これは、だいぶ以前にもどこかに書いた記憶があるのですけれども、もともと「馬鹿」という言葉は「差別用語」でした。少なくとも明治初期頃までは。しかし現在「馬鹿」という言葉は「差別用語」としての誹りは免れています。単なる「悪口用語」として認識されるようになり、NHKでも禁止されてはおりません。それは何故でしょうか?現在に於いては、知的障害者を指して「馬鹿」と呼ぶような人間はほとんどいないということ。全くいないわけではないだろうが、ごく少数であること、更に「差別用語」としてこの言葉を使用する人間は、逆にその人格を疑われる、といった社会的「常識」が確立されているからだと考えられます。
しかし江戸時代には、まさに知的障害者の「差別用語」としてこの「馬鹿」という言葉が使われていました。その名残は古典落語の中に色濃く残っています。例えば、三代目金馬の「孝行糖」を聞いて、現代人が「不快感」を覚えるのは、この言葉がそのように用いられているからです。
与太郎噺をやらせたら天下一品の古今亭志ん五師匠は、噺の前振りに必ずやる「くすぐり」があります。
「えー、私が高座へ上がってまず第一にやることがあります。それは、お客様の顔を見て、さて今日の客はどんな話がふさわしいかと、こう考えるんですな。お客様の顔を見て、今日は労働者の客が多いな、と思うとマルクス・レーニン主義の話なんかをしております。で、本日のお客様の顔をこう見渡しましたところ・・・今日はそれではひとつ『馬鹿』の話をしてみたいと思います。」
ここで寄席中爆笑の渦となるわけです。そのあとは「兄ちゃん兄ちゃん、来年のお盆と正月はどっちが先に来るんだい?」のバカ一家の話から「代わりにお雛様の首が抜けます」で終わる「道具屋」に繋げていくわけです(※注。この与太郎も、噺によって程度の差こそあれ、知的障害者であることは間違いありません。ただし上記の金馬師匠の噺に比べると「笑い」の要素が強いのであまり抵抗感なく耳に入って来ます。
以上「馬鹿」という言葉についての考察でした。
金馬 志ん五
(※注
「してその鉄砲の値は?」「ズドーン!」で下げることもある。
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喋り始めた小さな子供が気に入らない相手に、やたら「バ〜カ」というのを思い出し、
似てるなあと思ってしまう私です(笑)。
「道具屋」のサゲは、いくつかあるみたいですね。
昨夜BSで特集をやっていた桂枝雀のサゲは、指の抜けなくなった笛を持ち逃げされて「盗人や〜」だったような・・・。
噺のマクラでは・・・立川談志。昔、花王名人劇場だったかな、お客に向かって「どうせ、おたく等はタダで入ってんだろう?総評系に違えねなぁ!」なんてやってたのも思い出しました。