「定期券の論理」というものがある。分かる人にはすぐ分かる話である。分からない人も、話を聞けばすぐに理解できるはずだ。こういうことである。
あなたが朝乗る通勤電車の発車時刻は、ほぼ毎日同じだ。いつものように身支度を済ませて出発する。自宅最寄りのいつもの駅の改札機の前まで行き、ポケットを探すと、定期券がない。家に取りに戻る時間的余裕はない。取りに戻ると「遅刻」だ。あなたは泣く泣く「券売機」で切符を買う。片道500円、往復1000円の予想外出費である。
さて、この場合あなたの金銭的損失は一体いくらか?設定として、あなたは90日定期(45000円)を持っているとしよう。結論から言ってしまおう。あなたの経済的損失は、次の計算式となる。
(500円×2)+(45000÷90)=1500円
如何であろうか?分かっている人には分かると思う。(45000÷90)の部分は、定期券を持っていなかったために「無駄になった」1日の使用料である。定期券を忘れたからといって、その期限が1日延びるわけではない。つまり(45000÷90)とは、定期券を忘れなければ「使えたはず」の1日分の損失なのだ。
これと同じようなことは世の中にいっぱいある。
週休2日の会社と、週休1日の会社があったとしよう。週休1日の会社に勤めているあなたが被る「損失」は、週に何日だろうか?もうお分かりだろう、2日間である。「実際に1日多く働く労働日」と、もう一日「もし週休2日であったならば、本来あるはずのあなたの自由時間」。この二日間を、あなたは「棒に振っている」ことになる。つまりあなたは「時間」という、お金で買えない貴重なものを奪い取られているのだ。
原子力発電を続けることのデメリットは、どうだろうか?事故の危険性、廃棄物の問題、経済的なデメリット・・・。それだけか?いや違う、それだけではない。原子力を続けているために「疎かになっている自然エネルギー」の開発(のための時間)だ。原発などやってさえいなければ「進歩したであろう」自然エメルギーの技術、そして「作っていたであろう設備」の数々。これらがプラスされたものが、原発の「損失」である。
戦争で考えてみよう。この国が5年間戦争をしたとする。5年間にあなたが被る損害は、あなたが直接戦争で受けた損害、失った資産、失った命、失った家族・友人、破壊された国土の他に、まだあるのだ。戦争さえしていなければあったはずの「平和な5年間(の生活)」を、あなたは失っているのである。これらの「定期券の論理」は、いずれも「時間」の概念を意識しないと理解できない「盲点」なのである。
2013年06月22日
「定期券の論理」
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