電信柱による「車両自損事故」が、ヨーロッパ先進国には全く存在しない日本独特の「恥ずべき」交通事故であることは、論を待たない。電信柱のない国で「電信柱にブチ当たる」ことなど望んでもありえない。
私はたまに、母の車椅子を押して外出することがあるが、歩道のある表通りを避けるようにしている。車の多い表通りには、ただでさえ狭い歩道のど真ん中に電信柱が立っており、車椅子を押した私と対向者、あるいは対向自転車がすれ違うことが出来ない。大概は通行者なり自転車が幾分広くなった場所で待機してくれるか、車道に一時逸れて私たちを通してくれる。そんな時私は相手に対して会釈をし礼を述べるわけだが、中にはやはり何%か不機嫌な顔をしたり舌打ちする人も居る。自転車に乗る方ならよく分かると思うが、自転車を運転していて一番頭に来るのは、予期せぬ場所でブレーキをかけることである。ブレーキをかけるということは、貯えていた体内のエネルギーを筋肉に送りペダルを漕ぎ、最終的に自転車の車輪に回転エネルギーとして変換していたものを、いったん「リセット」する、という虚しい行為に他ならない。私とて逆の立場であれば顔にこそ出しはしないが、ヤレヤレと思うに決まっている。尤も私の場合はその前に、目の前にある電信柱を作った電力会社と行政に腹を立てるだろう。とにかく車椅子を押していると、こんなやりとりを、目的地に着くまで何十回となく繰り返さなければならないのである。日本の都市の99パーセントでは「バリアフリー」というのは「絵に描いた餅」である。それを少しでも「バリアフリーもどき」に近づけようとするのなら、最初にやるべき事は電信柱の撤去である。
道交法では本来自転車の走行は車と同じ「車道の左側」である。しかし、現在では日本中の自治体が歩道での通行を事実上「黙認」するに至っている。それはもちろん自動車と自転車による死亡事故があまりに多いための「次善の策」という意味での「お目こぼし」であろう。しかし、相変わらず狭く電信柱のある歩道であれば、車道に逸れた自転車が、前から来た自動車と正面衝突するというような別の重大事故に繋がる可能性もある。夜間において無灯火の自転車が、自動車のヘッドライトの前では「死角」に等しいというのは多くのドライバーが経験されることと思う。単位人口あたりの年間自殺者が先進国中トップの我が国であるが、同様に電信柱関連衝突事故ワースト1を返上する日は、一体何百年後になると言うのだろうか。この国の現状は暗澹たるものである。
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