2009年05月23日

たかしの「都々逸教室」1

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                                      たかしの「都々逸教室」1
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過日、この「たかしズム」において「都々逸募集」をかけたところ、思いもかけず秀作が多数集まった。さすがに鋭い題材を料理された方が多く、誠に感服いたした次第である。ただ、惜しいことには、都々逸としての「音律」を外した作品が多く見られたのが、残念であった。しかし、もとはと言えば「五・七・七・七・五あるいは七・七・七・五で格調高く歌い上げる・・・」としか説明をしなかった私に、その責任があると言わざるを得ない。これではあまりに説明不足であったと思う。そこで幾分「遅ればせ」とは思うが、今回と次回のエントリーで「都々逸教室」を開くことにした。

まず都々逸の「字数」であるが、これは「七・七・七・五」(二十六文字)が正統であるとされる。それに対し「五・七・七・七・五」(三十一文字)は、「五字冠」と称し、派生形であるとされる。「七・七・七・五」に比べ「五・七・七・七・五」は「説明調」であると言われ、字数の少ない「七・七・七・五」のほうが洗練されているという意見もあるが、私としてはそういった考えはない。優劣ではなく純粋に必要性で使い分けている。たとえば次の私の都々逸を見ていただきたい。
  @ よし子さん 憲法改正 必要ですと 自分で自分の 首絞める
これはたとえば次のようであっても何ら差支えはない。
  A 憲法改正 必要ですと 自分で自分の 首絞める
つまり「自分で自分の首を絞めている」のが「よし子」さんである、ということが「説明」的にプラスされているに過ぎない。Aでは一般の「改憲論者」であるが@では「よし子」さんが特定されているわけだ。それだけの違いである。
  B 死んでくれろよ お国のためと 言った指揮官 生き延びる
  C カミカゼで 死んでくれろよ お国のためと 言った指揮官 生き延びる
この場合、Cでは、神風特攻という「非人道的な」戦術を考えた指揮官の「卑劣さ」をより表現していると言える。
さて、字数についてもう少し解説する。「七・七・七・五」のうちの、最初の三つの七について、厳密に言うとさらに細かく分けられる。すなわち、

(A)七 → 三・四
   七 → 四・三
   七 → 三・四
   五 → 五

というふうにである。ただし、次のような字数も差支えないとされている。すなわち一節目と三節目の三・四が、両方あるいは片方だけ四・四となっても構わないのである。

(B)八 → 四・四
   七 → 四・三
   八 → 四・四
   五 → 五

このことは、都々逸において重要なもう一つの要素「拍子(リズム)」に深く関係してくる。もう少し詳しく見てみる。右の括弧内において○は休符を表し、●は音を表す。これらは「四拍子」のリズムである。

(A)七 → 三・四 (○●●●|●●●●)
   七 → 四・三 (●●●●|●●●○)
   七 → 三・四 (○●●●|●●●●)
   五 → 五   (●●●●|●○○○)

「八・七・八・五」の場合は次のようなリズムである。

(B)八 → 四・四 (●●●●|●●●●)
   七 → 四・三 (●●●●|●●●○)
   八 → 四・四 (●●●●|●●●●)
   五 → 五   (●●●●|●○○○)

  D 死んでくれろよ お国のためと 言った指揮官 生き延びる(「七・七・七・五」)
  E 高速道路を 千円にして あとでガッポリ 消費税(「八・七・七・五」)
  F ロクな日本語 出来ないウヨが 朝鮮訛りを 馬鹿にする(「七・七・八・五」)
  G 政権交代 そこまで来ても どっこい検察 許しゃせぬ(「八・七・八・五」)

七が、三・四ではなく五・二に分かれたり、六・一に分かれたりするものは「破格」と言って嫌われるが、たとえば俳句の字余りのごとく、内容がそれにも勝って良い、などの場合は許される。しかし、基本的に初心者は原則に従った作法を心がけるべきだろう。

余談になるが、日本の古典歌謡(俳句、和歌、都々逸、小唄、端唄、民謡、浄瑠璃その他)というものは、全て四拍子である。ヨーロッパ音楽の60〜70パーセントが3拍子であるのと比べると、これは大きな特徴と言える。翻って朝鮮半島を見ると、これが不思議なことにヨーロッパ同様、3拍子文化なのである(アリランを思い出されたし)。近年例えば演歌の中には3拍子の名曲が現れるようになっている(悲しい酒、星影のワルツ)が、これは朝鮮の影響ではないかと、私は考えている。たとえば「悲しい酒」の作曲家、古賀政男は幼少期を朝鮮で過ごしていた。
                                                             つづく
posted by takashi at 14:16 | Comment(3) | TrackBack(0) | 都々逸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「都々逸」第二作目の出来ない私ですが(笑)、皆さんの作品を楽しく、且つ、頷きながら拝見させてもらっています。
たかしさんの記事にも名前の出て来た古賀政男でこんなのを見つけました。宜しかったら皆さん御覧になって下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=lmdCmbkxAZE
Posted by 山田の案山子 at 2009年05月23日 19:00
山田の案山子さん、
美空ひばりは凄いですな、演歌、ポップス、民謡、ジャズ、都都逸・・・すべて完璧ですよ、古賀政男の三味線も素晴らしい。私、美空ひばりのJAZZのCDを持ってますが、英語を話せないはずの美空ひばりのレコードを聴いて、ネイティブアメリカンのミュージシャンが、完璧な英語だと言ったらしいです。天賦の才能が成せる技なのでしょう。山田の案山子さんのご紹介のYouTubeからいろいろ見ているうちに、古賀政男の演歌には本当に三拍子が多くて、「影を慕いて」など、名曲が多いんですね。朝鮮文化の影響は、確かにあるんですよ、この日本には。脳が腐って溶けているネトウヨは認めたくないんですね、それを。
Posted by たかし at 2009年05月23日 21:24
話がそれて行くようで恐縮ですが。

先ほどBSの音楽番組を見ていたのですが、みんな口を揃えて「日本には三拍子の曲が少ない・・・」という意見が出ていたところ(私もそう思っていました)、宮川泰の息子・宮川彬良(一応音楽家?)が、大正時代には、日本にも三拍子の曲が多かった!と言ってました。具体例は聞けませんでしたが、、今回のたかしさんの記事の事もあり、うむうむと思いながら聞いてました。

美空ひばりのJAZZは、私も聞いたことがあります。CDは店頭で躊躇して買わずに終わりましたが(笑)。ちょっと「コブシ」の入ったLover Come Back To Meなんかすごく良いですね!
本題!本題!「都々逸教室」2 期待しています。
Posted by 山田の案山子 at 2009年05月23日 21:52
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