幼い頃、この美しい歌を聞いて、えらく感動した。
そうこうしているうちに、この曲のレコードが発売禁止となり、テレビやラジオでも一切放送されなくなってしまった。当時の私は、その理由が分からなかった。周りの友達に訊いても、はっきりした答えは返ってこない。著作権違反だとか言われていたが、それよりもむしろ「政治的な何か」があるのかも知れない、とノンポリの私にも感じられたものだ。
その「イムジン河」が、聞くことが出来るようになったのは、今から十数年前からだろうか?何故また聞けるようになったのか?それも、私には謎のままだ。ま、とにかくこの素晴らしい歌が、自由に聞いたり歌ったり出来るようになったのは、いいことである。その後、映画「パッチギ」の中でも取り上げられ、効果的に使われたので、リバイバルヒットになってしまった。
YouTubeを探したら、フォーク・クルセダーズの当時の演奏と、最近、臨時に再編したのであろう、コンサートの動画が見つかった。加藤和彦、はしだのりひこ、北山修。それぞれが違う道を歩むようになったグループだが、年令を重ねてまた、一緒に綺麗なハーモニーと斉唱を聞かせてくれている。両方をアップしたので聴き比べて欲しい。
ウィキペディア「イムジン河」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%B3%E6%B2%B3
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「イムジン河」のメロディーは心に響きますね。日本語版の作成に携わった人々は、当初これを朝鮮の民謡と思い込んでいたようです。つまり、民謡と同じく、後世に歌い継がれるべき名曲ということです。フォーククルセイダーズないしその元メンバーの曲としては、「悲しくてやりきれない」や「風」も素敵です。前者については、「イムジン河」に関連する逸話がありますね。
朝鮮民族は「恨」の民族と言われます。「イムジン河」にも力強い「恨」の風情が感じられます。王朝の悪政に苦しみ、異民族の侵略に苦しみ、家族との別れに胸を掻き毟り、それでも毎日を泣き笑いしながら生きてきた。これこそが「恨」の原点だと私は思います。悲惨な大戦に敗れた日本の一般大衆は、「恨」を自然に理解したのかも知れません。だからこそあの歌は、戦争の記憶が微かに残る当時の日本人に、強く訴えかけたのではないでしょうか。近年の日本人の多くは、もはや「恨」を理解し得ないでしょう。
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E5%B4%8E%E5%B9%B8%E4%B9%8B%E5%8A%A9
2002年、ザ・フォーク・クルセダーズの期間限定新結成のメンバーに抜擢され、はしだのりひこに代わるセンターとして参加している。