2013年03月15日

スタンダードジャズについて

エリックドルフィーではないが、ジャズはその場で出来て空中に消えていくものだ。二度と同じ演奏はない。そんなジャズに関して、よく言われるのが次の言葉である。

「ジャズに名曲なし、名演奏あるのみ」。

誰が最初に言ったか、定かではないが、ある一面を確かに突いた名言ではある。即興演奏を旨とするジャズ演奏においては、オリジナルが重要なのではなく、そのオリジナルを如何に「料理」するかが大事なのだ、ということを言っているのだと思う。

うまく出来た言葉ではある。しかし、やはり私は「名曲」は存在すると思う。それは、多くのミュージシャンが取り上げている「スタンダード曲」である。原曲が良ければそれだけプレイヤーの霊感を惹起するはずだからだ。すぐに思いつくのは「枯葉」だろうか。数えきれないほどスタンダードはあるが、私がダントツだと思うのは「ラウンド・ミッドナイト」である。これはセロニアス・モンクがピアノソロのために書き、後に歌詞が付けられた曲である。これほどジャジーなメロディを持った曲はないのではないか。私としてはスタンダードのダントツのナンバーワンに推薦したい。本家のモンクはもちろん、マイルス・デイビスなど、実に無数の演奏者が手がけている。

映画の「ラウンド・ミッドナイト」は、当時VHSで持っていた。一体何回見たことだろうか?100回くらいは見ているかもしれない。ボビー・マクファーレンの、弱音器付きトランペットのような神秘的なスキャットで始まる。1950年台にフランスに渡ったサックス奏者デイル・ターナー(デクスター・ゴードン)と、フランス人イラストレーターのフランシスとの「友情物語」である。一説には、主人公のモデルは、バド・パウエルだと言われている。全般これジャズで「充満した」という感じの、最高の映画だった。






posted by takashi at 12:51 | Comment(2) | TrackBack(1) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
【金李朴】

音楽という芸術には、作曲者と聴衆の間に演奏者が介在するため、本来的に即興性の入り込む余地が大きいと思います。そういう意味では、音楽は演劇と似ています。

音を記録する方法がなかった太古の時代、音楽は純粋に即興的なもの、ないしは代々伝え聴いて耳に記憶されたものであったことでしょう。こういった即興曲、伝統曲のうちの名曲を何とか固定した記録として残すため、楽譜が考案されたのでしょう。しかし、それでも演奏者独自の解釈による即興性は残ります。最終的にはエジソンの蓄音機に始まる録音技術が確立され、演奏自体さえも固定可能となりました。既にこの世を去った大演奏家による、一期一会の大パフォーマンスを、我々はCD経由で一音違わず再現できるのです。勿論、録音の質の問題は残りますが。

このように考えると、「即興性」の観点において、ジャズとそれ以外の音楽の間に、本質的な差異はないように思えます。ジャズを積極的に聴かない私が言うのもなんですが、ジャズに対しては、「少しだけ先祖帰りした音楽」という印象を持っています。前衛音楽にも先祖帰りの要素はあると思いますが、衒学に走り過ぎて「楽」を無視したことが、その失敗の原因だと愚考します。
Posted by 金李朴 at 2013年03月20日 12:33
金李朴さん、こんにちは。

おっしゃりたいことは、良く分かります。文学との違いは、音楽や演劇が「再現芸術」であることでしょう。もちろん、楽譜や台本を直接「読んで」楽しむことはできますが、多くの大衆は「再現」されたものを喜ぶわけです。

>「即興性」の観点において、ジャズとそれ以外の音楽の間に、本質的な差異はないように

そうですね。「程度問題」ということになるでしょう。

>前衛音楽にも先祖帰りの要素はあると思いますが、衒学に走り過ぎて「楽」を無視したことが、その失敗の原因だと愚考します。

面白いことに、ジャズの一部もそのような失敗を犯していると思います。
Posted by たかし at 2013年03月20日 16:28
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