2010年05月31日

噺家の「襲名」

林家こぶ平が、どうして「林家正蔵」という大看板を襲名出来たのか、私は未だに不思議に思っている。くだらないレポーターの仕事ばかりやっていて、落語はまるで下手くそ。にもかかわらず親の七光りのせいで、常に周りにちやほやされ続けてきた男である。襲名してからいくら「勉強」を始めたところでまともな芸などモノには出来っこない。なにしろ昔から「アドリブ感覚」がゼロ!「当意即妙」な受け答えが全く出来ない噺家だった。もう二十年以上前のこと、池袋演芸場で私が目撃した場面。こぶ平が高座に上がっているとき、観客の子供が照明のスイッチ落としてしまったことがある。会場内はとたんに真っ暗。こんな時、普通の噺家なら、ちょっとは気の利いたギャグでも飛ばして笑わせるところである。例えばこの私でも「お客さん、懐の財布に気を付けて」とか「席亭が電気代を滞納しておりまして・・・」くらいの、笑わすタメ口をいくらでも思い付くのだが、こぶ平はただただオドオドするばかり。これがあのアドリブの天才・三平の息子かと思うと情けなく思ったものだ。

「実力」も「品格」もない噺家が大看板を襲名し、その結果「看板」を地に落とす例は枚挙にいとまがない。最近では「林家正蔵」や「桂文楽」などがその典型であろう。それとは反対に実力・品格、さらに「血筋」から見ても「大看板」を継ぐにふさわしい天才噺家が、それを継がずに静かに世を去った例もある。その意味で、志ん朝師はまさに「孤高」の存在として語り継がれるに違いない。

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さて「大看板」を継ぐに値しない連中が、醜い争いをしているらしい。
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「三遊亭円生」襲名巡りドロ沼争い2010年5月27日(アサヒ・コム)
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201005270049.html


 落語界の大名跡「三遊亭円生」襲名を巡り、6代目円生の直弟子三遊亭円窓(69)が新たに名乗りを上げた。同名跡の襲名には円生の一番弟子の5代目三遊亭円楽(09年死去)が自らの一番弟子三遊亭鳳楽(63)を7代目円生に指名する一方、円生の直弟子三遊亭円丈(65)が反対を表明していた。

 先代円楽の弟弟子円窓は、5月17日の落語協会理事会で「遺族から襲名を要請された」と襲名の意欲を明かした。関係者によると、4月6日に6代目円生の長男耀一郎氏と円生直門の円窓、円丈らが話し合い、そこで耀一郎氏が円窓に襲名許可を与えたという。
 耀一郎氏署名の「7代目三遊亭円生の襲名確認書」なる文書が円丈、鳳楽にも届いたが、その日付は「5月7日」と話し合いから1カ月後で、しかも届いたのは先週末という。さらに円丈は「私は賛成していない。もっとフェアな形で選ばないといけない」と批判した。円生の長女や孫は円窓襲名に反対の意向など遺族の間でも異論がある。
 円窓はもとは春風亭柳枝門下で、途中から円生一門に移った経緯がある。円窓参入に円丈は「私は棄権します」と撤退の意向。鳳楽は「恥ずかしいね。泥沼はいけない。1度、直弟子から孫弟子まで円生一門と遺族が集まって話し合わないと前に進まない」と話した。落語協会も静観の構えで、襲名問題は混沌(こんとん)としてきた。
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あまりコメントする気もないが、圓生の長男は噺家ではないはずだ。なのに何故、決定権があるのだろう?圓丈も鳳楽も、そこそこの噺家である。円丈は新作落語家の中では抜群に面白い。圓窓はかつて「笑点」のスターだった人である。その昔、弟子の一人が圓窓の人間性について辛辣な告発をしている本を読んだことがある。しかし、芸としてはまずまずのものを持った噺家だと思う。しかしこれら三人の何れもが「圓生」を継ぐ実力・品格を持っているとは私には到底思えない。この際「圓生」の看板は「永久欠板」にすべきであろう。
posted by takashi at 12:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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