武田邦彦が「反原発」だと思っている「お人好し」の皆さんへ!
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武田邦彦が「反原発」だと思っている「お人好し」の皆さんへ! その2
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武田邦彦の処世術
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武田邦彦が「反原発」だと思っている「お人好し」の皆さんへ! その3
http://takashichan.seesaa.net/article/214188910.html
武田邦彦の処世術その2
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武田邦彦の処世術その3
http://takashichan.seesaa.net/article/219591903.html
「武田邦彦」シリーズも遂に7本目となってしまった。それにしても最近つくづく不思議でならないことがある。何故、人々はこうも簡単に、こんな「インチキ男」に騙されるのか?ということだ。武田邦彦が、USTREAMで「トークカフェ」をやれば、数千の視聴者が見ているし、ちょっとでも民放に出ようものなら「武田センセイ、武田センセイ」と、ツィッターで話題もちきり。中でも熱狂的な「信者」たちは、私が武田氏の「いかがわしさ」を指摘すると、猛烈に「工作員」呼ばわりをする。中には私が、何処からか「金をもらって」武田教授を叩いている、などとツィートで反発するものさえいる。また、心中多少なりとも武田氏に「疑念」を持っている人たちでさえ「彼は自分で転向したと言っている」として、彼の矛盾した言動を看過し「今は頑張って本当のことを言ってくれているから」などと、擁護を始める始末だ。
私は、彼の罪がそんなことで「情状酌量」されるほど、軽いものではない、と主張している。上記のエントリー群の中で私は、武田氏のブログ(投稿欄のない一方通行のブログであるが)において、彼が自分の「無節操さ」を如何に巧妙にカモフラージュしようとしているか、を暴いた。
これまでも何度も言ってきたように、私は武田氏が「転向したこと自体」を責めているわけではないのである。私が武田氏を批判する理由は、彼が自分自身の「嘘つき」ぶり「無節操」ぶりを、未だに一度も総括していない、というただその一点にあるのだ。
武田氏は、自分の「転向」の過程を三期に分けて説明し、あたかも自分が3.11以前から原子力に「疑問を持っていた」かのように描いて見せている。その時期を彼は「第二期」と、自ら名付ける。しかし、その「時系列」に照らしあわせてもなお、彼の言動は矛盾に満ちているのだ。それは次のことを意味している。つまり彼は、ある日を境に「転向」したのではなく、実は「転向」後も、その場その場で、すなわち、声のかかった「お座敷」によって、主張をコロコロ変えているだけだということである。さすがに3.11以降は軽率な発言を避けてはいるようだが。要するに3.11以降、武田氏は、小出裕章氏や後藤正志氏、田中三彦氏といった「反原発」の学者・技術者の、英雄的な活躍を見て、自分もこれまでのような原発推進ではマズイのではないかと考え、そこで何とかして彼らの陣営に「鞍替え」して、世間に「正義の学者」と思われたい、という「スケベ根性」を起こした。
しかし、それはあまりに「虫が良すぎる」のではないか?「反原発」の側に受け入れてもらいたいのならば、自分自身の過去の「嘘つき」「無節操」ぶりを、きちんと総括してからにすべきではないのか?少なくとも「転向」したずっと後でありながら、例えば次の番組で言っていることには、はっきりとした「謝罪」が必要であろう。
クロストークエネルギー
武田邦彦氏は、次のように「謝罪」すべきなのだ。
「私は『日本の原発は地震で倒壊する』という内容の本を2冊出版して『できれば運転しない方が良い』という考えに変わったあとも、電事連・東芝などのスポンサー番組に呼ばれたときには『一番いいのは言うまでもなく原子力しかない』『石油石炭は枯渇などの問題がある電気はやっぱり原子力ということで日本はやっていくべき』などと、原発推進陣営の『ヨイショ』をしていたことを、深く反省いたしております。この件について皆さまに謝罪した上で、今後は反原発でやっていきたいと思います。何とぞお許し下さい。」
武田氏の過去はよくわかりませんが、いくつか彼の投稿を読みました。3・11以降のみですので、たかしさんが書かれた内容に反論するわけではありません。ただ、武田氏が書いた内容は合理的で筋が通っている物でした。私は専門家ではありませんが、大学で物理をやりましたので内容は理解できていると思います。この点はどうなのでしょうか?過去の件で謝れというのは理解できますが、だから現在彼が発言していることが嘘だという結論に直結しないと思います。ようするに、「人格分析」よりも「物理学的分析」の方に意味があると思うのです。
どろぼうが「1+1は2だ」と言った場合、どろぼうは悪い人ですが、発言の内容自体が嘘かどうかは人格ではなく内容の合理的な分析の問題となります。私は自分の意見を考える際、情報源として色々な投稿をあちこちで読んでいるだけですので、武田氏がどうであれ関係ないわけですが。
でもたけしさんが書かれたように、色々とややこしい過去がある方なのでしょうね。それは以前にも感じたことがあります。
もういちど私の書いている文章を読んでください。申し上げることはそれだけです。
最近は教育評論家気取りで、学校のいじめや家庭でのしつけの問題にあれこれ口出しして、文部科学省の審議会の委員に登用してもらおうと狙っているようです。