2008年10月29日

手塚英孝と小林多喜二その2

 十番の賑やかな通りから細い路地をはいった奥まったところに、古ぼけた軒のひくい鰻屋があった。湿っぽいでこぼこの土間をぬけてあがると、田舎の納戸のような天井のひくい部屋があった。はじめは月に二度、金がなくなるにつれて、月に一度、二月に一度という具合になってしまったが、私たちはここで鰻を食って休養することにきめていた。下宿にいても、歩いているときも、気をくばって、休息というものがないような緊張した生活のなかにいたから、こうしたひとときは、ことばではいいつくせない楽しさがあった。
 小林は、この家がそば屋にそっくりだといって大喜びだった。眼鏡をはずし、大の字に寝ころんで、背のびをしたり、大きな声で笑ったり、子供のように目を輝かし、こころからうれしそうだった。
 「小樽にそっくりだよ」
と、仰向けに寝ころんだまま、彼はなつかしそうに渋紙をはった壁や、そそけたひくい天井を眺めながらいく度もくりかえした。

 こうして寝ころんでいると、なつかしい記憶や、いろんな思い出が、つぎつぎと浮かんでくるものとみえ、大きな声で笑っているかと思うと、髪をみだし、足をまげて、ぼんやりと思いにふけっていた。それからまた、静かにからだをおこして楽しそうに話しかけた。こんなとき、彼はときどき、お母さんのことや、幼いころの思い出を話して聞かせるのであった。(手塚英孝「小林多喜二」下巻「回想」より)
 
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手塚英孝の「小林多喜二」下巻の最後の章「回想」の中の一節である。特高警察に追われる緊張の中に、しばし訪れた時間における小林多喜二の描写だ。同志小林への深い愛情が感じられる私の一番好きな箇所である。

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 それからある日のこと、「君はどうだ、小説を書く気はないか」と、とつぜん私にきいた。私は少してれてしまって、返事にまごつきながら、「四十ごろから書きはじめようか」と笑いながら答えた。すると彼は妙な顔をして笑った。そのつぎにまた同じ場所で会ったとき、彼はまた同じことを私にたずねた。私は同じような返事をした。すると彼は、また妙な顔をして笑った。

 四、五日後、同じ場所でいそぎの用件のために会い、相談ごとがすんだあと「君はどうだ、小説を書く気はないか?」と、また、彼はひくい声でささやいた。それには何かしんみりとしたものがあったので、私は例のように「四十から」といいかけたが、少しいぶかりながら彼のほうをみた。彼は「また、そういう」と、かすかな声でいって、長椅子のクッションにまるく体をちぢめてよりかかりながら、淋しそうな充血した妙な顔をした。それはまるで、コチンとしてまるまった顔の大きな老人のようにみえたが、彼の目はするどくかがやいていて、何か、遠くの方を一心に追っているかのようにみえた。私はようやくはじめて彼の気持ちがいくらかわかるような気がした。(手塚英孝「小林多喜二」下巻「回想」より)
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「この生活では長編はなかなかむつかしい。」と言う多喜二。「私は彼の日常生活をかなりくわしく知っていただけに、いつの間に小説を書くのだろう、とむしろ不思議に思ったほどである。」と手塚。

「誰か、体全体でぶつかって、やる奴はいないかなあ。……死ぬ気で、書く奴はいないかなあ」

「個人的生活が同時に階級的生活であるような生活」をいとわぬ小説家がいないことが歯がゆかったのだろうか?いや、当時の状況の中でおそらく多喜二は自分の命がそう長くないと覚悟していたのだろう。だから彼は自分と同じ思想の作家が一人でも増えて作品を残すことを望んでいたのではないか?手塚に対する「君はどうだ、小説を書く気はないか?」の問いかけにはそんな意味が込められていたのではないかと思う。つづく
posted by takashi at 14:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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