誠に三島らしいエピソードであるが、私は少し考えた。か弱き女性を怖がらせるのが武士道なのか?英語の達者な三島ならば言葉でいくらでも説明できたはずだ。それにこれが彼女でなくその夫君であったら彼は同じことをしただろうか?これは白人女性へのコンプレックスの裏返しに過ぎない幼稚な行動だったのではないだろうか?とすると日本の武士道も地に堕ちたものではないか。
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頭が弱い奴、ご都合主義なお調子者であればあるほど、そんなものを振りかざします。
体系化もロクにされていないのに、大手を振ってまかり通っている、いい加減な「思想」モドキでしかありますまい。
まず誤解を招くといけないので申し上げておきますが、私は武士道そのものを否定しているわけではないのです。良しにつけ悪しにつけ日本の文化ですから。私の中の武士道とは例えば、赤穂の四十七士のような存在です。
問題はその武士道を利用した連中が、特に明治以降、本来の「武士」ではなかったということです。下はやくざから最低は日本軍というように、武士ではない者たちが武士道の都合の良いところをつまみ食いした結果が、武士道の「堕落」をもたらしたと考えています。例えば「戦陣訓」なるものをでっち上げ、兵卒に対し「命を投げ出す」ことを強要しておきながら、本人は死ぬ勇気すらなくて狂言自殺をする。現場は現場で「百人切り」と称して、後ろ手に縛った無抵抗の人間の首をはねる、などというおよそ武士道どころか「人間道」のもとる行為を平気で行なってきたのが日本軍なわけです。
元来武士道とは己に厳しく、他には慈悲深くあったものではないでしょうか?例えば「死して虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓の文句だって、それは本人に対する戒めを言っているはずなのに、現場では捕虜虐殺の言い訳にしてしまっている(笑)。無辜の民を虐殺する言い訳にしてしまっている(怒)。武士道を利用する者に、本来の武士道が備わっていなければ、いとも簡単にこのようなことになるわけです。
加えてイギリス人の言うノーブレス・オブリッジもわが国にはなかった、ノーブレス・オブリッジとは、貴族が戦地に自ら赴く、それも前線で自らスピットファイアを駆って敵と渡り合うというような騎士道精神を指します。日本のように、もっぱら地下の参謀本部で、将棋の駒のごとく兵隊の命を弄ぶのとはわけが違うのです。
ましてや三島由紀夫のように、武士道をコンプレックスのはけ口にすることが、私には我慢ならんのです。