。「思いやり予算」で作られた、ホテルのスイートルームのような部屋は、見ていて腹が立ってきた。普天間基地の海兵隊の訓練は、すべてアフガニスタン仕様であった。アラブ人に扮した兵隊を相手にテロ制圧の実戦訓練。「日本を守る」ために「北朝鮮」を「仮想敵」に見立てて訓練しているのかと思いきや、さにあらず。海兵隊の心はアフガニスタンにあり、である。こんなもんが「抑止力」なんぞになるわけはないのがよく分かった。それと不思議だったのは、日本の自衛隊とアメリカ海兵隊がカリフォルニアで行なった「合同訓練」。「専守防衛」のはずの自衛隊が、何故か「揚陸訓練」を行なっているのだ。これってどういうわけ?

2.NHKスペシャル プロジェクトJAPAN シリーズ 日本と朝鮮半島 第3回

日中戦争から太平洋戦争の時代、朝鮮総督府は多くの人々を戦争に動員した。朝鮮人志願兵、女子勤労挺身隊の生存者や特攻隊員の遺族を追跡。皇民化政策の実態に迫る。 韓国併合から100年。日本と朝鮮半島の関係史に迫るシリーズ第3回。日中戦争から太平洋戦争の時代、朝鮮総督府は「皇民化政策」を推進し、朝鮮半島の人々を戦争に動員していった。番組では、志願兵、女子勤労挺身(ていしん)隊として動員された生存者、そして特攻隊員の遺族を追跡。“志願”という形を求めた戦時動員が、どのような被害をもたらしたのか。最新の資料と証言をもとに、皇民化政策の実態に迫っていく。 すばらしい内容であった。

3.ETV特集「中国残留孤児 夫たちの歳月」

69年ぶりに永住帰国した中国残留孤児の宮沢照子さん。傍らには中国人の夫・趙国才さんの姿があった。どんな決意で異国・日本に同行したのか?残留孤児の夫を見つめる。2009年夏「長野県泰阜村・満蒙開拓団」の最後の1人、宮沢照子さん(74歳)は、中国人の夫・趙国才さん(74歳)と永住帰国を果たした。趙国才さんにとっては、年老いて、異国(妻の祖国)である日本へ移住することになる。そこには、どんな決意があったのか? 激動の現代史を生き、日本で暮らすことを選んだ残留孤児の夫。中国人である誇りと妻への思いのはざまで、新しい道を選んだ夫たちの日々を見つめる。感銘深いドキュメンタリーであった。
posted by takashi at 14:06 | Comment(4) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

ブログ探訪5〜和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」

和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」
http://ameblo.jp/wadahideki/

予備校教師のブログである。プロフィールを見ると、ただの人ではないらしい。映画まで制作している「大物」だそうだ。ひとつ言えるのは、この人が紛うことなき「支配層」に属する人物である、ということだ。和田氏がブログに書いていることは「テレビで言えないホントの話」だそうな。私がこれまで何度も紹介してきたこと、つまりテレビ界で「活躍する」評論家、御用学者、ジャーナリスト(特にフリーのジャーナリスト)が、絶対言ってはならないこと(番組を干されるため)の数々が、このブログではある程度本音で語られているのが面白い。
 
■貧富の差を小さくするとか、社会正義ということなら、累進課税の復活のほうがいいのだろうが、私は相続税を100%にして、ほかの税金を上げないで済むようにしろというのは、このように金持ちが金を稼ぐ幸せを感じてもらえるという大きな意義があるのだ。
■マスコミも金持ちにこびるというより、貧乏人なんてどうせ這い上がれない(テレビや大新聞の人は総じて金持ちで、高学歴であるか大金持ちの息子である)と思って、それなら貧乏のほうが幸せと洗脳したほうが世のためになると思ってやっているのかもしれない。
■成田に行く途中、日本のラジオを聞いていたら、自民党の偉いさんが民主党のばらまき政策を批判していた。仕事をしないのにお金がもらえるのは経済の原則に反するそうだ。ヨーロッパは分厚い失業手当や生活保護が当たり前なのだが、ヨーロッパはほとんど経済の原則に反することになる。
■ヨーロッパだとあまりにひどい従業員いじめをすると、経営者がテロや誘拐に狙われる。しかし、日本では、テロ的なことをやる人が工場で暴走したり、経営者でなく、従業員に矛先が向かうようだ。
■アメリカは国が助けない代わりに、寄付額は世界一。日本は貧困による自殺率が世界一。そして、日本では寄付をしない金持ちが断罪されるどころか、寄付税制がないせいになっている。アメリカの金持ちが寄付税制で得られるメリットよりはるかに多額の寄付をしているのも報じられず、寄付をしない金持ちがバカにされることも報じられず、寄付をしない金持ちが日本ではセレブとあがめられる。ヨーロッパでは当たり前の児童手当が、たった26000円配るだけで、無駄の権化のように断罪される。
■不愉快かもしれないが、税金で貧しい人を助けるのは先進国に残りたい祭の条件なのである。それが嫌なら、先進国から「いちぬけた」をすればいい。シンガポールは野蛮国といわれても、自国の治安を守るために、むち打ち刑を残している。先進国をやめれば、貧乏人を放置しても、貧富の差がいかに大きくても、マスコミが金持ちのための意見を流し続けても、北朝鮮のように周囲からバカにされるだけで、それ以外の実害はない。金持ちの皆さん、「もうそろそろ先進国をやめましょう」とおっしゃったらいかがですか?途上国では、奴隷さえ残っている国もあるのだから、あなたがたの本望でしょう。
■ついでにいうと、法人税の実効税率というのがくせものだ。確かにヨーロッパの法人税は安く、アメリカでは高い(といっても日本並だが)が、これはヨーロッパの会社の社会保険料負担が高いという事実が無視されている。実効税率という点では、こういう社会保障料負担も考えると、ヨーロッパの法人税率が本当に安いと言えるかが疑問だ。
■共産党が非合法だったアメリカを除くと、ヨーロッパ諸国では、共産党は面白い使われ方をし続けてきた。要するに、共産党に票を入れることで、政権や企業に圧力をかけるのだ。格差が大きくなったり、貧困が問題になったりすると、共産党が票を伸ばす。実際に共産党が、連立とはいえ政権与党についた国などいくつもある(イタリアやフランスでさえそうだ)。共産党でなくても、ヨーロッパの場合、左派政権が樹立すると平気で企業を国営化したり、企業の資産を接収する。ヨーロッパの企業経営者たちは、株主も怖いが、このような形で国民も共産党も怖いのである。株主があまりに横暴なことを言うと、「これ以上、労働者を搾取すると共産党が票を伸ばす。そうなるとあなたたちの持ち株が神クスになるかもしれませんよ」と脅すことができる。もちろん、政権与党もあまりに大企業よりの施策を行うと共産党が伸びることを心配する。しかるに日本では、北朝鮮問題で洗脳された日本の低所得者層は、共産党が政権を取ってさえ、自分が損をすることはないのに、決して共産党に入れようとしない。むしろ貧しい人たちのほうが右翼化しているくらいだ。何回も政権につくたびに与党のいいなりになる社民党を財界はまったく恐れてはいない。

とまあ、こんな具合の「徒然記」が綿々とつづられている。
posted by takashi at 17:25 | Comment(4) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

面白い質問

以前きっこのブログでに「教えて Goo」の面白い質問が載っていた。今回私もこんな質問と回答を見つけたのでご紹介する。

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<質問>
口蹄疫はユンケル黄帝液とどう関係あるのですか
困り度: すぐに回答が欲しいです 口蹄疫はユンケル黄帝液とどう関係あるのですか
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回答者:Yeshayahu
この質問は、民主党のアホが言った事からきているのですか?
民主党の四日市市議が言ったのは、
「こうていえきと言えばおじさん世代はユンケル黄帝液を思い浮かべる。」
こんな奴の事は無視するのが一番です。
なので、一切関係ない。
と言うより民主党は低俗のあつまりと言っている同じ。
まず、口蹄疫は、牛、豚の偶数の蹄を持つ動物がかかる病気。
口と蹄(ひづめ)に水泡が出来る疫病なので口蹄疫という。
ユンケル黄帝液のユンケルは、ドイツ語の貴公子。
黄帝は紀元前2500頃の中国の五帝の一人。
且つ中国医療の始祖といわれるひと。
この回答は参考になった参考になった:1件
回答日時:2010/05/21 14:02回答番号:No.3
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この回答へのお礼:ご回答ありがとうございました。
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回答者:Sato_imo
 まったく関係ありません。
発音が同じだけです。
この回答は参考になった参考になった:0件
回答日時:2010/05/20 21:12回答番号:No.2
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この回答へのお礼:ご回答ありがとうございました。
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回答者:debukuro
口蹄疫に罹患した偶蹄類の血液を精製したのです
この回答は参考になった参考になった:1件
回答日時:2010/05/20 19:43回答番号:No.1
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この回答へのお礼:ご回答ありがとうございます。
口蹄疫にかかった動物の血液が、人間の健康に良いのでしょうか。
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posted by takashi at 21:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月28日

疑惑のゴール

44年前と違い、ゴールラインに定点カメラが備え付けられていて、しっかり画像をとらえていた。南アフリカワールドカップのイングランド対ドイツ戦。画像を見る限り、イングランドのゴールは完全にゴールラインを割っていた。これをゴールと認めなかった審判の「審判としての将来」はあるのだろうか?というのが私の率直な感想である。それにしてもイングランドチームの誰もが審判に異議を唱えなかった。もし日本チームだったら「不満タラタラ」の抗議に及んだだろう。その抗議に対してレッドカード、というのが「オチ」かもしれない。イギリス人のスポーツに対する潔さを見るような場面であった。先の戦争で、イギリス軍は「泰緬鉄道」の建設や「バターン死の行進」で、同じような我慢を強いられた。イギリス魂を見る思いがする。

<追記>
もしこの試合が2対1で終わっていたとしたら、絶対に問題になっていたに違いない。しかし、幸か不幸か結果は4対1であった。しかし、もしあの「疑惑のゴール」が「ゴール」との判定であったならば、イングランドの「士気」が違ってきたことは間違いないであろうし、試合の結果も変わっていたかもしれない・・・というような見解も確かに成り立ちうる。これは如何ともしがたい「もしもあの時」という「永遠の謎」である。しかし、ただ一つ言えることは、審判の「誤審」が事実であるということだ。妙な例を挙げるかもしれないが、被害者が主張することが極めて難しい「医療過誤」と違い「映像」という証拠が未来永劫残るのだ。サッカーの審判というのも恐ろしい仕事だと思う。

posted by takashi at 00:05 | Comment(4) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」という団体

ヒューマン・ライツ・ウォッチ -  Human Rights Watch
http://www.hrw.org/ja
ヒューマンライツウォッチ 土井香苗のブログ
http://hrw.asablo.jp/blog/

パレスチナ、チベット、クルド人、セネガルの貧困、天安門事件・・・ヒューマン・ライツ・ウォッチのウェブサイトに並ぶ「人権問題」の数々だ。これらも大変結構であるが、この国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」には、もう少し身近な「人権問題」を取り上げて貰いたいものだ。ホームレス、派遣、非正規雇用、死刑、冤罪などの「国内の人権問題」それに我が国の「三大人権問題」であるところの「アイヌ民族」「在日朝鮮人」「被差別部落」の切実な諸問題にも、このヒューマン・ライツ・ウォッチには是非、声を上げて頂きたいものである。「在特会」や「高校無償化からの朝鮮学校排除」のような問題にも口をつぐまないで欲しい。特に後者は国連の人権委員会で非難決議まで出ているというのにだ。これは一体どういうわけであろうか?今現在、日本に厳然と存在するこれらの民族への「差別」が、この「国際人権NGO」は、全く目に入らないのか?実はこれには理由がある。

以前私は、国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の活動が「金持ちの道楽に経済的基盤を置いたもの」であることを書いた。そして彼らの「資金集め」パーティーにも多少の疑問を投げかけた。

<NHK「地球ドキュメント MISSION」>
http://takashichan.seesaa.net/article/148712850.html

「アイヌ民族」「在日朝鮮人」「被差別部落」の救済活動を、もしヒューマン・ライツ・ウォッチが行なっていたとしたら、果たして「ディナーショー」であのように、金持ちたちから資金を集めることが出来るだろうか?無理だろう。私は「金持ちたちが引く」と断言する。パレスチナ、チベット、クルド人、セネガルの貧困、天安門事件・・・このような外国の「人権問題」だから、彼らは金を出すのである。外国の「人権問題」だから「道楽」になりうるのである。

貧困問題、格差社会はヒューマン・ライツ・ウォッチの守備範囲を確かに超えている。何故なら、貧困や格差を広げている張本人からポケットマネーをせしめて、それを「資金」としているからだ。また「アイヌ民族」「在日朝鮮人」「被差別部落」は、金持ちたちの道楽にはならない。これらは彼らにとって道楽ではなく「政治問題」だ。同様に、ホームレス、派遣、非正規雇用といった国内問題にも、彼らは絶対関わらないだろう。これらの諸問題を解決するということは、自らの過去の所業を否定することに他ならないからだ。これらが根源的に階級問題であるからだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチにはこのような必然的「限界」がある。
posted by takashi at 11:26 | Comment(5) | TrackBack(2) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月16日

<コメント欄書き込み障害について>

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                  <コメント欄書き込み障害について>

読者各位、
最近、当ブログのコメントが書き込めない不具合が見られるようです。目下のところ原因は不明ですが、回線の混雑などが原因ではないかと思われます。書き込めない場合は、しばらく時間を置いてからもう一度お試しください。参考までに以下にseesaaブログのヘルプを記します。なお当ブログでは「禁止ワード」の設定はしてございません。

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2010年10月05日

カプセルホテル考

行きつけのカプセルホテルがある。「行きつけ」とはつまり、終電を逃したときによく泊まる、という意味だ。

日本のカプセルホテルは欧米諸国から「蚕棚」と揶揄されて好奇の目で見られている。しかし、私はこのカプセルホテルが好きだ。なるほどその「居住性」は「最悪」である。異論の余地はない。しかし、その代わりと言ってはなんだが、その他の設備が充実していることが多い。私が贔屓にしているカプセルでは、例えばサウナ・浴場などに加え「垢擦り」「足ツボマッサージ」といったサービスがあり、これがまるで「天国的」に気持ちが良い。泊まると必ず楽しみに利用させてもらっている。それに朝までやっている居酒屋は、大変にリーズナブルなお値段で、料理もなかなか美味い。早い話が「居住性」を除いては、シティホテルやビジネスホテルにひけを取らないところもあるくらいだ。

そもそも私は「蚕棚」には寝ない。大概は風呂に入ったあと、朝まで居酒屋で過ごす。あるいは寝るとしても仮眠室でである。財布はフロントに預けてあるから「枕探し」に遭うこともない。全ての払いはサインで翌朝の精算となる。それに、この日本では仮眠中に身体的危害を受けるようなこともまずありえ無い。誠にありがたい国に住んでいるものだと思う。チェックアウトも遅いから翌朝はゆっくり起きてまた風呂に入り、朝食をとる。これで「垢擦り代・居酒屋代」を含めても何と1万円しないのだ!欧米諸国にいくら揶揄されようが、カプセルホテルは日本の自慢できる「文化」だと思っている。
 
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2010年10月13日

ボーナスニュース

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                                              20100914_141226.BMP
言い逃れできない 捜査員が部屋へ、そのときバジルに水を…
 
 警視庁組織犯罪対策5課は13日までに、バジル取締法違反(営利目的所持)の疑いで、住所、職業不詳の男(31)を現行犯逮捕した。
 逮捕容疑は7日、東京都足立区のマンション4階の一室で乾燥バジル1袋(約142グラム)を所持した疑い。 組対5課によると、捜査員が現場に踏み込んだ際、容疑者はじょうろでバジルに水をやっていたが、所持や栽培について黙秘している。
 同課は、鉢植えに植えられたバジル115本などを押収。部屋の名義人の男(31)についても同法違反の疑いで逮捕状を取り、行方を捜している。
 昨年7月ごろ、綾瀬署に「足立区のマンションでバジルを栽培している」との投書があり、調べていた。
 [ 2010年10月13日 15:58 ]スポニチ
 
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2010年10月24日

夢の話2

以前「夢の話」というのを書いた。
http://takashichan.seesaa.net/article/137895252.html


つげ義春という漫画家がいる。知る人ぞ知る天才として有名な作家であるが、彼の単行本に「必殺するめがため」というのがあった。この作品集の特徴は、作者が見た「夢」を題材にした作品が全編の多くを占めている、というところにあった。意識的に稚拙な画法を用い、いわゆる「ヘタうま」なタッチで書かれた作品は、誠に味のあるものである。よく知られることだが、このつげ義春という人は「画風」が定まっていない作家であった。精密な劇画調から稚拙な「ヘタうま」調までを変幻自在に使い分ける、といったことを常に行なっていた。初期の作品「お化け煙突」(史上初のプロレタリアマンガと言われる)では、手塚治虫の画風の影響が見られるし「ゲンセンカン主人」に代表される「紀行もの」では、精密な作画の中に、同じ「ガロ系作家」であった水木しげるの影響が見られる。時代劇ではやはり「ガロ系作家」の白土三平の影響が見られる。またつげは「紅い花」に見られるように「美少女」の描き手として秀でていた(竹久夢二の描く少女画を何となく連想させる)。彼は「紀行文」的なエッセイも何冊か書いていて、その文章力にも眼を見張るものがあった。

さて「夢」であるが、彼は「夢」に思い入れがかなりあったようで、夢の内容を書き留めて漫画の題材にする、というようなことを常に行なっていたようである。上記の「必殺するめがため」はまさにそうした行為から生まれた作品集であったわけだ。つげの代表作として知られる「ねじ式」も、夢が題材となっている。私は子供の頃良く「路面電車が普通の道を通る夢」を見たものである。住んでいたのが路面電車のある札幌だったことが影響している。普段定まったレールの上しか通れない路面電車が、一般道路の上を走るという夢には、ちょっとした「理屈」が付け易いと思う。「抑圧からの解放願望」というような。「ねじ式」においても同様な場面が出てきて共感を覚えたものだ。

先日ある夢を見ていて思ったことがある。ひょっとして夢は一瞬の間に見るのではないか?あるいは時間を超越して見ているのではないか?ということだ。つまりこういうことである。私がAという事象を夢で見たとする。しかしその時点では、Aという事象の本質が何であるのか分かっていない。夢の後段でそのAが実はBであったことが判明する、といった展開の夢である。この場合、Aの夢を見たあとにBが出てくるというのではおかしいわけである。潜在意識が夢になるということは、夢のストーリーは予め出来上がっているはずだからだ。実際はBの夢をみると同時に、その前段(過去)のエピソードとしてAを作り上げているのだと思う。しかし、夢から覚めたときにはあたかもA→Bという「時系列」で認識されるのではないか?

説明が分かりにくかったかも知れないので具体例を示す。あなたはある日電車の窓から、畑の真ん中に大きな穴が掘られているのを見る。その時点では、その穴が何であるのか、あなたは知らない。場面転じてあなたは会社で働いている。会社の同僚に、先日電車の窓から見た穴の話をしてみる。するとその同僚の説明により、その穴は捕まえた野犬を薬殺して埋めるために、保健所が掘った穴なのだ、とあなたは知る。この場合あなたは「野犬を埋めるための穴」の夢をまず見た、と考えるべきだろう。その夢を見たのと同時に、その穴が何であるか分からない、という時系列的に前の時間を派生的に作り上げているのだ。このように夢のなかでは時間の前後が自由に置き換えられており、目が覚めた時点でそれがつじつまの合う時系列として記憶に残っているのだと思う。
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2010年11月08日

東京グルメ紀行その1

人形町界隈では知らぬ者のない「洋食屋キラク」。カウンターしかない小さな店だが、当時しょっちゅうテレビや本で紹介されていた。小沢昭一氏などは著書で「絶賛」していたものである。先代が元気だった頃、よく通った。ビーフカツとポークソテーが絶品で、付け合せのマカロニサラダが特に気に入っていた。私はよく、ビーフカツを肴にビールを飲んだが、ある日、隣に座っていた紳士(客)が「お宅のビーフカツは何故こんなに柔らかくて美味いのか?」と訊いた。先代主人答えて曰く「腐る寸前まで冷蔵庫で寝かせてあるからだよ」。「熟成させているから」とか言えばいいのに「腐る寸前」とは・・・(笑)、と苦笑した。その頃から結構なお年であった先代は、亡くなってからもう十数年になろうとしている。確か、奥さんか娘さんがあとを継いだと聞くが、亡くなったあとは2,3度しかいってないなあ。従業員も外国人ばかりになってしまっていたし、あの先代の味は今でも守られているのだろうか?

日本橋の「たいめいけん」も、知らぬ者のない老舗である。池波正太郎の著書にも出てくる名店。こちらもテレビチャンピオン等で「大食いのロケ地」などとして使われたり、先代の頃から良くオーナーが料理番組で講師として活躍していたものである。現在は、サーファーとしても有名な三代目が継いでおられる。昼食時はほぼ毎日行列。お店の二階はちょっと高級なメニューばかりで、いわゆる「企業接待」や「お金持ち」向け。一階は大衆的で、昼食時はサラリーマンで賑わっていた。また近くの三越や、当時あった東急百貨店帰りの、買い物おばさんたち(有閑マダム)の恰好の「オアシス」であったようだ。有名なメニューはオムライスで、半熟を広げて食べるいわゆる「たんぽぽオムライス」が特に人気があった。しかし私は昼食でよく、カレーライス、ハンバーグ、メンチカツ、ステーキ丼などの安いメニューを注文したものだった。しかし、ハンバーグとメンチカツは個数限定で、12時を回る頃にはたいがい「売り切れ」となってしまい、食べられる機会は稀だった。つまり「交代勤務」で11時半から休憩の取れる銀行や証券会社の女子社員に先を越されてしまう、というのが原因のようだった(笑)。ここで嬉しいのは、野菜の切り落し屑で作ったボルシチと、それにキャベツを甘酢に付けたコールスローが何と!一皿50円で注文できることだった。今でもこのサービスあるのかなぁ?

「玉ひで」。こちらも日本橋の超有名店。親子丼の元祖として知られる。毎日昼時は、親子丼目当ての行列が百メートルくらい続き(本当です、冗談ではありません)、近隣のお店が苦々しく思っていたとかいないとか・・・。ある日、夜の宴会で「鶏鍋」を作ってもらったことがあったが、私個人としてはちょっと「グルタミン酸ソーダ」の使いすぎかなぁ・・・と、思ったものである。その「玉ひで」の並びの「小春軒」も、行列こそ出来ないが、むしろ落ち着いて食事ができる好きな店だった。

尚、当エントリーでは読者の皆さんの「グルメ情報」を募集したいと思います。良い店があったら是非コメント欄で紹介してください。有名店でなくても、地方のお店でも構いません。皆さんの「個人的偏見」(笑)を最大限尊重致しますので、よろしくお願いします。管理人
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2010年11月09日

東京グルメ紀行その2(上野界隈)

朝10時から飲める店「大統領」。何時行っても満席なのが不思議である。ありとあらゆる職業・階層の老若男女が歓談しながら飲んでいる、雰囲気最高の店。名物の馬肉もつ煮込みが美味い。他に私のオススメは、イカをミンチ状にして焼いた「イカボール」。酒はビールかホッピー。韓国製の農酒(どぶろく)も美味い。キムチ・カクテキなどは持ち帰りも出来る。カウンターに座り、開け放たれた外の通りの風景を眺めながら、ひとりでチビチビやるもよし、厨房の板さん相手に一言二言世間話をするもよし。隣の客がひとりで飲んでいたら、是非話しかけて欲しい。人恋しい者同士、すぐ打ち解けること間違いなしだ。

「大統領」の近くにあり、これもアメ横通りの「志んせい」。ママも含めて皆和服姿で(そう言えばママは洋服のことが多いかも)、いずれ劣らぬ「妙齢」の女性たちが、甲斐甲斐しく接待してくれるお店。と言ってもぶったくりバーではない。おでん屋である(ただしおでんは冬のみ)。厨房が実にしっかりした料理を出してくれるので安心して飲める。駅に近いという立地からか、地方から出張で上京したサラリーマンが、新幹線待ちに飲んでいたりすることが多い。

「とらじ亭」。焼肉屋の激戦地、上野の中で穴場と言えるのがこの「とらじ亭」。アメ横から一本はずれた通りにあるので目立たないが、それでも週末などは四階まであるフロアがほぼ満員である。森村誠一似のマスターと、そのお母さんがやっている。何と言ってもオススメは自家製のマッコリ。ビール瓶に入って出てくるこのマッコリが、何とも仄かな吟醸香を放って美味い。つい何本でも飲んでしまうから要注意だ。生ものも新鮮でお薦め。

「アーグラー」。インドカレーの店。カレーに一家言ある私が「東京一美味い」と認めるお店。ランチは誠にリーズナブルな値段で食べられる。カレーにタンドリーチキンとシシカバブ、サラダに紅茶がついて千円しない。ライスかナンを選択できる。広小路の方に以前支店があったが無くなってしまったようだ。ガード下の本店も最近火事に遭い、休業していたようだ。以前はシェフが変わるたびに味が変わったものだが、最近はレシピが統一されたのか、あるいはシェフが入れ替わらなくなったのか、味が安定しているようだ。

このご時世で、ついこの間開店したと思ったらもうあの店無くなってる・・・なんてことが多いが、私が愛するこれらの店は変わっていない。
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2010年12月04日

オノ・ヨーコ氏のこと

ジョン・レノンが非業の死を遂げてから30年近くになる。もし彼が天寿を全うしていてなら、どれほど多くの素晴らしい音楽を世界に残してくれただろうか?それを考えると殺人犯人に怒りを禁じえない。

いわゆる「ビートルズ世代」に属する私が、初めて映画「レット・イット・ビー」を見たとき、画面の中をうろちょろするオノ・ヨーコに、失礼な言い方だが「不快」なものを感じた。当時、オノ・ヨーコとの関係が元で、ジョン・レノンはビートルズの中で完全に「浮いた」存在だった。ジョージとリンゴは努めて気にしていない様子だったが、ポールとジョンの関係は完全に壊れていた。そのため、いわゆるレノン・マッカートニーの作品を聞けるのは、この「レット・イット・ビー」が最後のアルバムとなってしまった。当時、私の周りの誰もが、ジョンはヨーコによって「堕落」させられた、と思っていた。ビートルズの音楽を愛する者にとって、ヨーコは「悪魔」のような存在だった、と言って過言ではない。本場イギリスでも酷評されていたように、失礼ながら飛び抜けて「美貌」を備えているわけでもなく、二度の離婚歴のあるオノ・ヨーコに、何故あのジョン・レノンがのめり込むようになったのか、皆いぶかしく思っていたものだった。思い出したが、映画『イマジン』の中には、ヨーコを口汚く罵る女性ファンや、あからさまにヨーコを侮辱する自称「ファシスト」の漫画家、アル・キャップが出てくる。特に後者はレイシストそのものであった。さすがに見ていて不快になったものだ。

それからずいぶんと経った頃、私はオノ・ヨーコ氏の「回想録」を読んだ。もうその頃には私の中のヨーコに対する「偏見」も消えていた。その頃私は、ジョン・レノンにとってのオノ・ヨーコの存在を、正当に評価し認める心境になっていた。それもかなり好意的な見方に変わっていた。彼女が並々ならぬ才能を持った芸術家であり、社会運動家であることもはっきりと認識するようになっていた。確かにヨーコはジョンを変えた女性だったのだ。それも良い方向へ導いたパートナーだった。戦前の共産党員市川正一ではないが、ジョンにとってヨーコと出会った後の人生が、彼の「本当の人生」だったのではないか?ベトナム反戦運動に始まり、プラスチック・オノ・バンドによる実験的な音楽、平和運動や政治運動そしてチャリティー活動、様々なジャンルの芸術家たちとの交流、音楽活動を休止しての子育て等など・・・。ある意味「プラグマティズム」に支配されていたポールの活動とは、一線を画していた。おそらくアイドルグループ「ビートルズ」の単なるメンバーのままであったなら、決して経験できなかったであろう人生を、ヨーコと出会ったことにより、その後のジョンは過ごすようになる。何よりも名曲「イマジン」は、ヨーコとの出会い抜きには存在し得なかった楽曲ではなかったか。

ヨーコの「回想録」の中に好きな一節がある。ジョンが亡くなってずいぶん経ってから、思い出の軽井沢を訪れたオノ・ヨーコ氏の体験談だ。日本で子育てに専念していた当時、ジョンが気に入ってよく利用していた喫茶店を、ジョン亡き後初めて訪れたヨーコ氏の目の前に、喫茶店のオーナーが、ライターをそっと差し出す。「ご主人のお忘れ物です。お返しする日を待っておりました。」ここで彼女は、一気に時空を超えて懐かしい時代へともどって行くのだ。そんなエピローグがたしか「回想録」の最後に書かれていた。今月8日はジョン・レノンの30回目の命日だ。


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2010年12月25日

「クリスマス・キャロル」

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豊田章男
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CSで映画「クリスマス・キャロル」をやっていたので見た。これまで何度も見たマイケル・ケインとマペッツのクリスマス・キャロルだ。見ながらこの作品のパロディはできないものかと考えた。スクルージ役はトヨタの社長・豊田章男である。内容は次のとおり。「過去のクリスマスの幽霊」は、あまり面白くないので省略。

まず「現在のクリスマスの幽霊」は豊田章男を、とある期間工の家庭へと連れて行く。

その期間工は、今年いっぱいで雇い止めである。これまで十数年、契約を更新して、トヨタのために働いてきた。忙しい時は休日も返上して一日12時間ぶっ通しでラインに立ったこともある。職場の改善提案も人一倍提出し会社のために尽くしてきた。

六畳一間の安アパートには期間工とその妻、5歳になる男の子が住んでいる。男の子は生まれながらに難病を抱えており、一家は医療費の負担にあえいでいる。ふと見ると、その家でたったひとつの家具らしい家具、テレビの上には、折り紙で作ったクリスマスツリーとサンタクロース。コンビニで買ったのだろうか、赤い長靴の中に駄菓子の入ったのが、ちょこんと置かれている。ふと食卓の上を見ると、これもコンビニで買ったのだろう、チキンの唐揚げが4個、皿に盛られて真ん中に置かれている。その横には妻の手製のポテトサラダ、それと魚肉ソーセージとゆで卵に爪楊枝を刺して、上手に作られたトナカイやウサギの載った皿が置かれている。石油ストーブの上にはハウスバーモントカレーの入った鍋がある。ささやかだが幸せなクリスマスの情景である。

男の子はクリスマスが嬉しくてしょうがない様子で、母親にいろいろと話しかける。母親は笑顔で答えている。豊田章男は、そんな母子の様子を見ながら、自分の幼い頃と比べてみる。何不自由なく育てられ、大学を出て留学し、家業を継いだ自分。リコール問題で欧米から激しいバッシングを受けたものの、アメリカの証券取引委員会では得意の英語演説でうまく切り抜けた。アメリカ国内の工場従業員たちは自分を支持してくれたし、マスコミも好意的に報道してくれた。アメリカでは労働組合とは上手くやっているし、労働法規を破ったこともない。現地法人では従業員は全員「正社員」だ。昨年は、日本国内での生産調整とリストラが功を奏し、史上最高の利益を上げた。内部留保も過去最高にまで達した。俺の人生は順風満帆と見て間違いないだろう。それに引き換え、この家の子供はどうだろう。5歳だと言うが、体は小さく病弱だ。経済的理由だろうか、保育園にも通っていないらしい。

と、そこへ期間工の夫が帰ってくる。手には小さなクリスマスケーキを下げている。夫は浮かない顔をしている。今日、職制から「雇い止め」を告げられたのだ。妻にその事実を言葉少なく語る期間工。妻は思わず顔を覆って泣き始める。そんなことを知らない男の子はテレビの「ポケモン」に見入っている。

豊田章男は次に「未来のクリスマスの幽霊」に、何処かへと連れて行かれるのであった。


   
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2011年04月15日

福島原発事故と「ファウスト博士」

トーマス・マンの「ファウスト博士」を読んだのは、10代の時だ。岩波の文庫本を、3日3晩で一気に読んだのを覚えている。衝撃的な経験だった。読み終えたあと、しばらく放心状態になったほどだ。主人公で作曲家のアドリアン・レーベルキューンの半生を、彼の「親友」である「私」が語る、そういう手法の「小説」である。ドイツの伝統でもある「成長小説」の流れを汲んでいるとも言われる。作者は、第二次大戦中の、破滅的なドイツの状況と重ねあわせた、という解説がもっぱらなされることが多い。歴史上幾つもある「ファウスト伝説」作品のひとつであるが、その中の最高峰だと私は思っている。私はこの小説を確か一回しか読んでいない。二度と読みたくなかったからだ。しかし、ストーリーの要所要所は、しっかりと頭にこびりついて、今でも離れない。

この小説では、主人公が若い日に、娼婦を買ったために感染された「梅毒」が、彼の脳を破壊するまでの数十年間の潜伏期間を、悪魔との「契約期間」になぞらえている。なんとも恐ろしい「状況設定」である。途中、イタリア旅行の宿で、その悪魔と対話する(たしか主人公が日記に書き残したことになっていたと思う)場面などは、誠に不気味でオドロオドロしかった。主人公は、自分の魂と引きかえに、音楽的「霊感」を悪魔から受け取り、数々の作品を産み出していくことになる。しかしその音楽は、人の心を打つような音楽ではない。数学の理論に基づく無機質な音楽であった。主人公の展開する音楽理論を、作者はシェーンベルクから借用していると言われる。病毒に侵されるその一生は、ニーチェがモデルだとも。

さて、悪魔との契約期限は、ある日突然「終了」する。友達を呼んで自宅でピアノを演奏しているときに主人公は、ばったりと倒れる。そしてそのまま子供のように従順な「魂の抜け殻」となり、母親の庇護のもと、残りの一生を送ることになる。この小説は、ついぞ映画化されたというのを聞かないが、映像にすれば、かなり衝撃的な作品になるだろうと思う。

で、何故私が今急に、この小説を思い出したのかと言うと、表題にもある通り、福島原発である。40年前にこの原発が出来た時から、2011年3月11までの時間は、もしかして我々日本人が、悪魔に「未来」を売り渡して手に入れた「時間」ではなかったのか?その間、悪魔は我々日本人から、その代償として「未来」を奪う日まで、刻一刻と「原子力による電気」を、与え続けていたのではないだろうか?ふと、そう思ったりしたのだ。

<追記>
この名作(岩波文庫上下巻)は、現在絶版になっているようで、Amazonでも古書ばかりである。それも、結構良い値段が付いているようだ。私は処分してしまったが、惜しいことをしたものだ。
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2011年05月26日

タレントの死

少し前にタレントの上原美優さんが、自ら命を絶った。私は、テレ朝の「黄金伝説」が好きで、いつも見ていたので、彼女のことは知っていた。明るくて賢い女性という印象を持っていた、誠に残念である。

で、その彼女が出たVTRの扱いで、日本テレビが槍玉に上がっているようだ。彼女の死後に放映された、とあるバラエティ番組における、彼女の扱いが問題となったのだ。それは、本人が単独で出演した場面は全てカット、その他大勢の場面は顔に「モザイク」をかけられる、という扱いだったようだ。確かにこれは酷い。だいいち、これでは返って目立つし衆目を集めるだろう。事情を知らない視聴者も、その異常さに気づいてしまう。これはまるで、浄瑠璃の黒子のように「あたかもそこにいないかのような」扱いにされたも同じである。その他のテレビ局では、このようなことはなく、ごく普通にテロップで断り(追悼の言葉)を流しただけだったらしい。その扱いに比べて、日本テレビは確かに異常だ。

ある芸能人が亡くなったあと、その未放映のVTRが残ってしまう。このようなことは、どうしても起こりうることだろう。私が覚えているのは、レオナルド熊さんの時だ。彼が急病死したあと、テレビ東京の旅番組は、追悼のテロップを流し、ごく普通に放映していた。熊さんは、気骨のある人で「しんぶん赤旗」などでも、共産党支持を表明していたし、今でも紙面には、レオナルド熊さん譲りのキャラが出てきて話をする「熊さんとご隠居さんのけいざい話」という記事が載っているくらいだ。私も当時、彼の死を知っていながら追悼の気持ちで、テレビ東京のその「旅番組」を、手を合わせつつ見た記憶がある。しかも、たしかその番組は、彼が奥さんや娘さんと一緒に温泉をめぐる番組であった。おそらく、家族もそんな貴重な内容だったから、放映を許可し、亡き夫(父)の最後の元気な姿をブラウン管(死語か?)で偲んだのだと思う。

例えば著名な俳優が亡くなると、その「遺作」が、特集を組んで放映されることもある。近いところではキャンディーズのスーちゃんや長門裕之さんなど、若い頃の作品が、堂々と、ごく普通に放映された。

ただ日本テレビがこの「異常な」行動に出たひとつの理由に、上原美優の「死因」があるのかも知れない。「自ら命を絶ったタレント」の未公開ビデオ、というところに何か「カギ」がありそうだ。

そこでふと、田宮二郎氏のことを思い出した。彼は猟銃を用いて壮絶な自殺を遂げて、大きなショックを世間に与えた俳優であるが、あの当時彼は「クイズタイムショック」というレギュラー番組を持っており、多分未公開分もあったのではないかと思う。果たしてそれは放映されたのだろうか?私には記憶がないが、どなたかご存じの方は居ないだろうか?ただしその田宮二郎氏とて、自殺の直後からしばらく、若い頃の作品が、特集まで組んで放映されていた。
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2011年07月26日

いやらしい言葉「悩ましい」を連発する細野豪志

私が子供の頃は「悩ましい」という形容詞は、極めて限定的に用いられていたものだ。曰く「悩ましいヌード」「悩ましいポーズ」「悩ましいビキニ」。昨今では、細野某とかいう大臣が、記者会見で盛んに「悩ましい」を連発しているのを聞くことができる。ひょっとして奴は、例の愛人の「何とかモナ」(の裸)を想像しながら使っているのでは?とスケベな憶測をしてしまう、こんな下司な私(笑)。

他にも、私が子供の頃と使われ方が違う言葉としては「ムカつく」がある。私が幼少の頃は「ムカつく」は「吐き気がする」という意味オンリーだったような気がする。「二日酔いでムカつく」のように。ただし、似た言葉で「ムカっとくる」というのがあって、これは所謂「頭に来る」の意味で用いていた。また「こだわる」という動詞は、いわゆる「ネガティブ」な意味にだけ、使われていたような気がする。つまり「くよくよこだわる」というような。ここに昭和41年刊の講談社の国語辞典があるが「こだわる」とは「わずかのことに気持ちの上でとらわれる」と説明されている。明らかにネガティブな用いられ方である。それがいつの間にやら「こだわりのラーメンスープ」といったような使い方が、主にテレビやマスコミで用いられ始めた。今では誰もが、このように「ポジティブ」な意味でも普通に用いるようになってしまった。

何だか日本語はずいぶん変わってきているような気がする。文法そのものが、たいへんめまぐるしい変化をしている場合も見受けられる。文法的には「名詞の接頭語」であったはずの「超」が、若者たちを中心に、形容詞や動詞を修飾する「副詞」として用いられる、などがその例である。

「よみがな」も変化している。以前も書いたが「地震」のよみがなは、本体「ぢしん」であるはずだが、現在の国語辞典では「じしん」でも良いとされる。それどころかパソコンの変換ソフトは「ぢしん」ではもう変換されない有様だ。「じしん」と入力して始めて「地震」と変換される。

当ブログにやって来られるネトウヨさんの多くは、日本語に不自由な方が多いので「気ずく」だとか「基ずく」だとかと、平気で書きこむ輩が多い。そのくせ、日本文化が大切だの優秀だの、中国はアホなんだのとほざくので、そのたびに私は彼らの「揚げ足」をとって差し上げるのだが、しかしこの調子で行くと「気づく」は「気ずく」、「基づく」は「基ずく」でもOKという世の中が来てしまうかもかも知れない。

考えてみると「ゐ(Wi)」「い」「ゑ(ye)」「え」などは、江戸時代すでに発音が「統一」されてしまっているわけであるから「ず(Zu)」「づ(du)」もそれに習って早晩どちらかに「統一」されるのも時間の問題かも知れない。

などと言いつつ、たった今、大変な発見をしてしまった!私は現在「Google日本語入力」でこのエントリーを書いているのだが、何と!「motozuku」と入力すると「基づく」と変換されるのだ!そう言えば「kozukai」と入力すると「小遣い」と変換されるのを思い出した。恐るべし!日本語!


参考スレッド
<方言における「品詞」の交錯ついて>
http://takashichan.seesaa.net/article/149861950.html
<「新語」について>
http://takashichan.seesaa.net/article/149630441.html
<ちょっとコーヒーブレイクを>
http://takashichan.seesaa.net/article/135041614.html
<「馬鹿」という言葉>
http://takashichan.seesaa.net/article/128631992.html
<差別語について>
http://takashichan.seesaa.net/article/149675560.html
<ネトウヨさんにお薦めの「Google日本語入力」のおせっかい機能>
http://takashichan.seesaa.net/article/294798664.html?1357702483

posted by takashi at 01:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月02日

ある日のツィッター2

Twitter(以降ツィッター)にハマっている。

ツィッターは、ちょっと時間を置くとチェックが大変である。過去ログを見るのに手間取ってしまうからだ。それに過去ログは全部表示されるわけではない。古いものは見れなくなってしまう。それに、遡って表示件数が増えていくにしたがって、やたらとマウスが重たくなっていく。

ツィッターは御存知の通り、フォローという機能で仲間を増やしていくようにできている。フォローしている誰かが「リツィート」した記事を読んで、さらにフォローする相手を増やしたり、逆に自分をフォローしてくれた人をフォローしたりして、だんだんに仲間を増やしていくのである。

フォローする相手が多ければ多いほど、情報の量は増える。しかしやみくもにフォローをしていくと、チェックが大変だ。当然フォローする相手を選択することになる。私の場合、その基準は次のとおりである。

@相手の言っていることに共感できること(または面白いこと)
Aリンクなどで貴重な情報を知らせてくれる人であること
Bツィット数があまり多くないこと

この基準から行くと、ただ単に「自分語り」に終始したり、日常の些細なことばかりを呟く人は、その内容がよっぽど面白いものでない限り、私はフォローしない。上記@とAについてはお分かりいただけると思うが、問題はBである。以前私がフォローしていた人の中に、@Aはクリアしてはいるが、ツィット数があまりのも多い人がいた。何故ならその人は、朝起きるたびに、自分のフォロワー全員に「おはようございます」を呟くのだ(笑)。毎朝ツィッターを開くたびにその人の数十件の「おはよう」を見せられることになる。実に律儀な人だとは思ったが、早々にフォーローするのをやめてしまった。

時々見かけるのだが、ツィッター上で延々と議論を闘わせる人がいる。140文字しかないからマトモな議論などできようはずはない。ところがその議論は真剣そのもので、だんだんと白熱を帯びてくる。しかし140文字なので常に消化不良を起こし、最後には「罵倒」し合いになっていく。精神衛生上よろしくないと思うのだが。そんな人達には「たかしズム」に来てもらい、コメント欄を提供するから、そこでやっては如何でしょうかと、提案するのだが、何故かやっては来ない。

先日は、この私に対して「議論」をふっかけてきた方がおられた。

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kenokabe 岡部 健 / Ken OKABE
参考までにお聞きしたいのですが、あなたにとってネトウヨと保守の定義の違いみたいなのはあります?

takashicyan たかし 
私のネトウヨの定義は「インターネットを利用して右翼思想を配信する者」です。つまり保守派であってもインターネットを使用しないものはネトウヨではありません。また保守思想と言っても、所謂「真正右翼」とネトウヨのそれは違いがあります。

kenokabe 岡部 健 / Ken OKABE
右翼と保守とはネット関係なしに差があるからそれはおかしいですね。たとえば、櫻井よしこさんは保守だが右翼じゃないよ。

kenokabe 岡部 健 / Ken OKABE
もう一点大事なことを伺いたいのだけど、あなたはかなり熱心に菊池を叩いておられるが、それは、原発推進=ウヨク、撤廃=サヨク、みたいなのと関係ありますか、つまり母親団体は撤廃派で、結果サヨクと親和性高く、それを妨害する菊池は対立するウヨクとみなす的。

takashicyan たかし
ツィッターでは何ですし、他の方の迷惑にもなりますから、もしよろしかったらこの続きは私のブログでやりませか?
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こう呼びかけたのにもかかわらず、この人はやって来ない。たぶんこれからも来てはくれないだろうが、一応この場で「回答」だけはしようと思う。念のため彼の過去の言動を読んで見た。見る限りネトウヨではないようだ。しかし、相手の些細な言葉尻を捉えて、どうでも良いことに噛み付いてくるあたり「ネトウヨの素質あり」と感じた。
http://twitter.com/#!/kenokabe 



<回答>

私のネトウヨの定義は「インターネットを利用して右翼思想を配信する者」です。つまり保守派であってもインターネットを使用しないものはネトウヨではありません。また保守思想と言っても、所謂「真正右翼」とネトウヨのそれは違いがあります。

上記の私のツィッター文章で、私が「右翼思想」と「保守思想」を同列視したとに対し、あなたから「右翼と保守とはネット関係なしに差があるからそれはおかしいですね。」「たとえば、櫻井よしこさんは保守だが右翼じゃないよ。」という返信をいただきました。

おかしいですねぇ?私に言わせれば櫻井よしこは生粋の「右翼」です。

それと、以下の「大辞林」の定義をお読みください。右翼とは「保守的または国粋的な思想」と書いてありますよ。

【大辞林より】
■ほ‐しゅ【保守】 [名](スル) 1 正常な状態を保つこと。「休業時も機械を―する」「線路の―点検」 2 旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとすること。また、その立場。「―派」⇔革新。

■う‐よく【右翼】 1 右のつばさ。「飛行機の―」⇔左翼。
2 左右に広がったものの右の方の部分。特に、軍の隊形の右の方。「敵の―が手薄だ」⇔左翼。
3 《フランス革命当時、議会で議長席から見て右方に穏和派のジロンド党が席を占めていたところから》保守的または国粋的な思想、立場の一派。また、その者。⇔左翼。
4 野球で、本塁から見て右方の外野。また、そこを守備する人。ライト。⇔左翼。
5 《旧軍隊では成績の良い順に右側から並んだところから》席次が上位であること。

言葉の遊びは何処まで行っても言葉の遊びでしかありません。過去ログをお読みになることをお勧めします。まず手始めに以下のページから。
http://takashichan.seesaa.net/article/127041617.html

 
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2011年09月23日

U字工事と懐かしの名演

U字工事が好きである。ライブがYouTubeに結構アップされているのでよく見る。U字工事のボケとツッコミは最高水準である。音楽で言えばヨハン・セバスティアン・バッハに匹敵するのではないかと思う(笑)。冗談はさておき、ネタの面白さでは群を抜いているのではないか?栃木県人が、群馬や茨城に優越感を持ちつつ、千葉や埼玉に「擦り寄っ」たり、神奈川や東京に卑屈に「おもねる」という、この設定は高度にシニカルで滑稽であり、かつ何者をも傷つけず、自然な笑いを誘う。

彼らは、栃木弁漫才の大先輩「東京ぼん太」の現代版ではないかと思う。尤も知っておられる方は少ないだろう。東京ぼん太の最盛期の動画を探したが、見つからなかった。彼の極めて自嘲的な名言「生活かかってかんなー」というのは、高度成長期に大ヒットしたフレーズだ。晩年のステージと思われるのが、かろうじてあったので、ここに載せておく。全盛期のインパクトは見る影もないが。

Wけんじは、東京出身と宮城出身の二人の「けんじ」による、東京弁と宮城弁の軽妙な掛け合いがなんとも言えない。この漫才にも出てくるが、宮城けんじが、どつかれてしばらくたってから「痛い!」というあれが好きだった。

他にも「夢路いとし・喜味こいし」など、往年の大物漫才師がこの世を去ってから久しい・・・。ちなみに現在の日本の漫才の「最高峰」は、間違いなく「オール阪神・巨人」だと思う。大阪にも「どつかない漫才」があるということを、大阪人は誇りにすべきであろう。










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2011年10月29日

親愛なるイスラム教徒、イスラム教国の皆さんへ

これから私が書くことは「たかしズム」読者のみなさんを「失望」させるかも知れません。しかし、私の「真意」がどこにあるのか、分かる人には分かると思います。敢えて「誤解」を恐れずに書いてみます。


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親愛なるイスラム教徒、イスラム教国の皆さんへ
 
あなた達はアメリカに「勝ちたい」と思っていらっしゃるのでしょう?しかし、あなた方が「アメリカに勝つ」のは「無理」だと申し上げておきましょう。何故ならば、あなた達は、人口の半分を占めている「女性」を、全く「活用」していないからです。人口の実に半分を占める「女性」に対し「教育」も与えず、生産性のある仕事にも就かせないというのは、あなた達の宗教の「致命的な欠陥」であります。

私の国「日本」も、実はあなた達の国と同じでした。「女性に教育は必要ない」「子供育てと家事だけやっていれば良い」これが農村を除く日本の女性の立場でした。しかし、そうも言ってられない事件が起こりました。アメリカとの戦争です。この敵は過去のどの敵とも違っていた。この「民主主義国」は、建前上女性に権利を与え、生産活動にも従事させる国でした。そして何よりも「工業生産力」に於いて、この日本が太刀打ち出来る相手ではなかった。

そこで日本の戦争実行者たちは「嫌々ながら」女性に教育を与え、工場生産にも従事させました。そうやって航空機の部品や銃弾を、日本では女たちが生産しました。

親愛なるイスラム教徒、イスラム教国の皆さん、あなた達が「アメリカに勝つ」唯一の方法は「自爆テロ」ではありません。女性に権利を与え、教育を与え、工業生産に従事させることです。
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アラビア語、インドネシア語に詳しい方、翻訳していただければ幸いです。
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2011年11月10日

デジャ・ヴュ

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今日、病院の帰りに一杯やるために行きつけの寿司屋に寄ると、珍しく背広姿のサラリーマン客が二人いた。その二人はしばらくして勘定を済ませ、そして「領収書」をくれと言う。ああ何と、懐かしい「領収書」。それを聞いてマスターの若旦那は、領収書用紙を近くの文房具店に買いに走った。普段は近くの商店主や、おばさんたちの溜まり場の店なので、領収書などあまり使わない。なので用紙を切らしていたのだ。しかし、たかだか一人950円の昼飯を「浮かせる」ために「領収書」を書かせる、そのサラリーマンのいじましさに、私は昔を思い出していた。

その営業部長は、1年365日毎日、昼食と夕食の「領収書」を会社に提出していた。取引先との会食や接待のみならず、社内の仲間同士の宴会や、時には家族を連れての「私的な」飲み食いの「領収書」まで出していた。それは「公然の秘密」だった。そういう上司の悪事は、部下もすぐ真似をするものである。そのような不正を働く営業マンが、他に二人いた。私はある日、領収書の「10,000円」を「40,000円」に偽造した領収書を発見して、私の直属の上司に見せに行った。

その上司は、私の尊敬する上司だった。その上司が言うには「今回の二人の不正は、上に報告すれば懲戒解雇になるだろう。それでは彼らの将来に傷がつくので、この件は私の胸に留めておく。しかし、ああいう連中は他にも必ず不正をやっているものだ。そのうちそれがバレて結局会社を辞めることになるだろう。」とのこと。上司はすでに彼らの「別件」を知っていたのである。

それからしばらくして、その二人は、自社の技術者を他社に就職斡旋した、という理由で辞めさせられた。退職理由は「自己都合」であった。

部下はそのようにして辞めていったが、件の営業部長は相変わらず会社の金で、一晩に何十万も飲み歩き、高級料亭をハシゴしていた。接待の相手はいつもほぼ決まっていた。しばらくして、当のその接待の「相手」が、我が社に「取締役」として入ってきた。所謂「天下り」である。当社に入ってきたその人は、営業部長を上回る交際費を使い始めた。この二人は完全につるんでいた。この二人はそのあと(私が辞めた後のことだが)それぞれが「社長」を歴任した。

社団法人ではない。一般の企業である。ただし、株主は法人であり、オーナー企業ではなかった。もしオーナー企業だったとしたら、こんなことは絶対に許されるはずはない。良くも悪くもオーナー企業は「金」に関する不正には厳しいものだ。「飼い犬に手を噛まれた」という意識が経営者に働くからだろう。

しかしその会社は違った。株主が大企業と銀行であり、社長は「年番回り」で、それらの会社や、取引先や、◯◯省や、あちらこちらから「天下って」来るのだ。所謂「サラリーマン社長」である。株主総会は5分で終わる(笑)。

さて、上記の営業部長が、接待をし、会社に引き込んだその人物のいた会社こそが、何を隠そう「東京電力株式会社」だった。



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2011年11月11日

イスラム再考

先日、私が書いた「親愛なるイスラム教徒、イスラム教国の皆さんへ」という記事に対し、Blueさんという読者の方からお叱りを受けた。全貌は以下のコメント欄にあるので見ていただきたい。そこでのBlueさんの主張・論理の展開は、全て尤もであり、理に適ったものであった。したがって私に反論の余地はなかった。
http://takashichan.seesaa.net/article/232608493.html

同時に私は、Blueさんが仰るように、私自身が如何に既存メディアに「毒されているか」を思い知った。大多数のムスリムは平和を欲しており、テロを実行せんとする者は、限られた一部の国の一部のムスリムに過ぎない、というようなことは私自身、過去にネトウヨに対して何度も諭した覚えがあるのにも拘らず、だ。自分自身このような「落とし穴」に落ちるとは思っていなかった。

さて、1979年イランで「イスラム革命」が起こった。この時私は「違和感」を持った。と言うより、世界中の人々が「これがいったい革命なのか?」と思ったはずだ。無理はない。当時の私にとって「革命」には二つの概念しか無かった。「ブルジョア民主革命(市民革命)」と「社会主義革命」である。つまり「教科書」に載っている「革命」はこの二つしか無かったからだ。むしろ「イラン革命」を「反動」と思った人も多かったはずだ。

「イラン革命」に於いては、私は「イスラム回帰」が行なわれたため、女性差別が強化されたとばかり思っていたが、実際は革命後、女性の識字率は上がり、社会への進出も増えたのだという。この事実を恥ずかしながら私は知らなかった。未だに人前で女性がヴェールをかぶる、というような「表面的事象」のみを見て、この国では女性の地位が「低い」と勘違いしていたのだ。

NHK特集で先日、この2月に起きた「エジプト革命」について放送していた。ご存知の通り、今年に入ってからアフリカ中東のイスラム諸国が相次いで「革命」を起こした。それらの特徴は、ソシアルメディア等のIT媒体をきっかけとして、主に若い世代達によって「自然発生的」に起こったということだ。何人かの番組出演者のうち「ムスリム同胞団」という組織の男性は「イスラム回帰」を目指していた。この「イスラム同胞団」というのは、かつて過激な組織であったこともあるようだが、現在は合法的な存在だという。さらにイスラム社会における「福祉」が、この組織により、西洋とは違った形で「行なわれている」ということも紹介されていた。

一方20歳くらいの若い女性出演者は、西欧型の民主主義を望んでいた。彼女は、憲法にイスラムを「国教」とする条文を望まない。番組ではこれら二つの「民主主義」をめぐる若者の葛藤を取材していた。

もう一つ先日、朝日ニュースターの「ニュースの深層」で「国家と情報 公安情報流出事件から1年」<ゲスト>河崎健一郎(弁護士・ムスリム違法捜査弁護団事務局長)<キャスター>土井香苗、という番組をやっていたので見た。ここで取り上げていたのは、警視庁の内部資料がネット上に流出した問題、所謂「警視庁国際テロ捜査情報流出事件」である。河崎健一郎により語られた事件の内容は驚くべきものだった。

このような、イスラム教徒を対象にした公安警察の「監視」は、2001年のニューヨークテロ事件以降「アメリカの要請」によって開始されたものだという。現在数万人を超えるイスラム教国出身者や、日本人イスラム教徒が「監視」の対象になっているという。

過去において、イスラム教国との「宗教的確執」のない日本という国が、このようなことで「良き友人」を失うのは勿体無いことであると、河崎健一郎弁護士は語っていた。私も全くそう思う。

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2011年12月04日

NHK証言記録 日本人の戦争

私は普段、NHKを批判しているけれども、こういう番組を見てしまうと「NHKも捨てたもんじゃない」と、本気で思ってしまう。私はかねがね戦争経験者、特に第二次世界大戦の実戦を経験した兵隊の「生の声」を残すべきだ、と思っていた。それには一刻の猶予もない。多くの「生き証人」たちは次々と世を去っていく、それも大方は、自らの戦場経験をいちども周りに話すこと無く、である。中には、自ら「語り部」として伝える道を選んだ人も小数だがいる。しかし大多数の「証人」たちは、NHKのインタビューでもなければ、それらを黙したまま「墓場」へ持って行ってしまうのだ。だからNHKの仕事には大いに価値があるし、敬服する次第である。今回の番組のためのインタビューは800名に上るという。

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証言記録 日本人の戦争 第1回 アジア 民衆に包囲された戦場  
2011年12月3日(土) 午後9時00分〜10時13分総合テレビ

太平洋戦争開戦から70年。戦争証言プロジェクトでは、戦争体験者の証言を4年にわたり収集してきた。その数は、元将兵や市民を合わせ、800人以上にのぼる。証言の大半を占めるのは、無惨で生々しい「死」の記憶である。日中戦争から太平洋戦争に至る“昭和の戦争”の死者は、日本人だけで310万人。この夥しい死は、単に軍部の誤った戦争指導によってのみ、もたらされたのではない。“昭和の戦争”は国民の圧倒的支持を受けて始まった。その中で、日本各地の村々から大量の兵士たちが戦場に送り込まれていったのである。近年、こうした総力戦の実態を示す資料の発掘が各地で進められている。長野県の村に残る、戦死者の村葬の詳細な記録。そこには戦死者を“英霊”として称え、遺族に対して手厚い援助を行い続けた村の姿がある。そこから浮かび上がるのは、兵士の「潔い死」を美徳とする「故郷」の姿である。第1回は、常時数十万を超える大量の兵力が動員された“大陸”を舞台に、戦場と銃後が一体となって推し進めた“昭和の戦争”の実像を証言で記録する。


証言記録 日本人の戦争 第2回 太平洋 絶望の戦場   
2011年12月4日(日) 午後9時15分〜10時04分総合テレビ

日本人が体験した“昭和の戦争”の実像を、戦争体験者の証言で記録する「日本人の戦争」。第2回の舞台は太平洋。真珠湾攻撃以降、太平洋の広大な地域に戦線を拡大した日本軍。連合軍の反攻が始まると、国力を越えた戦線拡大の結果として、前線の兵士は悲惨な最期を辿ることになる。米軍の圧倒的な物量と火力に追いつめられる兵士たち。補給が途絶え、弾も食糧も尽き、孤立していく戦場。生き延びる手段を奪われ、捕虜となることを厳しく戒められていた多くの兵士が、餓えや病で死んでいった。過酷な太平洋の戦場を生きた元兵士たちの証言と、戦場の兵士から届けられた大量の軍事郵便が残された村を軸に、日本人が国を挙げて邁進した“昭和の戦争”の結末を描く。
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このように「発掘」された証言の数々を見るにつけ「日本軍は戦場で悪いことはしなかった」などという、ネトウヨの言葉など、如何に虚しいタワゴトにすぎないことがよく分かる。元兵士達は、NHKのカメラの前で自分の犯した罪を「懺悔」したことにより、長年の苦痛からやっと解放されたような、ほっとした表情を見せている。それはそうだろう、今まで家族にも話したことのない過去の重たい実体験を、彼らは初めて吐露したのだから。

日本の兵隊を苦しめたものに「戦陣訓」がある。これは東條英機が書いたとされる日本軍の「規範」である。「戦陣訓」のなかで唯一正しいことが書かれているのは、次の一文のみである「戦陣苟も酒色に心奪はれ、又は慾情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深く戒慎し、断じて武人の清節を汚さざらんことを期すべし。」しかしこの「戒め」が守られることは、稀だったようだ。「皇軍」行くところ「虐殺」「強姦」「略奪」が常に付いてまわった。

兵隊にとって一番恐ろしく、脅威だったのが「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」の箇所である。おまけに前段には「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。」と、日本人の一番弱いところを突いている。すなわち、おめおめ生きて帰ったならば、一家郎党、親戚に至るまで、恥をかく事になるぞ・・・というわけだ。この日本人にとって一番つらい「村八分」をちらつかせて、兵隊たちに「無駄死に」を強要したのがこの「戦陣訓」である。日本の軍隊の最も「前近代的」な部分が如実に現れた代物が、この「戦陣訓」なのだ。金をかけて訓練した兵隊を「無駄死に」させることが経済的にも戦略的にも、どれだけ「損失」になるのか?「捕虜」になることは、どれだけ敵の負担を増やすことにつながり、また脱走によって、どれほど敵の後方を撹乱できるのか?そのような合理的近代戦の考えとは無縁なのが、この「戦陣訓」であり、その内容は古代の「孫氏兵法」にすら何も学んでいない。「戦陣訓」は以下でご覧頂きたい。
http://hc6.seikyou.ne.jp/home/okisennokioku-bunkan/okinawasendetakan/senjinkun.html

先ほど第二回を見終わった。冒頭、ニューギニアでの「人肉食」が、元兵士によって語られた。兵站もなく、食料物資を断たれた日本軍は、戦友の死体を(あるいは戦友を殺して)食していたのだ。軍上層部からは(何と!)次のような「お達し」が出たそうな・・・「屍を食うべからず。ただし敵兵はその限りにあらず」。一体全体日本軍とはどういう軍隊だったのだろう・・・?このように日本軍は紛れも無く「人肉食」を常習的に行なっていたのだ。「人肉食は、中国人特有の野蛮な習慣だった」などと、当ブログに垂れ流してきたネトウヨの諸君、この際、この「事実」を、よく心に刻んで言葉を謹んで欲しいものだ。

かと思うと、ニューギニアで80名の部下と共に、アメリカに投降した中佐の話が出てきた。「戦陣訓」を無視して、部下と自分の命を救ったこの中佐の存在は、日本人にとっての一服の清涼剤だと思った。当時の日本軍の中にも「キチガイ」ではない軍人がいたんだと・・・。

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2012年01月20日

懐かしい番組「タモリの今夜は最高」

その昔やっていた「タモリの今夜は最高」は、時々見る程度だった。番組の最初にやっていたコントの中で鮮明に覚えているのが2つある。どちらも徹底的に馬鹿馬鹿しい内容のものだった。

一つ目は「夢の超特急」開通の話である。「所沢」と「オシャマンベ」を1時間で結ぶ「超特急」が開通するという。で、何で「オシャマンベ」かと言えば、その日のゲストが由利徹だったと、ただそれだけの理由である。たしか、この回には、あの「ドランク・ボクサー」たこ八郎も出ていた。

もう一つは「エイリアン」のパロディ。宇宙船が、とある星に不時着する。乗組員が降りてみると、そこには何故か「栄利庵」という屋号の蕎麦屋の廃墟がある。みんなで荒れた店内を探検していると、エイリアンの卵のようなものがあり、突然そこから「そば」が飛び出してきて、中村誠一(レギュラー、サックス奏者)の顔に張り付いて取れなくなってしまう。宇宙船に連れ帰ってベッドに寝かせるが、中村誠一が急に苦しみ始める。みんなで見ていると、中村の腹の中から一匹の「えび天」が飛び出し、サササササーと走って何処かへ行ってしまう。みんなでそれを見て呆気にとられる、という結末だった。久本雅美のギャグが面白く笑えたのが印象に残っている。もちろん彼女がナ◯ミョーであることなど、当時は知る由もなかった。

この手のバラエティの先駆けは、おそらく「シャボン玉ホリデー」ではなかったかと思う。「今夜は最高」も、基本的にはこの番組の構成を踏襲していた。始めに幾つかのコントを置き、ゲストとのトークがあり(これはシャボン玉にはなかったが)、歌で締めくくる。また最後に、タモリがゲストの女性を飲みに誘って断られる、というパターンは「シャボン玉ホリデー」でハナ肇がザ・ピーナッツの二人に肘鉄を食らうという、あのエンディングそのままだった。手ダレのジャズマンを多数従えて演奏するタモリのトランペットもなかなかのものだった。それはそうと、マイルス・デイビスのアルバム「'Round About Midnight」のジャケット写真は、どう見てもタモリにそっくりだ。

miles.jpg

タモリがこれのパロディをやらないわけがない、絶対やるだろうと、当時思っていたが、さすがのタモリも、尊敬するマイルスをネタにする気にはなれなかったようで、少なくとも私は見ていない。タモリのマイルスへの尊敬の念はたいしたもので、対談で対面して舞い上がるタモリの映像がYoutubeに残っている。http://www.youtube.com/watch?v=kjLQrV7Zy3E

タモリといえば、大昔に聞いた「戦後日本歌謡史」が素晴らしかった。発禁になる前にテープに取ったのを友達が持っていて、私は「貪るように」笑いながら聴いた。

赤いサンゴに 顔面ぶつけ
黙って潮吹く マッコウ鯨
サンゴは何にも知らないけれど
サンゴの毛虫は目でわかる
サンゴ乾いた 乾いたサンゴ

チョイとセケメのコレハでハラメ
ヘケの間にやらホコメ酒
ヘが出りゃケレサのクメハでゴロ寝
ケモノスダラにクサメキョナイヨ
スガッチァいるけどモロヘタね
あ、ホレ セケメレ セーケメダッタ
セラセラ セケメケケ
セーケ セケメダッタ セラセラセケメ
セケメレ セーケメダッタ セラセラセケメ
セケメレ セーケメダッタ
セケメダッタセラセラ

いや全く「抱腹絶倒」であった。

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2012年01月24日

東京グルメ紀行その3(新宿界隈)

新宿 「沖縄食堂 やんばる」。昔は、東口に抜けるガードをくぐると、大変に目立つ場所に看板が見えたものだけど、今はちょっと目立たない狭い通りに移ってしまった。現在の店は以前よりちょっと狭く、うなぎの寝床風に細長い。しかし、お客は相変わらず多い。沖縄出身者と沖縄大好き人間が、主な客層である。スクガラス、トウフヨウ、海ぶどう、島ラッキョウなどの珍味で、泡盛をちびちびやるもよし。ラフテーやゴーヤチャンプルーで、オリオンビールを飲むもまたよし。いずれにしても締めはソーキそばで決まり。私個人は、実は九州ラーメンの大ファンであるが、その次くらいに好きなのが実は沖縄そば。もっちりした太麺と、だしの効いたあっさりスープは実に美味い。

ついでに申し上げると、北海道生まれの私が、美味いと思う札幌ラーメンは、東京にはない。私が故郷で幼少期に食べた「南華園」の味噌ラーメンが、未だに最上の美味として忘れられない。この店は、今はスープの製造元の大企業になってしまい、店舗は出していないはずだ。あの味を是非また味わってみたいと思う。何十年か前に里帰りした際、藻岩山のロープウェイのてっぺんにある食堂で「南華園」に似た味にめぐり合ってびっくりしたことがある。ちなみに本州人がよく行く、すすきの「ラーメン横丁」には、美味い店などありはしない。札幌っ子は、ほとんど誰も行かない場所である。

私は、あまり積極的にラーメン屋を「開拓」するほうではない。理由は、納得する味に出会うよりも失望することが多いからだ。だから、知っている店は多くはない。九州ラーメンでは、末広亭近くの「桂花ラーメン 」が好きでよく行った。最初は、なにしろ脂っこいという印象だった。しかし、次からは病みつきになる。いわゆる「とんこつラーメン」というものを知ったのは、この店だった気がする。後発の「肥後のれん」も、結構好きで通ったものだ。ただし、現在は閉店(移転?)したらしい。中華そばでは、青梅街道の「昌平」が印象に残っている。出来た頃はその「安さ」「美味さ」に感動した。その後、味もメニューもずいぶん変わってしまい、足が遠のいた。今はどうなのだろうか?

西口の「ボンベイ」は、本格インドカレーを初めて食べた店。当時、本格インドカレーの店は東京にあまりなく、ガラス越しに大きなタンドールを見て感動した覚えがある。今は近隣にも「ジンナー」という美味い店が出来た。以前、グルメ紀行上野編で紹介した「アーグラー」が、私の東京インドカレーの一押しであるが、それにも負けないお店が、東京にもずいぶんと出来たものだと思う。都心を離れた私鉄沿線などにも多いので、機会があると入って見るようにしている。当たり外れもあるが、結構楽しい。インド人のマスターや従業員は、気さくで日本語が上手な人が多いので、色々話しかけるのも苦にならない。

その昔、足しげく通ったのは、西口「ヨドバシカメラ」裏にある、地階の居酒屋「猿の腰掛」だが、もう閉店してしまった。文化人や芸能人もよく見かける店だった。一階の炉端焼き店は最近までやっていたが、こちらももう閉店したのだろうか、ネットには引っかからなくなってしまった。焼き鳥「ぼるが」は、デカくて硬い焼き鳥と、レトロな店構えの店。仲間内では「ぼろが」と陰口を叩いていた。

忘れてならないのが「思い出横丁」で、新宿に用事があるとかならず行ってしまう。多くの店が入れ替わるのと、その多くが雇われマスターやママなので、行くたびに雰囲気が変わったりするが、その「迷宮」のような通りに入り込んだが最後、必ず5〜6軒はハシゴしてしまう。角の「但馬屋珈琲店」の隣にある「みのる」にはよく行く。狭い階段を地下に降りていくと、寡黙で礼儀正しい、いずれもかなりの年配のバーテンダーさんが数人で切り盛りをしている。一人静かに飲むのには良い店だ。2〜3軒隣の「鳥園」は、いつ行っても混んでいる人気店で、なめろうが美味い。飲んだあとに、ちょっと小腹を満たすのに良いのが「若月」で、あの独特の太い焼きそばでビールをやるのが好きである。蕎麦屋の「かめや」は、立ち食いそば(椅子はあるが)ではおそらく東京一美味い店ではなかろうか?温泉卵とかき揚げの入ったのを、真冬に北風を受けながら食うのは、まことに趣がある。

「思い出横丁」で思い出すのが、定食屋でとんかつを注文した時のことだ。パン粉を入れた引き出しをマスターが開けたときに、黒いかなりの大きさの物体が、その中をサササッと逃げたのを目撃したことがある。ま、そういうこともあるさ(笑)。今となってはいい「思い出」である。

新宿は、ずいぶんと変わってしまった。まだまだ他にも、名前も覚えていない店に通ったものだが、また思い出したら書いてみたい。


東京グルメ紀行その1
http://takashichan.seesaa.net/article/168701538.html

東京グルメ紀行その2(上野界隈)
http://takashichan.seesaa.net/article/168839037.html

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2012年01月25日

東京グルメ紀行その4(都下および近郊)

その昔(私の昔は大体おおまかに10〜30年と思っていただきたい)、名古屋の名鉄金山駅のホームに、縄暖簾の赤提灯があるのにびっくりしたことがある。さすがにこういった店は関東では見かけない(条例で出店できないのかも知れない)。その代わりと言っては何だが、東京上野には「居酒屋常磐線」というものがある。この居酒屋が、他店と違っているところは、お酒・おつまみすべて「持ち込み」であるということだ。

上野駅では毎夕、キオスクで買ったビール、カップ酒、さきイカ、柿ピーなどが入ったビニール袋を大事そうに抱えたお父さんたちが、40分くらい前からホームで「常磐線快速列車」を待っている。列車が入ってくると、素早くボックス席に着く。ボックス席のない、向かい合わせの席の車両の入り口は避ける。その辺のところは、既に頭にインプットされているのであろう。

彼らは、牛久や水戸等に自宅のあるサラリーマン達である。長距離通勤の時間を「有効利用」する、いわばこれは「生活の知恵」なのだ。席に座るやいなや、彼らの「宴」は始まる。まったく違った会社の者同士が、示し合わせて毎日乗り合わせているように私の目には映った。おそらく自然に車内で知り合った「常連」なのであろう、いわば「同好の士」である。酔ってくるから当然、声高になる。若い女性客などはあからさまに嫌な顔をしたりする。これを嫌い、快速には乗らない、という女性もおそらく居るに違いない。しかし、本人達は至って平気である。尤も、それほど酒癖の悪い人は居ないようだ。もし、私が水戸から通っていたなら、絶対に仲間に入っていただろう(笑)。

こういう雰囲気の列車は上野駅の在来線でも、常磐線以外にはない。山手線や京浜東北戦では、さすがにこれをやる人はいないし、同じ長距離電車でも、東北線や高崎線にはないような気がする。ボックス席が無いからかも知れない。

少し「居酒屋常磐線」のご紹介が長くなってしまった。この辺で船橋のおすすめ店の話に変わろう。船橋には「仲通り商店街」というハモニカ横丁があり、そこには飲み屋が集まっている。数ある中でご紹介したいのは「一平」と「加賀屋」であろうか?「一平」は、この界隈では知らぬ者のない赤提灯で、なにしろつまみが安い。一番高い鯨のベーコン、鯨ステーキが450円で、それ以外は200円〜350円といったところ。私は、辛い酢味噌を付けて食べる豚足、揚げ物(メヒカリ、アジ、メンチ等)が好きで、よく注文する。飲み物は、ホッピー、ビール、日本酒など。

吉田類さんではないが、この横丁へ行くと「もうあと2〜3軒」ということになってしまう。続いては「加賀屋」さん。焼き鳥、魚介刺身をメインになんでもある。レバ刺しが新鮮で安い。私が最後に頼むのは、ふぐのひれ酒が多い。行くと必ず飲む。「加賀屋」名物は何と言っても「ハイボール」であろう。かなり焼酎の量が多いので、2杯ぐらいで結構酔う。つまみの選択によってはいわゆる「センベロ」が可能な、数少ない店かもしれない。

飲み屋は、他にもいっぱいあるが、一階の炉端焼き店で飲んでいると、二階のキャバクラのお姉さんがさりげなく誘いに来る◯◯というお店があるので要注意(おそらく経営が一緒)。とは言ってもぶったくりではないからご安心を。更に、この通りには、本格インドカレーの「ガンディー」があっておすすめである。

錦糸町に移る。「丸源」は、南口のすぐ近くにある立ちのみの焼鳥屋である。先ほどの「加賀屋」もそうだが、このあたりの飲み屋は、日曜日は昼間からやっていて、しかもお客の半数は、耳に赤鉛筆を挟み、新聞を持っている。丸井から一本入った通りは、競馬開催日にはお祭り状態になる。博打に興味のない私は、彼らを観察しながら飲むのが好きである。

私の好きなカレーであるが、錦糸町では「タイ国料理 ゲウチャイ」がおすすめ。私は、家でもタイカレーをよく作る。レッドカレーのペーストにココナツミルクの缶詰があれば、意外と簡単にできる。タイの焼きそばは、砂糖がまぶしてあって甘い。そして辛い。誠に意表を突く味である。カレーにも砂糖とレモン汁を必ず入れる。そして大量のチリパウダーだ。錦糸町には、タイ料理を始めいわゆる「エスニック料理」の店が多く、北口には食材店まである。ブラジルからメキシコ、タイ、インド、インドネシア、中華、韓国の食材まであり、スパイスや缶詰のほか、パクチー、レモングラスなどの香草も売っている。インドレストランにしてもそうなのだが、日本では、本格エスニックカレーの店では何故「インディカ米」を使わないのだろう?私が好きで良く行く店も、ほとんどはジャポニカ米を「硬め」に炊く「だけ」という店が多い。放射能の心配のない「タイ米」を、この際もっと普及させるチャンスだと思うのである、如何であろうか?何と言おうがカレーは、間違いなくインディカのほうが美味い。

錦糸町はその昔、世間ではいかがわしい街という印象が非常に強かった(実感なさるためには、笑福亭鶴光の「うぐいすだにミュージックホール」を聞くことをお薦めする)。ところが、再開発で「すみだトリニティーホール」が出来てからというもの、一瞬にしておしゃれな「文化都市」に変貌してしまった。こういう街も珍しいかも知れない。池袋の例もあるが、もともとかの地には立教大学が「文化」の匂いを醸し出していたので比較はできなかろう。いかがわしい場所も「たまにはあった」といったところか。

ところ変わって秋津市。秋津駅からほど近いところにあるのが、立ちのみの焼き鳥「野島」だ。ただし微妙な場所ゆえ住所は東村山市。ここの焼き鳥は美味しい。とにかく焼き鳥の串がでかい(肉が大きいという意味)。馬刺しやレバ刺しも美味いので、いつも満員になる。なにしろカウンターしか無く狭いときているので、はじめのうちはカウンターに対し「平行」の体勢で飲んでいられるのだが、混んでくると45度、60度、そして最後にはカウンターに肩肘ついて90度の角度で立つ。そしてその頃には、飲み物のジョッキは窓の桟の置く、ということになる。ま、一度行ってみれば、私の言う意味が分かるはずだ。JR新秋津の駅から西武線秋津の間の1キロあまりの商店街は、食べ物屋・飲み屋以外にも昔ながらの良い店が多い。西武も、ここには量販店を敢えて出店しない方針なのだろう。活況は今も続いている。ただし、もし両駅が一緒か、接近していたら、この商店街はありえなかったろう。

最後は松戸の「上州屋」。こちらは松戸駅西口からひとつ入った通りにある名店である。何を食べてもハズレということはまずない。ごぼうの天ぷら、レバ刺し、軟骨つくね等。マスター夫婦と、息子さん、マスターの弟さんとで「同族経営」に徹している。最近は息子の大ちゃんの奥さんも、お店でよく見かけるようになった。このあたりはミニ「思い出横丁」とでも言うべき飲み屋街が形成されており、私の場合お約束通り「ハシゴ」と相成るわけである。店の裏手には、妙齢のママさんたちの経営する小さな飲み屋がひしめいている。番外として、松戸には「大都会」があり(池袋にもあるが)、朝までやっている。私は普通、数軒ハシゴしたあと終電を逃したときは、ここで朝まで明かす。マスターは、私が突っ伏して寝ていても文句を言わず、始発の時間になると優しく起こしてくれる。優しいのだ。大概ここで飲み始めてほかへ行くので、その日は2回顔を出すことになるわけだ。

他にも紹介したい店はいっぱいあるが、今日のところはこれまで。

 
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2012年06月20日

データの転送

みなさんは、自宅のパソコンからもう一台のパソコンへデータを送るときに、どうしておられるだろうか?無線LANを使用しておられる方ならば、ドライブを「共有」にしておいて、直接データをやり取りできる。しかし、この方法の欠点は「どちらのパソンも電源が入っていないとダメ」ということである。同様にUSBケーブルで繋ぐ「Spider」というソフトの場合も、双方電源を「ON」にしなくてはならないし、何よりもパソコン同士が近くになくてはならない。

遠く(例えば二階と階下)にパソコンがある場合で、受け側のパソコンの電源が入っていなくてもデータを転送する方法というのが、今回のテーマである。現在私が使用している(してみた)ものとしては次のものがある。

1.USBメモリー
2.Dropbox https://www.dropbox.com/tour/1
3.SkyDrive http://windowslive.jp.msn.com/skydrive.htm

2.と3.は、ウェブ上にデータを置く、いわゆる「クラウド」というものである。クラウドの信頼性が今ひとつ心配という方には、お勧めできない。かく言う私も簡単なデータの「やり取り」以上のことには使いたくないと思っている。

最近、大量の動画をダウンロードして2.Drpbox(無料版)で送って、みてひどい目にあった。容量が足りないのである。おまけに「容量が足りない」というメッセージが出るのが遅い。全部転送したつもりで、元のデータを削除したところ、Drpbpxの中には動画が一部しかコピーされていなかった。ヤレヤレまたダウンロードのやり直しだ。腹が立ったのでDropboxは削除してしまった。

次が3.SkyDrive。SDExplorerというコンポーネントを使うと、通常のドライブの感覚で用いることができる。ただしアップロードできるのはファイルのみで、フォルダを中に作ることはできない。これは無料版でも25ギガバイトまで保存できるので問題はない。と思って使ってみたところ、とんでもない欠点があった。コピーの速度がばかみたいに遅いのだ。3ギガくらいのデータをアップするのに2時間以上かかる。これも使いものにならないことがわかった。

で、結論を申し上げると、以前から使っている4ギガの1.USBメモリーが、一番早く、安全で、確実であることがわかった。

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2012年08月09日

「差別」と「区別」

今日は「言葉の概念」について少し書かせていただくことにする。例によって、とりとめの無い内容なので、あまり深く考えないで読んでいただけると嬉しい。

「言葉の概念」と一言で言っても「具体的な概念」もあったり「抽象的な概念」がある。具体的なもので、分かりやすい例として、以前こんな図式を見ていただいたことがある。

<中国の「麺」およびイタリアの「パスタ」と、日本の「麺類」の概念の図式>menruibunrui.BMP


中国語における「麺」の概念と、イタリア語における「パスタ」の概念は、ほぼ一致対応しており、それらと日本語の「麺類」の概念を図式化すると、およそ上記のようになる、というものである。両者の違いを簡単に言うと、中国語やイタリア語では「小麦粉から作られた食品」を「麺」あるいは「パスタ」と名付けているのに対し、日本語では「長い形をした食品」を「麺類」としている。このことから、概念のズレが起き、日本では、例えばだから「しらたき」を「麺類」と言ったりする人もいるほどだ。

次に、もう少し抽象的な概念の例を見ていただくことにする。日本語における「文明」と「文化」の概念の関係である。ご参考までに「大辞林」における、これらの語句の定義を見てみよう。

ぶん‐めい【文明】    
人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。

ぶん‐か〔‐クワ〕【文化】    
1 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の―」「東西の―の交流」
2 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。
3 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「―住宅」

[用法]文化・[用法]文明――「文化」は民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの総称で、世代を通じて伝承されていくものを意味する。◇「文明」は人間の知恵が進み、技術が進歩して、生活が便利に快適になる面に重点がある。◇「文化」と「文明」の使い分けは、「文化」が各時代にわたって広範囲で、精神的所産を重視しているのに対し、「文明」は時代・地域とも限定され、経済・技術の進歩に重きを置くというのが一応の目安である。「中国文化」というと古代から現代までだが、「黄河文明」というと古代に黄河流域に発達した文化に限られる。「西洋文化」は古代から現代にいたるヨーロッパ文化をいうが、「西洋文明」は特に西洋近代の機械文明に限っていうことがある。◇「文化」のほうが広く使われ、「文化住宅」「文化生活」「文化包丁」などでは便利・新式の意となる。

以上は、抽象的な概念である「文明」と「文化」を大変に分かりやすく説明してくれている定義だと思う。ところが私は「大辞林」の定義とは別に、もう一つ、司馬遼太郎氏の定義というものを、以前にご紹介したことがある。それは次のようなものであった。

・文化とは、優劣がなく、普遍的でないもの
・文明とは、優劣があって、普遍的なもの

この定義は、実によく出来ていて、簡潔でありながら、ほとんどすべてを「言い尽くしている」と思っている。今回私は次のような図式を作ってみた。

<「文明」と「文化」の図式>

文明と文化.jpg


例えば「米食」というのは明らかに「文化」である。一般に「食文化」と言われるように、通常「食」は「文化」の範疇に入るものと見るべきだろう。だから、これには「優劣」は無い。例えば「米食」よりも「パン食」のほうが文化的に上だとか「椅子」の生活が「畳」の生活よりも上だということはない。同様に「クジラ食」が「犬食」よりも文化的に高級であるということもなければ、丼を「混ぜないで」食べる文化が「混ぜて」食べる文化よりも優れているということはない(もちろんこの場合「倫理」というものには、敢えて触れないでおく)。このへんのことを私は、以前に「日本人とユッケビビンバ」と題したエントリーで書いた。

さて、司馬遼太郎氏は、上記のように、この2つを切り離して定義をしたわけだが、実は「文明」と「文化」は、互いに重なりあう概念でもある。同じ事物に対し「文明」という評価をしても良いし「文化」という評価もありうる、というものが、相当無数にある。それが、私の描いた図式の真ん中の部分。例えば「電気釜」というものがあるが、これは「米食」という「文化」を機械文明によって推し進めた結果、究極的に得られた「文明」である。だから「文化」であり、同時に「文明」である存在なのだ。その意味で、「電気釜」には「優劣」が存在することになる。戦後すぐに作られた旧式の電気釜よりは、現代のITを装備した電気釜は、文明的には明らかに優れている。こうして見ると「文化」は、ある程度「古いもの」、「文明」は比較的「新しいもの」ということができそうである。

しかし、では例えば「黄河文明」という言葉がある。「黄河文明」といえば随分、古いじゃないか?と、問われるとそのとおりなのである。しかし、同時代で限ってみれば「黄河文明」は、他より新しかった。何故なら、近隣の国では未だに土器や石器を使っていたのに「黄河文明」では、すでに文字まで作り上げていたわけであるから、当然「新しく優れた」ものであったといえる。とするとやはり、文明とは、比較的「新しいもの」にしっくりと来る言葉のようだ。しかも当然、司馬遼太郎の言うように「優劣」があるということになる。

しかし、ここでハタと、ある事実に行き当たる。「古い文明」のほうが「新しい文明」よりも、優れているということはないか?という疑問である。考えてみると、それがけっこうあったりする。電気釜で炊いたご飯より、鉄釜と竃で炊いたご飯のほうが美味しい(優れている)などという場合。古代ギリシャの民主主義社会は、ヒトラー独裁のドイツより、天皇制軍事国家の日本より、スターリン時代のソ連より、優れていた、というような場合。こう考えていくと、常に「新しい文明」が優れている、とも言えそうにない。

例えば、古い楽器は、現代の楽器より「劣っている」とは限らない。キーなどの機械装置的には、劣っていても「音色」では優っている、と感じる人もいる。だから現代において「古楽器ブーム」なども起きたわけである。バッハの音楽より、シェーンベルクやストラビンスキーの音楽のほうが新しいから「優れている」などとは誰も思わない。100人が居たら、むしろ多分98人くらいは、バッハのほうが優れている、と答えるに違いない。あるいは「それは比較にはならないよ」などと、言う人も居るかもしれない。そして多分、その人が正しいのだ。つまり、実は音楽に代表される「芸術」こそ、まさに「文化」そのものなのであるから「優劣」などつけることなど出来ないよ、というのが、この問題の「正解」なのだ。ポピュラー音楽よりクラシックのほうが上、ということもなければ、演歌よりジャズが上ということもない。歌舞伎より文楽のほうがが下でもなければ、吉本喜劇が文楽よりも上ということもない。結局、司馬遼太郎の「文明・文化」の定義が、最も当を得た解釈だということになる。

さて、ここからが今日の「本題」となる。

「差別」と「区別」という概念も、互いに重なる部分の多い概念である。いわゆる「境界線が曖昧」というやつである。だからこそ、ネトウヨなどが差別的なことを言っておいて「これは差別ではなく区別」などというエクスキューズに利用したりする。さて、例によって「大辞林」から。

さ‐べつ【差別】    
[名](スル)
1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の―を明らかにする」
2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって―しない」「人種―」
3 ⇒しゃべつ(差別)

く‐べつ【区別】    
[名](スル)あるものと他のものとが違っていると判断して分けること。また、その違い。「善悪の―」「公私を―する」

このとおり、ほとんど同じといってもいいくらいである。どちらも複合動詞「-する」の形で用いられる。ただし、差別の方は「2」の分だけ意味する範囲が広がっている。つまり、区別は、もっぱら「必要」を以って為されるものであるのに対し、差別は「恣意的に」「悪意を以って」「不当に」行われる場合もある、というのがこの2つの概念の、主な違いなのである。しかし「悪意があるか、無いのか」の境界もまた曖昧である。しかし、ネトウヨが「これは差別ではなく区別だ」などと言う場合は、明らかに「恣意的に」「悪意を以って」行なっている場合がほとんどであるから、そんなものは問題外といえるのである。ネトウヨが「差別」を「正当化」している例として、以下にご紹介するが、読んで気分が悪くなるかもしれないことを、予めお断りしておく。

Valziek
http://takashichan.seesaa.net/article/105960343.html

さて、そんな「差別」という言葉を伴った熟語には、ネガティブなものが当然多いことになる。「人種差別」「民族差別」「女性差別」「障害者差別」「外国人差別」「雇用差別」「学歴差別」「部落差別」・・・。特に、持って生まれた「属性」に対して行われる「差別」が一般に、より醜悪であるとされる。ネトウヨが「得意」とする分野がまさにこれだ。なお「レイシズム」という言葉は、一般に「人種差別」をさすが、これも少し曖昧なようである。アメリカの白人が、黒人や、アジア人を差別する場合は分かりやすいが、ナチが行なった「ユダヤ人差別」は、果たしてレイシズムだろうか?そもそも「ユダヤ人」というのは、学問的には人種ではないし、民族ですら無い。より正確には「ユダヤ教を信仰する人(すなわち共同体)」を指すのである。そもそもヒトラーは学問的に「人種」というものをちっとも理解してはいなかった。だから、エチオピアには「黒人のユダヤ人」すらいることをヒトラーは知らなかっただろう。尤もそれ以前に、ヒトラーは黒人も(こちらは正真正銘の)「人種差別」していたのだから関係ないが。ヒトラーは、ありとあらゆる民族や共同体を差別したが、その中でも、主に彼が憎悪した対象は「白人種のユダヤ人」であった。祖国の経済を陰で支配しているのは、ユダヤ人である、と信じ込み(ただしそれは少なからぬ事実でもあったのだが)攻撃したのだ。※注1)その意味で、日本人の、アジア人(特に在日朝鮮韓国人)差別は、ヒトラーのユダヤ人差別と似ているかもしれない。「日本を陰で支配しているのは、在日朝鮮人である」(尤もこちらの方はただの「妄想」でしかないが)とは、ネトウヨからよく聞かれるセリフである。以上は、明らかに「区別」ではない概念としての「差別」であった。

次は、境界線の曖昧な場合。これが実は「ジェンダー」の領域に極めて多い。よく例に出される、例えば「生理休暇」は、女性の身体的特徴を考慮した制度であり、生活保護の「母子加算」は、女性の社会的権利の弱さを考慮した制度である。また、3.11以降、女性を放射能から守る(疎開させる)、というのは女性が「産む性」であることから当然といえる。これらは「差別」ではなく「区別」とされる。それに対し「女性は家庭を守っておれば良い。男性に従属しておればいい。女性に選挙権は要らない。」つい70年前までのこうした「無権利状態」は、紛れもなく「差別」とされる。

だが、それでは中曽根康弘が言った「家庭の主婦は、私の言うことなど聞いていない、私の締めているネクタイの柄しか見ていない」はどうだろう?常識の範囲で言うとこれは、間違いなく「差別発言」であろう。建前はそれでいいと思う。しかし、一面、これは「真実」ではないのか?と思う人もいる。私もその一人。私は、男性にも女性にも、これを「真実」だ、と思う人がいるのではないかと思っている。

そうなのだ、これを言ってしまう私が良くないのだ(笑)。しかし、石原慎太郎を四期も当選させ続けているのは紛れも無い「女性票」だという事実(これはいわゆる「出口調査」によって証明されている)がありながら、これを批判してはならない、としたら、これは「思想統制」にならないだろうか?冗談はさておき、一昨日REDさんが、次のように書いて下さったのは、だから私にとっては「助け舟」であった。

>そんな事言ったら日本人的なダメなところ、男性的なダメなところも批判できなくなりますよ。
>男にもダメなところがたくさんあるように女にもダメなところが多々あるのです。
>自分は違うと言うのは個人的な話で、全体的な傾向やデータに基づいた分析などは重要です。

※注1)
ヒトラーが「日本人」をどう評価していたかについては、次のエントリーを参照されたい。

<「差別」と「区別」の図式>
20140125_152302.jpg



posted by takashi at 22:59 | Comment(12) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月13日

電波芸者、池上彰の戦争を考えるSP〜戦争を起こした独裁者と熱狂〜

images.jpg

池上彰の「戦争を考えるSP」という番組を見てしまった。
http://www.tv-tokyo.co.jp/ikegamiakira/

番組の冒頭場面では、過去と現在の世界中の「独裁者」の人形を、ズラーッっと並べて見せる池上彰さん。ムッソリーニ、ヒトラー、スターリン、フセイン、カダフィー・・・あれれ?ちょっと待ってよ!池上さん?何でないんだ?日本の「ヒロヒト」人形が?とまあ、最初からこんな感じで始まるおなじみの池上センセイの番組であった。

1.日本に起きた“熱狂”・・・庶民の生活はこんなに窮屈だった
独裁者はいなかったものの、日本は戦争に向かってまっしぐら・・・女性も子供も戦争のために働きました。“竹のランドセル”に“鉄製でないアイロン”…資源は全て戦争の為に使われました。当時の貴重な映像と巷にあふれたスローガンなどを紹介しながら“熱狂という空気感”が充満していた日本について考えます。


独裁者はいなかったものの???おいおい!何言ってんだよ(笑)。

「大日本帝国憲法において統治権は天皇の大権とされた。大日本国憲法第4条は天皇を統治権の総攬者と定めていた。しかも、日本建国から定められていたという説明がなされた。皇祖皇宗の遺訓により、あるいは神勅に基づいて統治が行われるとされた。」

って、ウィキペディアにも書いてあるんだぜ(笑)。どう考えたって「天皇」は「独裁者」だろーが(笑)。だいいちヒロヒトさんは、昭和2年から22年まで、こんなにも多くの「勅令」を出しているんだぜ!「勅令」ってのは、議会も通さずに、天皇が勝手に決めた法律のことなんだぞ!「独裁者はいなかったものの」って・・・アンタ、一体どこの国のハナシしてんだよ?え?池上さん?

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昭和2年 [編集]

休日ニ関スル件(昭和2年勅令第25号):国民の祝日に関する法律により廃止
関東州ニ於ケル航空ニ関スル件(昭和2年勅令第267号)
昭和3年 [編集]

治安維持法中改正ノ件(昭和3年勅令第129号)
昭和4年 [編集]

関東州及南満洲鉄道附属地並ニ南洋群島ニ於ケル資源調査ニ関スル件(昭和4年勅令第328号)
神社制度調査会官制(昭和4年勅令第347号)
昭和6年 [編集]

関東州及南満洲鉄道附属地並ニ南洋群島ニ於ケル入営者職業保障ニ関スル件(昭和6年勅令第263号)
朝鮮、台湾、関東州及満洲国ニ於ケル学位授与ニ関スル件(昭和6年勅令第268号)
昭和7年 [編集]

旅順高等公学校官制(昭和7年勅令第55号)
在満官吏ニシテ満洲派遣特命全権大使ノ随員ヲ命ゼラレタル者ヲ定員外ト為ス等ノ件(昭和7年勅令第228号)
昭和8年 [編集]

南洋群島ニ於ケル司法警察官ノ職務代行ニ関スル件(昭和8年勅令第10号)
南洋庁実業学校官制(昭和8年勅令第40号)
南洋群島ニ於ケル行政執行ニ関スル件(昭和8年勅令第51号)
満洲事件ニ因リ損害ヲ被リタル者ノ救恤ニ関スル件(昭和8年勅令第143号)
関東州ニ於ケル司法警察官ノ職務代行ニ関スル件(昭和8年勅令第151号)
関東州及南満洲鉄道附属地電気通信令(昭和8年勅令第197号)
関東州外国為替管理令(昭和8年勅令第241号):(関東州及南満洲鉄道附属地外国為替管理令から改題)
南洋群島土地調査令(昭和8年勅令第263号)
南洋庁土地審査委員会令(昭和8年勅令第264号)
昭和9年 [編集]

南洋群島ニ於ケル貿易調節及通商擁護ニ関シ昭和九年法律第四十五号ニ依ルノ件(昭和9年勅令第119号)
対満事務局官制(昭和9年勅令第347号):大東亜省官制により廃止
関東局官制(昭和9年勅令第348号)
対満事務局及関東局ノ職員ノ特別任用等ニ関スル件(昭和9年勅令第378号)
現役ニ在ル陸軍武官ニシテ対満事務局又ハ関東局ノ職員ニ専任又ハ専補セラレタル者ノ分限等ニ関スル件(昭和9年勅令第387号)
昭和10年 [編集]

大連工業学校官制(昭和10年勅令第34号)
関東州及南満洲鉄道附属地ニ於ケル青年学校ニ関スル件(昭和10年勅令第91号)
昭和11年 [編集]

関東師範学校官制(昭和11年勅令第73号)
南洋拓殖株式会社令(昭和11年勅令第228号)
南洋群島官有財産評価委員会官制(昭和11年勅令第229号)
関東州及南満洲鉄道附属地不穏文書臨時取締令(昭和11年勅令第261号)
南洋庁熱帯産業研究所官制(昭和11年勅令第330号)
関東州等ニ於ケル横浜正金銀行券発行禁止等ニ関スル件(昭和11年勅令第335号)
方面委員令(昭和11年勅令第398号)
昭和12年 [編集]

南洋庁事務官ノ特別任用ニ関スル件(昭和12年勅令第5号)
関東州商工会議所令(昭和12年勅令第33号)
関東州国有財産令(昭和12年勅令第48号)
大連聾唖学校官制(昭和12年勅令第96号)
南洋群島国有財産令(昭和12年勅令第101号)
南洋群島ニ於ケル傷病兵其ノ家族若ハ遺族又ハ下士官兵ノ家族若ハ遺族ノ扶助ニ関シ軍事扶助法ニ依ルノ件(昭和12年勅令第277号)
関東州及南満洲鉄道附属地銀行令(昭和12年勅令第294号)
関東州農会令(昭和12年勅令第432号)
南洋群島ニ於ケル輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件(昭和12年勅令第516号)
支那事変ノ為従軍シタル軍人及軍属ニ対スル関東州及南満洲鉄道附属地ニ於ケル租税ノ減免、徴収猶予等ニ関スル件(昭和12年勅令第572号)
関東州及南満洲鉄道附属地ニ於テ依ルコトヲ定メタル軍需工業動員法ノ適用ニ関スル件(昭和12年勅令第604号)
関東州臨時資金調整令(昭和12年勅令第651号)
南洋群島臨時資金調整令(昭和12年勅令第653号)
満洲国駐箚特命全権大使ノ神社及教育ノ行政事務ノ管理ニ関スル件(昭和12年勅令第680号)
在満洲国大使館ニ教務事務官等ヲ置クノ件(昭和12年勅令第681号)
満洲国ニ委託スル通信業務及其ノ附帯業務ニ関スル件(昭和12年勅令第683号)
満洲国大使館視学官特別任用令(昭和12年勅令第690号)
満洲国大使館教務事務官及視学官ノ特別任用ニ関スル件(昭和12年勅令第691号)
在満学校組合令(昭和12年勅令第695号)
在満学校組合又ハ在満学校組合連合会ノ主事ノ特別任用等ニ関スル件(昭和12年勅令第709号)
南洋群島ニ於ケル貿易及関係産業ノ調整ニ関スル件(昭和12年勅令第722号)
関東州ニ於ケル輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件(昭和12年勅令第727号)
関東州防空令(昭和12年勅令第728号)
関東州防空委員会令(昭和12年勅令第729号)
昭和13年 [編集]

北支那開発株式会社法(昭和13年勅令第81号)
中支那振興株式会社法(昭和13年勅令第82号)
関東州州計画令(昭和13年勅令第92号)
関東救療所官制(昭和13年勅令第187号)
南洋群島地方費令(昭和13年勅令第224号)
関東州地租令(昭和13年勅令第252号)
関東州家屋調査令(昭和13年勅令第289号)
南洋群島ニ於ケル国家総動員ニ関スル件(昭和13年勅令第317号)
南洋庁気象台官制(昭和13年勅令第504号)
関東気象台官制(昭和13年勅令第705号)
関東州思想犯保護観察令(昭和13年勅令第793号)
関東保護観察審査会官制(昭和13年勅令第794号)
支那事変ノ為従軍シタル軍人及軍属ニ対スル南洋群島ニ於ケル租税ノ減免、徴収猶予等ニ関スル件(昭和13年勅令第639号)
昭和14年 [編集]

南洋庁高等女学校官制(昭和14年勅令第87号)
関東青年学校官制(昭和14年勅令第239号)
関東州国勢調査令(昭和14年勅令第310号)
関東州国家総動員令(昭和14年勅令第609号)
関東州学校卒業者使用制限令(昭和14年勅令第646号)
支那ニ於テ主トシテ教育ニ関スル事務ニ従事スル領事官及外務書記生ノ特別任用ニ関スル件(昭和14年勅令第683号)
満洲国ノ武官タル帝国臣民ノ陸軍武官補充ニ関スル件(昭和14年勅令第788号)
南洋群島ニ於ケル航空ニ関スル件(昭和14年勅令第896号)
昭和15年 [編集]

満洲国ノ学校ニ陸軍現役将校ヲ派遣スルノ件(昭和15年勅令第57号)
旅順高等学校官制(昭和15年勅令第123号)
関東局ニ在満教務部ヲ設置スル等ノ件(昭和15年勅令第268号)
関東州総動員補償委員会規程(昭和15年勅令第661号)
昭和16年 [編集]

南洋群島ニ於ケル外国為替管理ニ関スル件(昭和16年勅令第10号)
国民学校令(勅令第148号)
南洋庁国民学校官制(昭和16年勅令第284号)
在満師範学校官制(昭和16年勅令第316号)
金州農業学校官制(昭和16年勅令第317号)
大連商業高等学校官制(昭和16年勅令第366号)
関東州及南洋群島ニ於ケル統計資料実地調査ニ関スル件(昭和16年勅令第379号)
関東州及南洋群島船舶保護令(昭和16年勅令第458号)
関東州軍人軍属等犯罪即決令(昭和16年勅令第533号)
関東州治安維持令(昭和16年勅令第555号)
関東州国防保安令(昭和16年勅令第673号)
中華民国ニ於ケル麻薬等取締令(昭和16年勅令第815号)
旅順工科大学ノ学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件(昭和16年勅令第925号)
大正十二年勅令第三百九号獣疫調査所ニ臨時職員増置ノ件及昭和十二年勅令第六百六十七号(大正十二年勅令第三百九号ノ職員ニ関スル件)廃止ノ件(勅令第1044号、12月2日公布)
産業設備営団法施行期日ノ件(勅令第1045号、12月2日公布)
産業設備営団法施行令(勅令第1046号、12月2日公布)
台湾総督府税関官制中改正ノ件(勅令第1047号、12月3日公布)
肇国聖蹟調査委員会官制(勅令第1048号、12月5日公布)
税務署官制中改正ノ件(勅令第1049号、12月6日公布)
憲兵令中改正ノ件(勅令第1050号、12月6日公布)
南洋群島軍人軍属等犯罪即決令(勅令第1051号、12月6日公布)
文部部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第1052号、12月6日公布)
保険院官制中改正ノ件(勅令第1053号、12月6日公布)
朝鮮総督府税務官署官制中改正ノ件(勅令第1054号、12月6日公布)
警視庁官制中改正ノ件(勅令第1055号、12月6日公布)
北海道庁官制中改正ノ件(勅令第1056号、12月6日公布)
地方官官制中改正ノ件(勅令第1057号、12月6日公布)
庁府県臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第1058号、12月6日公布)
海軍武官任用令中改正ノ件(勅令第1059号、12月6日公布)
海軍武官進級令中改正ノ件(勅令第1060号、12月6日公布)
海軍武官服役令中改正ノ件(勅令第1061号、12月6日公布)
労働者年金保険法ノ一部施行期日ノ件(勅令第1062号、12月6日公布)
労務調整令(勅令第1063号、12月6日公布)
資源科学研究所官制(勅令第1064号、12月8日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1065号、12月8日公布)
農林部内臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第1066号、12月9日公布)
林業試験場官制中改正ノ件(勅令第1067号、12月9日公布)
台湾総督府交通局鉄道医、鉄道薬剤師及鉄道医院主事ニ関スル件(勅令第1068号、12月9日公布)
昭和十六年法律第三十五号委員会等ノ整理等ニ関スル法律ノ一部施行期日ノ件(勅令第1069号、12月9日公布)
特別都市計画法施行令及大正十三年勅令第三百二号特別都市計画事業ニ伴フ建物其ノ他ノ工作物ノ移転ニ因リ支払フヘキ補償金等ヲ前金払ト為スノ件廃止ノ件(勅令第1070号、12月9日公布)
逓信省官制中改正ノ件(勅令第1071号、12月10日公布)
逓信部内臨時職員設置中改正ノ件(勅令第1072号、12月10日公布)
昭和十二年勅令第六百三十七号逓信医及逓信薬剤師ニ関スル件(勅令第1073号、12月10日公布)
貯金局官制中改正ノ件(勅令第1074号、12月10日公布)
電気庁官制中改正ノ件(勅令第1075号、12月10日公布)
航空局官制中改正ノ件(勅令第1076号、12月10日公布)
中央航空研究所官制中改正ノ件(勅令第1077号、12月10日公布)
電気試験所官制中改正ノ件(勅令第1078号、12月10日公布)
逓信局官制中改正ノ件(勅令第1079号、12月10日公布)
通信官署官制中改正ノ件(勅令第1080号、12月10日公布)
灯台局官制中改正ノ件(勅令第1081号、12月10日公布)
船員職業紹介所官制中改正ノ件(勅令第1082号、12月10日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1083号、12月10日公布)
企業許可令(勅令第1084号、12月10日公布)
東京帝国大学官制中改正ノ件(勅令第1085号、12月12日公布)
大正八年勅令第十四号東京帝国大学各学部ニ於ケル講座ニ関スル件中改正ノ件(勅令第1086号、12月12日公布)
伝染病研究所官制中改正ノ件(勅令第1087号、12月12日公布)
東京天文台官制中改正ノ件(勅令第1088号、12月12日公布)
九州帝国大学官制中改正ノ件(勅令第1089号、12月12日公布)
大正八年勅令第十七号九州帝国大学各学部ニ於ケル講座ニ関スル件中改正ノ件(勅令第1090号、12月12日公布)
大阪帝国大学官制中改正ノ件(勅令第1091号、12月12日公布)
大阪帝国大学講座令中改正ノ件(勅令第1092号、12月12日公布)
名古屋帝国大学官制中改正ノ件(勅令第1093号、12月12日公布)
名古屋帝国大学講座令中改正ノ件(勅令第1094号、12月12日公布)
価格形成委員会官制中改正ノ件(勅令第1095号、12月12日公布)
国民職業指導所官制中改正ノ件(勅令第1096号、12月12日公布)
海軍服制中改正ノ件(勅令第1097号、12月12日公布)
舞鶴軍港境域令中改正ノ件(勅令第1098号、12月12日公布)
南洋群島ニ於ケル戒厳及徴発ニ関スル件(勅令第1099号、12月12日公布)
昭和十六年法律第八十号無尽業法中改正法律ノ一部施行期日ノ件(勅令第1100号、12月12日公布)
大蔵省官制中改正ノ件(勅令第1101号、12月13日公布)
大蔵部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第1102号、12月13日公布)
商工省官制中改正ノ件(勅令第1103号、12月13日公布)
昭和十四年勅令第三百八十八号臨時商工省ニ振興部ヲ設置スルノ件中改正ノ件(勅令第1104号、12月13日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1105号、12月13日公布)
大蔵省官制中改正等ニ伴フ損害保険国営再保険審査会規程中改正等ノ件(勅令第1106号、12月13日公布)
新聞事業令(勅令第1107号、12月13日公布)
諸調査会等ノ職員旅費支給規則中改正ノ件(勅令第1108号、12月13日公布)
株式価格統制令中改正ノ件(勅令第1109号、12月13日公布)
企画院官制中改正ノ件(勅令第1110号、12月15日公布)
企画院臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第1111号、12月15日公布)
対満事務局官制中改正ノ件(勅令第1112号、12月15日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1113号、12月15日公布)
興亜院連絡部官制中改正ノ件(勅令第1114号、12月15日公布)
航空部隊所属航空勤務者ノ命課及転属事務ニ関スル臨時特例ノ件(勅令第1115号、12月15日公布)
東北帝国大学官制中改正ノ件(勅令第1116号、12月15日公布)
大正八年勅令第十六号東北帝国大学各学部ニ於ケル講座ニ関スル件中改正ノ件(勅令第1117号、12月15日公布)
選鉱製錬研究所官制中改正ノ件(勅令第1118号、12月15日公布)
抗酸菌病研究所官制(勅令第1119号、12月15日公布)
帝国大学高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1120号、12月15日公布)
昭和十四年勅令第六百十九号鉄道省及鉄道局ノ鉄道医及鉄道薬剤師ニ関スル件中改正ノ件(勅令第1121号、12月15日公布)
台湾総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第1122号、12月15日公布)
台湾総督府専売局官制中改正ノ件(勅令第1123号、12月15日公布)
台湾総督府専売局医ニ関スル件(勅令第1124号、12月15日公布)
台湾総督府林業試験所官制中改正ノ件(勅令第1125号、12月15日公布)
樺太庁林務署官制中改正ノ件(勅令第1126号、12月15日公布)
弁護士法第三条ノ試験受験資格ノ特例ニ関スル件(勅令第1127号、12月15日公布)
海軍予備員令中改正ノ件(勅令第1128号、12月15日公布)
国民徴用令中改正ノ件(勅令第1129号、12月15日公布)
物資統制令(勅令第1130号、12月15日公布)
医療関係者徴用令(勅令第1131号、12月15日公布)
庁府県臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第1132号、12月16日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1133号、12月16日公布)
昭和十六年法律第九十一号防空法中改正法律施行期日ノ件(勅令第1134号、12月16日公布)
防空法施行令中改正ノ件(勅令第1135号、12月16日公布)
防空監視隊令(勅令第1136号、12月16日公布)
防空従事者扶助令(勅令第1137号、12月15日公布)
防空法朝鮮施行令中改正ノ件(勅令第1138号、12月16日公布)
防空法台湾施行令中改正ノ件(勅令第1139号、12月16日公布)
関東州防空令中改正ノ件(勅令第1140号、12月16日公布)
防空法樺太施行令中改正ノ件(勅令第1141号、12月16日公布)
捕獲審検令中改正ノ件(勅令第1142号、12月16日公布)
捕獲審検所及高等捕獲審検所開設ニ関スル件(勅令第1143号、12月16日公布)
海務院官制(勅令第1144号、12月18日公布)
船舶試験所官制(勅令第1145号、12月18日公布)
高等商船学校官制(勅令第1146号、12月18日公布)
商船学校官制(勅令第1147号、12月18日公布)
海務局官制(勅令第1148号、12月18日公布)
海務院官制船舶試験所官制高等商船学校官制、商船学校官制及海務局官制施行ノ際ニ於ケル海務院船舶試験所高等商船学校、商船学校及海務局ノ職員ニ関スル件(勅令第1149号、12月18日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1150号、12月18日公布)
明治四十年勅令第二百五十二号帝国大学、文部省直轄諸学校又ハ商船学校高等官ノ官等ニ関スル件中改正ノ件(勅令第1151号、12月18日公布)
海務院官制等制定ニ際シ判任官俸給令其ノ他ノ勅令中改正ノ件(勅令第1152号、12月18日公布)
奏任文官特別任用令中改正ノ件(勅令第1153号、12月18日公布)
海務院及海務局ノ職員ノ特別任用等ニ関スル件(勅令第1154号、12月18日公布)
高等商船学校名誉教授ニ関スル件(勅令第1155号、12月18日公布)
現役ニ在ル海軍武官ニシテ海務院ノ長官、次長、部長又ハ海務官ニ専任セラレタル者ノ分限等ニ関スル件(勅令第1156号、12月18日公布)
実業学校令等ノ特例ニ関スル件(勅令第1157号、12月18日公布)
大蔵部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第1158号、12月18日公布)
税関官制中改正ノ件(勅令第1159号、12月18日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1160号、12月18日公布)
文部省官制中改正ノ件(勅令第1161号、12月18日公布)
文部省直轄諸学校官制中改正ノ件(勅令第1162号、12月18日公布)
文部省直轄諸学校職員定員令中改正ノ件(勅令第1163号、12月18日公布)
逓信省官制中改正ノ件(勅令第1164号、12月18日公布)
逓信部内臨時職員設置制改正ノ件(勅令第1165号、12月18日公布)
逓信局官制中改正ノ件(勅令第1166号、12月18日公布)
海員審判所職員定員及任用令中改正ノ件(勅令第1167号、12月18日公布)
郵便検閲官及郵便検閲官補ノ特別任用ニ関スル件(勅令第1168号、12月18日公布)
現役ニ在ル陸軍武官ニシテ郵便検閲官又ハ郵便検閲官補ニ専任セラレタル者ノ分限等ニ関スル件(勅令第1169号、12月18日公布)
海軍予備員令中改正ノ件(勅令第1170号、12月18日公布)
海軍予備員候補者令中改正ノ件(勅令第1171号、12月18日公布)
大正十三年勅令第四百六号税関官制第一条第一項第十一号乃至第十四号又ハ同条第二項ノ事務ニ従事スル職員ノ服制ノ件改正ノ件(勅令第1172号、12月18日公布)
恩給法施行令中改正ノ件(勅令第1173号、12月18日公布)
臨時東北地方振興計画調査会官制(勅令第1174号、12月19日公布)
都市計画委員会官制中改正ノ件(勅令第1175号、12月19日公布)
台湾総督府水産試験所官制(勅令第1176号、12月19日公布)
言論、出版、集会、結社等臨時取締法施行期日ノ件(勅令第1177号、12月19日公布)
敵産管理法ヲ朝鮮、台湾及樺太ニ施行スルノ件(勅令第1178号、12月22日公布)
敵産管理法施行令(勅令第1179号、12月22日公布)
南洋群島ニ於ケル敵産ノ管理ニ関スル件(勅令第1180号、12月22日公布)
昭和十六年法律第九十八号戦時犯罪処罰ノ特例ニ関スル法律施行期日ノ件(勅令第1181号、12月22日公布)
俘虜收容所条例改正ノ件(勅令第1182号、12月23日公布)
航空研究所官制中改正ノ件(勅令第1183号、12月23日公布)
昭和十三年勅令第四百五十一号国民職業指導所ニ臨時職員増置ノ件中改正ノ件(勅令第1184号、12月23日公布)
朝鮮総督府地方官官制中改正ノ件(勅令第1185号、12月23日公布)
朝鮮総督府気象台官制中改正ノ件(勅令第1186号、12月23日公布)
台湾総督府官制中改正ノ件(勅令第1187号、12月23日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1188号、12月23日公布)
台湾総督府調査官ノ特別任用ニ関スル件(勅令第1189号、12月23日公布)
大正二年勅令第二百六十二号任用分限又ハ官等ノ初敍陞敍ノ規定ヲ適用セサル文官ニ関スル件中改正ノ件(勅令第1190号、12月23日公布)
台湾総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第1191号、12月23日公布)
台湾総督府交通局官制中改正ノ件(勅令第1192号、12月23日公布)
台湾総督府逓信保健技師及逓信保健技手ノ任免、待遇、俸給、休職及加俸ニ関スル件(勅令第1193号、12月23日公布)
南洋庁医院官制中改正ノ件(勅令第1194号、12月23日公布)
南洋庁気象台官制中改正ノ件(勅令第1195号、12月23日公布)
明治四十三年勅令第四百二十七号警察官吏職務応援ニ関スル件中改正ノ件(勅令第1196号、12月23日公布)
警防団員職務応援ニ関スル件(勅令第1197号、12月23日公布)
昭和十五年勅令第四百三十四号政府出資特別会計法第一条第二項ノ規定ニ依リ他ノ特別会計ノ所属ト為ス政府ノ出資ヲ定ムルノ件中改正ノ件(勅令第1198号、12月23日公布)
財団法人北京同学会ノ設立スル北京興亜学院ニ関スル件(勅令第1199号、12月23日公布)
昭和十六年勅令第九百二十五号旅順工科大学ノ学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件中改正ノ件(勅令第1200号、12月23日公布)
馬事団体令(勅令第1201号、12月23日公布)
台湾総督府官制中改正ノ件(勅令第1202号、12月24日公布)
国民貯蓄奨励局官制中改正ノ件(勅令第1203号、12月26日公布)
特設海軍部隊臨時職員設置制(勅令第1204号、12月26日公布)
海軍軍医学校令中改正ノ件(勅令第1205号、12月26日公布)
産業科学研究所官制中改正ノ件(勅令第1206号、12月26日公布)
朝鮮総督府官制中改正ノ件(勅令第1207号、12月26日公布)
朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第1208号、12月26日公布)
朝鮮総督府逓信官署官制中改正ノ件(勅令第1209号、12月26日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第1210号、12月26日公布)
昭和十四年勅令第八百八十九号朝鮮総督府遞信保健技師ノ任免、待遇、俸給、休職及加俸ニ関スル件中改正ノ件(勅令第1211号、12月26日公布)
朝鮮総督府逓信官署ノ官吏ニシテ臨時陸海軍特設ノ事務ニ従事シ又ハ戦時若ハ事変ニ際シ朝鮮総督府逓信官署以外ニ於テ臨時逓信ノ事務ニ従事スル者ノ補欠及復帰ニ関スル件(勅令第1212号、12月26日公布)
朝鮮総督府癩療養所官制中改正ノ件(勅令第1213号、12月26日公布)
朝鮮総督府職業紹介所官制中改正ノ件(勅令第1214号、12月26日公布)
関東局部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第1215号、12月26日公布)
関東州地方待遇職員令中改正ノ件(勅令第1216号、12月26日公布)
樺太庁部内臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第1217号、12月26日公布)
樺太庁職業紹介所官制中改正ノ件(勅令第1218号、12月26日公布)
南洋庁郵便局官制中改正ノ件(勅令第1219号、12月26日公布)
警視庁官制中改正ノ件(勅令第1220号、12月26日公布)
北海道庁官制中改正ノ件(勅令第1221号、12月26日公布)
地方官官制中改正ノ件(勅令第1222号、12月26日公布)
庁府県臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第1223号、12月26日公布)
支那ニ在ル陸軍部隊ニ属スル陸軍軍属ニ対スル戦時給与ノ特例ニ関スル件(勅令第1224号、12月26日公布)
海軍給与令中改正ノ件(勅令第1225号、12月26日公布)
昭和十二年勅令第四百三十五号支那事変ニ関スル海軍戦時給与規則等ノ特例ノ件中改正ノ件(勅令第1226号、12月26日公布)
特別ノ任務ニ従事スル海軍ノ軍人軍属ノ給与ノ特例ニ関スル件(勅令第1227号、12月26日公布)
文官任用令ノ判任文官ノ任用資格等ノ特例ニ関スル件(勅令第1228号、12月26日公布)
海軍武官任用令第三条及第四条ノ臨時特例ニ関スル件(勅令第1229号、12月26日公布)
昭和十六年法律第八十八号酒税等ノ増徴等ニ関スル法律ノ一部施行期日ノ件(勅令第1230号、12月26日公布)
家屋税法施行規則中改正ノ件(勅令第1231号、12月26日公布)
昭和十五年勅令第二十一号「アメリカ」合衆国ノ生産ニ係ル物品ノ輸入税率ニ関スル件廃止ノ件(勅令第1232号、12月26日公布)
農業生産統制令(勅令第1233号、12月26日公布)
会社経理統制令中改正ノ件(勅令第1234号、12月26日公布)
海軍志願兵令中改正ノ件(勅令第1235号、12月26日公布)
矯正院官制中改正ノ件(勅令第1236号、12月26日公布)
大正十一年勅令第四百八十八号少年審判所設置ノ件中改正ノ件(勅令第1237号、12月26日公布)
少年法中保護処分ニ関スル規定ヲ樺太ニ施行スルノ件(勅令第1238号、12月26日公布)
樺太施行法律特例中改正ノ件(勅令第1239号、12月26日公布)
矯正院法ヲ樺太ニ施行スルノ件(勅令第1240号、12月26日公布)
昭和十六年法律第三十五号委員会等ノ整理等ニ関スル法律ノ一部施行期日ノ件(勅令第1241号、12月26日公布)
液体燃料委員会官制廃止ノ件(勅令第1242号、12月26日公布)
昭和十六年法律第七十一号人造石油製造事業法中改正法律施行期日ノ件(勅令第1243号、12月26日公布)
人造石油製造事業法施行令中改正ノ件(勅令第1244号、12月26日公布)
敵産管理委員会官制(勅令第1245号、12月27日公布)
俘虜情報局官制(勅令第1246号、12月27日公布)
関東局官制中改正ノ件(勅令第1247号、12月27日公布)
関東局警察官服制中改正ノ件(勅令第1248号、12月27日公布)
関東局警察共済組合令中改正ノ件(勅令第1249号、12月27日公布)
労働者年金保険法施行令(勅令第1250号、12月27日公布)
関東州敵産管理令(勅令第1251号、12月27日公布)
重要機械製造事業法施行期日ノ件(勅令第1252号、12月27日公布)
重要機械製造事業法施行令(勅令第1253号、12月27日公布)
昭和17年 [編集]

関東州ニ於ケル戦時犯罪処罰ノ特例ニ関スル件(昭和17年勅令第9号)
関東州言論、集会、結社等臨時取締令(昭和17年勅令第22号)
技術院官制(昭和17年1月31日勅令第41号)
南洋群島ニ於ケル戦時犯罪処罰ノ特例ニ関スル件(昭和17年勅令第58号)
南洋群島労務手帳令(昭和17年勅令第396号)
南洋庁中学校官制(昭和17年勅令第401号)
大連商業公学校官制(昭和17年勅令第413号)
旅順臨時教員養成所官制(昭和17年勅令第414号)
大東亜省官制(昭和17年勅令第707号):廃止
関東州物資統制令(昭和17年勅令第837号)
昭和18年 [編集]

民族研究所官制(昭和18年勅令第20号)
関東勤労動員署官制(昭和18年勅令第90号)
関東州国民体力令(昭和18年勅令第112号)
在関東州及満洲国帝国臣民教育令(昭和18年勅令第213号)
在関東州及満洲国国民学校教員検定委員会官制(昭和18年勅令第215号)
関東局諸学校官制(昭和18年勅令第302号)
財団法人同仁会ノ設立スル青島東亜医科学院ニ関スル件(昭和18年勅令第403号)
南洋庁諸学校官制(昭和18年勅令第432号)
関東州住宅営団令(昭和18年勅令第475号)
関東州労務調整令(昭和18年勅令第489号)
関東州ニ於ケル市会議員ノ任期延長ニ関スル件(昭和18年勅令第671号)
関東州経済会令(昭和18年勅令第757号)
関東州防禦営造物地帯令臨時特例(昭和18年勅令第863号)
関東州金属類回収令(昭和18年勅令第924号)
関東州企業許可令(昭和18年勅令第925号)
昭和19年 [編集]

海兵団練習部令中改正ノ件(勅令第1号、昭和18年12月29日公布)
戦時官吏服務令(勅令第2号、昭和19年1月4日公布)
文官懲戒戦時特例(勅令第3号、1月4日公布)
巡査及消防手懲戒戦時特例(勅令第4号、1月4日公布)
各庁職員危篤又ハ退官ノ際ニ於ケル任用等ノ特例(勅令第5号、1月4日公布)
電気通信研究所官制(勅令第6号、1月6日公布)
非水溶液化学研究所官制(勅令第7号、1月6日公布)
音響科学研究所官制(勅令第8号、1月6日公布)
京都帝国大学官制外九勅令中改正ノ件(勅令第9号、1月6日公布)
軍事保護院官制中改正ノ件(勅令第10号、1月6日公布)
通信院官制中改正ノ件(勅令第11号、1月6日公布)
逓信局官制中改正ノ件(勅令第12号、1月6日公布)
通信官署官制中改正ノ件(勅令第13号、1月6日公布)
情報局官制中改正ノ件(勅令第14号、1月7日公布)
軍需生産責任審査会官制(勅令第15号、1月7日公布)
司法部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第16号、1月7日公布)
南方自然科学研究所官制(勅令第17号、1月7日公布)
軍需部内臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第18号、1月7日公布)
通信院官制中改正ノ件(勅令第19号、1月7日公布)
昭和十八年法律第百四号防空法中改正法律施行期日ノ件(勅令第20号、1月7日公布)
防空法施行令中改正ノ件(勅令第21号、1月7日公布)
防空従事者扶助令中改正ノ件(勅令第22号、1月7日公布)
防空法朝鮮施行令中改正ノ件(勅令第23号、1月7日公布)
防空法台湾施行令中改正ノ件(勅令第24号、1月7日公布)
関東州防空令中改正ノ件(勅令第25号、1月7日公布)
防空法樺太施行令中改正ノ件(勅令第26号、1月7日公布)
資源調査法第一条ノ規定ニ依ル人口ノ調査ニ関スル件(勅令第27号、1月8日公布)
海軍航空本部令中改正ノ件(勅令第28号、1月11日公布)
在外海軍部隊艦船臨時給与令中改正ノ件(勅令第29号、1月11日公布)
運輸通信部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第30号、1月14日公布)
台湾水産事業評価審査委員会官制(勅令第31号、1月14日公布)
震災ニ因ル鳥取県災害土木費国庫補助規程(勅令第32号、1月14日公布)
風水害ニ因ル愛媛県災害土木費国庫補助規程中改正ノ件(勅令第33号、1月14日公布)
鉱山監督局官制中改正ノ件(勅令第34号、1月17日公布)
税務署官制中改正ノ件(勅令第35号、1月18日公布)
在満学校組合待遇職員令中改正ノ件(勅令第36号、1月18日公布)
厚生省関係許可認可等戦時特例(勅令第37号、1月18日公布)
昭和十五年勅令第四百三十四号政府出資特別会計法第一条第二項ノ規定ニ依リ他ノ特別会計ノ所属ト為ス政府ノ出資ヲ定ムルノ件中改正ノ件(勅令第38号、1月18日公布)
南洋群島防空令(昭和19年勅令第66号)
南洋群島電気通信令(昭和19年勅令第316号)
関東州徴用令(昭和19年勅令第481号)
女子挺身勤労令(昭和19年勅令第519号)
関東神宮職員令(昭和19年勅令第539号)
関東州裁判令戦時特例(昭和19年勅令第656号)
関東州戦時民事特別令(昭和19年勅令第657号)
関東州戦時刑事特別令(昭和19年勅令第658号)
昭和20年 [編集]

運輸通信省官制中改正ノ件(勅令第1号、1月4日公布)
船舶試験所官制中改正ノ件(勅令第2号、1月4日公布)
海運局官制中改正ノ件(勅令第3号、1月4日公布)
昭和十六年勅令第九百二十四号大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件中改正ノ件(勅令第4号、1月4日公布)
関東州ニ於ケル戦時行政職権特例ニ関スル件(勅令第141号)
関東州国勢調査令ノ昭和二十年ニ於ケル特例ニ関スル件(勅令第235号)
関東州勤労動員令(勅令第267号)
海軍航空本部令中改正ノ件(勅令第450号、8月3日公布)
朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第451号、8月3日公布)
警視庁官制、北海道庁官制、樺太庁官制及地方官官制中国民勤労動員署ノ事務取扱範囲、職員ノ定員等ニ関スル規定ノ戦時特例ニ関スル件(勅令第452号、8月3日公布)
樺太庁官制中改正ノ件(勅令第453号、8月3日公布)
道府県手数料令中改正ノ件(勅令第454号、8月3日公布)
監獄官制及高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第455号、8月7日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第456号、8月7日公布)
奏任文官特別任用令中改正ノ件(勅令第457号、8月7日公布)
陸海軍監獄官特別任用令廃止ノ件(勅令第458号、8月7日公布)
生計費指数資料実地調査令ノ特例ニ関スル件(勅令第459号、8月7日公布)
関東州軍事特別措置令(勅令第460号、8月7日公布)
海軍軍需監督部令(勅令第461号、8月8日公布)
気象官署官制中改正ノ件(勅令第462号、8月10日公布)
灯台局官制中改正ノ件(勅令第463号、8月10日公布)
海軍下士官及予備下士官任用進級臨時特例(勅令第464号、8月10日公布)
陸軍補充令中改正ノ件(勅令第465号、8月10日公布)
昭和三年勅令第百三十三号海軍病院ニ於テ健康保険ノ療養ノ給付又ハ之ニ相当スル共済組合ノ給付ノ為診療ヲ為スコトヲ得ルノ件廃止ノ件(勅令第466号、8月10日公布)
関東州戦時民事特別令中改正ノ件(勅令第467号、8月10日公布)
国民義勇戦闘隊員ニ関スル陸軍監獄令ノ特例ニ関スル件(勅令第468号、8月10日公布)
関東州軍需会社令(勅令第469号、8月10日公布)
内閣ニ国民義勇隊巡閲ヲ置クノ件(勅令第470号、8月15日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第471号、8月15日公布)
内閣所属部局及職員官制中改正ノ件(勅令472号、8月15日公布)
関東州住宅営団令中改正ノ件(勅令473号、8月15日公布)
文官同待遇者ノ定員ノ臨時特例ニ関スル件(勅令474号、8月16日公布)
休職ヲ命ゼラレタル文官同待遇者ノ特別手当ニ関スル件(勅令475号、8月16日公布)
国史編修院官制(勅令第476号、8月16日公布)
文部省官制外二勅令中改正等ノ件(勅令第477号、8月16日公布)
大東亜戦争ニ因ル戦時災害ニ関シ特別ノ給付ヲ為ス共済組合ニ対シ政府給与金ヲ給与スルノ件(勅令第478号、8月24日公布)
政府職員共済組合令外十九勅令中改正ノ件(勅令第479号、8月24日公布)
塩専売法戦時特例中改正ノ件(勅令第480号、8月24日公布)
各省官制通則中改正ノ件(勅令第481号、8月26日公布)
外務省官制中改正ノ件(勅令第482号、8月26日公布)
農商省官制中改正ノ件(勅令第483号、8月26日公布)
農商部内臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第484号、8月26日公布)
農商省要員局臨時設置制中改正等ノ件(勅令第485号、8月26日公布)
商工省官制(勅令第486号、8月26日公布)
商工部内臨時職員設置制(勅令第487号、8月26日公布)
商工省整理部臨時設置制(勅令第488号、8月26日公布)
商工省設置等ニ伴フ工業試験所官制中改正等ノ件(勅令第489号、8月26日公布)
大東亜省官制及軍需省官制廃止ノ件(勅令第490号、8月26日公布)
大東亜省廃止ニ伴フ外務部内臨時職員設置制中改正等ノ件(勅令第491号、8月26日公布)
大蔵省官制中改正ノ件(勅令第492号、8月26日公布)
商工省設置等ニ伴フ地方総監府官制中改正等ノ件(勅令第493号、8月26日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第494号、8月26日公布)
大東亜省官制及軍需省官制ノ廃止ニ伴フ元大東亜省所管及元軍需省所管ノ歳入歳出等ニ関スル残務ノ処理ニ関スル件(勅令第495号、8月26日公布)
終戦連絡事務局官制(勅令第496号、8月26日公布)
北海道庁次長及香川県次長臨時設置制及都市計画委員会官制戦時特例中改正ノ件(勅令第497号、8月26日公布)
内閣所属部局及職員官制中改正ノ件(勅令第498号、8月26日公布)
昭和二十年勅令第四百七十号内閣ニ国民義勇隊巡閲ヲ置クノ件廃止ノ件(勅令第499号、8月27日公布)
人口動態調査令臨時特例(勅令第500号、8月27日公布)
大蔵省ニ顧問ヲ置クノ件(勅令第501号、8月28日公布)
内務省官制中改正ノ件(勅令第502号、8月30日公布)
内閣調査局官制(勅令第503号、8月31日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第504号、8月31日公布)
綜合計画局官制外四勅令廃止ノ件(勅令第505号、8月31日公布)
外務部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第506号、8月31日公布)
防空総本部官制廃止ノ件(勅令第507号、8月31日公布)
昭和十七年勅令第六百十九号船舶及造船事務ニ関スル所管等ノ戦時特例ニ関スル件(勅令第508号、8月31日公布)
会社所有株式評価臨時措置令中改正ノ件(勅令第509号、8月31日公布)
工場法施行令外十勅令中改正ノ件(勅令第510号、8月31日公布)
技術院官制廃止ノ件(勅令第511号、9月4日公布)
内閣部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第512号、9月4日公布)
内閣調査局官制中改正ノ件(勅令第513号、9月4日公布)
中央航空研究所官制中改正ノ件(勅令第514号、9月4日公布)
臨時戦時研究所員設置制等廃止ノ件(勅令第515号、9月4日公布)
文部省官制中改正ノ件(勅令第516号、9月4日公布)
文部部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第517号、9月4日公布)
特許標準局官制(勅令第518号、9月4日公布)
商工部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第519号、9月4日公布)
運輸部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第520号、9月4日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第521号、9月4日公布)
特許法施行令中改正等ノ件(勅令第522号、9月4日公布)
昭和二十年人口調査ニ関スル件(勅令第523号、9月4日公布)
海軍ノ現役ノ下士官及兵ノ現役満期ニ関スル件(勅令第524号、9月4日公布)
戦時農業団令中改正等ノ件(勅令第525号、9月5日公布)
逓信院電気通信復興局臨時設置制(勅令第526号、9月7日公布)
逓信院防衛通信施設局臨時設置制廃止ノ件(勅令第527号、9月7日公布)
逓信局官制中改正ノ件(勅令第528号、9月7日公布)
昭和二十年勅令第三百五十三号地方総監府官制第八条ノ規定ニ依ル地方官衙ノ長ノ指定ニ関スル件中改正ノ件(勅令第529号、9月7日公布)
昭和二十年勅令第四百三十二号逓信院貯金保険局支局、逓信院防衛通信施設局施設部、普通逓信講習所及無線電信講習所ノ長ノ監督ニ関スル件中改正ノ件(勅令第530号、9月7日公布)
内務省官制外六勅令中改正ノ件(勅令第531号、9月7日公布)
靖国神社附属遊就館令廃止ノ件(勅令第532号、9月11日公布)
軍事保護院ニ移管セサルル陸軍病院及海軍病院ノ職員ノ身分ニ関スル件(勅令第533号、9月11日公布)
勤労統計調査令ニ依ル特別勤労統計調査ノ特例ニ関スル件(勅令第534号、9月11日公布)
海軍予備員候補者令及海軍現役武官高等商船学校等配属令廃止ノ件(勅令第535号、9月11日公布)
昭和十三年勅令第六百三十二号臨時外務省ニ外交顧問ヲ置クノ件中改正ノ件(勅令第536号、9月12日公布)
衆議院議員選挙法第十二条ノ特例ニ関スル件(勅令第537号、9月13日公布)
電力調整委員会官制中改正ノ件(勅令第538号、9月14日公布)
電力調整令中改正ノ件(勅令第539号、9月14日公布)
臨時内閣ニ副書記官長ヲ置クノ件(勅令第540号、9月18日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第541号、9月18日公布)
「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(勅令第542号、9月20日公布) - 廃止 ※緊急勅令
昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)施行ニ関スル件(勅令第543号、9月20日公布) - 廃止
戦後対策審議会官制(勅令第544号、9月20日公布)
内閣行政委員及各省行政委員設置制廃止ノ件(勅令第545号、9月21日公布)
臨時厚生省ニ顧問ヲ置クノ件(勅令第546号、9月22日公布)
昭和二十年勅令第六十三号大東亜戦争ニ際シ各庁職員ヲシテ総合国力ノ拡充運用上緊要ナル業務ニ臨時従事セシムルノ件廃止ノ件(勅令第547号、9月25日公布)
行政査察規程廃止ノ件(勅令第548号、9月25日公布)
内務省顧問設置制(勅令第549号、9月28日公布)
終戦連絡事務局官制改正ノ件(勅令第550号、10月1日公布)
外務部内臨時職員設置制中改正中改正ノ件(勅令第551号、10月1日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第552号、10月1日公布)
内閣部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第553号、10月2日公布)
昭和二十年勅令第十号運輸大臣ニ於テ委託ニ依リ隧道其ノ他地下構築物ノ建設ヲ為ス等ノ件(勅令第554号、10月2日公布)
官国幣社及神宮神部署神職任用令中改正ノ件(勅令第555号、10月2日公布)
中央航空研究所共済組合令中改正ノ件(勅令第556号、10月2日公布)
臨時資金調整法施行令中改正ノ件(勅令第557号、10月2日公布)
軍需金融等特別措置法施行令中改正ノ件(勅令第558号、10月2日公布)
議会制度審議会官制(勅令第559号、10月4日公布)
警視庁官制中改正等ノ件(勅令第560号、10月5日公布)
戦時官吏服務令及文官懲戒戦時特例廃止ノ件(勅令第561号、10月5日公布)
新聞事業令等廃止ノ件(勅令第562号、10月5日公布)
明治二十四年勅令第三号民事訴訟法ニ依リ国ヲ代表スルニ付テノ規定中改正ノ件(勅令第563号、10月5日公布)
戦時教育令廃止ノ件(勅令第564号、10月5日公布)
登録税法施行規則中改正ノ件(勅令第565号、10月10日公布)
国民勤労動員令廃止等ノ件(勅令第566号、10月10日公布)
内務省官制中改正等ノ件(勅令第567号、10月12日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク国防保安法廃止等ニ関スル件(勅令第568号、10月12日公布)
議会制度審議会官制廃止ノ件(勅令第569号、10月13日公布)
文部省官制中改正ノ件(勅令第570号、10月13日公布)
文部部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第571号、10月13日公布)
教育研究所官制(勅令第572号、10月13日公布)
民族研究所官制等廃止ノ件(勅令第573号、10月13日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第574号、10月13日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク治安維持法廃止等ノ件(勅令第575号、10月13日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク要塞地帯法廃止等ノ件(勅令第576号、10月13日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク金、銀又ハ白金ノ取引等取締ニ関スル件(勅令第577号、10月13日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク金、銀又ハ白金ノ地金又ハ合金ノ輸入ノ制限又ハ禁止等ニ関スル件(勅令第578号、10月13日公布)
大赦令(勅令第579号、10月17日公布)
減刑令(勅令第580号、10月17日公布)
復権令(勅令第581号、10月17日公布)
官吏、官吏待遇者等ノ懲戒及懲罰ノ免除ニ関スル件(勅令第582号、10月17日公布)
東京都、北海道、府県、市町村等ノ吏員、委員及役員ノ懲戒免除ニ関スル件(勅令第583号、10月17日公布)
海技免状ヲ受有スル者及水先人ノ懲戒免除ニ関スル件(勅令第584号、10月17日公布)
公証人、弁護士、司法書士、弁理士及計理士ノ懲戒免除ニ関スル件(勅令第585号、10月17日公布)
出納官吏等ノ弁償責任ノ免除ニ関スル件(勅令第586号、10月17日公布)
大正十年勅令第四百六十五号特許、意匠、商標及実用新案ニ関スル手数料ノ件中改正ノ件(勅令第587号、10月16日公布)
軍事保護院官制中改正ノ件(勅令第588号、10月19日公布)
勤労統計調査令中改正ノ件(勅令第589号、10月19日公布)
保護観察所官制廃止等ノ件(勅令第590号、10月20日公布)
逓信院官制中改正ノ件(勅令第591号、10月23日公布)
逓信局官制中改正ノ件(勅令第592号、10月23日公布)
通信官署官制中改正ノ件(勅令第593号、10月23日公布)
簡易生命保険審査会規程中改正ノ件(勅令第594号、10月23日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第595号、10月23日公布)
昭和十六年勅令第千百六十九号現役ニ在ル陸軍武官ニシテ通信検閲官等又ハ通信検閲官補ニ専任セラレタル者ノ分限等ニ関スル件廃止等ノ件(勅令第596号、10月23日公布)
昭和十九年勅令第百九十九号専売局ニ於ケル専売品以外ノ物品ノ製造ニ関スル件等廃止ノ件(勅令第597号、10月23日公布)
司法省関係許可認可等戦時特例等廃止ノ件(勅令第598号、10月23日公布)
巡査及消防手懲戒戦時特例廃止ノ件(勅令第599号、10月23日公布)
工場法戦時特例等廃止ノ件(勅令第600号、10月23日公布)
工場事業場管理令等廃止ノ件(勅令第601号、10月23日公布)
獣医師等徴用令等廃止ノ件(勅令第602号、10月23日公布)
金融統制団体令廃止ノ件(勅令第603号、10月23日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク軍事特別措置法廃止等ニ関スル件(勅令第604号、10月23日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク臨時郵便取締令廃止ノ件(勅令第605号、10月23日公布)
昭和十二年勅令第六百五十二号戦時又ハ事変ニ際シ軍事輸送上必要ナル小運送業ノ実施ニ関スル件等廃止ノ件(勅令第606号、10月23日公布)
農林省官制中改正等ノ件(勅令第607号、10月25日公布)
戦後対策審議会官制等廃止ノ件(勅令第608号、10月26日公布)
厚生省官制中改正ノ件(勅令第609号、10月26日公布)
厚生部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第610号、10月26日公布)
臨時厚生省ニ臨時防疫局ヲ設置スルノ件(勅令第611号、10月26日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第612号、10月26日公布)
水産統制令及水産事業評価審査委員会官制廃止ノ件(勅令第613号、10月26日公布)
昭和二十年勅令第四百四十二号昭和十九年度所属ノ歳入歳出ノ出納ニ関スル事務ノ完結期限等ニ関スル件中改正ノ件(勅令第614号、10月30日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク外国為替管理法ノ罰則ノ特例ニ関スル件(勅令第615号、10月30日公布)
情報局官制中改正ノ件(勅令第616号、10月31日公布)
樺太開発調査会官制廃止ノ件(勅令第617号、11月2日公布)
昭和二十年一月ノ震災ニ因ル愛知県及三重県災害土木費国庫補助規程(勅令第618号、11月2日公布)
帝国在郷軍人会令等廃止ノ件(勅令第619号、11月2日公布)
工業所有権戦時法ニ依リ取消サレタル特許又ハ商標ノ登録ニ関スル件(勅令第620号、11月2日公布)
戦災復興院官制(勅令第621号、11月5日公布)
地方行政事務局設置制(勅令第622号、11月6日公布)
地方商工処理部臨時設置制(勅令第623号、11月6日公布)
樺太及北海道ニ於ケル行政ノ総合連絡調製等ニ関スル件(勅令第624号、11月6日公布)
北海道庁次長、神奈川県次長及香川県次長臨時設置制中改正ノ件(勅令第625号、11月6日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第626号、11月6日公布)
地方総監府官制等ノ廃止ニ関スル件(勅令第627号、11月6日公布)
電力調製委員会官制等中改正ノ件(勅令第628号、11月6日公布)
燃料局特別会計規則中改正ノ件(勅令第629号、11月6日公布)
内務部内臨時職員等設置制中改正等ノ件(勅令第630号、11月6日公布)
臨時陸軍残務整理部令(勅令第631号、11月9日公布)
陸海軍ノ復員ニ伴ヒ不要ト為ルベキ勅令ノ廃止ニ関スル件(勅令第632号、11月13日公布)
連合国最高司令官ヨリ帝国政府ニ返還セラレタル物品ノ無償貸付及譲与等ニ関スル件(勅令第633号、11月16日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク兵役法廃止等ニ関スル件(勅令第634号、11月16日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク要求物資使用収用令(勅令第635号、11月17日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク土地工作物使用令(勅令第636号、11月17日公布)
関税訴願審査委員会規則中改正等ノ件(勅令第637号、11月20日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク治安警察法廃止等ノ件(勅令第638号、11月20日公布)
医師会及歯科医師会令中改正ノ件(勅令第639号、11月20日公布)
薬剤師会令中改正ノ件(勅令第640号、11月20日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク住宅緊急措置令(勅令第641号、11月20日公布)
酒税法施行規則中改正ノ件(勅令第642号、11月20日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク軍馬資源保護法廃止等ニ関スル件(勅令第643号、11月20日公布)
内閣所属部局及職員官制中改正ノ件(勅令第644号、11月22日公布)
内閣部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第645号、11月22日公布)
法制局官制中改正ノ件(勅令第646号、11月22日公布)
大東亜戦争調査会官制(勅令第647号、11月22日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第648号、11月22日公布)
厚生部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第649号、11月22日公布)
昭和二十年勅令第六百十一号臨時厚生省ニ臨時防疫局ヲ設置スルノ件中改正ノ件(勅令第650号、11月22日公布)
地方引揚援護局官制(勅令第651号、11月22日公布)
引揚援護連絡委員会官制(勅令第652号、11月22日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク昭和十三年法律第三十号廃止等ニ関スル件(勅令第653号、11月22日公布)
請願令中改正ノ件(勅令第654号、11月22日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク昭和二十年勅令第五百七十八号中改正ノ件(勅令第655号、11月22日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク外国為替資産等ノ分離保管ノ件(勅令第656号、11月22日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク会社ノ解散ノ制限等ノ件(勅令第657号、11月22日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク第一復員裁判所及第二復員裁判所令(勅令第658号、11月22日公布)
明治三十八年勅令第百八十四号鉱業及砂鉱採取業ニ関スル手数料ノ件中改正ノ件(勅令第659号、11月22日公布)
戦時物価審議会官制廃止ノ件(勅令第660号、11月27日公布)
大蔵省物価部臨時設置制(勅令第661号、11月27日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第662号、11月27日公布)
褒章条例第八条及第九条臨時特例廃止ノ件(勅令第663号、11月27日公布)
公式令中改正ノ件(勅令第664号、11月28日公布)
臨時商工省ニ顧問ヲ置クノ件(勅令第665号、11月28日公布)
水路部官制(勅令第666号、11月28日公布)
運輸省官制中改正等ノ件(勅令第667号、11月28日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第668号、11月28日公布)
元帥府条例等廃止ノ件(勅令第669号、11月29日公布)
行政整理ニ際シ退官退職シタル者等ニ支給スル特別ノ賜金又ハ手当ニ関スル件(勅令第670号、11月29日公布)
都市計画法及同法施行令戦時特例中改正等ノ件(勅令第671号、11月29日公布)
農業生産統制令等廃止ノ件(勅令第672号、11月29日公布)
食糧管理法施行令中改正ノ件(勅令第673号、11月29日公布)
各省官制通則中改正ノ件(勅令第674号、11月30日公布)
第一復員省官制(勅令第675号、11月30日公布)
第一復員官署官制(勅令第676号、11月30日公布)
第一復員拘禁所臨時設置制(勅令第677号、11月30日公布)
臨時陸軍残務整理部令中改正ノ件(勅令第678号、11月30日公布)
王公族附陸軍武官官制廃止ノ件(勅令第679号、11月30日公布)
第二復員省官制(勅令第680号、11月30日公布)
第二復員官署官制(勅令第681号、11月30日公布)
第二復員刑務所臨時設置制(勅令第682号、11月30日公布)
俘虜情報局官制中改正ノ件(勅令第683号、11月30日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第684号、11月30日公布)
内地ニ勤務スル陸軍兵ノ給与ニ関スル特例ノ件(勅令第685号、11月30日公布)
第一復員官及第二復員官ノ任用等ニ関スル件(勅令第686号、11月30日公布)
第一復員及第二復員部内職員令(勅令第687号、11月30日公布)
陸軍共済組合令及海軍共済組合令廃止ノ件(勅令第688号、11月30日公布)
陸軍省官制及海軍省官制ノ廃止ニ伴フ臨時軍事費特別会計ニ関スル事項ノ所管ニ関スル件(勅令第689号、11月30日公布)
軍事保護院官制中改正ノ件(勅令第690号、11月30日公布)
医療局官制(勅令第691号、11月30日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第692号、11月30日公布)
大正二年勅令第二百六十二号任用分限又ハ官等ノ初叙陞叙ノ規定ヲ適用セサル文官ニ関スル件中改正ノ件(勅令第693号、11月30日公布)
昭和十四年勅令第四百八十一号軍事保護院ノ職員ノ特別任用ニ関スル件中改正ノ件(勅令第694号、11月30日公布)
厚生省ニ移管セラルル陸軍病院及海軍病院ノ職員ノ身分ニ関スル件(勅令第695号、11月30日公布)
住宅緊急措置損失補償委員会官制(勅令第696号、11月30日公布)
失業対策委員会官制(勅令第697号、12月1日公布)
行政整理ニ際シ退官シ又ハ休職ヲ命ゼラルル者ニ関スル俸給ノ特例ノ件(勅令第698号、12月4日公布)
位、勲章等ノ返上ノ請願ニ関スル件(勅令第699号、12月6日公布) - 現行法令
生糸検査手数料令中改正ノ件(勅令第700号、12月7日公布)
鉄道輸送協議会官制中改正ノ件(勅令第701号、12月10日公布)
地方引揚援護局官制中改正ノ件(勅令第702号、12月13日公布)
貿易庁官制(勅令第703号、12月13日公布)
輸入物資配分委員会官制(勅令第704号、12月13日公布)
石炭庁官制(勅令第705号、12月13日公布)
臨時地方石炭増産本部官制(勅令第706号、12月13日公布)
衆議院議員選挙法施行令中改正ノ件(勅令第707号、12月17日公布)
衆議院議員選挙人名簿特例(勅令第708号、12月17日公布)
勲章返上ノ請願ニ関シ賞勲会議ニ諮問スルノ件(勅令第709号、12月19日公布)
賠償協議会官制(勅令第710号、12月21日公布)
東京都官制等中改正ノ件(勅令第711号、12月22日公布)
臨時物価手当給与令(勅令第712号、12月24日公布)
陸海軍諸生徒死傷手当金給与令等廃止ノ件(勅令第713号、12月24日公布)
映画法施行令廃止ノ件(勅令第714号、12月24日公布)
労働争議調停法第一条第一項第五号ノ事業指定ノ件(勅令第715号、12月24日公布)
内務部内臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第716号、12月26日公布)
鉄道会議官制中改正ノ件(勅令第717号、12月27日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク宗教団体法等廃止ノ件(勅令第718号、12月27日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク宗教法人令(勅令第719号、12月27日公布)
昭和二十年ノ災害被害者ニ対スル租税ノ減免、徴収猶予等ニ関スル件(勅令第720号、12月27日公布)
昭和二十年法律第五十七号蚕糸業法改正法律施行期日ノ件(勅令第721号、12月27日公布)
蚕糸業法施行令(勅令第722号、12月27日公布)
大日本航空株式会社法施行令廃止ノ件(勅令第723号、12月27日公布)
掃海作業ニ従事スル職員ニ対スル掃海手当支給ニ関スル件(勅令第724号、12月28日公布)
戦時特殊損害保険法施行令等廃止ノ件(勅令第725号、12月28日公布)
森林資源造成法施行期日ノ件(勅令第726号、12月28日公布)
森林資源造成法施行令(勅令第727号、12月28日公布)
昭和二十年法律第五十四号塩専売法中改正法律施行期日ノ件(勅令第728号、12月28日公布)
塩専売法臨時特例(勅令第729号、12月28日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件(勅令第730号、12月29日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク衆議院議員選挙人名簿ノ特例ニ関スル件(勅令第731号、12月29日公布)
情報局官制廃止ノ件(勅令第732号、12月31日公布)
内閣所属部局及職員官制中改正等ノ件(勅令第733号、12月31日公布)
逓信院官制中改正等ノ件(勅令第734号、12月31日公布)
昭和二十年勅令第四百五十九号生計費指数資料実地調査ノ特例ニ関スル件廃止ノ件(勅令第735号、12月31日公布)
生計費指数資料実地調査令中改正ノ件(勅令第736号、12月31日公布)
勤労統計調査令中改正ノ件(勅令第737号、12月31日公布)
昭和21年 [編集]

地方商工局官制(勅令第1号、1月4日公布)
地方商工局設置等ニ伴フ鉱業登録令等中改正ノ件(勅令第2号、1月4日公布)
高松控訴院ノ廃止等ニ関スル件(勅令第3号、1月8日公布)
教科用図書委員会官制(勅令第4号、1月8日公布)
監獄官制中改正ノ件(勅令第5号、1月9日公布)
航空研究所官制等廃止ノ件(勅令第6号、1月9日公布)
東京帝国大学講座令等中改正ノ件(勅令第7号、1月9日公布)
東京帝国大学外五帝国大学ニ於ケル臨時講座設置ノ件(勅令第8号、1月9日公布)
商工省官制中改正ノ件(勅令第9号、1月9日公布)
運輸省官制中改正等ノ件(勅令第10号、1月9日公布)
入営者職業保障法施行令廃止等ノ件(勅令第11号、1月9日公布)
昭和二十年法律第四十五号裁判所構成法戦時特例廃止法律等施行期日ノ件(勅令第12号、1月9日公布)
大東亜戦争調査会官制中改正ノ件(勅令第13号、1月11日公布)
昭和二十年勅令第四百二十六号大蔵大臣ニ属スル許可認可等ノ職権ノ一部ヲ財務局長ヲシテ行ハシムルコトトスル等ノ為ノ大蔵大臣ノ職権ノ特例ニ関スル件中改正ノ件(勅令第14号、1月11日公布)
厚生省関係許可認可等戦時特例中改正ノ件(勅令第15号、1月11日公布)
燃料局特別会計規則中改正ノ件(勅令第16号、1月11日公布)
砂鉱法戦時特例中改正ノ件(勅令第17号、1月11日公布)
昭和二十年法律第四十九号石油業法外十三法律廃止法律施行期日ノ件(勅令第18号、1月11日公布)
石油業法施行令等廃止ノ件(勅令第19号、1月11日公布)
会社経理統制令中改正ノ件(勅令第20号、1月14日公布)
地方官官制中改正ノ件(勅令第21号、1月15日公布)
官国幣社以下神社幣帛供進使及随員服制等廃止ノ件(勅令第22号、1月15日公布)
戦時建設団令廃止ノ件(勅令第23号、1月15日公布)
水先法戦時特例廃止等ノ件(勅令第24号、1月15日公布)
昭和二十年法律第五十八号農業団体法中改正法律施行期日ノ件(勅令第25号、1月16日公布)
農業団体法施行令中改正ノ件(勅令第26号、1月16日公布)
商工省官制中改正ノ件(勅令第27号、1月18日公布)
地方商工局官制中改正ノ件(勅令第28号、1月18日公布)
造幣局ニ於ケル金属工芸品ノ製造ニ関スル件(勅令第29号、1月22日公布)
農林部内臨時職員等設置制中改正ノ件ヲ裁可(勅令第30号、1月22日公布)
開拓委員会官制(勅令第31号、1月22日公布)
昭和十二年勅令第五百八十五号大東亜戦争ニ関スル国防献品ヲ目的トスル寄付金ノ出納保管ニ関スル件廃止ノ件(勅令第32号、1月22日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク国際的協定又ハ国際的契約ノ禁止等ニ関スル件(勅令第33号、1月22日公布)
昭和二十年法律第五十九号水産業団体法中改正法律施行期日ノ件(勅令第34号、1月22日公布)
水産業団体法施行令中改正ノ件(勅令第35号、1月22日公布)
監獄官吏服制中改正ノ件(勅令第36号、1月24日公布)
昭和二十年法律第六十四号農地調整法中改正法律施行期日ノ件(勅令第37号、1月24日公布)
農地調整法施行令改正ノ件(勅令第38号、1月24日公布)
自作地登記令中改正ノ件(勅令第39号、1月24日公布)
行政整理臨時職員令(勅令第40号、1月25日公布)
内閣部内臨時職員設置制中改正等ノ件(勅令第41号、1月25日公布)
朝鮮総督又ハ台湾総督ノ医師免許又ハ歯科医師免許ヲ受ケタル者ニ付テノ国民医療法施行令ノ特例ニ関スル件(勅令第42号、1月25日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク厚生年金保険法等中改正ノ件(勅令第43号、1月25日公布)
昭和十三年勅令第三百八十八号、昭和十五年勅令第四百七十六号、同年勅令第九百六号、昭和十六年勅令第八百二十六号、昭和十八年勅令第六十号及昭和十九年勅令第百十二号ニ定ムルモノノ外臨時補助貨幣ノ形式等ヲ定ムルノ件(勅令第44号、1月25日公布)
行政整理実施ノ為ニスル内閣所属部局及職員官制中改正等ノ件(勅令第45号、1月29日公布)
関税調査委員会官制中改正ノ件(勅令第46号、1月29日公布)
行政整理実施ノ為ニスル司法省官制中改正ノ件(勅令第47号、1月29日公布)
東京帝国大学講座令等中改正ノ件(勅令第48号、1月29日公布)
行政整理実施ノ為ニスル商工省官制等中改正ノ件(勅令第49号、1月29日公布)
商工省整理部臨時設置制中改正ノ件(勅令第50号、1月29日公布)
運輸大臣ニ於テ委託ニ依リ戦災地ノ復興ニ関スル工事ヲ施行スル等ノ件(勅令第51号、1月29日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク有毒飲食物等取締令(勅令第52号、1月29日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク工業所有権法戦時特例中改正ノ件(勅令第53号、1月29日公布)
行政整理実施ノ為ニスル逓信院官制中改正等ノ件(勅令第54号、1月30日公布)
内務省官制中改正等ノ件(勅令第55号、1月30日公布)
行政整理実施ノ為ニスル外務省官制中改正ノ件(勅令第56号、1月30日公布)
行政整理実施ノ為ニスル外交官及領事官官制中改正ノ件(勅令第57号、1月30日公布)
在外公館職員等ニ関スル行政整理臨時職員令ノ特例等ニ関スル件(勅令第58号、1月30日公布)
行政整理実施ノ為ニスル内務省官制中改正等ノ件(勅令第59号、1月30日公布)
行政整理実施ノ為ニスル文部省官制中改正等ノ件(勅令第60号、1月30日公布)
行政整理実施ノ為ニスル農林省官制中改正等ノ件(勅令第61号、1月30日公布)
行政整理実施ノ為ニスル東京都官制中改正等ノ件(勅令第62号、1月30日公布)
行政整理実施ノ為ニスル地方行政事務局設置制中改正等ノ件(勅令第63号、1月30日公布)
会計規則等戦時特例中改正ノ件(勅令第64号、1月30日公布)
防空法施行令等廃止ニ関スル件(勅令第65号、1月30日公布)
企業経理調査委員会官制(勅令第66号、1月31日公布)
行政整理実施ノ為ニスル運輸省官制中改正等ノ件(勅令第67号、1月31日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク恩給法ノ特例ニ関スル件(勅令第68号、1月31日公布)
行政整理実施ノ為ニスル大蔵省官制中改正等ノ件(勅令第69号、2月1日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク宗教法人令中改正ノ件(勅令第70号、2月1日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク明治三十九年法律第二十四号官国幣社経費ニ関スル法律廃止等ノ件(勅令第71号、2月1日公布)
行政整理実施ノ為ニスル明治二十三年勅令第百十一号行政裁判所評定官ノ員数並ニ書記ノ員数及職務ニ関スル件中改正ノ件(勅令第72号、2月5日公布)
昭和二十年度ニ於テ農業家畜再保険特別会計家畜勘定借入金利子ヲ第一予備金ヲ以テ補充シ得ベキ費途トスルノ件(勅令第73号、2月5日公布)
行政整理実施ノ為ニスル厚生省官制等中改正等ノ件(勅令第74号、2月7日公布)
行政整理実施ノ為ニスル保護院官制廃止等ノ件(勅令第75号、2月7日公布)
高等官官等俸給令中改正ノ件(勅令第76号、2月7日公布)
政府職員共済組合令中改正ノ件(勅令第77号、2月8日公布)
農地調整法施行令中改正ノ件(勅令第78号、2月8日公布)
臨時ニ運輸省ニ運輸省顧問ヲ置クノ件(勅令第79号、2月12日公布)
農林部内臨時職員等設置制中改正等ノ件(勅令第80号、2月15日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク地方団体ノ吏員等連合国最高司令官ノ命令ニ基キ退職シタルトキノ退隠料等ヲ受クルノ資格又ハ権利ノ喪失等ニ関スル件(勅令第81号、2月15日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク永楽土地建物株式会社ノ財産ノ取引ノ制限等ノ件(勅令第82号、2月15日公布)
金融緊急措置令(勅令第83号、2月17日公布) - 緊急勅令
日本銀行券預入令(勅令第84号、2月17日公布) - 緊急勅令
臨時財産調査令(勅令第85号、2月17日公布) - 緊急勅令
食糧緊急措置令(勅令第86号、2月17日公布) - 緊急勅令
食糧管理法施行令中改正ノ件(勅令第87号、2月17日公布)
隠匿物資等緊急措置令(勅令第88号、2月17日公布) - 緊急勅令
昭和二十年勅令第百三十号委託営繕事務施行ノ件中改正ノ件(勅令第89号、2月16日公布)
日本銀行券預入令ノ特例ノ件(勅令第90号、2月19日公布) - 緊急勅令
厚生部内臨時職員設置制中改正等ノ件(勅令第91号、2月19日公布)
生糸検査所官制中改正ノ件(勅令第92号、2月19日公布)
東京都官制中改正等ノ件(勅令第93号、2月19日公布)
警視庁官制中改正等ノ件(勅令第94号、2月19日公布)
農地調整法施行令中改正ノ件(勅令第95号、2月19日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク衆議院議員選挙法第百一条ノ三及第百四条ノ規定ノ適用ニ関スル件(勅令第96号、2月21日公布)
昭和二十年勅令第七百七号(衆議院議員選挙法施行令中改正ノ件)中改正ノ件(勅令第97号、2月21日公布)
工業標準調査会官制(勅令第98号、2月22日公布)
農商省関係許可認可等戦時特例中改正ノ件(勅令第99号、2月22日公布)
昭和二十一年人口調査ニ関スル件(勅令第100号、2月22日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク政党、協会其ノ他ノ団体ノ結成ノ禁止等ニ関スル件(勅令第101号、2月22日公布)
中等学校令中改正等ノ件(勅令第102号、2月22日公布)
食糧対策審議会官制(勅令第103号、2月26日公布)
商工省整理部臨時設置制中改正ノ件(勅令第104号、2月26日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク戦争終結後復員シタル陸海軍ノ軍人等ニ対シ支給シタル退職賞与金ノ国庫返納ニ関スル件(勅令第105号、2月26日公布)
昭和二十年法律第五十三号貿易資金設置ニ関スル法律ノ施行ニ関スル件(勅令第106号、2月26日公布)
労働組合法施行期日ノ件(勅令第107号、2月26日公布)
労働組合法施行令(勅令第108号、2月26日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク就職禁止、退官、退職等ニ関スル件(勅令第109号、2月27日公布) - 通称は公職追放令(昭和22年勅令第1号にて改正)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク臨時軍事費特別会計ノ終結ニ関スル件(勅令第110号、2月27日公布)
通信事業特別会計又ハ帝国鉄道会計ニ於ケル昭和二十年度ノ追加経費支弁ノ為ノ借入金ニ関スル件(勅令第111号、2月27日公布) - 緊急勅令
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク軍人及軍属ニ交付セラレタル賜金国庫債券ヲ無効トスルコトニ関スル件(勅令第112号、2月27日公布)
終戦連絡事務局官制中改正ノ件(勅令第113号、2月28日公布)
大蔵部内臨時職員設置制中改正等ノ件(勅令第114号、2月28日公布)
厚生部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第115号、3月1日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク退職手当金、年金其ノ他此等ニ準ズベキ利益ノ給付ノ制限ニ関スル件(勅令第116号、3月1日公布)
農業団体自治監査法施行令中改正ノ件(勅令第117号、3月1日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク物価統制令(勅令第118号、3月3日公布)※現行法令
物品税法施行規則中改正等ノ件(勅令第119号、3月3日公布)
昭和十九年勅令第二百六十八号(昭和十九年法律第四号経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律ニ基ク経済団体指定ニ関スル件)中改正ノ件(勅令第120号、3月2日公布)
昭和十三年勅令第三百八十八号及昭和十七年勅令第六百八十八号ニ定ムルモノノ外小額紙幣ノ形式ヲ定ムルノ件(勅令第121号、3月4日公布)
東京都官制中改正等ノ件(勅令第122号、3月5日公布)
昭和十八年勅令第百八号国民学校及市町村立青年学校職員ノ俸給等ノ負担ニ関スル件中改正ノ件(勅令第123号、3月5日公布)
昭和十五年勅令第二百四十二号五大都市ニ於ケル国民学校及青年学校ノ職員ノ俸給等支払ニ関スル件中改正ノ件(勅令第124号、3月5日公布)
都庁府県等臨時職員等設置制中改正ノ件(勅令第125号、3月8日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク都会地転入抑制緊急措置令(勅令第126号、3月8日公布)
復員ニ関スル経費等支出ノ件(勅令第127号、3月8日公布) - 緊急勅令
所得税法中改正等ノ件(勅令第128号、3月8日公布) - 緊急勅令
所得税法施行規則中改正等ノ件(勅令第129号、3月8日公布)
引揚援護院官制(勅令第130号、3月12日公布)
気象官署官制中改正ノ件(勅令第131号、3月12日公布)
船舶待遇職員令廃止ノ件(勅令第132号、3月12日公布)
警察官及消防官服制、巡査服制及判任官待遇消防手服制臨時特例(勅令第133号、3月12日公布)
東京都制施行令中改正等ノ件(勅令第134号、3月12日公布)
神宮皇學館大学官制廃止ノ件(勅令第135号、3月13日公布)
運輸省官制中改正等ノ件(勅令第136号、3月13日公布)
健康保険法施行令等中改正ノ件(勅令第137号、3月13日公布)
所得税法施行規則中改正ノ件(勅令第138号、3月13日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク臨時船舶管理法中改正等ニ関スル件(勅令第139号、3月13日公布)
終戦連絡事務局官制中改正ノ件(勅令第140号、3月14日公布)
東京帝国大学官制中改正等ノ件(勅令第141号、3月14日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク国有財産法中改正等ノ件(勅令第142号、3月14日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク昭和二十年勅令第六百五十七号会社ノ解散制限等ノ件中改正ノ件(勅令第143号、3月15日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク臨時肥料配給統制法中改正等ニ関スル件(勅令第144号、3月15日公布)
水産物統制令(勅令第145号、3月15日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク昭和十三年法律第八十四号大東亜戦争ニ際シ召集中ノ者ノ選挙権及被選挙権等ニ関スル法律中改正等ノ件(勅令第146号、3月16日公布)
昭和十三年勅令第三百八号大東亜戦争ノ為召集セラレタル者ノ高等試験受験ノ特例ニ関スル件中改正等ノ件(勅令第147号、3月16日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク会計法戦時特例中改正等ノ件(勅令第148号、3月16日公布)
戦災復興院特別建設部臨時設置制(勅令第149号、3月19日公布)
行政整理実施ノ為ニスル南方自然科学研究所官制等中改正ノ件(勅令第150号、3月19日公布)
運輸部内臨時職員設置制中改正等ノ件(勅令第151号、3月19日公布)
東京都官制等中改正ノ件(勅令第152号、3月19日公布)
都市計画法及同法施行令戦時特例中改正等ノ件(勅令第153号、3月19日公布)
輸出絹織物取締法及輸出毛織物取締法戦時特例及商工省関係許可認可等戦時特例廃止ノ件(勅令第154号、3月19日公布)
東京帝国大学講座令等中改正ノ件(勅令第155号、3月20日公布)
高等師範学校官制等中改正ノ件(勅令第156号、3月20日公布)
戦災復興院官制中改正ノ件(勅令第157号、3月22日公布)
戦争調査会官制中改正ノ件(勅令第158号、3月22日公布)
生鮮食料品、石炭、鉄及電気銅ニ関スル価格調整補給金等支出ノ件(勅令第159号、3月22日公布) - 緊急勅令
昭和十九年勅令第三百二十一号関税定率法第三条ノ二ノ規定ニ依ル輸入税ノ免除等ニ関スル件廃止ノ件(勅令第160号、3月22日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク昭和十八年法律第八十八号陪審法ノ停止ニ関スル法律中改正ノ件(勅令第161号、3月22日公布)
文部部内臨時職員設置制中改正ノ件(勅令第162号、3月23日公布)
農林部内臨時職員等設置制中改正等ノ件(勅令第163号、3月23日公布)
蚕糸調査会官制(勅令第164号、3月23日公布)
行政整理実施ノ為ニスル運輸部内臨時職員設置制中改正等ノ件(勅令第165号、3月23日公布)
昭和二十一年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スルノ件(勅令第166号、3月26日公布)
社会保険制度調査会官制(勅令第167号、3月28日公布)
企業整備共助資金整理審査会官制(勅令第168号、3月28日公布)
帝国議会議長副議長議員歳費及旅費支給規則中改正ノ件(勅令第169号、3月28日公布)
戦災復興院官制中改正ノ件(勅令第170号、3月29日公布)
監獄官制中改正ノ件(勅令第171号、3月29日公布)
文部省官制中改正ノ件(勅令第172号、3月29日公布)
理工学研究所官制(勅令第173号、3月29日公布)
環境医学研究所官制(勅令第174号、3月29日公布)
戦時行政職権特例廃止ノ件(勅令第175号、3月29日公布)
昭和十六年勅令第七百二十五号金鵄勲章年金令廃止ノ件中改正ノ件(勅令第176号、3月29日公布)
大東亜戦争従軍記章令廃止等ノ件(勅令第177号、3月29日公布)
公債金及借入金ノ会計年度所属等ノ特例ニ関スル件(勅令第178号、3月29日公布)
政府職員ノ給与改善ニ伴ヒ要スル経費等支出ノ件(勅令第179号、3月29日公布) - 緊急勅令
通信事業特別会計業務勘定又ハ帝国鉄道会計収益勘定ニ於ケル昭和二十年度ノ追加経費支弁又ハ歳入不足補填ノ為ノ追加借入金及帝国鉄道会計用品資金補足ノ為ノ公債発行ニ関スル件(勅令第180号、3月29日公布) - 緊急勅令
昭和二十年法律第四十四号国家総動員法及戦時緊急措置法廃止法律施行期日ノ件(勅令第181号、3月29日公布)
物価統制令ノ一部施行期日ノ件(勅令第182号、3月30日公布)
物価監視委員令(勅令第183号、3月30日公布)
昭和十六年勅令第七百十一号国民貯蓄組合法第八条第一項ノ規定ニ依リ主務大臣ノ職権ニ属スル事項ヲ地方長官ヲシテ行ハシムルノ件中改正ノ件(勅令第184号、3月30日公布)
健康保険法施行令中改正ノ件(勅令第185号、3月30日公布)
厚生年金保険法施行令中改正ノ件(勅令第186号、3月30日公布)
船員保険法施行令中改正ノ件(勅令第187号、3月30日公布)
昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク昭和二十一年勅令第三十三号国際的協定又ハ国際的契約ノ禁止等ニ関スル件中改正ノ件(勅令第188号、3月30日公布)
軍需金融等特別措置法等の一部を改正する勅令(勅令第283号)
民生委員令(勅令第426号)
昭和22年 [編集]

公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令(勅令第1号) - 改正公職追放令 - 昭和27年法律第94号により廃止
予算決算及び会計令(勅令第165号) - 現行法令
外国人登録令(勅令第207号) - 日本国憲法施行前日に出された最後の勅令 ※ポツダム勅令
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ああ、疲れた・・・。

あのな!最後の勅令はな!植民地朝鮮・台湾から日本に来ていた人々の「日本国籍」を、一方的に奪う「勅令」だったんだぞ!それも、ドサクサに紛れて、 日本国憲法の「発効」する「前日」の昭和22年の5月2日(憲法記念日の前日!)に出してんだぞ!ずいぶん、コスいことするじゃねえかよ!

2.世界の独裁者たち 〜ヒトラーとアウシュビッツ〜
第2次世界大戦では、多くの独裁者が生まれました。大江麻理子アナウンサーが「アウシュビッツ絶滅収容所」を取材し、ヒトラーという独裁者が起こしたナチスドイツによる驚くべき行為を伝えます。“どうして独裁者が生まれ、どんなことをしたのか”そして、ユダヤ人はなぜ殺されてしまったのか、番組で考えていきます。 


というわけで、大江麻理子アナウンサーが、アウシュビッツ収容所の展示室に山と積まれたユダヤ人の子供たちの「靴」を見て、感極まって泣き出すという演出。それにしてもテレビ東京は「女子アナ使い」の荒い局だな。直前の「モヤモヤさまぁーず」でも大江アナを使っていたし、前日の「アド街」にも、たしか出ていたな?固定給で使えるからって、あまり酷使するなよな!

3.現代の独裁者・カダフィとは何だったのか?
今でも独裁者は世界の至る所に存在します。去年、アラブ地域で大規模な民主化運動が起き、長年権力を握ってきた“独裁者”が相次いで倒れました。リビアで40年以上に渡り独裁者として君臨したカダフィも、去年10月に殺害されました。政権が倒れてから10カ月が経過し、この国はどのように変化したのか、大きく姿を変えたカダフィ邸を、池上彰が取材します。そして、独裁”とは一体どういうものなのか、また独裁者亡き後の国(地域)に平和は訪れるのかなどを探りました。


で、何でいきなりカダフィに跳んじゃうわけ?アウシュビッツをやったなら何故「南京虐殺」をやらないんだよ?何故「シンガポール・フィリピン虐殺」をやらないんだよ?何で「七三一部隊」をやらないんだよ?どう考えたって「片手落ち」だろーが!?まるでドイツだけが非人道的な虐殺(ホロコースト)をやったみたいになっちゃってるけど、これってドイツ人に悪くねーか、池上さんよ!

関連エントリー
<池上彰の功罪>
http://takashichan.seesaa.net/article/166840271.html
<池上彰の「安全デマ」>
http://takashichan.seesaa.net/article/193301788.html



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2012年08月15日

NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」

NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」
2012年8月15日(水)  19時30分〜20時45分  の放送内容


http://www.nhk.or.jp/special/

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0815/index.html

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敗戦から67年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか。当時の日本の国家指導者の行動や判断には、多くの謎や不可解な点が残されている。今回NHKは研究者の共同調査で、戦争末期の日本の終戦工作を伝える大量の未公開資料を、英国の公文書館などから発見した。それらによると、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながらソ連に接近していたこと。また、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかってきた。1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは活かされていなかったのである。番組では、戦後に収録されながら内容が公開されてこなかった当事者らの肉声証言なども検証し、重要な情報が誰から誰に伝えられ、誰には伝えられなかったのかを徹底分析。国家存亡の危機を前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、決定責任を回避しあっていた指導者の実態を浮かび上がらせる。国家的な岐路における重要な決定をめぐる課題について、識者討論なども交えて考えいく。
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今年の終戦の日に放送されたNHKスペシャルだが、私はこれを見ていて腹が立ってきた。あの大戦中、これほど「愚鈍な連中」に、我々日本国民は、命を預けてきたのか、と。

馬鹿な天皇に、馬鹿な軍人・大臣。私は思った。これじゃまるで「会社」だな、と。普段「社長批判」など、勇ましいことを言ってる奴に限って「会議」では「口を閉ざす」場面が、会社などではよくある。そんなだから「馬鹿社長」はいつも「裸の王様」だ。周りの連中は、社長がどれほど馬鹿であっても、誰も、自らは「猫の首に鈴を付けたくない」のだ。こういう場合、たいていの日本人は、自分の意見は「言えない」のだ。ミッドウェーの時もそうだった。神風特攻隊のときもそうだった。すべての「負け戦」が、そうやってやられていった。そうやって事態はどんどんと悪化していった。終戦時の御前会議も、まさにこれだった。

この番組の暴いたスクープは、ヤルタ会談で密約されたとするソ連参戦の情報を、すでにヨーロッパに派遣されていた武官が「入手」しており、その進行経過を逐次、国内の軍参謀に打電していた、ということだ。つまり軍部は、近い将来ソ連が参戦することは百も承知していたのだ!

だがそれは、天皇や外務大臣に知らされることはなかった。ソ連が日本に攻めてくることを「隠しながら」ソ連に「仲介」を頼む、という全く不可解な行動をとっていた陸軍参謀。さらに、アメリカと本土決戦をして「有利な条件」で講和を結ぶ、という「荒唐無稽」な計画。そもそも彼らは、全く「当事者能力」を失っていた。ただただ「責任のなすり合い」を演じるばかりであった。当時の天皇と軍部の姿に、私は我が目を疑ってしまった。

関東軍が「壊滅状態」であることを、密かに天皇に上奏した梅津美治郎参謀総長。慌てた天皇は6月22日に自ら「御前会議」を呼びかけ、梅津に対し、自分が聞いたのと同じ事を他の出席者の前で言わせようとするが、何故か梅田はそれを言い出さない。それどころか、またしても「本土決戦」などと言い始める。

そうこうしているうちに、原爆は落とされるわ、ソ連軍が満州に攻めてくるわで、結局60万人の日本人が「無駄死に」する始末。

一番腹が立ったのは、戦後書かれたという、ある当事者の手記が紹介された時だ。「誰も降伏を言い出せなかったことが、日本人の犠牲を増やした」と。それを書いた本人も同じ穴の狢だったくせに、実に、偉そうな「手記」を書くものだ。

日本人は、今も全然変わっていないな、と私は思った。日本人は、今も昔も「責任を取らない」民族だな、と。権力の「責任を追求できない」民族だな、と。権力の「中枢」に居るものに限って、そういうことが「言い出せない」のだな、と。それだから、2011年3月11日のあとも、東京電力の「原発犯罪人」清水も勝俣も、何の責任にも問われること無く、のうのうと畳の上で寝ていられるのだな、と。


関連エントリー<日本でオランダモデルが難しい理由>
http://takashichan.seesaa.net/article/155582416.html

 
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2012年09月30日

ネトウヨさんにお薦めの「Google日本語入力」のおせっかい機能

以前、私はネトウヨのあまりの「日本語の乱れ」に警鐘を鳴らして、次のようなエントリーを書いたことがある。

<ちょっとコーヒーブレイクを>
http://takashichan.seesaa.net/article/135041614.html

さて、ところがである。大変なことを発見してしまった。以前私は以下のエントリーで、次のようなことを書いた。

<いやらしい言葉「悩ましい」を連発する細野豪志>
http://takashichan.seesaa.net/article/216705309.html

>この調子で行くと「気づく」は「気ずく」、「基づく」は「基ずく」でもOKという世の中が来てしまうかもかも知れない。

私の「予言」は、ピタッと当たってしまった・・・と言いたいところだが、よくよく見てみると、どうもそういうことではないようだ。つまり、別に文部科学省(国語審議会)が「通達」を出した、というわけではないようなのだ。つまりこういうことである。

みずらい→見づらい、見辛い
わかりずらい→分かりづらい、分かり辛い
こずかい→小づかい、小遣い
もとずく→基づく
うなずく→頷く、うなづく

矢印の右はいずれも、左のカナを入力した際に「Google日本語入力」に現れる候補である。

つまりこれは「日本語の素養の無い」ネトウヨたちのために「Google日本語入力」が、日本語の「補正機能」を実装した、と見るべきなのだろうと思うのである。そう思って使ってみると「見ずらい」や「分かりずらい」が「間違い」であることを、ネトウヨに「認識」させる効果が、確かにある。ちなみに「もとづく」と入力した場合には「基ずく」という変換候補は出てこないので、どんな馬鹿なネトウヨでも、間違えることはない。大変によく考えられた変換機能であることが分かる。ネトウヨの教育機能は、確かにあるといえる。念のため、お馴染みの「ネット大辞林」で調べると、次の結果であった。すでに「うなづく」は「うなずく」でも間違いではないらしい。

こ‐づかい【小遣い】
うな‐ず・く〔‐づく〕【×頷く/首=肯く】  
もと‐づ・く【基づく】

と、ここで私は何気なく「いずれ」と入力してみた。すると 「Google日本語入力」は、「いづれ」という変換候補が出てきた。これは古語表現であって、用いても間違いではない。ちなみに「ネット大辞林」では、

いずれ‐も〔いづれ‐〕【▽何れも】

と出ていた。う〜む「Google日本語入力」恐るべし、である。ここで私はハタと思った。 IMEではどうなのだろう?と。そこで、居間においてある(IMEの入った)ノートPCで今、調べてきた。結果は、以下のとおりであった。

みずらい→みず-らい
わかりずらい→わかり-ずらい
こずかい→こず-かい
もとずく→もと-ずく
うなずく→頷く

すなわち「うなずく」以外は変換不能であった。このことから、私はネトウヨの諸君にはIMEよりも「Google日本語入力」を、使用することを強くお薦めする次第である。

posted by takashi at 00:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月02日

「南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち」という動画について

これらの動画は、アップされてからもう1年ほど経つものですが、閲覧数はあまり伸びているとは言えません。先の戦争で日本軍が犯した罪を、告白する元日本兵たちの記録です。年老いた彼らは、しっかりとした口調で、顔も隠さず話しています。これが我々のやったことです。これがあの「大東亜戦争」の実態です。

せっかく「英語字幕」が付いているというのに、残念なことにタイトルが日本語であるために、全世界の人たちには見てもらえないようです。大変に惜しい動画だと思います。それと、題名自体が、その内容とは必ずしも合っていません。「南京大虐殺」に限った内容ではないので、例えば「What Japnese Soldiers Did in China」といったタイトルで、アップしてもらいたいと思います。

「私は軍隊で、平気で人を殺せるようになりました。私の体で穢れれいないところはひとつもありません。本当の鬼畜です。」「お陰様で無事に帰りました、だけで済むのならいい。だが、私は、こういう悪いことをした人間ですと、しかし中国の情けのお陰で返されました。中国には感謝しています、と。こういう言葉を言ってしまった。それがいけなかった。これは中国に洗脳されて帰ってきたに違いない。それから警察にマークされて、就職できなかった。」「私の手記を女房が見て、びっくり仰天した。こういうことをやって来たのか、と。知らないですから、内地にいる人は。皇軍は、正義の戦争をしたのであって、むこうの住民なんか殺さないと思っているわけだから。」「女房も最初は、何でそんな自分の恥になることを人前で話すのか、と私を責めましたが、最近はどうやらだんだん分かってきたようです。」

告白者の一人の言葉です。この重たい動画をぜひ見てください。容量も「重たい」ので、ブログに貼り付けるのはやめましたが、URLのクリックですぐに見られます。

(1/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=Po4dOsOsHpU

(2/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=zywKZQBW-ig&feature=related

(3/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=07bpLDRR7FA&feature=related

(4/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=MFbRsRyX_48&feature=related

(5/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=eBCTIL8Mei8&feature=related

(6/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=2fsd3x9-WQo&feature=related

(7/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=-bau0_GsVg0&feature=related

(8/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=YAXTE04XK-Y&feature=related

(9/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=LEptgQgsqdk&feature=related

(10/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=qyZk8N02ISw&feature=related

(11/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=G7G3OYy5YaI&feature=related

(12/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=G7G3OYy5YaI&feature=related

(13/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=TU-9-5CP_4E&feature=related

(14/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち
http://www.youtube.com/watch?v=4JqElVkhPPk&feature=related

今、まさに近隣諸国を「挑発」する政治家や「徴兵制」を復活させようとする政治家が、またまたこの国を「過去の悪夢」に引き込もうとしています。私たちは、自分たちの国が過去に行なったことを、恐れずに、目を開けて、見ましょう。経験者の告白に耳を傾けましょう。

Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschliest, wird blind fur die Gegenwart
「歴史に目を閉ざすものは、現在に盲目になるだろう」

posted by takashi at 00:40 | Comment(18) | TrackBack(1) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月09日

続・ネトウヨさんにお薦めの「Google日本語入力」のおせっかい機能

私が、最近贔屓にしている女優さんの名前を「Google日本語入力」で入力してみる。残念!出ない。しかし、彼女の名前もいずれ、Google検索数が増えるに従って「一発で」変換されることになるかもしれないのである。いや、されるのだ。

山下俊一
安倍晋三
石原慎太郎
橋下徹
愛川欽也
姜尚中
後藤政志
小出裕章

以上は、全て「一発で」出てきた。愛川欽也、姜尚中などの「珍しい名前」は分かるが、橋下徹など、本来ならば(例えばIMEだったならば)「橋本亨」や「橋もと通る」などと出てもおかしくないものである。多分、日本中で日々Google検索に入力される名前のうち、一番検索数の多い名前が「Google日本語入力」ではトップに出るのだろう。また、IMEなどと同じく、ひとつの「読み」のうち、固有名詞と一般名詞があるものは、固有名詞が優先される。

「Google日本語入力」を使えば、例えばネトウヨの皆さんが、本多勝一を「本田勝一」などと書くことも、なくなろうというものである。当然ながら「たかしズム」も一発で出る。あれ?これは「辞書登録」してたんだっけ?皆さんの中で「Google日本語入力」を使っている方がいらしたら、教えてください。「たかしズム」は「一発で」出ますか?多分「高沈む」とかで出るのはIMEだと思うんですが。

さて、私の贔屓の女優、任漢香さん(注)は、今のところ「任官か」などと出る。「かんか」だけだと、最近一発で「漢香」と出るようになったが(尤もこちらは、ウェブとは関係ないローカルな「学習機能」によるものかもしれない)、いずれ「売れっ子」になったら「一発変換」されるようになるだろう。芸能人は「Google日本語入力」の「変換候補トップ」を目指して精進すると良いだろう。犯罪者は、テレビが取り上げそうな犯罪に励み、学者は研究よりも、むしろテレビ出演に励むことだ。桜井誠、櫻井よしこ。このような方々も立派に「Google日本語入力」ではトップに出ておられる。「悪名をはせる」のもひとつの方法である。

最後に、この方も「Google日本語入力」では一発検索される。

幽玄佐東

<ネトウヨさんにお薦めの「Google日本語入力」のおせっかい機能>
http://takashichan.seesaa.net/article/294798664.html


(注)任漢香さんは、愛川欽也さんの「劇団キンキン塾」の女優さんで、映画・舞台そして、インターネットテレビkinkin.tvの「パックインラジオ」で活躍しておられます。

posted by takashi at 06:44 | Comment(20) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月12日

お役所仕事

久しぶりに「お役所仕事」に出くわした。

電子納税(e-Tax)を利用しているため、仕方なく「住基カード」を持っている。その「住基カード」に登録された「電子証明書」の有効期限が、平成24年11月16日を以って切れるから「更新」に来い、という手紙を昨日役所からもらったので、なるべく早いほうが良いだろうと思い、本日手続きに行って来た。

無愛想な中年女性に書類を渡してから10数分後、30代半ばの細面の、私の好みのタイプの女性職員が(そんなことはどうでもよいのだが)カードを渡してくれた。画面の手続きが全て終わった段階で、改めて説明を聞くと、更新日は「本日」になるのだと言う。つまり明日から3年間が新たな「有効期限」になると言うのだ。もらった手紙には、更新日した日にまで「有効期限」が「遡る」などとは一言も書いてはいない。だったら、そんなに早く手続きをしないほうが良いということになる。期限が切れた後でも良いということになる。土台「住基カード」を使うのは、年一回の納税のためだけだ。極端な話、来年の10月まで待って更新しても、何ら問題ないということになる。そうすれば「更新手数料」の500円も、若干得するわけだ(セコい話だが理屈ではそうなる)。

「それはおかしいだろう、本来の有効期限は11月16日なのだから、11月17日から3年間が有効期限になるはずだ。そう変更してくれ。」と言うと「ちょっとお待ちください、聞いてきます。」と言う。上司に聞いてきた後で「誠に申し訳ありません。それはできません。」と言う。更新手続きが終わってしまったので元には戻せないのか、それとも「制度上」そのようになっているのか、を訊こうと思ったが、面倒くさいのと、好みのタイプだったという理由で、引き下がってしまった。私らしくもない。おそらく、執拗に食い下がれば日付の訂正は出来たのに違いない。私の納税期限は11月30日だから、その前に「有効期限」が切れるのは、誠に不都合なのである。出来れば納税手続きが終わった後に切れてもらえるのがありがたい。2年間はもちろん問題ないが、3年目にそういう不都合が起きるのである。

まあ、私の好みのタイプだから許してあげよう、ということで(ちょっとくどいか)役所を出てしまったが、どうにもしっくり来ない。こういうのを「お役所仕事」と言うのだろうと思った。いわゆる「お役所仕事」というのも、昔に比べてずいぶんと改善されてきた、と思っていたが、最近こういう対応がまた多くなってきたような気がする。2年ほど前に年金相談に行った時もそうだった。

さて、今日対応してくれた職員の女性は、ふたりとも間違いなく「非正規雇用」だと思われる。カウンターの中に座っている男性上司は別として、窓口業務の女性の殆どはパート、嘱託、あるいは派遣といった身分であろう。これが「お役所仕事」が復活しつつある原因であることは、まず間違い無いだろう。つまり公務員の「スキルの低下」である。地方自治体の「非正規雇用率」は2008年段階で28%だそうである(しんぶん赤旗)。現在はもっと増えているであろうことは「推して知るべし」である。中には半数以上を非正規雇用が占めている自治体もあるという。ここで私には「ある疑問」がふつふつと湧いてくる。

「公務員試験」とは一体何なのだ?

「公僕」として奉仕する公務員は、一般の労働者にはない「終身雇用」という特権を与えられ、その代わりに難関である「公務員試験」に合格することを求められる。これが、我々の抱いていた「常識」であったはずだ。ところが、今、現実の公務員を見ると「公務員試験」を受かってもいない労働者が、パートや派遣で、不安定雇用の下で公務員と同じ仕事をしている。これっておかしくはないか?「公務員試験」て一体何なの?と思うわけだ。

私は、公務員のいわゆる人数減らしには反対である。なぜなら公的サービスは、絶対に劣化させるべきではないと思っているからだ。それと巷で言われている「公務員の優遇」は別物だと考えている。例えば給与に関しては、民間の水準にしたがってスライドさせる制度などは、是非とも必要だと考えている。ただし、必要な法的手続きが必要なのは言うまでもない。だが、現実に行なわれていることは、上の人間を中央官庁からの「高給天下り」で固め、仕事の最前線で働く労働者を、低賃金の「非正規」に置き換えるというものである。このようなことは、まったくの「本末転倒」であると思っている。まず無くすべきは「高給官僚」である。あの「政権交代」以降、言われて久しいが、全く何の「進展」もありはしない。その一方で、公務員の「非正規化」は、どんどん進んでいる。

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2012年10月14日

日本が朝鮮半島でしたこと

さて、まず最初に「植民地」という言葉の定義をはっきりさせておこうと思う。

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<大辞林>しょくみん‐ち【植民地】 ある国からの移住者によって経済的に開発され、その国の新領土となって本国に従属する地域。武力によって獲得された領土についてもいう。
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植民すなわち人を移住させる先、というのがこのコトバの文字的な意味である。つまり、朝鮮半島に日本人を「植民」した、という意味で戦争中の朝鮮は日本の「植民地」であった。これは紛れも無い「事実」である。ところで、ネトウヨが唱える「念仏」の中に、次のようなものがある。皆さんも聞いたことがあるのではないだろうか?

「欧米は植民地人民を搾取だけし、インフラ整備や教育もしなかった。それに対し、日本は、インフラ整備や、教育もおこなった。」

これは本当だろうか?ということを考えてみたい。

<そもそも植民地のインフラを整備したのは日本だけか?>
中南米の諸都市には、ヨーロッパ風の建築や石畳、広場が至るところにある。これらは、誰が作ったか?「大阪城は誰が建てたの?答え、大工さん」という小学生のギャグをそのまま使えば、中南米の「原住民」ということになる。しかし、建築の指揮・監督を行なったのは、当時のスペイン人、ポルトガル人だったはずだ。すなわち要するに、16世紀以来、スペイン・ポルトガル人がこれらの「インフラを整備」したのである。

<そもそも植民地国民の教育を行なったのは日本だけか?>
スペイン・ポルトガル人は植民地に必ず教会を建てた。そしてそこでは、布教とともに教育が行われた。彼らはそこで、子供たちに「コトバ」を教えたのである。そして、ヨーロッパ風の生活様式や道徳を吹き込んでいった。その証拠に、メキシコ人は、現代でも流暢なスペイン語を話すし、ブラジル人は、流暢なポルトガル語を話す。そもそもこれらの国の「公用語」となっているではないか。同様にして、アフリカや一部東南アジア人はフランス語を話せるし「公用語」になっているところもある。

以上二つの例から、ネトウヨの言う「欧米は植民地人民を搾取だけし、インフラ整備や教育もしなかった。それに対し、日本は、インフラ整備や、教育もおこなった。」が、嘘であることが導き出される。

<そもそも植民地のインフラ整備は「誰のためのもの」だったか?>
その答えは<大辞林>の「植民地」の定義を見て欲しい。答えは「植民=移住者」のためである。植民地におけるインフラの整備は、まず第一に本国から「植民」された自国民のためである。ただし、出来上がったものが「意に反して」「副次的」に、植民地人民の役に立つということも、ありうる。また時には、積極的に「懐柔策」としてこれを行なうことも、もちろんあったろう。

このようにして宗主国は、インフラを整備し、教育を行なっているわけだが、その目的は何であるか?

それは「経済的に開発され」「本国に従属」させるため(<大辞林>)である。そもそも本国には無い農産物、鉱物、そして何よりも労働力を「収奪」するための「植民」であり「植民地」である。植民地人民を農場や鉱山で働かせるためには、言葉による「意思疎通」が必要だからだ。ましてや近現代にのような「工場労働」では尚更である。

さて、日本の「朝鮮支配」であるが、上記の16世紀ヨーロッパに人による植民地支配と基本的に何ら変わるところはない。インフラ整備を行なったのも、教育を行ったのも、外見はどうあれ、第一義的には「自国(日本)のため」である。一部仕方なく「懐柔政策」として行なったものもあるであろうが、である。それらのインフラが、戦後も生き残って、独立朝鮮の人々の「役に立った」としても、それは単なる「結果論」でしか無い。それを言うなら、鉄道など、あの広いインドに、日本以上のものをイギリスは敷設しているし、それは現在でもインド国民の「資産」として立派に運営されている。結論。植民地人民は、宗主国の「インフラの整備」に関して、何ら「感謝」をする必要は無し。

また、ネトウヨの中には「日本では朝鮮人に高等教育まで受けさせて、その中には、国会議員や軍人にまでなった者までいる」などと「得意げ」に言うものがいる。

当たり前である。工場労働をさせるにしても「高等教育」があるに越したことはない。「職制」として、日本人の「肩代わり」をさせることができるから。国会議員にしたというのは、最も狡猾な「懐柔政策」であるし、軍人に至っては、日本人の代わりに死んでくれるのだから、これほどありがたいことはない。当時、日本は常に戦争をしていたのである。そして工業国だったのである。国民の数が足りなかったのである。そのためには、朝鮮人に高等教育が必要だったのである。敵艦に突っ込むやめの「零戦」の操縦法も教えなくてはならなかったのである。これらは全て「日本のため」だったのである。

posted by takashi at 07:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

在日朝鮮人について

何故「在日朝鮮人」という「身分」が出来上がったかについて、全くその理由を知らずに、ただただレイシズム発言をなさる日本人が一部にいらっしゃる。ネトウヨである。

第二次世界大戦が終わるまで、朝鮮は日本の植民地であった。当時の法律では、曲がりなりにも「日本人」とされた。もちろん権利を大幅に制限された上で、自主性を奪われ、文化を奪われ、言葉を奪われ、名前を奪われ、である。そして、戦争をしていた日本は「労働力」を必要としていた。ここで問題になるのが「強制連行」であるが、その問題にはここでは触れない。

第二次大戦後、朝鮮が独立するまで、日本国内に居住する朝鮮人は「帝国臣民」すなわち日本人であった。大日本帝国憲法下の選挙権も被選挙権もあったのである。その選挙制度により、1932年、朴春琴が、東京で衆議院に当選している。当選した事自体は、彼が如何に日本人にも人望の厚い人物であったかを示している。これを以ってネトウヨは、日本が如何に寛大で公平な国であるか、を盛んに言い立てるが、これはひとつには朝鮮人の「懐柔」があり、ひとつには国内および半島の朝鮮人たちを「束ねさせる」いわゆる「傀儡」としての役目を与える目的があったと言える。事実そのために朴春琴は、大いに「利用」されている。いわゆる「アメとムチ」である。

さてこのように、戦争が終わるまでは建前上「日本人」であった朝鮮人達が、ある日突然「あなたには日本国籍は無しよ」ということになってしまう。それが、大日本帝国憲法下で出された最後の勅令「外国人登録令(勅令第207号)」である。全く姑息な話なのだが、これは 日本国憲法施行の前日に出された勅令なのである。このように「駆け込み」で秘密裏に滑り込まされた「勅令」により、日本にいる朝鮮人たちは一晩にして「国籍」を奪われてしまう。言ってみればこの「勅令」が、現在に至る「在日朝鮮人問題」の全ての原因なのだ。

戦後に独立した国々はいっぱいある。同じように独立を果たした植民地人民が、終戦時に国内に居住していた国は、イギリス、フランス、ドイツなど多数ある。それらの国々は一体どうしたかというと、自国の国籍を無条件に与えている。その意志のない者にはもちろん与えてはいない。その場合は、独立した祖国の国籍を選ぶことになる。また、イギリス、フランス、イタリアのように、二重国籍を認めた国もある。

さて、さすがに拙いと思ったのか、日本政府は1991年「特別永住者」なる身分を認めた。この何と言うか「苦肉の策」は、同じ宗主国であった諸外国の行なった「国籍選択」を行なっておれば、必要もなかったはずのものである。1947年5月2日に施行された「勅令第207号」さえなければ、在日朝鮮人問題など無かったのである。なおこの「特別永住者」という「身分」を以って、いわゆる「在日特権」として批判するネトウヨであるが、そんなものでは全然ない。そもそも昭和天皇が「勅令第207号」さえ出さずに、欧米諸国同様「国籍選択権」を与えていれば、特別永住者などという「身分」は存在しなかったのだ。昭和天皇裕仁の罪は重いと言わざるをえない。

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2012年12月15日

安田浩一著「ネットと愛国」考

皆さんは、ジョン・カーペンターのSF映画「ゼイ・リブ」をご覧になったことがあるだろうか?アメリカのある街が、すでにエイリアンにより支配されている。一部の人々はそれを知っていて、エイリアンの正体を見抜くためのサングラスを開発している。ひょんなことからそのメガネを手に入れた主人公は、そのサングラスをかけて街へ出る。すると、街を歩いている人間の半分近くが、ガイコツのような顔をしたエイリアンなのだ。このブラックユーモアに溢れたホラー映画は、こちらで見ることができる。

http://www.youtube.com/watch?v=X9j0EJB5GAs


安田浩一氏が「ネットと愛国」の中で、再三述べていること。彼ら(ネット右翼)が、日常においては我々一般人と何も変わらない「外見」であること。そのことに対する「驚き」「恐怖」というのは、例えばこの映画のようなものなのではないかと思うのである。個人的に話をすれば「好青年」であったり「今時の女の子」「普通のおじさん」だったりする人々が「在特会」という「身分」で街宣行動を行なうとき、突如として「豹変」し、レイシストの本性をさらけ出す。このような恐るべき光景に安田浩一氏は、ショックを受けたのに違いない。

安田浩一氏「ネットと愛国」が面白いのは、緻密な分析・解説の秀逸さと並んで、その「突撃取材」姿勢にあると言えよう。「在特会」会長の桜井誠も、最初は安田氏には「無警戒」であった。いや、むしろ自分の活動を「宣伝」してくれる人物として、安田氏を「利用」しようと考えていたフシさえある。だから彼は、会員たちへの取材に対しても、当初は妨害することもなく放任していたようである。

しかし取材の途中から、そうではなくなっていく。その意味で、安田氏の取材は、ちょっと失敗だったのではないかと、私は考えたりもする。ご本人がそう考えているかどうか、確認をとったわけではないが、取材の途中で本書以外の文章を発表することなく、最後まで桜井誠を欺き「信用」を保つことが出来ていれば、彼はもっと多くの会員にインタビューをすることが出来たはずだからだ。実際には途中から桜井は、安田氏に対し警戒心を抱き始め、最後には激怒して「出入り禁止」、会員への「インタビュー拒否の廻状」まで出されてしまうことになる。

しかし、そのような桜井の「態度の変化」も、このルポルタージュの「面白み」でもあるわけで、結果としてこのルポルタージュは、各種の「賞」をもらった上で、ベストセラーになったのだから「結果良ければ全て良し」ということなのかも知れない。

ルポルタージュの方法論として、数十年前から存在するものに「潜入取材」というのがある。例としては、原発作業員として福島第一原発に入った「ヤクザと原発」の鈴木智彦氏が記憶に新しいが、古くは、やはり原発作業の実態を告発した「原発ジプシー」の堀江邦夫氏、トヨタの期間工として、その「非人間的な労働」と「全近代的な労働環境」を取材した「自動車絶望工場」の鎌田慧氏などがいる。以前にも書いたことがあるが、この手法のむずかしいところは、これが「一回きり」の取材方法だということだ。面が割れてしまったあとは、この方法は使えなくなる。鎌田氏は、この作品以降も、別の会社に対して同じ取材方法を行なっているが「自動車絶望工場」に見られるインパクトはもう無くなっているし、期間も短くなっている。だが、この取材方法は、当時「新鮮」であり、衝撃的であった。その作品は鎌田氏を有名にしたし、ご本人が今ではルポ作家の「重鎮」となられたことは、皆さんもよくご存知であろう。

さて、話を安田浩一氏に戻すが、彼の今後の取材方法として考えられて、面白いものが期待できるのは「在特会」からの「生還者」へのインタビューのたぐいではないかと思う。現在会員として活動している人物への取材は、上に述べた如く困難であるし、そのこと以前に幹部が次々と刑事訴追されることになった以上「在特会」は今や「風前の灯」である。すでに「見切り」を付けた会員も多いことだろう。そういった「元会員」からは、まだまだ面白い話が聞けそうではある。多分、安田氏もそのへんのところを、次回の著作では狙っているのではないだろうか?

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2012年12月16日

「ボディーシャンプー」考

皆さん「ボディーソープ」というものをご存知だろうか?サウナやスーパー銭湯、ちょっと気の利いた温泉旅館の大浴場に、シャンプー、リンスと並んで、必ず置いてあるあれである。石鹸のように手ぬぐいに塗りこむ作業が要らない分、大変に便利なものだ。この商品が巷に現れたのは、一体いつ頃だったろうか?昭和も終りに近い頃だったかも知れぬ。

このボディーソープのことを、時々間違えて「ボディーシャンプー」と言ってしまうことがあるが、そんな時、私はなんとなくバツが悪い。私の若かりし頃は、この言葉は「大審院」と並んで「言う時に気をつけなければならない」日本語の筆頭だった。同年代の方々は、頷いてくださるものと確信している。

ところがである。さっきインターネットで「ボディーシャンプー」を調べてみて驚いた。今やこの言葉が「ボディーソープ」の「同義語」として、存在するのだ!そういう「商品名」として、すなわち「普通名詞」として確立しているらしい。つまり、今や「ボディーシャンプー」といい間違えても、何ら「赤面」することはない。という状況が、現在のこの日本にはあるらしいのだ。このへんで種明かしをすると、私の年代で「ボディーシャンプー」の定義を述べると、次のようになる。

■ボディーシャンプー【ぼでぃー-しゃんぷー】主に「特殊浴場」において、女子従業員によって客に供されるある種の「技」のこと。

たしか「広辞苑」にも、このような説明がされていたと記憶している。なんということだろう。現憲法下で「大審院」が「最高裁判所」と名称が変更される前までは、多くの裁判官、検事、弁護士が口を滑らせて顔を赤らめていたのではないだろうか?しかし「ボディーシャンプー」に関しては、もうそのようなことはない。隔世の感がする、何といい時代になったものだろう。このように、日本語には「危険な言葉」がいっぱいあるので、皆さんも気をつけていただきたい。

posted by takashi at 19:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月17日

< #たかしの名言妄言 >


< #たかしの名言妄言 >やあ「原発」くん、また君とは長い付き合いが始まりそうだな。

< #たかしの名言妄言 >やあ「TPP」くん、命拾いしたね。
 
< #たかしの名言妄言 >やあ「日本国憲法」くん、長いようで短い付き合いだったなあ、元気でね・・・。

< #たかしの名言妄言>やあ「消費税」くん、君の前途は洋々だね、おめでとう。※)

< #たかしの名言妄言 >やあ「社会福祉」くん、君とはまだ一度も会わないうちにお別れみたいだね。
 
< #たかしの名言妄言 >日本人は「一億総茹でガエル」、日本人は「一億総B層」、日本人は「一億総無脳症」。

< #たかしの名言妄言 >この期に及んでまだ「原発国民投票」を唱えてる奴らの気が知れないな。

< #たかしの名言妄言>ニーメラー牧師が今の日本を見て、どう思うか?

< #たかしの名言妄言 >「豚に真珠」「猫に小判」「日本人に民主主義」。

< #たかしの名言妄言 >「馬の耳に念仏」「犬に論語」「日本人に民主主義」。

< #たかしの名言妄言 >マスコミ依存度「ドイツ人5%」「日本人80%」日本は「B層国家」なり。

< #たかしの名言妄言 >小選挙区制を直すためには、小選挙区で選挙をしないといけないのって、まるで「絶望的」だよね。

< #たかしの名言妄言 >ドイツの「小選挙区制」が、限りなく「比例」に近い制度だということを、殆どの日本人は知らないんだよね。

< #たかしの名言妄言 >ドイツでは比例の比率で選挙区の当選が配分される。早い話が「完全比例」なんだよ。君たち知ってた?

< #たかしの名言妄言 >ドイツ連邦議会は「小選挙区比例代表併用制」。日本の選挙は「小選挙区比例代表並立制」。このそっくりな2つの言葉で、君たちはコロッと騙されているんだよ。

< #たかしの名言妄言 >本当は、ドイツの選挙制度と日本の選挙制度は「雲泥の差」なんだ。

< #たかしの名言妄言 >こんな「言葉のトリック」で騙されている日本の有権者って、ほんとにバカだよね。「本質的な」バカ。

< #たかしの名言妄言 >如何にドイツ人が賢くて日本人がバカかって話。


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2012年12月31日

データの転送その2

以前<データの転送>というエントリーを書いた。

http://takashichan.seesaa.net/article/276184967.html

2台以上のパソコンでデータを共有する(同期させる)良い方法はないものか?という内容である。で、現在私がどうしているかと言うと、上記記事コメントで、不勉強さんが薦めて下さったLANディスクを使っている。アイ・オー・データ製の4TBのLANディスクに、すべてのデータを置き、各クライアント(5台)から操作するようにしている。

また、同じアイ・オー・データのHDD(3TB)に、定期的にバックアップを取るようにしている(これが忘れがちになるので危険だ)。というわけで、現在は1台のデスクトップ、4台のノートから、LANディスクの同じデータを呼び出して更新させている。これで常にデータの「同期」が取れるわけだ。

こうなると、クライアントのD:ドライブは基本的に要らなくなる。ただし「圧縮・解凍」ソフト、お気に入りなど、ローカルにしかアクセス出来ないソフトやツールがあるので、そのためにD:も残こさざるをえない。私はC:ドライブには基本的にプログラム以外は入れないようにしている。

ローカルのディスクを書き換える場合より、多少時間が掛かるが、これはしょうがないか。あるいは、ルーターが古いせいかもしれない。これを検証するためには、有線で繋いだ場合と、無線とで速度を比較すれば分かると思うが、面倒くさくて未だやっていない。ノートのうちの1台は、Windows8だが、これが意外に重たい。Intel2.2GHZにメモリーが8GBなのにこの「遅さ」は、やはりルーターのせいかも知れないと思うのである。



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2013年01月20日

新たな敵「ネコウヨ」


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https://mobile.twitter.com/search?q=neko_uyoku&recent=1


最近、私は新たな敵「ネコウヨ」と対決している。なかなか手ごわい相手である。

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ネコウヨ@neko_uyoku
左翼の人間は「ドイツを見習え」と言うが、犬も同じ事を主張します amzn.to/KHP6sm
 
たかし@takashicyan
犬もやっぱり「電信柱」なんて、無いほうがいいのかも・・・。RT @neko_uyoku左翼の人間は「ドイツを見習え」と言うが、犬も同じ事を主張します amzn.to/KHP6sm
 
ネコウヨ@neko_uyoku
最近、人間を装った犬の心無いツイートを目にします。くれぐれも騙されないように気をつけて下さい

たかし@takashicyan
 悪かったな! RT @neko_uyoku最近、人間を装った犬の心無いツイートを目にします。くれぐれも騙されないように気をつけて下さい
 
ネコウヨ@neko_uyoku
 犬は貴方のすぐ近くに潜んでいます

たかし@takashicyan
 今、膝の上にいますが。ナニカ?RT  @neko_uyoku犬は貴方のすぐ近くに潜んでいます
 
ネコウヨ@neko_uyoku
貴様、それでも猫か! この犬の犬め!
 
たかし@takashicyan
スイマセン!犬の「彼氏」とは、もうコレっきりにしますう。RT @neko_uyoku貴様、それでも猫か! この犬の犬め!
 
ネコウヨ@neko_uyoku
「在宅犬特権を許さない野良猫の会」は、人間家庭を内部から崩壊に導く室内犬と、室内犬に与えられる衣住食の特権を絶対に許さない野良猫達による会です
 
たかし@takashicyan
「在宅猫」は、許すんですかーっ!?RT @neko_uyoku「在宅犬特権を許さない野良猫の会」は、人間家庭を内部から崩壊に導く室内犬と、室内犬に与えられる衣住食の特権を絶対に許さない野良猫達による会です
 
ネコウヨ@neko_uyoku
犬が「ネコウヨは平日深夜も昼もツィートしている。絶対ヒッキーだ」とdisっているようですが、浅はかなデマですね。ネコウヨの闘いに休息はありません。日夜ツィートしているのはその為です
 
たかし@takashicyan
うちの猫は一日中寝てますけど? RT @neko_uyoku犬が「ネコウヨは平日深夜も昼もツィートしている。絶対ヒッキーだ」とdisっているようですが、浅はかなデマですね。ネコウヨの闘いに休息はありません。日夜ツィートしているのはその為です
 
ネコウヨ@neko_uyoku
全ての犬を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての犬を、この肉球で
 
たかし@takashicyan 
ぷにょぷにょの「肉球」じゃ、無理でしょ。RT @neko_uyoku全ての犬を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての犬を、この肉球で
 
ネコウヨ@neko_uyoku
ギリシャでは優秀なギリシャ人のみの献血バンクを作ろうとする政党があるそうです。我々もネコの優秀性を人間にも与えるべく、ネコの血を人間に輸血する献血組織を立ち上げようと思います
 
たかし@takashicyan
血液型合うかなあ?・・・RT @neko_uyoku ギリシャでは優秀なギリシャ人のみの献血バンクを作ろうとする政党があるそうです。我々もネコの優秀性を人間にも与えるべく、ネコの血を人間に輸血する献血組織を立ち上げようと思います
 
たかし@takashicyan
@neko_uyoku さん!こんなふてえ犬がいやすぜ! topics.jp.msn.com/life/lifestyle…
 
ネコウヨ@neko_uyoku
犬m9(^Д^)プギャー
 
たかし@takashicyan
やっぱりネコウヨは「ボキャ貧」だなあ(笑)。RT @neko_uyoku犬m9(^Д^)プギャー
 
ネコウヨ@neko_uyoku
忠猫愛国。ネコに忠義を尽くすことは、国を愛する事に繋がるという素晴らしい言葉です。日本を愛する日本人は、常に胸に刻みつけておくように
 
たかし@takashicyan
分かりました。でも、うちの猫はロシアンブルーなんですが、問題は無いでしょうか? RT @neko_uyoku忠猫愛国。ネコに忠義を尽くすことは、国を愛する事に繋がるという素晴らしい言葉です。日本を愛する日本人は、常に胸に刻みつけておくように
 
ネコウヨ@neko_uyoku
猫が政治を語る。何がおかしいんですか?

たかし@takashicyan
別に語っても構いませんが、後ろ足で砂を散らかさないで欲しいです。RT@neko_uyoku猫が政治を語る。何がおかしいんですか?

ネコウヨ@neko_uyoku
神社に狛犬が置いてあるのは良くないです。全て狛猫に置き換えましょう

たかし@takashicyan
別にいいと思いますけど、ビートたけしがギャグにしないでしょうか?RT神社に狛犬が置いてあるのは良くないです。全て狛猫に置き換えましょう

ネコウヨ@neko_uyoku
私もかつては政治に興味の無い猫でしたが、ネットで真実に目覚めてからは野良を啓蒙して回っています

たかし@takashicyan
でも、あんまりキーボードの上を歩かないでくれますか?RT私もかつては政治に興味の無い猫でしたが、ネットで真実に目覚めてからは野良を啓蒙して回っています

ネコウヨ@neko_uyoku
犬は壁や電信柱に排泄しっぱなしですが、分別ある猫はきちんと埋めます。犬とは違うのですよ

たかし@takashicyan
でも、砂を飛ばさないで欲しいですね。RT犬は壁や電信柱に排泄しっぱなしですが、分別ある猫はきちんと埋めます。犬とは違うのですよ

ネコウヨ @neko_uyoku
想像してごらん 犬なんていないんだと それはとても簡単なことさ

たかし @takashicyan
介護猫、盲導猫、警察猫、救助猫、キミら出来る?RT @neko_uyoku 想像してごらん 犬なんていないんだと それはとても簡単なことさ

ネコウヨ @neko_uyoku
猫が政治を語る。何がおかしいんですか?

たかし @takashicyan
いや、いいんですよ、政治を語っても。ただ猫の砂をまき散らさないで欲しいんです。RT @neko_uyoku 猫が政治を語る。何がおかしいんですか?

ネコウヨ @neko_uyoku
現行の日本国憲法は破棄すべきです。主権在猫が謳われていない憲法は無価値です

たかし @takashicyan
でも、その「日本国憲法」に準拠した「動物愛護法」がありますよ。RT @neko_uyoku 現行の日本国憲法は破棄すべきです。主権在猫が謳われていない憲法は無価値です

不勉強@fu_ben_kyou
むむ、「いぬ」と書いても「イヌ」と書いても4画だ! 科学的証明!@neko_uyoku 猫という文字が11画もあるのに対し、犬という文字が4画に過ぎないのは、犬が4以上の数を認識できないバカだからです。これは科学的に証明されています

たかし @takashicyan
でも、犬は何千キロの道を歩いて飼い主の家に帰ってくるよね。偉いと思うけどな。RT @fu_ben_kyouむむ、「いぬ」と書いても「イヌ」と書いても4画だ! 科学的証明!@neko_uyoku 猫という文字が11画もあるのに対し、犬という文字が4画に過ぎないのは、犬が4

ネコウヨ @neko_uyoku
政治家が犬を飼っていたら危険な兆候です。十中八九、人間が犬に飼われていると見るべきでしょう。その政治家はどこかの犬です

たかし @takashicyan
ネコウヨの旦那!こんなふてえ国があるそうですぜ!http://japanese.ruvr.ru/2013_01_22/101976357/ … @neko_uyoku

ネコウヨ @neko_uyoku
想像してごらん 犬なんていないんだと それはとても簡単なことさ

たかし @takashicyan
いないと困るぅ〜!RT @neko_uyoku 想像してごらん 犬なんていないんだと それはとても簡単なことさ

ネコウヨ @neko_uyoku
猫ひろしのカンボジア帰化、同じ猫として許せませんね。売国猫とは奴のことです

たかし @takashicyan
その辺、たこ八郎は偉かったですね。海へ帰って行った。RT @neko_uyoku 猫ひろしのカンボジア帰化、同じ猫として許せませんね。売国猫とは奴のことです

ネコウヨ @neko_uyoku 
犬は貴方のすぐ近くに潜んでいます

たかし @takashicyan
今、ソファでテレビを見ていますよ。RT @neko_uyoku 犬は貴方のすぐ近くに潜んでいます

ネコウヨ @neko_uyoku
この国を変えるため、国はどんどんネコの雇用を促進すべきです。警察猫、警備猫、麻薬捜査猫といくらでも可能性があります

たかし @takashicyan 
できんのかよ(笑)!RT @neko_uyoku この国を変えるため、国はどんどんネコの雇用を促進すべきです。警察猫、警備猫、麻薬捜査猫といくらでも可能性があります

ネコウヨ@neko_uyoku
真実に目覚めた人間が大勢いる。猫達の覚醒(めざめ)の日も近い

たかし@takashicyan
こいつ、また寝てやがる(笑)。RT @neko_uyoku 真実に目覚めた人間が大勢いる。猫達の覚醒(めざめ)の日も近い

ネコウヨ@neko_uyoku
他の動物右派との連帯も考えています。特に日本では、ブタウヨが多いのでブタとの連帯は急務です

たかし@takashicyan
でも、こういうのと連帯したら「終わり」ですよ(笑)。http://takashichan.up.d.seesaa.net/takashichan/image/hatabo.jpg?d=a0 … RT @neko_uyoku 他の動物右派との連帯も考えています。特に日本では、ブタウヨが多いのでブタとの連帯は急務です

ネコウヨ @neko_uyoku
最近、猫語を学ぶ日本人が増えてきました。一つのキャットハウスに皆が集う八紘一宇の精神が広まるのは良いことです http://amzn.to/K9yOUh

たかし @takashicyan
名古屋の人は、昔から話してますよ。RT @neko_uyoku 最近、猫語を学ぶ日本人が増えてきました。一つのキャットハウスに皆が集う八紘一宇の精神が広まるのは良いことです

ネコウヨ @neko_uyoku 
犬も歩けば棒に当たる。これは、犬は思想の左右に関係なく、歩いただけで棒に当たるバカだということを表す諺です

たかし @takashicyan 
じゃ「猫に小判」とは、どういう意味ですか?RT @neko_uyoku 犬も歩けば棒に当たる。これは、犬は思想の左右に関係なく、歩いただけで棒に当たるバカだということを表す諺です

不勉強 @fu_ben_kyou
多分「犬なら訓練すれば、小判を持たせて買い物にも行かせられるけど、猫には無理だよなあw」という、猫は思想の左右に関係なく、ガキの使いもできないバカだということを表す諺ではないでしょうか。 @takashicyan じゃ「猫に小判」とは、どういう意味ですか?@neko_uyoku

ネコウヨ@neko_uyoku
@fu_ben_kyou 犬の犬乙

ネコウヨ@neko_uyoku
地雷犬というのがソ連にいましたが、バカなので味方の戦車に突っ込んで自爆して使い物にならなかったそうです。犬とアカが組むと、ろくなことにならない見本ですね

たかし@takashicyan
いや、犬は頭がいいから、人間の魂胆を見抜いて「復讐した」と、私は見ますね。RT @neko_uyoku 地雷犬というのがソ連にいましたが、バカなので味方の戦車に突っ込んで自爆して使い物にならなかったそうです。犬とアカが組むと、ろくなことにならない見本ですね

ネコウヨ@neko_uyoku
犬が「ネコウヨは平日深夜も昼もツィートしている。絶対ヒッキーだ」とdisっているようですが、浅はかなデマですね。ネコウヨの闘いに休息はありません。日夜ツィートしているのはその為です

たかし@takashicyan
自動投稿にしてるだけでしょ?RT @neko_uyoku 犬が「ネコウヨは平日深夜も昼もツィートしている。絶対ヒッキーだ」とdisっているようですが、浅はかなデマですね。ネコウヨの闘いに休息はありません。日夜ツィートしているのはその為です

ネコウヨ@neko_uyoku
世界に向けて、日本の猫の優秀性を発信しなければ! 英語で発信したいので、誰かボランティア英訳して下さい

たかし@takashicyan
優秀なんだから、自分でやれば?RT @neko_uyoku 世界に向けて、日本の猫の優秀性を発信しなければ! 英語で発信したいので、誰かボランティア英訳して下さい

不勉強@fu_ben_kyou
そこでGoogle翻訳ですよ http://translate.google.co.jp/  「ネトウヨ」の幽玄佐東さん@yougen_sato も「仕事」でご愛用だとかw @neko_uyoku 世界に向けて、日本の猫の優秀性を発信しなければ! 英語で発信したいので、誰かボランティア英訳して下さい

ネコウヨ@neko_uyoku
I can fky http://nico.ms/sm18008810

たかし@takashicyan
オス猫なら「オスプレイ」だな・・・ってか、オマエ!犬よりこれにこそ怒れよ!RT ネコウヨ@neko_uyoku I can fky http://nico.ms/sm18008810

ネコウヨ@neko_uyoku
犬死という言葉はあっても、猫死という言葉はありません。犬のように死ぬことは無様なのを、昔の人は知っていたのです

たかし@takashicyan
「猫かぶり」という言葉はあるけど「犬かぶり」ってのは無いよね、これはどうして?RT @neko_uyoku 犬死という言葉はあっても、猫死という言葉はありません。犬のように死ぬことは無様なのを、昔の人は知っていたのです

ネコウヨ@neko_uyoku
犬の魔の手は、既に警察の中枢にまで及んでいます。一説では、警察で雇われている動物の90%以上が、犬だそうです。一刻も早く、日本を犬から救わなくてはなりません

たかし@takashicyan
100パーセント!警察で「猫」飼ってどないすんねん。糞の役にも立たないやろが(笑)。RT @neko_uyoku 犬の魔の手は、既に警察の中枢にまで及んでいます。一説では、警察で雇われている動物の90%以上が、犬だそうです。一刻も早く、日本を犬から救わなくてはなりません

ネコウヨ @neko_uyoku
純粋な日本猫の血統は素晴らしいものです。全ての日本猫を天然記念物にすべきですね!

たかし @takashicyan
絶滅寸前になれば、してくれると思うよ。イリオモテヤマネコみたいに。RT @neko_uyoku 純粋な日本猫の血統は素晴らしいものです。全ての日本猫を天然記念物にすべきですね!


ネコウヨ@neko_uyoku
神社に狛犬が置いてあるのは良くないです。全て狛猫に置き換えましょう

たかし@takashicyan
だーかーらー、たけしが・・・。RT @neko_uyoku 神社に狛犬が置いてあるのは良くないです。全て狛猫に置き換えましょう

ネコウヨ@neko_uyoku
色んな犬に影から支配された日本を救うには、もうクーデターしかない!

たかし@takashicyan
はいはい(笑)。RT @neko_uyoku 色んな犬に影から支配された日本を救うには、もうクーデターしかない!

ネコウヨ@neko_uyoku
また犬に勝ってしまった。敗北を知りたい

たかし@takashicyan
あんたは「池乃めだか」か?RT @neko_uyoku また犬に勝ってしまった。敗北を知りたい

ネコウヨ@neko_uyoku
野良猫を弱者のように思う人間がいるようですが、それは違います。野良は自立を重視し、生活保護に頼らない自由な道を選んだ人生の強者です

たかし@takashicyan
人生? RT @neko_uyoku 野良猫を弱者のように思う人間がいるようですが、それは違います。野良は自立を重視し、生活保護に頼らない自由な道を選んだ人生の強者です

ネコウヨ@neko_uyoku
「在宅犬特権を許さない野良猫の会」は、人間家庭を内部から崩壊に導く室内犬と、室内犬に与えられる衣住食の特権を絶対に許さない野良猫達による会です

たかし@takashicyan
室内猫はスルーですかい?RT @neko_uyoku 「在宅犬特権を許さない野良猫の会」は、人間家庭を内部から崩壊に導く室内犬と、室内犬に与えられる衣住食の特権を絶対に許さない野良猫達による会です

@neko_uyoku
左翼の人間は「ドイツを見習え」と言うが、犬も同じ事を主張します http://amzn.to/KHP6sm

たかし@takashicyan
「ジャーマンシェパード」は賢いからなぁ。RT @neko_uyoku 左翼の人間は「ドイツを見習え」と言うが、犬も同じ事を主張します http://amzn.to/KHP6sm

ネコウヨ @neko_uyoku 
良い政治家の見分け方は、ネコを飼っているか否かです。間違っても犬を飼っている政治家に投票してはいけません

たかし@takashicyan
そうか!それで殺されたのか、犬養毅。RT @neko_uyoku 良い政治家の見分け方は、ネコを飼っているか否かです。間違っても犬を飼っている政治家に投票してはいけません

ネコウヨ@neko_uyoku
犬に住まいとエサを与えることは、在日に生保を与える事に匹敵する問題ですので、正さなければなりません

たかし@takashicyan
幽玄佐東@Yougen_Satoでも、そこまでは言わんだろうね(笑)。RT @neko_uyoku 犬に住まいとエサを与えることは、在日に生保を与える事に匹敵する問題ですので、正さなければなりません

幽玄(ヨーゲン)佐東@Yougen_Sato
@takashicyan @neko_uyoku 在日は犬以下です。犬は働いて餌を貰っています。

ネコウヨ@neko_uyoku
三味線は恥ずべき自虐文化ですね。一刻も早く無くすべきです

たかし@takashicyan
三味線は、都々逸、小唄、長唄、端唄などの、重要な日本文化を支える楽器です。絶対に無くすべきではありません。RT @neko_uyoku 三味線は恥ずべき自虐文化ですね。一刻も早く無くすべきです

チャチャ丸@poco_piccolo
勝俣や清水のちょっとしたお小遣い程度で、どんだけ 原発被害に遭った犬や猫がしっかりした治療を受けたり、美味しいゴハンを食べたりできるだろうか…勝俣は東電とKDDIを辞めてここに再就職!http://www.japc.co.jp/company/officer.html … ちなみにkepcoの8木さんもいます。

たかし@takashicyan
@neko_uyokuさんも、これくらいのことが言えないかなあ・・・。RT @poco_piccolo勝俣や清水のちょっとしたお小遣い程度で、どんだけ 原発被害に遭った犬や猫がしっかりした治療を受けたり、美味しいゴハンを食べたりできるだろうか…

ネコウヨ@neko_uyoku
純粋な日本猫の血統は素晴らしいものです。全ての日本猫を天然記念物にすべきですね!

たかし@takashicyan
そういうキミは「荒唐無稽文化財」だね。RT @neko_uyoku 純粋な日本猫の血統は素晴らしいものです。全ての日本猫を天然記念物にすべきですね!

ネコウヨ@neko_uyoku
犬の魔の手は、既に警察の中枢にまで及んでいます。一説では、警察で雇われている動物の90%以上が、犬だそうです。一刻も早く、日本を犬から救わなくてはなりません

たかし@takashicyan
残りの10%の内訳を教えてくれ。RT @neko_uyoku 犬の魔の手は、既に警察の中枢にまで及んでいます。一説では、警察で雇われている動物の90%以上が、犬だそうです。一刻も早く、日本を犬から救わなくてはなりません


ネコウヨ@neko_uyoku
I can fky http://nico.ms/sm18008810

たかし@takashicyan
怒れっちゅーに!!RT @neko_uyoku I can fky http://nico.ms/sm18008810

ネコウヨ@neko_uyoku
犬の唯一の活用法です。私も後で美味しく頂きました http://twitpic.com/9systp

たかし@takashicyan
「ネコじゃが」も、なかなかイケますョ。RT @neko_uyoku 犬の唯一の活用法です。私も後で美味しく頂きました http://twitpic.com/9systp










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う〜む、これほどの「論客」は、猫にしておくのがもったいないな。

posted by takashi at 23:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月09日

「!」や「?」について

これらは「感嘆符」「疑問符」と言うのですよね?英語あるいはその他のヨーロッパ言語から借用されたものだと思います。私自身は、結構便利なので使っております。

これらの記号を嫌う人の主張にも頷けます。確かに日本語は「疑問形」の語尾が「〜か」となるため、本来は「疑問符」は必要ありません。しかし、口語は日夜「進化」しています。例えば「肯定形」で疑問を表す表現が、現在では存在していることにお気づきにならないでしょうか?「いいと思います?」という言い方ですね。「いいと思います。」では、文章(書き言葉)上は完全に「肯定」になってしまいますね。

また「はあ。」「はあ?」という二つの言葉のニュアンスの「違い」は、書き言葉ではどうやっても出せないですね「?」が無くては。言うまでもなく、前者は「肯定」後者は「疑問」です。

こういった表現は、かなり昔から「疑問」「肯定」両方に使われていたはずです。文学作品では、どのように表現していたのでしょうね?確かに大昔の日本語には無かったものでしょう。しかし「生き物」である日本語の書き言葉は、文語体から口語体に変わって行きました。私自身は、言葉(話し言葉も書き言葉も)は、常に変化(進化)するものだと思っております。そういった、言葉の変化を肯定的に捉えた主張を、これまでも色んなエントリーで、繰り広げてきたような気がします。以下は私が日本語について書いたエントリーのうちの幾つかです。

<「馬鹿」という言葉>
http://takashichan.seesaa.net/article/128631992.html
<英語のカタカナ表記について>
http://takashichan.seesaa.net/article/141828268.html
<「新語」について>
http://takashichan.seesaa.net/article/149630441.html
<差別語について>
http://takashichan.seesaa.net/article/149675560.html
<方言における「品詞」の交錯ついて>
http://takashichan.seesaa.net/article/149861950.html
<ネトウヨさんにお薦めの「Google日本語入力」のおせっかい機能>
http://takashichan.seesaa.net/article/294798664.html
<続・ネトウヨさんにお薦めの「Google日本語入力」のおせっかい機能>
http://takashichan.seesaa.net/article/296424678.html

さらにインターネット時代を迎えて、日本語の「書き言葉」は、更に変貌を遂げ、遂には「顔文字」なるものも登場いたしました。

結論から言いますと、的はずれでない限り、意味のない使い方でない限り、過剰でない限り「!」も「?」も、使って構わないのではないでしょうか?ことに「?」の場合、ひと目でそれが「疑問文」であることが確認できます。「!」の場合は、書き手が「興奮している」「怒っている」「その主張を特に強調したい」などの「精神状態」を表すことが可能です。それの「行き着いた先」が、いわゆる「顔文字」なのではないでしょうか?

実を言うと、私は「顔文字」も嫌いではありません。ブログにユーモアを与える手段になるからです。もちろん「学術論文」に「顔文字」を使う人はいないでしょう(笑)。そう、この「(笑)」もそうですね。「おかしい」という気持ちと同時に「余裕」を表現出来ますね。ネトウヨさんもよく「www」などというのを使いますが、どうもこれは「顔がひきつっている」ような印象を覚えるのは、この私だけでしょうか?


posted by takashi at 23:14 | Comment(8) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月11日

日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき

<#日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき>
 「何故日本では電線を地下に埋めないのですか?」と、ヨーロッパ人に訊かれた時。

<#日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき>
 日本人の80%が、マスコミを信じて疑わない、という事実を聞かされた時。ちなみにヨーロッパでは5%〜15%。日本と同じく80%はフィリピン。

<#日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき>
 石原慎太郎が、三期も首都の知事を勤め、そのあと、いかがわしい政党の党首として当選し、その息子共が売国奴の政党にいるという事実を考えた時。

<#日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき>
 ツィッターや掲示板で「ナマホ」や「チョン」「チャンコロ」などの文字を眼にした時。

<#日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき>
 ドイツでは首相が「反原発」に豹変したと聞き、イタリアでは99%が国民投票で「反原発」に入れた、等のニュースを聞いた時。

<#日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき>
 戦争中、日本の国が犯した犯罪を、無かったなどと、わざわざ外国の新聞に「意見広告」を出す国会議員が、この国には居るという「事実」を突きつけられた時。

<#日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき>
 社会福祉の恩恵をもっと受けるべき庶民や貧乏人が、選挙に行かなかったり、自民や民主や維新等に「訳も分からず」投票するのを見る時。

<#日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき>
 愚にもつかないテレビコマーシャルを見せられた時。

<#日本人に生まれて恥ずかしいと思うとき>
 小泉進次郎に「選りに選って」東電原発被害地「福島」の主婦たちが、きゃあきゃあ言うのを見た時。

posted by takashi at 22:55 | Comment(7) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月18日

ジャーナリストと「お座敷」

私の尊敬する本多勝一氏は、自分で「私は媒体を選ばない」と言っていました。「朝日ジャーナル」であろうと「潮」であろうと「書きたいことを書く」と。全てそんな調子なわけですから、媒体によっては、内容が「意にそぐわない」という理由で、納めた原稿が没になったりもしたようです。そのうちに、彼の評判が知れ渡るにつけ、論調に反感を持つ出版社、もしくは「恐れ」を抱く出版社からは、依頼そのものが来なくなります。

京大原子炉実験所の、小出裕章氏も似ていますね。彼も、相手におもねるような発言は一切しません。四十数年来、電力会社からはたったの一度も「お座敷」はかからないようです。でも、もし「お座敷」があったとしたら、彼は喜んで依頼に応じた上で「反原発」の講義(抗議)を、行なうことでしょう。相手によって「立場を変える」ようなことは、絶対にあり得ない人だと思います。現代において、彼はまさに「孤高の存在」と言えるでしょう。それと対照的なのは、中部大学教授の武田邦彦氏ですね。詳しくは以下のエントリーをご覧ください。このような人物が未だに「権威」を持っていることが、日本の大学における病巣だと思います。クロストークエネルギー是非、皆さんもこれをダウンロードして聴いてみて下さい。

参考スレッド
<武田邦彦の処世術>
http://takashichan.seesaa.net/article/214156058.html
<武田邦彦の処世術その2>
http://takashichan.seesaa.net/article/219351970.html
<武田邦彦の処世術その3>
http://takashichan.seesaa.net/article/219591903.html
<武田邦彦の処世術その4(何故人々はこうも簡単に騙されるのか?)>
http://takashichan.seesaa.net/article/237334764.html
<武田邦彦が「反原発」だと思っている「お人好し」の皆さんへ!>
http://takashichan.seesaa.net/article/205936299.html
<武田邦彦が「反原発」だと思っている「お人好し」の皆さんへ! その2>
http://takashichan.seesaa.net/article/212960331.html
<武田邦彦が「反原発」だと思っている「お人好し」の皆さんへ! その3>
http://takashichan.seesaa.net/article/214188910.html

ついでに申し上げておきますが、私は、武田氏の言っていることが「間違っている」から、あるいは「賛成できないから」とかいう理由で批判しているわけではありません。彼は、かなり正確な情報も発信してはいる、例えばレジ袋に関する彼の説など、正しいと思うし、私は大賛成です。そうではなく、彼を批判せざるを得ないのは「お座敷によって言うことを変える」ということ、そしてその点について一切の「反省・謝罪」の言葉がない、ということなのです。その言葉さえあれば、私は彼を赦そうと思っている。しかるに彼は未だに「弁解・言い訳」に終始している。何より3.11以前、原子力に諸手を挙げて賛成していたにも拘わらず、未だに、あたかも自分がそれ以前から「反原発」であったかのように、成りすましている。そうではない「決定的な証拠」が、幾つもあるのに、です。

このように体制側の「お座敷」を、一度でも受けてしまうと、もうダメなのです、学者もジャーナリストも。ましてや「電事連のお座敷」に、大金で招かれると、もう終わりです。それ以降、そちら側に立ってものを言う様になってしまう。少なくとも批判的な主張はできなくなってしまう。ジャーナリストの場合は、筆先が「鈍って」しまう。相手の不正や犯罪行為を暴くことができなくなる。これが「人情」というものです。現在のテレビ局・大新聞社が、尽く権力に対して「物を言えない」のは、電力から巨額の広告費をもらったり、社主自らが、時の首相に、高級料亭での「接待」を受けているからです。批判できないのがアタリマエです。これらの行為は欧米のジャーナリズムでは厳に慎むべきこととされている。

さて、私は堀潤さんという元NHK職員のことはあまり知りませんでした。ツィッターのリツィートで、彼の発言や評判を聞き、興味を持ったのでフォローしました。ウェブでもいろいろと調べているうちに、若いが、なかなか気骨のある人だな、と思うようになりました。3月末にNHKを退職した後、現在は、フリーの立場で、主にネットによる発信を目指しているようです。

その堀潤さんに関して、最近次のようなツィッターのやり取りを行ないました。最初は二人の第三者とのやり取り。私が、裏まるこさんという方のツィートが気になって「ソースを教えて欲しい」と頼んだのがきっかけです。そして、それを受ける形で、堀潤さんにメンションを送りました。最後には堀潤さん本人からも、ご返事をいただきました。これに関して、私は一切の解説を差し控えることにいたします。どうか、皆さん一人一人がどう思われるか、よろしければご感想を、お書き込み願いたいと思います。

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裏まるこ @ura_maruco2271  
堀潤は電通で新入社員の講師もやるのかぁ。報道のあり方を問うて辞職したのに、自己矛盾にかられないのかしら。
 
たかし @takashicyan  
ソースをお願いします。RT @ura_maruco2271 堀潤は電通で新入社員の講師もやるのかぁ。報道のあり方を問うて辞職したのに、自己矛盾にかられないのかしら。
 
裏まるこ 裏まるこ o?n???-??n @ura_maruco2271   
おぐぐりください。 @takashicyan :ソースをお願いします。
 
CrowGoki @CrowGoki   
@ura_maruco2271 @takashicyan ソース云々するなら『堀潤氏自身によるTweet履歴』のチェックぐらいはするもんじゃないのかなぁ??
 
たかし @takashicyan  
何言ってるんですか?そういうツィートをする場合は、ソースのURLぐらい「明記」するのが常識ですよ。RT @CrowGoki @ura_maruco2271 チェックぐらいはするもんじゃないのかなぁ??
 
CrowGoki @CrowGoki  
@takashicyan @ura_maruco2271 私ゃ、ソース明記されたTweetも見てたし、堀氏のTweetもチェックしましたが?

たかし @takashicyan
探しましたよ。12日の「今日は夕方電通の新入社員の皆と色々と話したけれど、社会貢献やメディア不信改善の必要性を感じている子達が沢山いて嬉しかった。草の根だけど、皆、まっすぐ育ってくれれば嬉しい!」これのことでしょうか?RT @CrowGoki @ura_maruco2271

たかし @takashicyan 
続きです。これだけでは「社員研修」で講師をやったかどうかわからないし、たとえやったとしても「どんな話」をしたかまではわかりません。ヒントとしては「社会貢献やメディア不信改善の必要性」というのが述べられているだけですね。RT @CrowGoki @ura_maruco2271

たかし @takashicyan 
続きです。確かに「電通」という「諸悪の根源」とも言える会社の「お座敷」に出て、報酬を貰った(講師をしていれば当然貰ったはず、しかもかなりの金額)とすれば、私も多少がっかりせざるを得ません。確かに「節操」がないと思います。RT @CrowGoki @ura_maruco2271

CrowGoki @CrowGoki   
@takashicyan 4月12日
今日は分刻み。明日一緒に対談イベントする宇野常寛氏の事務所で打ち合わせ終了、高田馬場から汐留に移動中。この後電通で新人社員研修の講師、その後出版社と面談、夜はニコ生! http://instagram.com/p/X_pq4wNgr8/

たかし @takashicyan  
ならば、やっぱり最初から教えてくれたら良かったでしょ(笑)?RT @CrowGoki

CrowGoki @CrowGoki 
@takashicyan それは、あなたのただの甘え。実際、私はまるこさんがTweetされようと、誰がTweetされようと、自分で納得できるまで複数のソースを検証しますので…。

たかし @takashicyan   
いや、私自身がそのように、心がけておりますもので(伝聞を伝える場合は、できるだけソースを併記)。他人には期待しないことに致します。どうもでした。RT @CrowGoki

堀 潤 JUN HORI @8bit_HORIJUN
今日は分刻み。明日一緒に対談イベントする宇野常寛氏の事務所で打ち合わせ終了、高田馬場から汐留に移動中。この後電通で新人社員研修の講師、その後出版社と面談、夜はニコ生! http://instagram.com/p/X_pq4wNgr8/

たかし @takashicyan  
@8bit_HORIJUN さん、「電通」の「お座敷」なんかに出ていると、いざというときに「批判」できなくなりますよ。「報酬なし」ならば構いませんが、もらっているんでしょう?あなたが批判してきたことを、今、あなたがやっていることに、どうかお気付き下さい。

堀 潤 JUN HORI @8bit_HORIJUN 
皆さんからの寄付が、新しいメディアを創ります。ご協力、ぜひ、よろしくお願い致します!これまで寄付をして下さった皆さん、本当に有り難うございます! 8bitNewsからのお知らせ ? 8bitNews http://8bitne.ws/11f9CVb       
 
たかし @takashicyan
電通の講演料という「毒まんじゅう」にだけは、気を付けてくださいね♪ RT @8bit_HORIJUN 皆さんからの寄付が、新しいメディアを創ります。ご協力、ぜひ、よろしくお願い致します!これまで寄付をして下さった皆さん、本当に有り難うございます!

堀 潤 JUN HORI @8bit_HORIJUN
@takashicyan 講演料なんてもらっていませんよー

たかし @takashicyan  17時間 
そうなんですか?大変に失礼しました。しかし、諸悪の根源である「電通」と関わることは、堀さんのジャーナリストとしての「矛先」が鈍ることになりかねないので、お気をつけください。RT @8bit_HORIJUN 講演料なんてもらっていませんよー

瀬戸内海アマ 【生活の党】@12koku
@8bit_HORIJUN @takashicyan 貰っていいんですよw お金出せるところなんだから。

たかし @takashicyan   
愚か者(笑)。@12koku

瀬戸内海アマ 【生活の党】 @12koku
@takashicyan いや、電通で講演することの是非はともかく、受けてしまった者は仕方が無い。仕事をしたらキチンと「適性な」対価を受け取るのがプロですよ
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posted by takashi at 14:33 | Comment(1) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月28日

「どっちもどっち論」の皆様へ

昨今、やたらと「どっちもどっち」論を振り回す方が増えてきたように思います。当ブログにおいても、ちょくちょくそのような方を見かけます。曰く「ネトウヨを批判するたかしさんも、ネトウヨと変わらない、どっともどっちだと思います」てな具合に。そして、それらに共通するのは「何故どっちもどっちなのか」という「根拠」を示さないことでしょう。

多いのは「たかしズム」コメンテーターの皆さんが書いておられる文章が「ネトウヨ並」だという指摘です。ただし、そういう方々は、当ブログのコメンテーターが書いておられる「内容」は一切考慮せずに、言葉遣いだの文章が「ネトウヨと同じ」ことを以って、論を展開しているわけですね。「たかしズム」には、いろいろなタイプのコメンテーターがいらっしゃいます。中には相手(ネトウヨ)のレベルに「合わせて」対応する、という「手法」の方もいらっしゃれば、丁寧に諭すように書いておられる方もいる。礼儀正しい方もそうでない方もいる。礼儀正しいに越したことがないのは、言うまでもありませんが、しかし物には「限度」というものがありますから「豚には豚の扱い」をしたほうが良いのだ、と思われる方がいたとしても、当然おかしくはありません。例えばふつう幽玄佐東のような人間を、どのように扱うべきでしょう?あれはもう、まともなひとつの「人格」といして扱う必要があるでしょうか?自ら進んで「馬鹿」の道を選んだ、いわゆる「本質的な馬鹿」には、それなりの対応をせねばなりません。

※注)「本質的な馬鹿」についてはこちらをご覧ください。
http://takashichan.seesaa.net/article/121124599.html


「在特会」と櫻井よしこは、「どっちもどっち」です。しかるに「在特会」と「レイシストしばき隊」・「プラカード隊」を指して「どっちもどっち」とおっしゃる方がいらっしゃいます。この「文句」をしばしば発する方というは「冷静な第三者気取りをしてみたい」「自分を一段高く見せたい」「上から目線で優越感を味わいたい」「実際は右翼なのに、中道・リベラルを装いたい」等など、というのがその「動機」のようであります。この「どっちもどっち」論というのは「詭弁学」の初歩ともいうべきもので、実は簡単に論駁できるので、私は真剣に反論したことはありません。要するに「何に対して」批判をしているか、あるいはどちらに「理」があるか、という視点が、すっぽり抜けた形で発せられる言葉なのです。

どちらに「理」があるか。

「在特会」は「朝鮮人殺せ、首を吊れ」と主張するのに対し「レイシストしばき隊」・「プラカード隊」は「仲良くしよう、差別は止そう」と主張しているわけです。この二者の言うことのどちらに「理」があるかは、それだけでも分かりそうなものです。キリスト教でも仏教でも「殺すな、殺生はするな」と説いているわけです。つまり、この言葉は、何千年も前からの「真理」であって、世界共通の認識と考えてよろしいでしょう。近代の社会においても、現実はどうあれ、市民革命・啓蒙思想の旗印は「自由・博愛・平等」でした。これが現実の社会で実現することは難しいことではありますが、だからと言って「理念」としては、誰も反対しないし、疑わないと思います。

しかるに「在特会」は、この人類共通の「理念」からも、宗教的「真理」からも、逸脱するのみならず、真っ向から敵対する主張をしているではありませんか?それに対し「レイシストしばき隊」・「プラカード隊」の皆さんは、人類共通の「理念」どおりのことを言っているだけではありませんか?

「どっちもどっち」という言葉は、その「表層」だけでなく「実態」を見て使わないと「詭弁」と化します。この詭弁によれば、どのようにも言えるわけですから。「騙した方も騙された方もどっちもどっち」「弾圧した警察も逮捕された人もどっちもどっち」「強姦犯も被害者もどっちもどっち」とね。


 

posted by takashi at 15:17 | Comment(50) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月07日

差別語についての再考察

以前私は、ふたつのエントリーで「差別語」について考察したことがある。

<「馬鹿」という言葉>
http://takashichan.seesaa.net/article/128631992.html
<差別語について>
http://takashichan.seesaa.net/article/149675560.html

「馬鹿」という言葉が、放送コードにおける「放送禁止用語」(尤も放送業界の自主規制であって、法的根拠はない)から除外されている理由として、私は「現在に於いては、知的障害者を指して『馬鹿』と呼ぶような人間はほとんどいないということ。全くいないわけではないだろうが、ごく少数であること、更に『差別用語』としてこの言葉を使用する人間は、逆にその人格を疑われる、といった社会的『常識』が確立されているから」と、説明したことがある。明治・江戸期までは、明らかにこの言葉は「知的障害者」を指して用いることが多かったのは事実だ(落語「道具屋」「孝行糖」)。

ちなみに「知的障害者」ではなく、ごく一般的な「馬鹿」を呼ぶ場合に、本多勝一氏は「本質的な馬鹿」という言い方を用いている。例えば、自分から進んで自民党や維新に投票して、己の首を絞めるたぐいの「馬鹿」がこれにあたる。自分の子供にどのような「奇形」が出るかもわからない放射能をばら撒く原子力発電所を推進する自民党の、元首相の小泉純一郎の息子が、地元にやってきて「握手」をしてくれたと言っては、それだけでキャーキャー騒ぎ投票する、それも選りに選って福島の原発被害地に住む主婦たち、などがこの「本質的な馬鹿」にあたる。もちろん、小泉進一郎自身もこれにあたる。

「キチガイ」も現在「放送禁止用語」になっているが、これももう外して良いのではないか?精神疾患者についてこれを用いる人は、現代に於いては稀であろうと思われる。これもまた「本質的なキチガイ」に用いられるのがほとんどだからだ。例えば、池田大作の前で「トランス状態」になる久本雅美などが、明らかに「本質的なキチガイ」である。

その他の「放送禁止用語」身体的特徴や障害、病気、職業、出自、国籍等に関わるものも、基本的に放送事業者が「自主規制」することには、私は反対である。ニュースや報道番組は構わないと思うが、映画、ドラマの類ではそれが重要な主題であることも多いからだ。NHKが「座頭市」を絶対に放送しない(出来ない)のもそのためなのだ。

私も「たかしズム」においては、必要と有らば差別用語は、ためらわずに使っている(ただしもちろん「」付きで)。結局「差別語」については、以前私が<差別語について>の最後に書いたことに尽きるのではないかと思っている。

「『差別語』を取り巻く現状は複雑であるが、私は要は『相手が傷つくような用い方はしない』ということではないかと考えている。『シナ』と呼ばれて中国人が傷つくのならば使わない、ただそれだけのことだ。ああ言えばこう言うで『うちの近所では昔から支那そばと言っている』とか『東シナ海と言うじゃないか?』・・・などという輩(=ネトウヨ)がよくいるが、そんなのはただの『屁理屈』に過ぎない。」

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2013年06月01日

悪魔のオブジェ 

池袋芸術劇場の前の広場には、ベンチのたぐいが一切ない。大きな円形のパイプがあって、若いカップルなどはそこのもたれかかって談笑したりしている。我々が子供の頃から慣れ親しんできた「広場」や「公園」には、必ず「ベンチ」というものがあった。

ある頃から、都会ではその公園のベンチを「路上生活者」が占領するようになっていった。高度成長期が終わり、社会が停滞し始めた頃だ。その後、小泉・竹中により、日本の雇用政策・福祉政策は、ズタズタにされていった。

民主党政権を経て、昨年誕生した自民党安倍政権に至り、もはや日本の状況は最悪となった。持てる者には最大限の有利な税制、持たざる者からはこれでもかと増税の嵐。福祉は戦後最悪の切り捨てが進み、最後のセーフティネットである生活保護が大幅に切り下げられることになった。

あらゆる政策が、弱者を「狙い撃ち」にするものになっていった。ドイツなどのヨーロッパ諸国が、決して選ばなかった道である。低い最高税率、高い課税最低限、世界に類を見ない証券優遇税制。大企業に対する法人税減税や課税優遇措置。すべての富が「持たざる者」から「持てる者」へ流れる仕組みだ。課税本来の「富の再配分」から逸脱した、憲法違反の政策。拍車をかけるのが、TPPと、それに伴う労働法制の緩和。そして、その固定化を狙ったのが、憲法の大改悪だ。

この先、福祉の網からこぼれ落ちた失業者が、大量に「自殺」するだろう。あるいは、これまで以上に路上に放り出されるだろう。また、多くの母子が「餓死」するだろう。

さて、今日本中の大都会の公園のベンチは、このようなことになっている。

P1110826.jpg
 

真ん中に「仕切り」がある。本来3人は楽に座れるスペースが二つに分割されている。言わずと知れた「ホームレスへの嫌がらせ」である。彼らが「横」になれないように、このような「嫌がらせ」をしているのだ。昼休みにちょっと体を休めたいと思うサラリーマンにとっても、忌々しいシロモノであろう。このようなベンチが登場し始めたのはいつ頃であろうか?私が確信を持って言えるのは、青島幸男東京都政の頃だということ。あの「革新都政」が、この「元祖」なのである。青島都政は、徹底した「ホームレスいじめ」を行なった。根本的な「貧困」の解決はまったく行なわず、地下道のあらゆるところに、このような「オブジェ」を作った。

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外国人旅行者は、これらのオブジェを見て、一体何だと思うだろう?まさかホームレスへの嫌がらせのために存在するとは、思っても見ないのではないだろうか?その後の状況も推して知るべしである。こういったオブジェは、どんどん増えていった。そして遂に、このようなオブジェが作られるに至った。

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これは一体何なのだ?おぞましい「オブジェ」ではないか?人が多く行き交うこんな場所に、何故こんな「地獄」のようなオブジェを作らなければならないのだ?私は、ノルマンディー上陸のオマハ海岸に作られた、揚陸艇上陸妨害の「構築物」を連想した。「プライベートライアン」のトップシーンに出てくるアレである。世界広しと言えども、こんなおぞましいものを作って得意になっている国が、我が国以外にあるのだろうか?

 
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2013年06月02日

カタカナ語について

 すべての日本のアパートが「〇〇荘」から「〇〇マンション」に言い換えられ始めてから、もう何十年になるだろうか?「農協が」「JA」になり「国電」が「JR」になり「職安」が「ハローワーク」になった。マントル、ホテトル、キャバクラ、ファッションヘルス・・・訳の分からないカタカナ日本語は、今や日本中に充満している。

カタカナ語は「カタカナでしかニュアンスを表現出来ない」コトバに限定すべきではないか?私はそう思う。本多勝一氏も常々そのように述べている。ことほど左様に、今の日本にはカタカナ語が溢れかえっている。日本語(漢語)で充分表現できる概念を、どういうわけか、わざわざカタカナで書く。コンプライアンス、ガバナビリティ、プロダクト・ライアビリティ、アカウンタビィティ、レジティマシー、コンピテンシー。そんな例は枚挙にいとまがない。IT関係の会社が、特に甚だしいように私には思われる。

ネトウヨの方々は、私が本多勝一氏に影響された、とプロフィールに書いてあることを捉まえて、まるで私が本多氏を「神様」のように思っていると、勘違いしているフシがある。しかし彼の主張にも、賛成しかねることが、当然いくつかある。例えばJR等の車内放送を、本多氏は「うるさいから全廃しろ」という主張であるのに対し、私は「次に停まる駅」「今停まっている駅」については、絶対放送して欲しいと思う。「ドアの近くの方は気を付けて」だの「記念オレンジカードを発売しているから買え」だのの連呼は、本多氏同様「論外」であることは言うまでもない。このへんについては以下のエントリーをお読みいただきたい。
http://takashichan.seesaa.net/article/294760008.html

カタカナ語についても私の場合、本多勝一氏ほどラジカルではない。もっと「許容幅」は広いからだ。むしろカタカナ語を使ったほうが良いと思われる場合がある。先日もあるコメント欄に書いたが、例えば「混血児」を「ハーフ」「クォーター」、「障害者」を「ハンディキャプト」と表現するのは、ある程度「自国語」を使うより「角が取れる」と思う。漢語で「混血児」といった場合、妙に具体的で、何より過去において「差別的」に使われていたという現実が、まず脳裏をかすめることがある。そういう意識が「ハーフ」「クォーター」「ハンディキャプト」には少なくとも無いと思うのだが如何だろうか?これらは唯一、カタカナ語が「推奨」されるべき使い方ではないだろうか。尤も、本国のアメリカでは裏返しの事情で「ブラインドデート」「ブラインドタッチ」という言葉が見直されて、最近は言い換えられているらしい。"Blind","Blind man" には差別的なニュアンスが無いにも拘わらず、である。

とは言え、カタカナ語は漢語と並んで日本語の「進化」に多大な影響を与えてきた。日本語というフレキシブルな(すいません)言語に、大いに貢献していることは間違いない。

参考スレッド
<電信柱と騒音>
http://takashichan.seesaa.net/article/294760008.html
<「新語」について>
http://takashichan.seesaa.net/article/149630441.html

posted by takashi at 16:14 | Comment(12) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月15日

「しんぶん赤旗」のお薦め

去年の夏、やめるまで30数年間「朝日新聞」を取り続けてきた。私は「しんぶん赤旗(以降「赤旗」)」と「朝日新聞」の2紙を読み続けてきたわけである。思えば昔の朝日は「マトモ」であった。本多勝一氏が署名記事をまだ書いていた頃である。他にも「第二の本多」と目される記者が結構いたのを覚えている。今、彼らは一体何処に行ってしまったのだろう?

「赤旗」のように、絶対ぶれない「北極星」のごとき新聞と、朝日のような権力べったりの「ブルジョア新聞」の両方を取っていると、朝日の堕落ぶりが手に取るように感じられることになる。この30年間で、あたかも北極星の周りを回る北斗七星のように、朝日はその立ち位置を、自らずいぶんと変貌させてきた。

朝日が完全に堕落を遂げたのは、いつだと言えるだろう?私には、小泉構造改革の頃だと思えてならない。基本的に朝日は、読売・日経・サンケイと、変わらぬ新聞に成り果てた。郵政民営化をこれらの新聞とともに強引に牽引してきたと言っても過言ではないだろう。そして朝日の堕落は、その後も続いて現在に至っている。

私のように「赤旗」と2紙を読み比べてきた者には分かるのだが、例えば朝日1紙を読んできた者には、その堕落ぶりが、よくは分からないだろうと思う。つまり「茹で蛙」の原理である。基準となる「北極星」が無ければ「北斗七星」の位置は分かりづらいのに似ている。

さて「赤旗」の日刊紙であるが、皆さんには是非購読をおすすめする。今の日本の立ち位置、ひいては自分自身の立ち位置を「確認」するためにも、是非読んで貰いたいと思っている。一ヶ月3,400円である。「今、本当は何が起こっているのか」を教えてくれるのが「赤旗」だ。

一面に出る記事は、商業誌とは一線を画している。他紙が無視する「官邸前デモ」が一面を飾る。自民党が目論む悪事を一面記事トップで暴露する。今、国民にとって何が最重要の問題であるのか?それを知らしめてくれるのが「赤旗」の第一面である。第一面下の「潮流」は、朝日の「天声人語」に当たるコラムだ。ただし「天声人語」のような「上から目線」が無いのが良い。

第二面には「主張」。これも重要だ。一面記事同様、常に重要課題を論説にまとめあげている。他紙が絶対に書けないような「社説」を見ることが出来る。他にも良い記事が満載だ。商業誌のような、大企業の「一面広告」などありはしない。

「経済」の解説記事は、実に分かり易い。一度読めばストンと胸に落ちる。私が好きなのは「文芸欄」だ。一流の人々が投稿をしている。「文学」「芸術」「音楽」などの「本質」が語られる。日曜日の「書評」も大変参考になる。

最後に私が推して止まないのが「まんまる団地」だ。このオダシゲさんの漫画は、他紙の四コマ漫画とはわけが違う。最後の一コマで「絶対に笑える」のだ。これほどほのぼのとした「笑い」を誘う四コマ漫画は絶対に他にはない。「まんまる団地」を読むためだけに「赤旗」をお薦めしたいくらいだ。

 
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2013年06月22日

「定期券の論理」

「定期券の論理」というものがある。分かる人にはすぐ分かる話である。分からない人も、話を聞けばすぐに理解できるはずだ。こういうことである。

あなたが朝乗る通勤電車の発車時刻は、ほぼ毎日同じだ。いつものように身支度を済ませて出発する。自宅最寄りのいつもの駅の改札機の前まで行き、ポケットを探すと、定期券がない。家に取りに戻る時間的余裕はない。取りに戻ると「遅刻」だ。あなたは泣く泣く「券売機」で切符を買う。片道500円、往復1000円の予想外出費である。

さて、この場合あなたの金銭的損失は一体いくらか?設定として、あなたは90日定期(45000円)を持っているとしよう。結論から言ってしまおう。あなたの経済的損失は、次の計算式となる。

(500円×2)+(45000÷90)=1500円

如何であろうか?分かっている人には分かると思う。(45000÷90)の部分は、定期券を持っていなかったために「無駄になった」1日の使用料である。定期券を忘れたからといって、その期限が1日延びるわけではない。つまり(45000÷90)とは、定期券を忘れなければ「使えたはず」の1日分の損失なのだ。

これと同じようなことは世の中にいっぱいある。

週休2日の会社と、週休1日の会社があったとしよう。週休1日の会社に勤めているあなたが被る「損失」は、週に何日だろうか?もうお分かりだろう、2日間である。「実際に1日多く働く労働日」と、もう一日「もし週休2日であったならば、本来あるはずのあなたの自由時間」。この二日間を、あなたは「棒に振っている」ことになる。つまりあなたは「時間」という、お金で買えない貴重なものを奪い取られているのだ。

原子力発電を続けることのデメリットは、どうだろうか?事故の危険性、廃棄物の問題、経済的なデメリット・・・。それだけか?いや違う、それだけではない。原子力を続けているために「疎かになっている自然エネルギー」の開発(のための時間)だ。原発などやってさえいなければ「進歩したであろう」自然エメルギーの技術、そして「作っていたであろう設備」の数々。これらがプラスされたものが、原発の「損失」である。

戦争で考えてみよう。この国が5年間戦争をしたとする。5年間にあなたが被る損害は、あなたが直接戦争で受けた損害、失った資産、失った命、失った家族・友人、破壊された国土の他に、まだあるのだ。戦争さえしていなければあったはずの「平和な5年間(の生活)」を、あなたは失っているのである。これらの「定期券の論理」は、いずれも「時間」の概念を意識しないと理解できない「盲点」なのである。

 
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横井庄一氏と小野田寛郎氏

懐かしいお二人である。詳しくは以下のウィキを参照願いたい。

横井庄一氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95%E5%BA%84%E4%B8%80
小野田寛郎氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E5%AF%9B%E9%83%8E

横井庄一氏は、仕立屋の職人だった人で、階級は陸軍軍曹。終戦を知らずグアム島の密林でサバイバル生活をしていた。横井氏の凄いところは、そのサバイバル生活の巧みさであった。川でエビやウナギを獲り、野草、木の実などで生活していた。椰子の実で椀を作り、竹でかごを編んだりもしていた。なんと、草の繊維を使って織物を作り、背広まで仕立てていた。帰国後、講演や著書でサバイバルの必要とノウハウを訴えた。また、自宅を「横井庄一記念館」に作り変え、サバイバル術を一般公開した。横井氏亡き後は、奥様の美保子さんが館長をしている。

一方、フィリピンのルバング島で「発見」された小野田寛郎氏は、横井氏とは違い「エリート」だった。陸軍中野学校出の少尉である。米軍30名以上を殺したらしい。発見されたときは、ピカピカに磨かれた三八式歩兵銃を持っていた。食料は自給自足のほか、地元民からの「窃盗」で賄っていた。トランジスターラジオも(盗んで)持っていた。捜索隊の置いていった新聞などを見て、日本の「今日」の姿も知っていた。だから、日本が戦争に負けたことも、実は知っていた。

横井氏は「恥ずかしながら」と国民の前で語った。小野田氏は、実にかっこよく「天皇陛下バンザイ」を叫び、駆けつけた元上官の前で「武装解除」を行なった。しかし、その後の身の振り方こそが、小野田氏のエリート性を感じさせる。

約二年前に発見された横井庄一氏の、マスコミでの過剰な扱いを、小野田氏はじっくり観察したものと思われる。横井氏が、興味本意にワイドショーに引っぱり出され、週刊誌や新聞で書き立てられ騒がれ、新婚家庭を撮され、プライバシーを奪われる様を。仕舞いには周りにおだてられて、参議院選挙にまで立候補をする横井氏、マスコミ・大衆に翻弄されるそんな横井氏の姿を見て、小野田氏は日本が怖くなったのだろう、さっさとブラジルへ逃げてしまった。彼の地で大牧場主となり、余生を豊かに送っている。何となく大橋巨泉氏を思い浮かべたくなる人だ。サバイバルでは横井氏に負けているが、その後の「身の処し方」は、小野田さんのほうが一枚上手のような気がする。

<参考>
横井庄一記念館
http://b-spot.seesaa.net/article/103020607.html

 
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2013年06月23日

日本語と音節

日本語の特徴は「音節が多い(やまとことば・漢語・外来語を問わず)」ということだ。世界中でも稀な言語ではないかと思う。韓国語は日本語に近いといわれるが、どうなのだろう?分かる人がいたら教えて欲しい。音節とはこういうことだ。日本語は基本的に「子音+母音」ないし「母音のみ」で一音節となる。そして「母音」「子音」の種類が、多言語に比べて少ない。そのため、概念を言語化するために多くの「音節」を必要とする、と考えられる。

Thank you ・・・2音節
ありがとう・・・5音節

unfinished ・・・2音節
未完成な・・・6音節

mcdonalds ・・・1音節
マクドナルド・・・6音節

英語やドイツ語などのヨーロッパ言語は、一般に「子音」「母音」共、日本語に比べて種類が多い。中国語は「4声」というものがあり、母音の数は単純に考えても日本語の4倍にもなる。さらに、中国語は漢字のみであるため、文字数も節約できる。中国語は、音節も文字数も、世界で最も少ない言語のひとつであろう。余談になるが、文字数が少ないということは、ツィッターにおいて中国語が最も「有利」な言語であることを意味する。欧米語は文字数が多いのでツィッター向きではない。欧米でむしろ、フェイスブックが盛んであるのは、この理由からだと言われている。日本語は、中国語ほどではないにせよ、ツィッターでは有利だ。「主語の省略」や「言外の言」が使えるからだ。このへんのことについては、以前も下記のエントリーで取り上げている。
http://takashichan.seesaa.net/article/272314116.html

さて日本語の「音節」であるが、先ほど「音節」がやたらに多いと書いたが、実際には事情はちょっと違ってくる。例えば「ありがとう」は5音節だと書いたが、実際には「り」と「とう」の2音節なのである。「未完成な」については「かん」と「せいな」の2音節として、あるいはほとんど「かん」1音節と言っても良い。「み」と「せいな」は、極めて短時間に、ほとんど「子音のみ」のように「読み流されている」のが分かるはずだ。「マクドナルド」も「マクド」の部分は短時間に発音され、実際には「ナルド」が一音節のように読まれる。外国人で、日本語を知らない欧米人がローマ字の原稿を読んだ場合のようには、我々「日本語のネイティブスピーカー」は、けっして話していない。

にも拘らず、日本語には音節が多いために、やはり不便なのだなと感じられる時がある。例えば同時通訳を聴いた時に、通訳者が非常に「早口」であることだ。やはり「単位時間内」で、同じ内容を話すのに日本語は多言語より時間がかかるということがよく分かる。先ほど中国語がツィッターで「有利」と書いたが、実はこれは「話す」際でも同じで、中国語は、同じ内容の文章を話すのに、日本語の半分の時間しか要しない。これは中国人の「同時通訳者」の通訳を聞くとよく分かる。

上でもちょっと述べたが、この日本語の「欠点」を補うために生まれたものがある。尤もこれは私の「仮説」に過ぎないものだが。つまりそれが「主語の省略」「言外の言」「以心伝心」「おもんぱかり」「阿吽の呼吸」といったものだ。要するに、日本語はやたらと「省略」が効くのだ。日本人の言語構造ひいては精神構造には、このように「日本語」の特徴からくるものが多いように思われるのだが、如何だろうか。

 
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2013年09月03日

イラク戦争での不発弾爆発事件 元カメラマンの「空白の10年」を追う

そう言えばこんな事件があったな、と思った。8月31日のTBS「報道特集」である。
http://mantan-web.jp/2013/08/30/20130830dog00m200021000c.html

イラク戦争の取材先でクラスター爆弾の不発弾を、それと知らずに「記念品」として持ち帰ろうとした毎日新聞所属のカメラマン五味宏基氏。空港の手荷物検査の際にそれが爆発し、数人が死傷した。本人は無事。その後、五味氏は現地の裁判で有罪となり服役。恩赦で釈放されるが、会社からは懲戒解雇を受ける。近年は、奥さんの職場のあるエジプトに家族で移住していたが、先日のデモ弾圧事件後、日本に戻っているらしい。事件当時の若々しい風貌からは考えられないほど老けてしまっている。10年ではない、ちょうどその倍の20年ほど彼は歳を取ってしまったように見えた(10歳上の私と同年代に見えるという意味)。

番組では、彼のカメラになる作品が多く紹介された。どれも印象的な作品で、子供の写真が多い。カメラマンとしての腕前は、申し分のないように私には思えた。事件さえなければ順風満帆、名報道カメラマンとして活躍している人だろうな、と思った。

確かに、弁解のしようのない過失致死。万一機内で爆発していた場合の事の重大さを考慮すれば、その責任はあまりに大きいだろう。それは分かる。

しかし何故?彼にはクラスター爆弾の知識が無かったのだろうか?社内で「教育」は無かったのか?私にはそちらのほうがむしろ気にかかる。「親爆弾・小爆弾・孫爆弾」からなり、最後の孫爆弾は、その形状がちょうど缶入りジュースのような形・塗装になっているというクラスター爆弾。孫爆弾総数のうち数パーセントは、わざと「不発」になるように製造されている。興味本位で、あるいはジュースだと思って、特に小さな子供が拾うのを狙った形状だという。そして、それは拾ったとたんに爆発する。まるで「悪魔が考えだした」としか思えないような兵器である。

このような非人道的な爆弾そのものに対する批判は、番組の最後にキャスターの金平茂紀氏によって、ほんの少しだけ語られた。しかし今回は、その問題にはそれ以上の立ち入った言及はなく、非人道的な爆弾を作ったアメリカという国への批判も聞かれなかった。今あえてこのカメラマンの「その後」を取材し、特集として放映するTBS(毎日新聞社)の目的は何なのだろう?会社としての責任?けじめ?それもあるのだろう。しかしわざわざ、家族ぐるみ付き合いのあるという同期の記者に取材させるその意味は?ちょっと私には測りかねた。願わくば、これをきっかけに番組では、クラスター爆弾そのものの特集を、やってもらいたいものだと思った。もちろん批判的な視点から。
 
 

 
posted by takashi at 13:29 | Comment(1) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月10日

菊池誠信者の「結束力」

菊池誠信者の「結束力」は、以前から当ブログでもつとに有名である。

緊急情報募集!原発御用学者一覧
http://takashichan.seesaa.net/article/193202255.html
あなたが一番悪質だと思う「原発御用学者」は?
http://takashichan.seesaa.net/article/194530890.html
菊池誠センセイ、トップに躍り出る!
http://takashichan.seesaa.net/article/198159462.html
<菊池誠は「御用学者」か?それとも単なる「小物」か?>
http://takashichan.seesaa.net/article/198424577.html

案の定、集まるわ集まるわ。ぞろぞろぞろぞろ、どこからとも無く集まって来ては、私のトゥゲッターの「コメント欄」を埋め尽くされてしまった。組織力は「創価学会」並である(笑)。文章読解力もなく「アレを見ろ、コレを見ろ」とただ喚くのみ。見ると誰かが作った「まとめ」だったり、どこぞの御用学者の「論文」だったり(笑)。他人の受け売りの言葉ばかりで、自分の言葉なんぞありはしない。おまけに見事な「話のスリカエ」の数々。

いったい何故こうまでして「放射能の安全性」を振り撒きたいのか?その理由がとんと分からぬ。この人達によれば、小出裕章氏、今中哲二氏、高木仁三郎氏、肥田舜太郎氏、武田邦彦氏などの「反原発学者」の言うことは全部デタラメだということになるらしい。尤も武田氏に関しては、私もずいぶん批判はしてきたが、それは彼の「業績」についてではなく、彼の「処世術」に関してである。では菊池誠信者のコメントの数々を見ていただこう。

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まず、水俣病の原因であるメチル水銀も排泄されるわけですが。http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM1103_03.pdf
mnnkaanjinno 14 hours ago 9

排泄はされるよね、後、崩壊もするし、つまり減っていくってことでしょ。指数的に完全になくなるってことはないだろうけど、量の問題でしょ、穢れの問題じゃないんだし。
tamashirosama 14 hours ago 21

排泄されるってのは全部なくなるってことじゃないんですよ。それが解っていないで、こんなまとめ作ってドヤ顔してるのって、みっともないですね。
tamashirosama 14 hours ago 22

またまとめを作ったのですか…。Togetterを勉強するよりまずこれを勉強しよう!→体内セシウム量変化(http://j.mp/196TsEn
kazooooya 14 hours ago 10

体内セシウム量変化(http://j.mp/196TsEn)←これに、初期量を「◯◯Bq」、一日の摂取量を「0Bq」に設定すれば、時間と共に体内セシウム量が排泄によって減ってゼロになるでしょ?
kazooooya 14 hours ago 10

全部、なんて科学的な論点じゃないだろ。排出速度が著しく遅いかどうか、であって、それが「生物濃縮」のカギなわけで。科学に屈しないのを個々にやるのは勝手だが「発信」しなさんな。
joejoeu 14 hours ago 13

【自分の主張や根拠を隠し】ながら、あたかも相手が間違ったことを言っている(間違った論理展開)かのように誘導してるってことがわかるね。
ryoFC 14 hours ago 13

いいえ。間違いだらけです。RT @takashicyan: じゃあこれは正しい訳ですね?→「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」
ryoFC 14 hours ago 10

どこが間違っているかは、このまとめ(会話)の発端となったまとめのコメント欄に書いてあります。それでも分からなかったら説明しますよ。http://togetter.com/li/583391
ryoFC 14 hours ago 11

なんて自虐的なまとめ・・・ 議論以前に、基本的なことは勉強しましょうよ。
arthurclaris 13 hours ago 18

時間軸と量の概念が無い人とは会話にならない例だなあ。
maroonstar7001 13 hours ago 13

いまどき 有機水銀とCs137を同列に語る人間がいるのか(呆れ) もっと勉強してください。
ryutoyanagi 13 hours ago 20

「一粒でもストロンチウムが関東に降ったら勝ち!」とかそういう勝利条件のすり替えしてるアホもいてるしな。そうはならないでくださいよ。
joejoeu 13 hours ago 14

体内に蓄積して全く出て行かない状態が何故起こるのかさっぱりわかんないんだけど。そこをきちんと説明して欲しいのだが
tolucky774 13 hours ago 8

@takashicyanは揚げ足を取ることに終始していて、議論する気は最初から無いようです。相手が焦れてキレるまで挑発を繰り返すのみ。無視するのが賢明です。
koutetusanbo 13 hours ago 9

まとめって「まとめる奴がアレ」「まとめられ奴がアレ」のどっちかってことは多いけど、これは前者かな....
bengchang 13 hours ago 3

まぁ、明日マーズアタックみたいな異星人が攻めてくる可能性も全く無い訳じゃないわな。
Morosann 13 hours ago 5

時系列は直したのね・・・でも、まとめ主の脳内がガッカリ残念なのは治ってないよね、当たり前だけどw 
moegikaoru 12 hours ago 1

1年半前にはすでに野尻・早野両先生が講義してたのになぁ・・・【http://togetter.com/li/281205/野尻先生と早野先生によるセシウム体内蓄積の講義】
iamdreamers 12 hours ago 5

トリチウムは事故前から自然にあるんだけど。【http://togetter.com/li/447160/自然界のトリチウム】 まとめより、「オススメまとめ」のほうが有益です(^^)
iamdreamers 12 hours ago 7

だってセシウム1Bqって「何粒」あると思ってんだ?原子かぞえりゃ1370683636粒だぞ。30年経っても6.8億粒だぜ。どこからが「ゼロ」なんだよ。戦前生まれか何か?
joejoeu 12 hours ago 5

水俣病の場合は二つ発生する要素があって1に「生物凝縮がおこりやすく高濃度の状況であった」こと、さらには「メチル水銀は動物によっては毒性がばらついて実験動物には毒性が目立たなかった」ことが問題となり、放射性元素と照らし合わせるとポイントとして前者のポイントが大きく違うわけで。ま、典型的な詭弁者でしかないですな
olfey0506 12 hours ago 6

必死に言質を取ろうとして、見事に失敗した腹いせに、まとめで印象操作案件。
T_akagi 12 hours ago 7

子供たちの尿の7割からセシウム 体内被曝の深刻度 http://goo.gl/truYBo ハイ、排出されてるねw 残念でしたw
neologcutter 12 hours ago 2

もっともあの記事では「どれだけの放射線濃度か」がハッキリ書いてないからダメなんだが。
neologcutter 12 hours ago 3

なにこの自爆まとめwww
shigerikofuku 12 hours ago 5

纏め主にとっては、いかなる量の有機水銀摂取や放射線被曝も「タタリジャーッ!」なんだろう。
tadatsome3 11 hours ago 1

もうずいぶん前からだけど、まともに議論したら明らかに勝てないから無理やり極論方向に決めつけてわら人形批判とかばっかりだよね、ばかばかしい。 排泄もされる→排泄されるから全く問題ないと言うのか? 摂取量と排泄速度のバランス→つまり蓄積されるんですね? こんなんばっかり、あほくさ。
nachakey 11 hours ago 8

.@takashicyan 皆さんが折角、いろいろとリンクを貼ってくださってますので、この機会に勉強しましょう!(排泄されることは理解出来たよね?)
kazooooya 11 hours ago 3

いやいや、酒飲んでないでお勉強しようってばw RT @takashicyan: さて!魚肉ソーセージで、もうひと缶飲むか! ... http://j.mp/1ax72O7
kazooooya 11 hours ago 2

いわゆる「放射脳」の方の典型的な論理展開を見る事ができたと思います。
Djangoft 11 hours ago 2

Is He a type of man who think "all" or "nothing"?
ontheroadx 11 hours ago 6

とりあえず、バナナでも食っとけ。ホレ(゚Д゚)ノ⌒ノ http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8A%E7%AD%89%E4%BE%A1%E7%B7%9A%E9%87%8F トイレ・・・(ノ゚Д゚)ノ ‖WC‖
zukkykamogawa 11 hours ago 1

@zukkykamogawa 「やさしお」も追加してください。今日ばっちり放射線出してるとこ見てきちゃった(笑)
kawazu665 10 hours ago 0

塩にも致死量があるの知ってる? http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%B4%E6%AD%BB%E9%87%8F 要は量と時間ね。致死量を一度に食べれば生命の危機、1年かけて食べれば問題なし。0か100しか考えられないの?
zukkykamogawa 10 hours ago 3

晒しまとめを作ったつもりが自分が晒し者になっていたでござる
sininenkuumeri 10 hours ago 5

「全部出るの?」とか「全く吸収されないの?」とかこれだからゼロベクレル信者は……。とりあえず、原発事故なんぞが起こる以前から自分の身体が既に"放射性物質"である事実を噛み締めていただきたい。
kazuhiro_art 10 hours ago 5

以前WBC受けたとき、結果を説明してくれた方が「セシウムが蓄積すると思ってる人が多くて…」と何度も言ってたのを思い出す。きっとこんな感じの人にたびたび説明したんだろうな…大変だなあ。
sanga2paper 9 hours ago 6

いまこのまとめを開いたら、これが「読んでおきたいオススメまとめ」に入ってったw お勉強して帰っておいでw→ 「帰りたくない犬」 http://j.mp/197N4Jx
kazooooya 9 hours ago 0

タイトルの「放射能は排泄される」の時点でねぇ、「能」が物質を表しているらしい
mokumaru_NOP 7 hours ago 0

まとめ主サン、自分の無知を晒してどうするの…(´Д`|||)
ppix2 5 hours ago 0

排出しないとは、これは新しい脱生命宣言か何かですかね?
返信 _po_ko_ 4 hours ago 0
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彼らが「やり玉」に挙げているのは、私と@kazooooya氏の会話をまとめた、私のトゥゲッター「放射能は排泄されるから問題ない。」である。

http://togetter.com/li/587900#c1285632

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排泄をしない人がこの世にいたのか→ 「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」 http://t.co/wmNk1YaXni
kazooooya 2013-11-09 15:21:22

排泄で「全部」出るの?RT @kazooooya 排泄をしない人がこの世にいたのか→ 「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」
takashicyan 2013-11-09 15:35:04

2年半以上経つのに、まだそこですか…orz
RT @takashicyan: 排泄で「全部」出るの?RT @kazooooya 排泄をしない人がこの世にいたのか→ 「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」
kazooooya 2013-11-09 15:46:13

いやだから「全部」出るの?RT @kazooooya 2年半以上経つのに、まだそこですか…orz RT @takashicyan: 排泄で「全部」出るの?RT @kazooooya 排泄をしない人がこの世にいたのか→ 
takashicyan 2013-11-09 15:48:10

いやだから、知らないのですか?
RT @takashicyan: いやだから「全部」出るの?RT @kazooooya 2年半以上経つのに、まだそこですか…orz
kazooooya 2013-11-09 15:53:27

セシウムもストロンチウムも、まったく「吸収」されないの?答えてよ。
RT @kazooooya いやだから、知らないのですか?
takashicyan 2013-11-09 15:54:51

 (y・O・)y オーイ!@kazooooya
takashicyan 2013-11-09 15:58:32

「まったく「吸収」されない」とか言ってないですよ。吸収された後、放射性物質核種の物理的特性(粒子の大きさなど)や化学的特性によって代謝速度は異なるがいずれは排泄される。
RT @takashicyan: セシウムもストロンチウムも、まったく「吸収」されないの?答えてよ。
kazooooya 2013-11-09 16:01:10

今出た!ε=┏( ・_・)┛ RT @takashicyan:  (y・O・)y オーイ!
kazooooya 2013-11-09 16:01:45

「いずれは排泄される」って、骨も?筋肉も?だったら水俣病あり得ないでしょ。
RT @kazooooya 「まったく「吸収」されない」とか言ってないですよ。吸収された後、放射性物質核種の物理的特性(粒子の大きさなど)や化学的特性によって代謝速度は異なるがいずれは排泄される。
takashicyan 2013-11-09 16:04:09

水俣病も「放っておけば」治るの?RT @kazooooya 代謝速度は異なるがいずれは排泄される。
takashicyan 2013-11-09 16:05:13

水俣病と同一視するその辺りが、放射能影響を不安視する要因のひとつですね。化学的毒性とは違うとだいぶ前から言われてますよ。 http://t.co/WL6YowJeRZ
RT @takashicyan: 「いずれは排泄される」って、骨も?筋肉も?だったら水俣病あり得ないでしょ。
kazooooya 2013-11-09 16:08:50

量も問題が欠如しています。放射性物質も大量に摂取すれば健康影響があります。全く安全という事ではありません。
RT @takashicyan: 水俣病も「放っておけば」治るの?
kazooooya 2013-11-09 16:10:40

じゃあ有機水銀と違ってセシウムもストロンチウムも「まったく蓄積されない」と?RT @kazooooya水俣病と同一視するその辺りが、放射能影響を不安視する要因のひとつですね。化学的毒性とは違うとだいぶ前から言われてますよ。 http://t.co/y0uNI9XDZk
takashicyan 2013-11-09 16:12:47

はぁ…、「まったく蓄積されない」とは言ってないでしょ。摂取量と排泄量のバランスで体内蓄積もするし減少もする。たかしちゃんがこの機会に学ぶ気があるならいいけどねw
RT @takashicyan: じゃあ有機水銀と違ってセシウムもストロンチウムも「まったく蓄積されない」と?
kazooooya 2013-11-09 16:15:48

じゃあこのツィートは間違いということで桶?→@kazooooya 排泄をしない人がこの世にいたのか→ 「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」
takashicyan 2013-11-09 16:15:50

じゃあこれは正しい訳ですね?→「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」
RT @kazooooya
takashicyan 2013-11-09 16:17:59

はぁ、学ぶ気がないということで放置していいかな?
RT @takashicyan: じゃあこのツィートは間違いということで桶?→@kazooooya 排泄をしない人がこの世にいたのか→ 「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」
kazooooya 2013-11-09 16:19:56

いやそういう話じゃないでしょう(笑)。これは正しいんじゃあないかと、訊いている。→「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」RT @kazooooya 学ぶ気がないということで放置していいかな?
takashicyan 2013-11-09 16:21:33

まとめ(http://t.co/zAOJ6s0rPA)とコメントを読んでから出直してきてください!
RT @takashicyan: じゃあこれは正しい訳ですね?→「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」
kazooooya 2013-11-09 16:21:38

まずひとつ、こういう「逃げ」を打たないこと。→「学ぶ気がないということで放置していいかな?」。ふたつ目。「じゃあこれは正しい訳ですね?」→「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」これに答えて下さい。RT @kazooooya
takashicyan 2013-11-09 16:24:33

まとめ(http://t.co/zAOJ6s0rPA )とコメントを読んでから出直してきてください!@takashicyan
kazooooya 2013-11-09 16:25:36

ハイ分かりました、もうけっこうです(笑)。@kazooooya
takashicyan 2013-11-09 16:26:44

ほら、ホントに学ぶ気があるのなら、読んでからまた質問するはずですけどね…こんなんだからいつまで経っても…(ry
RT @takashicyan: ハイ分かりました、もうけっこうです(笑)。
kazooooya 2013-11-09 16:28:24
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弁解の余地なんか、無いと思うんですがね。久々に「炎上」するかな(笑)?

関連スレッド
<放射能安全厨の論理(そのネトウヨとの酷似)>
http://takashichan.seesaa.net/article/379951682.html









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2013年11月11日

放射能安全厨の論理(そのネトウヨとの酷似)


20110405_152036.gif

昨日<菊池誠信者の「結束力」>をお読みくださった方々には、もうお分かりになったと思いますが、この際<放射能安全厨の論理>として、解説をしておいたほうが良いのではないかと思いましたのでエントリーといたします。実のところ、お一人ぐらい「特攻隊」が現れて、久々に「たかしズム」コメント欄を「炎上」させていただけるのかな?と、楽しみにいたしておりましたが、結局だーれもお見えになられませんでした(笑)。それではまず@kazooooyaさんが、如何に「話をすりかえ」「論理を飛躍させ」ているかを見てみます。

http://togetter.com/li/587900#c1285632

放射能は排泄されるから問題ない。 - Togetter 1.jpg

>「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」

まず申し上げておきますが、これがどなたの言葉であるかは私は存じ上げません。存じ上げませんが、これが「常識」だろうということは、この私にだって分かります。ところが、それに対する@kazooooya氏の言葉が何と!「排泄をしない人がこの世にいたのか」というものだったわけです。このツィートに私は「?????」となってしまった。実は、私と@kazooooya氏はこれまで「相互フォロー」をしており、チャッピー加藤さんの「ドーナツ盤」アワーでは、和気藹々とツィッター交流する仲でありました。彼は、菊池誠氏の大ファンで、いわゆる「放射能安全厨」でいらっしゃいます。ま、それほど悪い方ではないと思っておりました、今の今までは。

普段は、タイムラインに流れる彼のツィートは「流し見」する程度でありますが、今回たまたま上記のツィートが目に止まってしまった。「おや?またやってるな。いつもながら妙な因縁を付けとるわい」と。そして思わずリプライをしてしまったのでした。

さて「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」に対して「排泄をしない人がこの世にいたのか」という反論は、どういうことを意味するのか?これは間違いなく相手の言葉を「否定」しているわけですね。この反論を「虚心坦懐」に読めば、言わんとすることは次のようなことに尽きると思います。

>「排泄をすれば、放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積してはいかない」

そんなバカな?ということになるわけです。私は@kazooooya氏のように放射能や原子物理に詳しいわけではありません。しかし、普段からUSTREAMなどで小出裕章氏やその他の先生たちの講演を聞いてはおります。彼らのお話を聞いていると、確かに放射性物質は体内に残留する(核種によって溜まる器官に違いはあるが)、100パーセント排泄されるわけではない、ということぐらいは聞きかじって知っておりました。そしてそれらが「内部被曝」という災いを起こす、ということも承知しておりました。

100のセシウムを摂取したとして98は排泄される。その次に100摂取するとまた98は排泄される。つまりセシウムは、2、4、6、8、10・・・と「どんどん蓄積」していくはずです(このへんがひょっとして私の「勘違い」である可能性も無いことは無いのかも知れませんが)。そうなると次の指摘は、私に言わせれば「言いがかり」ではないのか?と思えてくるわけです。

>排泄をしない人がこの世にいたのか→ 「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」

何よりもご本人が早々に、次のように認めてしまっている。

>「まったく「吸収」されない」とか言ってないですよ。吸収された後、放射性物質核種の物理的特性(粒子の大きさなど)や化学的特性によって代謝速度は異なるがいずれは排泄される。

さっそく「難しい単語」を駆使して、私を「煙に巻く」作戦に出る@kazooooyaさん。ところが、私が水俣病の例を出して、水俣病の有機水銀も「放っておけば」すべて「排泄」されて治るのか?と問うたところ、

>水俣病と同一視するその辺りが、放射能影響を不安視する要因のひとつですね。化学的毒性とは違うとだいぶ前から言われてますよ。 http://t.co/WL6YowJeRZ

「化学的毒性と放射能毒性の違い」なんて誰も訊いていないでしょ?体内に「蓄積」されるのかされないのか、を問題にしているのに、話をすりかえているわけです。このように、相手が気づかないように話の「軸足」を、ちょっとづつずらそうとする(普通はこれで騙される人が多い)。さらに、

>量も問題が欠如しています。放射性物質も大量に摂取すれば健康影響があります。全く安全という事ではありません。

と、放射能の害まで認めてしまう(「安全厨」のくせにw)。「健康影響」があって「全く安全という事ではない」のだそうだ(それじゃ「放射脳」の人たちが言ってることと変わらないw)。さらに私が、有機水銀と違ってセシウムもストロンチウムも「まったく蓄積されない」のか?と念を押すと、

>「まったく蓄積されない」とは言ってないでしょ。摂取量と排泄量のバランスで体内蓄積もするし減少もする。たかしちゃんがこの機会に学ぶ気があるならいいけどねw

これは、私が「学ぶ」か「学ばない」か、とはまったく次元の違う問題ではないでしょうか?そんなこんなで、とにかく、放射性物質が「蓄積」される、しかも「安全ではない」ということまで@kazooooyaさん、いつの間にやら完全に、認めてしまっているわけです。それにしても「減少もする」とは初耳です。いったん骨の分子に組み込まれてしまったストロンチウムが「排泄」される、などということがあるのでしょうか?私には分かりませんが。それとも30年だかかかる「半減期」のことを言っているのでしょうか?

「放射性セシウムもヨウ素もトリチウムもどんどん蓄積していく」のを認めてしまったわけですから、もうここまで来たら自分の非を認めて謝罪するのが普通でしょう。なのに、ここで彼は何故か開き直ってしまう。

>はぁ、学ぶ気がないということで放置していいかな?

いやだーかーらー(笑)。何度も言うけど私が「学ぶ」「学ばない」ということと「詭弁に満ちた」あなたの日本語がが「正当化」されるということとは無関係でしょ(笑)?なんと言いますか、都合が悪くなると論点をスリカエ、飛躍させる。放射能安全厨は皆さん、このような論理の展開をなさるのでしょうか?次に「菊池誠信者」のコメントです。これがまたひどい(笑)。

放射能は排泄されるから問題ない。 - Togetter2.jpg

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まず、水俣病の原因であるメチル水銀も排泄されるわけですが。http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM1103_03.pdf
mnnkaanjinno 14 hours ago 9

排泄はされるよね、後、崩壊もするし、つまり減っていくってことでしょ。指数的に完全になくなるってことはないだろうけど、量の問題でしょ、穢れの問題じゃないんだし。
tamashirosama 14 hours ago 21

排泄されるってのは全部なくなるってことじゃないんですよ。それが解っていないで、こんなまとめ作ってドヤ顔してるのって、みっともないですね。
tamashirosama 14 hours ago 2
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この方たちは何言ってるんでしょう・・・?「排泄されるってのは全部なくなるってことじゃないんですよ」・・・って。「私が」そう指摘しているんですよ。そうじゃなく「排泄して全部なくなる」と言っているのは@kazooooya氏の方じゃあ〜りませんか(笑)。大丈夫でしょうかこの人たち・・・?文章読解力がここまで無いというのは、どういう方たちなのでしょう・・・。「崩壊もするし、つまり減っていくってことでしょ。指数的に完全になくなるってことはないだろうけど、量の問題でしょ」って、半減期のことを言っているのかなあ?(指数的とか)難しい単語を使われてもよく分からんなあ・・・。「量の問題でしょ」ってこれも何が言いたいのかなあ?分かんないなあ・・・。ヨーゲンも答えに詰まるとわけの分からんことを言ってたなあ・・・。

ここから下の部分についても、同様に解説しようと思ったのですが、もう止めました。バカらしくなってきました。意味ないですね。要するに、何にも言ってないんですね、この人達。

さて皆さん、この人たち、みんな「ネトウヨ」そっくりだと思いませんか?この「たかしズム」の過去のコメント欄を眺めれば、これとよーく似た「一発コメント」「腹いせ」「負け惜しみ」「捨て台詞」「最後になんか言った者勝ち」などなどを、山ほど見ることが出来ますよね(笑)。










posted by takashi at 18:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月19日

アンチレイシストの「カリスマ」野間易通氏の功罪


私は以前<「どっちもどっち論」の皆様へ>というエントリーで「しばき隊」を擁護した記事を書いたことがあります。「在特会」と「レイシストしばき隊」・「プラカード隊」を指して「どっちもどっち」とおっしゃる方々を批判して書いたものでした。
http://takashichan.seesaa.net/article/357639647.html
その「しばき隊」の野間氏から先日、次のようなツィートをいただきました。

----------------------------------------------------------------------------------------
野間易通 ?@kdxn 20時間
ヨーゲンのツイートとか読む意味ないからブロックしてるのに、わざわざ送ってこなくていいですよ。つか、ヨーゲンみたいなどこからどう見てもダメなものをいじるのは馬鹿でもできることで、他人に見せるようなものじゃないでしょう。あなたのやってることはヘイトの拡散。@takashicyan
----------------------------------------------------------------------------------------

私のやっていること、すなわちヨーゲン(@Yougen_Sato)をブログやツィッターで徹底的におちょくり倒すこと、これは野間氏に言わせると「ヘイトの拡散」なのだそうであります。何が彼の機嫌を損ねたのでしょう?突然「グロ画像」を送りつけた私にも、責任は当然あります。今後は気をつけたいと思います。尤も、今回私は野間さんにブロックされてしまいましたが(笑)。
https://twitter.com/takashicyan/status/402276805903519744/photo/1

野間氏には、私のブログに掲げた「目的」を理解していただきたいと思います。しかし、彼がもうやって来ることは無いのでありましょう。私はよく、ヨーゲンに批判的なツィートをなさる方々を、ヨーゲンのタイムラインから見つけては、情報として、ヨーゲンの過去の言動を取り上げたブログ記事をメンションでお知らせしたりしているわけです。それには、ヨーゲンのみならず、ネトウヨと対峙するにはこういうスタンスが一番効果的ですよ、ということを知っていただく目的があります。大方の人は喜んでいただいておりますが、中には気に入らない方(いわゆる「大きなお世話ということでしょう)もいらっしゃいます。野間氏もその中のお一人でした。

----------------------------------------------------------------------------------------
野間易通 ?@kdxn 20時間
スパムだね、これ→@takashicyan
----------------------------------------------------------------------------------------

ということで、私をスパムとしてブロックなさったらしいです(笑)。

アンチレイシストの人々の中で、今や「カリスマ」となられた観のある野間易通氏ではありますが、彼にはひとつの性癖があるようです。それは「左翼嫌い」ということです。彼がどういう経過をたどってそこに至ったかは定かではありませんが、反原発・反レイシストの運動の中で「自称左翼」の人たちから中傷を受けたりしたことが、主な原因のようです。その辺のことについては<「どっちもどっち論」の皆様へ>のコメント欄で、ご自分で述べておられるので、興味のある方はご覧ください。ことの経過を語る彼の文章なりツィートからは、並々ならぬ「怒り」が読み取れます。それは無理もないと思います。

その結果、彼はいわゆる「左翼的なもの全般」に懐疑的になってしまっているフシがあるのです。例えば「労働組合」なども、彼にとっては「左翼」であるから「共闘」には値しない、ということになる。新宿のデモにおける「しばき隊男組」による「フリーター労組」の排除は、私とって残念な出来事でありました。主催者に断りもなく労組側がトラメガを使って「情宣」を始めたのが、ことの原因のようでした。双方言い分はあるのは分かります。しかし「男組」は、もうすこし「紳士的な」対応は出来なかったものか?レイシストに使うような言葉を、同じ運動に携わる仲間に浴びせても良いのか、とあのYouTube映像を見て感じた人も少なくないことでしょう。何より残念なのは、これが「どっちもどっち論」をふりまわす連中を、正当化させかねない行為だと思うからです。さらに、反原発運動にしても、反レイシスト運動にしても、分断をもたらすことにつながると思うのです。

今行なわれている、反原発・反レイシストデモが「市民運動」であり、従来の「組合中心」「組織動員型」ではないことは明らかです。そもそも、労働組合の組織率は、この日本では20パーセントを切っています。今や、50年安保の頃とはまったく違うのです。その上、中には労働組合それ自体が「原発推進」である場合すらあります。とは言え、依然として労組もこの運動には参加しています。今日において、市民が自発的に集まるヨーロッパ型のデモは、ある意味必然的だったと言えます。そして、その連帯は「緩い」というのが特徴かも知れません。お互いの「主義主張」をひとまず置いて、ひとつの目的で一致する、という「共闘」の思想です。そうであるならば、その連帯に分断を持ち込むことは、支配層を喜ばせこそすれ、運動のプラスになるとは思えません。以上、最近ちょっと思ったことでした。


posted by takashi at 12:05 | Comment(13) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月18日

病室の屁


(お囃子)

(茶を啜る音)

ええ・・・病室というものは、オナラに寛大なところがありますな。

けっこう、あっちでもこっちでもぶぅぶぅやってえる(笑)。

よくこのぉ・・・胆のう手術やなにかで、入院をいたしますが、

手術のあと「オナラが出たか」ということを訊かれることがございます。

ええ・・・まだうら若い女性看護師が・・・

「どうですかー?オナラのほうはお出になりましたか?」なんという。

まことに色気のないハナシで・・・。

まあオナラが術後快復のバロメーターというワケでございましょう。

ええ・・・最初のうちは、ベッドの上でふんばって出してえるんですが、

いつもいつも上手い具合にオナラだけが出るとは限らない。

屁(ファ)を出そうとして身(ミ)が出た、なんぞというのは、どうもシャレにならない(笑)。

そこでわざわざトイレまでオナラをしに行くというようなワケで。

まことに手数のかかるもんでございます。

(後略)

(以上、三遊亭円生の声でお読みください)



posted by takashi at 20:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

胆のう摘出手術譚


激痛で二度も入院するハメになった、その原因を作った我が「胆のう」を、切除することになった。入院そのものは二度経験したが、今回は三度目で真打ち登場。いよいよ手術である。

「結石」といえば「腎臓」がポピュラーである。こちらも七転八倒の激痛があるが、腹をくくってビールを2〜3リットル飲んで尿を排泄するだけで、九部九厘は治ってしまう。腎臓結石は、ビールこそが特効薬だ。胆のうに比べて、はるかに「良性」な病気と言える。この度はそうは行かない「胆のう結石」である。今回はその「胆のう切除手術」における一部始終を書いてみる。

受難その1.
最初に、点滴用の針を左腕に刺す。うら若い女性の看護師がやってくれる。「遠慮せず、練習台にしてもいいよ」などと、軽口を叩いてみたものの、いざ刺してもらうと、痛みが尋常ではない・・・。どう考えても血管ではなく「筋肉」を貫いた感触。「あの・・・先輩呼んだら?」と私。やって来た先輩看護師もまだ若い。予感は当たった。案の定またしても「筋肉注射」になってしまう。三人目の「助っ人」は、ちょっと年配の女性看護師で、一発で成功。二人になった時に「なんで最初からあなたが来なかったの?」という私の問いに、彼女「今日は、たまたままぐれで上手く行っただけ」とのこと、言うことが奥ゆかしい。

そして「毛剃の儀式」。どうしてこの儀式は、若くて可愛い女性がやるのだろう?私の腹の上を滑る安全剃刀のくすぐったさに、私の腹筋は、激しく波打つのであった。

受難その2.
鼻から胃にチューブを通す。手術中に嘔吐して吐瀉物が気管に入らないようにするため、とのこと。これはかなり苦しい。もっと手術の直前に、挿入すれればいいように思うが、いくらかでも違和感に慣れるためかも知れない、がどうだか分からない。これは、術後、抜いた後もかなり不快感が残る。

いよいよ手術の準備だ。足部を強く圧迫する「弾性ストッキング」を穿く。これは「静脈血栓」いわゆる「エコノミークラス症候群」予防のためだと言う。さて次に、小さなかわいい、まるで女性用のセクシーな「パンティ」を見せられ、それに穿き替えさせられる。先程から、これまた「眉目秀麗」な美人看護師がそばに付いている。「なんだかAV女優になった気分です」と、思わず言おうとして止めておいた。あとで同じことを付添人に言ってみたら、案の定無視された。言わなくてよかった。最後に、かっぽう着のような手術着を着て帽子をかぶれば準備完了。車いすで手術室へと運ばれる。

何重かの扉を抜けて手術台へと運ばれる様は、その昔見た「ベン・ケーシー」のタイトルシーンを思い出させる。確かそんなようなワンカットの始まりだった気がする。手術室では、リラクゼーションのための音楽が小さく流れており、事実この音楽には精神を落ち着かせる効果があったように思う。最近はこのような病院が増えているのだろう。良いことだ。執刀医も含めて、麻酔医など4〜5名の女性に、男性スタッフは二名である。男性スタッフは、少し下がった位置に居り、研修か見学のようだった。執刀も麻酔も女性である。ちなみに今回の手術は「腹腔鏡手術」である。

受難その3.
私としては、この受難が一番の「恐怖」であった。手術部位へ局所麻酔をするための「脊髄へのカテーテルの挿入」である。手術中、また手術が終わった後も、引き続いてカテーテルをつないでおいて、そこに麻酔薬を注入する、そのための施術だ。まず、脊髄そのものへの「局部麻酔」が注射される。それが済んだら、カテーテル用の太い針を刺すわけだが、この時、思わぬ激痛が走った。その旨を訴えると、一旦カテーテル用の針を抜いて、脊髄への麻酔薬を追加注射。再びカテーテル用の針を入れる。そしてカテーテルの挿入は無事終了。針そのものは抜かれて、細いカテーテルのみが、脊髄に残ることになる。一ミリにも満たないようなチューブに、螺旋状の金属が埋め込まれていると説明を受けた。これにより、管が外圧で潰れて「不通」になることは無い、とのことだ。医療技術の発達に、改めて感心させられた。

最終的には、各種カテーテルや心電図用のコードなどで、体全体が「タコ足配線」のようになってしまった。「何だかウチのデスクトップ・パソコンになった気分です」と、一応感想を述べて見たが、反応はイマイチであった。これを最後に、点滴針から「全身麻酔」の薬が血管中に入れられて、意識は遠のいていく。手術中は、何か夢を見たような気もするが、覚えてはいない。実はこの麻酔中に「受難その4」があったのだが、それは割愛する。その「受難」とは「尿道へのカテーテル挿入」である。もし意識のある状態だったならば「受難ベストワン」になっていたと思うのである。

「終わりましたよ」という声が聞こえて目を覚ました。執刀医(主治医)は、切った胆のうを見せてくれた。非常に「活きの良い牛のもつ焼きのネタ」のように見える肉片であった。そのあと個室病室に戻ってから、主治医は取れた「石」を持って来てくれた。フイルムケースのような容器に入った「結石」は、見た目も大きさも「正露丸」にそっくり。私の意識下では、どういうわけか「白い」ものだとばかり思っていたが、意外にも真っ黒であった。

以上私が「眉目秀麗」「美人」「可愛い」と皆さんに訴えてきた看護師さんの多くは、マスクをしたうえでの感想であることを一言お断りしておく。しかし、主治医には素顔で何度も対面している。年の頃は三十そこそこ。メガネを掛けた美人である。とにかく、いまどき風で若い(と思う)。

私が定期的に病院に来るたびに行きつけている居酒屋が何軒かある。そのうちの一軒で飲んでいると、先生が同僚の女性二人とお店に入ってきたことがある。少しだけ挨拶をした後、テーブルで三人で飲んでいるさまは、ちらりと見ると、ごくふつうのOLの「女子会」のようだった。一体何の話を肴に飲んでいるのだろう、と思った。さて次はいよいよ、最後の受難だ。

受難その5.
腹腔鏡手術による胆嚢摘出では、腹部に4つの穴を開ける。
@右脇腹上部に一箇所
A右脇腹下部に二箇所
Bへそのすぐ横に一箇所
以上である。@からはドレーン用のカテーテル(パイプ)を挿入する。Aからは、それぞれ鉗子と電気メスを入れる。Bからはモニターにつながったカメラが挿入される。で、手術後は、他の傷は塞がれるわけだが、ドレーン用の@だけは、ドレーンチューブが挿入されて状態のままである。手術直後は麻酔が効いているので気が付かないが、後になって鈍痛がでてきた。更に一般病棟に戻って、トイレに行ったり何やらで起き上がるときに「激痛」が走るのだ。これが「第5の受難」である。その激痛の原因は、自分でも容易に察しがついた。横隔膜がドレーンチューブに当たっているのだ。そしてチューブが傷口を刺激して、それが激痛を発するのだ。この状態ではまず「深呼吸」というものが出来ない。いわゆる「腹式呼吸」が困難なのである。「胸式呼吸」をあまりしたことのない私には辛い。小刻みな腹式呼吸をすることになる。

手術翌日の夜には、痛みが激しく、痛み止めの点滴をしてもらった上、経口睡眠薬を飲んで寝た。もし、アメリカで、こんな手術をしたら一体費用はいくらぐらい掛かるのだろう、などと今後の我が国のことを思いながら寝た。

余談だが5〜6日、酒を断っていると、口寂しくなり、甘いモノが欲しくなる。車いすで一人で、売店にチョコレートを買いに行く。ロッテガーナチョコやチョコバーなど、5種類買った。ラミーチョコが食べたかったのだが無かった。チョコバーを食べるのはおそらく30年ぶりくらいかも知れない。子供の頃、明治製菓のチョコバーで「トーストココナツ」と「生ココナツ」の二種類があって、石坂浩二が宣伝していた。美味しいので毎日のように食べていたことを思い出した。また発売しても売れると思うのだが。

脊髄に挿入していたカテーテルを抜き、遂にはドレーンチューブを抜いた。ここまで来れば快復はどんどん加速してくる。さて、これでまた脂っこいものが遠慮無く食べられる。何から食べようか?



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2013年12月19日

ODA再考(ネトウヨ記者古森義久の論理)


日本のODAについての問題点は以前、以下のエントリーで述べた。

<ODAの正体>
http://takashichan.seesaa.net/article/365098922.html

<彼我の「あまりの違い」日本とドイツ>
http://takashichan.seesaa.net/article/364855330.html

ここに、一冊の本がある。産経新聞の古森義久という記者が、「正論」「SAPIO」「産経新聞」などの、名だたる「右翼媒体」に書き散らかした自らの文章を、PHP新書にまとめたものだ。題して「ODA再考」。「再考」と銘打つからには、以前にも書いているのかと思ったが、その形跡は無い。この本は2002年に出版されたものであり、その後のデータとはかなり乖離しているはずであるが、その当時の判断としてこの本に書かれている著者の「主張」は、ただひとつ。簡単に言ってしまうと「中国に対するODAは、すべきでない。日本にとって何の国益にもならないから」ということである。これを新書一冊分の文字数を費やして述べているだけ、なのである。

彼が「必要ない」とする主な理由を、著書からかいつまんで挙げてみると次のようになる。
1.中国政府には、日本のODAは、ちっとも感謝されていない。
2.中国国民は、日本が中国に多額の資金援助していることすらも、中国政府から知らされていない。
3.援助で建てられた施設の碑文などには、日本の援助で建てられた記載はないか、あっても戦争の謝罪として当然、などと書かれている。
4.日本が援助しているせいで、浮いた予算を軍事費に回している。
こんな感じだ。ま、要するに「感謝されていない」というのが、彼の最も気に入らないことのようなのである。
日本から中国に与えられている援助は、古森記者「自身」も書いているように「無償援助」ではない。「円借款」である。金利は低くとも、いずれは返してもらう金である。ちなみに何度も言うようだが、日本は中国に対し無償の「戦後補償」は、一銭足りとも行なっていないのだ。そこがドイツとの決定的な違いだ。多少ウザい作業だが、古森氏のこの本のプロローグから書き出してみる。

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私はODAショックを体験した。

中国で日本のODA(政府開発援助)の現実を知ったとき、強烈な衝撃に襲われたのだった。

日本が「日中友好」のスローガン下に、国民の血税をあれほど注ぎ込んで、二十年も、せっせ、せっせと中国に贈ってきた巨額の経済援助は中国の国民の認識レベルでは存在ゼロ、まぼろし同然なのである。※注)日本政府の「ODA外交」という言葉と、実際にその対象となるODAの受け手側の実態と、これほど落差があるとは思わなかった。
※注)私などは、日本が南京虐殺を「まぼろし」と言い続けてる以上、中国が日本の援助は「まぼろし」と主張する権利はあると思うのだが。

ODA、わかりやすく言えば外国への経済援助は日本の外交の大きな柱とされる。まして中国との関係では毎年、日本から供与される巨額の援助は対中外交の最大の支柱となってきたはずだった。

だがかんじんの中国側ではどこをみまわしても、日本からの援助という「外交」の実態はツユほども伺われないのだ。その存在や成果が全く感じられないのである。

(中略)

北京に着く前の私の認識はこのへんのところまでだった。その範囲で対中ODAの効用について考えてもいた。そして日本がこれほどの異例の大盤振る舞いして与えつづける巨額の援助ならば、それなりに顕著な成果があるのだろうと想像していた。

ところが、中国の現地での実情はそんな想像とあまりに異なっていたのだ。

中国は日本だけでなくアメリカ以外の他の先進国からも経済援助を受けとっている。世界銀行やアジア開発銀行というような国際機関からも経済援助を受けている。だがそのなかでは日本からの援助は群を抜いて、圧倒的にトップの金額なのである。

だから日本からのODAというのは中国でも少なくても話題にはなっているだろうと思っていた。ある程度は感謝もされているだろうと思っていた。少なくとも日本からのODAに言及する人たちがいるだろうとも思っていたのだ。だがだれも日本からのODAなど話題にしないのである。

北京にいるだけでも、日本の対中政策を少しでも知っている人間には日本からのODAの規模のものすごさが分かる。北京という都市の主要部分がほとんど日本からのODAによって建設されたと言っても過言ではないからだ。
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さらに本の「第三部」ではこのようなことを書いている。

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ちなみに日本側への賠償請求は七ニ年の国交回復の際に、当時の周恩来首相がはっきりと放棄した。だがなお中国側には日本が損害賠償をなんらかの形で支払うべきだとしる意識があるのだろう。

私自身、中国のそんな意識をまざまざと感じさせられたことがあった。九九年二月の厳寒期、北京から北東へ百五十キロほどの河北省興隆県の山村を訪れたときだった。

大水泉郷というその村は山また山を超えた僻地にあり、中央政府から貧困地区に指定されているだけあって、黒澤明関東のモノクロ映画『用心棒』の舞台のような荒れ果てた寒村だった。日本政府はその村の中学校の校舎建設に一千万円の「草の根援助」を与えていた。

(中略)

大水泉中学校では秘本の資金で四階建ての校舎が完成し、校庭には「校舎落成記念碑」が立っていた。碑文には以下のような記述があった。

「大水泉は旧抗日拠地であり、わが住民は戦争の苦難と『無人区』(日本軍による殲滅地域)の苦痛を蒙った。日本の資金でいま新校舎が建てられたのは日本人民の旧抗日根拠地人民に対する一衣帯水の情を示す」

戦争の苦痛と日本の援助を因果関係としてはっきり結びつけているのだ。援助を明らかに戦争による中国住民の苦痛への賠償として性格づけているのである。

興隆県訪問の日本側代表だった北京の日本大使館の杉本信行経済部長はその場でただちに中国側に抗議した。

「日本の対中援助は戦争の賠償ではありません。あくまで現在の日中両国の友好や中国の経済開発を目的としているのです。だからこの種の碑文は援助の趣旨に反します」
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この大使館員「バッカじゃなかろか」と、私は思うわけである。相手が「日本の資金でいま新校舎が建てられた」ことが「日本人民の旧抗日根拠地人民に対する一衣帯水の情を示す」ものだと思い、そう言ってくれるのであるならば、そういうことにすればいいじゃないか?何でしないのか?中国が日本に求めているのは、まさにそういう身の処し方だと、何故に気が付かないのか?何やら、趣旨の怪しげな「現在の日中両国の友好や中国の経済開発を目的」とする「援助」としてではなく、日本の援助は、日本の戦争責任への「謝罪」だと、彼ら自身が「受け取りたい」と、そう言っているのだ。だったらそのように受けとって貰えばいい。

中国に「援助」が現在必要かと問われれば、私も要らないと答えるだろう。ただし私が挙げる理由は古森記者が挙げることとは、質的にかなりの隔たりがあるが。それでいて結論を言えば、同じ「必要ない」なのである。さらに、これも古森記者「自身」が書いているのだが、日本のODAはそのほとんどが「紐付きODA」なのである。「紐付きODA」については頭書に挙げたエントリーに書いてあるので見て欲しいが、要するに、受注すなわちカネが日本国内の大企業に回ってくる、いわば「八百長援助」だということなのだ。早い話が、ゆうちょ、簡保などの国民の資産・掛け金を、国内の大企業に「還流」させているに過ぎない。

しかし、実際の成果物は、中国国内に残るわけだから、その意味では「援助」にはなっているだろう。さらに、それらのインフラの「整備維持費」も、建設費同様大企業に「還流」するのは言うまでもない。

私には、古森記者の発想が、まず到底理解できない。日本のODAを、相手が「戦争賠償」と位置づけてくれることは、日本政府にとって「有り難いこと」ではないのか?と思うのである。然るに古森記者は、それが「気に食わない」と言う。

古森記者が言うことに、中国に援助をしインフラ整備を行えば行なうほど、それで浮いた金を「軍事費」に充てるだろうと言うものがある。これには私も、激しく同意する。例え近年の中国の「反日」が、安倍晋三を始めとする日本政府のバカどもに原因があるとしても、現実に軍備増強に「役立って」いるとすれば、ただちに止めるべきであろう。しかも、もう既に中国は日本のGDPを抜いており、国内の貧困問題を、自国で解決する国力はあると思われる。にも拘わらず、そう言ったことを差し置いて、軍備の増強を止めないからだ。かつての高度成長期の日本と同じことを彼らはやっている。

それでもなお中国が、さらなる援助を「要請」してきたら、日本政府はこう言えば良いのである。「今まで中国に対して我が国が行なってきた円借款やODAは、我が国の戦争補償である。日本は貴国家・国民に対し、先の戦争で、耐え難い苦痛をを与え、贖いきれないほどの戦争犯罪を犯してきた。日本の過去における援助の全ては、その贖罪のためだと思って欲しい」と。これで相手はグウの音も出ないはずである。

それでもなお、中国と中国人は多分「納得」しないだろうと、さすがの私も思うが、やらないよりは「段違いににマシ」だと思うのである。何故ならば、そうすれば、日本もやっと、ドイツに負けない「誠実な国」だと、中国から見られる道が開かれるからだ。同様のことは、もうひとつの隣国、韓国にも言えることは言うまでもない。

例えば国連常任理事国になるために、中国から「推薦」が欲しいと思えば、これくらいの「改心」が必須条件だと思う。しかもである。この私のアイデアは、実は日本にとって、極めて簡単なことなのである。何故ならば「役務の給付=経済援助」は、もう荒方「済んでいる」からだ。これは古森のようなネトウヨ記者にとっては「常識」のはずだ。だとするならば、謝罪の文書なり、言葉による「謝罪」なり、そのなるべく目立つ箇所に「過去の累積借款額」でもなんでもいいから、援助して来たことを正々堂々と書き、それが実は全部、過去の戦争の「罪滅ぼしだった」と「宣言」すれば、それでいいのだ。そして現在残っている借款を棒引きにするのだ。簡単なことではないか?

もちろん「罪を認める」ことそれ自体がネトウヨ(および日本国政府)にとっては考えられないことであるからして、これを「やる、やらない」の議論は、どこまで行っても「平行線」「水掛け論」になるはずである。

日本人には独特の文化がある。親のカタキすらも赦す、いわゆる「水に流す」という文化だ。武士道なのかどうか分からない。そもそも明治以降「武士道」が残っていたのかすら疑わしい。が、仮にそれを同じ日本人に求めるのならば、まだ構わないかも知れない(本当は構わなく無いのだが)。しかし、いくら顔つきが同じだからだと言って、全く民族の違う中国人にまで、それを求めるのは筋違いである。言うまでも無い、中国には中国の文化があるからだ。彼らが「謝罪でもない償いでもない施し」を受けるんのは嫌だ、これは先の戦争の「謝罪」として受け取るのなら構わない。と言うのであるから、その通りにしてやればいいだけの話ではないか。

さらに、我々が「水に流す」のよりも、もっと気高い行ないを、過去に我々日本人は中国人の中に見ているはずである。戦時中に親をなくして日本軍に「置き去り」にされた、いわゆる「中国残留孤児」である。中国人の里親は、敵の子供を「敵」とは見做さず、育ててくれたのだ。もちろんそうでない人もいて、日本人だとわかると差別もしたという話も聞く。でも、里親たちはそんなときもかばってくれて、兎にも角にも成人するまで育て上げてくれたのだ。終戦直後のあの時期においても「悪いのは日本人民ではなく、日本帝国主義者だ」として、一人の捕虜も処刑せずに日本に帰したのは、間違いなく中国という国なのだ。

ここまで読めば、賢明な読者の皆さんにはお分かりと思うが、今の中国が真に欲しているのは日本の「謝罪の言葉」なのだ。それをやらずにここまで来たがために、日本のODAが、古森記者の伝によれば「無視」され、あるいは故意に「軽視」され続けてきたのではないのか?それを払拭するためには、何よりも謝罪が必要、それも並大抵の謝罪の言葉ではダメだ、ということなのだ。少なくとも次の演説か、それ以上の内容でなければならない。

<荒れ野の40年>再考
http://takashichan.seesaa.net/article/124518848.html
<「村山談話」と「荒れ野の40年」。
http://takashichan.seesaa.net/article/109003556.html

古森ネトウヨ記者は、こんなことも書いている。

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紫雲県の小さな農村で上水道改善の草の根援助を見学した。

この村は貴州省の省都の貴陽からみても別世界だった。粗末な丸太と板とワラで組み立てた小屋に少数民族のミャオ族とかプイ族という貧しい農民たちが住んでいた。住民の平均年収は四千五百円程度にすぎず、国から貧困地区に指定されている。この村に日本は九百二十万円を贈り、貯水タンクと導水パイプが新設された。以前は不潔な貯水池しかなく、住民は乾期には四キロも離れた水源へと取水に出るほかなかったという。

村では老若男女が総出でタイコやカネをたたいて歓迎してくれた。カラフルな民族衣装の少女たちが笑顔で踊りまわる。日本の援助への感謝が横断幕やポスターに記されていた。中年の男性が自分の小屋の前の水道パイプの蛇口をひねり、水を出してみせる。初老の農婦ははっきりと「日本の援助に感謝します」と述べた。九百万円の援助がこれほど感謝され、二百億円とか三百億円の援助への感謝表明はなし、というのも皮肉である。
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どうであろう?プロローグでは「だれも日本からのODAなど話題にしないのである」と、書いておきながら今度は「老若男女が総出でタイコやカネをたたいて歓迎してくれた。カラフルな民族衣装の少女たちが笑顔で踊りまわる。日本の援助への感謝が横断幕やポスターに記されていた。中年の男性が自分の小屋の前の水道パイプの蛇口をひねり、水を出してみせる。初老の農婦ははっきりと『日本の援助に感謝し』」ているのだそうである(笑)。自分の書いたことと、矛盾しているのではないか?まさに「ネトウヨレベル」の論理性である。

口直しに、日本のODAに関して、客観的に公平な論評をしている極めてマトモな本を、最後にご紹介しておく。
鷲見一夫著:「ODA援助の現実」【岩波新書】http://p.tl/wIRl



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2014年03月30日

ある日のツィッター三宅雪子(支えあう社会を目指して)

大人げないとは分かっているのだが、こういう軽率なツィートを、しかも国会議員が平気ですることに腹が立つのだ。バリバリの自民では無く、一応「リベラル」とやらを「装った」連中がこういうことをするのには我慢がならない。共産党無謬論を唱えるつもりは全くない。しかし、この日本で最も法律遵守をしている日本共産党を差し置いて「政治資金収支報告書を1円単位まで明確化しているのは小沢一郎と鈴木宗男の2人だけ。」などという戯言を、たしなめるのではなく、追認し、リツィートまでする。悪気はないのだろうが酷すぎる。


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三宅雪子(支えあう社会を目指して) ?@miyake_yukiko35  2時間
この事実があまり知られていないのでは?1円単位はなかなかできることではないです。@eijigonda  @pyontapyonkichi 政治資金収支報告書を1円単位まで明確化しているのは小沢一郎と鈴木宗男の2人だけ。その2人ともが検察特捜部に冤罪をデッチアゲられるという不思議。

たかし ?@takashicyan  22分
嘘です。共産党は前からやってます!RT @miyake_yukiko35 政治資金収支報告書を1円単位まで明確化しているのは小沢一郎と鈴木宗男の2人だけ。
@des_pe_rado @eijigonda @pyontapyonkichi

三宅雪子(支えあう社会を目指して) ?@miyake_yukiko35  17 分
@takashicyan @des_pe_rado @eijigonda @pyontapyonkichi あの、その前にツイートを入れ替えて、私のツィートではないものをわたしのもののようにしないでください。 こういうことはやってはいけないのではないでしょうか?

たかし ?@takashicyan  14 分
あなたのツィートではないのですか?ならば謝ります。RT @miyake_yukiko35 ツイートを入れ替えて、私のツィートではないものをわたしのもののようにしないでください。 @des_pe_rado @eijigonda @pyontapyonkichi

三宅雪子(支えあう社会を目指して) ?@miyake_yukiko35  10分
@takashicyan @des_pe_rado @eijigonda @pyontapyonkichi 違いますよ。遡ればわかるではないですか?私はリプライしただけです。しかも元ツイート省略しすぎ。(略)とか入れるのがマナーです。

たかし ?@takashicyan  14分
少なくともあなたはその書き込みを「容認して」リツィートされていますね。あなたも「謝罪」が必要だと思いますが、如何でしょうか?RT @miyake_yukiko35 @des_pe_rado @eijigonda @pyontapyonkichi

三宅雪子(支えあう社会を目指して) ?@miyake_yukiko35  16分
@takashicyan @des_pe_rado @eijigonda @pyontapyonkichi その上で、ですが、共産党さんもやられているのなら、けっこうなことだと思います。ツィッターの入れ替えは、本当にやってはいけないことですよ。

たかし ?@takashicyan  12 分
いいからあなたも共産党に対して謝罪しなさい。共産党は日本で一番法律を順守している政党ですよ。「小沢ボケ」のあなたには「何を言っても」分からんでしょうが。
RT @miyake_yukiko35 @des_pe_rado @eijigonda @pyontapyonkichi

たかし ?@takashicyan  10分
「この事実があまり知られていないのでは?1円単位はなかなかできることではないです。」は単なるリプライではなく、どう見ても「容認」「追認」でしょ?
@miyake_yukiko35 @des_pe_rado @eijigonda @pyontapyonkichi

いいですか?あなたは「政治資金収支報告書を1円単位まで明確化しているのは小沢一郎と鈴木宗男の2人だけ。」を追認しているのです。江東(ママ)の議員として無責任とは思いませんか@miyake_yukiko35 @des_pe_rado @eijigonda @pyontapyonkichi
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大人気ないと思うでしょうが、勘弁して下さい(てへぺろ)。




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2014年04月26日

「ですます体」と「だ体」の混在について


この、文章を読んでみて欲しい。実に頭の悪い文章だということが分かるはずだ。

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 冨成一秋君が襲われて高橋と木本が逮捕されて有罪となった事件の時にも、この伊藤大介もいた。しかし、この時には襲っている姿を捉えた映像に伊藤の姿が映っていなかったので、共同正犯とはみなされず逮捕はされていない。一緒にいても直接暴力を振るわなければ、現在の法律では対処できない。

 今回も川東氏を集団で取り囲み、最初に手を出しているのに伊藤は逮捕されていない。現行犯で逮捕される程の乱暴を働いてはいないという事なのかも知れません。しかし、暴力行為で相手に傷を負わせなければ、それで問題はないと言う事なのか?

 集団で取り囲んで威嚇をした理由は明確です。それは街宣をやめさせる目的で行なわれています。つまり日本国憲法で認められた政治活動の自由に対する侵害行為です。しかも、それを集団で執拗にこれまで繰り返してきた。

 今回は特に悪質なのは川東氏が住んでいる場所近くの、交通機関で待ち伏せしていたことだ。このようなことが許されるならば、今後街宣やデモを主催する人は先ずは自宅周辺から警戒しなければならなくなる。
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馬鹿なネトウヨが得意とする、一つの文章の中での「ですます体」と「だ体」の「ごちゃまぜ」だが、実はよく考察すると、次のようなことが分かってくる。

1)「だ体」で書かれた文章の中に「ですます体」が入っている場合は、単なる不注意、すなわち「頭の悪い文章」と看做される。上記の瀬戸弘幸氏の文章がまさにそれに当たる。ヨーゲンの掻く「積乱雲のシーズンですが、雹でゴルフボール大のものは時速100kmで落ちてくる。」 と同じレベルの文章であるということが分かるはずだ。

2)「ですます体」で書かれた文章の中に「だ体」を混在させるのは、もちろんその大半は不注意である。しかし、ごくたまに意識的に、ある種の効果を狙って用いることも可能だ。抑制された静かな「ですます体」で綴られた文章の終盤で、押さえに抑えた「怒り」を爆発される際などに、用いると効果的である。

私自身は、その時の気分で記事ごとに「だ体」と「ですます体」を使い分けている。こういう記事の場合は「だ体」、こういう記事の場合は「ですます体」ということは全くない。まさにその日の気分で書き始める。とは言え私の考えを述べるとこうなる。概して「ですます体」のほうは、語尾表現が単調であるという欠点はあるものの、反面、例えば「慇懃無礼」な表現をしたいときには重宝である。本気でネトウヨをおちょくる場合などは「丁寧語」を多く散りばめた「ですます体」が有効だ。対する「だ体」は、文のほぼすべてを「〜だ」「〜である」で書き連ねていかねばならない。がしかし時には「〜だろうか?」のような疑問形を用いたり「体言止め」なども使える。個人的には、書き易さから言うと「だ体」かな、という気がする。

さて、上記の瀬戸弘幸氏であるが、私はかつて次のように評したことがある。

やたらといろんなフォントを使った「センスのかけらもない」レイアウトを指摘したい。「明朝体」と「ゴシック体」を混在させると、非常に「幼稚」な印象を与えるというのがウェブデザインの常識だが、そんなことは一向にお構いなく、ありとあらゆるフォント、カラー、白抜き、太字をでたらめに多用している。「強調」というものは、やたら使いすぎると「強調」にならない、というような見識すら持ち合わせていない。まず以って「頭の悪い」ブログである、というのが、この「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」を見た私の第一印象である。

<ブログ探訪3〜日本よ何処へ>

今回ひょんな事で覗いてみたら「ありとあらゆるフォント、カラー、白抜き、太字をでたらめに多用」するのはお止めになった模様である。私の指摘をご覧になって止めたのなら、私としても嬉しいと思う次第である。




posted by takashi at 11:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

食べ物の「好き嫌い」と「偏食」


「好き嫌い」と「偏食」はニュアンスがちょっと違うものである。言ってみれば「好き嫌い」とは「原因」であって「偏食」はその「結果」という関係にあるのかもしれない。

私は食べ物の「好き嫌い」は無い方だと思う。「食材」として供されるものであれば、ほとんどのものを「食べられる」。だからであろうか、食べ物の好き嫌いの多い人は、私は嫌いである。もちろんそれによってその人を「全否定」するわけでない。食べ物の「好き嫌い」に関してのみのことであるので誤解無きよう。

私は「好き嫌い」と申し上げたが、もっと正確に言うと「嫌いなものがが無い」ということになるのではないかと思う。基本的に私はなんでも食べられるが「どうでも良い食材」というものも確かにある。私は紅茶が比較的「好き」で、コーヒーは「嫌い」である。しかし、コーヒーを飲めないわけではない。出されれば飲むだろう。その意味では「どうでも良い」というのが、より的確な表現だろうと思う。

このようなこともある。大量に食べられないが、少量ならば好きである、と言うもの。例えば刺し身は、私は大好物であるが、だからといってそれだけを大量に食べられるかというと、そうでもない。ある量を食べるためには「酒」か「飯」の助けが必要になる。

更に「季節的」あるいは「希少価値」というものもある。例えば「ホヤ」という食べ物があるが、これは私をもってしても「癖のある食材」だと思う。ことさら好んで食べるものではない。しかし、行きつけの寿司屋に、夏場などに普段は無い「ホヤ」が並んでいると、思わず頼んでしまうのだ。その時は確かに「食べたい」ということなのである。ただしここで重要なのは「酒」というものの「助け」だろうと思う。もし「酒」が無ければ私は「ホヤ」を食べないだろうし「ホヤ」を出されれば「酒」を要求するだろう(笑)。

以上のことから、導き出される傾向としては「酒飲みは好き嫌いが無い」ということになるのではないかと思う。もちろん例外はあるので「断言」はしない。中には「つまみ」無しにひたすら「酒」だけを飲む人もいるからだ。しかし、一般的に酒飲みは「好き嫌い」がなく「珍味」を珍重する傾向にはあると思う。珍味をもらったら酒を買いに走るのが「酒飲み」である。

話はトップに戻るが「あれが嫌いだこれが嫌いだ」を連発する人は、私は苦手である。酒を飲むか飲まないかはどうでも良いから、何でも食べられる人が好ましいと思うのである。そういう人と飲んでいると楽しいのである。

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