その昔池袋演芸場がまだ寝転がりながら見ることができたころ「放送禁止落語の会」なるものが月に一度催されていたことがある。今でも何処かのホールで行なわれているかも知れないが、その草分けともいえる画期的な会だった。普段の昼席など、まさに寝転がっても見れたものだが、この会のときだけは立錐の余地なしという状態だった。主催は川柳川柳。ジャズ落語でその昔一世を風靡した巨匠だ。福島の田舎で脱穀機を使う親父と、ジャズホールでリズムを刻む息子が下げになった「ジャズ息子」。とにかく笑えた。
その晩の白眉が快楽亭ブラック。当時は立川平成を名乗っていた。これが面白いの何の!「禁酒番屋」をもじった「不敬落語」がまさに「圧巻」であった。皇室の紀子様をアメリカのブッシュ(当時は親父のほう)がブッシュブッシュ!とやる、などというまさに池袋特高警察がもしいたら「停止!」の声がかかったであろう強烈な「まくら」のあと、突如として「ええ、江戸と申しました頃には・・・」、ここで場内大爆笑。型破りなだけではなく、落語の「型」を決して踏み外さず、そして何より落語が巧い!彼のその後の活躍は目覚しいものがある。
この快楽亭ブラックはハーフのタレントとして子役でもテレビに良く出ていたものである。当時はなかなかの美男子で、その面影は今も多少残ってはいる。それにしてもこのような「偉大な落語家」になるとは当時(私が小学生の頃)は予想だにしなかった。
この快楽亭ブラック師匠、大の映画通でもある。ことに日本映画に関しては一家言持った評論家だ。「日本映画専門チャンネル」に連載しているエッセーを見れば、その並々ならぬ映画への愛情が感じられる。
http://www.nihon-eiga.com/essay/
快楽亭ブラックというと、立川流を破門された噺家としてもつとに有名である。ところで立川談志が、「おれは喉頭(こうとう)がん」と爆弾発言したそうだが、談志ももう72歳だそうだ。彼が死んだら新聞社のうち一体何社が、記事の見出しに、あの、私が小学生の頃に流行ったセリフ(回文)を用いるであろうか?「談志が・・・」
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