2010年02月21日

英語のカタカナ表記について

今回は以前から考えていたことを書いてみたいと思う。日本人が他のアジア人例えばインド人に比べて外国語習得能力において劣っているという評判は、世界でも常識になっている。特に「聞く・話す」の面で弱いと言われる。理由の一つに日本語には子音と母音の種類が少ない、ということが挙げられると思う。外国語を日本語表記した場合「レッド」と書いてそれが「RED」なのか「LED」なのか判断は出来ない。ことに日本人は「L」と「R」の使い分けが出来ないと言うのが通り相場になっている。戦時中アメリカ軍は「合言葉」に必ず日本人の発音出来ない「L」を用いたと言われている。

我々は幼い頃から「外来語」に親しんできている。新聞をはじめあらゆるメディアに「外来語」が氾濫している。しかしそれらの「外来語」を使いながら、それらの本来の発音(綴り)が意識されることはない。つまり外来語表記において「L」と「R」が区別されることはない。「S」と「TH」もそうだし「F」と「WH」「H」もそうだ。

ところがである。ひとつだけ例外があるのだ。それは「B」と「V」である。「ヴィヴァルディ」は「ビバルディ」とされることもあるが、このように本来の発音が反映した書き方がなされることもあるのだ。少なくともこのことにより我々には、元の綴りが「Vivaldi」であると言うことが認識され得る結果となる。

そこで私の提案なのだが、「L」と「R」にも同じ方法を用いてはどうか?例えば「ラリルレロ」の各文字の右上に「°」をつけた時は「L」、「゛」を付けたときは「R」だというふうに。

もしこのような使い分けが他の子音についても行なわれ、新聞や雑誌や国語の教科書、インターネットに到るまで徹底されていたとしたら、英語学習年齢(最近では小学生にまで早められたと聞くが)前にかなり日本人の「語学音痴」解消の下地が出来上がるのではないだろうか?冗談抜きで文部科科学省は検討してもらいたいものだ。

今回のエントリーは「カナダde日本語」のミニーさんのこの記事を読んで、前から考えていたことを書いてみた。
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-2041.html

>本来は、英語でVancouverなので、「ヴァンクーヴァー」と日本語で表記されるべき
>バンクーバー・オリンピック。日本語表記も徐々に変えていかないと、英語の発音との
>ギャップが大きく、天下の犬HKでさえ、ハンバーグと間違えたりするのだろう(笑)。
>それにしても、この誤字は、NHKのTwitter担当者の語学力の低さを物語っている。
>いまだに訂正されていないところを見ると、この担当者はまだ気づいていないのかもしれない。

posted by takashi at 21:02 | Comment(8) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たかしさん
ありがとうございます(笑)。「日本語のブログだから日本語で書け」などというのは、欧米などでは議会にも進出できないウルトラ極右派(非合法であることが多い)の主張です。「差別禁止規定」に抵触するケースも。まして、侵略植民地統治によって他民族から「言葉」を奪った過去を持つ国民が、そうした「暴言」「妄言」を吐いたらそれは当然ながら「糾弾」の対象でしょう。
本当の「差別主義者」が誰なのか、公的な場でも明らかにしてゆきたいと思います。
Posted by 友愛左派 at 2010年02月21日 23:18
初めてまして。引用されているblog記事の

「本来は、英語でVancouverなので、「ヴァンクーヴァー」と日本語で表記されるべき

と言う記事にはあまり同意出来ません。日本語である以上、「バンクーバー」、「ヴァンクーヴァー」のどちらも可であると考えます。
外語の片仮名表記は如何に工夫しようとも本来の原音を表すことはできません。あまたある外語と日本語との音韻の差異の、ほんの一部を書分ける事は重要ではないと考えます。日本語表記はあくまで日本語の音韻に沿って決めた方が良いと思います。
また、もしヴァンクーヴァーが正解とされてしまうと、日本語話者にも影響は必至です。外国語の音韻に依って日本語の表記の正誤を決めるのは、良い言方が思いつかないのですが、強いて言えば「植民地的態度」ではないでしょうか。
さて、本題のrとlの書分けですが、これも私は賛成出来ません。例えばworldはどう処理すれば良いのか。そもそも片仮名は英語学習の為にある文字ではない。(片仮名の出自が漢文読解にあるという意味では外国語と無縁ではありませんが)
管理人様の提言は英語の綴りが判らないと外国の地名を書くのも覚束ない、という不幸な事態を招来する恐れもあると思います。

初めての投稿で批判めいた事を書き失礼しました。英語に反感持っているため、「英語学習の便」のような内容に、つい過剰に反応してしまいました。





Posted by 工人 at 2010年02月21日 23:27
【たかし】

工人さん、良くいらっしゃいました。

>日本語である以上、「バンクーバー」、「ヴァンクーヴァー」のどちらも可であると考えます。
>外語の片仮名表記は如何に工夫しようとも本来の原音を表すことはできません。

仰ることはよく理解できます。

>日本語表記はあくまで日本語の音韻に沿って決めた方が良いと思います。

誤解されているのかも知れませんが、私はそのように「発音」すべきだ、とまでは言っていないのです。たとえば上前歯で下唇を噛む、というような事をですね。ただ単に「B」であるか「V」の区別を普段から活字で見て記憶出来れば、例えばイタリア人の前で「Bibaldi」などと発音することは避けられる、と思うわけです。ここで今ちょっと思い出しましたがスペイン語では「B」と「V」は同じ発音なのですよね(苦笑)。

>外国語の音韻に依って日本語の表記の正誤を決めるのは、良い言方が思いつかないのですが、強いて言えば「植民地的態度」ではないでしょうか。

これも仰ることは分かります。私の傾倒している本多勝一氏もそのように言うと思います(笑)。

>例えばworldはどう処理すれば良いのか。

そうですね、私もそこまでは考えていませんでした(笑)。この場合の「R」は重要な要素ではないので「ワール°ド」とすべきだと思いますね。

>管理人様の提言は英語の綴りが判らないと外国の地名を書くのも覚束ない、という不幸な事態を招来する恐れもあると思います。

いいえ、辞書や新聞やあらゆるメディアがこれを実行すれば、誰もが皆そのように表記するようになるでしょうから問題ないと思います。尤も私の今回の「提案」は文部科学省も採用するとは思えませんし、殆ど実現不可能な「夢物語」ですからそこまで心配するには及ばないと思います。

>初めての投稿で批判めいた事を書き失礼しました。

いえいえそのようなことはないです。これからも当ブログへの書き込みをよろしくお願いいたします。
Posted by たかし at 2010年02月22日 00:23
>たかしさん

>日本人が他のアジア人例えばインド人に比べて外国語習得能力において劣っているという評判は、世界でも常識になっている。

→これは単にLとRの区別やTHの発音が日本語にはないから苦手なだけで、中国人が日本語でいう濁音が苦手(中国語でdやbは濁音発音ではない)だったり、韓国人がZuの発音が苦手(Juはある)だったり、台湾人がZhu、Shiなど北京語でいう反舌音や巻舌音が苦手だったりと同様の現象ではないでしょうか。要は「母国語の発音にない発音は苦手」というだけではないでしょうか。
Posted by shinystar at 2010年02月22日 11:22
>>shinystar

そういうオマエは何ヶ国語マスターしてんのよ(藁
Posted by うー at 2010年02月22日 12:45
たかしさん、
その国の言語というのは、その国の人だけのためにあるのではありません。その国の言語を学習する人にもわかりやすい表記が求められています。bとvの違いはすでに日本語に存在するので、ヴィヴァルディのようにvを使って正しい表記を行う場合とバンクーバーのようにbで間違った表記を行う2つの場合があるので、これを正しく統一するべきだと思います。そうしないと、一貫性にかける言語として、日本語を学習する人にとって勉強しにくい言語になるからです。

RとLの違いは、現在の日本語には、この2つを区別する表記法がないので、vの表記が全て統一された段階で、その次のステップとして考えるべきだと思います。RとLの表記を区別することは、国名を英語で表記するときなどにも役立つし、海外に行く日本人のためにも便利だと思います。

もっとも、vの表記を統一するのにどのくらいかかるのかわかりませんので、RとLを区別するのは、実現するかどうかわかりませんけど。でも、韓国も昔は漢字を使っていたのに、単純化して記号の表記にしてから、外国人で韓国語を学ぶ人が増えたそうなので、ぜひ、日本語もグローバル化させ、英語を学ぶ人にとっても、日本語を学ぶ人にとっても学習しやすいようにどんどん進歩させていって欲しいと思います。

日本人が英語が苦手なのは、表記が全く違うということも原因の一つだと思います。もちろん、伝統を守ることはとても大切ですが、言語というのは日々変化していくものなので、時代に合わせて使いやすく変化させることが大切だと思います。
Posted by 美爾依 at 2010年02月22日 13:05
美爾依さん、

>その国の言語というのは、その国の人だけのためにあるのではありません。
>一貫性にかける言語として、日本語を学習する人にとって勉強しにくい言語になる

説得力がありますね。中国ではビートルズを「甲虫合唱団」と呼ぶそうです。こういうのに比べるとカタカナははるかに便利です。タクシーを「的士」コカコーラを「可口可楽」と音を当て嵌める場合もあるようですが、カタカナに比べると如何にも不便です。日本語から漢字を無くすことには私は反対ですが、カタカナという「武器」が日本語にはあるわけで、これをもっと進化させることが出来ないかと、考えているのです。美爾依さんの仰る、言語を時代に合わせて使いやすく変化させることには全く大賛成です。
Posted by たかし at 2010年02月22日 13:30
うーさん
あの「ナチカルト」が間違いなく得意なのは、「反ユダヤ主義カルト語」でしょう(笑)。事実、あの「ナチカルト」は案の定「母国語」なる言葉を使っていますが、これこそ国際的スタンダードからしても許し難い「差別用語」です。世界的にも公文書などでは今日、「母語」という表記が使われますから。田中克彦さんの「ことばと国家」(岩波新書、1981年)などは参考になるかと思います。
Posted by 友愛左派 at 2010年02月22日 15:31
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