http://takashichan.seesaa.net/article/106214674.html
<拝啓 天皇明仁様2>
http://takashichan.seesaa.net/article/136288165.html
<たかしの「愛国心」>
http://takashichan.seesaa.net/article/126062944.html
<天皇の孫が登校拒否に>
http://takashichan.seesaa.net/article/142908968.html
<愛子様問題における天皇の「お言葉」>
http://takashichan.seesaa.net/article/143703140.html
<宮内庁と経産省はグルではないのか?>
http://takashichan.seesaa.net/article/277438785.html
<私もずいぶんと丸くなったものだと最近つくづく思う>
http://takashichan.seesaa.net/article/117878505.html
<皇室の起源は朝鮮半島?>
http://takashichan.seesaa.net/article/170603779.html
その他、コメント欄で馬鹿なネトウヨどもとやりとりしたものが、いくつかある。
http://takashichan.seesaa.net/article/142908968.html
<愛子様問題における天皇の「お言葉」>
http://takashichan.seesaa.net/article/143703140.html
<宮内庁と経産省はグルではないのか?>
http://takashichan.seesaa.net/article/277438785.html
<私もずいぶんと丸くなったものだと最近つくづく思う>
http://takashichan.seesaa.net/article/117878505.html
<皇室の起源は朝鮮半島?>
http://takashichan.seesaa.net/article/170603779.html
<坑道のカナリヤ>
さて今、ツィッターで山本太郎の「天皇直訴」が話題になっている。私は地上波のニュースは殆ど見ないのだが、ツィートを読むと、民放もNHKもこの「事件」を敢えて無視しているという。自社の見解で、現段階において軽率に論評することは「得策でない」と見たのであろう。おそらく噂される「山本太郎懲戒処分」が決定した段階で、各社一斉にトピックス扱いをするつもりでいるのに違いない。これはある意味、テレビ界には未だに「菊のカーテン」があることの証左である。ところがインターネットではそうは行かない。昨日のツィッターは「山本太郎直訴問題一色」だと言っていいだろう。
私のツィッターで見られる代表的な意見を見てみよう。ただしこれは、私がフォローしている方々なので、いわゆる「バカウヨ」はいない。だから「不敬罪」だの「大逆罪」だのというツィートは無い。時々紛れ込んでくる時もあるが(笑)。ほとんどはリベラルないしは左寄りの方のものと考えていただきたい。大きく分けるとこのようになる。
@山本太郎よくやった(容認)
A気持ちはわかるが、法律違反
B愚かなことをした
ということになるのではないかと思う。ABは、要するに象徴天皇に許されない「政治利用」を行なったというもの。また「天皇を過信している」「単なる人気取り」「憲法に抵触している」「意味が無い」「国会議員としてしてはいけないことをした」「請願法に違反している」などなどである。
私の気持ちは、誤解を受けずに言えば@である。山本太郎のやったことは「不敬」でもなければ「大逆」でもない。確かに形式的に論議していけば「憲法違反」ということになるのだろうが、自民党は公然と天皇を「政治利用」しているし、国会の招集で天皇の「宣言」をさせている。「国事行為」だというが、共産党などは「主権在民」にそぐわないとして、列席を拒否している。そういう意味で、今回の「山本太郎天皇直訴事件」を、一番論評するにふさわしいのは共産党かも知れない。
しかし、共産党は論評を行なうだろうか?共産党にとっても、実は天皇はある意味未だに「タブー」なのである。近年共産党は、綱領から「天皇制反対」を無くし、名実ともに日本国憲法を「まるごと」擁護する、という立場に転じた。象徴天皇制が、日本の政治反動の原因になることはもはや無い、と判断したからだ。しかし、その共産党も、もちろん「しんぶん赤旗」において、天皇ファミリーの「ご動向」を伝えたりなどしない。かと言って、天皇個人の批判なども、もとよりしてはいない。共産党は「政党」としての制約を確かに受けている。つまり「選挙」である。言いたいことが言えないのは、例えば放射能汚染地からの住民の「避難問題」などがあるし、別の問題として小沢問題のときの「検察追随」がある(これについては私も共産党の批判を行なった)。最近では「東京五輪成功決議」賛成がある。天皇問題はそれらと、ほぼ同列にある。天皇を認めてしまえば「共産党」で無くなる。かと言ってあまりに天皇制度を批判すれば「票を失う」。東京オリンピックを楽しみにしている「愚か者」が多い国で、あまりにそれを批判すれば、これまた愚か者どもの「票を失う」。早い話が「痛し痒し」である。
A気持ちはわかるが、法律違反
B愚かなことをした
※注)それにしても「東京五輪成功決議」は、せめて「棄権」をして欲しかった。都議会のレベルでは、ずっと「反対」を貫いてきたのだから。これを「大衆迎合」と言わずして何と言おう。
残念ながら、この国ではまだ国民の大多数が「天皇主義者」なのである。象徴天皇という立場であってなお。マスコミの世界にあっては相変わらず天皇は「タブー」であり続けている。天皇や皇室は「最大級の敬語」で扱われ、その反面、皇室の大衆性、ファミリー性を過度に強調する。こういう互いに矛盾する扱いを「象徴天皇」は受けざるを得ない存在だ。テレビのバラエティに登場するタレントや「芸人」ですら、天皇には必ず敬語を使い、批判はタブーだ。これらを犯すことは、即「干される」ことを意味する。前田武彦がフジテレビで共産党を賛美した時と、同じことがそのタレントに起こるだろう。一部の良心的な「反天皇」タレントにとっては、だから唯一の防御は、そのような仕事(皇室の話題を振られそうな)は請けない、ということぐらいか?
しかし大多数の芸能人にとって、天皇は「無条件に尊い御方」なのだ。だから「原発タブー」に触れて職を失った山本太郎ですらが、未だに「天皇主義者」であるのだ。尤も今回は、別の意味でその「タブー」を犯したことが問題になっているわけなのだが。
それほど日本の「象徴天皇制」は、日本人に染み付いてしまっている。その原因は99パーセントマスコミにある。批判やパロディがあり得ないという意味で、日本の象徴天皇はイギリスの王室とは全く異質なものだ。天皇の「お言葉」ひとつとってみても、マスコミが異常なまでに反応する。私だって、天皇の「お言葉」が、大多数の国民にとって「未だに」大変な影響力を持っていることは認めざるを得ない。以前私はこのようなエントリーを書いた。
このエントリーのコメント欄で、はからずも「こっぱな役人」さんと論争のような形になってしまった。しかし、私の言わんとすることは分かっていただけると思う。相変わらず「天皇のお言葉」は「国務大臣」のどの言葉より重いのだ。良くも悪くも天皇は今回、山本太郎の「信書」を受け取ったわけである。これに関する天皇の「お言葉」が、あるのか無いのか?楽しみにしていたいと思う。
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山本氏は、子どもや作業員の被曝について天皇に知って貰いたかったといいますが、天皇がそのことを知っても知らなくても、今の日本の仕組みでは被曝問題も原発再稼働問題も何も変わらないという事実を、この人は丸で分かっていません。天皇が知れば何かが変わるような錯覚をもっており、これは天皇の政治利用というものではなく、天皇主権に繋がる発想ですから、山本氏の支持者を落胆させるに十分な愚行だといえます。
山本氏が今までやってきたことは正しいが、これは天皇に知って貰ってどうこうという話ではなく、どこまでも大衆運動としてやらなければならないものであり、何かここへ来て山本氏が反原発運動の基本を踏み外してしまったような気がします。
一方で自民党などは除名に値する非礼だと言っていますが、有権者の判断よりも天皇への瑣末なエチケット違反が優先されて議席を奪う事は、国民の判断よりも天皇を圧倒的に重い存在としているわけで、主権在民の原則を否定するものです。山本氏は議員としての任期終了後に有権者の審判を受けるべきであり、今の時点で自民党が天皇への非礼を議席を奪う要件となりうるとして議論を展開する背景には、改憲による天皇の元首化と不敬罪などの制定を視野に入れての事であると考えられます。
神聖不可侵の天皇に対する非礼は、山本氏に投票した国民の意志よりも重いのだから議席を剥奪されて当然だ、といった世論を作り出していけば、天皇が出席する国会の開会式への列席を拒否している共産党議員全員を、天皇に対する非礼を働いたとしてその議席を剥奪することも可能になるわけで、自民党はその辺りまで考えているはずですから、山本氏が議席を失うような事態はなんとしても避けるべきだと思います。
これは山本氏が議員として有能かどうかではなく、天皇への非礼で議席を剥奪できるという悪列を作らないために必要なことではないでしょうか。
あと、山本氏は大逆罪で死刑だとか、不敬罪で死刑だとか騒ぎ立てているネット右翼には、山本氏が幼稚とも思える天皇信者だったという事実すら見えていません。大逆とか不敬とかいうのは、戦前の刑法でも天皇制を否定する人たちに適用されたものであり、山本氏のように無邪気に天皇の善意と権力を信じてお願いした人に適用するものではない、といったことすらネット右翼には理解できていません。
ネット右翼は、反原発の人間はみんな反日極左と決めつけてきましたが、天皇に知って貰いたいと、無邪気に天皇の善意を信じる人が極左であるはずがなく、ここでもネット右翼の議論は破綻していますが、奴らは自分たちの議論が破綻したことに気が付くことなく、まるで自分たちが天皇の気持ちを代弁しているような感覚で騒ぎ立てています。
その程度のことに気が付けよと言いたいのですが、ネット右翼は反原発派は全員が反日極左としてきた自分たちの議論が、今回の山本氏の行動によって成立しなくなっていることに少しも気が付いていません、最悪の愚かさだと思います。
伊藤浩士さん、ありがとうございます。ここのところコメントを書いてくださる方がガタリと減ってしまい寂しく思っておりました。閲覧者は多いのですが、書き込む方が少ない。ネトウヨなど皆無です。往時の賑やかな「たかしズム」が偲ばれます(笑)。
日本国民全体が未だに、如何に「天皇主義者」ばかりであるか、については本論で繰り返し述べたのでこれ以上申し上げません。伊藤浩士さんのコメントには私もほぼ賛成できます。いつもながら的を射た、論の展開で敬服いたしました。
>先ず山本氏は憲法の天皇に関する規定が丸で分かっていない、これが問題であり、さらには彼が単純幼稚な天皇信者であった事、これは彼を支持してきた人たちを落胆させたと思います。
これはまったく「天皇制」の問題なのですが、山本太郎のような「(政治)意識の高い」「社会の矛盾に目覚めた」「行動的な」若者ですらが、現在の「象徴天皇制」に限っては、何の疑問も持たないわけです。ただ、山本太郎を支持してきた人々を「落胆」させたか?と言うと、私はそうは思いません。なぜなら、彼を支持する人々も、そのほとんどが私のいう「天皇主義者」なのですから。現に「良くやった」という意見が私のフォローする方々の大半のように思います。落胆した人も中にはいるでしょう。しかし、このことで彼を「不支持」する側に回る人は多くはないのではないでしょうか?彼が「脱原発」「秘密保護法TPP反対」でやってきたこと、そして現在やっていることの重要さ(貢献度)に比べれば、今回の「事件」が如何ほどの瑕疵になるのか?と私は言いたいです。
>天皇がそのことを知っても知らなくても、今の日本の仕組みでは被曝問題も原発再稼働問題も何も変わらない
いや、100パーセントそうだとは言えないのではないでしょうか?まず天皇も、天皇である前に「自然人」です。彼が過去に発した「お言葉」には、示唆に富むものがけっこうあります。また、明仁天皇は現政権が必ずしも「嬉しくない」行動もとっています。サイパンでの朝鮮人犠牲者追悼や、例の園遊会での「強制でないほうが良いですね」発言などです。美智子皇后は先の誕生日に「五日市憲法」を好意的に引用し、暗に自民党の改憲を批判しておられました。ですから、今回の山本太郎の天皇への「手紙」に関しても、そのうち思いがけない「お言葉」が出ないとは限りません。そうなれば「一億総天皇主義者」のこの国ですから、結果、脱原発賛成派が相当数増えるのではないでしょうか?そして、それは喜ばしいことではないでしょうか?繰り返しになってしまいますが、今の日本では天皇の「お言葉」は、我々の想像以上に「重い」のです。
以上が私の見解ですが、後段以下の伊藤浩士さんの論評には、私は全面的に賛成です。なお、このことに関連するエントリーを、本文にも書きましたが紹介します。コメント欄において「こっぱなお役人」さんと私が論じている部分を御覧ください。
<天皇の謝罪>
http://takashichan.seesaa.net/article/286893653.html
園遊会での「強制しないほうが良いですね」という天皇の発言を私が引用して、大阪の橋下市長の君が代強制を批判したら、あれは左翼マスゴミへの配慮で心にもないことを仰ったのであり、天皇の真意は全国民が君が代を歌う事にある、日本人であれば隠された天皇の真意を慮って行動するべきであり、天皇のマスゴミ向けの心にもない言葉を根拠に論じるお前は朝鮮人だとネトウヨに言われました。
極右にかかれば、美智子皇后の「五日市憲法」発言は、宮内庁に入り込んでいる反日勢力に意に反して云わされたものであり、サイパンでの朝鮮人犠牲者の追悼は反日勢力に意に反してやらされたものであり、皇族方の真意は明治憲法にあり、朝鮮人の排斥にある、皇族である限り明治憲法以外の憲法を支持することはあり得ないし、人モドキの朝鮮人の慰霊などするはずがない、といった話にされてしまいます。
今回の山本氏の行動に対して、天皇が自分は気にしていないからと言えば、悪い側近に云わされたとなってしまい、もしも天皇があれは不愉快だったとでも言えば、宸襟を悩ませた山本氏は万死に値する、議員辞職程度では済まないといった議論になることは確実です。
戦前の太平洋戦争直前の話ですが、対米戦は簡単に片付くという軍部に対して、昭和天皇が、「シナ事変は1ヶ月で片付くと陸軍は言ったのに何年たっても終わらないではないか」と問い、「なにぶんシナは奥地が広いですから」と答えた軍部に対して、「シナが広いというのであれば太平洋はもっと広いではないか」と言い、軍の側が返答に詰まってしまった事がありましたが、それが天皇の真意として伝えられることは無く、国を守るためにみんな死ね、死ねば靖国神社に神として祀ってやる、といったことばかりが天皇の意志として国民に伝えられました。
今でもその状況は全く変わっておらず、極右勢力にとって都合の悪い天皇や皇族の発言は全て真意ではなかったとされ、都合のいい「真意」が極右によって作られて押し付けられる、これが日本の現実のような気がしてなりません。
いえ、無視はしてません
が、ここぞとばかりに攻撃してます。
吉本芸人・芸能記者
が恥ずかしげも無く叩いております。
特に違和感と言うか、お前が言うなが之ですw
井上公造
・山本なんかに教えて貰わなくても陛下は何度も福島に足を運んで現場を見ている
(この意見は多数の芸人・芸能記者が共通して言ってます)
・福島第一原発の情報公開しろ!と言ってる訳でしょ?
自分の事になると情報公開したマスコミがおかしいって論理はおかしい
(何を言ってるかイマイチ分かりませんw)
人の醜聞を飯の種にしてる芸能記者が居丈高に山本を叩いてる姿に違和感
2013/11/02
山本太郎の件で、自民党議員はわしと対決せよ!
https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=2626&comment_flag=1&block_id=736#_736
この件で山本議員に厳罰とか、
辞職などという処分が下されるのなら、
日本もいよいよ恐ろしい右傾化が
進んでいると思わざるを得ない。
この件では、わしは自民党議員を10名呼んで、
わしが1人で対決したっていい。
いや、100対1で議論したっていい。
「(山本議員の行動は)憲法を知らない者の行動」と。
そのとうりかもしれませんが・・・・
私は、山本議員を支持します。
彼の行動が、ある意味で、「天皇と自分たち自身(すべての国民)のかかわり方」の問題を、あぶりだしたからです。
失礼ながら、志位委員長が何か発言されても(それが理にかなった正論であったとしても、)これだけ大きな反響はないでしょう。
彼の行動は正しくないかもしれませんが、糾弾されるほど異常なこととも思えません。
「天皇の政治利用」を追及すれば、利用し続けている自民党自身の矛盾も露呈してきます。
>今の日本では天皇の「お言葉」は我々の想像以上に「重い」、私にはその実感はありません、寧ろ極右の意に叶ったもののみが皇族方の真意と見做されるというのが現実ではないかと思えてなりません。
伊藤浩士さんが例にあげておられるのは、いわゆる「バカウヨ」のたぐいですよね。私が、天皇の「お言葉」は我々の想像以上に「重い」と、感じていると指摘しているのは、いわゆる「一般大衆」「ノンポリ」の方々です。
半半さん、
>いえ、無視はしてません
が、ここぞとばかりに攻撃してます。
そうですか?でもそれは、バラエティ番組でではありませんか?あるいはツィッターやネットニュースのたぐいではありませんか?報道番組やニュース番組でそのような論評はありましたか?
志位さんの言っていることは尤もです。と同時に、井上哲士議員の報告にあるように、党が昨日の議員運営委員会で「常識を欠き不適切ではあるが懲罰には当たらない」としているのも、至極尤もだと思います。
なかなか興味深いブログですね。私も常々ネトウヨの思考の浅さ、
支離滅裂さにうんざりさせられていた者です。
「同志」に巡り合えた気分です(笑
さて、今回の山本太郎さんの件は、最初は私も@でした。
太郎かっけぇ!?え?批判の嵐?手紙を渡すだけなのに何が問題?
程度の認識でしたが、いろいろな人の考え方を見聞きしていく中で
考えを改めました。もちろん、憲法を蔑ろにしているという問題もそうですが、
いかに、天皇という存在が多くの日本人の心の中にデリケートなものとして根差しているか、再認識しました。
やはりそういうデリケートな部分を無視していは、何事も
前に進まないと思います。
そういう意味でも、やはり山本さんの行動は、あまりに稚拙でした。
本当に何かを変えたければ、思い付きや直観だけでなく
(もちろんそれも大切ですが)、常に思考を巡らせ、デリケートな部分にも思いを馳せながら行動を起こすことが絶対に必要なことだと思いました。
それにしても多くのネトウヨはデリケートさのかけらもないですよね(笑
大騒ぎすることで天皇の心を一番乱してるのは自分たちだということに気づいてない。
でも、私の中にもそういう部分(がさつさ?)は確かに存在することも事実。
常に他山の石としていたいものです。
私も山本太郎のとった行動が「天皇の政治利用」「憲法違反」に全く当たらない、と言ってはいないのですよ。「主権回復の日」その他で「目一杯」政治利用している自民党が、ぬけぬけと何を言うか!というのがスタンスです。
>いかに、天皇という存在が多くの日本人の心の中にデリケートなものとして根差しているか、再認識しました。
それは私が本文で述べているとおりです。残念ですが日本人の平均的「民度」は、その程度だということでしょう。
是非またお書き込み願います。
個人攻撃に終始しているからではないでしょうか?
さて、今回の山本議員の行動についてですが、たかしさんの考えに近いです。どうしてそこまで大騒ぎするのか。
天皇は政治的手段にはなりえない。神頼みか。
封建時代の直訴スタイルと古風な上下判断にとらわれたメンタリティに基づく山田太郎議員の努力の方向は間違っている。
天皇に迷惑をかけるな。政治家は頭を使え。同僚に対する説得力を生かせ。
ツイッターが私の主戦場のようになって以来、「たかしズム」へはすっかりご無沙汰しており申し訳ございません。
閑話休題、今記事の山本太郎氏の一件について、私の意見を述べさせていただきますと率直に言って、山本太郎氏が国会議員である以上、「天皇直訴」はお世辞にも賞賛できる行為ではないと考えます。
たかしさんは本文にて「形式的に論議していけば「憲法違反」ということになるのだろうが」と述べていますし、宮内庁も「非常識だが政治利用には当たらない」と見解を出したようですが、今回の件は「日本国憲法」の精神の本質から考えておく必要もあろうかと思います。
天皇は確かに憲法によって、一切の政治的権能を有さない立場です。ですから山本氏の「手紙」によって天皇自身が何かアクションを起こすことは不可能です。しかし現実問題、天皇は自身が望む望まないにかかわらず、その言動はもとより「誰がどのように天皇に接したか」すら、政治的・社会的に大きな影響を及ぼす力を持った存在です。
裏を返せば、天皇がそれだけ絶大な影響力を持っている存在だからこそ、日本国憲法は天皇から一切の政治的権能をはく奪することで「主権在民」を保障していると言えると思います。
さて、そんな天皇に手紙を渡した山本氏が「政治に関わりのない一般市民」ならば、思想的立場はどうあれ、彼なりに本気で放射能被害を何とかしたい一心の行動として「よくやった」と言いたいところです。しかし山本氏は参議院議員、たとえ本人にその気がなくても、その言動すべてに何かしらの「政治的意味」があると見られる立場です。
現在この一件は方々を巻き込んで蜂の巣をつついた様な騒ぎになっていますが、山本氏の行動を支持するということは「天皇が何かしらの政治的影響力を働かせてでも何とかすべきだ」という意味をも持っている。これが世論になるようであれば、改憲勢力によって「天皇に政治的権能を持たせる」つまり「天皇の元首化」「主権在民の否定」実現に利用される危険性も十分に孕んでいるのではないでしょうか。
幸いにといいますか、今のところはそういう「利用」の動きではなく、山本氏の今回の行為をもって「議員辞職」させたがっている自民党ら保守議員や「安倍晋三ネトウヨ内閣」の閣僚は専ら「不敬罪」だの「田中正造のようにお上にたてついた不届き者」だのと、現憲法ではなく明治憲法における天皇の立場で山本氏を攻撃しています。
「たかしズム」でも先のエントリー「小泉純一郎の脱原発は改憲狙い」の中で、安倍内閣にはそんな「知恵」は無いとご指摘でしたが、ここでも彼らは「時代錯誤」も甚だしい「無能さ」をご披露しているようです。
そして山本氏の「自覚なき天皇の政治利用」などとはまるで比較にならないほど「確信犯的な天皇の政治利用」を日常茶飯事に行っている彼らを「お前らが言うな」と指摘する新聞記事も出てきましたね。
https://twitter.com/hage3826/status/396565134484598784/photo/1
https://twitter.com/tamsota/status/396471775883579392/photo/1
何故かニュースに取り上げられる某大阪市長に至っては「法律に書かれてなくても、日本人ならやってはならないことだと分るはず」などとおほざきのようですね。ちゃんと憲法に天皇と政治に携わる者の立場は書かれているし、「日本人ならアタリマエ」とか、ここでもネトウヨの言動丸出しですね。
この騒ぎを機に、彼らの頭の中が如何に前時代的で「中世」と揶揄されて然るべきということ、こういう輩が時代を逆回しさせたがるからこそ、憲法をきっちり守らせてその行動を厳しく制限しなければならないことが、あらためて浮き彫りに示されているとも言えると思います。
というか、やはり早いとこ天皇制そのものを無くすべきですね。日本のためにも、「人間」としての天皇・皇族のためにも。ネトウヨの中には「天皇に下々の者が手紙を渡せるようになったら日本が壊れる」などと、フランス革命以前の市民のような感覚で憂慮してるらしい輩すら居ますから、「原発無くとも灯は灯る」だけでなく「天皇無くとも日は登る」ことにも早く気付くべきです。
それでも天皇を御本尊と祀りたい人は、国家・政治とは関わりのないところでやるのはそれも大いに結構じゃないですかね。
あ、ちなみに私は法律関係や憲法をきちんと学んだわけではない「浅学」な「素人」ですので、実際にされている「憲法解釈」と齟齬がありましたらご容赦・ご指摘ください。
以上は、「素人」の私ですが「一人の日本国主権者」として色々考えた自分なりの見解です。
不勉強さん、お待ちしておりました(笑)。
>率直に言って、山本太郎氏が国会議員である以上、「天皇直訴」はお世辞にも賞賛できる行為ではないと考えます。
>山本氏の「手紙」によって天皇自身が何かアクションを起こすことは不可能です。
天皇は自身が望む望まないにかかわらず、その言動はもとより「誰がどのように天皇に接したか」すら、政治的・社会的に大きな影響を及ぼす力を持った存在です。
上記に述べておられるいずれについても、私は「百も承知、二百も合点」です。不勉強さんのおっしゃっていることは至極当然、共産党の志位委員長と寸分違わない完璧な見解だと思います。建前上はね(笑)。
>天皇がそれだけ絶大な影響力を持っている存在だからこそ、日本国憲法は天皇から一切の政治的権能をはく奪することで「主権在民」を保障していると言えると思います。
>これが世論になるようであれば、改憲勢力によって「天皇に政治的権能を持たせる」つまり「天皇の元首化」「主権在民の否定」実現に利用される危険性も十分に孕んでいるのではないでしょうか。
このご意見は、二重の意味で的を外していると思いますね。つまり、今回山本太郎が天皇に手紙を渡したように、どこぞの「右翼将棋指し」が、再び園遊会で手紙を渡しでもすまいか?というご心配ならば、私は全くする必要はないと思います。「二番煎じ」をやっても世間様は「せせら笑う」だけだと思いますから(笑)。
次。『「主権在民の否定」実現に利用される危険性」』とおっしゃいますが、その「主権在民の否定」「天皇神格化」は、もう既に充分すぎるほど行なわれているのではありませんか?国会の招集時。そしてイカサマ記念日「主権回復の日」等など・・・。それでなくても憲法はもう「存分に」蹂躙されております。不勉強さんの「杞憂」は、既に何年も前から「現実」なのです。憲法違反の法律がこの国に「自衛隊法」を始め、既にいったいいくつあるでしょうか?それら「憲法違反の法律」の存在という「罪」を、山本太郎の行なった行動の「罪」と比べた場合、果たしてどちらの「罪」が「重い」でしょうか?
最後に。ことを荒げなければよいだけなのです。若気の至り。芸能人上がりの無知な早とちり。それでいいではありませんか。不勉強さんのおっしゃるように『山本氏の「手紙」によって天皇自身が何かアクションを起こすことは不可能』です「実質的」にはね。しかし、今後陛下がお述べになられる「お言葉」の中の、どこか一箇所にでも、山本太郎の願いが「反映」することを願おうではありませんか?それでいいのです。
私の意見は、あなたに一番近いような気がいたします(笑)。
けれども、この国で「打倒天皇制」の声が広がることはまずない、とも思います。また原発事故の被害を半永久的に抱え込んでしまった今となっては、天皇制うんぬんより目の前のなんとかしなければならないことが多すぎて、正直「かまってられない」という感じです。現実的な対処としては皇室典範を変えさせなければいいのです。そうすればおそらく何十年後かには皇室は消滅します。
そんなわたしにとって、今回の山本太郎議員の「パフォーマンス」は「やったね!」です。明仁天皇なら冷ややかに突き放すことはまずない。黙って書状を受け取ってくれるだけでいい。これで天皇の権威には逆らえない、と感じている多くの国民の耳目を集め「天皇もこころを痛めておられる原発」について考えてくれる人が増えるのを期待しています。天皇の政治利用だという人もいるでしょうが、これまでさんざん政府から政治利用されてきたのです。山本議員が仮に政治利用したとて、それがなんだというのでしょうか。明仁天皇も初めて国民のために利用されて本望ではないかとわたしは勝手に思っているのです。
昭和天皇の戦争責任を「不問」にしたことが、現在の日本の道徳的堕落の根源だと思います。彼に責任が無かろうはずはない。戦後補償問題を始め、近隣諸国への対応が180度、ドイツと別れてしまったのはここに原因があると思っています。とても情けないことだと思います。以下に、だいぶ昔に書いた文章から引用させてもらいたいと思います。
http://takashichan.seesaa.net/article/105501961.html
----------------------------------------------------------------------------------------
ネトウヨがよく使う「自虐史観」なる言葉だが、これはおかしいと思う。どうもこれは過去の日本の国家犯罪を反省すべし、と主張する我々のような人間に対して投げつける「悪口」であるらしい。しかし、私はこの言葉をネトウヨの諸君にこそ贈りたい。例えばである。殺人を犯して服役した男が、自分の犯した罪を反省し、更生し、社会復帰することが「自虐的」だろうか?
逆に罪を反省せず、出所後も自暴自棄になり自堕落な生活を送りながら自分の犯した罪を正当化しつづける、そのような男こそが「自虐的」なのではないか?これを現在の日本国(政府)に当てはめれば一目瞭然だろう。服役(敗戦)出所(国際社会への復帰)を果たしたものの、上の例に挙げた二番目の男のように日本はいまだに国際社会の「鼻つまみ者」である。それこそが「自虐的」な身の処し方ではないのだろうか?
----------------------------------------------------------------------------------------
ネトウヨ、ネトウヨとレッテル貼りして彼らを浅慮と馬鹿にしたくなる気持ち。
私もわかります。
自分は、そう言われてしまう人々はほとんどが人間の『弱いものいじめ大好き』の本能に勝てない、気づけないだけの人なんだろうなぁ、と思ってはいます。
今回の件も、要するに弱いものをいじめたいが、理由なくいじめて自分が叩かれるのが嫌って連中がこぞって山本太郎を叩いているのがほとんどだろって感想です。
都合のいい『出る杭』ですからね。
これもネット発展以来幾度となく繰り返されてきた事例のひとつでしょうが、幾度となく繰り返すうちに大きな力であり、かつ誘導しやすい力になってしまっていると思います。
で、何が言いたいかというと、いわゆる紋切り型の『ネトウヨ』も、もはや馬鹿にしたり、侮れるものではなく、ここに多くのコメントをした皆さんそれぞれのコメント同様、そしてブロ主様同様の『同じステージの意見』のひとつとして捉えなくてはならないのではないか、ということです。
今回の山本太郎の一件においての私の考えですが、辞職覚悟、というか辞職を大前提としてやっていれば、異なる価値観に生きていても評価は持てました。
が、するつもりも無いようなのでただのバカのパフォーマンスか、でおしまいですね。
しかし実も蓋も無い言い方ですが、世の中行動力のある馬鹿ほど利用価値がある者もないですからね。
これを気に改めて多くの人が原発のこと、天皇制、そしてひとつの群体としての価値観『ネトウヨ』などに関して考えるきっかけになれば彼も存在価値があったなと思います。
それと最後に、自虐史観うんぬんですが、これを確かめるすべは現実に当時を生きた人間以外『決して、絶対に』ありえません。
二つに分けた意見の、片方の意見に同調しすぎるのもどうかと思いますがね。
自虐史観という人は、私と同じ考えをさらにドライにしたものなのでしょう。
100%確実に自分の目と耳で確かめられない、まして自分がしたことでもない過去のことでいつまでもグダグダ言われても困ることしかできないんだけど、って考えから転じてむしろそんな歴史本当にあったのかよ?、都合のいいすり込みじゃないのかよ、となってしまう。
もはやWW2くらいの歴史も、例えば江戸時代、例えば鎌倉時代などの歴史と同じようにリアリティの無い『お話』レベルに落とし込んでしまう人も確実に多いと思います。
そういう人間も一定数確実に存在し続けるということを受け入れて、落としどころを模索していく姿勢が重要なのではないでしょうか。
乱文失礼しました。
私の言いたいことを、ほぼ完璧に「代弁」してくれている記事を見つけました。ご紹介したいと思います。
(今こそ政治を話そう)内なる天皇制 映画監督・作家、森達也さん
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311260611.html?ref=pcviewer
―園遊会で山本太郎参院議員が天皇陛下に手紙を渡した件は、参院議長が厳重注意し、落着しました。
「『常識を欠くもので、極めて遺憾』と。しかし常識というのはとても恣意(しい)的な言葉です。何のルールを侵したのか明示されないまま、ペナルティーが与えられる。極めて日本的なやり方ですっきりしませんね。そもそも手紙を渡すことがどうして『政治利用』になるのでしょう。強いて言うなら『政治利用未遂』だし、それ以前に、利用するとかされるとか、それこそ天皇に失礼じゃないですか。僕だったら『私はモノじゃない』と言いたくなります」
(中略)
「今年4月に政府が主催した『主権回復の日』を祝う式典への天皇、皇后の出席が政治利用だと指摘されました。天皇、皇后が退席する際、会場から『天皇陛下万歳』の声がかかり、安倍晋三首相や麻生太郎副総理も万歳したことも批判された。でも話はそこにとどまりません。その後にアップされた政府のインターネットテレビの動画をみると、なぜか『天皇陛下』の音声だけが消えています。数秒間無音になって、唐突に『万歳』が聞こえてくる。意図的かどうかは別にして、これこそ非礼でしょう。少なくとも万歳三唱の際の天皇の表情は、山本さんから手紙を渡された時よりも困惑しているように僕には見えました」
(中略)
―原発反対の一点で支持され、国会議員になった山本さんが、その原発問題について天皇に「直訴」する。戦後の民主主義とはいったいなんだったのでしょうか。
「民主主義や主権在民という言葉がむなしく響きます。結局は与えられたままになっているということです。その理由の一つは、やはり天皇制にあると思います。統治者と被統治者という緊張関係があるからこそ、被統治者の権利への意識が覚醒し、民主主義は実体化する。しかし日本では、天皇制がその緊張関係に対する緩衝材のような役割を果たしてきました。為政者にとってはとても都合の良いシステムです」
―山本さんの弁明は「この胸の内を、苦悩を、理解してくれるのはこの方しか居ない、との身勝手な敬愛の念と想(おも)いが溢(あふ)れ、お手紙をしたためてしまいました」でした。
「まるで一昔前の恋文ですね。でも考えてみれば、山本さんほど直情径行ではないにせよ、天皇に対する信頼がいま、僕も含め、左派リベラルの間で深まっていると思います」
「きっかけのひとつが、2001年の天皇誕生日に先立って記者会見し『桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています』と語ったことです。さらに10年にも、やはり桓武天皇に触れながら『多くの国から渡来人が移住し、我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました』と。最初の発言は小泉政権下。日韓関係が冷え込んでいました。2度目の発言は、尖閣諸島沖で中国漁船による衝突問題が起きた1カ月後です」
「04年の園遊会では、当時東京都教育委員だった棋士の米長邦雄氏が『日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事』と発言したのに対して、『やはり、強制になるということではないことが望ましい』と応じた。快哉(かいさい)を叫んだ左は多かったと思います。明らかに天皇は一定の意思を示していて、追い詰められるばかりの左にとって最後の希望のような存在になってしまっている。倒錯しています。でも白状すると、その心性は僕にもあります」
(後略)