他にも、私が子供の頃と使われ方が違う言葉としては「ムカつく」がある。私が幼少の頃は「ムカつく」は「吐き気がする」という意味オンリーだったような気がする。「二日酔いでムカつく」のように。ただし、似た言葉で「ムカっとくる」というのがあって、これは所謂「頭に来る」の意味で用いていた。また「こだわる」という動詞は、いわゆる「ネガティブ」な意味にだけ、使われていたような気がする。つまり「くよくよこだわる」というような。ここに昭和41年刊の講談社の国語辞典があるが「こだわる」とは「わずかのことに気持ちの上でとらわれる」と説明されている。明らかにネガティブな用いられ方である。それがいつの間にやら「こだわりのラーメンスープ」といったような使い方が、主にテレビやマスコミで用いられ始めた。今では誰もが、このように「ポジティブ」な意味でも普通に用いるようになってしまった。
何だか日本語はずいぶん変わってきているような気がする。文法そのものが、たいへんめまぐるしい変化をしている場合も見受けられる。文法的には「名詞の接頭語」であったはずの「超」が、若者たちを中心に、形容詞や動詞を修飾する「副詞」として用いられる、などがその例である。
「よみがな」も変化している。以前も書いたが「地震」のよみがなは、本体「ぢしん」であるはずだが、現在の国語辞典では「じしん」でも良いとされる。それどころかパソコンの変換ソフトは「ぢしん」ではもう変換されない有様だ。「じしん」と入力して始めて「地震」と変換される。
当ブログにやって来られるネトウヨさんの多くは、日本語に不自由な方が多いので「気ずく」だとか「基ずく」だとかと、平気で書きこむ輩が多い。そのくせ、日本文化が大切だの優秀だの、中国はアホなんだのとほざくので、そのたびに私は彼らの「揚げ足」をとって差し上げるのだが、しかしこの調子で行くと「気づく」は「気ずく」、「基づく」は「基ずく」でもOKという世の中が来てしまうかもかも知れない。
考えてみると「ゐ(Wi)」「い」「ゑ(ye)」「え」などは、江戸時代すでに発音が「統一」されてしまっているわけであるから「ず(Zu)」「づ(du)」もそれに習って早晩どちらかに「統一」されるのも時間の問題かも知れない。
などと言いつつ、たった今、大変な発見をしてしまった!私は現在「Google日本語入力」でこのエントリーを書いているのだが、何と!「motozuku」と入力すると「基づく」と変換されるのだ!そう言えば「kozukai」と入力すると「小遣い」と変換されるのを思い出した。恐るべし!日本語!
参考スレッド
<方言における「品詞」の交錯ついて>
http://takashichan.seesaa.net/article/149861950.html
<「新語」について>
http://takashichan.seesaa.net/article/149630441.html
<ちょっとコーヒーブレイクを>
http://takashichan.seesaa.net/article/135041614.html
<「馬鹿」という言葉>
http://takashichan.seesaa.net/article/128631992.html
<差別語について>
http://takashichan.seesaa.net/article/149675560.html
<ネトウヨさんにお薦めの「Google日本語入力」のおせっかい機能>
http://takashichan.seesaa.net/article/294798664.html?1357702483
【その他雑感の最新記事】
したがって、現代仮名遣いでは、「地震」は、「じしん」とルビを振るのが正しいと考えるべきと思います。