「好き嫌い」と「偏食」はニュアンスがちょっと違うものである。言ってみれば「好き嫌い」とは「原因」であって「偏食」はその「結果」という関係にあるのかもしれない。
私は食べ物の「好き嫌い」は無い方だと思う。「食材」として供されるものであれば、ほとんどのものを「食べられる」。だからであろうか、食べ物の好き嫌いの多い人は、私は嫌いである。もちろんそれによってその人を「全否定」するわけでない。食べ物の「好き嫌い」に関してのみのことであるので誤解無きよう。
私は「好き嫌い」と申し上げたが、もっと正確に言うと「嫌いなものがが無い」ということになるのではないかと思う。基本的に私はなんでも食べられるが「どうでも良い食材」というものも確かにある。私は紅茶が比較的「好き」で、コーヒーは「嫌い」である。しかし、コーヒーを飲めないわけではない。出されれば飲むだろう。その意味では「どうでも良い」というのが、より的確な表現だろうと思う。
このようなこともある。大量に食べられないが、少量ならば好きである、と言うもの。例えば刺し身は、私は大好物であるが、だからといってそれだけを大量に食べられるかというと、そうでもない。ある量を食べるためには「酒」か「飯」の助けが必要になる。
更に「季節的」あるいは「希少価値」というものもある。例えば「ホヤ」という食べ物があるが、これは私をもってしても「癖のある食材」だと思う。ことさら好んで食べるものではない。しかし、行きつけの寿司屋に、夏場などに普段は無い「ホヤ」が並んでいると、思わず頼んでしまうのだ。その時は確かに「食べたい」ということなのである。ただしここで重要なのは「酒」というものの「助け」だろうと思う。もし「酒」が無ければ私は「ホヤ」を食べないだろうし「ホヤ」を出されれば「酒」を要求するだろう(笑)。
以上のことから、導き出される傾向としては「酒飲みは好き嫌いが無い」ということになるのではないかと思う。もちろん例外はあるので「断言」はしない。中には「つまみ」無しにひたすら「酒」だけを飲む人もいるからだ。しかし、一般的に酒飲みは「好き嫌い」がなく「珍味」を珍重する傾向にはあると思う。珍味をもらったら酒を買いに走るのが「酒飲み」である。
話はトップに戻るが「あれが嫌いだこれが嫌いだ」を連発する人は、私は苦手である。酒を飲むか飲まないかはどうでも良いから、何でも食べられる人が好ましいと思うのである。そういう人と飲んでいると楽しいのである。
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