2013年12月18日

「君が代」考


今日は「君が代」について書こうと思います。まず、この曲を外国人とくに西洋人が聞いてどう思うかですが、おそらく生まれて初めて聞く人は10人中9人は「不思議な曲だなあ」と思うと思います。西洋の手法とかなり違うからです。

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ご存知かと思いますが、この曲は「歌詞」のことは、ぜんっぜん!考えられずに旋律が付けられています。第一にイントネーション。「石の巌」が「医師の岩男」になってますね。尤も「京都弁ではこのイントネーションで正解」かも知れませんが。それにしては「苔のむすまで」が、標準語のイントネーションと妙に合っているようですね。でも実はこれは「偶然」なのです。何故なら「君が代」は、歌詞と旋律を、全然関係のないものから引っ張ってきてくっつけたものだからです。旋律にはもともと歌詞はありません。「越天楽」という器楽ですから。

このようなことはあり得るでしょう。日本でも昔は行われたと思います。メロディにあとから歌詞をつけた曲は例えば西洋ではオーストリアの国歌ですね。原曲はハイドンの四重奏曲の第二楽章。さらにこの曲はナチス時代には「ドイツ第三帝国家」として、別の歌詞が付けられていました。

以前に私は、日本の歌は言葉としての歌詞の「抑揚」とメロディが、日本の歌の場合「分かち難い」関係にあるのに対して、西洋の歌にはそれがない。ただアクセントのみが一致すれば良い。ということを書いた覚えがあります。合わせて、こちらを読んでいただければ良いと思います。西洋ではメロディに歌詞をつけるのは、日本ほど、そう難しいことではないのです。

<赤とんぼ 大明神 大神宮・・・日本の歌のことなど>
http://takashichan.seesaa.net/article/161975801.html

さらにへんなところでフレーズ(段落)がきれて「息継ぎ」になってますね。「医師の岩男」の部分です。ほんらいそこに段落があってはいけないだろうに、メロディのほうは見事に段落(息継ぎ)になってしまっている。以上の点は、日本人でも「不自然だ」と思うはずです。と言うより、日本人だからこそ「不自然だ」と思うといったほうがより正確でしょう。日本語が分かる日本人が、です。何故こうなったかは前段で述べましたが、それに輪をかけてしまったのがハーモニーです。

この曲にハーモニーを付けたのは、当時のプロイセンの音楽家フランツ・エッケルトです。

彼もここに段落(息継ぎ)があるのだと思ったのでしょう。無理はありません。旋律に関しては西洋音楽でもここは段落でしょう、どう考えても。そこで彼はこの段落を、ハーモニーでおもいっきり「強調」してしまった(笑)。困ったことです。そのせいで、この部分は未来永劫「段落」のままです。ところが、それにあくまで「抵抗している」人たちがいると聞きました。警察や自衛隊の吹奏楽団です。彼らは「医師の岩男」は息継ぎをしないで一息で吹くと聞いたことがあります。そう思って聞くと相撲の表彰式でもオリンピックの表彰式でも、確かに息継ぎをしていないような気がします。ご苦労なことです。しかし、息をしようがしまいが、ここはどうやって聞いても「段落」です(笑)。

さて冒頭で、外国人とくに西洋人が「不思議な曲だなあ」と思う、と書きました。君が代は出だしが単旋律で始まり、途中から突如ハーモニーがつき始めます。それも低音の旋律には、もともと日本には無かった「半音階」まで出てきます。「八千代に」の部分です。この部分は西洋人も「納得」なのじゃあないかと思います。というか、日本人も気に入っているのはおそらくこの部分でしょう。太鼓の音と相まって、この「半音階」の低音は一種「荘厳」な気分を出していると思います。私もここは良い部分だなと思います、はっきり言って。

問題はその後です。急にまた「単旋律」に戻ってしまうのです。西洋音楽では「一番盛り上がる」はずのところでエネルギーがすぅーっと、消えてしまう。まるで「石の巌」ではなく「尻切れトンボ」のように。西洋の音楽では「終止形」と呼ばれるハーモニーが付くはずのところです。なのに君が代のメロディはこのハーモニーが付くようなものになっていないのです。エッケルトさんも相当困ったと思います。「半音階」まで駆使して「医師の岩男」さんを盛り上げたのに、最後はこうですもんね。結論です。西洋人が聞いて「不思議だなあ」と思うのはこの部分です。「むーうーすーうーまー、ああで〜〜」・・・レコードプレイヤーの電源を途中で抜いたみたいな終わり方だと思うことでしょう。



posted by takashi at 21:20 | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 国歌は昔からその国にで慶事に歌われてきたものか、革命の時の歌のなのですが、君か代はそのどちらでもありません。

 明治の時に、お抱え外国人軍学士から日本に国歌があるかと聞かれた薩摩人某が、旧幕臣に何かないかと聞いたら、大奥で行なわれていた君が代の行事を提案され、その歌であれば知っているとして薩摩琵琶の節で歌ったのを、外国人軍学士が譜面に取ったものが最初で、その後幾度か歌詞を理解しない外国人による手直しがあって、林広守作曲の今の歌になったと聞いた事がありますが、歌としては不自然な旋律ですし、国歌とする根拠にも乏しく合理的な説明が出来ず、明治のドガチャガの中で何故かこの歌になってしまった、としか言いようがないのが実際のところです。

 歌詞と曲とがあっていないので、歌うと、きみがはよほは ちよにいひやちよに さざれいしのいはをとなりて こけえのをむうすまああで
 となります。いいオッサンが直立不動で歌うと、こんな間抜けな歌は無いといった感じになります。

 最も君が代が問題なのは、明治のドガチャガの中で決まったもので、革命歌でも昔から慶事に歌われてきたものでもないということです。

 明治の革命歌であれば、維新マーチ・とことんやれ節です。新政府軍が鼓笛隊で、ピーヒャララタッタ、宮さん宮さんお馬の前で・・と奏でたあれですが、今さらこれはないでしょう。

 昔から慶事に歌われてきた歌と言えば、高砂です。高砂や この浦舟に歩をあげて 月もろともに出で潮の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の冲過ぎて、はや住の江につきにけり というものですが、結婚式の時には必ず歌われたものです。高砂は脇能で翁に次ぐ格を持つものですから、神仙の目出度さからして、君が代よりもずっと国家に相応しいと私は思っているのですが、明治の天皇制国家が押し付けた価値観に洗脳されている日本人にはとても受け入れられそうに思えません。
Posted by 伊藤浩士 at 2013年12月20日 22:29
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