中国映画「南京!南京!」を再びネットで鑑賞した。
http://tv.sohu.com/20090527/n264199426.shtml
ネットの混雑があまりなかったのか「固まる」こともなくスムーズに見ることが出来た。この映画は実質的に、一人の日本人将兵「角川」が主人公として描かれている。ちょっと乱暴に言ってしまうと、日本軍の中にも「良心的」な兵隊がいた、というのがこの映画のコンセプトだ。角川以外の日本兵も、決して「悪」としてのみで描かれているわけではない。残虐な行為を行なった兵隊が、同時に素朴で人間的な青年にも描かれているのだ。実際そうだったのだろう。平気で赤ん坊を串刺しにする兵隊が、戦友の「死」には涙していたのだ。それが戦争というものの不思議な現実なのだ。
私的に、この映画で泣けたのは次のシーンである。
角川が慰安所へ行き、生まれて初めて女性と交わる。その慰安婦は百合子と言った。翌年、角川は新年の慰問袋を持って再び百合子の元を訪れるが、既に彼女は病に罹っていた。角川の持ってきた土産に無邪気に喜ぶ百合子。角川は彼女と再び契りを結ぶ。その後もまた角川は慰安所で百合子を見かけるが、既に百合子の病状は末期となっていた。彼女に触れることをためらう角川をよそに、若い兵隊が角川の目の前で百合子を犯す。ある日、慰安所を訪れた角川に女衒は、百合子が死んだことを告げる。角川は言う。「百合子は私の妻でした。」何ともやるせない切ないシーンである。
日本軍司令官が「安全区」に居住する中国人女性たちを慰安婦として「狩る」シーンも出てくる。「綱紀の粛清」「強姦予防」を理由に、民間婦女子を強制的に慰安婦に仕立て上げる様が描かれる。
最後に角川は、軍隊の現実に耐えられず、二人の捕虜を解放したのち、自ら命を絶ってしまう。
この「南京!南京!」は、最近になってやっと日本国内での上映の目途が立ったと聞いているが、この映画にも登場するドイツ人「ジョン・ラーべ」を描いたドイツ映画は、未だに「右翼の妨害」で国内上映に対して配給会社が二の足を踏んでいるらしい。是非日本での上映を望みたい。
<追記>
映画「南京!南京!」の冒頭シーンに、ドイツ軍の軍服を着た兵隊と、ボロを纏った兵隊の小競り合いのシーンが出てくる。 ご覧になった方の中にはこのシーンの意味が分からない方もいらっしゃるのではないだろうか?ドイツ軍服の軍隊は国民党軍(蒋介石軍)で、ボロ服の軍隊は八露軍(毛沢東軍)である。街を見捨てて逃げ出そうとする国民党軍を、八露軍が押しとどめている、というのがこのシーンなのだ。南京落城の後、蒋介石は首都を重慶に移す。その重慶に日本軍が百数十回にわたって無差別爆撃を行なったことは、皆さんもご存じであろう。そして数年前のサッカーアジア大会での日本チームに対する市民の抗議のブーイングも記憶に新しい。
※ smtz8 からのご指摘で「ボロをまとった軍隊」が「八路軍」ではなく、同じ国民党軍の派閥である『国民党第三十六師 宋希濂部』であることがわかりました。謹んで訂正をさせていただきます。管理人
たかしさんに、誤解なきよう。正直な確認です。
> 「日本人にも良心的な兵隊がいた」という主題は、日本人監督が作ると身内の「免罪」になってしまう可能性がある(山本薩夫「人間の条件」)。
俺は常々、「アメリカに『戦争と人間』があるか!」と主張してきましたが、たかしさんのこの引用句の真意はなんでしょう。
山本薩夫監督『戦争と人間』は人物描写がステレオタイプな欠点のある映画かも知れませんが、アジアなどの侵略に対する日本人としての罪の意識の真摯さは感じられる映画(もちろん原作を筆頭として!)だと評価してきました。
本作が「免罪」ならば『ディア・ハンター』などはなんと括るべきでしょうか。
すみません。混乱してます。
m(_ _)m
ところで、角川は誰が演じたのでしょう。
『戦争と人間』での白永祥(山本學)はたまらない魅力でしたが、中国人が中国語セリフを聞いたらなと、その恥ずかしさだけは感じて見ていましたが(笑い)。
徐在林、全明福等、その他あちらがわ登場人物ももちろん同じくですが……
多少誤解があると思いますので申し上げます。山本薩夫「人間の条件」はすばらしい作品で私も好きです。それにストーリーそのものは五味川純平の原作ですから、山本薩夫監督に責を負わせるのは確かに酷です。
それとアメリカ映画に「人間の条件」に匹敵するものがあるかと言われれば、私はオリバー・ストーンの「プラトーン」を挙げます。ちなみに「プラトーン」も「免罪映画」だと思います。
「南京!南京!」角川を演じているのは中泉英雄という俳優です。中国でのエピソードがあるようなのでご紹介します。
http://j.people.com.cn/95952/6642818.html
まさしく名は体を表す(藁
>もう一つ恥がありますよね。 それは自国の過去を他国のプロパガンダに乗っかって、叩く人が居るという事です。 そして自分と意見の違う相手を『ネトウヨ、バカウヨ、ネット右翼、恥さらし、売国奴、日本の恥』とレッテルを貼って喜んでいる人が居るという事も。 レッテル張りは街宣右翼のがなり声と何ら変わらない、ニホンサヨクの下劣な行動様式です。
というコメントを以前お寄せいただいた「たかあし」さんとIPが同じですね。当ブログの規則に従ってあなたを「出入り禁止」処分にさせていただきますので、悪しからず御了承願います。たかし
変名しないで堂々とかかって来んかい! ってもう遅いか(笑)。
はじめまして。文面を拝見するかぎり、相当な心のお悩みを抱えておられるようですね。私は、そうした方々のケアをする職業的トレーニングを受けてきましたもので。あなたがカルト宗教や突発的行動(凶行)に走ってしまうのでは、ととても心配しています。お友達やご家族と、まずよく会話をしてみてくだい。それでも「恨み辛み」が渦巻くようなら、是非とも専門家のカウンセリングを受けた方が良いですよ。
いずれ、中国と日本が協力して、「シンドラーのリスト」のような名作が製作されることを願っています。あのスピルバークさんの映画は、一部ドイツ人・オーストリア人の「病める心」も癒してくれる感動の大作でしたから。
他にも同様な考えを持つ方達も、プロパガンダでもなんでも結構!
一度この映画を見て下さい。
虐殺が有った・なかった。慰安所がどーのこーの。
それ等を置いといても何か感じるものがきっとあると思います。
戦争があったという事実は、さすがにお互いの共通認識ですよね? 皆さん。
たかしさん、返信感謝します。
わたしは五味川純平もピカ一と思ってますが……『戦争と人間』には小説的欠陥はありましょうが(奥さんの死や作者の病気など、構成の混乱で尻切れトンボにも)、それ以外歴史的見方としてはまちがってないと思います。ま、わたしの軟弱なる思想性から突っ込まれる要素はおありでしょうが。
あと、共産党への反発だったら、わたしだって負けませんから(笑い)。
それはそうと、『ジョン・ラーベ』は諸般の事情から、特に皇室関係の絡みから相当むずかしそうですね。
本は読みました。
しかし、『鬼が来た!』の時にも感心したが、こんども香川照之はエライ!
それにしても自虐と自戒の区別も分からぬアホ日本人のなんと多いことか! それこそが反日だ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0401&f=national_0401_016.shtml
“ジョン”ことヨーン・ラーベはナチ党員で、オスカー・シンドラーと同じく元々、ヒットラーや昭和天皇と東條英機らに「反抗」する意図などなかったのです。ラーベと親しかったエルヴィン・ヴィッカート(1915〜2008)というドイツの外交官から、彼の自宅(レーマーゲン。日本では「レマゲン」と呼ばれる)でじっくり証言を聞きました。その「反共産党ナチ」が暴虐を目の当たりにし、人道的観点から覚醒していったからこそ、感動的な真実のストーリーなのです。映画制作に、日本が、日本の良心的映画人たちが積極的に参加できたなら(たとえば「シンドラーのリスト」のように)、もっと日本人の心を動かすことができたかもしれません。「戦争と人間」もそうでしたが、やはり「国際理解&協力」の欠如・弱さは否めないのではないでしょうか。映画のみならず、そうしたものがはやく築けると良いですね。
ラーべは故郷を遠く離れた中国でナチ党員となった人です。ナチスの本質を理解していませんでした。ナチスを人道的な政治結社だと思っていたフシがあります。その意味で「確信犯?」のシンドラーとは違うのではないでしょうか。ユダヤ人を救った杉原千畝とその意味では近いような気がします。
まず最初にお断りしておきます。愚かな連中に悪用されぬように、この文章は非公開にするか、巧みな編集を加えてください!。
ラーベは多々の「人種蔑視発言」をしています。日記やメモ、証言などがたくさんあります。また、欧州から上海に逃れてきた多くのユダヤ人に対しても、必ずしも好意的ではありませんでした。この点は、杉原氏や「朝鮮(韓国)独立の父」布施弁護士との決定的な違いです。でも、南京事件でラーベは目覚めたのです。ホロコーストの呵責に耐えられなくなったシンドラーのように。シンドラーは酒好きのプレイボーイで、ラーベは良識・自制派でしたから、外見も含めてご指摘のような印象を持つ人は多いでしょう。ただ、この時代のドイツ人はやはり、みな「どうかしていた」ようです。
(ドイツ語でよろしければ、量はかなり多いですが「証拠」をお送りしますが)
友愛左派さん。
ラーベは人道に対し素直に人間的だったと思いますよ。『南京の真実』を読んで反感はほとんど感じられませんでした。ユダヤ人差別は当時としては時代の情況現象としてしかたないことだと思います。
また、虐殺の数値にしても、歴史の真実はともかくとして、日記で書かれている数値の方が広く唱えられている30万人説より具体的で信憑性があると思えました。
たかしさんが仰るように、ラーベがナチに抱いていたのは清い幻想でしかなく、彼はむしろ祖国に帰ってからはその真実と向き合うとともに、彼の偉業に対する手痛いしっぺ返しをくらい、不遇の最期を迎えています。
たいしたバッシングもないのにさっさと撤退した『靖国』問題もひどかったけど(あれは、むしろ話題性を喚起するための興行側の陰謀ではないかと疑っている)、ラーベの映画上映禁止に動いた興行界も腰抜け、体たらく。
日本の映画界などというのは、この程度でしかないということです。
『シンドラーのリスト』は嫌いな映画です。二度と見たいとは思わなかった映画の一本となりました。というか、スピルバーグは、事実をねじ曲げて『ミュンヘン』を作ったことからますます嫌いになりましたが……。
騙されちゃいけませんね。『戦争と人間』標耕平の兄のセリフではないが「信じるなよ。男でも、女でも……ほんとうによくわかるまでは」ちゅうことです。
ラーベはたしかに幻想を抱いていました。「“フューラー”(ヒットラー)なら、日本の横暴をストップしてくれる」と信じ込んだり。本国(ドイツ)でも殺戮が繰り広げられていたのに。ただ、歴史的事実として、忘れてはいけない点があります。ラーベとシンドラーには、カナーリス提督とその独国防軍諜報部という、共通の「友人」がありました。後に、ヒットラー打倒(含暗殺)に動いた人たちです。ラーベはこうした「陰謀」に加わるのを避けてもいましたが、シンドラーは巧みに立ち回りながらもこの動き関与していました。「アル中の冒険屋」だからかもしれませんが(笑)。
「ミュンヘン」はたしかに駄作です。日本で放映されたかどうかわかりませんが、TVシリーズ「シドンの剣」(1986年、米加製作)の方がマシでした。
欧州各国では「右翼映画」など上映されません。左派が潰しにかかるからです。また、東京都知事のような妄言を繰り返せば逮捕されます。マスコミも警察も、「こちら側」の見方です。丁度、日本とは逆かもしれません。
なお、山本学さんのファンだとか。モスクワで偶然お会いしたことがあります。あの人懐っこいフェイスで「何でロシア語できるのか」って聞かれたので、「できちゃマズイのですか」と答えたので、語しがはずみました(笑)。プライベートでもナイスガイです。
結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ていました。
この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)
以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。
防衛研修所戦史室の源流
...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。
一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。
史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...各大佐、...各中佐、...少佐等で、 わが国においても政府による正統の大東亜戦争史を編さんすべきであるとの願望を抱き、 史料の収集整理に努めるとともに、昭和二十八年には大東亜戦争全史四巻を世に発表した。
...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、稲葉正夫(四二期、終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。
...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
(皮肉なことに親父が65連隊だったものですから、服部氏が最後の連隊長を務めた65連隊の2万人の捕虜殺害が一番明確に事実が解明されています。)
中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。
父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。
非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。
捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。
ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。
昭和12年7月の南京の人口は135万人です。
11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。
否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。
小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。
(65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)
自衛隊は朝鮮戦争時にマッカーサーにより、旧軍人のパージを解いて創設された組織なので、結果的に旧軍人により南京の歴史が矮小化されてしまったのです。
その意味では、日本における南京の歴史の矮小化には毛沢東が加担していることになります。
まず、東史郎氏に日記の原本を「平和のための京都の戦争展」に貸し出させ、後の裁判の証拠となる部分を抜き取らせ、それから名誉毀損裁判を起こしたのです。
東氏は、展に貸し出したところ証拠となる部分だけ抜き取られたと主張したのですが、受け入れられず最高裁まで行って敗訴しています。
なぜ、このようなことが判明したかというと、森松氏は2006年に父のスケッチブックに手を出して失敗したからです。
私は偶然的に戦史部を大手の顧客とする某社(誰でも知っています)に、アルバム2冊とスケッチブックのCD−R化を発注したところ、両方から写真と地図帳が破り取られました。
被害届は小平警察から牛込署に2通、まわされてます。
この事実から、この問題の根深さをご理解ください。
随分前の記事へのコメントですみません(別の記事からたどってきました)。
はじめてのコメントなのに細かいことへの質問ですみませんが、ちょっと気になったもので。
>街を見捨てて逃げ出そうとする国民党軍を、八露軍が押しとどめている、というのがこのシーンなのだ。
とありますが、ここで出てきたのは本当に八路軍なのでしょうか? 何かの間違いではありませんか?
と言いますもの、確か史実によれば、この南京防衛戦に八路軍が参加していたというのは、ちょっと考えられないからです。
八路軍は南京戦の時にはまだ規模が小さく、南京から遠く離れた華北の山西省のみで戦っていました。後に華北一帯に展開し、また南京戦の一ヶ月前には国民党軍と合同で山西省の中心都市・太原防衛戦を行っていますが、南京防衛戦にも参加したということはまずないと思います(何かの用事で数人の八路軍兵士が南京にいたという設定はドラマ的に可能ですが、小競り合いができるほどいたというのは史実的に無理かと)。
もしブログ主様が何か誤解されているのでなければ、監督の方が時代考証をミスしているのかもしれませんが、だとしたら中国の軍事オタクとかにもっと批判されているはずですし・・・・・・。
細かいことをうるさくすみません。ですがこの時代を理解し、ネットウヨに変なツッコミを入れられないためにも、余裕がありましたらご確認されることをお勧めします(えらそうですいません。画面の兵士が八路軍かどうかは、軍服の腕に「八路」または「18A」という腕章があるかどうかで確認できます)
smtz8さん、書き込みをありがとうございます。
>>街を見捨てて逃げ出そうとする国民党軍を、八露軍が押しとどめている、というのがこのシーンなのだ。
>とありますが、ここで出てきたのは本当に八路軍なのでしょうか?何かの間違いではありませんか?
映画の解説をもう一度調べてみました。
【ストーリー】1937年12月、日本軍による南京攻略が始まった。多くの国民党の兵士が敗走してゆく中、投降を拒否して南京に留まった兵士もたくさんおり、南京のあちこちで絶望的かつ悲惨な抵抗が繰り広げられた。その中に国民党の精鋭部隊の一員であった陸剣熊もいた。しかしながら抵抗は失敗に終わり、数十万の中国人の血によって長江が染まった後、南京は陥落して死の地と化した……
http://japanese.china.org.cn/geino/2009-04/07/content_17566386.htm
上記サイトの説明によると中国側の主人公、劉Y(リウ・イエ)は「八路軍」ではなく「国民党軍」の残党のようです。私の「早合点」でした。ただしこの説明の中で「投降を拒否して南京に留まった兵士もたくさんおり」というのは「ボロ服」をまとった兵士のことになるわけですが、果たしてこれが「国民党軍」でしょうか?もし「国民党軍」ならば、当時軍事指導を受けていたドイツの軍服を来てシュマイザー機銃を持っていたはずです。映画の中では「小競り合い」の相手がまさにそのような装備をしていましたね?
http://www.youtube.com/watch?v=jRm8y8Ja3xU
ボロ服を来た兵隊たちは「国民党軍」でも無ければ「八路軍」でもない(「八路」の腕章はしていません)。smtz8さん、それでは、あれは「何処の何軍」ですか?「国民党軍」の正規軍でもなく「八路軍」の教育も受けない別個の「ゲリラ部隊」が当時、南京には存在したのでしょうか?恥ずかしながら私は、当時の南京に「八路軍」が作戦を展開していたとばかり思い込み、調べずにエントリーを書いてしまいました。遅ればせながらこれから少し調べてみようと思います。もしこの件について詳しい読者の方がいらっしゃったら是非お書き込みをお願いします。たかし
<追伸>
smtz8さんのブログ拝見いたしました。八路軍を本格的に研究されているのですね。これからも助言をお願い致します。ところでsmtz8さんは表題の「南京!南京!」はご覧になりましたか?まだでしたら、TouTubeで見ることが出来ますので、是非とも感想をお聞かせください。
http://takashichan.seesaa.net/article/152769938.html
ご返答ありがとうございました。
実はエントリーの趣旨と関係ない指摘をしてしまい反省していました。しかも「ではあの軍隊は何か?」という質問を受けましたが、そうですね、指摘するだけでなくそこまで書くべきでした。失礼しました。
ご質問の件に対して、わかる範囲だけですがお答えします。ですが、私は南京虐殺や南京戦についてちゃんと勉強したことがなく、いろいろと勘違いしているかもしれないので、後で専門的に研究されている方の研究をご確認ください。また以下に述べることを「そんなことはすでに知っている」でしたら、すみません。
>それでは、あれは「何処の何軍」ですか?
実は『南京!南京!』はまだ見ていませんでした。で、該当場面である冒頭だけでもネットで見て確認したのですが(全部を見る時間は今はないです・・・・・・)、劇中で「ボロを着た兵士」たちは『国民党第三十六師 宋希濂部』と紹介されていました(3分56秒付近)。『宋希濂』と言うのは国民党軍の将軍の名前でして、『宋希濂部』とは『宋希濂将軍の指揮する部隊』という意味になります。なので、「何処の何軍」かと言うと「国民党軍」です。
そして彼らと小競り合いをした「ドイツの軍服」を着た軍人たちも「国民党軍」です。当時の南京戦では唐生智将軍を総司令官にして宋希濂将軍をはじめ複数の国民党軍将軍がその下で部隊を率いていました。該当場面で示されていませんでしたが、おそらく「ドイツの軍服」を着た軍人たちは、宋希濂部とはまた別の将軍の配下の人々なのだと思います。
で、該当場面見てから思い出したのですが、南京戦において街から撤退しようとするほかの国民党軍将兵とそれを阻止しようとする『宋希濂部』の間で衝突が起きたということがあったらしく、この場面はそれを元ネタにしているのだと思います。
>「国民党軍」の正規軍でもなく「八路軍」の教育も受けない別個の「ゲリラ部隊」が当時、南京には存在したのでしょうか?
すみません、全部を見ていないのでたかしさんが何を「ゲリラ部隊」と指しているのかわからないのですが@「ボロを着た兵士」たちのこと、またはA陥落後、南京に留まって日本軍と戦ったという中国の主人公らのこと、と仮定してお答えしてみます。
@ですが、彼らは『宋希濂部』であり、また宋希濂将軍は蒋介石の古参の部下なので、彼の部隊は間違いなく「国民党軍の正規軍」と言えます。ゲリラ部隊とは言えないと思います(まあ、「ゲリラ部隊」の定義ってちょっと難しいですけど。八路軍も実は「正規軍」ですし)
Aですが、一部の「国民党正規軍」の部隊や兵士が撤退を是とせず、独自の判断で街に残って(あるいは逃げ遅れたためやむにやまれず)ゲリラ的な抵抗をした、ということはあったかと思います(このへんデリケートな問題ですので勉強してない私が断言できませんが)。この場合「正規軍が状況に迫られてゲリラ戦を展開した」と言うのが妥当かと思います。もし仮に部隊レベルの独自判断ではなく、総司令官レベルであらかじめ一部の部隊に街に留まってゲリラ戦を展開するよう命じていたなら「ゲリラ部隊は存在した」と言えるのではないかと思いますが、そういう命令があったかどうかは私にはわかりません。
>ただしこの説明の中で「投降を拒否して南京に留まった兵士もたくさんおり」というのは「ボロ服」をまとった兵士のことになるわけですが、果たしてこれが「国民党軍」でしょうか?もし「国民党軍」ならば、当時軍事指導を受けていたドイツの軍服を来てシュマイザー機銃を持っていたはずです。
これは確かに謎で、私もよくわかりません。当時、昔から蒋介石に従い教育された「直系部隊(中央軍)」と、内戦の果て蒋介石に帰順した「傍系部隊(地方軍)」とでは、装備などをはじめ多くの差別があったらしいので、そのせいかと思ったのですが・・・宋希濂将軍は直系中の直系なので、彼の部隊が差別されて貧弱な装備だったとも考えられませんし。
なので、以下、映画を見てのまったくの私の推測となりますが・・・・・・。
@監督は、「ドイツの軍服」という立派な格好に、「軍の高官・おえらいさん」という象徴的な意味を持たせ、それを押し留まる側にボロを着せて「一般の兵士・民衆的」という意味を持たせようとしたのではないでしょうか? つまり立派な装備・格好をしているのにいざという時に市民を見捨てて逃げる「おえらいさん」に対し、一般の兵士たちはボロを着て装備は貧弱でも最後まで踏みとどまる気概に満ちている、ということを表現するための演出上の作戦かと。
Aさらに当てずっぽうで言いますが・・・、おそらく単に階級の違いかもしれません(ミもフタもない)。ドイツの指導を受けた同じ国民党軍の直系部隊とはいえ、末端の兵士たちにまでドイツの軍服やシュマイナザー機銃は回らなかった、という話なのかも・・・・・・と思いました。(にしてもボロすぎますね。確かに八路軍とよく似ていると思います)
長々と書いてしまい申し訳ありません。また言いますが、私もちゃんと南京戦の中国軍について把握しておらず、今まで斜め読み程度に読んだ情報や当時の中国のことをいろいろ組み合わせてのあやふやな答えですのでご注意ください。
こんな感じですが、もしまた何か疑問点がありましたら、ご遠慮なく聞いてください。
>これからも助言をお願い致します。
こちらこそよろしくお願いします。私もまだ勉強中ですので、えらそうなことは言えませんが。
>ところでsmtz8さんは表題の「南京!南京!」はご覧になりましたか?まだでしたら、TouTubeで見ることが出来ますので、是非とも感想をお聞かせください。
上でも述べましたが、実はまだ見ていません・・・・・・う〜ん、ちょっとあらすじや見た人の感想を見て、(時間があったら見るけど)どうもいまいちあえて見なくてもいいかなぁ、と思ってしまって(決して南京虐殺に興味がないわけではないですし、日本での上映妨害などには反対しているのですが)。
特に日本人の感想の中にテンプレのようにある「中国の監督が日本兵を人間的に描くなんて画期的」と非常に上から目線というか(日本人の)自己愛だとしか思えない感想にゲンナリしてしまったというのも大きいですし。(これは映画自体のせいではないですが)
ただこちらのブログでは
>上手くは言えないがたぶん「温情」とでも言うべきものだろう。
というふうに指摘されていて、なるほどと思いました。
この指摘はとても大事なことだと思います。
その他いろいろ思うところはあるのですが(「慰安婦」のくだりとか)、確かに見ないことには始まらないので、もうしばらくして時間ができたら挑戦してみようかと思います。
ところで、主人公の日本兵が自殺するシーンがあるらしいですが、私はそれを知って『南京慟哭』という小説を思い出しました。
これは1940年前後に中国人によって書かれた南京虐殺の話で、日本では1990年代に五月書房から翻訳出版されたのですが、ここでもラストに日本兵の自殺が書かれます。自殺する日本兵とそれを目撃する中国兵という構図が秀逸でした。
シチュエーションはだいぶ違うように思えますが、監督は映画のためにいろいろ文献を読んだでしょうし、自殺する日本兵というモチーフはもしかしたら、この小説からアイデアをとったかな? と思ったりします。
私は右翼では有りませんが、「左翼的思想」や「共産主義的思想」には、かなり抵抗があります。左翼的思想は、平和と権利を常に主張していますが、その理想を実現するためには、いわゆる「同志」でない人間(敵?)を平気で殺します。
「平和的」とは程遠い感覚で「平和」と「権利」を主張し、受け入れられなければ「暴力」に訴えます。「極左」が人を殺傷した事例はいくらでもあります。よど号、代韓航空、浅間山、成田など、最近では、民間出の学校長が日教組職員によって死に追いやられました。
ですが「極右」が人を殺傷した事例は殆ど聞きません。せいぜい「街宣でわめき散らいている程度」の実害しかありません。理屈はどうあれ、少なくとも「処刑」のようなマネはしません。
ウヨは団体(塊)で活動しますしが、サヨは組織を形成し潜伏します。「プロ市民」とかも殆ど「サヨ」。
どちらが売国的で、恥さらし、日本の汚点であるかは、明々白々。サヨ系は本当に恐ろしい「思想」だと思います。
あ、それともうひとつ。
サヨ系の人は、平等とか言いながら、必ず自分と相手に対して「優劣」を付け、相手の自尊心を傷つけることを「至福の喜び」にしていますよね。 知識の量と、包括的な方向性を見いだせる力は比例して居ないことに気が付かず、勝ち誇るような「様」は、端で見ていて「吐き気」がします。相手と議論して勝つことが目的。最悪ですね。
>ウヨは嫌いだが、サヨはもっと嫌い クン
ツマラナイ虚言はいいから君はコレで診断しなさい。
【ネトウヨ診断】 以下の質問にお答え下さい。
1 朝日新聞に書いてあることは、ほとんどが捏造だと思う。
2 海外旅行では中国・韓国だけは行きたくない。
3 全ての教育問題の原因は日教組にあると思う。
4 2ちゃんの書き込みは平均的な世論だと思う
5 「売国(奴)」という言葉をよく使う。
6 ハングル文字を見ると、吐き気や頭痛、めまいがする。
7 首相の靖国参拝を批判する人を全く理解できない。
8 街宣右翼や暴力団の構成員は、大半が在日韓国・朝鮮人だと思う。
9 民主党に投票したら負けだと思っている。
10 たとえおごりでも、韓国料理店では絶対に食べたくない。
11 国が被告の裁判では、国側を応援してしまう。
12 大学の第二外国語では、韓国(朝鮮)語や中国語は絶対履修したくない。
13 日本国憲法よりも大日本帝国憲法の方が素晴らしいと思う。
14 従軍慰安婦は単なる売春婦だと思う。
15 韓国スターに熱狂する女性を大変不愉快に思う。
16 女系天皇の容認は日本の伝統文化の破壊だと思う。
17 街で在日韓国・朝鮮人を見かけると、「半島に帰れ」と心の中でつぶやく。
18 公務員は皆、既得権益の上にあぐらをかいていると思う。(ただし自衛隊は許す)
19 中国や北朝鮮による日本への武力侵攻は、十分に有り得る事だと思う。
20 パチンコユーザーよりニートの方が偉いと思っている
21 医療ミスでは訴える患者の方が悪いと思っている。
該当項目数が
0〜2 :あなたは正常範囲です。今の状態を保ちましょう。
3〜5 :あなたは少し右寄りです。もう少し頭を柔軟にしましょう。
6〜8 :あなたはかなり右寄りです。考え方の偏りを正しましょう。
9〜12 :あなたは2ちゃんをやり過ぎです。もう少し外に出ましょう。
13〜17 :あなたは危険です。外に出ると危ないので、家で引きこもりましょう。
18〜 :あなたは犯罪を起こす一歩手前の状態です。即、精神病院に入院しましょう。
>>ウヨは嫌いだが、サヨはもっと嫌い
>私は右翼では有りませんが、
出たよ、中立ぶるバカウヨのステレオタイプな常套句(藁
>「左翼的思想」や「共産主義的思想」には、かなり抵抗があります。
はいしつもーん
「左翼的思想」「共産主義的思想」って何?
オマエがその意味分かってるとは全然思えんのだが(藁
>ですが「極右」が人を殺傷した事例は殆ど聞きません。せいぜい「街宣でわめき散らいている程度」の実害しかありません。理屈はどうあれ、少なくとも「処刑」のようなマネはしません。
「極右」の最たる大日本帝国の蛮行は無視ですかそうですか(藁
>ウヨは団体(塊)で活動しますしが、サヨは組織を形成し潜伏します。「プロ市民」とかも殆ど「サヨ」。
共産党も「プロ市民とか」も全然「潜伏」してねーぞ。デムパ臭香ばしいな(藁
>ですが「極右」が人を殺傷した事例は殆ど聞きません。
あー、公衆の面前で殺人起こしたのを思い出したよ。
浅沼稲次郎暗殺事件(あさぬまいねじろうあんさつじけん)とは、1960年10月12日、東京都千代田区にある日比谷公会堂において、演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の右翼少年・山口二矢に暗殺された事件である。
ほかにも右翼の起こした殺人はあるから、せいぜいさがせや。
「ネットが真実」やってるとスグ無知になるぞ。
ってかコレ日本語になってないような気が・・
>「極右」の最たる大日本帝国の蛮行
ナンキンダイギャクサツ・・コレね?
まだ、『カジュアリティーズ』は未見ですが……
前回、ここで書き落としたことを、やはり書き残すことにしました。字数にかぎりのある文章ごときでは、しょせんは伝わりませんが(わたしは、いまPPSで入力文字制限にかぎりがある)。
『プラトーン』でもなんでも、アメリカ映画に良心の欠片も感じないと思えたのは、しょせん他人事でしかない描き方しかしていないからです。
たとえば、救われたベトナム人が(わたしなら、やはり個人的趣味からも女だが……笑い)、こういうシチュエーションだったとしましょう。
「やさしいお父さん、すてきなお母さん。
毎年の祭りの時はこうよ。
若者も、年寄りも、一年の苦労やなにか、その一時に込めて歌い、踊る。
そうだ。
わたしの恋の話をしましょう。その青年は生まれた年がフランス軍の……」
たった1人になった少女に、主人公は恋をした。
そうだ。軍を棄てて、祖国を棄てて、俺もこの国に生きることにしよう。解放戦線といっしょになることはできなくとも、せめてこの子を連れてかつての友軍の索敵からいっしょに逃れよう。
ほんとうの連帯とは、こういうことではありませんか?
「俺はベトナム人ではないが」「俺はアカではないが」という前フリをしておいて、これは、児ポ規制反対のときの、左翼の先生方の、またいろんなブログの論客たちの言でもありますが、「俺は変態ではないが」「すくなくともロリではないが」という前フリをしておいて(いわなくとも、書かなくとも分かる!)、【きみたちの自由、人権は守る(守ってあげましょう)】といってることと大差ないのです。
よーく見てごらん。戦争映画にかぎらず、アメリカ映画の異国観はほとんど全部といっていいほど、この傾向のはずだから。
映画『戦争と人間』は、たしかに、中国人の俳優をつかわないことで、中国語は下手だろうし、そのことの不自然感はおおきいだろうが(しかし、それは時代性の限界でもあった!)、白永祥(山本學)というキャラを登場させたことがわたしには感動だった。
また、標耕平(山本圭・この両方「山本」が意味をなす、というキャラクター設定が監督・山本薩夫の狙いでもあろう)が戦地で子供を撃てず、上官に死ぬほど銃床で小突かれた時、もうすこしであわやという時、「八路軍のおじさん!」「もう大丈夫だよ」といって、反撃かけた解放軍によって救われた子供が抱かれる、その場面にテーマ曲がかぶさる感動。テーマ曲だよ! なんだか訳のわからないエキゾチック感で「ここはベトナム部分」と差別化する『プラトーン』とは大違い。
そういえば、『ディア・ハンター』を褒めたのも左翼だったなあー。わたしは、あの映画こそは焼き殺してやりたい!
正々堂々たたかおう!
愛する『NETUYOKU』はんへ
http://www.magazine9.jp/kunio/110824/index.php