ノーベル物理学賞に日本人三人が選ばれた。
実に喜ばしいことである。殊に「基礎科学分野では日本人はノーベル賞をなかなか取れない」と言われていただけに、人一倍愛国心の強い私としては「どうだ!日本人も捨てたモンじゃないだろう!」と世界中に向かって言いたい。
さて、ノーベル賞といえば「ノーベル平和賞」と「ノーベル文学賞」だが、この二つは何とかならないものだろうか?こんな「百害あって一利なし」の賞など、消えてなくなってしまえば良い。こう考えているのは私一人ではないはずだ。単なる「作家」や「政治家」に100万ドルをくれてやる等、「無駄」以外の何物でもない(ヒトの金だが)。その分を物理学賞の賞金に上乗せすれば良いのだ。第一川端康成、村上春樹、大江健三郎・・・一体どういう基準でこんな「ごくつぶし」のような作家が選ばれるというのだろう?
それと、なんで佐藤栄作やキッシンジャーが「平和賞」なのだ?ノーベル平和賞は文学賞に比べてまだマシだとは思うが、個人ではなく例えば「国境なき医師団」のようなボランティア組織に限ってみてはどうだろうか、と思う今日この頃である。
posted by takashi at 19:14
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その他雑感
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とまぁこのようなご質問が来るのを予想いたしておりますので先に謝っておきます。私にとっては「ごくつぶし」に思えても、それなりに支持されて読まれているセンセイたちですので「ごくつぶし」は言い過ぎでした。撤回いたします。何故私が彼らを「ごくつぶし」だと思うのかは、相当長くなりますので別の機会に譲らせていただきますが、代わりに私が推薦する作家を三人挙げることにします。小林多喜二、森村誠一、椎名誠(物故者と大衆小説作家なので、まず受賞はあり得ませんが)。私が申し上げたかったことは、ノーベル物理学賞(化学賞も含む)に比べて、文学賞は「客観性」が乏しく、好き嫌いの範疇だということです。
物理学賞は、アインシュタインが取ったからといって「原爆」の基礎を作った科学者には相応しくない、などという者は居ないでしょう。そもそもアルフレッド・ノーベルはダイナマイトを作った人です。
それとこれが一番重要なことなのですが、ノーベル賞がスウェーデンという国が決める賞であって、選考委員は世界から集まった人々ではないということです。賞金も彼らの懐から出ているわけです。つまり文学賞の対象となるのはスウェーデン語か、少なくとも英語に翻訳されたものに限られます。文学賞の半分はですから「翻訳賞」ということになるのではないか、と私などは思っております。
今度は化学賞ですか。すばらしい、すばらしい。生物学賞がないので化学賞ということになるのですね。
蒸し返しになりますが、あの佐藤栄作がノーベル平和賞を取ったとき、ほとんどの日本人は「何かの冗談」だと思ったものです。これほど相応しくない受賞も珍しい。この受賞はノーベル賞最大の「汚点」と言っても過言ではないでしょう。
ところでネトウヨの皆さん、何故コメントしてくれないのですか?ワタシ淋しいです。
おかげでめばるんさんやヲッチャーさんも最近遊びに来てくれません。
仕方ないのでまた呼びかけることにしましょう。
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たかし
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他所では「日本に賞を取られた」などと白けたことを言う国が2つほどあった様ですが、そんな考えでは永久に賞は取れません。
は?オマエ何様よ?受賞者でもないのにえらそーに。