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翻訳者募集
私は人並み外れた読解力を持っているわけではない。しかし、よほどの悪文でない限り大概意味を理解出来るつもりではいる。しかしそんな私が太刀打ちできないものがあるのだ!「たかしズム」読者諸兄の中で、次の文章を、私に分かるように「翻訳」して頂ける方がいないだろうか?漢字とひらがなから構成されているところを見ると、確かに「日本語」には違いなさそうなのだが、これが何度読んでもさっぱり意味が分からないのだ。
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その1.
→なんら矛盾はないですよ。「広義の政治思想」に内包されていたとしても、私が初めから「狭義の政治思想」との差異性から議論を始めている故に、当該事例が「狭義の政治思想(=Politics)と差異性のある事例」として成立することは明白ですよね。ご丁寧に「左翼的な政見(社会正義、平和活動、経済的平等、環境保護など)を支持するが、政治思想の上では自由主義ではなく伝統的な宗教を基盤にしている層。」と書いてあるじゃないですか。要するに「狭義の政治思想(=Politics)」では「左派ではない」が、「狭義の政治思想(=Politics)以外の社会正義、平和活動、経済的平等、環境保護においては左派」だと言ってるわけですよ。つまるところ、ここで言う「左派」とは、「狭義の政治思想(=Politics)以外の思想」についての「左派」なのですよ。あなたがそれらを内包する「広義の政治思想」としてでっち上げたい気持ちは理解しますが、私がそもそも議論の開始当初に、「政治思想」を「狭義の政治思想(=Politics)」として使った発言がこの議論自体の契機なのだから(※下記引用参照)、後から「定義の解釈違い」を説いたとしても意味を成しませんよ。
その2.
※私が「A-(3)-@」ではない使い方をした例:
>「ネトウヨ」との違いは、そもそも「右翼思想」を持ってない点です。
>民族差別しかり、日本の核保有論議しかりです。破壊活動にも無縁です。
>>B 自民党への「消極的」な支持の理由をお教えください。
>いわゆる自民党支持層という立場にないということです。支持政党無し層です。
→ここではもっとはっきり書いています。自称「中道右派」と書きながら「支持政党無し層」と宣言しています。つまりここで言う「右派」とは、「政治思想(A-(3)-@)」では無いと言うことです。「(A-(3)-A〜E)のどれか」、もしくは「「A-(3)」という「A-(3)-@」を内包するカテゴリーにおける消極的支持」ということですよ。
その3.
私もあなたも全ての発言は原理的には「主観(=個人的偏見)の集積」に過ぎません。よって「個人的偏見を批判」する行為は自己矛盾に過ぎず、その批判自体が個人的偏見に過ぎない事実を無視する行為です。一方で、上記の前提は理解しつつも、議論の場において当事者間が認識を共有する上で、「判断の根拠」や「情報ソース」といった客観的事実(といっても各種バイアスのない純粋な客観的事実とはいきませんが)を示す姿勢(=客観的であろうとする立場)も必要です。よって「可能な範囲において判断の根拠を示す(あるいは要求する)態度の妥当性もまた成立するわけです。つまりどちらも必要で、誰しも多かれ少なかれこれらの相反する概念・立場を矛盾なく同居させたままコミュニケーションしてるわけです。あなた方は、私が自身の意見は「個人的偏見OK」で他人には「客観性」を要求するとおっしゃいますが、それは解釈誤りか思い込みです。私は「私だけ個人的偏見OK」ではなく「私もあなたも(誰でも)個人的偏見がある」と言っている。また、「他人にだけ客観性を要求」してるのではなく「他人に可能な範囲で判断の根拠を示すことを希望」してるだけで、自身もまた「可能な範囲で判断の根拠を示す」努力をしているわけです。つまり自他分け隔て無く矛盾無く「主観」「客観」を扱っている自然な態度なのですよ。
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その理由は、この対象とされる文章が予め自分勝手な結論に導く為に、特異な定義づけ(政治思想に広義と狭義の区別)や誤った認識(個人意見は全て主観だと決め付ける)の上に成り立っているからです。
つまり文学的若しくは難解な語彙を高尚な論理の元に組み立てられたものではなく、非常識又は理解不能な文章と理解してよいでしょう。
私なりに上記の文章に関し私の意見を述べますと、
(その1)
一般的には「左翼」「右翼」は代表的な政治思想として個々にイメージ化されます。確かに政治思想以外の概念として急進派=左派のように「右派」「左派」といった表現を用いますが、これは概念が異なり政治以外の意味合いを持つものです。こうした異質なカテゴリー・概念を、狭義・広義を持ち込むことによって、「左翼」「右翼」といった政治思想に新たな定義づけを行う手法は殊更に混乱を招くだけで、そこに何の有意性も必要性も感じられませんね。私には上記文章主が自己の論理矛盾を指摘されたため、意味不明な狭義・広義という言葉の使い分けによって議論から逃避したい、即ち「敗者の逃げ口上」だと私は考えます。
(その2)
先程の話との重複になりますが、ご指摘のとおり「右派」つは政治思想と異なるカテゴリーに属する異次概念であると思います。
その前に「右翼」という言葉に包含される意味や定義を明確にする必要がありますが、そもそも「中道」って何ですか?
私は自称「中道」を名乗る右翼たち(旧民社党支持者)と何度も議論したことがありますが、結局「中道」の定義が未だ私には理解できません。
仮に共産主義者を「左翼」、民族的軍事好戦者を「右翼」と定義してその「中道」といったところで何の意味もなしません。なぜならそれは左右を分ける共通の対立軸ではないからです。
共産主義者=左翼ならば反共産主義者=右翼となり、また民族派=右翼ならばヒューマニスト=左翼に、さらに軍事好戦派=右翼ならば反戦派=左翼となります。対立軸が錯綜する現代においては、民族的軍事好戦者=右翼、革マル・民青=左翼のレッテル貼りだけでよいのではありませんかね(笑)?
それにしても「中道・右派」って何なんでしょうか?
(その3)
誰だって自分の見解を述べるならば、主観性は帯びます。しかし、その論拠として、客観的事実の裏づけを付加することによって、その主観性は薄れ客観性が増すのではありませんかね。つまり個人の見解に“普遍的・絶対的”客観性を求めることは不可能であるが、より客観性を高めることによってコンセンサスは得られるものだと思います。文章主はそこを誤解していますね。
最後に私なりの「ネット・ウヨ」の定義を述べてますと、低知能・他人の言葉尻だけを捉えて反論する・長い文章を読むことが苦手・論理的思考の欠如・反論に行き詰まると下劣な誹謗中傷で繰り返し相手を攻撃又はエロサイトを挿入する・・などこんなところで十分でしょう!