カタカナ語は「カタカナでしかニュアンスを表現出来ない」コトバに限定すべきではないか?私はそう思う。本多勝一氏も常々そのように述べている。ことほど左様に、今の日本にはカタカナ語が溢れかえっている。日本語(漢語)で充分表現できる概念を、どういうわけか、わざわざカタカナで書く。コンプライアンス、ガバナビリティ、プロダクト・ライアビリティ、アカウンタビィティ、レジティマシー、コンピテンシー。そんな例は枚挙にいとまがない。IT関係の会社が、特に甚だしいように私には思われる。
ネトウヨの方々は、私が本多勝一氏に影響された、とプロフィールに書いてあることを捉まえて、まるで私が本多氏を「神様」のように思っていると、勘違いしているフシがある。しかし彼の主張にも、賛成しかねることが、当然いくつかある。例えばJR等の車内放送を、本多氏は「うるさいから全廃しろ」という主張であるのに対し、私は「次に停まる駅」「今停まっている駅」については、絶対放送して欲しいと思う。「ドアの近くの方は気を付けて」だの「記念オレンジカードを発売しているから買え」だのの連呼は、本多氏同様「論外」であることは言うまでもない。このへんについては以下のエントリーをお読みいただきたい。
http://takashichan.seesaa.net/article/294760008.html
カタカナ語についても私の場合、本多勝一氏ほどラジカルではない。もっと「許容幅」は広いからだ。むしろカタカナ語を使ったほうが良いと思われる場合がある。先日もあるコメント欄に書いたが、例えば「混血児」を「ハーフ」「クォーター」、「障害者」を「ハンディキャプト」と表現するのは、ある程度「自国語」を使うより「角が取れる」と思う。漢語で「混血児」といった場合、妙に具体的で、何より過去において「差別的」に使われていたという現実が、まず脳裏をかすめることがある。そういう意識が「ハーフ」「クォーター」「ハンディキャプト」には少なくとも無いと思うのだが如何だろうか?これらは唯一、カタカナ語が「推奨」されるべき使い方ではないだろうか。尤も、本国のアメリカでは裏返しの事情で「ブラインドデート」「ブラインドタッチ」という言葉が見直されて、最近は言い換えられているらしい。"Blind","Blind man" には差別的なニュアンスが無いにも拘わらず、である。
とは言え、カタカナ語は漢語と並んで日本語の「進化」に多大な影響を与えてきた。日本語というフレキシブルな(すいません)言語に、大いに貢献していることは間違いない。
参考スレッド
<電信柱と騒音>
http://takashichan.seesaa.net/article/294760008.html
<「新語」について>
http://takashichan.seesaa.net/article/149630441.html
こんなものが重要視されるのは馬ぐらいなもので、
やたらと、日本人、日本人と騒ぐネトウヨや血統のプライドだけは人一倍高い安倍や麻生は、馬並みの知能しか持ち合わせていないのでしょう。
このサイトは、いつも興味深く読ませていただいています。
やまださんのおっしゃっていること、本当に「そのとおりだ!」と思います。
以前、(安倍が初めて総理大臣になった時)、テレビの街頭インタビューを受けたおばさんが、安倍のことを「なんといっても血筋がちがう」と言っていたのを思い出します。今の政治家には2世3世がやたらと多いけれど、安倍麻生石破石原などなど、ろくでもない連中ばかり。血筋とか血統とか有り難がっているようでは・・・・
カタカナ語については、たかしさんの書いておられる通りだと思います。このつたない投稿文にも、すでに三つのカタカナ語(サイト・テレビ・インタビュウ)・・・ただ、日本でしか通用しないニュアンス(あ、またカタカナ)もありますね。
ごく普通に使っているマンションという言葉・・・
アメリカなどでマンションといえばかなりグレード(あ、また)の高いもの。アパートもそうです。
以前私が住んでいたマンションには「キャッスル○○」」という名前が付いていて、アメリカの友人から「城に住んでいるのか」と言われたことがあります。
またちょくちょくおいでください。
苗字をそのまんま直訳というのも笑えますが、日本語で川西城としたらもっとバカみたいです、恥ずかしくて誰も借りないでしょう。英語であれば、みんな名前に抵抗感なく賃貸しています。
IT業界のカタカナ語は、外国語というよりは仲間うちの隠語のような感じになってきているような気がします。何語だって構わないから、外部の人間が理解できない言葉を使って、仲間内だけの優越感を確認したいという気持ちなのではないでしょうか。
私の仕事はカタカナ言葉厳禁という至って珍しい世界なので、誰がどのようなカタカナ語を使おうが関係ないともいえますが、カタカナ語が増えるにつれて意思の疎通が難しくなってきているということは感じています。
しろーさん、
安倍氏に世襲議員なので血筋が違うとする人もいますが、5年前に安倍氏が退陣したころには、ネトウヨは、安倍氏の出身地は山口県熊毛郡田布施であり、田布施には明治以前から朝鮮人の差別部落があって、そこに住む大楽源太郎という者が大室寅之助という者を明治天皇と摩り替えて、裏から明治政権を操るようになって、その結果田布施出身の朝鮮人が日本の権力を掌握するようになり、その系譜の上に居て首相となった安倍晋三氏は朝鮮人で、晋太郎氏が亡くなった時にこれは朝鮮人の骨格だと誰かが言った、なんてことを書き込んでいました。
安倍氏は血筋が違うという表現は、世襲議員だから血筋が違うとも取れますし、先祖が朝鮮人の差別部落出身だから日本人とは血筋が違うともとれます。
ネトウヨは今は安倍支持ですが、風向きがかわれば上記のデマを持ち出してきて、その血筋の攻撃に移るのではないかと私は見ています。
笑わせていただきました。私の頭には「ブリジストン」という企業名が、一瞬よぎりました。その点「マツモトキヨシ」いい社名ですな(笑)。
障害者は障害者でいいですよ。変ないい回しされたほうがよほど差別的だ。
「障害者のみなさん」とか「障害者の方々」(笑)……
昔、何を怒ってるのか(いまならネトウヨ、「こいつら俺たちの税金で食わしてもらって、デカイ顔してる」からと怒ってたのかも知れないが)自転車ふかしてきて(笑)、追い抜きザマ怒鳴ったことば。
「このシンショーシャめーっ!」(爆)
ほんとうの話だよ(マジ)。
ことばの意味が分かんなかったんだろうな(笑)。
本間さんのように「達観」した方にとっては、そのとおりだと思います。しかし、その「障害者」なる言葉ですら、批判を受けて「障碍者」と書くべきだ、などという「どうでもいい」議論がなされるのがこの国の一般的傾向です。だったらいっそ「横文字」にしてしまえ、というのが今回のエントリーの「趣旨」だったのですが・・・ダメでしょうか。
「身障者め!」のエピソードは本間さんのブログでも見ましたし、確か当ブログでも以前に一度、触れておられたのではないかと思います。その言葉を吐いた男は、間違いなく今ネトウヨになっていると思います。
やっぱ書いてたぁー?(笑)(恥)
どこでも書いてんだ。というか、よほど執念深い奴だね、俺って(笑)。それほど頭にきてたわけでもないんだけどね(失笑)。
しかしねえ、わたし、もう一つ書きたい。
きのう、ビリー・ワイルダーの『情婦』という映画を見たの。1957年製作。ミステリー映画の最高傑作とも評されてるんだが、原作が『検察側の証人』というクリスティーのこれまた名作で、松本清張原作『一年半待て』の盗用問題が浮上するなんてオマケが生まれるくらいの「因縁の作」でもあるが(笑)。
ところがネットで『情婦』という「タイトルが良くない、原題になぜしなかった」と批判しきりなんだ。淀川長治さんが生きてたら涙を流すやら、青筋立てるやらだろう。
『情婦』は『情婦』として名画に数えられてるんで、いまさらほかの呼び名があるものか。試しに『追憶』とか『慕情』とか『黄金』とか『攻撃』とか『山猫』とか『裏窓』とか敢えて二文字タイトルを思い出して並べたが(笑)、邦題名作選をネットでも探して唖然とした。
『ハート・オブ・ウーマン』『サウンド・オブ・サイレンス』『プライベート・ライアン』『ロード・オブ・ザ・リング』『フラッド』『グリーン・デスティニー』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』……
これのどこが邦題なんだこのヤロー!!(怒)
そういや、カタカナタイトルばかりになったのもいつ頃からだったかんなー、と。『サイコ』(もちろん元祖! 1960年!)の頃はまだ良かったんだよ、『サイコ』くらいしかなかったんだから(笑)。
原題を「カタカナ読み」にするだけの洋画タイトルを、本多さんが怒っていたなー。「ディア・ハンター」自分の記事の中では「鹿狩り」と呼びかえて譲らなかったもんな。
ま「サイコ」はいいにしても、プライベートライアンは「ライアン二等兵」ぐらいにして欲しかった。「プライベート」って英語は、日本人は別のこと思い浮かべるでしょ?そう言う意味でも失敗。「プラトーン」だって「小隊」にすべきだよ。ギリシャの哲学者か何かと日本人は思っちゃうもの。
昔はとにかくいい邦題が多かったものです「十二人の怒れる男」なんて今じゃおそらく「トウェルブ・アングリーメン」かなんかにしちゃうと思います、配給会社は。
山薩の批判を待つまでもなく、「侵略しといて被害者ヅラするな!」っつーの。PTSDくらいかわいいもんだろ。ベトナム人なんか拷問殺人の箱詰めじゃないか。
横入りになりますが、
本多勝一氏はディア・ハンターを批判してますね。
朝日文庫版「殺す側の論理」の75p、
「映画『ディアハンター』のチミノ監督への手紙」があります。
本文では作品自体への批判がされており、
追記で、(たかし様が書いた通りの)
邦題への批判がされています。
「なぜ「鹿狩り」とでもしないのだろう。
腹の立つ訳語でも、題名だと固有名詞として
こちらも使わざるをえないので
非常に癪に障る。」p79
なかなか本多さんを読み込んでいますね。私も、ほとんどが「朝日文庫」なのですよ。単行本はどうしても読みたいものに限られます。本多さんの場合、好きに「長編」が書けたのは、初期の頃なんですね。まあ、新聞社にいた頃だと思うのですが、結構やりたい放題できたと自分でも言ってますね。
しかし、やっぱり本多勝一は「朝日」にとっては、邪魔な存在だったのでしょう。最後は多分取材費なども出ず、盟友の筑紫哲也が編集長を務める「朝日ジャーナル」なんかで「短文」を書くだけになっていったのですね。そんな彼が「週刊金曜日」を考えたのは分かります。私は創刊号からの読者でした。今は訳あって購読はいたしておりません。
「朝日」が「本多勝一的なもの」を「排除」し始めてずいぶんになりますが、未だに彼を超える「記者」は居ないんじゃあないかと思っています。
最後に、私が、コメント欄において、本多勝一論を述べたエントリーをご紹介しておきます。多分もうお読みかも知れませんが。
<祝*口曲総裁誕生>2008年09月22日(本多勝一論その1)
http://takashichan.seesaa.net/article/106945211.html#comment
<YouTubeについて>2009年06月25日(本多勝一論その2)
http://takashichan.seesaa.net/article/122182063.html#comment