2008年09月16日

三島由紀夫と武士道

今から20年以上も前、ある日私は上野の本屋で三島由紀夫の本を立ち読みしていた。「若きサムライへ」とかいう題名のエッセイ本だったと思う。その中に三島が友人と二人で、とある英国貴婦人にお茶に招かれる一篇があった。歓談しているとその婦人が「武士道とはどのようなものですの?」と三島に訊いた。「武士道とは・・・」と言うと三島はすっくと立ち上がった。そして腰の鞘から日本刀を抜くまねをして見せた。ゆっくりゆっくり、まるで真剣のように抜くと、満身に力を込めて上段に構えた。そしてつぎの瞬間目にも留まらぬ速さで気合もろともその「見えない剣」を英国貴婦人の頭に振り下ろした。そのときの婦人の顔は血の気が引き失神寸前の様子だったという。そして三島は「西洋人に武士道を理解させるのにこれが一番だ」と言ってひとり悦に入る。とまあこんな内容だった。
誠に三島らしいエピソードであるが、私は少し考えた。か弱き女性を怖がらせるのが武士道なのか?英語の達者な三島ならば言葉でいくらでも説明できたはずだ。それにこれが彼女でなくその夫君であったら彼は同じことをしただろうか?これは白人女性へのコンプレックスの裏返しに過ぎない幼稚な行動だったのではないだろうか?とすると日本の武士道も地に堕ちたものではないか。
posted by takashi at 17:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映画・文学・音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 武士道なんて、気に入らん奴にイチャモンつけて腹を切らせるための道具だと思っております。
 頭が弱い奴、ご都合主義なお調子者であればあるほど、そんなものを振りかざします。
 体系化もロクにされていないのに、大手を振ってまかり通っている、いい加減な「思想」モドキでしかありますまい。
Posted by mebarun at 2008年09月16日 22:04
めばるんさん、コメントありがとうございます。
まず誤解を招くといけないので申し上げておきますが、私は武士道そのものを否定しているわけではないのです。良しにつけ悪しにつけ日本の文化ですから。私の中の武士道とは例えば、赤穂の四十七士のような存在です。
問題はその武士道を利用した連中が、特に明治以降、本来の「武士」ではなかったということです。下はやくざから最低は日本軍というように、武士ではない者たちが武士道の都合の良いところをつまみ食いした結果が、武士道の「堕落」をもたらしたと考えています。例えば「戦陣訓」なるものをでっち上げ、兵卒に対し「命を投げ出す」ことを強要しておきながら、本人は死ぬ勇気すらなくて狂言自殺をする。現場は現場で「百人切り」と称して、後ろ手に縛った無抵抗の人間の首をはねる、などというおよそ武士道どころか「人間道」のもとる行為を平気で行なってきたのが日本軍なわけです。
元来武士道とは己に厳しく、他には慈悲深くあったものではないでしょうか?例えば「死して虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓の文句だって、それは本人に対する戒めを言っているはずなのに、現場では捕虜虐殺の言い訳にしてしまっている(笑)。無辜の民を虐殺する言い訳にしてしまっている(怒)。武士道を利用する者に、本来の武士道が備わっていなければ、いとも簡単にこのようなことになるわけです。
加えてイギリス人の言うノーブレス・オブリッジもわが国にはなかった、ノーブレス・オブリッジとは、貴族が戦地に自ら赴く、それも前線で自らスピットファイアを駆って敵と渡り合うというような騎士道精神を指します。日本のように、もっぱら地下の参謀本部で、将棋の駒のごとく兵隊の命を弄ぶのとはわけが違うのです。
ましてや三島由紀夫のように、武士道をコンプレックスのはけ口にすることが、私には我慢ならんのです。
Posted by たかし at 2008年09月17日 06:35
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