東京と違って、シンガポール、台北には電信柱が殆ど無い。「電線地中化率」では東京は、ネトウヨさんが嫌いなソウルにも、負けている。また、中国でも、地方の観光都市では集客のために、電線の埋設を積極的に行なっており、現在、急速にインフラ整備が進んでいる。したがって、この点では、日本は間違いなく世界ワースト・ワンなのである。つまり「脱亜入欧」でも日本は他のアジア諸国に、今や先を越された格好である。
私は、日本の電線地中化が遅れた原因が、日本の行政と電力会社が「結託」した「サボタージュ」にあることを明らかにした。それについては以下のエントリーをご覧いただきたい。
<最後の公共事業>
http://takashichan.seesaa.net/article/130056234.html
<最後の公共事業2>
http://takashichan.seesaa.net/article/131725291.html
<最後の公共事業3>
http://takashichan.seesaa.net/article/138362041.html
私がこれらの文章を書いた時点では、賛同者は殆どいない状態だったが、最近ではインターネット上で検索すると「電線地中化」に関するブログや記事が、結構見られるようになった。また、ごく少数ではあるが、日本の都市景観が、日本人の精神衛生に悪い影響を及ぼしているという、私と同じ説を述べておられる方もいらっしゃる。
なお、私の尊敬する本多勝一氏は、他にも日本の悪い点として、公共の場での「騒音」を挙げている。例えば温泉地でのラウドスピーカーによる演歌の轟音。都会の街を歩いていると聞こえてくる宣伝放送「あれを買え、これを食え」のアナウンスの洪水。無意味な音楽。たしかにそのとおりである。電信柱と同様、これらが不快なものであることに、私も異論はない。中島義道氏も、その著書「醜い日本の私」のなかで、同様の指摘をされている。この点、本多勝一氏は、特に手厳しく、電車や地下鉄の車内や駅のアナウンスもうるさいとして「全て無くすべき」だと糾弾する。「ドアの開け閉めに注意しろ」だの「忘れ物をするな」だのの「おせっかい」も「不必要」だと言う。さらに「次に停まる駅の名前」や「乗り換え案内」までも必要ないと言い切る。
しかしである。ここまで来ると私は「そうかな?」と思ってしまうのだ。確かに「あれを買え」のたぐいのアナウンスはうるさいし「足元にお気をつけ下さい」は、無いほうがいいと思う。更に「前の方に続いてお乗りください」というアナウンスにいたっては「日本語の意味」すら分からない。「後ろの方に続いて」乗るバカがこの世の中にいるだろうか?全員が「後ろの方」に続いていたならば、何時まで経っても一人も電車に乗れないではないか(笑)。
さて、冗談はこれくらいにして、しかし「次に停まる駅」や「乗り換え案内」だけはあっても良いのではないかと思う。私などは会社勤めをしていた頃、よく文庫本に夢中になり、駅を乗り過ごしてしまうことがあった。朝の通勤時、二駅ぐらい戻ることがしょっちゅうあったものである。尤も、アナウンスを聞き逃していたから乗り過ごしたのであって、ならばそれはアナウンスが「無意味」であることの「証左」ではないか?と言われれば、返す言葉も無いのだが(笑)。
<参考サイト>
All About 電柱や電線が 「ある街」 の資産価値(不動産コンサルタント・平野 雅之氏)
http://allabout.co.jp/gm/gc/25685/
All About 電柱、電線(不動産コンサルタント・平野 雅之氏)
http://allabout.co.jp/gm/gc/393763/
日本と韓国の電線類地中化率比較(ツイてる!社長氏)
http://blog.livedoor.jp/drj1966/archives/51821869.html
美しい国 日本の景観(てる爺氏)
http://www.biwa.ne.jp/~tam/sansaku/report/25%20keikan/keikan.html
醜い日本の私
http://www.shinchosha.co.jp/book/146728/
あと、ブラック電話工事屋に昔勤めた時に聞いた話では、架空電線よりも地中化した方が新規物件とかで幹線から各戸への工事が面倒でコストもかかるっていうような話もあったな。
まぁこの国じゃあ行政と民との意思疎通すら満足にいってないから(以下略
私は中国語全然出来なかったな。ヤバイヤバイ
でも醜い日本人には醜悪な景観がお似合いってことでいいんじゃないですか(笑)公共事業は悪だし