2010年09月13日

懐かしの映画3

CS放送で「カジュアリティーズ(Casualties of War)」を久しぶりに見た。ベトナム戦争での実話を元に作られた映画である。マイケル・J・フォックスの苦悩に満ちた演技と、主犯格の極悪人軍曹を演じるショーン・ペンの演技が素晴らしい。以前エントリーで触れた「プラトーン(Platoon)」と並んで、私はベトナム戦争を描いた作品の「白眉」だと思っている。

<懐かしの映画1>
http://takashichan.seesaa.net/article/138292132.html

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あらすじ(Goo映画より)
74年、ヴェトナム帰還兵のエリックンン(マイケル・J・フォックス)は、電車(管理人注・・・実際はバス)の向かいに座るアジア人の女学生の姿に思わずハッとする--66年、ヴェトナムの戦場にいたエリックソンは敵の掘ったトンネルに落ち、身動きできないでいた。そんな危機一髪の彼を救ったのは上官のミザーヴ軍曹(ショーン・ペン)だった。それから間もなく帰還間近の無線係ブラウン(エリック・キング)が狙撃され死んだ。怒りに狂う仲間たちは、手当たり次第にヴェトナムの村人を射殺した。そんなある夜、基地に戻った小隊は中央ヴェトナム高地の偵察パトロールを命じられる。出発前ミザーヴはヴェトナムの少女をさらってレイプしようと提案、エリックソンは耳を疑うが、実際に若い娘オアン(ツイ・ツウ・リー)を誘拐し、彼女はエリックソンを除く4人の仲間たち、ミザーヴ、クラーク(ドン・ハーヴェイ)、ハッチャー(ジョン・C・ライリー)、ディアズ(ジョン・レグイザモ)に犯されてしまう。傷ついた娘をいたわることしかできないエリックソンは、仲間の留守中に彼女を逃がそうとするが、それも失敗に終わった。やがて小隊は対岸に北ヴェトナム軍の陣地がある河のほとりにやってきた。そして激しい銃撃戦の中、誘拐と暴行の証拠を消すため、オアンはミザーヴ軍曹の命令で射殺されるのだった。基地に戻ったエリックソンは、事件を軍の上層部に訴えるが、上官たちは彼を相手にしない。そんな折、小隊の4人によって命を狙われたエリックソンは、ついに事件の全貌を隊の牧師に訴える。そしてそれをきっかけにして軍による正式な捜査が始まった。ミザーヴ軍曹ら4人の兵士たちは軍法会議にかけられ刑期を科せられた--電車がとまりエリックソンは我にかえった。前に座っていた女学生(T・T・リー=二役)に続いて彼も下車した。目前に広がる平和なキャンパスの風景に、ひとときエリックソンの心が和むのだった。
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さて英語の題名の「Casualties of War」であるが一体どう翻訳したら良い言葉なのだろう?手元の最新コンサイス英和辞典(昭和43年版)によると「Casualty」とは「不慮の出来事」、複数形「Casualties」は「死傷者の数」と出ている。ちなみに Webster's New Practical School Dictionary には
1.Chance,Accident
2.An unfortunate occurrence
と出ている。さらにThe New Horizon Ladder Dictionary では one hurt or killedとなっている。まあ最大公約数的に翻訳すると「戦争の被害者」とでもなるのだろうか?しかしこの「被害者」とは、果たしてベトナム人少女のことを指しているのだろうか?私にはむしろこの映画に描かれた兵隊達を指しているように思えて仕方がない。いずれにしても「意味深」な題名だと思う。これについて、英語に詳しい人がいたら教えて欲しい。

それはさておき、これは第二次大戦中、日本陸軍が「常套手段」としていた「女性の現地調達」を描いた映画であり、日本人なら一度は見ておくべき映画だ。アメリカ映画がまんざらでないと思うのは、このような「告発映画」が、何だかんだ言いながら一部の映画人によって常に作られ続けることだと思っている。マイケル・ムーアをはじめとした良心的な映画人が確実に存在する。翻ってわが祖国日本は・・・。やめておこう、虚しくなる。

主役の一人を演じたショーン・ペンであるが、彼はちょっとイカれた若者、犯罪者、精神異常者などを演じさせたら天下一品である。ちなみに彼は自然保護団体の「シー・シェパード」の支援者の一人だとか。
http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2680528/5138181

「プラトーン」においては、チャーリー・シーン演じる新兵は、良き上官エリアスと、反面教師バーンズという二人を通して「正義」に目覚めていくが「カジュアリティーズ」では、周りの全員が犯罪に加担する中、主人公だけが「良心」を貫いていくというところが、悲愴で辛い。けっして後味の良い映画ではないが、皆さんも一度見ておくことをお薦めする。


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posted by takashi at 17:44 | Comment(10) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 本間です。
 今日はどうしてもいわせてもらいます。たかしさんは、よく『プラトーン』などをひきあいにだしますが……

> 私はベトナム戦争を描いた作品の「白眉」だと思っている。

 すみません。
 これをつぎのようにいいかえてくれますか。

> 私は“アメリカ映画によるベトナム戦争”を描いた作品の「白眉」だと思っている。

 俺は『ディア・ハンター』(ムゴイ! ムゴすぎる!)はいうにおよばず、『プラトーン』ですらベトナム戦争映画とは認めていない。
 さっき、ハリウッドの“赤狩り”を描いた『真実の瞬間(とき)』というのを、スカパー!録画したものでチラッと見ましたが、どんな題材もハリウッドにかかったものを見ると退いてしまうのは、なにかという理由がわかった気がする。
 彼らはぜったいにアカの側や、ベトナム人の側には立ってはいないんだよね。「俺はアカでもベトナム人でもないが、人間として君たちの権利を認めている」という姿勢が“白眉”とか“良心”とかいわれてるわけだ。
 これがどういうことかというと、かんたんにいえばこうだよ。

 ――俺は変態ではないが、人権のうえに立って君たち変態の立場を認めている。

 熊井啓は運命の連帯観という至言をのこしたが、かくいうような心のありようを“運命の連帯”とはいわないんだよ。
 ついでにいえば、ウィリアム・フリードキン監督の『英雄の条件』など焼き殺してやりたい!

 また釣られたのかな(笑い)。
 俺はマジだよ。
 あ、それはソート戸田屋の和菓子詰め合わせをありがとうございます。って、べつに回し者じゃないけど(笑い)。
Posted by 本間康二 at 2010年09月15日 00:46
【たかし】

本間さん、

>すみません。
>これをつぎのようにいいかえてくれますか。

>> 私は“アメリカ映画によるベトナム戦争”を描いた作品の「白眉」だと思っている。

わかりました。そのように訂正します。というか、私は最初からそのつもりで書いたのですが、文章とは難しいものですね。ただ私の主題は、自国の犯した罪をこのような映画に(本間さんのおっしゃるように「限界」はあるけれども)描くことの出来るアメリカ人に比べて、我々日本人は・・・というところにあるわけです。本間さんお薦めの山本薩夫にしても、これら二つの映画には残念ながら遠く及ばないと私は思います。この長い作品は最近やはりCS放送でやっていましたけれども、日本人俳優のマズイ「中国語」ばかりが耳について、子供の頃見たようには感動しませんでした。スイマセン「戦争と人間」のことを言ってます。子役の勘九郎が初々しかったです。ところで本間さんはこの「カジュアリティーズ」をご覧になりましたか?もしご覧になったのならどのように思いましたか?戸田屋の和菓子詰め合わせは二ヵ月後の検診日に病院近くのマルエツで買ってきます。母が喜ぶでしょう、ああゆうものが大好きですから。
Posted by たかし at 2010年09月15日 06:46
 本間です。
 返信ありがとうございます。
 アメリカに『戦争と人間』があるかと噛みついたのは、あの映画が白永祥を登場させたことなんです。いわゆるアメリカのベトナム戦争映画にそのようなキャラクターをみたことがないからです。
 とはいえ、日本人が演じる中国人は、言葉やなにかでおかしなものであることは否めません。俺はその点は大目に見てました。

 さて、『カジュアリティーズ』。
 見てるんだと思いますが、印象にのこってないのはなぜでしょうかねえ。2つばかり紹介記事を読みましたが、ショーン・ペンがそうとう恨まれてます(笑い)。
 それだけ達者な役者ということでしょう。『デッドマン・ウォーキング』でも、あれじゃ死刑にされてもしかたないなと思ったもん(笑い)。
 なんとか見たい、CSにでてるなら、スカパー!に回ってくるのも近いなと思ったら、さがしてみるものです。我が町、文化果つる台東区の図書館に所蔵してました。ただ、貸し出し中。
 見たら報告、じゃない、感想書きます、もちろんここで。
m(_ _)m
Posted by 本間康二 at 2010年09月16日 00:43
【パブロン中毒】
たかしさん遅くなって申し訳ありません。

この映画については、正直言いますと、正視に耐えませんで、ほとんど早送りをしてしまいました。
正視できる女性がそんなにたくさんいるとは、私には思えません。
また、この種の描写については、映像コンテンツにおいては、もう少し考えてもらいたいものだと思っています。
何も、「全部そのままのっぺりと描写すればよい」というものではなく、「まんま」を見せなければ話が進められないというのであれば、それは作り手の技術と創造力の問題、能力の問題ではないかと思っています。必ずしもこの作品が、「まんま」を描写しているというわけではないのですが。
この作品でも「省かれた」場面は多いのだろうと思いますが、なお私は表現方法については不満です。
デパルマ作品では、私にとっては「リダクテッド」と共にこの作品は最も正視に耐えないものです。ほかにいろいろな暴力シーンを含む作品があるにもかかわらずです。
この作品に限らないのですが、性暴力や拷問などのシーンについて、それは、中には「見なくてもよい」というようなものが明らかに存在すると思いますので、表現の方法については、この作品についてはほとんど評価できないというところです。
特にアメリカ製の映像作品で、劇場用のものには、早送りしなければならないようなシーンを含む作品が多いのですが、それは私の個人的な問題なのか、どうなのかと思います。
本筋からそれた話ですいません。
Posted by パブロン中毒 at 2012年10月26日 13:29
パブロン中毒さん、

わかります。その「正視できない」という感じ。女性なら特に。私も、この作品を見るたびに、実に気が重いのです。鬱になりそうになるくらいです。なんというか、この映画自体が「セカンド・レイプ」みたいなものですよね。古傷をえぐるみたいな。しかし「プラトーン」で、バーンズが村長の幼い娘の頭に、拳銃を突きつけるシーンもそうなんですが、ここまで自分の国の「悪事」を、具体的に見せてくれているところに、私はアメリカ映画の「良心」を見てしまいます。それほど、我が国の状況が悪いという意味もあるのですが。

パブロンさんの書いた「みんなのシネマレビュー」は見ましたよ。あまり評価なさっていないなあと、思いました。

最後のシーンで女学生が、エリクソンに向かって「何か悪い夢でも見ていたの?」と言って微笑むのが、何とも切ないです。見終わった後は、かなり疲れる映画だと思います。

Posted by たかし at 2012年10月26日 14:31
横から失礼します
>たかしさん
「戦争と人間」ですが、最近CS御覧になられたのは、ひょっとして山本薩夫ではなく小林正樹版(主演仲代達矢)ではありませんか。
私は山本版よりこちらを上としています。
尤も、さらに長い上、「役者の中国語」に関しては似たり寄ったりでしょうが。

「プラトーン」と「カジュアリティーズ」
一見同じようなストーリー、題材を扱っている二作品ですが、その「落としどころ」には大きな相違があります。
前者は、エアイラスという「善なるアメリカ」とバーンズという「悪しきアメリカ」の対峙、そしてその間で苦悩する主人公の「内面の揺らぎ」を描いたもので、最後は良心に従った主人公が「悪」を退け、これを倒します。
亦、物語序盤の重要なエピソードである「ベトナム市民の大量虐殺」も「善なるアメリカ」の登場によって阻まれます。
つまり、「善」と「悪」を並列させつつも、強調されるは「善なるアメリカ」だということです。
「ベトナム人側の視点」も殆ど描かれていません。
「プラトーン」はベトナム戦争というアメリカ人にとっての「過去の負の遺産」に対する「免罪符」を与える為の映画、というのが私の捉え方です。
一方、後者の結末には「救い」がありません。
ここでは主人公の「善なるアメリカ」は勝利しないばかりか、その行動の代償に与えられたものは、生命の危機とその恐怖に怯える未来です。
更に、前者が映画の主題を「個人の内面的問題」として描いているのに対し、後者は軍隊の組織的腐敗、国内外の人種差別といった「社会的問題」という視座を持っています。
アメリカ人の犯罪についての描写も全く容赦のない「えげつない」ものです。
そして、この「えげつない描写」こそが、この映画が持つ「怒り」を表しているのではないでしょうか。
そこには、前者にはなかったベトナム人=被害者に寄り添おうとする姿勢がはっきりと見て取れます。
「怒り」こそが、社会を変革し、突き動かす為の原初的な感情であり、私はこの映画の「怒り」を支持したい。
「プラトーン」が過去に対する免罪符的映画なら、「カジュアリティーズ」は「怒り」と「告発」の映画、と言えるのではないでしょうか。

私は前者を評価せず、後者を評価します。

>パブロン中毒さん
あなたの嫌悪感は、私にも想像はできます。
男の私でさえ目を背けたくなるのですから、同性のあなたが正視に耐えないのは、無理もないでしょう。
それを理解したつもりで敢えて、強烈な「怒り」を表現するにはあの描写は必要であった、と私は考えています。
こう考えるのは、私に女性への「他者感覚」がまだまだ乏しいから、かもしれませんね。
Posted by やす at 2012年10月27日 14:48
【パブロン中毒】
やすさん、女性への他者感覚…とは…私のようなアホにはよく理解できないのですが、男性が女性と同様の視点を持つことはそもそもできないと思うので、別にそうでなければならないというふうなものではないかもしれず、しれませんが、私は別にそのこと自体はそういうものなんだからと、そんなふうに思いますですね。へんな文章です。
ただし、映像作品においては、「怒り」なら「怒り」を表現するにあたって、あの作品におけるやり方以外のやり方もあったであろうと、私は思っていますが。
例えば、私がしょっちゅう見ている刑事ドラマのLaw&Orderシリーズに、スピンオフとして性犯罪捜査班のシリーズがありますが、そこでは、毎回性犯罪を扱うにもかかわらず、一度たりとも犯行シーンの描写がされたことはなく、それでいて、性犯罪のむごさをいかに表現するかということに力が注がれております。そしてそれは、じゅうぶんに説得力のあるものが、これまで展開されてきていると評価しております。
そこには、犯行シーンを一切描写しないでも、そして大仰な演出を避けて淡々とドキュメンタリータッチで進めていても、犯行への怒りが込められておりますし、効果を出していると私は感じます。
それはTV媒体であるからということもあるのでしょうが、それらのものを見慣れてみると、劇場用の映像コンテンツは、「やらなくてもいいこと」をせっせとやってきたのではないだろうかと、そういう気持ちもしてくることは確かです。
カジュアリティーズについては、あのような描写をあえてチョイスしたことにより、大勢の女性の観客にそっぽを向かれたのではないかと、そういう面でも、残念な気持ちは免れません。
一概にharmlessなものを作れ、というわけではなく、なんといいますか、そこまでやらないとできないんですか、本当にそうですか、というような感覚が私にはあるようです。
Posted by パブロン中毒 at 2012年10月27日 22:30
>パブロン中毒さん
ブライアン・デパルマの作品に於ける「えげつない」暴力描写は、一つの大きな特徴とは言えますね。
「アンタッチャブル」で、デ・ニーロ演じるアルカポネが部下たちと和やかに談笑していた直後に、部下の一人をバットでメッタ打ちにして殺害するシーンがありましたが、短いワンシーンでカポネの暴力性、異常性を観客に示す効果的な演出でした。
ハリウッドには凄惨な暴力描写(人によっては性的描写)をギミックとして用いる監督は少なくないですが、それが巧みで効果的であればある程、同時に逆効果(嫌悪感)を生む危険性は常にあります。
私は暴力に対する描写そのものより、それが映画の主題にどのような意味を与え、どういった効果を生んでいるのか、を重視します。
日本の監督で「暴力描写」と言えば北野武監督が有名ですが、「暴力描写」が上手いだけの彼の作品は全く評価してません。
「カジュアリティーズ」のようなベトナム戦争というアメリカ人にとってデリケートな題材を扱った映画に於いて、あのような描写を用いたことは、(別の意味でも)観客の嫌悪感、拒絶感を呼んだでしょう。
勿論、デパルマはそれも総て織り込み済みであり、其れでも尚、あの描写は必要と考えたのだと思います。
それが彼の方法論であり、そういうタイプの表現者だという事ではないでしょうか。
同時に、それが生理的に受け入れられない人がいる事も致し方の無い事だ、と思っています。







Posted by やす at 2012年10月28日 12:31
やすさん、 パブロン中毒さん、

ほぼ意見も出揃った感じですね。言うまでもなく、人種差別の問題がこの映画のテーマです。被害者の少女は、我々と同じアジア人です。白人ではなくね。それと見落としがちですが、エリクソンは「ブラウンが居たら、こんなことは許さない」と言います。ブラウンとは、帰国を目前にしながら物語の初めのほうで戦死する黒人兵です。また、最初に仲間の犯罪を打ち明けた小隊長は黒人で、エリクソンの告発を跳ね除けますが、その小隊長は、自分の受けた「人種差別」をエリクソンに語ります。

最後のクレジットでは、結局四人の犯罪者が、刑期前に釈放されたことが流され、エリクソンの告発が報われなかったことが、我々に知らされます。

あの日中戦争では、同様のことをした日本兵が「軍法会議」で裁かれたという記録はありません。裁いたのは、戦後の連合国による「軍事裁判」でした。アメリカと日本、それでもどっちがよりマトモな国であるかは明白でしょう。

あ、それと。やすさんが幾つか前のコメントで触れられているのは「戦争と人間」ではなく「人間の条件」という映画についてですね。
Posted by たかし at 2012年10月28日 13:00
>たかしさん
仰る通り五味川純平原作の「人間の条件」でした。
以前、本間康二さんが「人間の条件」の話をされていたのを覚えていて、勝手に勘違いしてしまいました。(汗)
「戦争と人間」と「人間の条件」は全く別の映画です。
頭の中で両作品が、ごちゃごちゃになっていました。
なにぶん、観たのが随分昔なもので・・・。
Posted by やす at 2012年10月28日 17:07
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