2008年09月12日

小林多喜二

ビクトル・ハラと小林多喜二。この二人の革命的芸術家は、どちらも拷問により指を砕かれている。ビクトル・ハラはギターが弾けないように。小林はペンが持てぬように、と。そしてその直後に二人とも惨殺されている。

10年ほど前、小樽の文学館へ行った。ここは旧北海道拓殖銀行本店の建物であり、まさに小林多喜二の職場であった場所だ。展示資料は伊藤整、石川啄木、小林多喜二の三人のものである。展示物の量的比率で行くと7対2対1という感じであろうか。小林多喜二は断然少ない。しかし、帰り際に見た来館者ノートの書き込みは99パーセントが多喜二についてだった。当時も若い人たちの書き込みが多かったと記憶している。そのとき私は思ったものだ。この文学館に来る人々はほとんどが多喜二に会いに来るのだな、と。

1933年に、小説「蟹工船」が元で小林多喜二は特高警察に逮捕された。直接の罪状は「不敬罪」。小説の中で労働者に言わせた「石っころでも入れておけ」というセリフ。つまり皇室への「献上品の缶詰」に石ころを入れろとは何事か、というわけだ。しかしこれは明らかに「別件」であろう。権力がこの小説の中で激怒した部分は「石ころ」などでは無い。彼らは「蟹工船」のなかで多喜二が「帝国軍隊」の本質を「暴いた」ことに驚き慌てたのだ。国家の「暴力装置」として民衆を弾圧する軍隊の本質。権力が隠したい部分を、まさに象徴的に描ききったこの小説に危機感を抱いたのである。労働者たちが、職制の暴力から自分たちを解放するために船に乗り込んできたとばかり思っていた軍隊が、銃口を向けている先は何と自分たちであった。この衝撃シーンがそのクライマックスである。

近年所謂ワーキングプア層の間で「蟹工船」が読まれているのは喜ばしいことだと思う。その共感はしかし、主に労働者の「悲惨な働かされ方」に限定されているように思う。この小説の主題はひとつではない。例えば上に書いた軍隊(国家権力)の本質の暴露、労働者の団結(組織化)の問題もそれに含まれる。もっと多角的な読み方がされることを期待したい。
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2008年09月13日

サミュエル・ピープスと朝日文左衛門

時は元禄の頃(1700年)地球のあちらとこちらで、そっくりな二人がいた。一人は名古屋城御畳奉行・朝日文左衛門、あと一人はロンドンの税官吏・サミュエル・ピープスである。全くの偶然とはいえこの二人はあまりに似ている。あまりに似ていることばかりなので、箇条書きにする。
@日記を残している
A酒が好きである
B芝居が好きである
C世間のゴシップが好きである
D賄賂が好きである
E奥方に頭が上がらない
F文武両道に秀でている
G楽器の演奏をする
エトセトラ・・・
そして極め付けが「でたらめ言葉」である。日記の中で例えば奥方に読まれたくない「ヤバイ」箇所があると、英語とラテン語を織り交ぜたわけの分からない言葉で書く。文左衛門のほうは文左衛門で、わけの分からない「漢文」をでっち上げる、といった具合だ。
この二人の日記はもう何十年も前に読んだのだが、ピープス氏のほうは岩波新書、朝日文左衛門のほうは中公文庫(現在は新書)だった。めちゃくちゃ面白いので皆さんも機会があったら読み比べてみて欲しい。

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2008年09月16日

世界一美味そうなビール

世界一美味そうなビールの話をしたいと思う。
と言っても、何の変哲もない国産のビールの大瓶であるけれども。そのビールは映画の中に出てきた。私は未だかつてあれほど美味そうなビールを見たことがない。と言うか、あれほど美味そうなビールの「飲み方」を見たことがない。あの健さんの飲み方はまさにそういう飲み方だった。ここまで書くと、かなりの方々が「ああ、あの映画のあの場面ね」と思い当たるに違いない。「幸福の黄色いハンカチ」である。

私も「一度でいいからあんな飲み方をしてみたい」と思ってみて、「いや、やっぱりあの飲み方は絶対にしたくない」と思うのだ。その辺がちょっと微妙である。あんな風に美味いビールを飲みたいが、あんな風に美味くビールを飲むような目には遭いたくない、のだ。

傷害致死で服役していた高倉健演ずる男が出所する。男は駅前の小汚い食堂へ入る。立ったまま、壁に貼られた品書きを真剣な目で追う。意を決したように「カツ丼、それとラーメン下さい!」・・・「あのすいません・・・ビール!」この「ビール!」と言うところが、心なしか上ずっている。渇望と幸福が入り混じった「ビール!」なのである。
程なくビールが運ばれてくる。男はまるで宝物に触るようにしてビール瓶を持つ。右手が震えている。コップ当たってカタカタと音がする。それでもこぼさぬようになみなみとグラスを満たす。ここからが迫真の演技だ。男は目の前に置かれたビールグラスを両手で包むように持ち上げると、目をつぶってゆっくりと飲み始める。しかし耐え切れずにピッチは上がっていく。飲み干したあとは目をぎゅっと閉じ、顔をゆがめた、あの覚えのある表情。オルガスムにも似たあの表情で「くっ!」と果てるのだ。実に男らしい飲み方だ。
ちょっと最後がえげつなくなってしまったが、要するに刑務所のストイックな数年間を、あの一杯の描写で想像させているのだ。まさに演出の妙、演技の妙とはこのことだ。もし、食堂で隣の人があんな風にビールを飲んでいたらその人は今朝刑務所から出てきたのだな、と思うかもしれない。それほど迫真の演技であった。
冷えたビールをジョッキでぐいぐいやるコマーシャルなど、足元にも及ばぬ世界一美味そうなビールだった。
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三島由紀夫と武士道

今から20年以上も前、ある日私は上野の本屋で三島由紀夫の本を立ち読みしていた。「若きサムライへ」とかいう題名のエッセイ本だったと思う。その中に三島が友人と二人で、とある英国貴婦人にお茶に招かれる一篇があった。歓談しているとその婦人が「武士道とはどのようなものですの?」と三島に訊いた。「武士道とは・・・」と言うと三島はすっくと立ち上がった。そして腰の鞘から日本刀を抜くまねをして見せた。ゆっくりゆっくり、まるで真剣のように抜くと、満身に力を込めて上段に構えた。そしてつぎの瞬間目にも留まらぬ速さで気合もろともその「見えない剣」を英国貴婦人の頭に振り下ろした。そのときの婦人の顔は血の気が引き失神寸前の様子だったという。そして三島は「西洋人に武士道を理解させるのにこれが一番だ」と言ってひとり悦に入る。とまあこんな内容だった。
誠に三島らしいエピソードであるが、私は少し考えた。か弱き女性を怖がらせるのが武士道なのか?英語の達者な三島ならば言葉でいくらでも説明できたはずだ。それにこれが彼女でなくその夫君であったら彼は同じことをしただろうか?これは白人女性へのコンプレックスの裏返しに過ぎない幼稚な行動だったのではないだろうか?とすると日本の武士道も地に堕ちたものではないか。
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2008年10月28日

手塚英孝と小林多喜二

手塚英孝著「小林多喜二」上下巻、この本を何度手に取ったことだろう。その度ごとに私は新たな感動に包まれたものだ。不屈な革命的芸術家に対する尊敬のこころと、同志としての愛情に満ちた文章、綿密な考証で解説されたその生い立ち、そして「死」。小林多喜二の伝記としてはまさに圧巻、これ以上の評論は過去にもないし今後もないだろう。作品そのものに関する評論は不破哲三をはじめ多くが著しているが、同時代に同じ使命のもとに活動した経験を書いているところに手塚の本の強みがある。

その手塚であるが、多喜二との交友期間はそれほど長いわけではない。多喜二が上京したのが1930年3月、多喜二27歳のときである。彼はプロレタリア作家同盟の活動家として活動を始め、翌年共産党に入党する。それから彼が非合法生活に入るまでの間はまさに、検束、投獄、拷問の繰り返しであった。豊多摩刑務所から出獄のあと書いた「独房」では出廷の護送車の中から見た風景を描写している。
「N町から中野へ出ると、あのノロい西武電車がいつの間にか複線になって、一旦雨が降ると、こねくり返る道がすっかりアスファルトに変わっていた。」

1932年、多喜二が実生活で関った「藤倉工業」は、後の作品「党生活者」の「倉田工業」のモデルであるが、この会社の臨時工労働者の実態はまさに現在のワーキングプアと同じであった。
・皆入社する時に、「3月までしか使わぬ」という契約書に判を押して、承諾させられており
・4月になればまた沢山の仕事が来ることがわかっているのに、散々コキ使ってクビにされ
・一方本工からは「生意気だ、でしゃばりだ」と言われ、本工との結びつきは困難であり
・こんな条件で「首切り反対だ」、「臨時工を本稿になおせ」という要求のもとにたたかうのはかなり困難
という状況だった。どうだろう?現代の「非正規雇用社員」と、どこが違うだろう?

その後多喜二は地下生活に入る。多喜二自身「個人的生活が同時に階級的生活であるような生活」と呼んだ生活にである。この地下生活を題材に書かれた「党生活者」を読み、そこに書かれた所謂ハウスキーパーと主人公との確執をめぐって「わが意を得たり、これぞ共産主義における女性の哀れな姿さ」とばかりに非難を集中する人もいる。例によって新左翼出身の私の友人も、飲むたびにこれを持ち出したりする。しかし考えてもみて欲しい、あの弾圧下での党活動がどのようなものであったかを。まさに「ブルジョア的」な恋愛など奪われた極限状況なのである。批判の多くがこの手のブルジョア人道主義的発想であることは仕方のないことかもしれないが。

さてこの地下活動の中で多喜二は手塚とはじめて出会うのである(1932年4月)。それから1933年2月に29歳で虐殺されるまでのたった11ヶ月が多喜二と手塚の交友期間なのである。つづく
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2008年10月29日

手塚英孝と小林多喜二その2

 十番の賑やかな通りから細い路地をはいった奥まったところに、古ぼけた軒のひくい鰻屋があった。湿っぽいでこぼこの土間をぬけてあがると、田舎の納戸のような天井のひくい部屋があった。はじめは月に二度、金がなくなるにつれて、月に一度、二月に一度という具合になってしまったが、私たちはここで鰻を食って休養することにきめていた。下宿にいても、歩いているときも、気をくばって、休息というものがないような緊張した生活のなかにいたから、こうしたひとときは、ことばではいいつくせない楽しさがあった。
 小林は、この家がそば屋にそっくりだといって大喜びだった。眼鏡をはずし、大の字に寝ころんで、背のびをしたり、大きな声で笑ったり、子供のように目を輝かし、こころからうれしそうだった。
 「小樽にそっくりだよ」
と、仰向けに寝ころんだまま、彼はなつかしそうに渋紙をはった壁や、そそけたひくい天井を眺めながらいく度もくりかえした。

 こうして寝ころんでいると、なつかしい記憶や、いろんな思い出が、つぎつぎと浮かんでくるものとみえ、大きな声で笑っているかと思うと、髪をみだし、足をまげて、ぼんやりと思いにふけっていた。それからまた、静かにからだをおこして楽しそうに話しかけた。こんなとき、彼はときどき、お母さんのことや、幼いころの思い出を話して聞かせるのであった。(手塚英孝「小林多喜二」下巻「回想」より)
 
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手塚英孝の「小林多喜二」下巻の最後の章「回想」の中の一節である。特高警察に追われる緊張の中に、しばし訪れた時間における小林多喜二の描写だ。同志小林への深い愛情が感じられる私の一番好きな箇所である。

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 それからある日のこと、「君はどうだ、小説を書く気はないか」と、とつぜん私にきいた。私は少してれてしまって、返事にまごつきながら、「四十ごろから書きはじめようか」と笑いながら答えた。すると彼は妙な顔をして笑った。そのつぎにまた同じ場所で会ったとき、彼はまた同じことを私にたずねた。私は同じような返事をした。すると彼は、また妙な顔をして笑った。

 四、五日後、同じ場所でいそぎの用件のために会い、相談ごとがすんだあと「君はどうだ、小説を書く気はないか?」と、また、彼はひくい声でささやいた。それには何かしんみりとしたものがあったので、私は例のように「四十から」といいかけたが、少しいぶかりながら彼のほうをみた。彼は「また、そういう」と、かすかな声でいって、長椅子のクッションにまるく体をちぢめてよりかかりながら、淋しそうな充血した妙な顔をした。それはまるで、コチンとしてまるまった顔の大きな老人のようにみえたが、彼の目はするどくかがやいていて、何か、遠くの方を一心に追っているかのようにみえた。私はようやくはじめて彼の気持ちがいくらかわかるような気がした。(手塚英孝「小林多喜二」下巻「回想」より)
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「この生活では長編はなかなかむつかしい。」と言う多喜二。「私は彼の日常生活をかなりくわしく知っていただけに、いつの間に小説を書くのだろう、とむしろ不思議に思ったほどである。」と手塚。

「誰か、体全体でぶつかって、やる奴はいないかなあ。……死ぬ気で、書く奴はいないかなあ」

「個人的生活が同時に階級的生活であるような生活」をいとわぬ小説家がいないことが歯がゆかったのだろうか?いや、当時の状況の中でおそらく多喜二は自分の命がそう長くないと覚悟していたのだろう。だから彼は自分と同じ思想の作家が一人でも増えて作品を残すことを望んでいたのではないか?手塚に対する「君はどうだ、小説を書く気はないか?」の問いかけにはそんな意味が込められていたのではないかと思う。つづく
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手塚英孝と小林多喜二その3

 真冬の冷たい檻房に暮色がようやく迫ろうとし、五つの房にすしづめとなった留置人たちは、空腹と無聊と憂鬱とでひっそり静まり、ただ夕食の時刻が来るのを心待ちにしていていた。
 突然、私の坐っている檻房の真正面にあたる留置場の出入口が異様なものものしさでひらかれた。そして特高―紳士気取りの主任の水谷、ゴリラのような芦田、それに小沢やその他―が二人の同志を運びこんできた。
 真先に背広服の同志がうめきながら一人の特高に背負われて、一番奥の第一房に運ばれた。
 つぎの同志は、二三人の特高に手どり足どり担がれて、私のいる第三房へまるでたたきつけるようにして投げこまれた。一坪半ばかりの檻房は十二、三の同房者で満員だった。その真中にたたきこまれて倒れたまま、はげしい息づかいと呻きで身もだえするこの同志は、もはや起きあがることすらできなかった。
 「ひどいヤキだ……」同房人たちは驚いた。
 私は彼の頭を膝に乗せた。青白いやせた顔、その顔は苦痛にゆがみ、髪のやわらかい頭はしばしば私の膝からすべり落ちた。「苦しい、ああ苦しい……息ができない……」彼は呻きながら、身もだえするのであった。「しっかりせい、がんばれ」と、はげますと、「うん……うん……」とうなずく。その同志は紺がすりの着物に羽織という服装であった。顔や手の白さが対照的にとくに印象ふかい。整った容貌は高い知性をあらわし、秀でた鼻の穴に真紅な血が固っていた。手指は細くしなやかで、指のペンダコは文章の人であることを物語った。同房人たちも胸をひろげてやったり、手を握ったり、どうにかしてこの苦痛を和らげねばならないと骨折った。
 一体、この同志は何の組織に属する何という人だろう、私は知りたく思った。「あなたの名前は?」と、私は尋ねたが、それには答えず、間欠的に襲いかかってくる身体の底からの苦痛にたえかねて、「ああ、苦しい」と、もだえるのであった。
 たった今まで、この署の二階の特高室の隣りの拷問部屋で、どんなに残虐な暴行が行われたか、そして、二人の同志がいかに立派にたえてきたかを、この同志の苦しみが証明した。
 やがて、「便所に行きたい」というので、同房人が二人がかりでそっと背負って行った。便所へついたと思う間もなく、腹からしぼり出すような叫び声が起こった。やがて連れ戻ってくると、「とても、しゃがまれません。駄目です」と、同房人が言った。
 私は先ほどから、そわそわして様子を見ている看守に言った。「駄目だ、こんな所では、保護室へ移さなければ」私たちの房の反対側に保護室があった。そこは広く、畳が強いてあり、普通、女だけを入れたが、大ていあいていた。看守はうなずいて、私たちは同志を移転させ、毛布を敷き、枕をあてがった。そして、彼の着物をまくって見た。「あっ」と私は叫んだ。のぞきこんだ看守も「おう……」と、呻いた。
 私たちが見たものは「人の身体」ではなかった。膝頭から上は、内股といわず太腿と言わず、一分のすき間もなく一面に青黒く塗りつぶしたように変色しているではないか。どういうわけか、寒い時であるのに股引も猿又もはいていない。さらに調べると、尻から下腹にかけてこの陰惨な青黒色におおわれているではないか。
 「冷やしたらよいかもしれぬ」と、私は看守に言った。雑役がバケツとタオルを運んだ。私たちはぬれたタオルでこの「青黒い場所」を冷やしはじめた。やがて、疲れはてたのか、少しは楽になったのか、呻きも苦痛の訴えもなくなった。同志は眼を閉じて眠る様子であった。留置場に燈がついて、夕食が運ばれた。私はひとりで彼の枕辺に坐って弁当を食い終った。そして、ふたたび彼の顔をのぞいたとき、容態は急変していた。半眼をひらいた眼はうわずって、そして、シャックリが……。私は大声でどなった。看守はあわてて飛び出して行った。
 やがて、特高の連中がどやどやとやってきた。私は元の房へつれもどされた。保護室の前へ衝立が立てられた。まもなく医者と看護婦がきた。注射をしたらしかった。まもなく、担架が運びこまれた。
 同志をのせた担架がまさに留置場を出ようとするときであった。奥の第一房から悲痛な、引きさくような涙まじりの声が叫んだ。
 「コーバーヤーシー……」
 そして、はげしいすすり泣きがおこった。
 午後七時頃であった。
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以上は築地署で多喜二と同房にいた、岩郷義雄の回想による多喜二の最期の描写である。多喜二が殺される四、五日前、手塚は彼と会っている。小雨の降る寒い日であった。連絡の合間に寄った小さな喫茶店での多喜二が、手塚の見た最後の多喜二だった。
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客のないガランとしたストーブのかたわらを、彼は両手をポケットにつっこんだまま、ゆっくり行ったり、きたりしながら、ふかい瞑想にふけっていた。口のまわりにふかい皺をよせて、自信にみちた重おもしい決意が、全身にあふれてみえた。
(中略)
私はこのきびしいたたかいの生活をつうじて、たくましい一人の人間を驚嘆しながらひそかに注目していた。どのような困難にもひるまず、真実にたいするひたむきな献身的な努力で、ふかく、ゆたかに成長していくすばらしい人間の姿を、私はありありと、眼前に見るように思うのであった。

外はいつのまにか大雪になっていた。シンシンとふりそそぐ雪の音が聞こえるような静かな宵だった。珍しく大粒の牡丹雪が、街の明かりに浮き出されて、中空一面にちりばめた美しい模様をつくってあらわれたり、とつぜん、激しい大きな渦巻きになって流れたりした。(手塚英孝「小林多喜二」下巻「回想」より)
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2009年04月06日

マイケル・ムーア「シッコ」を見て

よく言われることで「その国の弱者に対する扱いを見ればその国の価値が分かる」というのがある。
これはまったっくそ通りだと思う。数日前、ケーブルTVでマイケル・ムーア監督の「シッコ」をやっていたので見た。この映画はムーアの作品の中でも最高の出来だと思った。アメリカの病巣を象徴的に描ききっている。カナダ・ヨーロッパと比べてアメリカ社会が如何に人道的に劣っているかを暴いている。それにつけても映画の中で、新自由主義で後退したとばかり思っていたイギリス・フランスの社会福祉が、未だに素晴らしく健全なのを見せつけられて驚いた、私の認識不足だった。恥ずかしい。両国とも医療費、教育費はタダだというのだ。お産のときの休暇や給与補償、引っ越しのための2日の休暇なども法律で与えられる。日本と違い出生率が回復するのも当然だ。しかもマイケル・ムーアが訪れたのは北欧ではない、アメリカ人のふるさととも言うべきイギリスである。そのイギリスでは、救急車を呼んでも金を請求されるわけでもないし、金の払えない病人を病院が救貧施設の前に放り投げることもない、既往症で保険料が何十倍に増えるような「医療保険」もなければ、保険会社の差し金で末期がんの患者が治療をストップされることもない。
圧巻なのは映画の最後に、9.11の現場復旧作業に参加したためにひどい後遺症に苦しむ元レスキュー隊員やボランティアたちを、こともあろうにアメリカが目の敵とし、あらゆる経済制裁で苛め抜いてきたキューバに連れていく場面だ。そこでの医療の手厚さに涙する彼らの姿は感動的だった。

さてわが祖国日本である。
映画で描かれていたカナダ・ヨーロッパと、アメリカのどちらにより近いだろうか?
さすがに救急隊員が患者を路上に放り投げたというニュースはこれまでなかったように記憶しているが、今の日本の現状はアメリカに、より似通っているように私には思える。少なくとも実態は明らかにアメリカに近づきつつある。健康保険の滞納者から保険証を取り上げることを、アメリカでは医療保険会社がやっているが、日本では地方自治体が行なっている。
先日、介護報酬の3パーセントほどの引き上げが決定されたが、その裏で厚労省が帳尻合わせに、要介護認定を厳しくするよう自治体に通達を出していた内部文書が「しんぶん赤旗」で暴露されていた。この国でも社会的弱者は徹底的に苛められている。
私は障害者福祉というものは元来、マイナスをゼロにまで引き上げるものであり、健常者のそれとは違うと思っている。当然前者は優先されてしかるべきである。
少数(老人・障害者)の権利を奪っている社会は大多数の権利を奪う社会になっていく。最後にドイツのニーメラー牧師の詩をウィキペディアから引用しておく※注。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

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彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
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そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


※注)ウィキペディアについては以下を参照のこと
<ウィキペディアの問題点>
http://takashichan.seesaa.net/article/105494400.html

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2009年08月28日

マイケル・ムーアの功績

以前、マイケル・ムーア監督の「シッコ」について書いたことがある。
<マイケル・ムーア「シッコ」を見て>
http://takashichan.seesaa.net/article/116944049.html
ムーア監督は「華氏911」と「シッコ」の2作品でアメリカ国民に多大な貢献をした。これらの作品で彼は、次の二つのメッセージをアメリカ国民に送った。

@愚かな指導者を選ぶと国民は如何に大きな災難を蒙るか
Aアメリカの医療保険制度が如何に立ち遅れているか

この二つのメッセージに対し、アメリカ国民は見事に応えた。その結果2008年、遂にバラク・オバマ大統領が誕生した。そしてそのオバマ政権が最初に手を付けたのが「医療保険制度」だったのである。アメリカは変わりつつある。さすがのアメリカ人も「国民皆保険」が、諸外国にあって何故自国にはないのか、疑問に思い始めた。さらに健康・福祉というものに資本主義の「弱肉強食」を当て嵌めることが誤りではないかと、アメリカの貧者たちもやっと気付き始めたのである。祖国アメリカの社会制度が、世界から見て非常識であり、実はヨーロッパのそれに比べて大きく立ち遅れているということを、アメリカ国民はマイケル・ムーアの作品から「学んだ」のだ。

「核廃絶」然り。これまでアメリカ大統領が、これほど明確に核廃絶を演説の場で訴えたことがあるだろうか?「核を使用した唯一の国」としての責任に言及したアメリカ大統領がいただろうか?アメリカは着実に「正義」に向かって舵を取りつつあるように思える。

翻って我が国を見てみよう。過去のアメリカの「悪いところ」を未だに模倣し続けようとしている自公民。国民の生活を壊滅状態に追い込んだ「実行犯」=竹中平蔵がいまだに大きな顔をしてのさばっている。長年の政官癒着で公的年金制度はめちゃくちゃだし「医療費個人負担額」は先進国で最高である。働かずして得た金(有価証券による所得)には最低の税率で優遇をし、憲法に定められた最低限の生活すら出来ない「働く貧困」世帯からは無慈悲に所得税をむしり取った上に消費税で追い打ちをかける。巨万の富を稼ぐ一部のエリートの所得税最高税率は先進国では最低レベルである。「応能負担」をことごとく否定し「受益者負担」の詭弁の元に、働く貧困層、障害者、寡婦、老人からあらゆる福祉を「剥ぎ取る」。

アメリカも、韓国も、中国も、これからはモデルとしてEU諸国を目指すだろう。そんな中で我が国だけが「一昔前の」アメリカ(もう既にないアメリカ)を永遠に模倣し続けるに違いない。
posted by takashi at 17:42 | Comment(4) | TrackBack(8) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

「いつか王子様が」の謎が判明

以前私は次のように書いたことがある。
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<日本の恥TVコマーシャル>
http://takashichan.seesaa.net/article/124817285.html

もうひとつ日本のCMで特徴的なことがある。どういう訳かクラシックの楽曲が「同時多発的に」用いられるのだ。どういうことか説明しよう。今から20年ほど前、第二次バロックブームとも言うべき流行が起きた。その中でひときわ流行ったのが「パッヘルベルのカノン」である。実を言うとこれはカノンというより「輪唱」に過ぎない、程度の低い楽曲なのであるが、これがありとあらゆるコマーシャルで爆発的に用いられた。そしてその影響は現在もなお続いているという現実は、皆さんも良くご存じのとおりである。さらに情けないことに、すべてのCMは、何故か決まって曲の途中(=19小節目)から始まる(大笑)。

「同時多発的に」用いられた曲を思い付くままに挙げると、グリーグの「ペール・ギュント」。これは悪徳貸金業の「日栄」他数十社がCMに用いた。ごく最近では何故かホルストの「木星」。他にアイルランドの何とかいう民謡、クラシックではないが、かなり古いディズニー映画の主題歌でジャズのスタンダードにもなっている「いつか王子様が」など。これらが何故「同時多発的に」CMに登場するのか?残念ながら私には説明が出来ない。
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これについては同エントリーのコメント欄でコンポコ氏から、説得力のあるご示唆を頂いた。株式会社電通によるCM独占支配がその原因ではないかというのだ。次のような記事を見るにつけても、そのようなことは確かにあり得ると思われる。
http://naniga2.nobody.jp/dentsu.htm

それとは別に今回「いつか王子様が」については、その「真相」が明らかになった。実は私も恐らく「著作権期間」が関係しているのではないか、と感じていたのだが、やっぱりそうだったのだ。

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日本では著作権の保護期間が終了したと考えられることから、現在激安DVDでも発売中(ただし、旧画質のもの。デジタル修復のものは1993年から新規の著作権が発生した)。
ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%9B%AA%E5%A7%AB_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E6%98%A0%E7%94%BB)
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最近やたらとCMで耳につく「いつか王子様が」の、これが真相だったのだ。
 
posted by takashi at 08:26 | Comment(11) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

「南京!南京!」

中国映画「南京!南京!」を再びネットで鑑賞した。
http://tv.sohu.com/20090527/n264199426.shtml
ネットの混雑があまりなかったのか「固まる」こともなくスムーズに見ることが出来た。この映画は実質的に、一人の日本人将兵「角川」が主人公として描かれている。ちょっと乱暴に言ってしまうと、日本軍の中にも「良心的」な兵隊がいた、というのがこの映画のコンセプトだ。角川以外の日本兵も、決して「悪」としてのみで描かれているわけではない。残虐な行為を行なった兵隊が、同時に素朴で人間的な青年にも描かれているのだ。実際そうだったのだろう。平気で赤ん坊を串刺しにする兵隊が、戦友の「死」には涙していたのだ。それが戦争というものの不思議な現実なのだ。

重要なのは、この映画が陸川監督という中国人により撮影されたということである。「日本人にも良心的な兵隊がいた」という主題は、日本人監督が作ると身内の「免罪」になってしまう可能性がある(山本薩夫「人間の条件」)。中国人が日本人の内面を描いたところに、この映画の価値がある。勿論これを、中国人による日本人に対する「赦免・免罪」だと、早合点すべきではない。上手くは言えないがたぶん「温情」とでも言うべきものだろう。

私的に、この映画で泣けたのは次のシーンである。
角川が慰安所へ行き、生まれて初めて女性と交わる。その慰安婦は百合子と言った。翌年、角川は新年の慰問袋を持って再び百合子の元を訪れるが、既に彼女は病に罹っていた。角川の持ってきた土産に無邪気に喜ぶ百合子。角川は彼女と再び契りを結ぶ。その後もまた角川は慰安所で百合子を見かけるが、既に百合子の病状は末期となっていた。彼女に触れることをためらう角川をよそに、若い兵隊が角川の目の前で百合子を犯す。ある日、慰安所を訪れた角川に女衒は、百合子が死んだことを告げる。角川は言う。「百合子は私の妻でした。」何ともやるせない切ないシーンである。

日本軍司令官が「安全区」に居住する中国人女性たちを慰安婦として「狩る」シーンも出てくる。「綱紀の粛清」「強姦予防」を理由に、民間婦女子を強制的に慰安婦に仕立て上げる様が描かれる。





最後に角川は、軍隊の現実に耐えられず、二人の捕虜を解放したのち、自ら命を絶ってしまう。

この「南京!南京!」は、最近になってやっと日本国内での上映の目途が立ったと聞いているが、この映画にも登場するドイツ人「ジョン・ラーべ」を描いたドイツ映画は、未だに「右翼の妨害」で国内上映に対して配給会社が二の足を踏んでいるらしい。是非日本での上映を望みたい。

<追記>
映画「南京!南京!」の冒頭シーンに、ドイツ軍の軍服を着た兵隊と、ボロを纏った兵隊の小競り合いのシーンが出てくる。 ご覧になった方の中にはこのシーンの意味が分からない方もいらっしゃるのではないだろうか?ドイツ軍服の軍隊は国民党軍(蒋介石軍)で、ボロ服の軍隊は八露軍(毛沢東軍)である。街を見捨てて逃げ出そうとする国民党軍を、八露軍が押しとどめている、というのがこのシーンなのだ。南京落城の後、蒋介石は首都を重慶に移す。その重慶に日本軍が百数十回にわたって無差別爆撃を行なったことは、皆さんもご存じであろう。そして数年前のサッカーアジア大会での日本チームに対する市民の抗議のブーイングも記憶に新しい。
※ smtz8 からのご指摘で「ボロをまとった軍隊」が「八路軍」ではなく、同じ国民党軍の派閥である『国民党第三十六師 宋希濂部』であることがわかりました。謹んで訂正をさせていただきます。管理人

この映画の素晴らしさは、その「芸術性」と共に、カメラ、演出といった技術的な水準の高さにあると思う。市街戦のシーンの臨場感あふれるハンドカメラの用い方などはスピルバーグの「プライベートライアン」の上陸シーンにも匹敵する迫力である。また固定カメラは、とことん計算し尽くされた完璧なアングルにより撮られている。その意味でジャンルは違うが「ミスタービーン」のローワン・アトキンソンの完璧主義にも通ずるものがあるのではないかと思う。  
 
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2009年12月13日

映画「ジョン・ラーベ」

Youtubeを物色していたら、映画「ジョン・ラーベ」がアップされているのを見つけた。以下の個人チャンネルに、全編が収録されている。

 

http://www.youtube.com/user/GreatYAOMING#g/u

早速見せて頂いたが、実際のところ前にご紹介した「南京!南京!」に比べて、内容も芸術性も決して勝った映画ではないと思った。稚拙なCGを用いた爆撃シーンは平凡だし、それに肝心の「日本軍の蛮行」についてもそれほど過激な描写もなく、どちらかと言うと温厚な「差し障りの無い」内容の映画であった。少なくとも日本という国をことさら「糾弾」するために作られた映画ではないというのが私の印象である。もっともこれは「南京!南京!」についても言えることだが。

にも拘わらず、日本の右翼など体制側の人々が、かつてないほどこの映画に「拒否反応」を示し、映画関係者が何故こうまで「過敏」に反応するのか?それは言うまでもないが、香川照之演ずるところの「朝香宮鳩彦親王」の存在が理由である。上海派遣軍司令官の地位にあって南京事件では直接「虐殺」を指示していながら、皇室出身者であることを理由にGHQの戦犯指定から免れ、戦後は「熱海の別荘に隠棲してゴルフ三昧を嗜む日々」を送って幸せに死んでいったのがこの「朝香宮鳩彦親王」という人物である。

近年だいぶ庶民化され、所謂「菊のカーテン」も過去のものになりつつあるように、日頃我々日本人は思っているが、実際にはこのように、厳然と「タブー」は存在している。イギリスの王室と違い、日本の皇室がこれからも何時「国策」に利用されるとも限らない「危うさ」はこの辺にある、と私などは感じている。たとえば宮内庁は天皇明仁の「政治的発言」を極端に恐れているが、これは裏を返せば天皇による「政府批判」を何より恐れているのことを表している。先の園遊会における天皇の「日の丸は強制でないほうがいい」発言などはその典型だと思う。


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関連サイト
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0417&f=national_0417_008.shtml
http://japanese.dbw.cn/system/2009/04/01/000121545.shtml

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2010年01月14日

懐かしの映画1

映画というのは私の子供の頃は贅沢な楽しみであった。したがって、たくさんの映画を見たわけではない。幼い頃の記憶で今でも残っているのは、近くの映画館で家族揃って見た2〜3本であろうか。物心ついてから印象に残っているのが「空の神兵」である。第二次大戦中の日本軍(現在の自衛隊でもそうだと思うが)で、エリート部隊として訓練された「空挺部隊」の活躍を描いた「戦意高揚映画」である。当時はこのような戦時中の「国策映画」が一般の劇場でぼちぼち上映され始めていたのだ。昭和30年代中頃であるからアメリカの占領政策も終り、軍国主義も多少「解禁」され始めた頃であったと思う。それ以降、都内の二番館などでは「加藤隼戦闘隊」などが結構ロングランを続けたりもしていた。で「空の神兵」だがこの映画で心に残っているのは何といっても 高木東六作曲の主題歌である。日本軍が勝ち進んでいた頃の軍歌であるから、とにかく明るく勇ましい。この後日本軍は敗退し、玉砕、餓死、特攻、そして原爆と、悲惨な最期を遂げることになる。余談であるが、このような「軍歌」の変遷を噺にした川柳川柳(落語家)が大変に面白い。YouYubeにもあるのでご紹介しよう。

空の神兵
川柳 笑話歌謡史その1
川柳 笑話歌謡史その2
川柳 笑話歌謡史その3
近所の映画館では「キングコング対ゴジラ」などの怪獣映画も一家で見た記憶がある。が、いつしかその映画館も廃業し、パチンコ屋になってしまった。もう40年以上前の話である。

さて、現在では有難いことに新作映画も、レンタルやテレビ放送で比較的リアルタイムに見ることが出来るようになった。そういったものも含めて、私にとって印象に残った映画(もしくは監督、俳優)を、これから少しずつシリーズで取り上げていこうと思う。その中でまず最初に取り上げるのは、アメリカ人俳優ウィレム・デフォーである。彼の映画で始めて見たのは、レンタルのビデオ(当時はテープ)で「ミシシッピー・バーニング」だったと思う。尤もそれよりも前に、次に述べる「プラトーン」を見ていたかも知れない。制作年代を調べてみると「ミシシッピー・バーニング」の方が2年後であるし「プラトーン」は間違いなくロードショー館で見たので、あるいは「プラトーン」の方が先だったかも知れない。「ミシシッピー・バーニング」での彼は、正義感溢れる若いFBI捜査官という役どころで、アメリカ南部での「レイシズム」と真っ向から対決し、犯人を追い詰める姿に魅了された。私の年齢であればこの映画を見て「夜の大捜査線」という作品を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないだろうか?私の中でもこの二つの映画は重なっていたものである。

そのウィレム・デフォーの出演作品で次に見たのが(さっきも言ったようにこちらが先だったかも知れない)「プラトーン」だった。ベトナムで実戦を経験したオリバー・ストーン監督の自伝的映画で、戦場にあっても人間性を失わず、チャーリー・シーン演ずる主人公の新兵の尊敬を受けるエリアス軍曹を演じていた。特にベトナム人村での虐殺行為を描いたシーンには吃驚した。当時私は「やっとアメリカにもこんな映画を作る監督が出てきたのか」と感動した覚えがある。これまでにも何度か引き合いに出してきたように、私が日本映画界に望むのはこのような視点の戦争映画である。その後「プラトーン」はテレビなどで再三放映されているので見ておられる方も多いであろう。その後オリバー・ストーンとのコンビで作られた作品には「7月4日に生まれて」がある。同じくベトナム戦争モノである。車椅子で帰国したトム・クルーズ演ずる主人公が、戦場で誤って射殺した戦友の両親を訪ねて謝罪するという重たい内容の後、反戦活動に目覚め、遂には民主党から政治の世界に入っていくという内容であった。ここでのウィレム・デフォーは脇役に徹しており、前半自堕落に落ち入った主人公と共に、半身不随の車椅子で酒とマリファナに溺れるヒッピーのような生活を送るという役である。

これらのオリバー・ストーンの作品の影に隠れて目立たないが、1989年年に作られた「カジュアリティーズ」(Casualties of War ブライアン・デ・パルマ監督) はプラトーン以上の衝撃を私に与えた。マイケル・J・フォックス 、ショーン・ペン 主演のこの映画を皆さんに是非見て頂きたいと思う。決して後味の良い映画ではない。が、我々日本人が深く考えなければならない主題を扱った映画である。

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2010年04月18日

映画「ひまわり」と「シェルブールの雨傘」

その昔NHKのドキュメンタリー番組で、戦時中シベリアに抑留されていたある日本兵が、釈放後現地にとどまって結婚し、ロシア国籍を得たという話をやっていたことがある。この話に限らず、同じようなことは世界中にいくらもあったことであろう。もし彼が日本に妻や恋人、言い名付けを残していたとしたら、それは映画「ひまわり」のシチュエーションとまったく同じだと言うことになる。

戦争がある限り、いつ何処で起きてもおかしくないこのような悲劇を描いたのが、映画「ひまわり」と「シェルブールの雨傘」である。どちらもストーリーは極めて単純であるが、美しいテーマ音楽も相まって感動的なヒット作となった。声高に「反戦」を訴えるような映画ではないが、それだけにしみじみと心に訴えかけるものがある。

「ひまわり」で秀逸なのが、ロシアの停車場で二人が再会するシーンの「数カット」だ。名優マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの見せる表情はさすがだった。どちらも完璧な演技だった。へたな日本の若手俳優だったら「台なし」になるようなシーンである。もし日本人であの場面を撮るとしたら、個人的には高倉健を使いたいと思う。となると、女優は倍賞千恵子ということになるか?やっぱり。

もうひとつ演技・演出で凄いなと思ったのは、夫を訪ね歩いて最後に見つけた一軒の家で、主人公が見知らぬ女(夫の現在の妻)と出会うシーンだ。持参した夫の写真を見せると、とたんに動揺する現在の妻。ふと戸口を見ると小さな女の子が立っている。この時のソフィア・ローレンの、一瞬で何もかも状況を悟った、といったような表情。更に招き入れられた家の中にある粗末なベッド、そしてその上にある二つの枕。それを一瞥した時に見せるソフィア・ローレンの迫真の演技・・・嫉妬・絶望・怒り・悲しみ・・・これらをすべて含んだ「女の葛藤」を表現する難しい演技を全力で演じていた。実を言うとソフィア・ローレンはさほど好きな女優ではなかったのだが、この映画での演技力はさすがだと思った。

戦争に取られた恋人を待ちきれなくて、他の男と恋に落ち結婚するという、これまた世界中で無数にあったであろう(現在この時にも起きているであろう)話を描いたのが「シェルブールの雨傘」だ。この映画を見た当時、カトリーヌ・ドヌーブの美しさには目を見張った。子供心に、これほど美しい女性がいるのか、という感じであった。

余談であるが最近中国では「口パク」に罰金が課せられる事になったと言う。その「口パク」の元祖とも言えるのがこの「シェルブールの雨傘」である。またシェルブールと言えば思い出すのが、危険な再処理核燃料を日本に向けて送り出した「軍港」であるということか。
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2010年06月10日

再び「南京!南京!」

映画「南京!南京!」の、日本での配給会社が決まり、公開の目処が立ったという話を聞いてから久しいが、未だに上映される気配がない。またしても右翼や政治家の「横槍」が入ったのだろうか?残念である。この映画については以前にも一度エントリーで取り上げたことがあるのでまずご覧願いたい。

<「南京!南京!」>
http://takashichan.seesaa.net/article/132161723.html

ところがこの作品の全編がここのところ次々と、それも複数の人々によってYouTubeにアップされている。この映画の価値と芸術性が注目されている証左であろう。それぞれのYouTubeサイトのコメント欄にも、全世界から概ね真摯な感想が書き綴られているようだ。前にご紹介した中国サイトの動画に比べて再生状態が良好なので、皆さんには再度こちらでの鑑賞をお薦めする※注)。

Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 01
http://www.youtube.com/watch?v=rfm3graENB4
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 02
http://www.youtube.com/watch?v=jRm8y8Ja3xU
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 03
http://www.youtube.com/watch?v=QlwhFWUORXE
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 04
http://www.youtube.com/watch?v=L4m-Bn6CAGw
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 05
http://www.youtube.com/watch?v=Z1XR_pbRUz8
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 06
http://www.youtube.com/watch?v=qIjP1gU5VVQ
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 07
http://www.youtube.com/watch?v=yVzB-9f5mJQ
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 08
http://www.youtube.com/watch?v=jJEwn-8Notk
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 09
http://www.youtube.com/watch?v=x2HwKx6RwlI
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 10
http://www.youtube.com/watch?v=T7c8B5k--aU
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 11
http://www.youtube.com/watch?v=sJVB5QB-wZM
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 12
http://www.youtube.com/watch?v=HLqBOOrfzCM
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 13
http://www.youtube.com/watch?v=lzYjzFU8Ys0
Nanking! Nanking! - City Of Life And Death 14
http://www.youtube.com/watch?v=229VlARudlw
参考動画
In the Name of the Emperor
http://www.youtube.com/watch?v=OFGu7K_9cuU


今回YouTubeで見直してみて、前に書いたエントリーに間違いがあるのに気づいた。それは角川が慰安婦の百合子と3度目に合うシーンである。彼が粗末な慰安小屋で再開した百合子は、どうも百合子ではないようなのだ。角川の「百合子さん、何故こんなところに?」というセリフで、私は彼女が百合子だとばかり思っていたが、そうではないのだ。ここでの百合子は、少し前のシーンで南京市安全区で「狩られた」百合子によく似た中国人女性だったのだ。是非皆さんも確認してご報告をお願いしたい。

※注)現在、YouYubeの画像はすべて削除されている。以下の搜狐公司の頁では、良好な完全版が公開されているので、こちらがお薦めである。
http://tv.sohu.com/20090527/n264199426.shtml



posted by takashi at 10:04 | Comment(15) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月07日

映画のアンチ・リアリズム

昔「ゴッドファーザー」にこんなシーンがあった。ヒットマンの男が、レストランで食事中の、敵対するボスを襲う。ボスは仲間3人と楽しそうに食事をしている。そこにコートを着たヒットマンが、つかつかと歩み寄り、ベレッタであろうか?小型の拳銃でボスの額を撃ち抜く。ボスはあっけに取られたような顔をし、首元に挟んでいたナプキンを外し、よろよろと立ち上がる。額の真ん中には銃弾が貫通した穴が開いている。そして彼はあろうことか2、3歩前に進み出たのち、ばったりとこと切れる。

さて、人間が頭を撃ち抜かれた場合、果たしてこんな死に方をするものだろうか?どんな小型の拳銃でも、至近距離から額の真ん中を撃ち抜いた場合、かなりの銃瘡が付く。弾の入り口は小さくとも後頭部の出口は10センチほどになるだろう。脳内を貫通する際に弾は回転しながら間違いなく「脳幹」を滅茶苦茶に破壊する。

そのような状態で果たして人間は意識を保ったまま、ナプキンを外したうえで2、3歩あるく、などということが出来るものであろうか?出来る訳がない。「ゴッドファーザー」のこのシーンには全くリアリティがないということになる。人間が頭を撃たれる事件が日常茶飯事であるようなアメリカで何故、映画の演出者(それもあのフランシス・コッポラ!)は、こんな間違いを犯すのだろう?私はそれが以前から不思議でしかたがなかった。

では、人間が頭を撃ち抜かれた場合、どんな死に方をするのだろう?正解は「その場に崩れ落ちる」である。脳を破壊された「瞬間」に、人間の意識はもはや存在しない。全身の筋肉が完全に「弛緩」し、人形師が手を離したマリオネットのように「一個の物体」と化す。これは例えて言えば「パソコンの電源」を一気に落とすようなものである。ちなみに脳が破壊されない場合、例えばギロチンや日本刀で首を落とされた場合、脳内に酸素が残っているしばらくの間(数秒かそこららしいが)首の方には意識があるらしい。だから日本刀で首を落とされる人間が最後に見るシーンというのは、自分の目の前に迫ってくる「地面」の映像と、数秒間の「低い位置から見るこの世の風景」ということになる。

さて、頭を撃ち抜かれた人間が、どのような死に方をするか、その実物を私は映像で見たことがある。次のサイトの中ほどにある、米ペンシルヴァニア州財務局長のR.バド・ドワイヤーの拳銃自殺である。何と!当時、この事件の瞬間は、日本のテレビ局でも放映されたのだ。思えば放送コードというものは、あの頃かなり緩かったのだ。現代で言うならばこれは、テロリストに生首を切り落とされる人質の映像を、茶の間に流すようなものだった。
http://x51.org/x/07/08/1331.php?page=3
>収賄容疑で有罪判決を受けたドワイヤーは、記者会見を開いて無実を主張した。そして一通りの発表を終えると、記者団が見守るその中で、おもむろに手に封筒の中から 44マグナムを取り出したのである。会場は騒然とし、「止めろ!」「早まるな!」といった声が飛ぶなか、ドワイヤーは冷静に銃口を加え(ママ)、そのままあっけなく自殺したのだった。脳みそが吹き飛び、鼻から多量の血を流し続けるドワイヤーの姿は、間もなく、全米にテレビ放映された。

私はその瞬間をはっきりと見た。そしてその時以来「脳を撃ち抜いたとき人間はこんな風に死ぬものなのか」ということを知った。彼はマグナムを口にくわえ、自分の脳天めがけて引き金を引いた。その瞬間背景の壁が一瞬にして血で染まった。それと全く「同時」に彼は「物体」と化して床に崩れ落ちたのだ。以下の映像は心して見ていただきたい。
http://snardfarker.ning.com/video/budd-dwyer-suicide

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読者の皆さん、頭を撃たれた人間は、痛そうに顔を歪めたりはしません。苦しそうに2,3歩あるくこともありません。それがリアリズムです。このリアリズムを「無視」した映画が、先の「ゴッドファーザー」以外にも一杯あります。中にはその辺をよく理解している制作者が、しっかりと考証して作ったものもありますが(例・・・戦場のピアニスト)、8割の作品は脳を撃たれた人間が苦しそうにもがき苦しみながら死んでいきます。実は人が頭を撃たれる実写画像はYouTubeなどでも見ることができます。多くは第二次大戦中の「捕虜処刑」の実写フィルムです。頭を撃たれた捕虜は100パーセント、その場に「崩れ落ちて」死んでいます。
 
posted by takashi at 14:48 | Comment(15) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

懐かしの映画2

アンソニー・ホプキンスという俳優は、古くから名作映画に出演しているが、何といっても1991年の「羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)」で一躍有名になった名優である。その内容のショッキングさは当時話題となったが、それ以上にホプキンスの演技が光っていた。2001年の「ハンニバル(Hannibal)」は、それに輪をかけたグロテスクな作品だ。そのあまりの残酷な内容に「羊たち・・・」に出演していたジョディ・フォスターが降板したとかしないとか、その辺の理由は定かではないらしいが。そのため二作目の「ハンニバル」では、ジュリアン・ムーアがFBI捜査官クラリス役を演じた。

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「ハンニバル」のグロテスクさは簡単に評し難いものがある。イタリアの古い城の窓に、腹から内蔵をぶちまけられた刑事が首を吊られてぶら下がるわ、クラリスの上司の捜査官は、薬で「夢心地」にされながら、頭蓋骨を剥ぎ取られ、切り取られた「自分の脳」を食わされてウマそうな顔をするわ・・・。

レクター博士は今でも私のトラウマになっている。それは例えば、バッハのゴルトベルク変奏曲のアリアをピアノ演奏で聴くと、レクター博士を思い出してしまう、といった具合だ。理由はもちろん「羊たち・・・」の映画の中で、レクター博士がこの曲を「不気味に」弾いているからだ。あれ以来バッハのこの曲が「不気味」に思うようになってしまった。特にピアノでゆっくりと弾かれる演奏を聴いた時など、決まって映画のシーンを思い出してしまう。

映画の役柄が俳優を「食ってしまう」ということは往々にしてあるものだ。渥美清といえば寅さん、デビッド・ジャンセンと言えばリチャード・キンブル、ビック・モローと言えばサンダース軍曹といった具合に。その中でもアンソニー・ホプキンスのハンニバル・レクター博士の印象はあまりに強すぎる。あれ以来どんな映画に出ているホプキンスを見てもレクター博士のイメージがちらついてしまう。例えば「日の名残り(THE REMAINS OF THE DAY)」のような物静かな佳作での温和な執事役などを見ていても、いつナイフを取り出してヒロインの腹を割くのではないだろうか、と思ってしまう(笑)。
posted by takashi at 15:23 | Comment(3) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヘレン・メリルと青江三奈

昔からヘレン・メリルの声が、青江三奈にそっくりだなあと思っていた。もっとも青江三奈の方が「真似」していたのだろうけれども(笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=YM0PhsP7ulk
で、捜してみたら青江三奈が歌うヘレン・メリルの曲がYouTubeにあった。
http://www.youtube.com/watch?v=t5FdcDDkk6U
でも正直、聴いてみて「ガッカリ」した。青江さん、あなたどうしてそんなにテンポ感がないの?バックのオーケストラが苦笑いしながら困っていますよ(笑)。

日本の演歌歌手でジャズを歌わせてピカイチなのは、美空ひばりであろう。彼女にはスタンダードジャズのCDが2枚あって、私はその両方を持っているが「リズム感」「スイング感」「音程」は完璧である。おまけに英語の発音が素晴らしい。ひばりは英語を話せなかったらしいが、歌う時の英語はほとんどネイティブに近い自然さがある。
 
posted by takashi at 17:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

赤とんぼ 大明神 大神宮・・・日本の歌のことなど

生粋の江戸っ子のイントネーションを聞いていると、我々地方出身者が「標準語」だと思い込んでいるものとはずいぶん違うことがある。「あかとんぼ」「だいみょうじん」「だいじんぐう」・・・これらの言葉のアクセントは、江戸弁ではそれぞれ一音節目の「あ・だ・だ」にある。このことに私が気づいたのは実は、圓生・志ん生・文楽などの落語を好きで聴くようになってからだ。もう三人とも物故者であるが、幸いテープ、CDなどが多く残っている。皆さんも一度聞いてみて欲しい。大神宮の「発音」が聞ける話は「富久」だ。幇間(たいこもち)の久蔵が、買った富くじを神棚の「大神宮様」に上げるからだ。また「赤とんぼ」は、どの噺だったか忘れたが、志ん生の「枕」の中で聴くことが出来る(※注。あまり知られていないことだが意外にも、江戸落語の大看板「六代目圓生」は大阪生まれ、幼少の頃は義太夫語りを志していたという。一方「八代目文楽」は青森県の生まれである。二人共一体どうやって訛りを克服したのであろうか?

※注)「饅頭恐い」 (五代目古今亭志ん生) http://www.youtube.com/watch?v=uM_mNLENpCY

ところで話は変わるが、日本の「歌」は諸外国とは違い、メロディラインが日本語のアーティキュレーション(抑揚)に制約されることが多い。これは、明治時代の「唱歌」において、そのような「作曲法」が良しとされ、奨励されたからだというが、この伝統は江戸時代以前からもちろんあった。

しかしここで妙なことが起きる。それはその歌の作曲家の「出身地」によりメロディラインに違いが出てくる、ということだ。実を言うと上に挙げた志ん生の「赤とんぼ」のイントネーションは、童謡「赤とんぼ」のメロディラインと同じだ。その理由は、作曲者の山田耕筰が東京生まれの東京育ちだからなのだ。ということは大阪生まれで大阪育ちの作曲家の作った歌は、大阪弁のメロディになるのか?と言うと、実にその通り。これが面白いほど全くその通りなのだ。例えば同じ「赤とんぼ」でも「あのねのね」。言っておくが、最近の例えばサザンオールスターズの歌は、日本語のイントネーションを完全に無視している、あれは別格だ。なにしろ黙って聞いていると英語のように聞こえる。松任谷由実にしてもそう。日本語のイントネーションなどハナから無視している。だが、現代でも演歌などは日本語のイントネーションをかなり踏襲した曲が多い。一昔前のフォークソングにしてもそうだ。演歌でよく引き合いに出されるのは、ちあきなおみの「喝采」であろう。この歌の歌詞を、曲のイントネーションで「しゃべって」みて欲しい。関西弁の抑揚になっているはずだ。その理由はこの曲の作曲家が、関西生まれの関西育ちだからなのだ。

【喝采】
いつものように 幕が開き
恋の歌 うたう私に
届いた報せは 黒いふちどりがありました
あれは三年前 止めるアナタ駅に残し
動き始めた汽車に ひとり飛びのった
ひなびた町の昼下がり
教会の前にたたずみ
喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた

はしだのりひこの「風」も関西弁である。「旅に」「風が」の部分のイントネーションがもろに「関西弁」である。

【風】
人は誰もただ一人旅に出て
人は誰もふるさとを振り返る
ちょっぴりさみしくて振り返っても
そこにはただ風が吹いているだけ
人は誰も 人生につまずいて
人は誰も 夢やぶれ振り返る

ただし日本語の歌には、ある「限界」がある。それは一番の歌詞で、ほぼ言葉の抑揚通りのメロディが出来上がったとしても、二番以降そうはならないことが多いのである。その場合、普通は二番以降が「犠牲」にされる。前出の山田耕筰は、それを潔しとせず一番と二番のメロディを変えて作曲したというのは有名な話だ。蛇足だが、江戸時代の音曲のうち「都々逸」「小唄」「端唄」は東京弁の抑揚で歌われ、それに対して「義太夫」は大阪弁の抑揚で語られる。

今朝の別れに 主の羽織がかくれんぼ

この酒を 止めちゃ嫌だよ 酔わせておくれ まさかしらふじゃ 言いにくい

ヨーロッパ音楽においては昔から、音楽と言葉は単純にアクセントのみが一致すれば良かった。つまり単語のアクセントが音楽のほぼ「強拍」に来るのみで良しとされる。このことはヨーロッパ音楽(歌)の利点である。日本語のように「抑揚」の制約がないぶん、メロディの可能性がより多くなるからだ。例えばヘンデルの「Hallelujah」のメロディでは「Ha」の音高が低かろうが高かろうが「lu」にアクセントがありさえすればよい、ということになる。ドイツ語の「Allelijah」もアクセントは同じなので、メロディが同じでも問題はない。そのかわり「Telephon(e)」という単語のように、英語とドイツ語でアクセントが違う場合は、メロディラインも違ってくることになる。

このような事情で、ヨーロッパの歌を日本語に「翻訳する」という作業は、とてつもなく大変な作業だと思う。まず、元のメロディラインにぴったり合った(あるいは少なくとも不自然ではない)抑揚の日本語の単語を当てなくてはならない。またヨーロッパ言語のような「音節」の少ない言葉を「音節」の多い日本語に置き換える作業も大変だ。尤もそこはよく出来たもので、日本語の場合は「省略」が効く。「言外の言」や「含み」を持った言い回しが多いからだ。主語の省略などもありがたい習慣だ。問題は、そうやって「翻訳」された歌詞の「意味」が、元の歌詞と合っていなくてはならないことだ。ヨドバシカメラみたいな「替え歌」では困るわけだ。この「意訳」という意味で、私が素晴らしい訳詞だと思っている例を最後に挙げてみようと思う。それは、なかにし礼作詞(訳詞)の「知りたくないの」である。はっきり言って「翻訳」としては飛んでいるが、日本語の「格調」とメロディとの「調和」において、文句のつけようがない。

【知りたくないの】
あなたの過去など 知りたくないの
済んでしまったことは
仕方ないじゃないの
あの人のことは 忘れてほしい
たとえこの私が 聞いても言わないで

あなたの愛が 真実(まこと)なら
ただそれだけで うれしいの
ああ 愛しているから
知りたくないの
早く昔の恋を 忘れてほしいの

【I really don't want know】
How many arms have held you
And hated to let you go
How many, how many, I wonder
But I really don't want know

How many lips have kissed you
And set your soul aglow
How many, how many,I wonder
But I really don't want to know

posted by takashi at 02:35 | Comment(8) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月13日

懐かしの映画3

CS放送で「カジュアリティーズ(Casualties of War)」を久しぶりに見た。ベトナム戦争での実話を元に作られた映画である。マイケル・J・フォックスの苦悩に満ちた演技と、主犯格の極悪人軍曹を演じるショーン・ペンの演技が素晴らしい。以前エントリーで触れた「プラトーン(Platoon)」と並んで、私はベトナム戦争を描いた作品の「白眉」だと思っている。

<懐かしの映画1>
http://takashichan.seesaa.net/article/138292132.html

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あらすじ(Goo映画より)
74年、ヴェトナム帰還兵のエリックンン(マイケル・J・フォックス)は、電車(管理人注・・・実際はバス)の向かいに座るアジア人の女学生の姿に思わずハッとする--66年、ヴェトナムの戦場にいたエリックソンは敵の掘ったトンネルに落ち、身動きできないでいた。そんな危機一髪の彼を救ったのは上官のミザーヴ軍曹(ショーン・ペン)だった。それから間もなく帰還間近の無線係ブラウン(エリック・キング)が狙撃され死んだ。怒りに狂う仲間たちは、手当たり次第にヴェトナムの村人を射殺した。そんなある夜、基地に戻った小隊は中央ヴェトナム高地の偵察パトロールを命じられる。出発前ミザーヴはヴェトナムの少女をさらってレイプしようと提案、エリックソンは耳を疑うが、実際に若い娘オアン(ツイ・ツウ・リー)を誘拐し、彼女はエリックソンを除く4人の仲間たち、ミザーヴ、クラーク(ドン・ハーヴェイ)、ハッチャー(ジョン・C・ライリー)、ディアズ(ジョン・レグイザモ)に犯されてしまう。傷ついた娘をいたわることしかできないエリックソンは、仲間の留守中に彼女を逃がそうとするが、それも失敗に終わった。やがて小隊は対岸に北ヴェトナム軍の陣地がある河のほとりにやってきた。そして激しい銃撃戦の中、誘拐と暴行の証拠を消すため、オアンはミザーヴ軍曹の命令で射殺されるのだった。基地に戻ったエリックソンは、事件を軍の上層部に訴えるが、上官たちは彼を相手にしない。そんな折、小隊の4人によって命を狙われたエリックソンは、ついに事件の全貌を隊の牧師に訴える。そしてそれをきっかけにして軍による正式な捜査が始まった。ミザーヴ軍曹ら4人の兵士たちは軍法会議にかけられ刑期を科せられた--電車がとまりエリックソンは我にかえった。前に座っていた女学生(T・T・リー=二役)に続いて彼も下車した。目前に広がる平和なキャンパスの風景に、ひとときエリックソンの心が和むのだった。
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さて英語の題名の「Casualties of War」であるが一体どう翻訳したら良い言葉なのだろう?手元の最新コンサイス英和辞典(昭和43年版)によると「Casualty」とは「不慮の出来事」、複数形「Casualties」は「死傷者の数」と出ている。ちなみに Webster's New Practical School Dictionary には
1.Chance,Accident
2.An unfortunate occurrence
と出ている。さらにThe New Horizon Ladder Dictionary では one hurt or killedとなっている。まあ最大公約数的に翻訳すると「戦争の被害者」とでもなるのだろうか?しかしこの「被害者」とは、果たしてベトナム人少女のことを指しているのだろうか?私にはむしろこの映画に描かれた兵隊達を指しているように思えて仕方がない。いずれにしても「意味深」な題名だと思う。これについて、英語に詳しい人がいたら教えて欲しい。

それはさておき、これは第二次大戦中、日本陸軍が「常套手段」としていた「女性の現地調達」を描いた映画であり、日本人なら一度は見ておくべき映画だ。アメリカ映画がまんざらでないと思うのは、このような「告発映画」が、何だかんだ言いながら一部の映画人によって常に作られ続けることだと思っている。マイケル・ムーアをはじめとした良心的な映画人が確実に存在する。翻ってわが祖国日本は・・・。やめておこう、虚しくなる。

主役の一人を演じたショーン・ペンであるが、彼はちょっとイカれた若者、犯罪者、精神異常者などを演じさせたら天下一品である。ちなみに彼は自然保護団体の「シー・シェパード」の支援者の一人だとか。
http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2680528/5138181

「プラトーン」においては、チャーリー・シーン演じる新兵は、良き上官エリアスと、反面教師バーンズという二人を通して「正義」に目覚めていくが「カジュアリティーズ」では、周りの全員が犯罪に加担する中、主人公だけが「良心」を貫いていくというところが、悲愴で辛い。けっして後味の良い映画ではないが、皆さんも一度見ておくことをお薦めする。


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2011年08月07日

黒い太陽731


黒い太陽731



今年も、戦争を考える季節がまたやってきました。
日本人が行なった「加害」の事実を、我々はもっと見つめなくてはいけません。
そうしなければ、広島も長崎も、全世界は「天罰」としか見ないでしょう。


日本語吹き替え版






英語版全編

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2011年08月22日

ボーイソプラノ礼賛

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突然だが皆さん、ボーイソプラノはお好きだろうか?私は大好きである。まさに「天使の歌声」だからだ。ただし、こういったことは公言しないほうがよろしいのかも知れない。つまりボーイソプラノ愛好家の中には、少なからず「そのスジの人」が多いようだからである。もちろん私は、純粋に音楽的にボーイソプラノが好きなだけであるからどうかご安心を。

さて、私が古楽愛好家であり、バッハ愛好家であることをご存知の読者も多いと思う。

バッハの声楽曲というものは、ごく少ない例外を除いて、女性ソプラノではなくボーイソプラノのために書かれている。当時、ドイツの教会では女性が歌うことはなかったのである。ソプラノは少年、アルトは少年もしくはカウンターテノールが歌う、と決まっていた。現代では、コンサートでもCD録音でも女性が主流だが、実はこれは間違いなのである。言ってみれば、歌舞伎の女形を女性が演じるようなもので、伝統の破壊と言って差し支えないものである。

バッハ・カンタータ全集は、カール・リヒター、ヘルムート・リリング、トン・コープマン、鈴木雅明、クリストファー・ホグウッドなどが録音している。私が所有しているのは、グスタフ・レオンハルトとニコラウス・アルノンクールのCD全集だ。これは、テルフンケンというレーベルで、1970年から1988年の18年にかけて、レオンハルトとアルノンクールが、曲目を分担し合って録音したものである。もともとLPレコードで発売された全集で、全曲楽譜付き(旧バッハ全集)という豪華なものであった。私は、アナログレコード盤は、かろうじて1セットのみ持っているが、当時、私にはお金持ちの友達が二人いて(ふたりともお医者さん)自宅へ行くと棚にこのシリーズが全巻ズラーッと並んでいて、実に羨ましかったものだ。

私の知る限りでは、このシリーズのみが、ソロも合唱もボーイソプラノで録音した唯一のバッハのカンタータ全集である。レオンハルトはテルツ少年合唱団、アルノンクールはウィーン少年合唱団を起用している。なお、レオンハルトは「マタイ受難曲」も、ボーイソプラノのみで録音しているので必聴である。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001GM7IZG

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ボーイソプラノの魅力はその「はかなさ」にあると言える。声変わりまでの、ほんの数年間がその生命なのだ。6〜8歳ころから訓練をはじめて、早ければ12〜3歳で、突然にその生命は潰える。アルノンクールもレオンハルトも、したがってなるべく多くの少年ソリストを、それぞれの合唱団から選りすぐり、その声質にふさわしい曲を充てている。一人ひとりに少ない数の曲を与え、集中的に特訓をしたのだろう。録音の本番中に突然、変声期を迎える可能性もある。あしかけ18年に上る録音期間に、だから多数のボーイソプラノが入れ替わっている。「天使の歌声」は、ある日突然、天国に帰ってしまうのである。つまり、ボーイソプラノの録音は「時間との戦い」である。女性をソリストに使っている録音では、このような苦労は全くない。全集をひとりで歌うことだって出来るだろう。

現在、オリジナル楽器で演奏されたバッハカンタータ全集は、このシリーズに加え、トン・コープマン、鈴木雅明、クリストファー・ホグウッドがあるのだが、真の意味で「オリジナル」演奏と言えるのは、レオンハルト/アルノンクール盤以外にない。オーケストラの演奏自体は、例えばコープマンのアムステルダム・バロックオーケストラや、鈴木雅明のバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏のほうがはるかに上を行っているだろう。特にアルノンクールのウィーン・コンセントムジクスは、木管楽器奏者の技量においてかなり劣っており、これがまさに「玉に瑕」だと言える。レオンハルト合奏団の方は、フランス・ブリュッヘンを始めとした名人上手が揃っていて、全く問題はない。しかし、それを差し引いたとしても、ボーイソプラノの起用ということ一つでこのシリーズは、まさに「金字塔」を打ち立てている。

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2011年09月20日

ジョン・デンバーのこと


アメリカの音楽と言えば、まず何よりも「JAZZ」である。

JAZZには及ばないものの、アメリカを象徴するもう一つの音楽は「カントリー」ではないかと思う。JAZZにくらべてカントリーは「保守的」な音楽と見られてきた。主に南部で発展した「白人」の音楽であることが、その理由。元々アイルランド・スコットランド系の移民が演奏していたものが、ブルーグラスや、現代のカントリーウェスタンに発展した。一般にメロディックで、アコースティックなサウンドが特徴だ。それらは、ボブ・ディランやジョーン・バエズなどといった「フォーク」の系譜にも繋がっている。そのことから言えば、必ずしも「保守的」ではなく、アメリカの中の「反体制」にも支持されて来たのが、このカントリーミュージックである。我らがジョン・デンバー然り。尤も彼を「反体制」と呼ぶのは、ちょっと買いかぶり過ぎかも知れないが・・・。

ジョン・デンバーに惹かれたのは10代の頃か?その音楽の明るさ、人柄、そしてメロディの何とも言えない美しさが、私の心を捉えた。「カントリーロード」「太陽を背に受けて」「緑の風のアニー」「悲しみのジェットプレーン」・・・。自然保護活動にも熱心だった彼は、ジャック・クストー船長の「カリプソ号」を歌った歌もある。

その彼が、自ら操縦する小型ジェット機で消息を絶ってから、もう四半世紀が経とうとしている。「悲しみのジェットプレーン」を地で行く最期が、なんとも悲しい。







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2011年09月23日

バッハのゼクエンツについて

バロック音楽の魅力の一つに「ゼクエンツ(Sequenz)」というものがある。何もバロック音楽に限ったものではないのだが、ことさらバロック期(特に後期バロック)に多用された。これは主に「七の和音」の連続により、所謂「終止的結合」を数回繰り返し、その和声に乗って一声部もしくは数声部で同じ音型が反復されるものである。このゼクエンツというものは、人間の「感覚」に訴える効果を持った技法である。ゼクエンツの例をいくつか揚げてみる。

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲第1楽章より
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ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲イ短調より
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このように反復される音型と終止的結合により、一種の「解放感」と次への「期待感」が惹起されるのである。しかし、人間の感覚とは不思議なもので、快い音型もあまり多く繰り返されると、とたんに「不快」を催し始める。ゼクエンツをあまりに際限なく、3回4回、ひどい場合には5回も繰り返す曲が、例えばヴィヴァルディには見られる。この場合、我々はむしろ「嫌悪感」を催すことになる。その楽曲への魅力が、とたんに「半減」してしまうだけではない。その作曲家を「二流」と判断する原因となってしまうのだ。

私の経験では、最も快いゼクエンツの回数は2.5回である。ある音型が2回連続して現れると、人は言いようもない「快感」を覚える。そしてそれがもう一回出て来て欲しい、という感覚に囚われる。そして予想通り3回目にも現れる。ところが3回目の後半にそれが裏切られるのである。そしてこの「裏切り」が、さらなる「快感」を演出するのだ。これを見抜いて見事に実践しているのがバッハなのだ。バッハに於いてはゼクエンツは多くても3回までである。2回の場合もある。多くは3回目の途中から別の音型に変わる。すなわち「2.5回」というわけなのだ。


バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調第一楽章より
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バッハ:フーガト短調よりBach_Fugueg.jpg
バッハ:マタイ受難曲アリア「Gebt Mir Meinen Jesum Wieder」より
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3つ目の例においても、伴奏部は既に3小節目の後半から別の動きに入っていることが、楽譜から確認できるであろう。これらのバッハのゼクエンツを聴いて感動を催さない者はいない。バッハがこの地上で尤も偉大な作曲家であることの所以のひとつである。






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2011年11月11日

「カジュアリティーズ」再考

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「部隊がやったことは村々の襲撃、略奪、暴行、殺人でした。ある部落で乳飲み子を抱えた30歳前後の女性を拉致し、連日乱暴するため一緒に行軍させました。逃げ出さないように女性は裸です。ひとりの兵士が赤ん坊が邪魔だと谷底に投げ捨てると、女性は後を追って身を投げました」(2011年11月2日「しんぶん赤旗」)
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元日本軍兵士、今年91歳の近藤一氏の証言です。多くの兵士が生涯「沈黙」を守って死んでいく中で、氏の行動は、誠に勇気のあることだと思います。

さて、この話、どこかで聞いたことありませんか?そうです、このブログでも2回にわたってご紹介したことのあるアメリカ映画「カジュアリティーズ」(ブライアン・デ・パルマ監督)です。他にコメント欄でも、ことあるごとに触れたことがあります。

懐かしの映画1
http://takashichan.seesaa.net/article/138292132.html
懐かしの映画3
http://takashichan.seesaa.net/article/162531794.html

この映画と同じことを、日本軍はやっていたのですね。ネトウヨのうちの何人かは「このような強姦事件が起きないように日本軍は『慰安所』を作って、慰安婦を囲っていた。基本的に日本軍は慰安婦を行軍に連れて歩くことはなかった。」などと、何の根拠もないのにほざいておりました。これが大嘘であることがこの証言からはっきりしました。同様の証言は、他でも見ることは出来ます。私たちは、私たちの祖父の世代が行なった「犯罪」にもっと正面から向き合わなければなりません。目を背けずに見ることで、私たちに「未来への目」を開かせてくれるのだと思います。

さしあたって「南京!南京!」「ジョン・ラーベ」などの映画の一般公開が実現することを希望いたします。

posted by takashi at 12:00 | Comment(7) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

バッハを扱ったいくつかの映画

まずは1960年西ドイツ製作の「アンナ マクダレーナ バッハの年代記 Chronik Der Anna Magdalena Bach」。



主演は、チェンバリストのグスタフ・レオンハルト。この映画は、かなり賛否両論の別れる映画である。良くも悪くも、個性的な映画であることは確かだ。まず気付くことは「カメラが動かない」ということ。基本的にカメラは固定で、わずかにズームが用いられるだけでカットが極端に少ない。そんな訳で観客はまるで、何枚かの白黒写真を次々に見せられているような錯覚すら覚える。物語は、バッハの二人目の妻、アンナ・マグダレーナが、バッハの音楽や日常生活を回想する、という形をとっている。随所に演奏の場面が散りばめられており、これが当時の古楽ファンにはたまらなかった。私自身の感想を述べると、この作品は「不可」である。なにせ、レオンハルトのバッハというのが、どうにもいただけない。何しろ彼の「細おもて」の顔が、さっぱりバッハに似ていないからだ。この映画は、ストーリーというものが無いので、おそらく当時勃興し始めた「オリジナル楽器」愛好家のための、マニアックな映画として作られたのではないか、という気がする。


バッハを描いた映画の中で、間違いなく最高なのは、東ドイツとチェコスロバキアの合作で、1980年代に作られた「Johan Sebastian Bach」だろう。






 
バッハを演じているUlrich Theinの演技が実に素晴らしい。顔がとにかくバッハに似ているし、バッハそのものになり切っている感じ。喋り方もバッハそっくり(多分あのように喋っただろうという意味だが)。もう20年前に見た映画だが、特に印象に残っているのは、ドレスデンでのルイ・マルシャンとのエピソードである。まず、マルシャンが実に「ショーアップ」の巧い「遊び人」風に描かれている。サロン演奏会で、彼が弾く「フランス風序曲」が、やたらとカッコイイ曲だったのも強く印象に残っている。その演奏を屋根裏から盗み聞きしていたバッハが、マルシャンの演奏や曲には目もくれず「あのジルバーマンの楽器は素晴らしい」というのが笑えた。マルシャンは女癖も悪く、ある日、宮廷の若い女性を口説こうとしていた。そこに「対戦相手」のバッハがチェンバロを「調律」する音が聞こえてくる。それを聞いたマルシャンは、ハッとし「あの調律法は一体何なのだ!」と言ったきり、荷物をまとめてドレスデンを去ってしまう。そのあとは、バッハが一人で「幻想曲ハ短調」を意気揚々とサロンで弾くシーン。他にもバッハの生涯の有名なエピソードが紹介されており、映画としても充分見応えがある。


時代はグッと下って2004年製作のドイツ・フランス・スイス合作「Mein name ist bach」。
(スペイン語吹き替え版)

 

私は、この映画がとにかく分からない。他と違うのは、バッハの晩年1747年に、ベルリンを訪問した一週間あまりの滞在時間のみを描いているということ。私がこの作品に感じる違和感の第一。バッハはまず「旅姿のまま」でフリードリッヒ二世のサンスーシー宮殿に呼ばれるが、そこでのバッハの大王に対する立ち居振る舞いが、あまりに「粗暴」なのだ。たとえ息子と同じ年令だとは言え、相手は「一国の王」であって息子の「雇い主」である。あまりに礼を失しているのではないか、と思えるその態度。バッハは頑固ではあっても、絶対に「無礼」な人間ではなかったはずである。この映画でバッハを演じている役者は、バッハに全然似ていないし、どっちかというと「スクルージ」役が似合いそうな「悪党ヅラ」である。もうこれだけで、この映画は見る価値がないと思う。

何より驚いたのは、サンスーシー宮廷でフォルテピアノを試奏する、歴史的にも有名なあの場面。大王が与えた例の有名なテーマで、何故か結局「即興演奏」を「やらない」という意外なストーリー展開。一番の「山場」であるはずの、このシーンを変えた意味は一体何なのだろう?史実では、バッハは大王のテーマで、即座に「三声のフーガ」を弾いたはずだ。大王が「次は六声のフーガを」と言ったときに、始めて丁重に「辞退」し、代わりに自分のテーマで即興を行なった、というのが世に伝わる史実のはずだ。ところがこの映画では、終始バッハは不機嫌で、結局何も演奏せずに、息子のエマヌエルの家へ引き上げてしまう。

他にも、ストーリーを面白くするためなのかは知らないが(私には返って内容が台無しになっているように思えるのだが)長男フリーデマンが、大王の妹にちょっかいを出したり、弟のエマヌエルと確執を起こしたりと、フィクションを次々に挿入してくる。その中で一番酷いのが、フリーデマンや大王の妹がフォルテピアノで弾くデタラメな曲だ。フリーデマンは、まるでショパンのパロディみたいなのを弾くし、大王の妹は妹で、坂本龍一の曲みたいなのを弾きまくる。これは一体何なのだ!極めつけがフリーデマンとバッハが、親子でドラムを叩いてはパンフルートを吹き、ドンチャン騒ぎをやらかすわけの分からないシーン。第一、バッハがフルートを吹けなかったであろうことは、バッハのフルート曲を見れば分かるはずだ!何だか怒り心頭に発してきたので、このへんでやめる。


最後が2003年にフランスで作られた「Il etait une fois... Johann Sebastian Bach」。



これはもうアカン!バッハがフランス語を喋るのからして白けるし、それよりも何よりも、何でバッハがこんなに「色男」なんだよ!もっとバッハの肖像画に近い醜男の役者を選べっての!ファッションもフランス式に垢抜け過ぎてるし(バッハが羽飾り付きの帽子を被ったとは思えない・・・こう書いて今Ulrich Theinを侮辱してしまったことに気が付いた、Ulrich Theinも若い頃は美男子であったことを付け加える)。ま、技術的な面では悪くない。例えば、映像の美しさは4つの中では最高なんだけどね。だが綺麗過ぎる。フランスの作曲家の映画ならそれでいいんだけどね。リュリやサント=コロンブならばね。内容は、バッハが従兄弟にあずけられていた子供の頃、夜中にせっかく写していた楽譜を取り上げられるシーンに始まって、死ぬまでを描いている。二つ目の東ドイツの作品はワイマール時代からだったので「伝記」としてはこちらが生涯を網羅している。

以上、バッハを扱った映画を見てきたが、やはり「Johan Sebastian Bach」が、ダントツで優れている。と言うより他の作品が私にはひどすぎると思えて仕方が無いのだが。

posted by takashi at 15:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月04日

懐かしの映画「めぐり逢う朝」「王は踊る」

美しい作品を2つ紹介しよう。

「めぐり逢う朝」
私は以前VHSを持っていたので、何度この作品を見たことか。多分「ラウンド・ミッドナイト」の次くらいに多く見ているのではないかと思う。テープの時代が終わり、DVDの時代がやってきたが、嬉しいことに最近はYouTubeで見ることが出来る。削除されるまでのしばしの間、これを見るのも良いだろう。

映画は、老マラン・マレーの「回想」場面から始まる。冒頭「サン・ジュヌビエーブの鐘」のリハーサルシーン、老マレーは突然、楽師たちを自分の傍らに呼び寄せ、座らせる。そしておもむろにこう言う「諸君、これから我が師の話を聞かせよう」。そして静かに語り始める。

まず彼の師、サント=コロンブの「人となり」が語られる。その厳しい音楽への取り組み、ストイックで清貧な日常生活、二人の娘(マドレーヌとトワネット)についても語られる。子役のトワネットがなんとも可愛らしい。子役の二人によって歌われるノエルの、何と心に沁みることか。美しい妻に先立たれたサント=コロンブは、俗世を嫌い「隠遁者」のような生活を送っていた。彼の噂を聞きつけた貴族たちが、彼をヴェルサイユに招こうとするが、彼はその都度「けんもほろろ」で彼らを追い払う。サント=コロンブはある日、馬を売った金で小屋を建てる。ヴィオールを練習するための小屋である。

そこへ訪ねて来るのが、若き日のマラン・マレーである。サント=コロンブは、この若者の才能を一目で見抜く。最初、師弟の仲はうまくいっていた。しかし「俗世の名声」を追い求めるマレーと「求道者」である師の間の溝は深まっていく。マレーが「街へ出て有名になりたい」と言うと激怒し、マレーの楽器を叩き壊してしまう。そうやって破門になるマレー。しかし、既にマレーは長女のマドレーヌと愛し合う仲になっていた。そしてマレーは、ベルサイユに音楽家として雇われることになる。

サント=コロンブは時折、妻の幻(亡霊?)を見る。妻の亡霊と連れ立って、クリスマスのミサに出かけるサント=コロンブ。そのシーンの何と美しいことか!クープランの「ルソン・ド・テネブレ」の、何と心に沁みることか。

時は流れ、ベルサイユでリュリの後任としてオーケストラを任されるようになったマレー。ある日リハーサル中に手紙を受け取る。病床のマドレーヌが彼に会いたいというのだ。馬車を駆って駆けつけるマレーに、マドレーヌは、かつてマレーが自分のために書いた曲の演奏をせがむ。事務的に演奏を始めるマレーに彼女は「もっとゆっくり弾いて!」と怒る。演奏を終えたマレーがそそくさと帰った後、マドレーヌは首を吊る、かつてマレーが彼女に贈った靴のリボンを使って。娘の死後、ますます世の中を避け「隠遁者」として過ごすサント=コロンブ。そんな彼にある夜、意外な訪問者が・・・。再開した師弟は「最後のレッスン」を始めるのだった。

極上の映画である。映像がとにかく美しい。挿入される音楽は、ホルディ・サヴァル、モンセラート・フィゲラスなどの最上級の感動的な演奏。最後に蛇足ではあるが、サント=コロンブ以外の役者はすべてヴィオールが弾けるようで、左手の運指が曲と一致している。サント=コロンブさんも、もっとしっかり手ほどきを受ければよかったのに、せめてアップのシーンだけでも。


「めぐり逢う朝」


「王は踊る」
こちらは17世紀の音楽家ジャン・バティスト・リュリの映画である。前作同様、老リュリの回想で始まる。リハーサル中の些細な事故から壊疽を起こして死んだリュリ。その波乱の半生を描いている。こちらの「あらすじ」については、ちょっと手抜きをさせていただいて「Goo映画」からのコピペとさせていただく。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD360/story.html

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1643年、ルイ14世(エミル・タルディング)は5歳にしてフランス国王になる。だが14歳になった今も政治の実権を握っているのは、母のアンヌ(コレット・エマニュエル)と宰相マザラン(セルジュ・フイヤール)で、ルイに与えられた権利はギターとダンスだけだった。その頃、イタリアからやって来た音楽家にして舞踏家のリュリ(ボリス・テラル)と出会ったルイは、彼の振り付けたダンスによって太陽王のイメージを人々に知らしめていく。そして1661年、ルイ(ブノワ・マジメル)が22歳の時、マザランが死去。全権を握ることになったルイは、まず王立舞踏アカデミーの設立を命じ、フランスの改革をはじめる。スペインの王女マリ=テレーズ(ヴェロニク・マイユ)と政略結婚したルイは、リュリにもマドレーヌ(セシール・ボワ)という娘との結婚を命じる。しかしリュリは実は男色家で、ルイを密かに愛していた。一方、どんどん権力を増していくルイは、作家モリエール(チェッキー・カリョ)の活動を支援したり芸術活動に力を入れていくが、やがて母が死の床につき、名実ともに国を支配する立場になると、芸術に対する興味が失せてしまう。1687年、リュリは怪我がもとで足を切断する必要に迫られるが、王と踊った足は切れないと手術を拒否、そのまま息を引き取るのだった。
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前作同様、全編の流れる音楽や舞踏のシーンが見ものである。リュリ役のボリス・テラルが実にハマっている。


「王は踊る」(スペイン語吹き替え版)

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2012年05月27日

平均律への道

所謂バッハの「平均律クラヴィア曲集」に於ける「平均律」とは何であったか?バッハが曲集タイトルに用いた「Wohltemperierte Clavier(よく調律されたクラヴィア)」とは、本当に「平均律(equal temperament)」を意味したのだろうか?否である。この言葉の意味するところはおそらく「程良く遠隔調までも演奏できる」あるいは「ほんの少しの手直しで遠隔調も演奏できる」調律法のクラヴィア、と言う程度の意味であったろう。

さて「調律」と、一言で言うが、演奏のたびに調律が必要な楽器とは、ヴァイオリン、ハープ、ギターなどの弦楽器および、弦を張った鍵盤楽器である。管楽器は調律することができない。と言うより管楽器は、楽器製作の段階で調律が「済んでいる」楽器であり、演奏者が調律し直すということはまず無い。もちろん演奏者が製作者でもある場合にはその限りではないが。したがってこれから以降「調律」と言えば、敢えて断らない場合「鍵盤楽器」「弦楽器」のそれと考えていただきたい。

蛇足になるが、管楽器はできるだけ「平均律」に調律されていることが望ましい。楽器が平均律であって初めて「純正」なハーモニーを作ることができるからだ。しかし、バロック時代の古楽器を見てみると、やはりそうはいかない。例えばフルートはファが高く鳴りが悪い。それに対しファ#は低く良く鳴る。そのため演奏の際には唇の形や楽器の角度で調整をしていた。

調性音楽、それもハーモニーを伴う音楽がヨーロッパに現れたのは、ルネッサンス時代である。それまでは、基本的に単旋律の声楽器楽または、しばしばドローンを伴うオルガヌムによる声楽器楽曲が主体であった。4度5度の平行を主体とするこの形式では、純正ハーモニーが使われたはずである。その後ルネッサンス時代になって、ハーモニーの中に「3度」が現われ、徐々に音楽は調性(長調、短調)を備え始めるのだ。

そこで厄介な「調律」と言う問題が生じてくる。

「純正律」と言う言葉がある。これは実は机上の調律であって現実にはありえないものだ。この調律ではピタゴラスの5度と後述するミーントーンの長三度を組み合わせた、唸りのない三和音が得られる。しかし、この純正ハーモニーは、鍵盤楽器で用いることは絶対に不可能である。つまりハ長調のいくつかの和音から外には出られない調律だからだ。音程が固定的であるかぎり、その実現はありえない、という調律法なのだ。※19世紀の終わりに、この調律を実現するために「分割鍵盤」オルガンを考えた者がいたが、到底実用に堪えるものではなかった。

では純正(調律)が絶対に不可能なのかといえば、そうとも言えない。もちろん鍵盤楽器では不可能だ。実際にそれが可能なのは、声楽アンサンブル、弦楽アンサンブル、管楽アンサンブルなどの場合である。これらのアンサンブルでは上級者の場合、論理的には説明は絶対できないが、メロディの節目節目の、謂わば「かなめ」の三和音を「純正に」即座に合わせることが可能なのだ。ただし、それには各パートが、自分の楽器の「響き」や「癖」を完璧に把握していることが、その前提条件として必要となる。こうして作られた純正なハーモニーほど美しいものはない。ここで詳しく触れる余裕はないが「差音」(タルティーニ音)と呼ばれる物理現象により、純正な和音は意外と簡単に得られる。

ミーントーンの調律法が使われていたのは、初期バロックから中期バロック、一部後期バロックのはじめ頃までであった。作曲家で言えばフレスコバルディ、スウェーリンク、ルイ・クープラン、ダングルベール、シャンボニエールと言ったところか。この頃の楽曲は、シャープやフラットはあまり用いられていない。さらに遠隔調への転調というものもあまりない。その傾向はフランソワ・クープランまで続く。これらの作曲家の楽曲が、一番美しく響く調律法は、間違いなくミーントーンである。だがラモーに至ってミーントーンでは太刀打ちできない曲が現れる。そしてバッハの「平均律クラヴィア曲集」が登場する。

よく「バロック時代のリコーダーはミーントーンに調律されていた」などという話をまことしやかに言う人がいるが、これは嘘っぱちもいいところである。そもそもミーントーン(中全音律)とは、鍵盤楽器特有の調律法であって、しかも「常に適宜変更を要する」調律なのである。つまり、実際には、演奏する曲の調性に従って適宜長三度の音程をあちこち上げ下げしながら演奏されていたわけだ。

中全音律は、ハ長調のドからはじめて5度を4つ積み上げた時に、ミの音がドに対して純正(唸りがゼロ)になるように、4つの5度を狭く取っていくものである。そしてこれらの狭く調律されたド、ソ、レ、ラ、ミの上下の長三度を純正に合わせていく。「ソ♯」はミの音から純正に取られるが、♭系の曲の場合は、ドから下に純正に撮られる。これはすなわち「ソ♯」ではなく「ラ♭」なのである。こういう調律をされているミーントーンの鍵盤楽器では、不思議な響きがすることがある。

例えばハ長調のメヌエットで、第二メヌエットがハ短調であるような場合だ。第一メヌエットでは純正な響きが支配していたのに、第二メヌエットに入ると汚い長三度が目立つ。理由は「レ♯」と「ミ♭」や「ソ♯」と「ラ♭」などが、異名異音となるからだ。また、何かの拍子にミーントーンの中の究極の悪音程「ウルフの5度」が聞かれる場合がある。これは5度を狭く取ることによって生じた「しわ寄せ」の広い5度のことで、極めて不快な音程である。

我々がミーントーンに調律された鍵盤楽器の特徴を実感するのは「和音」よりもむしろ「メロディ」かも知れない。何故ならばミーントーンにおいては「半音が広い」のである。この広い半音にトリルが付けられた時に、何とも古めかしく優雅な気分になれる。

こういったミーントーンの矛盾と制約から逃れるために、当時色々な調律法が開発されていった。詳しくは別の機会に譲るが、そのような調律法としては、ドイツではヴェルクマイスターの調律法、キルンベルガーの第3調律法、イギリスではヤングの調律法、フランスではラモーの調律法、ルソーの調律法などが知られる。いずれも、考え方としては、どの調性も「程よく美しく」どの調性も「程よく汚く」響くように、ミーントーンのウルフ音程を適宜に振り分けていった、謂わば「濁り」を「希釈」していったものであった。そしてこの考え方が現代の「平均律(equal temperament)」につながっていくのである。バッハが用いた調律法も、おそらくこれらの中の一つであった可能性が高い。あるいはバッハ独自の調律法が存在したのかも知れない。だが、バッハは自分の調律法については何も文字に書き残していないので、バッハの言う「Wohltemperierte Clavier(よく調律されたクラヴィア)」がどのような調律法であったのかは、永遠の謎である。

前にバッハの生涯を描いた映画についてエントリーを書いたことがある。その中でフランスの音楽家ルイ・マルシャンが、バッハがチェンバロを調律する音を聞いて「この調律は何なんだ!こんな調律法を用いる音楽家とは闘いたくない」と言って、予定されていた「チェンバロ演奏対決」をほっぽり投げて帰ってしまう、というシーンがあった。マルシャンが逃げた後、ゆうゆうと一人で「幻想曲ハ短調」を演奏するバッハのシーンがそれに続く。

http://www.youtube.com/watch?v=-ML6RhUSOxw&feature=player_embedded 

なおリュートという楽器が、どのような調律だったかについて私は詳しくは知らない。しかし、当時の撥弦楽器のフレットは多くはガット製である。これはどういうことかというと、フレットが「可動式」であるということを意味する。現に私の知っているリュート奏者は、調律のたびにこのフレットを動かしていたし、時には斜めにずらしたりしていた(それが何を意味するのかはさっぱり分からなかったが)。しかし、この楽器は、その気になれば(原理的には)12平均律が可能な楽器でもあるのだ。もっとも、だからといってリュート奏者が12平均律を意識していたということは絶対にないだろう。

<参考>

中全音律と平均律による聴き比べ。

Sweelinck's Fantasia Chromatica in mean-tone tuning
http://www.youtube.com/watch?v=EHExcd6PYxQ

Sweelinck's Fantasia Chromatica in equal temperament
http://www.youtube.com/watch?v=FHjitZIyaRc&list=PLFD676DE4BB4DD64A&index=1&feature=plpp_video

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2012年07月03日

イムジン河

幼い頃、この美しい歌を聞いて、えらく感動した。

そうこうしているうちに、この曲のレコードが発売禁止となり、テレビやラジオでも一切放送されなくなってしまった。当時の私は、その理由が分からなかった。周りの友達に訊いても、はっきりした答えは返ってこない。著作権違反だとか言われていたが、それよりもむしろ「政治的な何か」があるのかも知れない、とノンポリの私にも感じられたものだ。

その「イムジン河」が、聞くことが出来るようになったのは、今から十数年前からだろうか?何故また聞けるようになったのか?それも、私には謎のままだ。ま、とにかくこの素晴らしい歌が、自由に聞いたり歌ったり出来るようになったのは、いいことである。その後、映画「パッチギ」の中でも取り上げられ、効果的に使われたので、リバイバルヒットになってしまった。

YouTubeを探したら、フォーク・クルセダーズの当時の演奏と、最近、臨時に再編したのであろう、コンサートの動画が見つかった。加藤和彦、はしだのりひこ、北山修。それぞれが違う道を歩むようになったグループだが、年令を重ねてまた、一緒に綺麗なハーモニーと斉唱を聞かせてくれている。両方をアップしたので聴き比べて欲しい。








ウィキペディア「イムジン河」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%B3%E6%B2%B3
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2012年08月14日

♪メデタメデタの廃炉ーハイロー♪

edano.jpg edano2.jpg hisono_mona_04.jpg

★反原発の民謡歌手の皆さん!こぞって歌ってください!CDに録音してください!無理か(笑)。 



<♪めでためーでーたーあーのー>
♪めでためーでーたーあーのー ♪めでーたああい ♪おーとーこーだーよーおお ♪えーだーあのー(枝野) ヨイヨイ
♪たーだあちーに ♪人体に影響なーいとさー アアヤッショウマカショ♪

♪にょーぼこーどーもーをよー ♪シンガポールに ♪逃ーがーしいいてぇよー ♪えーだーあのー(枝野) ヨイヨイ
♪たーだあちーに ♪人体に影響なーいとさー アアヤッショウマカショ♪

♪汚染区域ーいいにー ♪視察に ♪来ーるーとーおきゃよー ♪えーだーあのー(枝野) ヨイヨイ 
♪ガーッチーリ着ーい込ーむー ♪タイベックー アアヤッショウマカショ♪

♪汚染がーれーきーをよー ♪日本じゅううに ♪ばーらー撒あいてよー ♪ほーそーおのー(細野) ヨイヨイ
♪やーまーもーとモオオオナーとー ♪ディープキスーハート(トランプ)  アアヤッショウマカショ♪

♪にょおぼこーどーもーがよー ♪いるーのーにも  ♪かーかーわーらーずーうう  ♪ほーそーおのー(細野) ヨイヨイ
♪やーまーもーとモオオオナーがー ♪「悩ましいー」ハート(トランプ)  アアヤッショウマカショ♪

関連エントリー<いやらしい言葉「悩ましい」を連発する細野豪志>


<ハイロー 廃炉♪ >
♪ハイロー 廃炉 原発要らない♪  ふくしまだいにを ハイロー 廃炉♪ 
ハイロー 廃炉 原発止めろ♪  ひがしどおり おおまも ハイロー 廃炉♪ 
 
♪ハイロー 廃炉 原発要らない♪  おながわ とまりを ハイロー 廃炉♪ 
ハイロー 廃炉 原発止めろ♪  みはまも いかたも ハイロー 廃炉♪

♪ハイロー 廃炉 原発要らない♪  かしわざきかりは ハイロー 廃炉♪ 
ハイロー 廃炉 原発止めろ♪  はまおか つるがも ハイロー 廃炉♪ 

 

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2012年09月19日

原発村から



 <原発村から>

 ♪おぼえているかい 故郷の村を
 原発壊れて 一年過ぎた
 セシウムまみれの 真赤なリンゴ
 見るたび つらいよ
 俺らのナ 俺らの胸が 

 ♪おぼえているかい 残した家畜
 泣き泣き放した 牛馬やペット
 補償も出さずに 惚ける東電
  ※東電会長
 今でもナ 大名暮らし
 
 ♪おぼえているかい 子供の頃に
 二人であそんだ あの山 小川
 今じゃすっかり セシウムまみれ
  ※東電社長も
 今だにナ 大名暮らし


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2012年09月27日

リュート、ギターによる通奏低音の昨今

昨今の古楽オーケストラは、リュート、テオルボ、ギターを伴奏楽器として多用するようになってきた。現在、恐竜(主にラプトル類)が、鳥類の直接の先祖であることは、生物・考古学上の常識となっているが、それと同様の「常識」として、これらの楽器が通奏低音に使われるようになってきた。考えてみると古楽復活の黎明期においては、通奏低音楽器といえばチェンバロ一辺倒だった。イ・ムジチ、パイヤール、リヒター、レーデル・・・皆そうだ。無理もない。当時はリュート奏者そのものがほとんどいなかったから。また、良好な状態で残された楽器が少なく、レプリカ製作家も大変に少なかった。

と同時に当時は、何かリュートという楽器が、門外不出の特別なもので「秘密結社」のような人々が「密技」のように伝承させていた、というような、間違った認識すら流布されていた。その最大の原因は「タブラチュア」という楽譜にあった。これは、主に独奏曲のような「出来上がった」楽曲(即興ではないという意味)に於いて、左手の「運指」を紙に書き記した楽譜である。楽器の調弦に関係なく、即座に音に「変換」出来る、極めて「合理的」で「重宝」な楽譜(記譜法)なのだが、普通の五線譜を見慣れた者にとっては、何か特別な「呪文」のように見えたのは確かである。そんなわけで、他の楽器に比べてリュートの復興というのは、遅々として進まなかったのである。

だから当時のオーケストラではチェンバロ奏者が、数字付低音をパッセージだらけでじゃらじゃらと、それも「モダンチェンバロ」で弾く「似非通奏低音」だけが横行していたものだ。レオンハルトやアルノンクールの時代になると、さすがに「モダンチェンバロでパッセージじゃらじゃら」は無くなったものの、チェンバロ偏重の事情はさほど変わりはなかった。それが今ではどうか?イル・ジャルディーノ・アルモニコのように、スター級のリュート奏者を抱えるバロックオーケストラも珍しくない。私の記憶では、ヴィヴァルディの「四季」に、はじめてリュートやギターを用いたのは、クリストファー・ホグウッドではなかったかと思う。



しかし、考えてみると、当時(18世紀のことであるが)は、チェンバロよりもリュートが伴奏楽器としては主流だったはずである。価格や機動性の面から考えると、楽器の数においても演奏者の数においても、リュート族の楽器は鍵盤楽器を凌いでいたと思われる。また、その両方を演奏する者も多数いたに違いない。

従来、一般にリュートの音は小さいと思われがちだったが、最近の評価では決してそうではない。そのような評価は、古楽黎明期において、楽器や演奏者、またその「奏法」に問題があったことが原因ではないかと思われる。昨今は優秀なリュート奏者が輩出しており、演奏法も発達してきたため、彼らがごく普通にバロックオーケストラの中で通奏低音パートを受け持つことが多くなった。中には複数のリュート奏者を使うオーケストラ指揮者もいるほどである。確かにチェンバロのように鳥の羽が弾く金属弦に比べ、リュートのアタックは柔らかい。しかしその一方で、通奏低音においてはテオルボは、チェンバロの1オクターブ下の音を、かなりの音量で演奏できる。また、リュート奏者は「アルペジオ」を多用して、オーケストラの中に埋没するのを回避する術も心得ている。また、ギターにおいては「ラスゲアド奏法」(逆爪弾き)によって強いアタックを得ることが出来る。また、殊に歌の伴奏のような繊細な演奏においては、チェンバロに出来ない「強弱」が可能であるのも強みである。そのようなわけで、フランスのエール・ド・クール(宮廷歌曲)において、リュート、テオルボは好んで使用された。ベルサイユ宮殿には、リュートの名手、ロベール・ド・ヴィゼーらがいた。





最後にイル・ジャルディーノ・アルモニコによるヴィヴァルディのリュートコンチェルトから。

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2012年10月02日

私の好きな現代音楽

先日、コメント欄で「現代音楽」をクソミソに書いたので、私が比較的「好きな現代音楽」を紹介しようと思う。それはSteve Reichで、なんでも「ミニマルミュージック」というものだそうである。十二音でないので聴きやすい。繰り返しのフレーズが、少しずつ変わっていく音楽で、リズムは、単調かつ複雑である。基本的に、メロディといえるものがないため、感性というより、肉体に訴えかける音楽といえる。「反原発」のシュプレヒコールにも、よく合うような気がする。音大生あたりがやってくれると面白いかもしれない。

ところで、次の「Music for pieces of wood」を、全員僧侶の格好をして、木魚でやったら、カッコイイと思う。



また「Clapping Music」を、大人数で、全員羽織袴でやったら、ヤクザの「花会」みたいで怖そうである。



そして上記の「Clapping Music」と、次の「Six Marimbas」という曲を、同時に聞くと、何の違和感もなしに一つの曲に聞こえる。実際に、二つのウィンドウを同時に開いた状態で、同時に聴いてみて欲しい。ただし「Clapping Music」のほうが先に終わってしまう(笑)。


実は、ヨハン・セバスティアン・バッハも「ミニマルミュージック」を書いているのだ。ご紹介しよう。

posted by takashi at 02:58 | Comment(6) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月14日

作曲家「万城目正」のルーツは関西人ではないのか?

以前、エントリー<赤とんぼ 大明神 大神宮・・・日本の歌のことなど>で、作曲家の出身地(成長地)の言葉のイントネーションと、その作曲家の作った歌のメロディが、ほぼ「一致する」ことを検証した。
http://takashichan.seesaa.net/article/161975801.html



【リンゴの唄】
赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
リンゴはなんにも いわないけれど
リンゴの気持は よくわかる
リンゴ可愛(かわ)いや可愛いやリンゴ

あの娘(こ)よい子だ 気立てのよい娘
リンゴによく似た かわいい娘
どなたが言ったか うれしいうわさ
かるいクシャミも とんで出る
リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ

この有名な曲のメロディを、歌わずに、曲のイントネーションで「しゃべって」みてもらいたい。かなり正確な「関西弁」になっているはずだ。私は、この曲の作曲者が、関西生まれ関西育ちの方であろうとばかり思っていた。そこで、ウィキペディアでこの曲の作曲者「万城目正」のことを調べてみた。ところがなんと!驚くことに「北海道十勝支庁中川郡幕別村(現:幕別町)出身。旧制中学を卒業後に上京し、武蔵野音楽学校で学ぶ。その後一時帰道するが再び上京して松竹に入社した。」となっている。つまり関西に居住した形跡がないのだ。これはどういうことだろう?

万城目正の代表作の一覧である。

 「旅の夜風」(西條八十作詞; 1938年):映画『愛染かつら』の主題歌
 「愛染夜曲」(西條八十作詞; 1939年)
 「純情二重奏」(西條八十作詞; 1939年)
 「純情の丘」(西條八十作詞; 1939年)
 「愛染草紙」(西條八十作詞; 1940年)
 「リンゴの唄」(サトウハチロー作詞; 1945年):終戦直後に大ヒット
 「悲しき口笛」(藤浦洸作詞; 1949年)
 「別れのタンゴ」 (藤浦洸作詞、高峰三枝子歌、1949年) 
 「東京キッド」(藤浦洸作詞; 1950年)
 「情熱のルンバ」(藤浦洸作詞; 1951年)
 「あの丘越えて」(菊田一夫作詞; 1951年)
 「哀愁日記」(西條八十作詞; 1954年)
 「この世の花」(西條八十作詞; 1955年):島倉千代子のデビュー曲
 
念のため、他の2〜3曲についても、YouTubeの音源と歌詞を参考に「検証」してみたが、その多くは「関西弁」のイントネーションであった。 「旅の夜風」「愛染夜曲」「東京キッド」など。

この場合考えられるのは、幼少期の家庭環境である。北海道に住んでいたとしても、両親、祖父母、兄、姉、身近な親戚は関西出身ではなかったのだろうか?これが私の結論である。それ以外理由が思いつかない。どなたか詳しいことをご存知のかたはいないだろうか?

posted by takashi at 13:24 | Comment(65) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月12日

久しぶりに映画の話題

ここのところ、映画館に足を運ぶことも無くなった。出かけるのも億劫だし、入場料も安くない。大きなスクリーンはもちろん大変な魅力なのだが、そんなわけでCATVやGyaoで、少し古いのを見ることになる。Gyaoであるが、掛かるのは主に安価な「B級〜C級」そうでなければ、著作権の切れた古いもんばかりである。著作権切れのうち、Gyaoはここのところ立て続けに、勝新太郎のシリーズを配信している。「悪名シリーズ」「座頭市シリーズ」「兵隊やくざシリーズ」がそれだ。これが誠に面白い。日本映画がまだまだ生き生きしていた頃、世界に通用していた頃の名作シリーズだと思っている。

勝新太郎の代表的「シリーズ物」がこの3作品だが、いずれも「極道」を描いている。勝新の「極道もの」が、例えば高倉健や兄の若山富三郎の作品と違うのは「ユーモア」だろう。高倉健の、シリアスで時にグロテスクな極道の世界を描いた映画は、私にはあまり好きになれない。勝新の兄の富三郎も、どちらかというと「暗い極道もの」が多い。で「極道もの」で唯一私が好きなのが、勝新太郎の一連の作品というわけである。



「悪名シリーズ」全16作。実に軽快なテンポで物語が展開していく。弱気を助け、強気をくじく、そして無類のフェミニスト、敵役の女親分が彼に惚れる、若い素人が極道の道に入ろうとするのを見ると説教だけでなく、体を張って止める。ま、世の中そんなヤクザなんていないわけだが、そんな虚構でも大いに楽しめる。そんな八尾の朝吉に惚れるのが、あの名優田宮二郎だ。これがまたいい。軽い大阪弁が何とも快く口を付いて出る。ウィキで調べたら大阪出身なのだそうだ。晩年の「白い巨塔」からは想像もつかない明るい役柄をこなしている。このシリーズは、脇役陣も毎回素晴らしい。茶川一郎、藤田まこと、白木みのる等のお笑い系や、第12作目ではのちに田宮と同じ「財前五郎」を演じる佐藤慶など。

「座頭市シリーズ」26作。言わずと知れた勝新の代表作だ。第一作が何と言っても最高の出来で、時代が下がるごとにストーリーが「荒唐無稽」になっていくのは、いささか残念だが、長いブランクのあとの1989年の最終回まで、一部を除いて一応は楽しませてくれる映画である。天知茂演ずるところの平手造酒との友情を描いた第一作のみが白黒で、2作目からはカラー作品となっている。座頭市映画の魅力は、何と言ってもその「殺陣」にあるわけだが、それ以外にも見どころはいっぱいある。しかし、この映画が「NHK」で放映されたことは、私の記憶では一度もない。理由はお分かりと思うが。

「兵隊やくざ」全9作。3作中で唯一、大半が白黒作品だが、制作は他の2作とほぼ同時進行である。古参兵でインテリの有田上等兵と、やくざで憎めない大宮貴三郎二等兵(のち一等兵)のデコボココンビが、軍隊でイザコザを起こしては、脱走を何度も繰り返し、それでも悪運強く切り抜けていくという物語が全部で9作。最後の作品だけがカラーらしいが、まだ私は見ていない。この作品はユーモアの中にも「反戦思想」があり、日本の軍隊の「愚劣さ」「低俗さ」を余すところ無く描いているのが救いだと思っている。

posted by takashi at 01:45 | Comment(7) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月25日

聖夜




ケンブリッジ・キングズ・カレッジ聖歌隊

メリークリスマス!皆さん、どうか良いお年をお迎えください。たかし



posted by takashi at 00:57 | Comment(3) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月26日

たかしの「昭和カマすすき」by ルート246


私の天才的「替え歌」を、何と!あの”ルート246”のお二人が取り上げてくださいました!お聴きください!



<1>
カミソリに負けた
いいえ石鹸に負けた
メンタムは切れた
いっそ ムヒでも塗ろうか
力の限り 剃ったから
すね毛などないわ
髭さえも抜いた
二人はカマすすき

<2>
この俺はオカマ
そうよ私もオカマ
子供は産めないし
あの日も ないじゃないのよ
世間の風の 冷たさに
こみあげる涙
苦しみに耐える 
二人はカマすすき

<3>
血だらけになった
そうよ かさぶたもできた
カミソリは切れないし
石鹸も 安くて 痒いわ
もち肌なんて 望まぬが 
髭なしでいたい
のど仏目立つ 二人はカマすすき


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2013年03月15日

スタンダードジャズについて

エリックドルフィーではないが、ジャズはその場で出来て空中に消えていくものだ。二度と同じ演奏はない。そんなジャズに関して、よく言われるのが次の言葉である。

「ジャズに名曲なし、名演奏あるのみ」。

誰が最初に言ったか、定かではないが、ある一面を確かに突いた名言ではある。即興演奏を旨とするジャズ演奏においては、オリジナルが重要なのではなく、そのオリジナルを如何に「料理」するかが大事なのだ、ということを言っているのだと思う。

うまく出来た言葉ではある。しかし、やはり私は「名曲」は存在すると思う。それは、多くのミュージシャンが取り上げている「スタンダード曲」である。原曲が良ければそれだけプレイヤーの霊感を惹起するはずだからだ。すぐに思いつくのは「枯葉」だろうか。数えきれないほどスタンダードはあるが、私がダントツだと思うのは「ラウンド・ミッドナイト」である。これはセロニアス・モンクがピアノソロのために書き、後に歌詞が付けられた曲である。これほどジャジーなメロディを持った曲はないのではないか。私としてはスタンダードのダントツのナンバーワンに推薦したい。本家のモンクはもちろん、マイルス・デイビスなど、実に無数の演奏者が手がけている。

映画の「ラウンド・ミッドナイト」は、当時VHSで持っていた。一体何回見たことだろうか?100回くらいは見ているかもしれない。ボビー・マクファーレンの、弱音器付きトランペットのような神秘的なスキャットで始まる。1950年台にフランスに渡ったサックス奏者デイル・ターナー(デクスター・ゴードン)と、フランス人イラストレーターのフランシスとの「友情物語」である。一説には、主人公のモデルは、バド・パウエルだと言われている。全般これジャズで「充満した」という感じの、最高の映画だった。






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「幕末太陽傳」

実に楽しい時代劇である。

幕末の江戸を舞台に、実在の歴史上の人物と、落語のストーリーをミックスした、この上なく良く出来た台本の映画である。ストーリーの背骨は落語「居残り佐平次」から採っているが、他にも「品川心中」「五人廻し」などの廓ものが挿入され、最後は「お見立て」の落ちがそのまま使われている。

フランキー堺の佐平次が、何と言ってもハマっていて素晴らしい。貸し本屋の金造に小沢昭一、牛太郎に岡田真澄、都々逸「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」の都々逸の作者とされる高杉晋作を、石原裕次郎が演じている。これほどの豪華メンバーの作品を、当時の日本は作っていたのだ。隔世の感がある。

posted by takashi at 13:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月25日

「座頭市と国定忠治意外伝」

勝新も「座頭市千両首」で、国定忠治と「共演」を果たしているが、こちら「座頭市と国定忠治意外伝」は、晩年の忠治の出入りに、ふたたび市が加勢する物語である。何しろ、今から35年前の貴重な映像(いろいろな番組の「つぎはぎ」のようである)。主演は、当ブログのコメンテーターでもおなじみの、本間康二さん。若い(笑)。当時は、鉄道駅のバリアフリー運動などで活躍し、ミニコミ紙なども発行されていたと聞いている。そんな彼の、おそらく唯一の「演劇活動」が、この「座頭市と国定忠治意外伝」である。今回私も初めて「動く映像」で鑑賞させていただいた。思ったより(失礼!)良い演技をしていらっしゃる。当ブログ読者にも、是非見ていただきたいと思い、無断転載したが、本間さん、迷惑なら削除しますゆえ、おっしゃって下さい。

 

 



<本間氏談>

この芝居をみんなに見てもらうんだけれども、注意してもらいたいのは言葉の問題ですよね、いわゆる差別語って言われているメクラ、カクワ、腰抜けとか、そういったのがぼんぼん出てくる。で、まあ、戸惑われる方もいるんじゃないかと思うんだけれども、もちろん障害者にしてみれば非常に切実な言葉ということで、気にする向きもあるかと思いますけれども。しかし実情を、そういった言葉だけでね、規制して、それを無くしてしまえばそれでいいのかと、いうような問題が一つありますね。

「同じ命である」といった尊さを訴えてこそ、それが本当のテレビのやるべきことではないか。それをやってない。そういったテレビの見せかけの福祉論みたいな、そういったものに反逆したいというつもりでね、こういう劇をやったわけです。ですから理屈がどうのこうのっていうんじゃなくて、肌で、その、体験でね、感覚で知ってもらいたい。同じ人間がそこで芝居を演じている、そういうものをね、皆さんに見ていただきたい、そういうつもりで是非ね、一人でも多くの人に、この芝居を見てもらいたいと思います。

詳しくは、本間氏のホームページで。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/aiz/0000honma_chuji-00z.html

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2013年05月04日

多喜二生誕100年に寄せて

多喜二生誕100年ということなので、以前に書いたエントリーをまとめて再掲しておこうと思う。
 
ビクトル・ハラと小林多喜二。この二人の革命的芸術家は、どちらも拷問により指を砕かれている。ビクトル・ハラはギターが弾けないように。小林はペンが持てぬように、と。そしてその直後に二人とも惨殺されている。

10年ほど前、小樽の文学館へ行った。ここは旧北海道拓殖銀行本店の建物であり、まさに小林多喜二の職場であった場所だ。展示資料は伊藤整、石川啄木、小林多喜二の三人のものである。展示物の量的比率で行くと7対2対1という感じであろうか。小林多喜二は断然少ない。しかし、帰り際に見た来館者ノートの書き込みは99パーセントが多喜二についてだった。当時も若い人たちの書き込みが多かったと記憶している。そのとき私は思ったものだ。この文学館に来る人々はほとんどが多喜二に会いに来るのだな、と。

1933年に、小説「蟹工船」が元で小林多喜二は特高警察に逮捕された。直接の罪状は「不敬罪」。小説の中で労働者に言わせた「石っころでも入れておけ」というセリフ。つまり皇室への「献上品の缶詰」に石ころを入れろとは何事か、というわけだ。しかしこれは明らかに「別件」であろう。権力がこの小説の中で激怒した部分は「石ころ」などでは無い。彼らは「蟹工船」のなかで多喜二が「帝国軍隊」の本質を「暴いた」ことに驚き慌てたのだ。国家の「暴力装置」として民衆を弾圧する軍隊の本質。権力が隠したい部分を、まさに象徴的に描ききったこの小説に危機感を抱いたのである。労働者たちが、職制の暴力から自分たちを解放するために船に乗り込んできたとばかり思っていた軍隊が、銃口を向けている先は何と自分たちであった。この衝撃シーンがそのクライマックスである。

近年所謂ワーキングプア層の間で「蟹工船」が読まれているのは喜ばしいことだと思う。その共感はしかし、主に労働者の「悲惨な働かされ方」に限定されているように思う。この小説の主題はひとつではない。例えば上に書いた軍隊(国家権力)の本質の暴露、労働者の団結(組織化)の問題もそれに含まれる。もっと多角的な読み方がされることを期待したい。

手塚英孝著「小林多喜二」上下巻、この本を何度手に取ったことだろう。その度ごとに私は新たな感動に包まれたものだ。不屈な革命的芸術家に対する尊敬のこころと、同志としての愛情に満ちた文章、綿密な考証で解説されたその生い立ち、そして「死」。小林多喜二の伝記としてはまさに圧巻、これ以上の評論は過去にもないし今後もないだろう。作品そのものに関する評論は不破哲三をはじめ多くが著しているが、同時代に同じ使命のもとに活動した経験を書いているところに手塚の本の強みがある。

その手塚であるが、多喜二との交友期間はそれほど長いわけではない。多喜二が上京したのが1930年3月、多喜二27歳のときである。彼はプロレタリア作家同盟の活動家として活動を始め、翌年共産党に入党する。それから彼が非合法生活に入るまでの間はまさに、検束、投獄、拷問の繰り返しであった。豊多摩刑務所から出獄のあと書いた「独房」では出廷の護送車の中から見た風景を描写している。

「N町から中野へ出ると、あのノロい西武電車がいつの間にか複線になって、一旦雨が降ると、こねくり返る道がすっかりアスファルトに変わっていた。」

1932年、多喜二が実生活で関った「藤倉工業」は、後の作品「党生活者」の「倉田工業」のモデルであるが、この会社の臨時工労働者の実態はまさに現在のワーキングプアと同じであった。
・皆入社する時に、「3月までしか使わぬ」という契約書に判を押して、承諾させられており
・4月になればまた沢山の仕事が来ることがわかっているのに、散々コキ使ってクビにされ
・一方本工からは「生意気だ、でしゃばりだ」と言われ、本工との結びつきは困難であり
・こんな条件で「首切り反対だ」、「臨時工を本稿になおせ」という要求のもとにたたかうのはかなり困難

という状況だった。どうだろう?現代の「非正規雇用社員」と、どこが違うだろう?

その後多喜二は地下生活に入る。多喜二自身「個人的生活が同時に階級的生活であるような生活」と呼んだ生活にである。この地下生活を題材に書かれた「党生活者」を読み、そこに書かれた所謂ハウスキーパーと主人公との確執をめぐって「わが意を得たり、これぞ共産主義における女性の哀れな姿さ」とばかりに非難を集中する人もいる。例によって新左翼出身の私の友人も、飲むたびにこれを持ち出したりする。しかし考えてもみて欲しい、あの弾圧下での党活動がどのようなものであったかを。まさに「ブルジョア的」な恋愛など奪われた極限状況なのである。批判の多くがこの手のブルジョア人道主義的発想であることは仕方のないことかもしれないが。

さてこの地下活動の中で多喜二は手塚とはじめて出会うのである(1932年4月)。それから1933年2月に29歳で虐殺されるまでのたった11ヶ月が多喜二と手塚の交友期間なのである。

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 十番の賑やかな通りから細い路地をはいった奥まったところに、古ぼけた軒のひくい鰻屋があった。湿っぽいでこぼこの土間をぬけてあがると、田舎の納戸のような天井のひくい部屋があった。はじめは月に二度、金がなくなるにつれて、月に一度、二月に一度という具合になってしまったが、私たちはここで鰻を食って休養することにきめていた。下宿にいても、歩いているときも、気をくばって、休息というものがないような緊張した生活のなかにいたから、こうしたひとときは、ことばではいいつくせない楽しさがあった。
 小林は、この家がそば屋にそっくりだといって大喜びだった。眼鏡をはずし、大の字に寝ころんで、背のびをしたり、大きな声で笑ったり、子供のように目を輝かし、こころからうれしそうだった。
 「小樽にそっくりだよ」
と、仰向けに寝ころんだまま、彼はなつかしそうに渋紙をはった壁や、そそけたひくい天井を眺めながらいく度もくりかえした。

 こうして寝ころんでいると、なつかしい記憶や、いろんな思い出が、つぎつぎと浮かんでくるものとみえ、大きな声で笑っているかと思うと、髪をみだし、足をまげて、ぼんやりと思いにふけっていた。それからまた、静かにからだをおこして楽しそうに話しかけた。こんなとき、彼はときどき、お母さんのことや、幼いころの思い出を話して聞かせるのであった。(手塚英孝「小林多喜二」下巻「回想」より)
 
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手塚英孝の「小林多喜二」下巻の最後の章「回想」の中の一節である。特高警察に追われる緊張の中に、しばし訪れた時間における小林多喜二の描写だ。同志小林への深い愛情が感じられる私の一番好きな箇所である。

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 それからある日のこと、「君はどうだ、小説を書く気はないか」と、とつぜん私にきいた。私は少してれてしまって、返事にまごつきながら、「四十ごろから書きはじめようか」と笑いながら答えた。すると彼は妙な顔をして笑った。そのつぎにまた同じ場所で会ったとき、彼はまた同じことを私にたずねた。私は同じような返事をした。すると彼は、また妙な顔をして笑った。
 四、五日後、同じ場所でいそぎの用件のために会い、相談ごとがすんだあと「君はどうだ、小説を書く気はないか?」と、また、彼はひくい声でささやいた。それには何かしんみりとしたものがあったので、私は例のように「四十から」といいかけたが、少しいぶかりながら彼のほうをみた。彼は「また、そういう」と、かすかな声でいって、長椅子のクッションにまるく体をちぢめてよりかかりながら、淋しそうな充血した妙な顔をした。それはまるで、コチンとしてまるまった顔の大きな老人のようにみえたが、彼の目はするどくかがやいていて、何か、遠くの方を一心に追っているかのようにみえた。私はようやくはじめて彼の気持ちがいくらかわかるような気がした。(手塚英孝「小林多喜二」下巻「回想」より)
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「この生活では長編はなかなかむつかしい。」と言う多喜二。「私は彼の日常生活をかなりくわしく知っていただけに、いつの間に小説を書くのだろう、とむしろ不思議に思ったほどである。」と手塚。

「誰か、体全体でぶつかって、やる奴はいないかなあ。……死ぬ気で、書く奴はいないかなあ」
「個人的生活が同時に階級的生活であるような生活」をいとわぬ小説家がいないことが歯がゆかったのだろうか?いや、当時の状況の中でおそらく多喜二は自分の命がそう長くないと覚悟していたのだろう。だから彼は自分と同じ思想の作家が一人でも増えて作品を残すことを望んでいたのではないか?手塚に対する「君はどうだ、小説を書く気はないか?」の問いかけにはそんな意味が込められていたのではないかと思う。

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 真冬の冷たい檻房に暮色がようやく迫ろうとし、五つの房にすしづめとなった留置人たちは、空腹と無聊と憂鬱とでひっそり静まり、ただ夕食の時刻が来るのを心待ちにしていていた。
 突然、私の坐っている檻房の真正面にあたる留置場の出入口が異様なものものしさでひらかれた。そして特高―紳士気取りの主任の水谷、ゴリラのような芦田、それに小沢やその他―が二人の同志を運びこんできた。
 真先に背広服の同志がうめきながら一人の特高に背負われて、一番奥の第一房に運ばれた。
 つぎの同志は、二三人の特高に手どり足どり担がれて、私のいる第三房へまるでたたきつけるようにして投げこまれた。一坪半ばかりの檻房は十二、三の同房者で満員だった。その真中にたたきこまれて倒れたまま、はげしい息づかいと呻きで身もだえするこの同志は、もはや起きあがることすらできなかった。
 「ひどいヤキだ……」同房人たちは驚いた。
 私は彼の頭を膝に乗せた。青白いやせた顔、その顔は苦痛にゆがみ、髪のやわらかい頭はしばしば私の膝からすべり落ちた。「苦しい、ああ苦しい……息ができない……」彼は呻きながら、身もだえするのであった。「しっかりせい、がんばれ」と、はげますと、「うん……うん……」とうなずく。その同志は紺がすりの着物に羽織という服装であった。顔や手の白さが対照的にとくに印象ふかい。整った容貌は高い知性をあらわし、秀でた鼻の穴に真紅な血が固っていた。手指は細くしなやかで、指のペンダコは文章の人であることを物語った。同房人たちも胸をひろげてやったり、手を握ったり、どうにかしてこの苦痛を和らげねばならないと骨折った。
 一体、この同志は何の組織に属する何という人だろう、私は知りたく思った。「あなたの名前は?」と、私は尋ねたが、それには答えず、間欠的に襲いかかってくる身体の底からの苦痛にたえかねて、「ああ、苦しい」と、もだえるのであった。
 たった今まで、この署の二階の特高室の隣りの拷問部屋で、どんなに残虐な暴行が行われたか、そして、二人の同志がいかに立派にたえてきたかを、この同志の苦しみが証明した。
 やがて、「便所に行きたい」というので、同房人が二人がかりでそっと背負って行った。便所へついたと思う間もなく、腹からしぼり出すような叫び声が起こった。やがて連れ戻ってくると、「とても、しゃがまれません。駄目です」と、同房人が言った。
 私は先ほどから、そわそわして様子を見ている看守に言った。「駄目だ、こんな所では、保護室へ移さなければ」私たちの房の反対側に保護室があった。そこは広く、畳が強いてあり、普通、女だけを入れたが、大ていあいていた。看守はうなずいて、私たちは同志を移転させ、毛布を敷き、枕をあてがった。そして、彼の着物をまくって見た。「あっ」と私は叫んだ。のぞきこんだ看守も「おう……」と、呻いた。
 私たちが見たものは「人の身体」ではなかった。膝頭から上は、内股といわず太腿と言わず、一分のすき間もなく一面に青黒く塗りつぶしたように変色しているではないか。どういうわけか、寒い時であるのに股引も猿又もはいていない。さらに調べると、尻から下腹にかけてこの陰惨な青黒色におおわれているではないか。
 「冷やしたらよいかもしれぬ」と、私は看守に言った。雑役がバケツとタオルを運んだ。私たちはぬれたタオルでこの「青黒い場所」を冷やしはじめた。やがて、疲れはてたのか、少しは楽になったのか、呻きも苦痛の訴えもなくなった。同志は眼を閉じて眠る様子であった。留置場に燈がついて、夕食が運ばれた。私はひとりで彼の枕辺に坐って弁当を食い終った。そして、ふたたび彼の顔をのぞいたとき、容態は急変していた。半眼をひらいた眼はうわずって、そして、シャックリが……。私は大声でどなった。看守はあわてて飛び出して行った。
 やがて、特高の連中がどやどやとやってきた。私は元の房へつれもどされた。保護室の前へ衝立が立てられた。まもなく医者と看護婦がきた。注射をしたらしかった。まもなく、担架が運びこまれた。
 同志をのせた担架がまさに留置場を出ようとするときであった。奥の第一房から悲痛な、引きさくような涙まじりの声が叫んだ。
 「コーバーヤーシー……」
 そして、はげしいすすり泣きがおこった。
 午後七時頃であった。
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以上は築地署で多喜二と同房にいた、岩郷義雄の回想による多喜二の最期の描写である。多喜二が殺される四、五日前、手塚は彼と会っている。小雨の降る寒い日であった。連絡の合間に寄った小さな喫茶店での多喜二が、手塚の見た最後の多喜二だった。

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客のないガランとしたストーブのかたわらを、彼は両手をポケットにつっこんだまま、ゆっくり行ったり、きたりしながら、ふかい瞑想にふけっていた。口のまわりにふかい皺をよせて、自信にみちた重おもしい決意が、全身にあふれてみえた。
(中略)
私はこのきびしいたたかいの生活をつうじて、たくましい一人の人間を驚嘆しながらひそかに注目していた。どのような困難にもひるまず、真実にたいするひたむきな献身的な努力で、ふかく、ゆたかに成長していくすばらしい人間の姿を、私はありありと、眼前に見るように思うのであった。
外はいつのまにか大雪になっていた。シンシンとふりそそぐ雪の音が聞こえるような静かな宵だった。珍しく大粒の牡丹雪が、街の明かりに浮き出されて、中空一面にちりばめた美しい模様をつくってあらわれたり、とつぜん、激しい大きな渦巻きになって流れたりした。(手塚英孝「小林多喜二」下巻「回想」より) 
posted by takashi at 16:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月25日

邦画「地下鉄に乗って」を見た


何というか、ミステリーであり、SFであり、ノスタルジックなドラマ。大林宣彦監督の「異人たちとの夏」と、ちょっと似た趣向の映画である。だが「異人たちとの夏」とは違い、涙を誘う場面はない。女性下着の販売会社に勤める主人公は、地下鉄に乗って「過去と現在」を行きつ戻りつする。バック・トゥ・ザ・フューチャーのように、過去に戻って自分の父親や兄弟と交流をする。何故か会社の同僚で愛人のみち子が、途中から一緒に行ったりする。そして、最後にみち子が、自分の腹違いの妹だったのを知る、というのがオチである。これでいいのかって感じの設定。

バック・トゥ・ザ・フューチャーにしてもそうなのだが、過去に行って、こんなにやりたい放題やっていいのかよ、現在が変わっちゃうじゃないか!ってな感じはある。「戦国自衛隊」に至っては、見る前からゲンナリして見る気が起こらない。したがって見ていない(笑)。フレデリック・ブラウンやアーサー・C・クラークのSFを読んで育った私は、子供の頃から「タイムパラドックス」に興味を持っていた。尤も、タイムマシーンは夢物語で、人間は過去には行けないのだそうだ。未来には行けるらしいが。ただし、相当早い乗り物が必要なのだそうである。アインシュタイン先生が、言うのだから間違いないだろう。

「タイムパラドックス」と言えば「ザ・シンプソンズ」で、ホーマーがタイムマシンで恐竜時代に行く話があった。ホーマーは、科学者に止められるのも聞かずに、その辺に転がっている石ころの位置を変えてしまう。再び現代に戻ったホーマーが、家族の様子を見ると、さしたる変化はない。やがて夕食になり、ホーマーは食卓にナイフとフォークが無いのに気がつく。ところが、妻のマージも息子のバートも、娘のリサも、一向に気にしない様子。と次の瞬間。彼らはカメレオンのような舌で皿から食物を吸い上げて、食べていた。恐怖の「ハロウィン」特集の一話だったと思う。

※注)分からない方のために一応説明すると、ホーマーが石ころの位置を変えてしまったために、人類「進化」の歴史に変更が加えられてしまったのである。

「地下鉄に乗って」では、愛人のみち子と二人で過去に行き、何と!みち子とその母親(おまけにそのみち子本人を、腹に身ごもっている)が、二人揃って事故死してしまう。現代に戻った主人公が会社に行くと、みち子の席に座っていたのはみち子ではなく、見知らぬ女性だった。ホーマー・シンプソンのしでかしたヘマよりももっともっと重大なことをやらかしたのに、これくらいの結果で終わるのはおかしいじゃないか?本当ならば、みち子が過去に関わったすべての人の運命が、すべて「更新」されなければいけないではないか?その辺のパラドックスが、全然描かれていない。例えば、エクセルの表の、列を1列増やしただけで、マクロのプログラムを全部描き直さなくてはならないように、みち子とその母の死は、ありとあらゆることに「影響」を及ぼすはずだが、そのあたりは全く描かれていない。SFとしてもメロドラマとしても、ミステリーとしても、とにかく中途半端な映画である。

 
posted by takashi at 13:39 | Comment(8) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月23日

「孤独のグルメ」と「深夜食堂」

良品ドラマをふたつ、まとめておきます。お暇な時にどうぞ。


孤独のグルメSeason1(2012年)
第一話 2012年1月4日 江東区 門前仲町のやきとりと焼きめし (済)
http://www.dailymotion.com/video/xnh6ol_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-01_shortfilms
第二話 1月11日 豊島区 駒込の煮魚定食 (済)
http://www.dailymotion.com/video/xnm9b0_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-02_shortfilms
第三話 1月18日 豊島区 池袋の汁なし担々麺 (済)
http://www.dailymotion.com/video/xnt29m_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-03_shortfilms
第四話 1月25日 千葉県 浦安市の静岡おでん (済)
http://www.dailymotion.com/video/xo1g55_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-04_shortfilms
第五話 2月1日 杉並区 永福の親子丼と焼きうどん(済)
http://www.dailymotion.com/video/xo9q2t_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-5_shortfilms
第六話 2月8日 中野区 鷺ノ宮のロースにんにく焼き(済)
http://www.dailymotion.com/video/xoglz5_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-6_shortfilms
第七話 2月15日 武蔵野市 吉祥寺 喫茶店のナポリタン(済)
http://www.dailymotion.com/video/xopu5a_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-7_shortfilms
第八話 2月22日 神奈川県 川崎市 八丁畷の一人焼肉(済)
http://www.dailymotion.com/video/xoz7dk_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-8_shortfilms
第九話 2月29日 世田谷区 下北沢の広島風お好み焼き(済)
http://www.dailymotion.com/video/xp54zr_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-9_shortfilms
第十話 3月7日 豊島区 東長崎のしょうが焼目玉丼(済) 
http://www.dailymotion.com/video/xparup_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-10_shortfilms
第十一話 3月14日 文京区 根津 飲み屋さんの特辛カレーライス(済)
http://www.dailymotion.com/video/xpge3t_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-11_shortfilms
第十二話 3月21日 目黒区 中目黒 ソーキそばとアグー豚の天然塩焼 (済)
http://www.dailymotion.com/video/xplq1f_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-12end_shortfilms

孤独のグルメSeason2(2012年)
第一話 2012年10月10日 神奈川県川崎市新丸子のネギ肉イタメ(済)
http://www.dailymotion.com/video/xu8s8y_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-1_shortfilms
第二話 10月17日 中央区日本橋人形町の黒天丼(済) 
http://www.dailymotion.com/video/xueumk_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-2_shortfilms
第三話 10月24日 中野区沼袋のわさびカルビと卵かけご飯 (済)
http://www.dailymotion.com/video/xul8fe_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1season2-3_shortfilms
第四話 10月31日 群馬県邑楽郡大泉町のブラジル料理 (済)
http://www.dailymotion.com/video/xur6gj_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-4_shortfilms
第五話 11月7日 神奈川県横浜市白楽の豚肉と玉ねぎのニンニク焼き(済)
http://www.dailymotion.com/video/xuxe8f_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-5_shortfilms
第六話 11月14日 江戸川区京成小岩の激辛四川料理 (済)
http://www.dailymotion.com/video/xv3eiy_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-6_shortfilms
第七話 11月21日 千葉県旭市飯岡のサンマのなめろうと蛤の酒蒸し(済)
http://www.dailymotion.com/video/xv9vyc_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-7_shortfilms
第八話 11月28日 墨田区両国の一人ちゃんこ鍋 (済)
http://www.dailymotion.com/video/xvgmhx_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-8_shortfilms
第九話 12月5日 江東区砂町銀座商店街を経て事務所飯(済)
http://www.dailymotion.com/video/xvn7ix_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-9_shortfilms
第十話 12月12日 北区十条の鯖のくんせいと甘い玉子焼 (済)
http://www.dailymotion.com/video/xw1dp6_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1season2-%E7%AC%AC10%E8%A9%B1_shortfilms
第十一話 12月19日 足立区北千住のタイカレーと鶏の汁無し麺 (済)
http://www.dailymotion.com/video/xw3dkn_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-11_shortfilms
第十ニ話 12月26日 東京都三鷹市お母さんのコロッケとぶり大根(済) 
http://www.dailymotion.com/video/xw8g15_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season2-12end_shortfilms

孤独のグルメSeason3(2013年)
第一話 2013年7月10日 北区赤羽のほろほろ鳥とうな丼 (済)
http://www.dailymotion.com/video/x11rjfa_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season3-%E7%AC%AC1%E8%A9%B1-%E5%8C%97%E5%8C%BA%E8%B5%A4%E7%BE%BD%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%82%8D%E3%81%BB%E3%82%8D%E9%B3%A5%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%AA%E4%B8%BC_lifestyle
第二話 7月17日 神奈川県横浜市日ノ出町のチートのしょうが炒めとパタン (済)
http://www.dailymotion.com/video/x1223so_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season3-%E7%AC%AC2-%E8%A9%B1_shortfilms
第三話 7月24日 静岡県賀茂郡河津町の生ワサビ付わさび丼(済)
http://www.dailymotion.com/video/x12b409_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season3-%E7%AC%AC3-%E8%A9%B1_shortfilms
第四話 7月31日 文京区江戸川橋の魚屋さんの銀だら西京焼(済)
http://www.dailymotion.com/video/x12ldl1_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1season3-%E7%AC%AC4-%E8%A9%B1_shortfilms
第五話 8月7日 中野区東中野の羊の鉄鍋とラグマン(済) 
http://www.dailymotion.com/video/x12u52z_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season3-%E7%AC%AC5-%E8%A9%B1_shortfilms
第六話 8月14日 板橋区板橋のホルモン焼き (済)
http://www.dailymotion.com/video/x136059_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1-season3-%E7%AC%AC6-%E8%A9%B1_shortfilms
第七話 8月21日 目黒区駒場東大前のマッシュルームガーリックとカキグラタン(済)
http://www.dailymotion.com/video/x13ggkm_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1season3-%E7%AC%AC7-%E8%A9%B1_shortfilms
第八話 8月28日 台東区鶯谷のアボカド鶏メンチと鶏鍋めし(済)
http://www.dailymotion.com/video/x13wwh1_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1season3-%E7%AC%AC8-%E8%A9%B1_shortfilms
第九話 9月4日 練馬区小竹向原のローストポークサンドイッチとサルシッチャ (済)
http://www.dailymotion.com/video/x149wk0_%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1season3-%E7%AC%AC9-%E8%A9%B1_shortfilms
第十話 9月11日 荒川区西尾久の炎の酒鍋と麦とろ飯 (済)
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第十一話 9月18日 新潟県十日町市のドライブインの牛肉の煮込みと五目釜めし(済)
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第十ニ話 9月25日 品川区大井町のいわしのユッケとにぎり寿司


深夜食堂1
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http://www.dailymotion.com/video/xq48oi_shinya-shokudo-01_fun
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http://www.dailymotion.com/video/xq48ou_shinya-shokudo-02_fun
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http://www.dailymotion.com/video/xq48pn_shinya-shokudo-03_fun
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http://www.dailymotion.com/video/xq48q6_shinya-shokudo-04_fun
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http://www.dailymotion.com/video/xq48qo_shinya-shokudo-05_fun
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http://www.dailymotion.com/video/xq48sc_shinya-shokudo-09_fun
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http://www.dailymotion.com/video/xq48su_shinya-shokudo-10_fun

深夜食堂2
深夜食堂2 第01集 全集中字
http://www.dailymotion.com/video/xlsjqq_%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E9%A3%9F%E5%A0%822-%E7%AC%AC01%E9%9B%86-%E5%85%A8%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%AD%97_shortfilms
深夜食堂2 第02集 全集中字
http://www.dailymotion.com/video/xm7za0_%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E9%A3%9F%E5%A0%822-%E7%AC%AC02%E9%9B%86-%E5%85%A8%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%AD%97_shortfilms
深夜食堂2 第03集 全集中字
http://www.dailymotion.com/video/xm7zpr_%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E9%A3%9F%E5%A0%822-%E7%AC%AC03%E9%9B%86-%E5%85%A8%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%AD%97_shortfilms
深夜食堂2 第04集 全集中字
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深夜食堂2 第05集 全集中字
http://www.dailymotion.com/video/xnvc7f_%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E9%A3%9F%E5%A0%822-%E7%AC%AC05%E9%9B%86-%E5%85%A8%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%AD%97_shortfilms
深夜食堂2 第06集 全集中字
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深夜食堂2 第07集 全集中字
http://www.dailymotion.com/video/xnvhp8_%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E9%A3%9F%E5%A0%822-%E7%AC%AC07%E9%9B%86-%E5%85%A8%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%AD%97_shortfilms
深夜食堂2 第08集 全集中字
http://www.dailymotion.com/video/xnvjgl_%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E9%A3%9F%E5%A0%822-%E7%AC%AC08%E9%9B%86-%E5%85%A8%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%AD%97_shortfilms
深夜食堂2 第09集 全集中字
http://www.dailymotion.com/video/xnvkt3_%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E9%A3%9F%E5%A0%822-%E7%AC%AC09%E9%9B%86-%E5%85%A8%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%AD%97_shortfilms
深夜食堂2 第10集 END 全集中字
http://www.dailymotion.com/video/xnvktk_%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E9%A3%9F%E5%A0%822-%E7%AC%AC10%E9%9B%86-end-%E5%85%A8%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%AD%97_shortfilms
posted by takashi at 21:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月09日

ある日のツィッター(ジャンヌ おつるさん)


「はだしのゲン」は、私はタイムリーで読んでいる。学校のクラスで2〜3冊、このマンガの載った「少年ジャンプ」を、誰かが買って持ってくる。休み時間にそれを「回し読み」するわけだ。「はだしのゲン」が、私に与えたショックは大きなものだった。毎週毎週、楽しみに待つようになっていった。読んで一番ショックを受けたシーンは、被曝で体中包帯にされた、画家志望の青年を、ゲンと隆二が世話するところ。若者は、体中にウジが湧いている。気持ちがすさんで、ゲンたちに辛く当たる。この、家族に見放された病人を、ゲンと隆二が献身的に世話し、遂には大八車で外に連れ出す。自然の息吹に触れ、青年は陽気さを取り戻し、また絵筆を持つようになる。

後に単行本の全集も買った。むさぼるように読んだのを覚えている。最後は従姉妹に全巻譲った。まだ持っているだろうか?

で、ツィッターで、このマンガの見開き2ページが、ちょっと論争の的になった。ここでお相手になった「ジャンヌ おつる」さんは、ネトウヨではない。差別主義者ではもちろん無い。さらに悪気も全然無いと思う。ただ、「はだしのゲン」を最初から最後まで読んでいないのだ。もし読んでいれば、彼女はこのような感想は持たなかったと思う。

img_702446_33198252_0.jpg

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ジャンヌ おつる ?@Jeanne_otsuru 1時間
「はだしのゲン」を閉架にしようという保守に対し日教組や左翼、在日外国人への差別はいけないと言ってる人たちが、「はだしのゲン」は素晴らしいから学校に置くべきと言ってるけど
こんな差別的な描写もあるのに。
「はだしのゲン」から  
 pic.twitter.com/SBpDzhPVn5”

小林ユウジ ?@kovayou 45分
なんでこの描写が「差別的」なの?文脈を読むまでもなく「差別的」ではないでしょ。RT“@Jeanne_otsuru: ?「はだしのゲン」は素晴らしいから学校に置くべきと言ってるけどこんな差別的な描写もあるのに。「はだしのゲン」からpic.twitter.com/akfG5vkugF””

たかし ?@takashicyan 39分
ってか、この場面では「誰が誰を」差別してることになるのかな?@Jeanne_otsuru さんはどう見てるの?RT @kovayou 「はだしのゲン」は素晴らしいから学校に置くべきと言ってるけどこんな差別的な描写もあるのに。pic.twitter.com/7P0W8kmFYs

ジャンヌ おつる ?@Jeanne_otsuru 42分
@kovayou 小学校で判断能力のない子供が見るということを考えて下さい。図書室で休み時間や図書の時間にパラパラとこのページを見たら、朝鮮人て乱暴な人たちだと誤解します。クラスに朝鮮籍の子がいたら「くそ朝鮮人がいばりやがって〜しゃくにさわるのう〜とかマネします

小林ユウジ ?@kovayou 38分
.@Jeanne_otsuru たとえそういう子どもがいたとしても、「はだしのゲン」を読んで戦争や差別について正しい理解を得られる子供がはるかに多く存在している事実を正しく認識するべきではないでしょうか。

ジャンヌ おつる ?@Jeanne_otsuru 33分
@kovayou 「戦争や差別について正しい理解を得られる子供がはるかに多く存在している事実」なんて日教組が言ってるだけで統計も出ていないですよ。こういう漫画を一番読んだ世代が30代、40代の今の日本で、
反韓や嫌韓、三国人とか朝鮮進駐軍とかいってるんじゃないですか?

小林ユウジ ?@kovayou 26分
.@Jeanne_otsuru え?!おつる様(すみません、初対面なのに)はこの漫画を読んだことはあるのですか?  どうしたらハダシのゲンを読んで反韓?嫌韓派になりますか??読解力が極めて低い人間はそうなるかもしれませんが。

たかし ?@takashicyan 35分
@Jeanne_otsuru さん、この場面はね。「日本人が過去に朝鮮人に対して」行なってきた「差別」を、ものの見事に描き切っている名場面だと思いますよ、私は。あなたにはそうは見えませんか?RT @Jeanne_otsuru @kovayou

ジャンヌ おつる ?@Jeanne_otsuru 28分
@takashicyan @kovayou たかしさん、小さな子供がこのページを見て判断できませんよ。同和問題としてカムイ伝も図書室に同様においてありますが、小学生の男の子たちは過激な性描写のページだけまわし読みして喜んで
隠語を休み時間に叫んで女の子たちに嫌がられてます

たかし ?@takashicyan 25分
小学校上級生にもなればわかると思います。それに、この物語の前段には、親切な朝鮮人の朴さんも出てきています。事前に彼らは充分に教えられているはずです。子供を見くびってはなりませぬぞ。RT @Jeanne_otsuru @kovayou

たかし ?@takashicyan 22分
まず、これはけっして無意味な場面ではないのです。重要な場面です。中沢啓治氏が何故この場面を、ここに挿入せざるを得なかったか。そこを考えなきゃいけませんね。いいですか?朝鮮人を差別するために入れたエピソードでは無いのです。RT@Jeanne_otsuru  @kovayou

たかし ?@takashicyan 15分
中沢啓治は、朝鮮人にシンパシーを持ったゲンの両親や兄弟を登場させ、ゲンが彼らに感化される過程を丁寧に描いています。列車で隣りに座っているのは、ゲンの実の弟ではありません。最後のコマでゲンはたしなめていますね。なぜかわかりますか? @Jeanne_otsuru @kovayou

たかし ?@takashicyan 11分
このたった見開き2ページが、当時の朝鮮人の日本人に対する「怒り」と、過去に行なってきた日本人の「悪事」を象徴的に描き切っているのです。私は中沢啓治の筆力、ドラマツルギーというものを、感嘆の眼で見ています。素晴らしい漫画だと思います。@Jeanne_otsuru @kovayou

たかし ?@takashicyan 9分
@Jeanne_otsuru さん、残念です。あなたの言うことが正しいか、私が間違っているか、このツィートを見ている第三者に判断を委ねることにいたしましょう。もうこれ以上は返信は結構です。@kovayou
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posted by takashi at 00:29 | Comment(12) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月18日

「君が代」考


今日は「君が代」について書こうと思います。まず、この曲を外国人とくに西洋人が聞いてどう思うかですが、おそらく生まれて初めて聞く人は10人中9人は「不思議な曲だなあ」と思うと思います。西洋の手法とかなり違うからです。

kimigayo2.jpg
ご存知かと思いますが、この曲は「歌詞」のことは、ぜんっぜん!考えられずに旋律が付けられています。第一にイントネーション。「石の巌」が「医師の岩男」になってますね。尤も「京都弁ではこのイントネーションで正解」かも知れませんが。それにしては「苔のむすまで」が、標準語のイントネーションと妙に合っているようですね。でも実はこれは「偶然」なのです。何故なら「君が代」は、歌詞と旋律を、全然関係のないものから引っ張ってきてくっつけたものだからです。旋律にはもともと歌詞はありません。「越天楽」という器楽ですから。

このようなことはあり得るでしょう。日本でも昔は行われたと思います。メロディにあとから歌詞をつけた曲は例えば西洋ではオーストリアの国歌ですね。原曲はハイドンの四重奏曲の第二楽章。さらにこの曲はナチス時代には「ドイツ第三帝国家」として、別の歌詞が付けられていました。

以前に私は、日本の歌は言葉としての歌詞の「抑揚」とメロディが、日本の歌の場合「分かち難い」関係にあるのに対して、西洋の歌にはそれがない。ただアクセントのみが一致すれば良い。ということを書いた覚えがあります。合わせて、こちらを読んでいただければ良いと思います。西洋ではメロディに歌詞をつけるのは、日本ほど、そう難しいことではないのです。

<赤とんぼ 大明神 大神宮・・・日本の歌のことなど>
http://takashichan.seesaa.net/article/161975801.html

さらにへんなところでフレーズ(段落)がきれて「息継ぎ」になってますね。「医師の岩男」の部分です。ほんらいそこに段落があってはいけないだろうに、メロディのほうは見事に段落(息継ぎ)になってしまっている。以上の点は、日本人でも「不自然だ」と思うはずです。と言うより、日本人だからこそ「不自然だ」と思うといったほうがより正確でしょう。日本語が分かる日本人が、です。何故こうなったかは前段で述べましたが、それに輪をかけてしまったのがハーモニーです。

この曲にハーモニーを付けたのは、当時のプロイセンの音楽家フランツ・エッケルトです。

彼もここに段落(息継ぎ)があるのだと思ったのでしょう。無理はありません。旋律に関しては西洋音楽でもここは段落でしょう、どう考えても。そこで彼はこの段落を、ハーモニーでおもいっきり「強調」してしまった(笑)。困ったことです。そのせいで、この部分は未来永劫「段落」のままです。ところが、それにあくまで「抵抗している」人たちがいると聞きました。警察や自衛隊の吹奏楽団です。彼らは「医師の岩男」は息継ぎをしないで一息で吹くと聞いたことがあります。そう思って聞くと相撲の表彰式でもオリンピックの表彰式でも、確かに息継ぎをしていないような気がします。ご苦労なことです。しかし、息をしようがしまいが、ここはどうやって聞いても「段落」です(笑)。

さて冒頭で、外国人とくに西洋人が「不思議な曲だなあ」と思う、と書きました。君が代は出だしが単旋律で始まり、途中から突如ハーモニーがつき始めます。それも低音の旋律には、もともと日本には無かった「半音階」まで出てきます。「八千代に」の部分です。この部分は西洋人も「納得」なのじゃあないかと思います。というか、日本人も気に入っているのはおそらくこの部分でしょう。太鼓の音と相まって、この「半音階」の低音は一種「荘厳」な気分を出していると思います。私もここは良い部分だなと思います、はっきり言って。

問題はその後です。急にまた「単旋律」に戻ってしまうのです。西洋音楽では「一番盛り上がる」はずのところでエネルギーがすぅーっと、消えてしまう。まるで「石の巌」ではなく「尻切れトンボ」のように。西洋の音楽では「終止形」と呼ばれるハーモニーが付くはずのところです。なのに君が代のメロディはこのハーモニーが付くようなものになっていないのです。エッケルトさんも相当困ったと思います。「半音階」まで駆使して「医師の岩男」さんを盛り上げたのに、最後はこうですもんね。結論です。西洋人が聞いて「不思議だなあ」と思うのはこの部分です。「むーうーすーうーまー、ああで〜〜」・・・レコードプレイヤーの電源を途中で抜いたみたいな終わり方だと思うことでしょう。



posted by takashi at 21:20 | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月19日

「原発ホワイトアウト」を読んで


入院中に読むために、数冊の本を持って行った。前述の古森義久産経新聞記者の本も、実はそのうちの一冊だが、一番の楽しみにしていたのは若杉冽著「原発ホワイトアウト」である。この際、じっくり読んで、感想文でも書いてやろうと心に決めて、持ち込んでいた。予想通り、プロローグから引き込まれる作品であった。

現在の日本の社会状況とほぼ同時進行で語られる内容は、この作品が極めて短時間の間に練られ、執筆されていったという事実を物語っている。いわゆる「暖められたテーマ」ではなく、タイムリーなテーマであって、それでいてこの完成度。もしこの作品が「第一作」だったとしたら・・・。このことは、作者の並々ならぬ「筆力」とともに「頭脳の明晰さ」を示している。尤もそれは彼の学歴と肩書が物語っているが。

作者は「大衆」「衆愚」という言葉を、この物語の至るところで使っている。もちろん作者自身では無く、登場人物である官僚の言葉として言わせているわけだが。小説という文章形式がこの場合、非常に「有効」であることがよく分かる。読者は、登場人物の「衆愚」という言葉を聞いて、作者ではなく、一義的にはその言葉を使っている登場人物に腹を立ることになる。そして重要なのは、この本の作者が紛れもない「官僚」だという点である。つまり作者は、官僚の多くがこのような思考をしているのだ、このように(愚かな)大衆を見ているのだということを、自分の経験から私達に教えてくれているのである。

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「原発事故もいやだけど、月々の電気料金の支払いアップも困りますよね」
と、ワイドショーのコメンテーターが呟けばよいのである。大衆は、ワイドショーのコメンテーターの言葉が、翌日には自分の意見になるからだ。(七九ページ)
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私達は、この記述に怒らなくてはいけないのだ。作者はこの「怒り」を私達に呼び起こすために、この作品を書いてくれている。「民自党」の「描写」はもっと手厳しい。

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官僚主導から政治主導へ、との掛け声で始まった民自党政権は、政治家一人ひとりの資質はともかく、集合体として見れば、政治の素人、烏合の衆であった。烏合の衆による政治は、東日本大震災の被害、原発事故により、さらに混乱を極めた。(一九ページ)
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さらに、個々の民自党員が、如何にして官僚や電力、財界に、懐柔され取り込まれていったか、を克明に描写している。彼らの信念のない「ええ格好しい」が、どれほど空虚で信念のないものであったかが、見事に活写されている。言うまでも無く「民自党」とは「民主党」のことである。

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本来、官僚は国益の実現のために働き、マスコミ記者は社会正義の為に働く。こうした大義を背負う尊い職業であるにもかかわらず、現実には、自らの省益や社の利権、挙句の果てには、上司の私服を肥やす手助けや、幹部の快楽のために、国益や社会正義がなおざりにされる。
こうした理不尽さに不満を重ねる官僚や記者たちがいる。そうした不満のガスの圧力が高まり、その食を賭して暴発するものも一部にはいる。(八六ページ)
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そうして、古賀茂明氏の名前を実名で挙げる。もちろん作者自身もこの「暴発者」の一人であることは言うまでもない。私は、この「原発ホワイトアウト」の作者、若杉冽氏の「正体」が、彼の職場で明らかになるのは時間の問題だと思う。その場合彼に、不当な懲罰が下されないように、見守っていく必要があるだろうと、私は思っている。我々は、そのような場合、ただちに抗議の声を、政府に対して上げなければいけないだろう。

文章は、この種の小説の文章で「ピカ一」の森村誠一には及ばないものの、充分に読みやすく分かり易い。実際「テニヲハ」のおかしな小説家は多い。特に、いわゆる「純文学」に、その手の文章が見られるが、それらは、一般に「欠点」ではなく「個性」とみなされる場合も多い。しかし、企業小説、犯罪推理小説などの大衆文学では返ってその点、読みやすい「明快な文章」が要求されることが多い。

<何故「小説」という手法を選んだか?>
まず何と言っても「スラップ訴訟の回避」だろう。同様のいわゆる「企業小説」が、これまでスラップ訴訟を仕掛けられた件数は、極めて少ない。スラップ訴訟に引っかかるのは「実名」で書くドキュメンタリー作家が多い。森村誠一は、生涯で一度だけ書いたドキュメンタリー「悪魔の飽食」で、七三一部隊を取り上げことが仇となって、訴訟にこそなっていないが、内外の批判にさらされた。たった一枚の写真誤用を理由に、作品の「全価値」を否定するという、ネトウヨ的手法による「報復」であった。関係者が殆ど物故者であるのにも拘わらず、この有り様である。他の作品では、どれほど「事実」に取材したものであっても、攻撃や中傷や訴訟は受けることは殆ど無い。

その意味で、若杉冽が、本作品を「小説」として書いたのは賢明な手法だったといえよう。たとえ裏が取れていなくともフィクションならオーケー、細部が憶測であってもフィクションならオーケーという「暗黙の了解」が、この世の中にはあるからだ。名誉毀損などの生じることの無いよう、充分に法律家とも摺り合わせているはずだ。

<この小説の功罪>
この小説には、断然「功」のほうが多いのだが「罪」もある。それは、警察組織の手口をあまりに「こと細か」に記述してあるが為に、一般の読者に「デモの怖さ」を植え付けてしまっていること。それと、この作品の結末が「愚か者」たちの差別意識に油を注がないか、ということ、等など。「功」の方は、数々あるが、その中でも特捜部の手口を、いわば「予告」している点だ。これは明らかに現実における、新潟県泉田知事への国家権力の弾圧に対する「抑止力」になったのではないかと思う。こうまで詳細に権力の「やり口」を暴露されてしまうと、実際に手を出すのは難しくなるのに違いない。あと残るのは、直接的な「脅迫」ぐらいのものだろう。

それにしても、すべての場面が精緻にリレーションされていて、しかも、もうこれ以上削れないほどに贅肉を削ぎ落とした文章。読むものをグイグイと、あの絶望的なエピローグへ向かって引っ張っていくドラマ構成。限りない余韻を残して・・・。この作者は到底、本作品が処女作ではないだろう。出版されているかいないに拘わらず、これまでも優れた習作を何本も物にしているだろう。忙しい官僚の仕事をしながらの執筆と、そのための取材。一体いつの間に出来るのか?彼はこの才能で充分食っていける。だから「天下る」必要もない。そんな官僚であるからこそ書けた作品なのだ。本作品が「賞」を総舐めするであろうことは間違いない。

最後に。この本を「真性のバカ」を除いた、国会議員の全てに読んでもらいたいものだと、強く思う。ちなみにここで言う「真性のバカ」とは「自民党、民主党、公明党議員の大半」と、各党の「タレント議員の大半」のことである。また、一日も早く、誰かが映画化して日本中の「衆愚」どもに公開して欲しい。誰もやらないのなら「外資」例えばドイツの映画会社でも良い。もし上映されたら、脱原発にとって、これ以上の「カンフル剤」は無いと思うからだ。

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国の政治は、その国民の民度を超えられない。こうしたことが当たり前のように行われていることを許している国民の民度は、その程度のものなのである。(二三一ページ)
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posted by takashi at 10:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絵本「しろくまのズーとあざらしのポリー」


しろくまのズーとあざらしのポリー


しろくまのズーは うまれたときから りょうてりょうあしが ありません。
でも おかあさんぐまのポーラは ズーを とてもかわいがっていました。
まいにち さかなをとってきては ズーにあたえます。

そのころ ほっきょくでは ズーのように てあしのないこどもが たくさんうまれていました。
うみのさかなも めがなかったり めがみっつあったり なんだかとてもへんでした。
ポーラはいいました。
「むかしはこんなことなかったらしいって、おばあちゃんがいってたわ・・・どうしたのでしょう?」

ズーは こおりにつもったゆきのうえを、
からだをくねらせながら きように おかあさんのあとを ついていきます。
てあしはなくても とてもげんきな しろくまのこどもです。
そんなズーを ポーラは わらってみていました。
でも あるひ ポーラはかんがえました、
「わたしがしんだあと、このこはじぶんでさかながとれるかしら?」

ズーがうまれて にねんめのふゆのことです。
ポーラが めをはなしたすきに ズーはうみにおちてしまいました。
まだ うみにはいったことのないズーは どんどんしずんでいきました。
「おかあさーん!たすけてー!」

そのとき いっぴきのアザラシが しずんでいくズーを つかまえました。
「しっかりしろ!いまたすけてあげる!」
はなで じょうずにおしながら ずーを こおりのうえに もどしてやりました。
あざらしのなまえは ポリーでした。
「ありがとう!ぼくのなまえはズーです。」
「ぼくはポリー、なかよくしよう!」

それから ズーとポリーは すっかり なかよしに なりました。
ポリーは ズーに およぎを おしえました。
さかなのとりかたも おしえました。
かいめんから なだけだして こきゅうをすることも おしえました。

あるひ ズーとポリーは くじらをみにいくことにしました。
なつのほっきょくかいには おおきな シロナガスクジラたちが いっぱい あつまっていました。
ふたりは いちにちじゅう およぐくじらをみたり まわりでおよいであそびました。
 
そのかえりみち もうこおりのかいがんが ちかまったとき ポリーがいいました、
「ズー、あぶないからいそごう!」
ふたりは おおいそぎで こおりのきしにむかいました。
「ズー、もっときしからはなれよう!」
いま あがってきた きしには おおきなシャチが あたまをだしていました。
「あぶなかった。」
「ほんとだね。シャチはりこうだからこわいよね。」
「でも、ポリー、どうしてシャチがくるのがわかったの?」
「ズー、ぼくはね、あたまのうしろにもめがあるんだぜ」
そういうとポリーはうしろをむいてみせました。
「ほんとだ!」
ポリーの あたまのうしろには ちいさくてめだたないけれど
たしかに めがふたつ ついていました。
「ポリー、おしえてよ。どうしてきみはめがよっつあるんだい?」

「うん、ぼくのおじちゃの、そのまたおじいちゃんのおじいちゃんが、
そのむかし、ほっかいどうというしまにすんでいたんだって。」
「へぇ〜、そのほっかいどうって、どこにあるんだい?」
「ここよりあたたかいみなみのほうさ。」

「あるひ、そのしまからにんげんたちがみーんないなくなちゃったんだって。」
「へぇ〜、どうして?」
「そのしまのにしのほうにあるなにかがばくはつしたんだって。
それからにんげんたちはみんないなくなり、
しまはどうぶつたちがしはいするようになったんだ。
でも、それからどうぶつたちのあいだに、びょうきがはやったり、しぬものがでたり、
ぼくのような、かわったこどもがうまれるようになったらしいんだ。」

「でも、ポリーはいいなあ・・・、めがよっつもあって。
ぼくは・・・みんなもってるてあしがないんだもの・・・。」
「そうなんだ、しまではきみのようにしろくはないくまが、たくさんすでいるんだけれども、
そのくまたちも、きみのようにてあしのないこどもがいっぱいうまれたって、
おとうさんからきいたよ。」

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もう いまから なんじゅうねんもまえ
ずーっとみなみの あるしまぐにでは げんぱつじこが おきました。
しかし それからも そのくには げんぱつを もやしつづけました。
そして とうとう そのくにのげんぱつは ひとつのこらず ばくはつしました。
いまでは そのくにには ひとがひとりも すめなくなっていました。
そのくにの ぜんぶのげんぱつからは
いまでも たいりょうの ほうしゃのうが うみに ながれだしているのです。



※絵本にしたいので、どなたか絵を描いてくれませんか?管理人



posted by takashi at 10:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月18日

非常にユニークなラモーの演出


非常にユニークなラモーの「優雅なインド人」を見つけたので貼っておくことにする。

Rameau: Les Indes Galantes, opéra-ballet | Christophe Rousset


実に大胆な演出ではあるが、皆さんはどうお感じになるだろうか?
従来のオーソドックスな演出も揚げておくことにする。

Jean Philippe Rameau 1735 Les Indes Galantes W Christie Les Arts Florissants


「土人の踊り」はそれぞれ次のタイミングから。
2:35:40
2:47:28

関連スレッド

<差別語について>







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2014年04月30日

映画「バグダット・カフェ」


本来なら決まって「猟奇殺人」が起きそうな、アメリカ西部砂漠の田舎町が舞台の映画だ。ハリウッドが近い設定となっている。

口うるさいブレンダという黒人の経営者とその夫、娘と息子夫婦が働いているモーテル兼カフェ。従業員や地元の警官はインディアンだ。息子は暇さえあればピアノの練習に明け暮れている。モーテルの敷地内には元ハリウッド舞台芸術家の画家(ジャック・パランス)がトレーラーハウスに住んでいる。モーテルには女刺青師が長逗留している。バッグパッカーの青年が敷地内にテントを張らせてほしいというと快く承諾するブレンダ。商売っ気というものがないブレンダのせいで、カフェもモーテルも荒れ放題。

そこへ旅行中のドイツ人女性(ジャスミン)が、夫と喧嘩をして(後段では離婚するらしい)そのモーテル兼カフェにたどり着く。ジャスミンはブレンダが買い物に行っている間にモーテルや事務所を掃除してピカピカに磨き上げるが、ブレンダはそれが気に食わない。ライフルまで持ちだしてジャスミンを非難する。ライフルが出てくるあたり、やっぱりアメリカだ。ちなみ映画そのものは西ドイツの製作である。

そのモーテルでのいろいろな出来事、ブレンダとジャスミンの確執から和解が描かれている。後半、ジャスミンの機転の効いたアトラクションで、カフェは大いに流行り、千客万来となる。

とにかく「悪人」というものが出てこない「善意のカタマリ」のような映画で、見終わったあとには何とも言えないほのぼのとした、ゆったりとした気分になれるのである。準主役(ルーディ・コックス)のジャック・パランスが、とにかくいいのだ。彼がジャスミンにプロポーズするシーンが物語の最後だ。不器用で誠実な男の姿が上手に描かれている。実にカッコイイ幕切れだと思う。



バグダッド・カフェBR17-thumb-300x168-21785.jpg   images.jpg


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2014年05月06日

快楽亭ブラック師のこと

kairakuteiburakku.jpg

快楽亭ブラック師について私は、以前にエントリーを書いています。

<快楽亭ブラックのことなど>

彼が演じる噺の演目には少なからず「差別語」が出てまいります。本来なら「ヘイト」に数えられる「朝鮮人の恩返し」などというものまであります。

何故これらの演目を、私達は笑って聞いていられるのか、というと、実はここにこそ「深い理由」があります。それはブラック師自身が「あいのこ」だからです。考えても見てください。これと同じ演目をブラック師以外の噺家、例えば立川キウイがやったらどうなると思います?袋叩きでしょう。いや、それでは済まない、彼は落語会から「追放」処分になるのではないでしょうか?

余談ですが、立川キウイを聴きに行く「少数の客」とは、私の想像では「ネトウヨ」ではないかと思っております。ネット上での彼の「主張」に感銘を受けた少数のネトウヨが、下手な芸を見に行く。そういう構図なのだろうと思っております。

話を戻します。私は以前「差別語について」と題してエントリーを書きました。

<差別語について>

その中で私はこう書きました。

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その竹山が自分を指して「めくら」と呼ぶのは自然である。おそらく自分に対して投げつけられてきたその言葉は、もはや彼にとってアイデンティティそのものでもあったのではないだろうか?それほど昔はごく普通に用いられていた言葉であった。本来この「めくら」という言葉は「悪罵」「蔑み」として投げつけられる他に「おめくらさん」のように「同情」を込めた使われ方もされていたに違いないのだ。
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これを分かり易く説明するとこのようなことになります。例えば大卒者が高卒者に対して「あなたは高卒者だから云々」というのと、高卒者が「私は高卒ですんで・・・」というのとは、自ずからニュアンスに大きな隔たりがある、ということです。本人がある意味「自虐的に」言っていることを真に受けて、それを本人に向かって不躾に言うべきではないでしょう。それを平気で行なっているのがネトウヨどもであります。彼らは「」も何も付けずに「シナ」「シナ人」「チャンコロ」を連発する。まさに品性下劣としか言いようがない。

ブラック師の噺には、差別語による「くすぐり」が、いたるところに顔を出します。また、地方出身者やお国訛りをおちょくる話もあります。我々はそれを笑って聴いていても一向に構わない。落語とはそういうものだからです。そういう「約束ごと」になっているからです。談志が「現代落語論」でいみじくも定義した「人間の業の肯定」という落語の姿を、最も体現しているのが、この快楽亭ブラックという噺家ではないのかと思っています。尤も彼は立川流を破門になっているわけですが(笑)。

以下もよろしければご参照願います。

<差別語についての再考察>


posted by takashi at 15:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月10日

再々「南京!南京!」〜すべての善良なる日本人のために



この映画が我が国でロードショー公開されることは、遂にありませんでした。安倍政権が牛耳る現在の日本ではなおのこと、これからも当分ないことでしょう。

しかし、私は、これまで皆さんにこの作品を見ることをおすすめし続けてまいりました。

素晴らしい作品です。

芸術的にも最高の作品です。

その「南京!南京!」を、とある中国人の方がこの度YouTubeにアップしてくださいました。しかも日本語字幕付きです。

この機会に是非御覧ください。


関連スレッド

<「南京!南京!」>

<再び「南京!南京!」>


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