2012年10月08日

ネトウヨと「捨て台詞」

「ではさようなら」「これが最後の書き込みです」「もうここへは来ません」「ではごきげんよう」などの「捨て台詞」を吐いたあと、またすぐ(多くの場合、数分後に)「舞い戻ってくる」というのが、当ブログで、過去に「長逗留」されていたネトウヨさん達の、よくあるパターンであった。彼らが、何故「捨て台詞」を吐いたのに「すぐ戻ってくる」のか?理由は簡単である。それは、思いもかけず(尤もおおかた予想はつきそうなものなのだが)当ブログのコメンテーターの皆さんに、またすぐイジられるからだ。ちょこっとイジられるだけで、黙っていられなくなるらしい。要するに「本人が黙っていられないような反撃」が、必ずあるのである。そんなの、ちょっと考えれば分かりそうなものなのに、やっぱり分からず、つい「捨て台詞」を吐いてしまうのが、ネトウヨの性(さが)。で、かくして数分後には、またまた「お書き込みお遊ばされる」というわけだ(笑)。中にはこれを「複数回」繰り返す「おバカ」もいるのだ(笑)。

このように「捨て台詞」「勝利宣言」「最後っ屁」の類を書き込んだあと「前言を翻して」またすぐ戻ってくるというのは、傍から見ていて、相当「格好悪いこと」だと、私なんかは思うわけである。しかし、ネトウヨにはそういう「恥」の感覚って、全然無いようだ。

実は、こういう恥を掻かないための良い方法があるのだが、今日はひとつ、その極意をネトウヨの皆さんに、ご伝授しようと思う。その良い方法とは「捨て台詞を吐かないこと」だ。何のこたあない、これさえ守れば恥は掻かなくて済む。意外と簡単でしょ?

ボキャ貧のくせに、やたらと相手を攻撃するネトウヨが、いい気になって「勝利宣言」をする。ボキャ貧のくせに「相手を侮辱する」「相手の揚げ足を取る」「相手の人格攻撃をする」。どういうものか、こういったボキャブラリーには比較的「長けて」いて、常に長々と会話の中に滑りこませる。また「自分を少しでも利口に見せる」ボキャブラリーを、いくつか用意していて(尤もこっちの方は、いくら使っても何の「効果」もないのだが)それも長々と議論の中に織り交ぜてくる。そうして置いて「議論の本筋」にはちっとも答えようとしない。そっちの方のボキャブラリーは「まるでゼロ」。

上記のような「本論以外の無駄話」を、私は「社交辞令」と呼んでいる。「無くてもいいもの」「いくらやっても意味のないもの」であるから、そのように呼んでいる。これまでどれほどのネトウヨが、この「社交辞令」だらけの、だらだらした「非論理的で」「情緒的で」「虚勢に満ちた」「幼稚な」書き込みで、私や当ブログのコメンテーターの皆さんの手を煩わせてきたことか?

本日はこの、ネトウヨによる「捨て台詞」「勝利宣言」「社交辞令」について、考えてみようと思う。

さて、ネトウヨの「ルーツ」みたいな男がいた。もう40年以上前、というから当然インターネットの無かった頃のお話である。名前は山本七平といった。過去にもこのブログで、何度か話題に上せたことがあるので、覚えておられる方も多いのではないかと思う。あるいはその「著書」を読まれた方も多いかも知れない。なにしろ「著書」の数だけは、ムダに多い男であったから。

yamamotoshitihei.jpg

そしてこの男が、当時「文藝春秋」を始めとした右翼出版社で「縦横無尽の活躍」をしていたというわけだ。文藝春秋社には、ご本家としての「文藝春秋」誌「週刊文春」誌とは別に、月刊誌「諸君!」というのがあって、山本七平はそこの「常連」だった。そして、まさにこの男こそが「ネトウヨの走り」「ネトウヨにつながる直系の遺伝子の持ち主」だったと、私は確信している。

今で言う「マルチハンドル」の元祖みたいな男でもあった。イザヤ・ベンダサン、というのがこの男のハンドルだった。「元祖なりすまし」である。


さて、前置きが大変に長くなってしまった。


私が若かりし頃、巷では「日本人論」というものが大流行だった。特に「外国人が書いた日本人論」が、流行っていた。グレゴリー・クラーク、ドナルド・キーンといった「素性のはっきりした親日家」から、イザヤ・ベンダサン、ポール・ボネなどのような、いかがわしい連中まで、まさに「玉石混交」の観を呈していた。余談になるが、ポール・ボネなる人物は、フランス人を装って「不思議の国ニッポン」などという「日本人論」を書いた、れっきとした日本人であるが、テレビ出演の際には「替え玉」の外人を出してくる、という用意周到な男だった。今思えばお笑いでしかない。「日本人論」もだいぶ廃れた時期の「徒花」だったので、誰も信用していなかったろう。なにしろその頃は、すでにイザヤ・ベンダサンの正体もバレバレになっていたし。それにしても、こういう出版物が「不当表示防止法」に引っ掛からないというのは、まあ上位法である、憲法の「言論の自由」があるから、仕方のないことではある。

高校の授業で「倫理社会」(当時そんな科目があった、今でもあるのだろうか?)の教師が、イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」を引き合いに出し、うんちくを垂れたことがある。本人は、何の疑問も抱かず、にである。尤も、この教師に責任はない。何故なら当時、誰もが「イザヤ・ベンダサンはユダヤ人に違いない」と、思わされていたから。

そんなわけで、私も次の3つが合本になった単行本を買って読んだ。

・オフチンニコフ サクラと沈黙
・ルース・ベネディクト 菊と刀
・イザヤ・ベンダサン 日本人とユダヤ人

オフチンニコフ氏は、ソビエトの新聞記者であった人、もちろん素性に疑いのない人である。大変な親日家のようで、日本のことをずいぶんと本にしているようだ。私は上記しか読んでいない。失礼だが、内容はほとんど覚えていない。

私が驚愕したのは、2番目ルース・ベネディクト「菊と刀」であった。これは、超有名な日本人論で、戦時中に軍の要請で書かれたものが、戦後になって一般に刊行されたものだ。日本人論としてはまさに秀逸なもので、当時の私は「目からうろこ」であった。詳しい内容はここで書く余裕はないが、いずれまた別の機会に是非論じてみたいと思っている。

これも余談になるが、私が読んだ「日本人論」の中で、大変によく書けていて、読んで嫌な気分にならなかったものに、李御寧「『縮み』志向の日本人」(1982年刊)がある。変に「上から目線」の多い「日本人論」の中では、異質だったという記憶がある。

さて、イザヤ・ベンダサン「日本人とユダヤ人」であるが、読んでいて、いやーな気分になってきたというのが、まず第一の印象・記憶である。ユダヤ人であるはずの著者が、空港からタクシーに乗る。その時、著者がタクシー運転手に語らせる言葉が「朝鮮人は匂いでわかる」。たしかこの部分は、冒頭のエピローグに書かれていたので、よく覚えている。実は今回、このエントリーを書くに当たり、上記の「合本」を探したのだが出て来なかった。

このあと、全編にわたって、一体何が言いたいのかわからないクダラナイ文章が延々と続く。そして、読み終わったあとに残るのが「どうもこのユダヤ人は、日本人が世界一優れた民族で、万世一系の天皇制はスバラシイ、しかし、今の日本はもっと外敵に備えるために、軍備を増強しなくちゃあならん。」と言っているようだが、これは一体何なのだろう?というもの。こういう、まるで日本人の「極右」が言うようなことを、何故かユダヤ人が、いろんな余計な装飾(それこそ「社交辞令」)を交えて言っている。それだけしかないのだ。しかし、その90%は、聖書やユダヤ教の経典の「引用」だの、やれどこの何とかいう預言者がどう言ったの、といった話ばかり。こちとら「ケムに巻かれた」気分になる。

あともう一つ。普通「翻訳文」を読んでいると、すぐにそれと感じることが出来るものだ。どれほど上手に「意訳」がなされていても、である。しかし、イザヤ・ベンダサン氏の文章を読んでいると、それが英文から翻訳された文章とは到底思えないのだ。日本人的(曖昧とした情緒的な)表現があまりに目立つので。言っておくが、私がこの「日本人とユダヤ人」を読んだ時点ではまだ彼が「=山本七平」であることは知らなかったのだ。

そのイザヤ・ベンダサンが、我が本多勝一に「挑戦状」を叩きつけてきたのである。1972年、月刊誌「諸君!」に載った「朝日新聞のゴメンナサイ」がそれである。ベンダサン氏の記事は、本多氏に「返信」を求めるものではなかったが、本多氏にとっては看過できる内容ではなかったため、彼は「イザヤ・ベンダサン氏への公開状」を書き、その後「諸君!」に載る。

このやり取り自体を詳しくご紹介するのは、本稿の主題ではない。申し訳ないが割愛させていただくが、とにかく一方的な「論破」で終わっているのが、このやり取りである。その内容には、機会があれば、是非また触れてみたいと思っている。当時の私を、最もワクワクさせ、私に言いようのないカタルシスを与え「議論(ディベート)とはかくあるべき」を教えたのが、この一連のやり取りであった。読んでおられる方は多いと思われるが、朝日文庫の本多勝一著「殺す側の論理」にその一部始終が乗っているので、未読の方は是非、一読をお薦めする(私はまさに「精読」したものだが)。名著「日本語の作文技術」とともに、本多勝一の白眉とも言える。

さて、イザヤ・ベンダサン氏であるが「イザヤ・ベンダサン氏への公開状」に対し「本多勝一様への返書」なる文章を送る。誠に「慇懃無礼」な文章で、私の言う「社交辞令」が90%のシロモノを、である。前にも増して支離滅裂な内容。そしてベンダさん氏は、ここで決定的な「間違い」を犯してしまう。「捨て台詞」である。

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「十年後にまた公開書簡を」

ご返事は下さっても下さらなくてもけっこうです。また公開でも非公開でもかまいません。前述のようにご年もたてばおのずと明らかになることですから、議論の必要はないと存じます。私としましては、御返事がいただけても、いただけなくても、それから十年後に、もう一度公開書簡を差し上げたいと存じます。その時私の考えが誤っていたことが明らかになり、本多様にこころから、「あなたが正しい」といえる状態にいない方が、本多様にとっては安穏無事と存じます。従って、本多様のご無事を心より願っております。
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本多氏の「公開状」の中の質問には一切答えることも無く、今度は何故か「聖書」だの「預言者」だのの「知識のをひけらかしもほとんど無く、いわゆる「社交辞令」もあまり無い。そして、今度はどういうわけか戦争中の日本軍の「百人斬り」に、執拗にこだわった挙句、上記のような「捨て台詞」を「迂闊」にも書き込んでしまう。

イザヤ・ベンダサンの「捨て台詞」で終わる「本多勝一様への返書」に対して、本多氏は、構わず返事を書く。それが「雑音でいじめられる側の眼」である。その中で、イザヤ・ベンダサン氏の「返書」に書かれた本多氏への「質問・疑問・不審な点」に対し、本多氏は「ひとつびとつ、ぜんぶ、例外なく、徹底的に、さっぱりと、『どんな不当な要求』に対しても」答えている。第三者がどう見ようが、完膚なきまでの「論破」を実践してみせる。

慌てたのはイザヤ・ベンダサン氏である。「先便差し上げました後、しばらく考えましたのですが、やはりもう一通『公開書簡』を差し上ぐるべきだと感じました。」という書き出しで始まる「本多勝一様への追伸」を、どこかの国に住んでいるユダヤ人が、英語で書いて、それを山本七平氏が日本語に翻訳すにしては、どう考えても「電光石火」過ぎる「早業」で送ってきたのだ。しかもその内容たるや「前回以上に支離滅裂」。

ここからは、もう「お笑い吉本劇場」である。

本多氏は、ベンダサン氏への返事など、もう書きはしない。代わりに書いたのは、「『諸君!』の読者”諸君”への追伸」である。相手が「バカ」だと証明された時点で、相手への回答は不要である。あとは読者の判断にお任せする、ということだ。それよりもそんな「バカ」の文章を読まされている人たちに「真実」を知らせなければならない。私の方法論と一緒だ。と言うよりこれは、本多勝一氏から学んだ「方法論」なのだ。

最後に「『諸君!』の読者”諸君”への追伸」の冒頭。

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 「何かをかぶって正体を隠し」ている自称「ユダヤ人」としてのイザヤ=ベンダサン氏から、ご覧のような「唯心」をいただいた。この、追伸を彼が大いそぎで書いたということ、これ自体が、ベンダサン氏のあわてふためきざまとその非論理性とを、だれにもわかりやすいかたちで示している。従ってその内容が前回以上に支離メツレツの矛盾だらけなのも当然であろう。
 さきの気負い立った「本多勝一様への返書」の最後で、勝ち誇った(と思い込んだ)ベンダサン氏は、不覚にも書いた・・・私としましては、御返事がいただけても、いただけなくても、それから十年後に、もう一度公開書簡を差し上げたいと存じます」と。けれどもベンダサン氏は、「十年後」どころか、わずか一ヶ月あとの同じ雑誌『諸君!』でかかる「追伸」を書くハメに陥った。こういうときは、みずから宣言した通り10年後まで黙っていればよかったのだ。いかに口惜しくてもベンダサン氏はそうすべきだった。しかし一ヶ月後であろうが10年後であろうが、私の方は彼のお相手をして答えるつもりは全くない。先に書いたように、「『お勉強発表会』ごっこをしながら雑音をたててくる『知識の用心棒』どものお相手は、ベンダサン氏を含めて今後もうごめんこうむり、本来のもっと重要と思われる仕事に生涯の限られた時間を使ってゆきたい」と思うからである。
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<参考著作>

本多 勝一編「ペンの陰謀」
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%99%B0%E8%AC%80%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%84%E3%81%AF%E3%83%9A%E3%83%86%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86%E3%82%92%E5%88%86%E6%9E%90%E3%81%99%E3%82%8B-1977%E5%B9%B4-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/B000J8QUMA

浅見 定雄著「にせユダヤ人と日本人」
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%AB%E3%81%9B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B5%85%E8%A6%8B-%E5%AE%9A%E9%9B%84/dp/4022604166

 
参考スレッド
 
<最後に書き込んだもの勝ち>
http://takashichan.seesaa.net/article/160604754.html
 
<ネトウヨの「最後っ屁」>
http://takashichan.seesaa.net/article/161589135.html

 
 
 
posted by takashi at 08:34 | Comment(10) | TrackBack(0) | ネトウヨ、バカウヨの醜態 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 そういえば山本七平というとんでもない、いかさま師が以前にいましたね、思い出しました。

 最初に諸君や文春に出てきたときの肩書は、「山本書店店主」でした。だったら本屋のオヤジだろう、日本中に本屋のオヤジなど何千人と居るのに、どうしてこいつにだけ諸君や文春に戯言を書く権利があるのかと思いました。

 もちろんイザヤベンダサンだったから書かせていたのですが、そうとは言えないので、山本書店店主というバカみたいな肩書になっていたのでしょう。

 山本が書いていたものは、9割が聖書や神学の知識のひけらかし、1割がネトウヨと変わらない有りえない政治的極論といった内容だったと記憶しています。殆どの人は、聖書や神学の方は吹っ飛ばして、ネトウヨの先祖的な部分に食いついたと覚えています。

 そのころの新聞の投書欄で、社会党の防衛政策を批判する意見が乗ると、書き手は判で押したように、ユダヤ人貿易商イザヤベンダサン氏によれば、水と安全がタダだと思っているのは日本人だけだそうだ、と出だしに書いていました。

 日本人の山本七平の言葉では引用しないのに、ユダヤ人のイザヤベンダサンであれば有り難がって、保守系の誰も彼もが引用するというのは、日本人の西洋人コンプレックスを見事なまでに表しているような印象があります。

 遠藤周作氏が、世間がまだイザヤベンダサンが本物のユダヤ人だと思っていたときに、あれは、いざや便出さん、という日本語であり、ユダヤ人にそういう名はないと指摘していたことを覚えています。

 聖書や神学に詳しい遠藤氏から見れば、イザヤベンダサンが繰り出す聖書や神学の薀蓄のインチキ性が良く分かって、早い時期に絶対にユダヤ人ではないと見ぬいておられたと思います。
Posted by たかひろ at 2012年10月09日 21:12
>「山本書店店主」

青山か何処かにある(あった?)「聖書専門書店」だそうですね。

>水と安全がタダだと思っているのは日本人だけ

このフレーズは流行りましたね。わが校の倫理社会教師も、得意げに吹聴していたものです。

>聖書や神学に詳しい遠藤氏から見れば、イザヤベンダサンが繰り出す聖書や神学の薀蓄のインチキ性が良く分かって、早い時期に絶対にユダヤ人ではないと見ぬいておられたと思います。

そうですね。浅見定雄氏の「にせユダヤ人と日本人」では、そのインチキが、完全に白日の下に晒されました。遠藤周作氏の「いざや便出さん」には笑ったものでした。ところで、山本七平の名言にこういうのがあります。

「核兵器が危険だと言うが、日本全国の台所には何億本の『包丁』がある。この包丁には、何千万の人間を殺す力がある。核兵器よりよっぽど危険だ。まず日本人は『核廃絶』を言う前に『包丁廃絶』をやるべきだ。」

こういうすばらしいレトリックには、ネトウヨの諸君も、是非見習って欲しいと思いますね。
Posted by たかし at 2012年10月09日 22:16
私の高校一年生の時の話です。
現代社会で「日本人論」についての授業があって、その時の課題図書が、まさに「菊と刀」「縮み志向の日本人」そして「日本人とユダヤ人」でした。
正直、授業の内容は全く覚えていませんが、今から思うと、「日本人論」は一つの流行りだったようですね。
余談ですが、その現代社会の教師は、これまた、当時流行ったアルビン・トフラーの「第三の波」を、度々引用すので、私たちの間では、「アルビン」と呼ばれていました(笑い)

「殺す側の論理」は私も貪るように読んだものです。
本多勝一の著書の中でも、特にインパクトがありましたね。
あれほど明確に「勝敗」「優劣」「正否」「本物と偽物」が、浮き彫りになった論争は稀有でしょう。
「日本人論」のような民族論は、例えば戦前の国学が国家神道と結びついたように、右翼思想と親和的な性格を持っているようです。
兎角、インチキやハッタリが入り込みやすい分野ですので、読み手の知的判断力も試されますね。

話は少し逸れますが、

最近、(特にスポーツ関連で)「サムライ」だの「なでしこ」などという単語が、やたらと連呼されていますが、それがどうにも気持ち悪いのです。(たかしさんは如何がでしょうか)
何故、野球やサッカーが上手いと「サムライ」や「なでしこ」になるのか。
そもそも、封建社会に於ける抑圧者階級(とそれを守護するための暴力措置)をありがたがり、女性を蔑視した呼び名を嬉々として使用する事が、私にはどうしても理解できないのです。
どうやら、今では「日本人論」が、「侍魂」等という幼稚な単語に収斂されてしまったようです(苦笑)
一昔は「大和魂」でしたが、現在は「侍魂」がトレンドです。
そう言えば、「吾輩は猫である」の中に「大和魂とは」と名付けられた散文(詩?)が出てきますが、さすが漱石、慧眼です。
ユーモアを散りばめつつ、本質を突いております。
残念ながら、手元に本がない上に、読んだのが十代だったので、全文を記すことはできないのですが、確か、最後の箇所はこんな風でした。

「大和魂」とは此れ天狗の類ひか

「大和魂」を「侍魂」に変換。
Posted by やす at 2012年10月11日 00:06
やすさん、

日本人ほど「日本人論」が好きな民族はいない、と言いますね。特に外国人が書いたものが好き、すなわち外国人が日本をどう思っているか、に異常に関心が強いと言われます。特に「白人種」の書いたものに「弱い」ようです。だから「白人種」を騙った「日本人論」までもが売れる(売れた)のです。

日本人が書いた「フランス人論」が、フランスでベストセラーになった話なぞ、ついぞ聞いたことがありません。これは日本人がいわゆる「外圧」に弱いことの裏返しでしょう。ならば日本人の悪いところを、彼らにどんどん指摘(批判)してもらいましょう。日本のマスコミがそれをきちんと報道すればの話ですけどね。
Posted by たかし at 2012年10月11日 10:42
仰る通りですね。
明治期の「脱亜入欧」以来、欧米人に対する「劣等感」と、その裏返したるアジア人に対する「優越感」は、一般的な日本人の意識の深層に根付いていると思います。
その最たる典型例が、右翼の亜種である「ネトウヨ」なのですが(笑い)

上記の「サムライブーム」も欧米からの逆輸入、という側面があると言えるでしょう。
黒澤をはじめとした時代劇映画の影響からか、一部の欧米人の間に「サムライ」に対するある種の畏怖、畏敬の念が産まれ、日本人に対する肯定的表現として「サムライ」が用いられるようになった。
そして、その肯定的表現の上に日本人自ら(積極的に)「乗っかった」のが、この「サムライブーム」なのだ、と思います。
尤も、「七人の侍」や「用心棒」の三船敏郎が一般的な侍だ、と思っているとしたら、それは単なる誤解なのですが。
Posted by やす at 2012年10月12日 23:40
【たかし】

やすさん、そうでした。「サムライ」について、私の意見を述べなくてはならなかったのでしたね(笑)。

「サムライ」に関しての私の評価は、やすさんよりもかなり「好意的」かも知れません。「封建時代」という歴史の一時代において、必然的に存在した「階級」あるいは「職業」だった、というのもありますが、やはり「武士道」というもののある種の「潔さ」に惹かれます。「大空のサムライ」というのは、零戦パイロットの坂井三郎氏で、彼は、山本五十六などと共に、戦時中からアメリカの軍人たちにも尊敬された人物です。その彼は、大戦を生き延び、戦後はアメリカを訪問して友好を暖めました。このような人物を「サムライ」と呼ぶのには、私はなんの抵抗もありません。

「侍」の歴史の中で私が好きなのは、やはり「赤穂浪士」ですね。「忠臣蔵」の映画などを見ると、ホロッと来ることがあります。そんな時は、私もつくづく日本人なんだなあ、と思ったりします。あの当時、あえて江戸幕府の逆鱗に触れるのを知りながら主君の「仇討ち」を行なった四十七士は、大げさに言えば、後世の日本人の「侍観」を作った、と言っても良いかも知れません。一口に「侍」と言っても「旗本」「御家人」大名に仕える「国侍」など、身分は雑多でした。下級には、時代劇で人気の「同心」「与力」そして、何故か悪役にされることの多い「代官」など。実際には、これら江戸時代の侍は、江戸でも地方でもサラリーマン化していました。そんな平凡な暮らしの中に起こる小さな事件を描いた、山田洋次監督の「武士の一分」などの作品は、私は好きですね。

七人の侍は、サムライでも「浪人」です(多分そうだと思います)。江戸時代の「浪人」といえば、傘張り、寺子屋、剣術道場、でなければヤクザの用心棒でしょうか?七人の侍たちは、ヤクザでなく、戦国時代に農民の用心棒になったわけですが、もちろんそんなことあるわけがない。フィクションそのものです。あのフィクションを、外国人たちは勘違いしたのでしょう。

「侍」「武士道」にとって最大の不幸は、明治以降になってその精神が「歪曲」されてしまったことでしょう。「武士とは死ぬことと見つけたり」「葉隠」の、この言葉が見事に歪曲されてしまった。「特攻」「玉砕」「虐殺」が、この「武士道」の名のもとに平然と行なわれた。

「武士道」がねじ曲げられた、最悪のものが、東條英機による「戦陣訓」だったでしょう。「生きて虜囚の辱めを受けず」すなわち最後には「自決」か「玉砕」をしろというわけです。「無駄死の推奨」です。この「戦陣訓」が、最も罪深かったのは、これを敵にも「適用」すべきであると、兵士に「勘違い」させたことでしょう。降伏してくる敵は「武士道」にも悖る連中だ、当たり前です、もともと中国にもアメリカにもそんなもの(武士道)などありはしない。「切腹」が「なさけ」だった国など、日本以外にあり得なかった。かくして、多くの捕虜が惨殺されました。捕虜のみではない。恐怖に駆られた日本軍は、スパイだと疑った一般市民を殺し、しまいには面白半分に婦女子や女子供まで殺し始めた。強姦も日常茶飯事。有名な戦時中の「百人斬り競争」は、そのほとんどが「据物斬り」要するに手足を縛った捕虜の首を切り落とすことでした。「武士らしく」戦って斬ったのではありません。

さて、この「サムライ」というコトバをスポーツチームに使うのはどうか?というのが、やすさんの私への問いかけでしたね。私も、あまりそれは良くないと思います。「サムライ」と聞いてフランス人やドイツ人は「カッコイイ」と思ってくれるかも知れませんが、アジアの国々はどうでしょう?このように国際試合を行なわなければいけないようなチームに「サムライ」を付けるのは、ちょっといただけないのでは。これが私の意見です。
Posted by たかし at 2012年10月13日 01:29
 お疲れ様です。
 某保守系ブログでコメントをさせていただいております小野です。そのブログにも上記のおマヌケなネットファシストが暴れまくっています。hokkという変態です。
 ふーくんさんというブロガーに揶揄されたことを根にもち、ヘイトコメントを浴びせてきましたので一発ジャブを放ったら案の定豆腐のメンタルでした。
 臆病な犬だからよく吠えるんでしょうね。そういう愚か者に『侍』なんて言葉を使われたら本物の侍が泣きまっせ。
Posted by 小野 哲 at 2012年10月17日 21:30
小野 哲 さん、いつもありがとうございます。

hokkについては、パブロン中毒さんのところで「お呼び」をかけたのですが、一向に来ていただけません。残念です。
Posted by たかし at 2012年10月17日 22:55
イザヤ・ベンダサン、懐かしいです。評判になりかけの頃さっそく読みました。ハタチくらいの時です。で、わたしは素直に感激したんです。遠い国のユダヤ人がこんなに日本を「理解」して「心配」してくれている、と。差別的な部分はスルーして知性的な装いにばかり目がいってました。数年後、本多氏・浅見氏の批判本を読んでおのれの浅はかさを思い知るわけです。山本七平賞というのがいまだにあるみたいですが、今の日本人もハタチの頃のわたしとあまり違ってないということなんでしょうね。
Posted by アマヤ at 2012年10月24日 20:10
>山本七平賞

そうですね、ありますね(笑)。本多勝一的に申しますと「馬の糞にかける犬のションベン」のような「賞」です。これを受け取った「受賞者」を、馬鹿にするためにあるような「賞」と言えます。判りやすくて、大変に結構な「賞」だと、思いますよ(笑)。
Posted by たかし at 2012年10月24日 20:41
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