この、文章を読んでみて欲しい。実に頭の悪い文章だということが分かるはずだ。
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冨成一秋君が襲われて高橋と木本が逮捕されて有罪となった事件の時にも、この伊藤大介もいた。しかし、この時には襲っている姿を捉えた映像に伊藤の姿が映っていなかったので、共同正犯とはみなされず逮捕はされていない。一緒にいても直接暴力を振るわなければ、現在の法律では対処できない。
今回も川東氏を集団で取り囲み、最初に手を出しているのに伊藤は逮捕されていない。現行犯で逮捕される程の乱暴を働いてはいないという事なのかも知れません。しかし、暴力行為で相手に傷を負わせなければ、それで問題はないと言う事なのか?
集団で取り囲んで威嚇をした理由は明確です。それは街宣をやめさせる目的で行なわれています。つまり日本国憲法で認められた政治活動の自由に対する侵害行為です。しかも、それを集団で執拗にこれまで繰り返してきた。
今回は特に悪質なのは川東氏が住んでいる場所近くの、交通機関で待ち伏せしていたことだ。このようなことが許されるならば、今後街宣やデモを主催する人は先ずは自宅周辺から警戒しなければならなくなる。
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馬鹿なネトウヨが得意とする、一つの文章の中での「ですます体」と「だ体」の「ごちゃまぜ」だが、実はよく考察すると、次のようなことが分かってくる。
1)「だ体」で書かれた文章の中に「ですます体」が入っている場合は、単なる不注意、すなわち「頭の悪い文章」と看做される。上記の瀬戸弘幸氏の文章がまさにそれに当たる。ヨーゲンの掻く「積乱雲のシーズンですが、雹でゴルフボール大のものは時速100kmで落ちてくる。」 と同じレベルの文章であるということが分かるはずだ。
2)「ですます体」で書かれた文章の中に「だ体」を混在させるのは、もちろんその大半は不注意である。しかし、ごくたまに意識的に、ある種の効果を狙って用いることも可能だ。抑制された静かな「ですます体」で綴られた文章の終盤で、押さえに抑えた「怒り」を爆発される際などに、用いると効果的である。
私自身は、その時の気分で記事ごとに「だ体」と「ですます体」を使い分けている。こういう記事の場合は「だ体」、こういう記事の場合は「ですます体」ということは全くない。まさにその日の気分で書き始める。とは言え私の考えを述べるとこうなる。概して「ですます体」のほうは、語尾表現が単調であるという欠点はあるものの、反面、例えば「慇懃無礼」な表現をしたいときには重宝である。本気でネトウヨをおちょくる場合などは「丁寧語」を多く散りばめた「ですます体」が有効だ。対する「だ体」は、文のほぼすべてを「〜だ」「〜である」で書き連ねていかねばならない。がしかし時には「〜だろうか?」のような疑問形を用いたり「体言止め」なども使える。個人的には、書き易さから言うと「だ体」かな、という気がする。
さて、上記の瀬戸弘幸氏であるが、私はかつて次のように評したことがある。
やたらといろんなフォントを使った「センスのかけらもない」レイアウトを指摘したい。「明朝体」と「ゴシック体」を混在させると、非常に「幼稚」な印象を与えるというのがウェブデザインの常識だが、そんなことは一向にお構いなく、ありとあらゆるフォント、カラー、白抜き、太字をでたらめに多用している。「強調」というものは、やたら使いすぎると「強調」にならない、というような見識すら持ち合わせていない。まず以って「頭の悪い」ブログである、というのが、この「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」を見た私の第一印象である。
<ブログ探訪3〜日本よ何処へ>
今回ひょんな事で覗いてみたら「ありとあらゆるフォント、カラー、白抜き、太字をでたらめに多用」するのはお止めになった模様である。私の指摘をご覧になって止めたのなら、私としても嬉しいと思う次第である。
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