2009年04月23日

日本人とユッケビビンバ

以前に「文明と文化」の違いについて書いたことがある。
<流しのネトウヨについて>
http://takashichan.seesaa.net/article/105807152.html

上記スレッドの中で私は、文明とは普遍的なもの、文化は普遍的ではないもの、また文明には優劣が存在し、文化にはそれが無い、と説明した。さらにこれは私の定義ではなく、作家の司馬遼太郎からの受け売りであるとも書いた。さて、このことについての私の経験談をひとつ書いてみようと思う。
以前日本橋でサラリーマンをしていた頃のことである。いつも昼めしを食いに行く食堂があって、そこは毎週木曜日が「カレーの日」であった。その食堂のカレーはちょっと辛めでじゃがいもがゴロゴロした昔風のカレーで、大変に美味かった。ポテトサラダとみそ汁がついて550円という値段も手伝って、カレーの日は階段の下まで行列ができていたものだ。狭い店内は近隣のサラリーマンやOLでごったがえしていた。
その常連客の中に、韓国人のビジネスマンが何人か居た。で、彼らが運ばれてきたカレーライスにまず何をするかというと・・・なんと「ぐっちゃぐちゃ」にかき混ぜるのだった!それこそ「撹拌」という言葉が一番ぴったりくるくらい「これでもか!これでもか!」とごちゃ混ぜに混ぜるのだ!それが済むと彼らはおもむろにカレーライス(私にはもうそれはカレーライスではないように思えたが)を口に運んでいた。それを見た時の私の気持ちをはっきりと言おう!「こいつら、バッカじゃなかろか!」今思えばその瞬間の私は「ネトウヨ」そのものであった様な気がする。「なんだこいつら・・・神聖なるカレーライスを冒涜するのもいい加減にしろ!」私は心の中で叫んでいた・・・。

そのころ千葉で一人暮らしをしていた私は、日曜には近所の韓国焼き肉店で昼食をとるのを習慣にしていた。ただし私が注文する品物は焼き肉ではなく、ユッケビビンバだった。なにしろ私は昔からユッケビビンバが大好物であった。そしてそれは私にとってのささやかな贅沢でもあった。白いどんぶりに少なめに盛られたご飯。その上には大根、ワラビ、もやし、青菜のナムル、そしてその中心に鎮座するのがあのユッケと卵の黄身である。まず私は上に載ったナムルを一品ずつ味わう。さらにユッケと一緒に食べたり、2、3種類を一緒に食べたりする。そうしてビールの大瓶を2本ないし3本空ける。時には別途好物のオイキムチをそれに追加することもある。そうやってご飯に盛られた具の約半分を目安にビールのつまみとして味わう。最後にぬるくなったわかめスープと一緒に残りの具と御飯を掻きこむのだ。まさに至福の時である。
以上が私の「ユッケビビンバの食べ方」である。つまり私は絶対にユッケビビンバを混ぜたりはしないのである。はじめてユッケビビンバを食べる日本人がもし100人いたとしたら、おそらく98人は私と同じ食べ方をするだろうと思う。私は未だにこういう食べ方以外の食べ方をしたことがない。何故か?それは私の日本人の「血」ではないかと思う。日本人の歴史・美学・文化がこういう食べ方をさせるのだ、などと言えばまるで三島由紀夫みたいだから言わないが、要するに混ぜるのが「勿体ない」のである。これはもう「勿体ない」というのが一番ぴったりくるのだ。何故に順列組み合わせで20通りの味が楽しめる食べ物を、たった一つの味にして台無しにするのだ!というのが私の「勿体ない」の理由である。
しかしである。もしもそんな食べ方を、韓国に行ってしたとしたら、地元の韓国人たちにどう思われるだろうか?私は考えるだに恐ろしい・・・。おそらく彼らは心の中でこう叫ぶのではないか。「なんだこいつ・・・神聖なるユッケビビンバを冒涜するのもいい加減にしろ!」そして韓国人の気質からして私のスプーンを取り上げて「こうやって食べるのだよ!」と「親切に」実演してみせてくれそうな気がするのだ。今になって思えば千葉の焼き肉屋のオモニは軽蔑のまなざしで私を見ていたのではなかろうか?礼儀正しいおばさんは黙っていたけれども・・・。

以上の二つの食べ物の話からわれわれが教訓としなくてはいけないのは、司馬遼がいみじくも言ったとおり「文化には優劣はない」ということだ。そしてそのことを理解できないのが「ネトウヨ」の馬鹿どもなのである。「文化には優劣はない」と百万回言ってもネトウヨには金輪際理解できないのだ。だから彼らは常に「文化の違い」を理由に他民族を蔑視するのだ。<追記>「私は日本人ですがユッケビビンバは混ぜて食べております」みたいな想定済みの書き込みはやめましょうね♪
posted by takashi at 00:46 | Comment(3) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
読んでいて楽しかったです。ありがとうございます。
Posted by なお at 2009年04月25日 11:32
なおさん、ありがとうございます。お友達にもこのブログを紹介してどんどん広めてください、よろしくお願いします。ちょっと思い出しましたので、あるネトウヨのブログを紹介いたします。ここのブログ主は、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、キムチにまで八つ当たりをしております(笑)。
http://blog.livedoor.jp/k1_maebara/archives/50590807.html

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2006年07月27日
(文化)【韓国】「被災者にキムチを」 [07/25]
1:死にかけ自営業φ ★ :2006/07/25(火) 21:28:15 ID:???
松坡区風納2洞の婦女会が25日、洞事務所の広場で江原道麟蹄郡の被災者らに渡すキムチを漬けている。
ソース 朝鮮日報
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被災者助けるのは素晴らしいことだが、真っ先にキムチをあげるという感覚がいまいち理解できません。
そんなに大事なの、キムチって?
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ところがコメント欄で意外にもお仲間に次のようにたしなめられておりました(笑)。

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1. Posted by ミヨポン 2006年07月27日 14:26
日本で言ったらおにぎりみたいなものじゃない?
国柄としての違いではないでしょうか?
そこまで批判するのはちょっとなと思いました。
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それに対しブログ主の「がばちょ」氏はしどろもどろになって弁解をしております。
・記事の書き方が悪かったですね(^^;
・そりゃ文化が違うんだから発想が違うのも当たり前です。
・栄養価とかの観点での話です。
・文化で考えたらやっぱキムチで正解なのかも……orz
Posted by たかし at 2009年04月25日 13:33
堀江貴文氏が、釈放されたあとのインタビューだか会見で「収監中辛かったことは」という問いに「食事にナマモノ(さしみ・生野菜)が出なかったこと」だと答えていた。こういうことを聞くと、日本人のDNAと思いがちだが、これは獲得形質(=文化)であって遺伝はしない。例えばたまたま堀江氏が外国で生まれ育っていたら、生野菜はともかく、さしみなんぞ無くても平気だったろう、と思う。
Posted by たかし at 2013年12月31日 12:34
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