ここのところ、映画館に足を運ぶことも無くなった。出かけるのも億劫だし、入場料も安くない。大きなスクリーンはもちろん大変な魅力なのだが、そんなわけでCATVやGyaoで、少し古いのを見ることになる。Gyaoであるが、掛かるのは主に安価な「B級〜C級」そうでなければ、著作権の切れた古いもんばかりである。著作権切れのうち、Gyaoはここのところ立て続けに、勝新太郎のシリーズを配信している。「悪名シリーズ」「座頭市シリーズ」「兵隊やくざシリーズ」がそれだ。これが誠に面白い。日本映画がまだまだ生き生きしていた頃、世界に通用していた頃の名作シリーズだと思っている。
勝新太郎の代表的「シリーズ物」がこの3作品だが、いずれも「極道」を描いている。勝新の「極道もの」が、例えば高倉健や兄の若山富三郎の作品と違うのは「ユーモア」だろう。高倉健の、シリアスで時にグロテスクな極道の世界を描いた映画は、私にはあまり好きになれない。勝新の兄の富三郎も、どちらかというと「暗い極道もの」が多い。で「極道もの」で唯一私が好きなのが、勝新太郎の一連の作品というわけである。
「悪名シリーズ」全16作。実に軽快なテンポで物語が展開していく。弱気を助け、強気をくじく、そして無類のフェミニスト、敵役の女親分が彼に惚れる、若い素人が極道の道に入ろうとするのを見ると説教だけでなく、体を張って止める。ま、世の中そんなヤクザなんていないわけだが、そんな虚構でも大いに楽しめる。そんな八尾の朝吉に惚れるのが、あの名優田宮二郎だ。これがまたいい。軽い大阪弁が何とも快く口を付いて出る。ウィキで調べたら大阪出身なのだそうだ。晩年の「白い巨塔」からは想像もつかない明るい役柄をこなしている。このシリーズは、脇役陣も毎回素晴らしい。茶川一郎、藤田まこと、白木みのる等のお笑い系や、第12作目ではのちに田宮と同じ「財前五郎」を演じる佐藤慶など。
「座頭市シリーズ」26作。言わずと知れた勝新の代表作だ。第一作が何と言っても最高の出来で、時代が下がるごとにストーリーが「荒唐無稽」になっていくのは、いささか残念だが、長いブランクのあとの1989年の最終回まで、一部を除いて一応は楽しませてくれる映画である。天知茂演ずるところの平手造酒との友情を描いた第一作のみが白黒で、2作目からはカラー作品となっている。座頭市映画の魅力は、何と言ってもその「殺陣」にあるわけだが、それ以外にも見どころはいっぱいある。しかし、この映画が「NHK」で放映されたことは、私の記憶では一度もない。理由はお分かりと思うが。
「兵隊やくざ」全9作。3作中で唯一、大半が白黒作品だが、制作は他の2作とほぼ同時進行である。古参兵でインテリの有田上等兵と、やくざで憎めない大宮貴三郎二等兵(のち一等兵)のデコボココンビが、軍隊でイザコザを起こしては、脱走を何度も繰り返し、それでも悪運強く切り抜けていくという物語が全部で9作。最後の作品だけがカラーらしいが、まだ私は見ていない。この作品はユーモアの中にも「反戦思想」があり、日本の軍隊の「愚劣さ」「低俗さ」を余すところ無く描いているのが救いだと思っている。
2012年12月12日
久しぶりに映画の話題
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兵隊やくざは、反戦というよりは反軍映画だったような気がします。日本軍は内部でこんな劣悪な虐めばかりをやっていたのだ、という日本軍の悪い所を執拗に描き、最後には兵隊の二人が軍に一泡吹かせるのですが、上映当時には中高年の多くが兵隊に取られた経験があって、軍の虐めにひたすら我慢した経験を持っていますから、勝さんと田村さんが扮する二人の兵隊が、軍に一泡吹かせる場面では溜飲が下がる思いだったのではないでしょうか。
あるネトウヨが、日本軍は大陸ではなに一つ悪い事はしていない、と書いていたので、兵隊やくざを見てみろ、あのような虐めが日本軍の中で日常的に行われていたので、兵隊たちはその憂さ晴らしで大陸の住民に乱暴を働いたのだ、と指摘しました。
そうしたらそのネトウヨは、その作品を製作した映画会社は労働組合に支配されていたのだ、労働組合の命令で日本軍を貶めるような映画ばかり作っていたのだと主張しました。
兵隊やくざを製作したのは大映で永田雅一氏のワンマン経営の会社で、労組が強くて大争議が起きたのは東宝であることすら知らないバカなのですが、昔のことをまともに知ろうとしない人間が増えるにつれて、反軍という当時の気分を代表していた作品が、労働組合の命令で作られた映画とされて、情けない話ですが、将来はそちらの方が世間で信じられてしまうことになってしまうような気がします。
実は私も、単身赴任の寂しさを紛らすため、GyaO で「兵隊やくざ」シリーズを視聴しています。勝新太郎の大宮二等兵と田村高廣の有田上等兵が、あまりのはまり役であり、痛快な映画です。元ヤクザと大学出のインテリという両極端な二人が、素朴な正義感を共有して起こす騒動の数々。毎回マンネリの筋書きなんですが、何故か飽きません。娯楽映画はこれでなくてはいけません。主役二人は勿論のこと、脇役の演技力も素晴らしい。
帝国陸軍を軽蔑する製作者の思いが、ひしひしと伝わってくる映画です。所々、違和感を感じるシーンが無い訳ではありませんが。
しばしば「ピー屋」が出てきます。そこは将校・下士官専用であり、兵卒である二人は本来利用不可です。しかし、二人はお構いなしに乗り込んで行き、一悶着です。映画に出てくる「ピー屋」の女性は日本人です。日本人女性は将校・下士官専用の慰安所へ、朝鮮人その他の女性は原則的に兵卒用の慰安所へ回されたという史実に合っています。兵卒用の慰安所は、さすがに娯楽映画の題材にはできなかったのでしょう。
座頭市で、中国のカンフーの達人が出てきたことがありますよね。わたしゃあれ見て「ダミダコリャ」と思いました。ちょっといくらなんでも・・・。それと三船敏郎の「用心棒」が出てきた回。アレも何だかなぁ?だって最後の勝負は「お預け」なんだもん。それまでは全ての浪人者をタタッ斬ってきた座頭市なのに、このお話だけは勝負もしないで終わっちゃう。大映と東宝の紳士協定なんでしょうかねえ。
>ピー屋
そうですね「兵隊やくざシリーズ」にはそう言えば、朝鮮人慰安婦は出て来ません。さすがにそこまでは描けなかったのでしょう。日本映画の限界ですね。
同じように「慰安婦小屋」が出て来る映画に、フランキー堺主演の「与太郎戦記」というのがあります。ここでも「朝鮮人慰安婦」は出て来ませんが、原作の春風亭柳昇の「自伝」にはそのことが書かれています。
また、珍しく「朝鮮人慰安婦」が出てくる映画に、佐藤允主演・岡本喜八監督による「独立愚連隊」があります。しかし、これも彼女らの「悲惨さ」「不当な管理」などの、本質に触れる問題はスルーしております。それどころか、彼女らが単なる「売春婦」だったという体裁に作られています。つまり、問題意識がまるで無い。このへんは、以前ご紹介したアメリカ映画「カジュアリティーズ」とは、雲泥の差だと思います。自国の行なった「犯罪」を、真剣に取り上げるといういう意味ではまだ、アメリカ映画の足元にも及ぶことができておりません。今後も期待できないでしょう。
そうですか・・仮想へと範囲が広がっていますね。
金李朴さんの 「娯楽映画はこれでなくてはいけません」 この一言に凝縮されていて同感です。
映画ファンの一人として本作品を楽しく観させてもらった世代なのですが、そもそも創作なのです。
以前に貴殿の著書も拝読しました。今度こそクレームなど無い様にお願いするとともに「続編」に期待します。
一息ついたら、「立ち位置」とか関係なく普通の会話を何時かしましょう。
なお、変な 「たたずまい」 の愚者など末期症状で論外でした(笑)
失礼しました。
突然お邪魔します。遅まきの失礼はこちらですので、お返しコメントのお気遣いはいりません。
ネット歴10何年になるのだろう、その割に相変わらずのネット音痴で「トラックバックがどうか」も理解できておらず、いまごろになって分かった次第です。けっして知ってて無視したわけではないので……
m(_ _)m
「勝新」関連、あまりに懐かしい話題なのでコメントさせてください。
最初に事実関係のみ指摘させていただきますが、「座頭市」は第二作『続・座頭市物語』までが白黒で、この「続」で実兄若山富三郎と「兄弟対決」しているわけです。トーンが暗いのはここまでで、カラーになる第三作『新・座頭市物語』から転調します。
ただ、この三作目、共演坪内ミキ子の当初の役どころがビッコで、「ふつうの人ではお嫁に行けない」と市に傾くのですが、完成作では「スターに“汚れ役”はさせられない」とのことでビッコ設定はなくなってます。その分暗さが残っていて、実質的なイメージ変化は四作目『―兇状旅』からでしょう。
そうか、「悪名」では田宮二郎とコンビだったんですよね。
テレビの財前五郎は良かった! 忘れられないドラマなんてそんなにあるものではないけど、『白い巨塔』だけは別でしたね。
思い出させてくれて感謝です!
しかしメクラにプロポーズするのが「汚れ役」というのが、いかにも時代性を感じさせて、かえって「奮っている!」と褒めてやりたいくらいです。もちろん皮肉です(笑)。
プロポーズはいっしょです。ビッコ=汚れ役、ということのおかしさでした。
何、書いてんだ!(と頭を掻く)