http://www.houko.com/00/01/H07/039.HTM
2009年10月11日
最後の公共事業
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2009年11月01日
最後の公共事業2
どういう訳かアジア人はヨーロッパ人に比べて、都市景観(自分たちの住む街の「醜くさ」)に不感症であるようだ。東京、香港、上海、台北、シンガポール。これらの都市の中で「架空電線」と「広告・看板」の両方が存在し、都市景観を害しているのは、東京だけであり、それは日本のすべての都市について言えることである。香港、上海、台北、シンガポール、いずれの都市も「電信柱」が無いのだ。事ここに至っては、かつて自民党がとことんバカにしてきた東ヨーロッパの「社会主義国」のみならず、現在も「開発途上国」と呼んでバカにし続けているアジア諸国に、我が国は完全に追い越されていることになる。今に中国にも追い抜かれるのは間違いないだろう。
今から何十年も前、経済成長を続けている頃に「電線地中化」を公共事業として進めておけば、日本のインフラはとっくにヨーロッパに追いついていたはずである。世界でも有数の地震多発国である日本にとって「電線地中化」は、他のどの国よりも「切実な要求」であるのにも拘わらずの怠慢である。それをせずに、無用なハコもの公共事業ばかりを推進してきた自民党政権の罪は極めて重いと見るべきであろう。
私はもう何十年も前から「電信柱」「架空電線」が、日本の「恥」であると指摘し続けてきたが、周りの友人や身内からはどういう訳かほとんど賛同は得られなかった。賛同が得られないというより、彼らは基本的に「無関心」なのだ。「架空電線」は「恥」どころか景観の悪い都市に暮らすことは、日本人の精神に悪影響を与えている、とすら私は考えている。例えば子供の情緒不安定や、大人の精神疾患の遠因にもなっているのではなかろうか?私など、精神的にすぐれない時に、電信柱が林立し、架空電線が空を埋め尽くした街を歩いていると、さらに気が滅入って来て、持病の鬱状態が悪化してしまうほどだ。どうも一般の人々はそのように感じないようであるが、その鈍感さが私は羨ましいほどである。
しかし、最近インターネットが普及するようになって、私と同じ考えを持つ「同好の士」が少なからずいることが分かって来た。そういったブロガーの存在で、この日本の「電線地中化」が少しずつでも進むことを願って止まない。
2010年01月15日
最後の公共事業3
電信柱による「車両自損事故」が、ヨーロッパ先進国には全く存在しない日本独特の「恥ずべき」交通事故であることは、論を待たない。電信柱のない国で「電信柱にブチ当たる」ことなど望んでもありえない。
私はたまに、母の車椅子を押して外出することがあるが、歩道のある表通りを避けるようにしている。車の多い表通りには、ただでさえ狭い歩道のど真ん中に電信柱が立っており、車椅子を押した私と対向者、あるいは対向自転車がすれ違うことが出来ない。大概は通行者なり自転車が幾分広くなった場所で待機してくれるか、車道に一時逸れて私たちを通してくれる。そんな時私は相手に対して会釈をし礼を述べるわけだが、中にはやはり何%か不機嫌な顔をしたり舌打ちする人も居る。自転車に乗る方ならよく分かると思うが、自転車を運転していて一番頭に来るのは、予期せぬ場所でブレーキをかけることである。ブレーキをかけるということは、貯えていた体内のエネルギーを筋肉に送りペダルを漕ぎ、最終的に自転車の車輪に回転エネルギーとして変換していたものを、いったん「リセット」する、という虚しい行為に他ならない。私とて逆の立場であれば顔にこそ出しはしないが、ヤレヤレと思うに決まっている。尤も私の場合はその前に、目の前にある電信柱を作った電力会社と行政に腹を立てるだろう。とにかく車椅子を押していると、こんなやりとりを、目的地に着くまで何十回となく繰り返さなければならないのである。日本の都市の99パーセントでは「バリアフリー」というのは「絵に描いた餅」である。それを少しでも「バリアフリーもどき」に近づけようとするのなら、最初にやるべき事は電信柱の撤去である。
道交法では本来自転車の走行は車と同じ「車道の左側」である。しかし、現在では日本中の自治体が歩道での通行を事実上「黙認」するに至っている。それはもちろん自動車と自転車による死亡事故があまりに多いための「次善の策」という意味での「お目こぼし」であろう。しかし、相変わらず狭く電信柱のある歩道であれば、車道に逸れた自転車が、前から来た自動車と正面衝突するというような別の重大事故に繋がる可能性もある。夜間において無灯火の自転車が、自動車のヘッドライトの前では「死角」に等しいというのは多くのドライバーが経験されることと思う。単位人口あたりの年間自殺者が先進国中トップの我が国であるが、同様に電信柱関連衝突事故ワースト1を返上する日は、一体何百年後になると言うのだろうか。この国の現状は暗澹たるものである。
2012年09月29日
電信柱と騒音
東京と違って、シンガポール、台北には電信柱が殆ど無い。「電線地中化率」では東京は、ネトウヨさんが嫌いなソウルにも、負けている。また、中国でも、地方の観光都市では集客のために、電線の埋設を積極的に行なっており、現在、急速にインフラ整備が進んでいる。したがって、この点では、日本は間違いなく世界ワースト・ワンなのである。つまり「脱亜入欧」でも日本は他のアジア諸国に、今や先を越された格好である。
私は、日本の電線地中化が遅れた原因が、日本の行政と電力会社が「結託」した「サボタージュ」にあることを明らかにした。それについては以下のエントリーをご覧いただきたい。
<最後の公共事業>
http://takashichan.seesaa.net/article/130056234.html
<最後の公共事業2>
http://takashichan.seesaa.net/article/131725291.html
<最後の公共事業3>
http://takashichan.seesaa.net/article/138362041.html
私がこれらの文章を書いた時点では、賛同者は殆どいない状態だったが、最近ではインターネット上で検索すると「電線地中化」に関するブログや記事が、結構見られるようになった。また、ごく少数ではあるが、日本の都市景観が、日本人の精神衛生に悪い影響を及ぼしているという、私と同じ説を述べておられる方もいらっしゃる。
なお、私の尊敬する本多勝一氏は、他にも日本の悪い点として、公共の場での「騒音」を挙げている。例えば温泉地でのラウドスピーカーによる演歌の轟音。都会の街を歩いていると聞こえてくる宣伝放送「あれを買え、これを食え」のアナウンスの洪水。無意味な音楽。たしかにそのとおりである。電信柱と同様、これらが不快なものであることに、私も異論はない。中島義道氏も、その著書「醜い日本の私」のなかで、同様の指摘をされている。この点、本多勝一氏は、特に手厳しく、電車や地下鉄の車内や駅のアナウンスもうるさいとして「全て無くすべき」だと糾弾する。「ドアの開け閉めに注意しろ」だの「忘れ物をするな」だのの「おせっかい」も「不必要」だと言う。さらに「次に停まる駅の名前」や「乗り換え案内」までも必要ないと言い切る。
しかしである。ここまで来ると私は「そうかな?」と思ってしまうのだ。確かに「あれを買え」のたぐいのアナウンスはうるさいし「足元にお気をつけ下さい」は、無いほうがいいと思う。更に「前の方に続いてお乗りください」というアナウンスにいたっては「日本語の意味」すら分からない。「後ろの方に続いて」乗るバカがこの世の中にいるだろうか?全員が「後ろの方」に続いていたならば、何時まで経っても一人も電車に乗れないではないか(笑)。
さて、冗談はこれくらいにして、しかし「次に停まる駅」や「乗り換え案内」だけはあっても良いのではないかと思う。私などは会社勤めをしていた頃、よく文庫本に夢中になり、駅を乗り過ごしてしまうことがあった。朝の通勤時、二駅ぐらい戻ることがしょっちゅうあったものである。尤も、アナウンスを聞き逃していたから乗り過ごしたのであって、ならばそれはアナウンスが「無意味」であることの「証左」ではないか?と言われれば、返す言葉も無いのだが(笑)。
<参考サイト>
All About 電柱や電線が 「ある街」 の資産価値(不動産コンサルタント・平野 雅之氏)
http://allabout.co.jp/gm/gc/25685/
All About 電柱、電線(不動産コンサルタント・平野 雅之氏)
http://allabout.co.jp/gm/gc/393763/
日本と韓国の電線類地中化率比較(ツイてる!社長氏)
http://blog.livedoor.jp/drj1966/archives/51821869.html
美しい国 日本の景観(てる爺氏)
http://www.biwa.ne.jp/~tam/sansaku/report/25%20keikan/keikan.html
2012年10月14日
最後の公共事業4
地下鉄「三越前」駅の改札を出ると、日本橋三越の地下菓子売り場へ通ずる「出口」がある。その横に「共同溝」を観察できる「窓」が設置されているのをご存知だろうか?ご覧になったことがない方は、今度是非見てみて欲しい。大変に立派なもので、日本人は、このような物を作るのが実に上手い、ということがよく分かる。また、穴を掘り進めながらコンクリートで固めていく「シールド工法」にかけては、日本の技術は世界一だと言われている。しかるに、何故それらの技術を国内で、大都市で、住民のために活用しなかったのだろう?何故日本には「共同溝」が「殆ど」無いのだろう?世界の七不思議に入れたいくらいだ。
以前にもお話したが、電線を地下に埋め込む「CCボックス」という技術も、世界一だという。なのに何故、日本の国土にはこれほど「電信柱」が林立し、電線が空を駆け巡っているのか?何故、これほど「汚い景観」の中で、我々は住まわされているのか?何故年がら年中、ムダな税金を使って地べたを掘り返し続けているのか?それは、日本の為政者と電力会社が義務を果たさず、サボタージュを続けてきたためだと、私は指摘し続けてきた。この共同溝(電線共同溝)こそが「最後の公共事業」だと、私は言い続けてきた。都市景観を改善するとともに、多くの「雇用」を創出する、素晴らしい公共事業だと、私は言い続けてきた。しかるに日本政府は、ムダな公共事業「要らない道路」「要らない空港」「要らない橋」「要らない港」そして無数の「要らないハコモノ」そして、大惨事を惹き起こした「原発」ばかりを造り続けてきた。
はっきり言うが、これは世界に冠たる「恥」以外の何物でもない。東京は、都市景観の悪さでは、アジア一と言って過言ではないだろう。例えばネトウヨの諸君は、アジアの国々を馬鹿にするのではなく、彼らに「追いつく」ことも目指してみては如何なものであろうか?