アメリカの人口の何パーセントかは「進化論」を否定している。アメリカの人口だから、何パーセントといっても相当の数だろう。しかも貧困層ではなく、所謂WASPのうちの「ファンダメンタル」と呼ばれる層が主である。富裕層が多いから当然学歴も高いし、医者になるものもいれば法律家になる者もいる。教師になる者もいるだろう(
ところで「進化論を否定する医者」に治療を受けるのは、どんな気持ちであろう?)。
で、そのウィキペディアで「南京虐殺」を引いてみると一体どういうことになっているか?
「南京虐殺」そのものの記事よりも「南京虐殺はなかった」説の紹介のほうが圧倒的に多いのだ。何故こんなことになるのだろう。学術的にも「世界の常識」となっているこの歴史的大事件が、日本のウィキペディアに限って、偏向的内容となっている。考えられることはただひとつ。書き手の思想が入っているということ。
同様にウィキペディアでは「アニメ」だの「キャラ」だの「フィギュア」だのの記事が豊富である。こんなものは全て「ネトウヨ」の好むものである。
結論から言えば「(日本の)ウィキペディアとは、暇を持て余したニートのネトウヨが、2チャンネル等の書き手に供給するために書き込んでいる情報操作メディア」である。
ウィキペディアの害毒のひとつとして、低脳のネトウヨが、次のようなことをいい始める、というのがある。
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「海洋国家というのは、地政学の世界では『常識』ですがナニカ?」
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ウィキペディアを見て最近知ったくせに何が「常識」だ(笑)。
ことほど左様にネトウヨの多くはウィキペディアを、おのれが振り回すための安直な「知識」の仕入先として活用しているようである。
http://blog.nojijizm.jp/archives/50673088.html#comments
例えばごく普通の人が「海洋国家」なる言葉を聞いた場合、どのような概念を浮かべるであろうか?せいぜい「国土の全体、または大部分が海にかこまれている国」(大辞林)というものではなかろうか?しかしこれは間違いなのである。実は「国土の全体、または大部分が海にかこまれている国」とは「海洋国」の定義であって「海洋国家」のそれではない。ウィキペディアによると「海洋国家」とは次のようなものであるらしい。
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海洋国家(かいようこっか 英:maritime state)とは19世紀後半以降において発達した地政学上の概念であり、客観的、保守的、共存認容的な志向を有するとされ、地理的には島国か沿岸国であり、過去に海洋通商及び軍事で覇権を確立したことがある国をいう。
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そして更に古代フェニキア、アテネから始まり大日本帝国、アメリカ合衆国などを例に挙げている。
つまり要するに「海洋国家」とは純然たる学問用語なのだ。
しかしどうであろうか?我々一般人が日常的な概念で「海洋国家」という言葉を聞いた場合、その人が「地政学者」でもない限りは普通「海洋国」を思い浮かべるのではないか?
ところがである。ネトウヨさんはたったこれだけのことにしがみつくのである。聞きかじりを並べておいては「ウィキにもありますが、海洋国家という考えはずっと前に確立していますし、地政学や国際政治では有名極まりませんが?」と来る。自分が「たまたまその用語を昨日ウィキペディアを見て知っていた」に過ぎないくせに、「有名極まりない」が聞いて呆れる。生半可な「知識」を振り回して「お勉強会」を開いては自分を大きく見せたがるのはネトウヨのひとつのパターンだとしても、ウィキペディアは、まさに彼らの「救いの神」なのである。
ウィキペディアの問題点は次に掲げることに集約されるだろう。
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@「執筆者」が「一般大衆」であること
A匿名であること
Bインターネットと言う「安直な」媒体がその舞台であること
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まず第一にいえることは準備期間の問題である。一般の百科事典は準備期間を含めると数年の年月で出版にまで至るものと考えられる。その間校正等を含め、ありとあらゆるチェックが各段階で入る。それによって信頼のおける書物となりうるのだ。そして第二には「ブランド」と言うものがあるだろう。例えば「岩波書店に限っていかがわしい学者など使わないであろう」と言うような世間一般の「信用」である。また平凡社の百科事典は買う人がいてもサンケイ新聞の百科事典など(あればの話だが)買う者などいないであろう。つまりこの「準備期間」と「信用」が、ウィキペディアには完全に欠落しているのだ。その結果、「南京大虐殺」を調べようと思って引いてみると、「南京大虐殺はなかった」説ばかり飛び出してくる、というようなことになる。
そのような成り立ちのウィキペディアを世のネトウヨどもが金科玉条のように有難がるのは当然のことなのである。
あそこが百科事典を出すとすれば扶桑社からですね。あり得ませんけど。
何せ学術書での実績が全くない。
参考にする価値ナシ!です(笑)
やはり筆者は各分野に精通した学者が書くべきです。
それとウィキペディアの例が随分と西欧中心的で国粋主義的ですねぇ・・・(呆)
訂正するなら明帝国の永楽年間における南海遠征とか適当じゃないんですか。当時ヨーロッパが逆立ちしたってつくれない大艦多数で構成された大艦隊でインド洋を超え、遠く東アフリカのソマリアまで至ったそうです。
最後にネトウヨに一言!
そんなに「お勉強」が好きなら再度大学受験に挑戦なされたらどうですか???
今にお遊びだって事に気がつきますよ。
↑同じくウィキペディアの問題点を指摘していらっしゃる方のブログです。
マニアックな知識をさらっと知るのには本当に重宝してます。
分野としては、文系よりは理系、文系では歴史よりは、純粋な地理などの方が、歴史でも、当たり障りないものの方が信頼できます。
たかしさんのいうように進化論しか書いてなくても、進化論の概要を知るという点ではとくに問題ないと思います。
「そういうもの」
という前提があってのものじゃないでしょうか。
公正中立なんて始めからないし、学術的な裏付けも必要ない。
極端に言えば、あそこを否定する人は、小説を読んで
「この科学的記述には間違いがある」
と批判しているようなものだと思います。
(この場合、普通は「小説に書いてある科学的記述を、無批判に信じる方がおかしい」になるでしょう)
>そのような成り立ちのウィキペディアを世のネトウヨどもが金科玉条のように有難がるのは当然のことなのである。
ネトウヨに限定する必要などないでしょう。
WIKIPEDIAそのものを誤解している人たち全体がですよ。
だれだって、自分に都合のよい記事は気持ちよく読んで信じたいだけ。
ここで、ネトウヨ批判をしている人も、自分の主張に沿った文章があれば、まずはうれしくて読んで信じたくなるでしょ。
普通ならそこでやる「これは本当なのか?」の検証をするかしないかの違いだけ。
もともとWIKIPEDIAを引用に使う自体、本来御法度なんですから。
あのー、このブログはそもそも「ネトウヨ」の馬鹿さ加減を暴き晒して切り刻むのが趣旨ですよ?話の対象が常にネトウヨになるのは前提です。
まどろっこしい言い回しで、こっそりネトウヨへのロックオンを外そうとしてもムダです(笑)
ネトウヨと結局同じ根本の考え方になっていることが面白いね。
>極端に言えば、あそこを否定する人は、小説を読んで
>「この科学的記述には間違いがある」
>と批判しているようなものだと思います。
ハァ?何寝ぼけた比喩出してんの?(藁
>ネトウヨを批判している割に、
>ネトウヨと結局同じ根本の考え方になっていることが面白いね。
また「根本」かよ。てめえこそ肝心の「根本」が何なのかをズバリと言うこともできねーくせにグダグダダラダラ愚にもつかん比喩ばっか多用するヴァカのくせになーに言ってんだか(藁
さっさと何が「根本」なのかズバリ言えよ。
実は・・・
あるメーカーが新しい派生種を開発しようとして顧客に話を持ちかけたところ、大反対されたとあったのでそれを信じて動画を制作しました。
ところが、後になって図書館で実際に当事者へのインタビューを掲載した古い書籍を読んだところ、ほぼ正反対のことが書かれていたのです。
再制作を余儀なくされたのはいうまでもなく、それ以降は図書館に通って調べるようにしています。
いま新作の資料として東大出版会と京大経済学叢書の専門書を図書館から借りていますが、参考文献や引用元がハッキリしていて内容もネット検索では絶対に見つからない高度なものになっています。
ウィキペにも引用元や参考文献が一応紹介されていますが、残念ながら根拠の曖昧な記述の方が多いようです。
どうやら信用ならないのはアジアや歴史のことだけではないようですね(笑)
ありがとうございました
偉人と言うよりインチキペテン師扱いですね。
あるいはそれが真実かも知れません。
根拠も挙がっているのかも知れません。
ところが私は記事に対して根拠の無い反論をしたい。
彼らがペテン師であるということは通念として浸透してはいませんし、
もしwikipediaの記事が真実だとするなら比較的最近生きていたエジソンのような人物に対する見方が
ここまで変わってしまっていい物なのか、戸惑いも有ります。
子供があの記事を読めばエジソンへの憧れは消え去るでしょう。いかにもそれが当然らしく断定的に書いてあるからです。
政治思想の絡む物は編集合戦があって然るべきと思います。
一方声の大きな人の意見が事実らしく見えてしまうことは許せませんが。
wikipediaが真実ではなく一つの意見あるいは説なのだということはもっと世の中に浸透すべきだと思います。
そうではなく百科事典だと銘打たれているのが問題なのではないでしょうか。